「マックとミー、レガシー・ビジネス始めるってよ」の巻 (3 の 3)

(3 の 2)から続く。

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キネマ・エアラインズのお客様と当CEO オフィスにご来訪を頂いております皆様に、暑中のお見舞いとご健勝祈願のご挨拶をお送り申し上げます。

なお、合わせましてエアコンなしで営業中の当キネマ航空 CEO オフィスより、継続中の記事の分割掲載のご案内をお知らせ致します。

弊社CEO はこのところ、歳とともに生来の暑がりがひどくなり、おまけに怠け癖も再発して、従来のように一気呵成に書き上げる気力も失せたようであります。

このため少しずつでも書き継ぐように説得いたし、ようやく第一回分の出稿にこぎつけました。 ぜひ、ご継読を賜れますようお願い申し上げます。 

よって、追加出稿があり次第、下記に追記にてご案内いたします。 ご寛容の上、何卒宜しくお願い致します。 

                             2019/08/04 キネマ航空  広報担当 敬白


第一回 出稿 2019/08/04
第二回 出稿 2019/08/05
第三回 出稿 2019/09/30 
第四回 2019/10/13 Latest !!
第五回 以降は(3.1)と項を改めて継続します

「アー!しっかり仕事をしてくださいね! せめて予定ぐらいは・・・」
「うるさい !! CEO ファースト、社員は居らんからお客様 セカンドじゃ !!」
「政治家ども!有権者ファーストなら、裏金歓迎
大口献金セカンドぐらいはハッキリせい !!

-----------------------------第一回--------------------------------

先々回(3 の 1)で MRJ90 もとい、 M90 をふくむ三菱・スペースジェット M100 シリーズ が世界最小胴体径の商業機シリーズになったと書いたが次の指摘があった。

エンブラエル ERJ 145 シリーズ(乗員/乗客 2+1/37-50 胴体径 7'6"/2.29m 座席配列 1+2)は2003年に哈爾浜航空工業集団(当時)との合弁によるコンプリート・ノックダウンで中国に移管し2016年に生産を終了した模様。 

しかし、本国ブラジルでは派生機種のビジネスジェット エンブラエル レガシー 600 シリーズ、加えて輸出市場を含み10か国で運用中の軍用途としての ERJ シリーズの保守と受注体制を保持している。
すなわち、ボーイング傘下の位置付けは不明だが商業機としてのステータスは維持しているようだ。

詰まるところ、MSJ M100 シリーズ (乗員/乗客 2+2/69-88 胴体径 9'8.5"/2.96m 座席配列 2+2 )に相対する ERJ 145 シリーズ(胴体径 2.29m 座席配列 1+2)となる。

室内幅ではないがクラスの標準的な通路幅18”(0.457m)を差し引いた配分は 0.625m/席 対 0.611m/席 の比較ともなる(正確には、胴体外殻構造物寸法 = 胴体幅 - 室内幅、を含んでいる)
M100 シリーズは座席をヘリングボーン式に配置してシート幅に余裕を持たせるそうだ。

したがい、当CEOオフィス の記事は、座席配置 2 + 2 とした定義では、と書き換えなければならないようだ。

もちろん「大は小を兼ねる」とも「小よく大を制す」ともいえる。
新規開発の工業製品の宿命としてチーフ・エンジニアの見識とカスタマーの要求という時代の錯綜(ニーズとシーズのタイムラグ)の中で決まる商品価値でもある。 評価の確定している製品では企業運営のマネージメントの識見でもある。

いずれにせよ M100シリーズ についてもサポートサービスの契約を交わしている ボーイング(-ボンバルディア・グループ)は MAC の背後を押さえる航空ビジネス全般の比較論点が明確なカードをすでに押さえていると言える。

これに対して MHI-MAC チーム は座席配置 2 + 2 での最小胴体径商業機であった ボンバルディア CRJ シリーズ の事業を継承した。 この辺りから考えてみたい。

-----------------------------第ニ回--------------------------------

その前にリージョナル・ジェットの基本構造について考えておく。

一般的に三次元の相似形状の均質な物体は基準となる長さを倍尺で 2 倍すると面積は二乗で 4 倍、重量の指標となる体積は三乗で 8 倍となるので2 倍に拡大した航空機の翼面荷重は 2 倍となる。
すなわち、飛行機ファンにはお馴染みの二乗三乗則 である。

つまり翼面積をさらに 2 倍するか速度を 2 の平方根の 1,414 倍にしないと同じ滑走路長で離陸できない。 
翼面積を拡張すれば自重は増えその分エンジンの出力を上げればさらに増えるので離陸滑走距離と離陸速度のバランスで折り合わせることになる。

では、縮尺して長さを半分 1/2 倍にすると面積は 1/4 倍、質量は 1/8 倍したがい翼面荷重は 1/2 倍となる。

原型となるジェットライナーより出遅れた小型のリージョナル・ジェットは原型より有利になるかと言えば、そうはならない。

縮尺を 1/2 にして翼面荷重が 1/2 になっても、推力の元となるジェット・エンジンの空気取入口面積(レシプロエンジンならプロペラ回転面積)は 1/4 倍であり滑走距離は伸びるし最高速度も低下する。

小型になるほどエンジン本体とそれに関係する機体の構造部品は系統的に二乗三乗則 から外れて機体重量は相対的に重くなってゆく。

大型機では主に主翼の剛性を低下させる撓み翼とぶら下げたエンジンポットを揚力や空力回転モーメントのカウンターバランスウェイトにして構造重量の低減が行われて二乗三乗則 に近づけることができたが小型機ではそうそう うまくはゆかない。

リージョナルジェットでは主翼をできるだけクリーンにして性能を高めてそれを維持できる剛性を持つ主翼構造を採用することになる。
さらに言ってしまえばボーディング・ブリッジなどない(当時は大空港にもなかった)ドサ回りの地方空港巡りをする機体なので移動式のタラップなど使わず乗降できる機体内蔵タラップ(エアステア)も必須であった。

次回はこうした要件で開発されたリージョナル・ジェット前史を振り返ってみたい。

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どーせ、シュド・カラベルから始まるんでしょ。 でも、この調子で三回目もお願いしますよ。
いちいち五月蠅い ! じゃが外せんじゃろな。
それに予定は未定じゃない!不明のままじゃ !!
このクソ暑いさなかにエアコンのない CEO オフィスに来る客はいないじゃろが。

そりゃそうだけど、増便もしていない 本業 のほうは大丈夫ですかねー。
確かに心配じゃが雑用が多すぎるわい。
そう言や キネマ航空博物館 も展示を増やさないとな。

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「そうこうしている内に残暑お見舞いになっちゃったな」
「残暑 残暑 何残暑 酷残暑 なんちゃって !」

「昭和中期じゃあるまいし『なんざんしょ こくざんしょ』なんて誰も笑えませんよ」
「少しは涼しくなるかと思ったんじゃが、『昭和も遠くなりにけり』、かのぉ」

-----------------------------第三回--------------------------------

いわゆるリージョナル・ジェットの先駆けといわれるシュド SE 210 カラベルデ・ハビランド DH106 コメットの胴体部を基本にしていることはよく知られている。 そこで、両機種の年代記を一覧にしてみる。 まずコメット(二代目)の出自から・・・

年 . 月 デ・ハビランド DH106 コメット シュド SE 210 カラベル
1943.2 コメット(二代目)の名は戦時下のブラバゾン委員会が戦後の航空機産業に向けて策定したプラン4のジェット輸送機の中に概案  
1946.9 当初は郵便機として計画されたが旅客機に仕様変更  
1949.7 初飛行  
1951.1 BOACコメット Mk.1 就航 仏航空局の国産短中距離ジェット旅客機要求仕様を公開
1952.3   シュド・エストの双発リアマウント案 SNACASE X-210 を選定
1952.5   政府の開発援助を得てSE-210 となる SE は シュド・エスト から
1952.10 BOAC Mk. I #9 ローマ・チャンピーノ空港離陸時オーバーランにより全損 軽傷者 2 名  
1953.2   SE-210 試作機製造開始、まずは購入したコメット I の胴体からコックピットを分離するところから
1953.3 カナダ太平洋航空向け Mk. IA #2 のフェリー中にパキスタン・カラチ空港離陸時オーバーラン火災全損
BOACの運航要員 5名、D.H. のエンジニア 6名 全員死亡
 
1953.5 BOAC783 Mk. I #8 カルカッタ空港離陸時、落雷(未断定)により墜落、乗員乗客 43 名全員死亡  
1953.6   フランス UTA航空コメット Mk.IA 通算#19 ダカール空港でオーバーラン(機体損傷のみ)
1953.8   エール・フランスコメット Mk.I の運航開始
1954.1.10 BOAC781 Mk. I #3 イタリア西部の地中海上空で爆発
耐空証明取り消し
BOAC は全機の運航停止し本国へ廻航したが異常は発見できず燃料系電気系の強化と煙感知器追加と乗員訓練を実施
 
