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2012年5月10日 (木)

キネマ航空008便 アンノウン航空会社の社名判明す!

当航空800便で上映中の「ボーイング・ボーイング」に登場する 707 の所属航空会社名をアンノウンとしておりましたが、当航空がその傘下に入れていただいているバーチャル・エアラインズ・アライアンスのフリート・リーダー  「エールジャポン」 を通してMattariさんよりご連絡を頂きました。

キネマエア800便への追記、訂正をとも考えましたがMattariさんの懇切なご説明とWEBの面白さも含めて全文を読んでいただきたくリンクを張ることで対応いたします。

エールジャポン2012.05.04発
『キネマ航空運行とグウィネス・パルトロウ「ハッピーフライト」BS放送のお知らせ』 及び 『コメント

当CEOは航空機の型式名でしか判別できませんがMattariさんは枝番まで判別しておられます。

たとえば、ボーイング747 の例で型式名は 747 となりますが機体設計を変更した派生型、機体構造、エンジンのメーカーや型式、アビオニクスなどの差異さらには納入先などを明確した枝番が存在します。

最初の生産型の 747-100 から 747 を 747 たらしめた 747-400(ダッシュ400)さらには 747-8 など、一般に型式名の後にダッシュを付けて時には7桁に及ぶ数字やアルファベットで表示されます。

このような表示方法は航空機メーカーによって多少の差異がありますが同様に行なわれています。

これらを正確に把握するには外観からだけでは無理で、使用する航空会社や製造番号についても深い造詣があってこそであります。
そのMattariさんのサイトのレジは Mattarix です。読者も実際に乗っているかのようなフライト・ログが楽しいですよ。ぜひご搭乗下さい。

軍用機では同時に製造する機数(ロット)を「ブロック」と呼んで同一の機体と考えていいようですが生産時期が異なると同じとはいえないようです。これが民間機となると同じ型式の航空機は全く同じと言うことはまずありません。航空機を知る楽しみは型式名の「くくり」に加えて枝番で示される派生型を知ることでより深くなりますね。

2012年4月29日 (日)

キネマ航空008便 就航 (5月3日に補足しました)

お知らせ
- 就航中の800便 の「ボーイング・ボーイング」を中心に大幅に加筆をいたしました (2012年5月4日)-

大掛かりな 予告 をしておきながら出発遅延を続けてご迷惑をおかけしておりました「スチュワーデス物語」フライトが就航いたします。

・ エアポート ’75 
   カップリング上映は - 乱気流 タービュランス - 
前者はスチュワーデス、後者ではフライト・アテンダントが操縦士を失った機を飛ばします。
キャビン・クルーの呼び名が違うように機体もボーイング747-100から747-400に替わります。
キネマ航空でおくつろぎのところで、無事に着陸するとはいえオープニングから航空パニック映画の上映では、とさすがに反省しています。
しかしながらカップリング上映で時代による航空機技術の差を感じていただける企画のつもりでおります。なにとぞご寛容のうえご観賞下さい。

・ ジャッキー・ブラウン
職業:フライト・アテンダント、性別:女性、年齢:40代半ば、人種:黒人、年収16000ドル、冤罪の前科あり、の彼女が挑む男どもを向こうにまわしての賭けの結果は・・・
撮影当時の監督はまだ若かったが、四十路を越えた大人になって見る映画です。

・ ハッピー・フライト (アメリカ)
原題は「頂上からの眺め」。一味違うアメリカ版「スチュワーデス物語」。
日本では見られないフライト・アテンダントのキャット・ファイトもあります。
そこのアナタ!・・・「ゼロ戦がどうの、烈風がどうの」と講釈をいうボーイ・フレンドをお持ちのアナタ。「ふーん、あなたは『キャット・ドッグ・ファイター』なのね」と言ってやれる TIP を用意しておきました。

・ ハッピー・フライト (日本)
航空運輸業界(ANA)を背景にしたよくできた脚本と演出、とくにグラウンド・スタッフを演じた田畑智子さんに拍手。
エンディングの「COME FLY WITH ME」はフランク・シナトラが1958年にTWAとタイアップして創唱しています。
この当時のTWAはハワード・ヒューズの下にあり、曲のイメージがよく似合う、ハリウッド・セレブの乗る華やかな航空会社でした。
曲名を頂戴した映画「翼のリズム COME FLY WITH ME (1963)」ではフランキー・アヴァロンが歌っています。こちらはTWAではなくニューヨーク-パリ間を飛ぶ(この当時は架空の?)マグナ航空の3人の新米スチュワーデスの恋物語です。
次に上映する同時代の「ボーイング・ボーイング」と見比べたいところですがむつかしいようです。

・ ボーイング・ボーイング
「翼のリズム」と同じく古い映画(1965)で、ヨーロッパが舞台のスチュワーデスものの古典。
3人のエア・ホステス(ヨーロッパですので)が登場する、今となっては問題のありそうなストーリィ。
でも原作となった戯曲を書いた作家の視点はそんなところにはありません。
これが日本の航空映画にないところ。ぜひご覧下さい。
映画とは直接関係はありませんが ボーイング 707 の歴史のなかで消えていったひとりのテスト・パイロットのけじめのつけ方と 冒頭のエアポート ’75 でヨーロッパ出張から帰国したチャールトン・へストンのせりふが微妙につながっていることにもご注目ください。 


ご注意!!
ここに登場するスチュワーデスやフライト・アテンダントは変といえばかなり変です。
実在のキャビン・クルーの皆様は普通に仕事をして普通に生活しておられるはずです。

映画でそのようなフライト・アテンダントを描くには小津安二郎監督のような手腕と名前が必要です。しかし映画には作れる時代、作られた時代というものがあります。

今回は1965年から2008年までの作品を選びました。

あわせてジェット・ライナーの幕開けからその将来についてのヤブにらみ考察も含めて、スクリーンに映る製作された時代も共にお楽しみください。

以上の5+1本立て、のフライトです。上映時間がすこし長くなりましたので5回に分けてのご搭乗をお奨めします。

2012年4月 8日 (日)

キネマ航空CEOの春野の休日

里山歩きのグループで知り合った方たちに誘われるようにして同じ市内とはいえ車で小一時間かかる春野という町にあるオープン・ガーデンで行なわれる春の祭りに参加してきた。

Whole_view

四周を囲う山に沿って大きく曲がる清流のある庭である。

左岸の花の林は育成中で入ることはできないが右の花が見えるあたりから画面の外に広がっている。

川はどれくらい清流かというと鯉のぼり、ならぬビニール製らしいのは残念だが鯉ながしを行なえるほどである。

写真でははっきりしないが、Streamers

緋鯉のうしろに小さな鯉も泳いでいる。

オープン・ガーデンと言うとTVで紹介される英国の管理された庭を思い浮かべるがそんな大それたものではない。

Art

それでも竹を素材にした手作りのオブジェなどがあちこちに飾られている。

Passage

こちらは廃材木を利用した小道である。

実のところオブジェはここにある竹の輪を作った端材のようだ。

小道やその脇の人が踏み入りそうなところに並べられた輪っかのなかには、

Objects

こうして小さな花や若い芽が守られている。

立ち入り禁止の立て札や張り巡らされたロープで守られた庭より遥かに心を鎮める力がある。

よく考えられて設けられている小道のせいもあってか植え込みに立ち入る人は見かけなかった。

古都の社寺の庭、大名が残した大庭園、確かに美しく、大切なレガシーではあるが今日の日本の美や精神を具現して生きている文化はこれである、と言い切れるのかどうかを考えさせられる庭であった。

Uncles さて遠景の櫻に囲まれたように見える緑の傘のあたりには、とりどりの花で飾られた舞台がある。

ここでフィドルとギターのアイリッシュ音楽のデュオ。

数年前にゆかりもない当地に移り住み茶農家を始めた若夫婦と真っ赤なリンゴのほっぺ(久しぶりに見た)の幼児も舞台に上がってのトーク。

街っ子の女子中高生弦楽クァルテットの演奏するクラシックなどが繰り広げられた。

春野の町は先ほどのような若い人たちばかりではなく物書き絵描きの中堅世代にも移住先として人気がある町のようだ。

こうしたイベントが行なわれ、日常の営みがつづくのは、なかんずくこうして遠くから彼らを見守っているリタイヤした方々が農業にいそしみながらの緩やかだが強い結びつきがあってのことだろう。

花で囲まれた舞台は左端のアンクルが山を越えた隣町から来て前日の強風のなかで組み上げたそうである。

Contrail このような町の上にも航空路がありコントレールを曳いた旅客機が通り過ぎて行きました。

上下10km離れてそれぞれの人生が交差しているよく晴れた、しかしまだいくぶん肌寒い、穏やかな春の一日でした。

2012年4月 3日 (火)

キネマ航空700便 エイプリル・フライト就航のお知らせ

さる4月1日に、700便 「飛行艇小説の最終便 - 冒険小説も女性作家が面白い」 を就航させました。お楽しみください。

イスカンダルの秘宝 “Fingernail Beach” リチャード・バトラー(1964) 木戸淳子訳 徳間書店 (1990)
これは翻訳者が女性ですが作家はオーストラリア人の男性ですのでキャッチ・コピーに偽りあり、です。
登場する機体はショート SA.6 シーランド。作品としてはともかく前半は楽しめます。

悪夢のバカンス“SABAGES” (上、下) シャーリー・コンラン(1987) 山本やよい訳 新潮文庫(1991)
イギリスの間違いなく女性作家です。都会育ちの女性5人が巻き込まれたアセアンのどこかの島のジャングルでのサバイバルです。
この女性作家はけっこう残酷なシーンが得意なようです。詳細は本編で!
登場する機体はグラマン・ダックをメインに多数が飛びまわります。

コンタクト・ゾーン(上、下) 篠田節子(初出 2003 毎日新聞社) 文春文庫(2006)
スケールが大きく良質のエンタテイメントを手がける作家としては日本の筆頭といえる女性作家の手になります。
「悪夢のバカンス」のパロディともオマージュとも取れますが実質は日本人論にもなっています。
これには飛行機は出てくるのですが飛行艇は出てきません。

以上の三作品の舞台はいずれも南洋と呼ばれる地域ですが通して読むと飛行艇の衰退が分かります。

最後に飛行艇ファンにはかすかな望みとなる話題を囲み記事としました。
ご搭乗をお待ちしています。

2012年1月14日 (土)

キネマ航空CEO 映画館に行く-連合艦隊司令長官 山本五十六

街に出たときに立ち寄るカフェテリアで櫻井よしこ氏が週刊誌に寄稿した提督山本五十六の評伝を読む機会があった。同じ旧制米沢高校の(新制移行後の)同窓の後輩にあたるそうで敬愛にあふれた文章でした。

そういえば同じ同窓生の半藤一利氏の原作「山本五十六」を底本として氏の監修による映画が公開されていたのでDVD化を待たずに劇場で鑑賞することにした。

山本提督は軍人の伝記映画として何度も映画化されているが軍人映画としてはこれまでと変わっているとも思えません。強いてあげれば半藤氏の分身と思われる新聞記者を登場させて戦争は国民が望んでいたことその背後にジャーナリズムによるプロパガンダが色濃く影響している点に踏込んだことかと思えます。

また、井上軍務局長が海軍の三国同盟賛成をせまる軍令部の将校にヒットラーの「我が闘争」の原著と欠落した日本語訳を比較して論駁するシーンなどはまさに半藤氏が観客に託す現在への警鐘でもあります。

しかし結果的には個々のメッセージは埋没してしまい当CEOには高級軍人を描いた映画としては中途半端と感じられました。

別に日本映画だけではないが、なぜ家庭生活を描かねばならなかったのかの不満がのこります。このシーンに費やした数分間を山本が関わった政争や作戦立案、戦闘遂行の推移のシーンに充てなかったのは残念でなりません。