1954.3 耐空証明を再発行  
1954.4.8 SAA(南アフリカ航空)201 Mk. I #? イタリア西部の地中海上空で爆発
9 日、耐空証明の再取消し
BOAC からのリース機であった SAA201 の機体は深海にあるため BOAC781 の残骸を回収して原因追及

エール・フランスコメット Mk.1 の運航を停止、以降の再開はなかった

1954.4 チャーチル首相の指示による国を挙げた事故調査結果の検証となる水槽に沈めた実機の胴体に対する繰返し加圧実験などの設備建造を開始  
1954.5.29 水槽の完成  
1954.6.24 客室中央部外郭板の窓枠取付部の角から亀裂が発生し、短時間で胴体の断面形状を形成するフレーム(構造部材)に達するとフレームに沿って上下に伸展し胴体を輪切り状態にしてゆく疲労破壊の開始点を確認  
1954.8.28 回収された前部胴体の上部にあった自動方向探知機取付部に同様の亀裂があり疲労破壊の仮説は実証された  
1954.10 最終事故報告書に向けての審問を開始  
1955.2 機体設計上の欠陥による金属疲労と断定
破壊の進展の追求から設計、構造、材質、試験法など未知であった工学上の知見を得る
 
1955.5   シュド・エスト SE-210 初飛行
1957.3   シュド・エストシュド・ウエスト の合併で シュド・アビアシオン に社名を変更
1958.8   シュド・カラベル I (1.4m のストレッチ)就航
1958.9 最終型式となる コメット Mk.IV のデリバリー開始  
1959 ホーカー・シドレー、 デ・ハビランドを買収  
1964 ホーカー・シドレー・コメット Mk.IV で生産終了  
1972   シュド・カラベル 12 で生産終了
生産機数 162 (内 Mk.IV74 279
運用終了 1982年まで民間で運用されていた
1967年より2011年まで英空軍が派生機種の対潜哨戒機 BAE ニムロッド を 運用
21世紀初頭 まで運用されたようだ

 カラベルはコメットの就航と同じ年に開発が始まり1972年に製造を終了したがその生産数は1.7倍であった。 

 おそらくシュド・エストの設計案に国外の胴体とエンジンの選定が含まれていたのだろう。 シュド・エストの細部設計はコメット Mk.I の路線就航の翌年となる設計案選定(1952.3)から始まり初飛行まで38か月(3年2か月)かかった。

 カラベルの機体がコメットをベースにして開発されたのは、英連邦以外で海外からの筆頭発注元だったエール・フランスのコックピット共通化への意向が強かったことと英国の見返り販売政策がかみ合ったこともあった。 

 また、要求仕様書にあった自国で開発したジェット・エンジンである スネクマ アターの出力と運用実績の不足から採用を見送り、ロールス・ロイス エイヴォン を採用するなど、工学に関係する機体やエンジンは輸入であろうと実績を優先させて採用する官民の国家プロジェクトの運営に注目したい。

 その代わり、それを統合する後部胴体マウントの双発エンジンのコンセプトは多くのフォローワーを生み莫大な特許収入を得ることになる。

 後部3発エンジンもここから生まれたと言ってもよいだろう。 さらに、多分、特許料は支払ったと思うが、何を考えたのか英国の ヴィッカース VC-10 それに続くソビエト連邦の イリューシン IL-62 などの四発胴体後部マウントでは、米国で台頭した技術を決定的に見誤ってしまっていた。 この辺りは次回に回すことにして・・・(閑話休題)

 さて、カラベルは、設計開始の翌年にインドでの コメットMk.I の原因不明の墜落。 さらにその翌年、地中海上空での連続空中爆発に対処を迫られることになる。 

 大がかりな実験を伴う英国の最終報告書はカラベルの初飛行の3か月前であったが、英仏間で原因の推定は共有されており、実験開始の段階での知見・・・すなわち、約1年前の、

「与圧による機体の膨張の繰り返しによる客室窓枠角部を取り付ける外板の開口部の角の丸みが小さいため応力集中係数が大きくなり、疲労破壊から始まる亀裂の連鎖が高空の室内外の気圧差によって胴体被殻の強度限界を越えて爆発した」というストーリィ(実機を使った実験の前提仮説)で改設計を始めていたと考えられる。

 そして、カラベル I の胴体を英国と同様の水槽に沈めて繰り返し加圧実験を実施している。

 具体的な対策には外観部品となる窓枠の角部の丸みを大きくして外殻を構成する外板の厚さを増す方法が取られた。 一連の事故と対策はWEB上にあるので閲覧できます。 

 カラベルの窓は角を丸めた三角形状の独特な窓を採用した。 少なくとも応力集中を起こす個所は一つ少ないという論理的結論なのか、いかにもフランスらしい美的感覚であります。

 コメットは角の丸みの大きい長方形で横長の窓を採用した。 中にはイギリスらしくラグビーボール状の窓もある。 これなら応力集中部は2個所となっている。 まあ競争しているわけでもないだろうが飛行機で見るお国柄は楽しい。

 それと同時に、顔のよく似た二つの機種はそれぞれの政府の指導と強固な意思のもとに計画されビジネスとは別に工学的な貢献を果たしたといえる。

 ひるがえって、一国だけの技術で航空機の機体とエンジンを創ることのできる国は数少ない時代の中で、誰とは言わぬが、わが日本の悲願の「(せめて機体だけはの)国産機を ! 」の、幻想に支えられた、政府機関の立案と構想を民間に丸投げされた MRJミツビシ・リージョナル・ジェット)いや MSJミツビシ・スペース・ジェット)が問われるのは、『ビジネスだけを目的としたのかに、なるであろう。

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何とか第四回につなげたのう
次回はリージョナル・ジェットの先陣を担った CRJ に迫りたいが
間の歴史の前置きが長くなりそうじゃから第五回から独立させるかのう ? !

どうぞ、ご自由に ! でも、お客様ファーストの CEO でお願いしますよ !!

-----------------------------第四回--------------------------------

先行する英国のコメットとそれを追う仏国のカラベルの主要諸元の変化の追跡です。

機体名称 デ・ハビランド DH106 コメット シュド SE 210 カラベル
型式 Mk.I Mk.IVc I 12
生産機数 11 28 20 12
初飛行 1949 1959 1958 1970
乗員/乗客 4 /36 4/79 2-3/90 2-3/128-131
航続距離(km) 2,415 6,900 1,650 3,200
巡行速度
(km/h)
725 840 746 810
最大離陸重量
(kgf)
47,620 73,480 43,500 58,000
全長(m) 28 33.99 32.01 36.24
全翼幅(m) 35.05 35.05 34.30 34.30
翼面積(m2 187.2 197.0 146.7 146.7
アスペクト比 6.54 6.21 8.02 8.02
翼面荷重
(Kgf/m2
254.4 373.0 296.5 395.4
エンジン仕様 ハルフォード H2
ゴウスト 50
RR エイボン
Mk.524
RR エイボン
Mk.522
P&W
JT8D-9
最大推力(kN) 22.2 46.7 46.75 64.50
搭載数 x4 x4 x2 x2
推力重量比 0.190 0.313 0.219 0.227

各々の機種に型式の変遷があり、表記は初号機と最終生産機の型式
間にはより優れた性能を示す型式もあるが省略した

注 1) カラベル I の(翼面積)の値は推定。 
注 2) 推力重量比は物理単位 [kN ] 、工学単位 [kgf] を整合させるため次式を用いる。
    推力重量比 =(最大推力 kN x 搭載数)/(最大離陸重量 kgf x 0.0098)

翼について両機を比較するとアスペクト比に大きな差がある。 コメットの全翼長(ウイング・スパン)は変わらないが翼弦長(コード・レングス)を変えて翼面積を拡大しているようだ。

翼面荷重については、初期と後期においては両機とも似たような変化をだどっている。胴体を伸ばしで座席数、航続距離の維持または増加のための燃料槽の増設で最大離陸重量(MTOW)の増加を招き、離陸速度や巡行速度などの維持のためにはエンジンの推力増加も必要になる。

推力重量比(スラスト ウェイト レシオ を短縮した SWR では分らぬし、)以下「推重比」と呼ぶことにして、この値がエンジンと機体の適合性の指標になる。

この比は無次元であるが、基本となる推力(スラスト)の単位は物理単位で 1 kg の質量に乗じた加速度を数字で表した力の単位[N (= kgm/s2)]であり、いっぽうの機体の重量(ウエイト)は工学単位(と、言ってもお肉屋さんでもキロ・グラムまたはグラム当たりでハウ・マッチ、と使われる単位と同じ)の、重量または力を示す単位[kgf]であります。 中でも、重量 [kgf] を簡単に言えば、その物体の質量 m に地球上の重力加速度 G を乗じた値を測った値であり、無重力になれば 0 kgf になる単位でもあります。

地球上と言っても量る場所によって重力加速度は異なる。 肉の値段も変わる。 そこで、無次元でも使えるように 1kgf = 9.8N と定義しています。 面倒くさいですね。

つまり、 物理学単位の 1 N1 kg の質量に 1 m/s2 の加速度を与える力と定義されています。 つまり、地球上では 1 kg  の質量に 9.8 m/s2= 1 Gの重力加速度がかかって 9.8 N の力で手のひらを押し、これを 1 kgf (キログラム・「フォース」の略)と力の工学単位で呼ぶのだが、この力を肉屋の秤で測れば単に重さの 1 kg と呼ばれることになる。 中には丁寧に 1 kgw( (キログラム・「ウェイト」またはキログラム「じゅう」)と呼ぶ人もいる・・・のかな ?! 。(”お久しぶりね”の閑話休題)

したがい、本題の kN 単位に換算して算出した「推重比」は、そのエンジンの総推力でその機体に掛けることのできる加速度比を示している、といえます。

つまり、推重比が 1G)を超えれば機体を垂直に持ち上げることのでき、ヘリコVTOL には必須でありますが、1 以下でも加速でき翼面積と速度の二乗の積に比例する揚力で飛び上がれる。 もちろん離陸速度に到達でき、かつそのための滑走路長があれば、の話であります。

以上を頭の隅っこに入れて欧州のジェット・ライナーの創成期の推重比から振り返ると一般的な離陸時の機体の加速度は 0.2G 前後、コメット IV では 0.3G を超えたようである。

では、この時代の終わりに台頭してきたアメリカの代表機種の基礎となるボーイング 707-120(初飛行はコメットより 9 年、カラベルより 3 年遅れた1958.11)と比較すると、翼幅 39.88 m、アスペクト比 7.1 より翼面積は 224.0 m2翼面荷重は 511.3 m2 とやや大きいが、推重比は乾燥状態で 0.175G 水噴射で 0.201G。 推重比は四発機の コメット I と大差ないが航空ビジネスの基本仕様となる乗員/乗客は 3/179 名、最高速度 997 km/h、航続距離 7,480 kmと卓越していた。

この当時は、まだ燃料消費量がどうの、という時代ではありませんでした。 アメリカは長大な滑走路を持つ空港の展開を含めてジェットライナーのシステムを視野に入れていたとも、それを実行できる覇権を握っていたともいえる、航空の時代の幕開けでした。

詰まるところ、この時代はジェット・エンジンの黎明の時代でもありました。 ここで上げた機種で次の時代を担うターボファン・ジェットを採用していたのは カラベル 12ボーイング707-120 のみでありました。

そうそう、フランス政府が自国で開発したジェット・エンジンの スネクマ・アター を断念したのは その推力が 2,722 Kgf だったことにあります。 双発時の推重比にすると 0.125 となります。 したがい、仏航空局のコンペには 5 発機の提案もあったそうな。

ちなみにアターの 3 発案では推重比は 0.187 となりますからコメット Mk. I と同等になりますが、信頼性の面で RR エイボン Mk. 522 の採用を決断しました。 意地を通して 3 発で開発を進めたらビジネス・ジェットのデファクト・スタンダードの栄誉を逃したことになったはずです。 フランスらしい合理性の追求と言えなくもないでしょうかね・・・

米英の旅客機の比較については 当 キネマエアラインズ 900便 で上映中の「予期せぬ出来事 "V.I.P.s"(1963)」のコラムをご参照ください。 また、ボーイング 707 につきましても 同 800便 の「ボーイング・ボーイング "Boeing Boeing"(1965)」にて上映中です。 ご搭乗をお待ちしています。
キネマエアラインズ のコマーシャルでした)

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なお、フランスはコメットの胴体をそのまま使って角を丸めた三角形の窓枠に変えたのではありませんでした。

英国に胴体ごと無理やり買わされたのかどうかは不明だが、欲しいのはコクピットを収めた機種部であった。 コックピット後端の隔壁部で切り離し、変形した円錐台状の接続部を間に挟んで自前の胴体直径 2.97m (コメットは 3.12m )に滑らかにつなげていた。 カラベルは、のちの型式ではこの接続部を使ってコックピットを拡張をしており、機首の形状は初期に比べてわずかに変わっている。

デ・ハビランドは先頭を切ってジェットライナーのコックピットを開発しコメットに採用した。 結果としては計器視認性や操作性は満足できたけれど、飛行関連の計器盤を窓に近づけて前方視界を確保するため操縦席を絞られた機首に押し込めたので狭苦しく、のちにパイロットからのクレームが出ることになる。 また、これまでの計器盤の標準色であった艶消ブラックから艶消グレーに変更するなどの先進性も持ち込んでいた。

いっぽう、カラベルでは飛行関連の計器の配置を幾分変えているが、この当時はエンジン関係の計器はフライト・エンジニア席にあった。フランスはこちらのノウハウを評価したのだろう。 もちろん艶消しグレーも採用していた。

さらに、ストレッチされたカラベルではコメットの場合と同様に垂直尾翼からつづくドーサルフィンとも言えない背の低い補強材が重心付近まで伸びているなど、どちらの主導かはわからぬが共通したコンセプトを共有している。 胴体直径は違っていても基本構造は参考にしているようだ。

カラベルは、後部胴体マウントのエンジン配置に伴いのちのダッソー・ファルコンにも続く水平尾翼と垂直尾翼の構成を十字型にしたこと、 その尾翼に後退翼(その垂直尾翼は三角翼だったが)を採用したことがコメットとの大きな違いであった。

この時代は、エンジニアの発想を実現させる努力と工夫が相互に検証と補完がなされて後世に多くの遺産を残す、あるいは残せる時代であった、「真似した、された」からでは当を得た批評とは言えない。

さて、次回は大陸を結ぶ大型ジェットライナーは誰かに任せて中小型の単距離ジェットライナーでリージョナルジェットの前史に迫りたい。

このあたりから鋭意執筆中です。
別稿の第五回に続きます。
ご期待ください!

2019年8月19日 (月)

キネマ航空CEO 「民主主義 ?? 社会主義って !? 」 について「日本、理 ことわり の書」から考える、の巻

Photo_20190817202101市街地の北辺から北へ車で一時間の中山間地に居られる畏友と呼ぶべき篤学の士が奥様と共に読書と日々の糧となる作物の育成と収穫に加えて今は下山してくる野生動物との攻防と珍しい客の観察に悠々ではなかろうが自適の明け暮れを過ごしておられる。

当CEO は、士からは読後の書籍を貸していただいている。 当CEO も、これはと思う本をお貸ししており、士からはブログの鋭敏な書評で応えて頂いている。 この面では当CEO はかなりの借り越しをしている。

そこで、中古CD(より書籍のほうが安い)ショップで昭和歌謡曲の CD と一緒に求めた左掲の本(鳥影社 2009.4 刊)を、士に紹介することにしたのだが、実はこの本の書評はアマゾンに掲載された一本しか目につかなかった。

したがって中古価格はべらぼうに安い。 二冊購入して、士と、もう一人の知人に差し上げた。 

もう一人の知人からは未だ聞いていないが、士からはブログにWEB上では第二号となる書評を掲載して頂いている。 

士は、世俗の分野とは言え著者個人を秘匿して脳科学や脳内物質を哲学や倫理への展開をすることでは人間の人格は等しく同じであるというリベラルが持つべき基本的人権の定義を科学的に再構築を意図することにも通じる違和感を指摘されていると思えます。

当CEO も、指摘には異論はないが脳科学が社会科学にそれなりの力を持つ時代の入り口にあるのではないか、と後日、山間の士に送った文章に 追記を含む 校閲 と 誤字や改行を含む 校正 を施してWEB 上の第三号となるべく掲載することにしました。

なお、本稿は当CEO の書評というより独断独善的解釈による社会科学への応用例であります。 ご興味をいただければ、寸鉄人を指す士の書評と饒舌に過ぎる当CEO のブログで、洛陽の紙価が高まる前に、紹介写真の帯もご参考に原本をお手にお取りください。

イザヤ・ベンダサンが山本七平氏であったように、いずれ著者姓名(筆名可)で展開されることを期待して・・・

立秋12日目 キネマ航空CEO 拝

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「日本、理ことわりの書」の読後感

市井の隠居です。

本書は、今現在では高邁な哲学や倫理の評価対象になる本ではありません。 このところ認知度を高めてきた脳科学を援用して日本人の性行を分かりやすく展開して、いかに日本でビジネスを成功させるか、のハウツー本です。 もちろん日本人が参考にしてもなんら差支えはない。