この点では「パットン大戦車軍団 “PATTON ” (1970)」の(かなり薄められているとしても)軍人としての行動や言動から人間を描く構成には遠く及ばない日本映画の弱点です。しかし、いっぽうでは、こうでなくてはならぬ姿として日本の偉人の伝記映画には必要とされてもいるようです。

さて、映画には表現の限界があることは認めるにしても「連合艦隊司令長官 山本五十六 (2011)」にも故意に変更もしくは曖昧にしたと思われる点がいくつかありました。

まず、永野軍令部総長(海軍組織の長)が山本連合艦隊司令長官に開戦の準備を命令する「大海令第一号」を下達するシーンでは、これは天皇陛下のご指示による奉勅命令である、ことの重大さの説明がなされていない。

もちろん天皇陛下が直接考えられたことではなく軍令部が参謀総長(陸軍組織の長)の下にある参謀本部と調整して作文をして、軍令部総長が宮内省内大臣府をとおして上奏し、天皇陛下に決済を仰ぎ、天皇陛下のお言葉として裁可された、いまでは考えも及ばない逆らえない、権威ある命令、でありました。

江戸時代を背景とした時代劇では老中の「上意ッ!」、に対し、召しだされた大名の「ハッ、ハァー」と平伏する場面となって描かれます。この「上意」文(厳密には「下」と表書された「くだしぶみ」)も老中が単独または合議して徳川将軍の花押(署名)をいただいたもので将軍が自ら起草することはまずなかったでしょう。

二つ目に山本司令長官が日本の命運をかけておこなうミッドウェー作戦もその奉直命令である「大海令第十八号」で行なわれました。

それには「陸軍ト協力シ・・・要地ヲ攻略スベシ」とのみあり、山本の意図した空母対空母の殲滅戦は陛下のお言葉(ご意志)としては一切触れられていなかったことの説明がありません。その全文は、

大海令第十八號
 昭和十七年五月五日
  奉勅 軍令部総長 永野修身
 山本聯合艦隊司令長官ニ命令
一 聯合艦隊司令長官ハ陸軍ト協力シミッドウェー島及ビアリューシャン群島西部要地ヲ攻略スベシ
二 細項ニ関シテハ軍令部総長ヲシテ指示セシム

この「大海令第十八号」により、というよりその前に作成されている「細項」となる軍令部作戦課の作った作戦指導要領である「大海指第九十四号」では占領作戦支援の末尾の項のそのまた末尾に曖昧な敵情を説明する文章に続いて「反撃に来るであろう敵艦隊(注 敵空母ではない)を捕捉撃滅」とあるだけでした。

映画ではその対立を連合艦隊の旗艦での会議の場面で描いてはいましたが、敗北したミッドウェー作戦の戦闘指導の齟齬を、永野軍令部総長が直接に南雲第一航空艦隊先任司令官へ「上陸作戦を成功させ、艦隊を無事に帰還させること」と命令(?)するシーンを入れることで軍令部と連合艦隊の組織と艦隊派と条約派の人間の対立に仕立てています。

確かに永野と南雲は「艦隊派(軍縮条約反対)」、山本は「条約派」であったが本質はそこにはありません。

いずれにせよ山本は直接には南雲と作戦意図を調整したことはなかったようです。山本にとっては山本の考える「対空母シフトの徹底」を、ただ一つの奉勅命令である「航空兵力による上陸作戦支援」よりも優先させる命令は、上命下服に反する不忠の命令を発することでもあります。

したがい後年語られる「ミッドウェー攻略は米空母撃滅作戦であった」という幻想は命令として文書化されたものではありません。そして奉勅命令は「詳細は軍令部総長に指示させる」というお言葉で締めくくられています。

これではいくら山本の意をうけた参謀が出向いて航空艦隊の参謀を説得するようなことがあったとしても奉勅命令のもとでは効果はなかったと考えられます。

この時点で山本長官の考えたとされる作戦の組み立て、ひいては戦争終結の意図は「運がよければ」の領域に入っていきました。

当時の海軍士官の心理状況として陸軍との共同作戦である「陸地の攻略と占領」を第一とする奉勅命令にもとづく作戦指令を受ける立場となれば山本を含めて南雲以下の航空艦隊の幕僚も高級将校になればなるほど逃れられない呪縛めいた束縛で作戦を進める思考をしていたと考えるほうが妥当です。

つまりは、自縄自縛に陥りやすい組織構造で、しかも逆らうことを許されない組織の一員であった結果といえます。その組織の中にいる人間に通底する精神構造については、なにも山本にかぎったことではなかったと考えられます。

ミッドウェーの敗北については戦略、戦術、作戦指導について個人の毀誉褒貶を含めていろいろな見方がありますが、いずれの説もメビウスの輪のように堂々巡りとなって今もって定説はありません。すべてを突き詰めれば、(「当時の」と限定していいのかどうかは分かりませんが)日本人の国民性、もしくは潜在意識の働きと解釈できます。

映画の中では山本は戦闘指導の決断を南雲にまる投げしているようです。以上のように当時の背景を理解できれば(あるいは納得できれば)帝国海軍の軍人としての山本の判断の描写としては極めて妥当なのですが説明不足になっています。

このため山本が南雲を更迭しなかった理由や自殺行にも等しい前線視察の背景が曖昧になっています。

第三に私生活を描くならば山本には幾人かの愛人がいたこと、当時はそれが珍しいことではなかったことも描くべきであったことがあります。

映画では山本から直接妻に渡された恩賜の時計は実際には愛人(妾)に渡されていました。これがもし相手が普通の婦人との不倫であれば別の描き方もされたのでしょうが、いわゆる玄人であったことによるのでしょう。このあたりは半藤氏の「武士の情」かもしれません。

総じていえば山本五十六提督は「軍政家」としては優れていたが(映画では永野と南雲の結託として描かれるように)軍人、とくに戦時の最高司令官としての(個人の資質や周囲の環境を含めての)力(リーダーシップ)はなかったという半藤氏の評価が実像に近いのかなと思えます。