以下は本書を参考にした老生(個人)の時代の心情リベラルの盲点であります。

貴兄に消化不良を起させたのは、世俗を語るために脳科学を持ち出し脳内物質の分泌による人間の行動原理を 「居心地が良いかどうか」、から始めたことにあるのでは・・・と拝察します。

旧来、人間の存在は「知情理」、「真善美」を共通項に語られていたところに、個人の「情」の上位に脳内物質を展開して貴兄の指摘する世俗に拡張している違和感だ、とも思われます。

あらゆる文明の中では脳内物質(否定する自由も当然あります)を瞑想や荒行で制御する修行、酒や煙や薬物による開放を求める人間の本能が根底にある。 さらに言えば苦痛も居心地がよいこともある。

その中を生きていく人間はその本能の中で「知情理」、「真善美」を学ぶ、あるいは身に着ける。 これらを探求する意欲により個人の中に人格が形成されていく。

意欲が普通に行われておれば「習慣」、意識して自ら行えば「自己啓発」、他人を介せば「カウンセリング」、意図的な悪意を持って行われておれば「洗脳」。

探求意欲の中に悪意が潜むかどうかは本人次第、家族、近隣、国といった社会次第、さらには国々の集合体である世界さらには自然、地球、宇宙、あるいはそれらをひっくるめて身近の指導者や評価者のそれこそ人格次第の面はある。

「身近な彼ら」の中には電線(いまでは光線もある)、無線で送られる文字だけではなく二次元で作られた平面画像と疑似空間が、さらに音響と音声で相手に合わせた変幻自在の人格を持ち始めてもいる。

世俗はそれぞれの「知情理」「真善美」を抱えた個人の集合体となる。 したがい、脳内物質が抱え込む人格は個人の数だけある。 世俗はその多様性集合体である。

集合体には秩序が必要であり現代には二つの秩序がある。 経済秩序としての資本主義(Capitalism)と共産主義(Communism)。 しかし、個々の人間を対象にすると、自由主義(Liberalism)と矯導主義 (脚注1) (Guidism ? は多分違うと思う)、と言い変えるほうがよさそうだ。

自由主義は、その歴史的変遷による振れは大きいが一応の富の再配分は行われる社会を前提とする。 それが社会主義だ、といわれても後述するようにそう簡単ではない。 

なお、矯導主義には大日本帝国も含まれておりマルキシズムに限定するつもりはない。 ただ、色濃く出ているとはいえる。 心情リベラルは自由主義とこの間をふらふらと居心地を求めてさまよっている。

自由主義を自任する国を概観するとアメリカ合衆国ほど大きくなると世俗(居心地)の均質性がないと成立できなくなり、大韓民国クラスでは均質性で成立ができている。

日本の元々アメリカ嫌いのリベラルの多くは今の韓国こそ「民主主義」が最も進んだ国と評価しているようである。

矯導主義は持続性、均質性を保つおそらく唯一検証された統治法と思われる。中華人民共和国と朝鮮民主主義人民共和国。 特に後者は民主主義と名乗っているせいか、かつては日本のリベラルにとっての「地上の楽園」理想卿でもあった。

そして、前者は憲法に則り矯導主義的資本主義で自由主義的資本主義の打破打倒を目指している。 ちなみに日本の矯導主義は戦前では右翼サイドが、戦後は左翼サイドがアメリカを相手に夢想(それこそ下部組織はアドレナリン、上部組織はエンドルフィンの全開を)していた。

さて、その国家主席は毛語録を反面教師に主席名で示す理論もしくは思想で国民に共産幻想を再生拡大して皇帝を目指している間に、次の主席を目指す党中央執行委員会の委員諸氏は、あまたある中国皇帝国家史よりむしろ世界国家を目指すにはエドワード・キボンの「ローマ帝国盛衰史」をひっそりいやこっそり、ひょっとすれば塩野七生の「ローマ人の物語」も読み込んで 元老院「対」皇帝 の攻防をひも解き、大衆の中に蒔いた共産党宣言がカソリックの経典に迫れるものか、を研究しているだろう。

気になるのは一大帝国を作り上げたアメリカの任期付き皇帝は「ローマ帝国盛衰史」など読んでもいないらしい。(あまり人のことは言えないけど)

翻って日本はと問われれば自由主義的矯導主義かつ資本主義といえる。 ただ、同系の国と比べれば両面において反対できる居心地の良さはまだ少しはあるようだ。

その中で日本人が最も誤解あるいは錯覚している外来訳語は「民主主義」である。 たぶん明治時代の茅原崋山と言われるデモクラシー【Democracy】の訳語「民本主義」の転用が語源であろう。

ただし、原語の字づらからも「-主義」【-ism,-イズム】の範疇には入っていない。 チャーチルが言うように「民主制度」が正しい訳と考えられる。

したがい、自由主義でも矯導主義でも、資本主義でも共産主義でも、選挙制度という民主制度(Democratic System)として採用することができるし国名にも使える。

もちろん後年の政治学用語として民主主義【Democratism】(デモクラティズム)もあるが政治家を含む日本人がそれを意識しているとは思えない。

資本主義と共産主義、自由主義と矯導主義。 世俗の中では「真善美」はともかく「知情理」では異なるはずの【資本主義】と【共産主義】の境界は土地の所有や生産手段の帰属先程度と曖昧になり、【自由主義】と【矯導主義】の境目は、いつの時代にもある、それぞれの「居心地の良さ」の差に過ぎないようになった。 世俗は【主義】の差による国力の優劣のなかにある。

消えて行く世代にとっては「近代」「現代」と続き、(「戦争で」、ではないことを切に願い、そして祈る)次の時代、となって改めて命名されるであろう「その時代末」生きた日本の心情的リベラルの世俗とは何だったのか。

それを「正気の時代」とすれば戦争の直後であったこと、それも戦争から遠く離れて長く、良く持った時代だったこと。 その中で心情リベラリズムの志向は「理想的」矯導主義であり、その「理想」も、「いろいろ」の自由主義、だったことではなかろうか。

人間的側面を【矯導主義】とした【共産主義】と同義語とされる【社会主義】(Socialism)についての考察に踏み込んでみる。

知名度の元はといえば、コミューンの連邦国家形成上の主義を最終的に一党独裁の共産党がいずれ明確な身分制度となる共産主義(者)(Communist)を名乗らず、そのまま乗っ取って潰え去ったソビエト社会主義共和国連邦(英名 Union of Soviet Socialist Republics)だったと想像される。 

当然の秩序維持なのか必要悪なのかはさておき、必然的に【自由主義】にも【矯導主義】が顔をだす。

【社会主義】は二つの主義の間で【矯導主義】の度合を薄めて見せたい、居心地よく響かせたい、という【共産主義】思想の志向の認知から始まったのではなかろうか。 

逆に見れば【自由主義】のほうからの世俗の格差調整政策をとる度合もしくは間合をはかる工夫の言葉にもなる。 たとえばそれぞれのお国柄の北欧社会主義などがある。

それやこれやで、いろんな面で利用でき、だいたいの【社会主義】は接頭形容句を伴う。 【国家(的)-】【民族(的)-】などは歴史を揺るがす思想となり現在ではそれぞれ別の【-イズム】になっている。(自分で調べてね)

中には自称ではないだろうが、ユートピアン- (utopian-)【空想的-、理想的-】なんてのもあった。 (一応は共産主義に先行する先駆者的敬称あるいは尊称でもあります)

これに対してマルクスやエンゲルスは、近代科学の黎明期に【共産主義】を【科学的社会主義 (scientific socialism)】と創称した。 一世紀半を経過した今では「-主義」の出自の象徴とした【科学】自体も慣性あるいは惰性で革命的に動き出している、と予言の妄想を拡張している人も国もあるかもしれない。

何しろ、「科学」がもたらす(した)【自由主義】と【矯導主義】は、それぞれの中で、ばかりか双方から IT、AI を駆使した【監視社会主義】だ、いや【安全社会主義】だ、と【-社会主義】の接頭形容句論争や糾弾競争が始まるのだろうからね。 いわばオーエル「1984」の居心地論争が数十年遅れて始まることになる、いや経験することになる。

ただ、アメリカをダシに(つまり中国には言及しない)批判をする日本の純性リベラルの居心地は、【矯導主義的社会主義】により【矯導主義的資本主義】が【自由主義的資本主義】に勝利することで真の【科学的共産主義】革命の最終段階である【理想的共産主義】への過程、に過ぎない程度のようにも思えてくる。 実に居心地良いじゃんか、と。

一方では、主義や主張のパラレルワールドに存在する「科学」も「世俗」も大きさのない質点に過ぎず、「居心地のよさ」の集合力のせめぎあいで現実の時間を遡行できない【ニュートン力学】に沿って後退することもなく、右や左へ、いや、上へ下へと突き動かされているようでもある。 

しかし、その先の科学は破滅的結果へも導ける【アインシュタインの相対性理論】からの予測となるのだが・・・

まさかとは思うが、純粋リベラルの中にはどんな文明にも見られる「終末論による再生説」で、文明の破滅後の少人数のコミューンの共存という【ネオ・(新)ユートピアン社会主義】を夢見ているのかもしれない。

ディストピアン・ユートピアン!なんて居心地、良さそうな、悪そうな、アニメになりそうな・・・日本人が好きそうな。

【社会主義】と呼ばれる範疇には名前を消して存在する主義【-イズム】 もあるが、今となっては日本で「社会」や、前述の「民主」などを名乗ってみるけど未来を描けぬ政党が何となく冴えないのは何となくわかる気がする。

 

その一方で【自由民主】と続けると実態はともかく言葉の力はあるようだ。 【自民】と詰めると、まったく意味のない記号となるはずだが、繰り返されると日本語としての言霊となるのだろう。 

八文字を二文字に詰めた「令和」もそうかもね。 「い」は前の母音に引っ張られるのだけど、「れいわ」か「れーわ」か。 どちらが定着するのだろう。 「平成」には二つも「い」があったけど「へーせー」しか記憶に残ってないな。 

さて、「しずけさやいわにしみいるせみのこえ」…

【ジィー、ミィーン】と染み込む「岩」は、有権者さらにはその予備軍を含めた選挙民の隠喩(メタファー)になるのだが、その居心地はいいのか、わるいのか。

それにしても、古文の引用はむつかしい。 「しず(づ)かさや」 か 「しず(づ)けさや」 か。 当CEO は後者で 「づ」 のほうが心地よいのだが原文は「閑さや」である。

ついでに 「いわに」 は 「岩に」 ではなく 「巌に」 であります。 【いわお】とも読むが、何とはなく、もう苔むしちゃっているようだな。(閑話休題)

 

【自由】と【民主】そのどちらもが国際社会に組み込まれてゆく日本が必要として移入した概念の言葉である。 【自由】は主義であり【民主】は制度であることを再度繰り返しておきたい。

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ハウツー本を越えて本書から読めることは、これまでの、そしてこれからの個人の「居心地の良さ」とはなにか、のようです。

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注1) 【矯導主義】 当CEO の合成造語です。 同音で意味も似ているようだが差がある【嚮導主義】のほうが正しいのかも知れない。(念のため、違いは自分で調べてね)

ちなみに、大陸の漢字圏では【矯導所】や【矯導隊】など(思想)刑務所、矯正執行(暗殺実行)部隊と言った意味で使われることが多いようだ。 日本では行政用語として【矯導院】現在の少年院などがある。

英語に翻訳すると【Guidism】となって、おそらくキリスト教の一派となってしまうだろう。 多様性文化の下では【民主主義】と同様に適切な 日 - 英 の訳語ではないようだ。

【嚮導主義】を英語にすると【Guidanceism】となるが、【嚮導艦】【嚮導機】などでは命令にしたがう全体を先頭で率いる意となる。 

日本語では類語の【先達(せんだつ、せんだち)】があり、巡礼や修行、学問などで目的を持った集団の先頭あるいは最上位に立つ人をさすので多少は穏やか・・・かな。 

でも社会科学的には漢字圏なら精一杯振っておいたほうが正しいと思える。

完 2019.08.19

追記 2019.09.27

少なくとも日本では一般的にならない、したがい明確な日本語になっていない、世俗的な、つまり人間的な主義(-ism)としてアナーキズム(Narchism)とリバタニアニズム(Libertarianism)がある。 それぞれ左と右の、共産主義と資本主義に付随する概念の極遠とされる。

しかし、脳内物質に支えられた人間の考えることの極限ではお互い重なりあうようで、その差異は現在の世相世俗の中での対立に過ぎないようだ。 

世相に完全な自由主義もなければ矯導主義もない。 結局のところ極限は概念のままであり、脳内物質で、群れ、争(あら)そう本能のある人間が極限の主義の実態にたどり着くには完全な矯導主義か終末論の中にしかなさそうである。

この記事で哲学に興味をもつ読者はいないだろうが考える幅は広いほうが良いと思われるので追記しておきます。

2019年7月13日 (土)

「マックとミー、レガシー・ビジネス始めるってよ」の巻 (3 の 2)

公開 校閲 校正 中です。不明な点はご連絡ください。
公開 校閲 は 2019.07.15-20:00 に
終了しました。

(3 の 1)から続く

さて、下表は2019年3月に公表された CRJ シリーズ生産状況です。

Bombaldier-crjsiries-status-report-2019_
*印の引き渡し済機数のうち3機は2019会計年度(1 - 12)中に引渡し可能な機数

前回の買収資産のアナウンスの中に債権 1億8千万米ドルがあった。 この表にまとめた CRJ 900 の引渡し済み機数のうちの 3機は 2019会計年度内に引渡しを完遂することで支払われる契約金額とすれば、1機あたり 6,000万米ドルの売掛金になると思われる。

いっぽう、債務として 2億米ドルを継承した。 これを CRJ 900 の未納51機に対する解約金とすると 1機あたり 392万米ドルとなる。 1機当たりの対完成機単価比では 6.5%なのだがどんなもんだか。

ほかの可能性としては次年度支払いの税金とかレイオフした従業員に対する継続保証義務にかかわる費用などが考えられるがこれもどんなもんだか・・・要するに分からない。

なお、英語版Wikipedia では CRJ 900 1機当たり 4,650万米ドル(2017)となっている。  この時点ではバージョンアップ仕様の CRJ 900NexGenNex t Gen eration)に代わっていたはず。

Wikipedia の数字はベア・ユニット・プライスで、売上金とのおよそ 30%の差額はオプション追加や特注の塗装、艤装に掛かる費用なのかもしれない。 いっぽう、2017年の価格に対する 1機当たりの債務の割合は 8.43%となり先払い契約金と契約期間の金利を含めた違約金として(契約次第ではあるが契約金の前渡しは25%が一般的らしい。先方からの解約ならこの程度で)妥当なのかもしれない。 「・・・かもしれない」ばかりで・・・益々分からない。

物価変動に合わせて値上げを認める買い手もいないだろう。 貨幣単位の明確な英語版Wikipedia の値から 1機当たり売掛単価で換算するとレートは 0.775となりカナダドルの米ドル為替レートに近似している。 アナウンスされた買収金額と付随する債権、債務の単位は米ドルとなっているがカナダの財務諸表から引き写したカナダ・ドルの可能性もある。 こちらはまあ偶然だろう。

ちなみにスペースジェット M90 は2016年(MRJ90)時の価格で 4,730米ドルとなっている。

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MHI と MACCRJ シリーズと呼ばれる事故による全損機を含む 1,953機(*2019年度内に納入する3機を含む)と未納機 51機、計 2004機を継承する。

うち、 CRJ をベースに派生したチャレンジャー800/850 の 33機は、室内空間と内装の豪華さが求められる顧客の規模やステータスを示す(企業/個人用途)コーポレート/クルーザー・ジェット 仕様のようだ。

よくわからないのは、ボンバルディア(旧カナデア)にはジェットライナーCRJ シリーズ のベースとなった ビジネス/パーソナルジェットチャレンジャー シリーズ。 上級シリーズとして CRJ シリーズと同じ胴体断面の カンパニー/プライベート・ジェットグローバル・エクスプレス シリーズがある。 民生用のほかに軍用途に改装された機体も多い。

さらにチャレンジャー 300/350(初飛行 2001)と呼ぶ、別系統の新規開発機種で高速、長距離、低燃料消費を目指すビジネス・ジェットも量産化されている。

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さらに、最初の一滴であったチャレンジャー 600 の基本設計となるリアスター 600 を提案したのは リアジェット ファミリーゲイツ・ラバー社に売却したあとのリア社であった。

リア社そしてゲイツ・リア社の礎となった リアジェット ファミリーボンバルディア・エアロスペース傘下に入っており、現行モデルのリアジェット 70/75 の生産設備を伴う工場はアメリカ合衆国ウィチタにある。 同様に軍用途も多く日本でも採用されている。 なお、チャレンジャー の一部が製造されたこともある。