この点では氏は監修された映画のなかでは山本は何かにつけてものを食べる場面をいれて映画的に表現されたのかもしれません。

いっぽうの櫻井氏はこのあたりを悲劇の提督として叙事詩のヒーローと捉えられているのかも知れません。

さて、映画を見る発端となった櫻井氏の寄稿は山本に対する恋文めいて評論家の論客らしい鋭さがないのが残念でした。

これでは
左の田島陽子(過去も現在も否定専門、イギリス万歳、スエーデン万歳)、
右の櫻井よしこ(現在否定、過去肯定、全ては日本人の魂の在りよう)、
のお神酒徳利になりそうで「きょうの出来事」以来のファンは心配です。歴史に関しては批判をともなわなければ暦女も暦男もなかろうと思うのですが。

2012年1月 2日 (月)

キネマ航空CEO、就航一周年ご挨拶

昨、2011年の元旦に就航にいたりここに一周年を向えることができました。これもご搭乗いただいた皆様のおかげとお礼申し上げます。

しかしながら運行実績はいくつかのフライト追加と増便を果たしましたが、当CEOオフィスで予告した便は遅延を続けており、心を引き締めて運行管理をはたす思いを新たにしております。

さて当CEOは毎年近くの小高い丘の上から初日の出の定点観測を行なっております。

1_1_2012_2今年も残念ながら雲のなかからこぼれるご来光を見ることになりました。

ちなみに下は昨年の様子です。

1_1_2011

このときは「今年はいよいよ底日が射し善い方向に向うだろう」とメール賀状代わりにしたのですがとんでもない年になりました。

もともと暦と天気で将来を占うなんてことが怪しいのでありますから、まずはいくら雲が厚くても時間が来れば太陽のおかげで明るくなり、ものの判別が付きだすことに感謝する日といったほうがよさそうです。

もっとも、暦自体は原始宗教の占いからはじまり、やがて為政者の権威を示す道具(飛行機ファンには帝国陸海軍の航空機正式呼称となる皇紀年号で周知)となり、今では経済行為の道具となって(経済活動の西暦と公式文書の元号の並列で)月日を一元化しているわけですから本来の占いとは無関係でありますね。

もし忘れていなければ来る旧正月に初日の出の写真をアップいたします。

2011年12月 8日 (木)

キネマ航空CEO12月8日に考える。えーっ!? 戦争ってゲーム知能で行なうの?アウトレンジについて考える

12月8日ということもあり、12月3日のブログで案内をした「キネマエアラインズ・マガジン」の長編コラム「B-25 ミッチェル 二人の軍人の間に存在する爆撃機」の『山本五十六と海軍航空政策』の項でおこなった 加筆 からは、はずした個所を再編集して掲載します。

ここまでの本編の文脈は日本が誇りとするアウトレンジにとらわれた仕様書による『大和』や『零戦』を神話化し、それがいまも日本人のこころの寄りどころとされているようでは本来の技術を革新する能力を永久にもてない恐れを感じます。少なくとも脱亜入欧を目指した日本人が工業、工学といった分野でどうして目指した方向から分化してゆき失敗したのかを反省する必要があることから始まります。

以下は戦争の枠組みをゲームを通した闘争心のありようから考えたものです。文中、相撲、柔道、剣道、将棋、囲碁、を取り上げていますが、これらそのものの優劣をあげつらったものではなく国民性にどのような影響を与えているのかを考えたものです。当然、時代により変化はあるのですが勝負ひいては戦争にかかわる闘争心と戦うときの戦略、戦術ついての国民性には密接にかかわっているはずです。

軍人や政治指導者はどんなゲームが好きだったのか、どのような娯楽映画や小説が好きだったのか(自伝では出てきませんが)を通して戦史を読むのも国民性を考える切り口になると思えます。もちろん古今東西の戦史、戦記を読み深く分析しているでしょうが解釈したり再構築する過程にはこれまでの生活にしみ込んだ文化が否も応もなく今度は染み出してきます。

(承前)
どうも普通の日本人には欧米のやったシステムの変換(承前注 巨砲戦艦対高速戦艦、軽戦闘機対重戦闘機)とは少し違う、既存システムの外挿延長線上での『ものづくり』ということばに代表される抜けきれぬメカニズム信仰があり、優秀なメカニズムと無私で操作をするそのオペレーターの組み合わせで行なわれる遠い、戦死でさえ映像的に美しい戦争に映る海戦や空戦で戦争に勝利すると考えているようである。

日本のアニメなどではその流れをつないでいるような気がしてならない。いっぽう、アメリカでは次世代戦争システム(いわゆるパラダイム)の変換を意識しており無人(正確には遠隔操作)機でおこなう攻撃機を実用化しており、やがて高価なステルス機に代える多量の無人戦闘機による制空に行きつくと思われる。こうなるとアメリカ人の日本人化ともいえるかもしれない。

戦争のパラダイムはいかに腕を長くするかの技術競争である。古くは長い棒からはじまり槍、弓矢、投石器、大砲となる技術の発展史であった。現代戦では炸裂する爆薬をどのようにして遠くに運ぶかの技術競争となった。これらの歴史がアウトレンジの原点と競争である。

戦艦の大砲の飛距離を伸ばす技術に対抗する技術が飛行機による爆撃でありさらに空母と組み合わせてさらに延長する技術となった。日本が始めた対米戦争はこの狭間で起こっている。

日本はこのパラダイムのなかで何々道と呼ばれる武術の極意とされる一瞬の間合いで勝てると思った。その思い込みは日常に馴染んだ勝負のルールによって慣れ形成されていると考えることができる。

たとえば、仕切りから始まる『相撲』は戦略の試合であり、立会いの間合いをはずされた相撲ほど弱いものはなく柔よく剛を制す、とか小兵が巨漢を食う、という(「あとは成り行きで」は無いものとして)観戦の醍醐味がある。また組み手で行なわれる『柔道』は戦術の競技である。間合いは読むであろうが本質は作戦の実行もしくは状況の判断で成立している。