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一方では航空事業の売却処分も進んでいる。

 ・C シリーズエアバス に売却済(2019)、エアバス A220 と改名(2018)
  (CRJ シリーズスペースジェット、それに E-Jet E2 の下位シリーズより太い胴体で、
  P&Wピュアパワーエンジンを採用 )
 ・カナデアから継承した CL-415 飛行艇は製造権をバイキングエア に売却(2016)
 ・デハビランド・カナダから継承したターボプロップの Q シリーズ も同社に
  製造設備を含め売却(2019)

など航空機部門の事業解体と整理を進めている。

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軍用途の絡むチャレンジャーグローバル・エクスプレスリアジェット の3系統、加えてチャレンジャー 300 系統の小型機部門がどのように分割売却されるのか、継続されるのか、ウィチタ工場を含めて定かではない。

MHIグローバル・エクスプレス シリーズ では初期に機体の設計、製造の一部を分担したことがあった。 しかし、MRJ の事業化の発表の前月(2008.2)に製造契約を破棄した。

表向きはボーイング 787 の開発、製造に注力するためとされるがボンバルディアからの訴訟の背景とも考えられ、これも買収に伴う今後のレガシーの一部になるのかもしれない。

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話しは変わるが、

アビオニクスやコンピュータ支援による飛行を越えて、機体の空力設計やエンジン仕様に合わせて制御するコンピュータに組み込まれたプログラム・フライトという電子化はイノベーションというよりパラダイムの変換というほうが正しいようで、既存の機体を引きずる開発での対応は技術的にも難しいと思われボンバルディアの経営への圧迫もあるようだ。

上手く風に乗ったのはエンジンと機体の * 新規並行開発のホンダジェットであります。 注)* 新規並行開発 : 開発時期は重なっているけれど実質はエンジン先行の開発。

またボーイングは機体構造を一新して第三世代となる 737 Next Generation 世代(初飛行1997.2)の代表的な型式の -800 からターボファンエンジンのバイパス比を大幅に拡大した第4世代の -MAX 8 (同2016.1)への転換ではその陥穽に陥ったように思える

両世代の初飛行から就航までの期間は前者で 10か月、後者では 16か月を要しているが、それでも運航停止に陥っている。

ちなみに第一世代の 737 オリジナル と呼ばれる -100(初飛行 1967.4)と第二世代のクラシックと呼ばれる -300(同 1984.2)への転換でもバイパス比の増加が行われた。 就航までの期間は前者で 10か月、後者でも 10か月以内であった。

さて 、表に戻って CRJ のレガシーについて考えてみる。

以下、近日リリースの(3 / 3)につづく

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2019年7月 9日 (火)

「マックとミー、レガシー・ビジネス始めるってよ」の巻 (3 の 1)

公開 校閲 校正 中です。不明な点はご連絡ください。
校閲修正追加のお知らせ
CRJ の最初の一滴はゲイツ・リアジェット社が立てたリアスター 600 の構想を買い取った・・・は誤りで本文中に赤字で訂正をいたしました。 ご迷惑をおかけいたしました 

マックと言ってもハンバーガーではなく、PC でもなく、ダグラス でもない。 けれど、飛行機には関係がある、(M)ミツビシ・(A)エアクラフト・(C)コーポレーションであり、ミーはケイの(古いね!)バディ、じゃなくてMAC の親会社(M)ミツビシ・(H)ヘビー・(I)インダストリーズ・リミテッドの MHI であります。

2019年6月のパリ-ルブルジェ国際航空宇宙サロン(パリ航空ショー)では FAA の認証取得の途上にある MRJ90 の受注は得られなかったが MAC から次のアナウンスがあった。

営業機種(ブランド)名をミツビシ リージョナル ジェットMRJ)からミツビシ スペースジェットに変更する。

これにより納期を2020年を予定している MRJ90(乗客数 76-92)はミツビシ スペースジェット M90 、開発中の MRJ70(同 65-88)を ミツビシ スペースジェット M100 とする。

変更の理由は「リージョナル」の語感が【狭苦しい】客室を連想させるので「スペーシャス広々としている】」としている。(実機を【…ている】と思わせたいらしい・・・当CEO の見解)

M100 は アメリカのスコープ・クローズ協定くぐりのロングテールとなりそうな機種として2023年にデリバリーを始めるとしている。

なお M100 は胴体のストレッチ・ファミリーで M90 クラス以上もカバーする計画なので M100 でもつじつまはあっているようだ。

サロンでは M100 の室内のモックアップを公開しており北米の某航空会社から 15機の MoU(法的な拘束力のない覚書)を取り交わしたと公表した。(当ブログのビジネス・リストの変更は行いません)

また会期中の 6月25日に、カナダの輸送用機器のコングロマリットであるボンバルディアBBD)傘下のボンバルディア・エアロスペース社の小型航空機「CRJ」事業を買収する交渉を開始したと公表していた親会社の三菱重工業(MHI)が 同事業の買収合意を公表しました。

購入金額 5億5千万米ドル(キャッシュ)で事業に付随する約2億米ドルの債務と約1臆8千万米ドルの債権を継承する契約になる。
ちなみにMHIMAC の累積債務を解消する増資を引受て帳簿上の2019年3月期の決算を黒字に転換させている)

通信社の記事による買収目的は買い替え需要の顧客名簿と整備・保守・修理や改修のノウハウ、および MAC 対するボンバルディエから提訴された業務妨害訴訟の取り下げも含む、とされている。

と、いうことで、普通名詞となった「リージョナル ジェット」の先鞭をつけて30年にわたって牽引してきた CRJ シリーズはたぶん受注残を除き製造ビジネスはクローズされるようだ。

かくして、MRJ いやスペースジェット M シリーズは世界最小直径の胴体を持つエアライン向けジェットライナーとなったのでありました。 焦ったんだろうなー「リージョナル」から「スペース」だなんて。

でも形容詞の「スペーシャス」ならともかく「スペースジェット」と形容名詞にして続けたら、なんだか変だ。

航空機産業の社名の中に使われる「エアロスペース(航空宇宙)」の宇宙【スペース】で空気を燃やすターボファン・「ジェット」かい? まあ、「ジェット」の第一義は【噴流】であり宇宙でも使える! と、いうのだろうけど、下々では空席【スペース】あります「ジェット」・ライナーにならないか?
乗るほうはいいが航空会社は勘弁してほしいんじゃないかなー?

さすがパンピー乗客にやさしい殿様商売の「みつびし」だね。 山田さーん、座布団全部持ってって!

(それにしても認証型式などに使う短縮記号はどうするんだろう、 MS-M100 or MSJ-M100
マニアなら、『いやあ、「マイクロ(M)ソフト(S)」じゃなくて「MSJ」の「ミツビシ・スーパー・ジェット」ですよ! ほら、あの「ゼロ」の「ミツビシ」の』、となるのかもね)

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さて MAC が引き継ぐボンバルディアの CRJ 事業のレガシーはアメリカのリア・ジェット社が商標(リアジェット)を含めたビジネスをゲイツラバー社に売却したあとのリア社が立案した リアスター 600 の基本構想を買い取ったカナデア社で開発されたチャレンジャー 600 (初飛行1978)から始まります。
この後、カナデアゲイツ・リアジェットボンバルディアに買収され、カナデアは消えますが商標の威力でボンバルディア・リアジェットとなります。

ビジネス・ジェットとしてはタラップを併用するドア採用したオーソドックスな構成と構造で、胴体後部の双発ターボファンとT字尾翼でありましたが、ライバルより一回り太い胴体を採用した室内は高い天井の中央通路とその両側に豪華な1列の座席を配置できる乗員2名/客席数最大19名のビジネス/プライベート・ジェットでありました。

余談ながら、当キネマ・エアラインズの Flight 002 で上映中の「華麗なる賭け」と併映のリメイク「トーマス・クラウン・アフェア」にチャレンジャー 604 が登場します。 皆様のご搭乗をお待ちしています。(以上、当キネマ航空のコマーシャル)

この胴体の中に中央通路と頭上に荷物入れのある片側2列の4列座席を配置する小改造と胴体を延長(当然翼面積も拡大)をして操縦2名/客室2-1名の乗員と乗客50名の CRJ100 が1991年に初飛行した。 

なお、 CRJCanadair Regional Jet の頭文字でありました。 でも、この当時カナデアはすでにボンバルディアの傘下に入っていました。
ちなみにエンブラエルERJEmbraer Regional Jet からでした。  MRJ は手堅い命名だったんだね。

そして、ERJ は認証名などには残るが、初号機から、ファミリー名と機種名を E-JetE(基準座席数ベース) に変えた。 MRJ もとい! ミツビシ スペースジェット M シリーズのライバルとなるリニューアル・モデルは E-Jet E2 E-E2 となりブランドの歴史を手堅く直感的に展開している。 MAC に座布団一枚返してもいいかな。(閑話休題)

さて、下表は2019年3月に公表された CRJ シリーズの生産状況です。

近日リリースの(3 の 2)へ続く 

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2019年5月28日 (火)

キネマ航空CEO 理想や思想は危険である。「自動車は国家なり」について考えるの巻

御訪問者各位、
2019.6.4 公開校正に伴う誤字脱字の訂正、校閲による補足と追記、を終了しました。 すでにご訪問された方もご再読いただければ幸いです。 キネマ航空CEO 拝

まず、承前である キネマ航空CEO 理想や思想は危険である。「自動車メーカーの最終検査の不正」について考えるの巻  を必ず読んでくださいね! from キネマ航空CEO

メーカーが監督官庁に対して行った製品品質の認証に伴う検査部門の不正行為の原因が潜む生産(組付)工程の思想と理想の概略、検査を行う組織、よって立つ基盤となるISO規格について概観した。

これらが人間の集団あるいは社会が秩序を保つ規範となる。 その秩序の維持のため、この中で罰則を伴うのは認証によって品質を保つ制度に対する不正行為である。

罰則と言っても人命などにかかわる事故については明らかな原因が立証されない限り、行政指導で本来得られるべき利益機会を制限される程度であろう。

次に品質(正確には生産)工程の監視と改善を行う管理指針がISO9000台の規格となる。 ただしこの規格で品質についての刑罰を科せるとは思えない。

しかし、この規格の認証を取得したからには、法律ではないけれど、トップダウン(つまり明確な責任者)により実行される企業のステーク・ホルダー(顧客、従業員、株主、債権者、仕入先、得意先、地域社会、行政機関)に対する職務であることには、相違はない。

つまりは社内の職務規定で処理される事項であるから詰め腹を切らせれば、あるいは自分で腹の皮一枚を縦に切るのか横に切るのか、斜めに切っても縫い合わせれば終わる事項でもある。

この二つの狭間にあるのが生産工程である。 そして組付(生産)工程にいる作業者は個々の人間である。 品質を作り込む各工程には作業標準といった規定はあるがそれに罰則があるわけではない。 あるのは就業規則に、であります。

そして品質を支える労働に必要とされるのは対応能力(スキル)と協調能力(モラル)といった人的能力となる。

(もちろんこれらの人的能力に閉鎖性や付和雷同性といった否定的な側面はある。 ただこれらの能力から少し外れたところにいる人間が革新(イノベーション)を行うことができる可能性を持つのだがそれはまた別の話。)

強調するまでもなく、これらは農民のあるいは職人の培ってきた日本人の(と外国人に言われると喜び、日本人特有のと言い直す)特性でもあり、労働の根源的な満足感あるいは達成感といった人間に必要な自己肯定感を生み出す根源となるようだ。

徒弟制度や家族経営はこの二つの人間性の育成と選抜、場合によっては不適合者の排除でもあったのだが、工業化が進んだ近代産業となるとそうした少数精鋭の選抜制度ではなく大量の労働者を必要とし、また生み出しもした。

その一方では参考文献(1)(先回掲載)で喝破しているが大量の労働力の運用では古来より築かれた軍隊という疑似社会の中の兵士から、ともいえる。 極端に言えば戦争も労働の一局面であると言えないこともない。 兵士は死ねばすべて終わるのだが平和な時代の労働はそうはいかない。  

少なくとも労働の無形対価自己肯定感にかかっている。 経営者(マネージメント)が社外施作の指標として顧客満足度CS)を品質の指標にするなら社内施作の指標となる労働満足度LSLaber Satisfaction 造語)も同等に準備するバランス感覚が問われる。 

(造語のLSについて)
類似の概念に外国からの移入された職務満足度JSJob Satisfaction)とか従業員満足度(ES:Emproyee Satisfaction)がある。

しかし、こちらはいまの日本人には給料や諸手当とか福利厚生といった有形対価を指すように思える。 

そもそも、日本人に労働満足度の概念自体が普遍しているのか、歴史として、していたのか、が、どんな名かはさておき名のある日本人が書籍やTVで、名はなくてもWEB上に再展開する「ニッポン、スゴイデスネー」の優越暗示の中で集団自己暗示に変わり、あやふやになっている。

トヨタ・システムでは組付ラインからのボトムアップとして無報酬全員参加のQCサークルでお祭り的なLSの向上を目指して始まったのだろうが携わる車種の製造期間より作業者の人生のほうが長い。 そこからの矛盾や齟齬が派生することは容易に想像がつく。

おまけに帰属意識によるスキルとモラルの維持が期待される正規従業員より非正規社員のほうが多いラインもある。さらに外部雇用者による社内委託生産さえある。

この程度はフロントランナーもしくはリーダーであるトヨタなら気づくことであり必要な対策は年々施(ほどこし)しているはずだが内部文書ではない既出の参考文献(2)からはそこまでは読み取れない。 一方ではフォロワーであるスズキが先行者の気付きと努力をキャッチ・アップしているのか、は定かでない。

むしろ、当CEOの独断的解釈のJSもしくはESと言った面ではトヨタは最高峰にいる。 これを産業界に普遍すると同業他社の従業員からは「同一労働、同一賃金」の建て前とその矛盾はどこに行った、とトヨタに対してというより平等を理想とする「べき」社会の一員としての漠然とした怨嗟になる。

トヨタがこれまで公表してきた春闘の妥結内容を2019年春の交渉結果から公開を控えると発表したのはむべなるかなであります。

さて、自動車産業の労働満足度LS)という視点からスウェーデンのボルボ【VOLVO】でボルボ・システムという生産方式が提案され実行された。 ボルボは北欧の雪や凍結に加えて巨大なヘラジカとの衝突などの事故に対する種々の安全対策を搭載した車を世界に先駆けて生産に移し、現在では各社が採用する技術特許を無償公開した企業である。

フォード・システムフォーディズム)の延長線上にいるトヨタ・システムトヨティズム)は一本のラインを分割した各ステーションの通過時間、すなわち、そのステーション上を作業者が往復する秒単位の時間(サイクルタイム)の中で行う同期化された単一反復労働作業であります。

秒単位:正確には1分を100に数える十進化時間。1分15秒は1.25分。工業用ストップ・ウォッチで計測される。各ステーションのサイクルタイムの合計がラインで1台を完成させるサイクルタイムとして同期化できる。) フランス革命の時代に時間の単位に十進法が制定されて時計まで作られたがたがすぐに廃れた。 ちなみに廃れたといってもスポーツで使われる60秒未満の単位は十進法秒(デシマル・セコンド)であります。 100mを9.58秒の記録はいつだれが更新するか、とか。 革命と合理性と慣習・・・面白いテーマではあります(閑話休題)

ボルボ・システムボルズム)では車体を傾けることができる独立した自走式台車(AGV:Automatically Guided Vehicle)に載せて移動させる。
英語読み表記はヴォルヴィズムなのだが、ボルビィズムもだめらしい。フォーディズムは良いがトヨティズムはトヨタイズムらしい?そこまで気を使わなくてもねー。(閑話休題)

組立は組立済部品群(アッセンブリー)を置いたドックと呼ばれる複数のスペースを回遊して行う非同期化を意図している。 
組立済部品 アッセンブリーAGVチームの作業を容易にする状態に組み上げた、複数の部品で構成する大型部品。例えばボディから外したドア・アッセンブリーなど)

状況によれば個々のAGVは手間取る先行台車を追い越すこともできるようだ。

まあ、追い越しは無理だけどトヨティズムでも本流となるメイン・ラインに同期して流入する支流となるドックに相当するサブ・ラインが設定されている。 

コンベア方式との大きな違いはAGVでもドックでも作業者はチーム制でドック周りにはバッファー空間や作業スペースの人間工学的配置など工場の建て方自体を作業者の自主性もしくは自立性を高める方式に変えている。

とはいえ、商品の安全神話の浸透と共に生産する機種と台数が増えると初期のボルビズムはある限界で破たんしたようだ。

しかし、ここであきらめるような北欧バイキング・・魂(はノルウェーか)。 もとい!スウェーデンのボルビズムではない。 労学使で一層深化させてAGVを定位置に決めて周囲に配置したドックから部品を供給してAGVチームが完成まで一貫して担当する。

作業者の意識を反映したシステムということかレフレクティブ・プロダクション・システムRPSReflective Production System)と命名されている。

されてはいるが日本語には反映されていない。つまり適切と思われる訳語はない。 
極端に言えば重量物の精密移動を補助する機械化で作業者一人の労働(スキル)が車一台を完成させることもできるシステム。 もちろんチーム労働作業(モラル)のほうが早く完成車にできる。

適当にキャッチコピーを造れば、「ミグレーション回遊労働からアイランズ群島労働へ、コンベア同期労働からの完全脱却!」となるのだが、簡単に言えばグローバルな市場経済要因に巻き込まれたボルボ自体の経営危機によりこのシステムは失速する。