「間合い」といえば時代劇の「居合」や西部劇の「クイック・ドロー」にも通じる。実戦という意味では居合は個人の鍛錬、修養のためであろう。いずれも小説、映画で見ると人目は引き、実際に「間合い」で勝つ戦略を立案してみたい誘惑にかられる参謀もいるだろうが「間合い」つくるためにはお互いに身体を曝している。「間合い」は戦術なのである。

立会いの「間合い」で勝つ戦略は現実の戦争のルールのなかでは奇襲をおこなう側の心理でしか成立しえず繰り返して相手に対して使える案ではない。日本人はこのような「立会いの間合い」を戦略と考えて戦争していたのではないかとおもえることが多い。

盤上の戦いでは『将棋』と『碁』がある。将棋のルールは戦場となる盤の上の兵は死ぬことなく味方として生き返る、という現実の戦争にはありえないルールである。そして「玉」が包囲されることで終わり、死ぬことはない。もっとも兵を動かした参謀である巷の棋士は幾ばくかの賠償金に相当する賭け金を支払うのであろうが。

囲碁は土地を二者で分配するという本質的に戦争と同じ目的であり、開戦の前に行なわれる図上演習として戦略で戦うゲームである。将棋の駒が兵士なら囲碁の石は植民地を囲う砦と言ったところであろう。

ゲームにはルールがある。もちろん戦争にもルールはあるがその国の民族性でそのルールを自己中心に解釈して行なうのが戦争である。そのルールの解釈の中にゲームのルールの翳はなかったかどうか。

囲碁は中国が発祥の地だそうだが二流の余技と甘んじられており、西洋世界にも浸透しなかった。その間日本では教養の一部となったが明治以降の近現代史のなかでは勝負に固執する頭脳を強化したのみだったようだ。第二次大戦後は中国、韓国へ日本ルールの普及も進み、現在のところ日本の棋士は苦戦をしいられている。

いっぽうの将棋はインドが発祥の地らしい。これは各地に広がり、いくつもの類似ゲームとなった。戦争と密接に結びつくのは日本人の戦闘ゲーム感覚で磨き上げた『将棋』に対して西洋で洗練された『チェス』となる。チェスの場合は駒を失うことがあっても復活することはない。そして敗北を宣言する場合は自らの「キング」を、自らの手で倒すことでおわる。そしてあらたな王を立てて戦うのである。

こうしてゲームを通して日本の戦争を振り返ると節目、節目で日本特有のゲームのルールが顔をだして錯覚を重ねている。たとえば緒戦に勝てば勝てる。占領すれば将棋の駒のように兵も住民も日本に協力する。最大の錯覚はポツダム宣言受諾前の混乱に透けて見える日本の将棋のルールでチェスのルールの国と戦ったことである。

いっぽうのヨーロッパ戦線では戦略爆撃によるアウトレンジと双方ともチェスのルールでおこなう地上戦のなかで決着した。

しかし西側は朝鮮戦争、ベトナム戦争、ソビエトはアフガンの地上戦ではアウトレンジの究極の戦術である核兵器の使用ができなくなり、人海戦術やゲリラ戦にはこのアウトレンジのパラダイムも通用しないことが実証された。これらの戦いは陸軍が踏込んだ地からは撤退をすることで終息する、勝ったといえない終結であった。

つまり、西洋と日本で繰り広げたアウトレンジの戦争のパラダイムにも弱点がある。アウトレンジはその先端で戦う限りにおいては有利なのであるが、いったん中に進入されるとあるいはアウトレンジで覆ってしまうと弱点となる。とくに欧米の戦争のパラダイムを支えた地上戦ではゲリラ戦に曝されることになる。

アウトレンジには武器の届く距離だけではなく、その武器を使う相手が見えないことも、見分けがつかないことも、含まれる。また核兵器や化学兵器の使用は相手側のモラルに移ったことを中東における宗教戦争を透して理解せざるおえなくなった。

ゲリラ戦の条件として地形、気候、兵士の信念といったものがある。日本の敗戦時に当てはめるとこれらの条件では優れた指導者がいれば戦闘継続は可能だったと思われるが将棋のルールでは戦闘継続は不可能だった。

「剣道」などはまさにアウトレンジの内側での戦いである。しかし正々堂々のルールでは戦争はできないことは明らかである。覆いかぶさったアウトレンジのなかでは短い人間対人間のアウトレンジの戦闘が前提となる。日本がやろうとした日本刀や竹槍の突撃ではピストルや機関銃相手の戦に戻るアウトレンジのスキームが生きている。現在のゲリラ戦が刃物で行なわれることはまずない。

その結果が、航空機やロボット戦闘車両を遠隔操作で戦闘させる次世代戦争システムであり占領や軍政をともなわない戦争のパラダイムの構築である。このパラダイムの究極的な展開は対中国となる。具体的な展開は以下のようになると思われる。

 ・米軍は沖縄より後退する
 ・中国の弧状列島への侵略を待つ
 ・ウェーク、グァムなど洋上の島、第七艦隊を使ったメカニズム兵器対人海戦術
  の戦闘を行なう
 ・適当な段階で休戦協定をむすぶ。

基本的にアメリカは中国本土で地上戦をおこなう意志はまったく無い。アメリカの戦略は中国を弧状列島内に封じ込めることにある。いっぽう中国は本格的に太平洋に進出する場合は外洋への海路を確保するために人間により要塞や港湾の確保できる弧状列島の一部の島を占領する必要がある。

すなわちアメリカにとってやりたい戦争は敵の侵略と前線が明確な条件下での戦闘であり、中国は西欧やロシアが経験している兵器システムの戦争は経験していない。

アメリカはといえば孤島をめぐる戦闘で大量の戦死者を出しながらも飛び石づたいに前線を自由に選び勝利した経験がある。この作戦は(一回限りしか実行していないので)敗れたことはなく、今度は兵士の血を流さずにやってみたい戦争である。

結果的には東シナ海のガス油田や尖閣諸島は手打ちの手土産にすることもありえる対中国封じ込めの戦略プランである。しかし、はたして中国に漁業資源は別にして太平洋に出る意志があるのかどうか。

ソビエトは先の大戦に乗じて千島列島を押さえ、キューバに軍事的な橋頭堡を画策したがケネディに撃退される。チェスの国であり大陸の国では海洋は軍事上の扱いであった。

しかし中国はアフリカの資源に着目したり自由主義国の資源に投資するなどと同様に公海の海底にある資源に着目している。国連海洋法条約の制限はあるが同法には紛争も想定しており中国は拒否権を持つ国である。

アメリカ自身が自分で思ったよりもずっと早く国力が衰退してしまい、月面着陸の後回しにした海洋開発は資本主義では投資の対象にできなかったが、中国は公海上に経済圏の主張をする活動に着手可能な国家体制であることがアメリカの焦眉となる。

アメリカの軍備再編と対日政策のディレンマは沖縄撤退後に日本がなし崩しに中国の海洋通行権を認めてしまいそうなことである。日本の自衛権発動を起こさせる中国の具体的な戦闘による侵略がない場合はアメリカの戦略的敗北となるのである。

かくして思考においては日本の行なった『将棋』対『チェス』の戦争の勝敗の後を受けた『チェス』対『囲碁』の思考でなされ(てい)るかもしれない、そして日本は思考停止したまま何もすることのない、見えない戦争を思う日でもある。

いずれにせよ戦争は対峙する国民、周りの国の国民のもつ国民性によって左右され、巻き込まれる国の勝敗もしくは漁夫の利は開戦以前に蓄えたシステムの準備と準備を可能にしたパラダイムの考察によって決まることが12月8日の歴史的教訓である。

革新政党のアジテーションでは沖縄は香港並みの自由があれば中国の支配下にあるほうが幸福と思わせる。また中立と称する現地や本土の新聞の誘導する論調もそれに近く、政権政党のなかにもあるようだ。それをパラダイムとして日本の国を導くことになるのかどうか・・・この結論を当CEOが見ることはたぶんないであろう。

ただ、日本人は戦争には向いていない民族性が根底にあり、それがたまたま国際デビューした途端にいい調停者がいて(ある意味では代理戦争)で二度も対外国の戦いに勝利したこと、三度目は漁夫の利であったことを自覚せずに戦争を企画し行きづまったところで準備も無いままカードをきった失敗は忘れてはならない。

その反省が憲法九条かとなれば分からないが、戦争を放棄したのであれば今後100年をどのようなパラダイムと捉えどのような準備をして漁夫の利を得るかが、紛争を起こさせない、おこれば終息させるための外交と共に政治家や外交官にたいする国民の負託となる。

その漁夫の利で荒廃した戦場を回復し、民衆を助ける工学技術を準備するかが日本の目指す方向であろう。

2011年12月 3日 (土)

キネマ航空CEO 700便の増発を発表

当CEOの住む町の地方紙は活字のサイズと行間の拡大を12月5日から実施すると発表しました。
読者の読みやすさのためということです。

ただ、限られた紙面のなかで広告の出稿数が増えることはあっても減ることはありません
いきおい記事の出稿数が減り、通信社の配信記事を増やして地域に密着する記者を削減することでおこなう経営改善の時代に入ったのか、とインターネットの影響をしみじみと感じさせられます。

とはいえ、読者の、乗客の皆様の利便性向上では当社も学ばなければなりません。
しかしながら、当キネマ航空ではCEOの未熟な割付技量のため文字のサイズを大きくするとレイアウトがくずれてしまうので各フライトの行間のわずかながらの拡大にとどめました。

さいわいWeb上では紙面サイズの制限はありません。これにあわせて一部のフライト記事の修正と訂正、ラウンジの「キネマエアラインズ・マガジン」の長編コラム「B-25 ミッチェル 二人の軍人の間に存在する爆撃機」の『山本五十六と海軍航空政策』の項に大幅 加筆 を行ないました。

さらなるフライト数と内容の向上に努めますので、これまで敬遠されていたお客様には再度のご搭乗と、これからも変わらぬご愛顧をお願いいたします。

さて、キネマ航空では次の2冊による 700便の増発 を11月30日に行ないました。

 インペリアル航空第109便 リチャード・ドイル(1977) 小菅正夫訳 サンリオ (1981)
 飛行艇クリッパーの客(上、下) ケン・フォレット(1991) 田中融二訳 新潮社(1999)

で、ご搭乗をお待ちしています。

初めてご搭乗のお客様
http://kinema-airlines.movie.coocan.jp/flight700.html

ご常連のお客様
http://kinema-airlines.movie.coocan.jp/flight700.html#8

飛行艇小説は読み返してもなかなか面白く、近ぢかもう一便増発する予定です。ご期待下さい。

なお「スチュワーデス物語」のフライト008は遅延が続きますがご容赦をお願いいたします。

キネマ航空CEO 拝

2011年11月23日 (水)

キネマ航空 700便 ノーベンバー・フライト開始のご案内

お客様各位

秋も深まり読書のシーズンとなりました。

スーパー・コニーの夜間飛行で運行する キネマ航空700便 はブックレビューが中心です。

2011/11/20 の便ではアライアンスのエールジャポン航空に寄稿されていた 武田一男氏のメモリアル として氏の書評ページの紹介をいたしました。

併載は「飛行艇の時代」 帆足孝治著 2005 イカロス出版 です。

当CEOは飛行艇、なかでも水陸両用飛行艇が好きです。

宮崎駿氏は監督をされたジブリ・アニメ「紅の豚」のなかでポルコの相棒となった孫娘のフィオの口を通し、飛行艇製造会社のピッコロ親爺のことばとして次のように述べています。

「飛行艇乗りの連中ほど気持ちのいい男たちはいない」、「それは海と空の両方がやつらの心を洗うからだ」、「だから飛行艇乗りは勇敢で陸の飛行機乗りより誇り高いんだって」

どうも当CEOはそれほど誇り高くもなく、勇敢でもなく、陸の飛行機乗りのチョイ悪?にもあこがれているようです。

文中に参考とさせて頂いた飛行艇に関するサイトへのリンクを三つ載せてあります。その中の一つ「紺碧の海」のオーナーから九七式輸送飛行艇の知見をいただき、11/22 に一部の修正を行ないました。既にご搭乗いただいた方々にも再度のご搭乗をいただければ幸いです。

またリンクは張りませんでしたが財団法人 日本航空協会の WEB版「航空と文化」 には18回にわたり越田利成氏の「飛行艇パイロットの回想-横浜から南太平洋へ-」が掲載されています。まさにこの時代を彷彿とさせてくれます。「紺碧の海」と合わせてお読み下さい。

2011/11/22 にはメイデイ!747 ジャンボ機、太平洋に不時着す! 」  山口 明 1989 大日本絵画 を紹介しております。

これから数回のフライトで飛行艇の登場する小説のレビューを行なう予定ですが、その先陣を切るのは日本の作品で 新明和 救難飛行艇US-1A が活躍します。

もしご登場のお客様のなかに映画のプロデューサーがおられましたらぜひ映像化を試みてください。日本の航空小説も捨てたものではありません。

今回も予告で、先の予告だったスチュワーデス映画の「フライト008」はどうした、とご心配をおかけ致しております。今しばらくご猶予お願いいたします。

キネマ航空CEO 拝

2011年10月 8日 (土)

キネマ航空CEO スチュワーデス(スッチー)からフライト・アテンダントがキャビン・アテンダント(CA)になるまで、について考える

次回のフライトはスチュワーデスの活躍する映画を上映する予定です。いうまでもなくスチュワーデスはスチュワードの女性形の名詞です。その直接の由来もしくは語源は客船の接客乗務員からきています。

この職域に女性が進出したのは飛行機による大量の旅客輸送が始まりアメリカ大陸横断が30時間弱にまで短縮されたころ、1930年にボーイング・エア・トランスポート(現ユナイテッド航空)に採用された看護婦資格を持つ8人の女性たちからでした。

ちなみに日本においては翌1931年に東京航空輸送社ではじまりました。ヨーロッパより先駆けており意外と進んでいたんですね。

考えてみればこの当時の最新鋭機でも与圧も暖房もなく気流は安定しない高度を飛行するのですから気分が悪くなる乗客もいたでしょう。まただれもが空を飛びたいわけでもなく空を飛ぶこと自体に不安を持つ人も多かったことでしょう。

大量輸送の手段を手に入れた航空会社は乗客を増やし事業を拡大するためには女性にも乗れるということを効果的に示す必要がありました。

ことばは悪いですが世の東西を問わず女にできることが男にできないなんてと男の自尊心を刺激するという意味では現在の民間航空の隆盛は女性によって切り開かれてきたといっても言い過ぎてはいないはずです。

当時の日本では「エア・ガール」と呼び流行語にもなったようです。当然ながら日本人お得意の和製英語です。

その一方では、大衆紙の中で「空の麗人」とか「空中の女給」と訳されて使われており、日本人の感覚には誕生当時から現在の「スッチー」から「CA」に通じる幅に広がっていたようです。

「スッチー」は現衆議院議員の田中康夫氏が命名したのか、広めたのか、スチュワーデスの愛称または蔑称として膾炙しているようです。

スチュワーデスには縁のない当CEOの記憶では、同じころに広まったことば「合コン」に付き合ってくれるのが「スッチー(Sttsie? or Sootsie?)」で、その前は「デス(Dess)」だったような。

ただしこれは日本だけではなく欧米でも似たようなもので、むしろ航空会社間の競争が激しくなると「Coffee, Tea or Me?」のイメージを積極的に利用していたふしもあります。

日本などでは女性のエリート職、高給職ですがアメリカでは看護「婦」のイメージを使ったブルーカラー・ワーカーとして誕生したのでした。

1970年代にはアメリカで性別や人種の表現を伴わない言葉に換える「ポリティカル・コレクトネス」がはじまり「スチュワーデス」は、ついでに「スチュワード」も、「フライト・アテンダント」とか「キャビン・クルー」と呼びかえられます。

これらの変更はもともと名詞に性別がある欧州の言語にも浸透しているようです。ちなみにフランスではこの職業の誕生時からオテス・ドゥ・レールでした。英語に直訳するとエア・ホステス。これを「空の女給」と日本語に直すと間違いです。

英語またはフランス語からのグーグル翻訳でも日本語への変換は「エアホステス」まで、です。「女給」を外国語に訳す場合は「Jokyu」が正しい。えっ!?「ポリティカル・コレクトネス」に適合していない話題ですかね。

さて日本語の公式名称では「客室乗務員」です。直訳では「Cabin Crew」のはずがなぜか和製英語の「キャビン・アテンダント(CA)」となって定着しているようです。

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理由はたぶん日本人のもつ短縮形に対する語感からだと思うのですが・・・こんなぐあいに

どこかのTV会社のプロデューサーか雑誌の編集長が「フライト・アテンダントもの」の企画会議で、

「なに?スッチーはもう使えない?・・・アメリカ政府の横暴だー・・・
強権帝国主義のことば狩りには断固として戦おーっ!!・・・ ρ(`O´*)

・・・出席者一同 ~(゜∀゜;)・・・

・・・あ~アメリカはともかくだ、
製作協力が航空会社じゃ、そーもいかないか?・・・(´・ω・`)))
長いものには巻かれろたって長いなー・・・!ん、縮めてみろってか?・・・F・A・・・

えふ・えー・・・?

・・・フリー・エージェントと同じだぞ、
いくら派遣のスッチーが時代の流れといっても いきなり『FA物語』 じゃ実も蓋もないだろーが・・・ ´A`)」

「で・・・、キャビン・クルーだと・・・C・C、 しー・しー、だ・・・レモンの親戚か??
・・・どーも俺にはすっぱいぞ・・・(若い人には意味不明ですが)・・・

(遠い目で・・・クラウディア・カルディナーレ(Claudia Cardinale)って俺たちまでだろうなー・・・
・・・アモーレ、アモーレ、アモーォレ、アモレ・ミィ~オ~・・・ (ノ´∀`*)・・・)」

「それに、『Cabin Crew』があれば『Cockpit Crew』もあるんだろー。
どっちも同じ C・Cじゃないか! ( ̄‥ ̄) 」

「ほかにないのか?!・・・ひと山幾らの檸檬ども・・・ヽ(#`Д´)ノ

いいか、こーいうときは・・・両方の単語をいったん分けて・・・だな・・・それからくっつけて、

F・C・・・と

えふ・しー・・・は、フットボール・クラブだし、
横浜FC・マリノスがあるンだよなー・・・ (ノc_,・;)ハアー・・・ 」

「残るのは、しー・えー・・・か・・・(;´ρ`)

C・A・・・ ∑(。・д・。)b ! ・・・

Cabin・・・Attend・・・ant・・・

(小部屋)?で、(おもてなし)を?・・・(してくれる)?・・・( ̄ー ̄;)

(この場合の「おもてなし」は「付き添う」とか「世話をする」などで、「介護する人」 の意味だけど・・・そろそろ必要になるお歳のわりには元気一杯のおとーさんは、何を思ったのか)

しーえー・いーねー。「CA」、 これ行こう!!!、これで決まり! o(^∇^)o♪ 」

・・・と。

まあ言葉としての「キャビン」には「ログ・キャビン」のような小屋、軍艦の将校居室などの『狭い空間』の意から転じて(船のような)孤立した、あるいは(飛行機などの)密閉された中に多数の人間のいる客室、さらには貨物室など主に乗り物の『広い空間』も指すようになったようです。一般的には前後の関連でどちらかに解釈する単語としていずれにも同じ重みで使われています。

ちなみに「クルー」には個々の任務を限定しないで同じ空間で働くチームの中の一人の意味も含まれています。いっぽう「アテンダント」は内容は曖昧ではありますがなにかに特定して人のために仕事をする人をしめす単数形の名詞で使われていますね。

こうして平ー和な日本で平成のとある日、教養ある優秀な日本のTVプロデューサーか雑誌編集長が単語の語源や用法を駆使して「CA」を考え出して、横ボーな某大国の強権主義的言語統制に断固抵抗していたのですねー。

今では同志はもとより女性の支援者もけっこう集まってきてCA評論家まであらわれたようだし・・・

(ポーン)

おっ!
バーチャル・エアラインズ・アライアンスのトップ、エールジャポンの竜子CEOから業務連絡。

「レッド・カード!! \(───、 ─── メー );

だれかの教養の問題じゃない!全ては教養ある└((´э`))┘キネマ航空の プロデューサー 兼 編集長 兼 CEO の妄想の問題でしょ! ( #`Д´) 

日本では平ー和に定着していることばに波風立てちゃって、ε=(´。` )

いくら優秀でも ドーコガ(^^#)ドーダカ
キネマ航空をアライアンスから除名する理由に該当するよーっ!! (*- -)ッタク

キネマ航空CEO返信、

「あッ、はいッ! 「スッチー(*´ー`) 」の話になると、アライアンスの運行規約でお約束した品位をすっかり忘れ・・・て・・・し・・・まい・・・

・・・つい (´・д・`;)

除名だけはお許しを・・・!! ドーカ m(_ _)m オネガイシマス

(顔文字については「顔文字屋」さんのサイトを参考に、一部変更させていただきました)

-----(と _ ここまでには一部に事実も含まれてはいますが、あらかたは読まなかったことにして)-----

(承前)

ただ、「週刊飛行機ダイスキ!」ファンはご承知のとおりIATAの決めた航空会社の2レター・コードでは、"CA" は中国国際航空股?(人偏に分)有限公司を表します。したがい「Cabin Attendant」であっても「CA」と短縮したり発音をするのは航空業界の用語として無理があります。

「キャビン・アテンダント」は航空業界が先導して使いはじめた用語ではないことは確かだと思われます。

「CA」が世間一般に認知されたのは小学館「ビッグコミックスピリッツ」に2005年から2007年2号まで連載された花津ハナヨの漫画 『CAとお呼びっ!』 とそれを原案にして2006年に日本テレビで放映された同名のドラマからと思われますが原作者の花津ハナヨ氏が「CA」を創作したのかどうかは定かではありません。

TVドラマの撮影には ANA もかかわっており、この時点で航空会社もスチュワーデスの呼称を変更する必要性は認めていたものの主導権は持たず「CA」を黙認ないしは静観していたようです。

現在では JAL は単に「アテンダント (AT)」、ANA では「スカイサービスアテンダント」を用いているそうです。また日本のその他の航空会社でもそれぞれに特有の呼び名をつけて社外に対しては「おもてなし」の、社内に対しては「身分」の、差別化をはかっているようです。

なおANA SKY WEBの企業情報のページでは「スカイサービスアテンダント」となっていますが採用情報ページでは彼女たち自身が自分の氏名の後に「CA」を使ったページもあります。

スチュワーデスであったときもキャビン・アテンダントに変わってからも、その呼び名には、職業人として、人間として、誇りもあれば意地、も込められています。そうした彼女たちが活躍する映画5本を近ぢか上映いたします。

あっ、それからアメリカン・スタンダードの押し付けはお嫌でしょうが、言葉としては単数を強調する場合は働く場所を示す「キャビン」ではなくて、働く時間を限定する「フライト・アテンダント」のほうが正しい用語であること、無理やり短縮する必要は無いことをご理解頂いたところで、

Kinema-Air Flight 008, COMING SOON! ご期待下さい。

Kinema-Air Flight 008, AVAILABLE since April 27 2012

キネマ航空CEO

謝辞

ご搭乗いただいた、「週刊飛行機ダイスキ!」の竜子さんは決して「テメー」などとおっしゃる方ではありません。当キネマ航空CEOの戯れ言に快くお付き合いいただきましたことに深く感謝いたします。今後とも当CEOもダイスキ!な「週刊飛行機ダイスキ!」で未知の「飛行機をめぐる世界」にお誘い下さい。ありがとうございました。

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