ただ、作業者には好評だった。 もちろん、システムは見た目の構成や組織だけでは成り立たない。 このリベラルな人間主体の工業システムとして詳しく知りたい方には参考文献を末尾に掲げておきます。  

ここからはその参考文献よりボルボの生産工場と生産方式の推移変遷を抽出し、大きな世界経済状況を差し込んでみる。

 1926 SKFの休眠会社であったボルボの社名で設立。ボルボは「回る」という意味
     (SKFは当時から高純度のスウェーデン鋼を使ったベアリング・メーカー)
 1927 ビジンゲン工場で乗用車の生産開始。30年代にはフォード・システムを導入した
 1939-45(西部戦線)第二次世界大戦
       では厳密な中立要件を満たしていないようだが武装中立的立場を維持

 1964 トシュランダ工場(本社工場)操業開始。フォード・システムを継承
 1971 ニクソン・ショック。①ニクソンの訪中宣言、②米ドル紙幣と金の兌換廃止
 1973 第一次オイルショック
 1974 カルマル工場操業開始。AGVを採用したボルボ・システムに適合させて新設
 1979 第二次オイルショック始まる
 1980年代-増産と多車種化でAGVのコンピュータ制御の導入など、理想は後退する
 1987 ブラック・マンデー株価大暴落(以降世界的に金融危機が多発)
  -  ノルウェー金融危機(以下北欧関係のみ記載)
 1989 ウッデヴァラ工場操業開始。AGVを静止させたまま完成車にするRPSの導入
 1991 カルマル工場ウッデヴァラ工場を閉鎖。
   -   スウェーデン金融危機 (1)(2)。フィンランド金融危機
   -   トシュランダ工場トヨタ・システムを導入。ボルボ・システムの終焉
      この時代のトヨタ・システムはコンベア・ラインにグループ制などを取り入れていた
 1999 乗用車部門をフォードに譲渡。ボルボ・カーズとなる
 2007 リーマンショック始まる
 2010 ボルボ・カーズの株主権利がフォードから浙江吉利控股集団に移る

ボルボRPSは働き方改革として成功したといって良いようだ。しかし、大量生産での自動車産業の主流にはなれなかった。 改良されたボルボRPSは1989年以降のおよそ2年で労使協調の栄光の時代として終わりを告げた。

その後の8年間は株式の国外譲渡に必要な国内工場の付加価値を上げるトヨタ・システムの導入と実績を示すためだったと言える。

結局は、アメリカの自動車産業の失速とともにボルボの貴重な経験も自由主義国から共産主義国へ譲渡された。 
(金融危機対策の影響では、スウェーデン政府は国庫から支出する立て直しに失敗して民間企業の株式移転については関与しない政策をとっている。 また防衛外交政策では武装中立から同盟外交に変えている)

ボルボ・カーズから大株主の浙江吉利控股集団RPSを提案したどうかは知らない。 中華人民共和国家の中にもボルボ・カーズの工場はある。 しかし、筆頭株主を務める吉利が人民の労働満足度のためにRPSを採用する気はさらさらないだろう。

労働者のためのマルクス主義の思想と理想を掲げる国家であってもその国家のために自動車で最大利益を得るためには自由経済原理から派生した労働者のための成果より(まあ資本金は出しているが)タダ乗りで原理そのものを信奉しているようだ。

掲げる「理想や思想」は「危険」と同時に「いいかげん」であって、まさしく「自動車は国家なり」である。

金満大国(中国とは言わないよ)にとっては「いい加減」ではなく、まことに「良い加減」なのであろうな。 手段はどうあれ、ものを安く造ればゼロ・サムの世界経済の中で国家はしっかりと外貨を稼ぎ税金も獲れるしね。

さて、自分の積立金の払い戻しではない年金制度はいくら頑張っても、LSが最も高くなると思える第一次産業とそれに付随する産業や軽工業ではとうてい賄えない。 いよいよ高齢化を迎える「自動車に限らず工業は国家なり」の落ち目の第二次産業国の日本ではあります。

ドメスティックやインバウンドの第三次おもてなし産業にLSはあるのか? 人間同士の直接の関りの少なそうな第四次虚業(バーチャル)産業にJSESはあるのか? 労働がなくなるかも知れない人間の存在理由が問われる第五次 卜占【ぼくせん】(エー・アイとも言う)産業に賭けるのか?

トヨタいや日本にボルボのような工業における理想や思想、いや発想は生まれるのか? この先を短くも長く感じる団塊の世代の先駆けである当CEOの世代から中途半端な人口構成の次の世代へ送る課題であります。 送られても困るかなー。

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参考文献

(4)ボルボ生産システムの考察-労・使プログラムとカルマル・ウデヴァラ工場改革ー 
浅野和也 2003.02
中京経営研究 第12巻第2号 pp247

直接リンクは貼れないが 中京大学経営学部 中京経営研究目次 より上記の巻号から表題名を選べば入手は可能です。
省略した具体的な生産効率の比較も載っているのでお読みください。

(5)リフレクティブ・プロダクション・システムにおける<知>,<対話>,<参画>に関する一考察 
森川 誠 2004.03
立命館産業社会論集 第39巻第4号 pp145

 

2019年5月19日 (日)

キネマ航空CEO 理想や思想は危険である。「自動車メーカーの最終検査の不正」について考えるの巻

キネマ航空CEO 陰謀論は楽しい!上有対策、下有政策?の巻(全編閑話) 2016.9.20 でも「すずき」を肴にした虚実皮膜の記事を書いた。 その中では認証申請の数値と認証規定の関係では監督側の所管官僚が生産者側のCAE 技術の進歩を法制度にキャッチアップしきれていないと擁護してみた。

今回は最終検査の工程でブレーキなどの重要保安部品にかかわる無資格検査員の存在や検査記録の廃棄、改竄、工場間の共謀のようで、某紙から「他社ではここまでの不正は確認されておらず検査の意義そのものが問われる事態だ」と、暗に官庁に比べても民間は負けてはいないと書いている。

ここである朝ドラを思い出す。 高校を卒業し集団就職で東京の小さな電子機器メーカーに就職した可愛いがドジな、いやドジだけど可愛い(?)ヒロインが基板組み立てラインに入り工程の最後の検査係から「4番、抵抗の挿入違い」とラインの停止を繰り返すけれど仲間や寮母さんから励まされ成長していく。・・・のだが、この会社の品質管理はしっかりしているようだけれど経営は大丈夫かなと思っていたらやっぱり倒産した。

もちろんヒロインの所為ではなく時代と産業構造の変化なのだが、熱心な視聴者でもない当CEOが気になったのはドジを自覚しているヒロインとその仲間と検査員の関係だけどどのように描かれていたのかについての定かな記憶が残っていない。

ドラマにも色んな視点はある。 これは脚本家のマクロの視点だろう。 本質は両方の意味で倫理的な共感や義憤を叫ぶ視点はさて置いて、当事者に関わるミクロの視点も必要では、と思える。

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大量生産される自動車の組み立てはフォード・システムと呼ばれるコンベア・ラインが使われる。 そのラインを大河に例えると塗装を終えたボディが一旦周回するコンベアにプールされ、計画に従い組立工場のコンベアに順次載せられるところが源流であり、コンベアの末端で自走して検査区画に向かうところが河口となる。

今回問題は、その検査区画で無資格検査員が検査をしており、水漏れ、内外観、運転席での作動の確認、さらに法律に準拠する点灯確認、光軸調整、ブレーキ作動、排ガスなど監督官庁から企業に委譲された出荷条件に合格したと記録されるべき品質検査項目の数値を操作したり検査データを廃棄したこと、とされる。

実際には検査区画から出荷先に合わせた保管区域までの区間にある周回コースで搬送兼検査員が決められた変速パターンで急加減速と急ブレーキなどの走行性を官能チェックしているはずであるがここが含まれていたのかは定かではない。

さて、今では少なくとも日本国内の自動車工場の量産ラインはフォード・システムではなくトヨタ・システムと言ったほうが通りは良い。 そのシステムの神髄は徹底したムダの排除である。トヨタ・システムについては巻末に参考文献)

コンベア・ラインは一定速で進み単品の部品やすでに組み立てられている部品群を順次ボディに組み付けて行く。 この流れに潜むのは時間と人のムダである。この無駄の排除がトヨタ・システムというよりトヨタ・イズムである。 

数あるイムズの中で社会的かつ当事者的に影響の大きい展開は JIT(ジット:ジャスト・イン・タイム)と呼ぶ展開である。
組付作業者がラインの流れに乗って行っては元の位置に帰る区間(ステーション)の両脇に組付け順序に従って部品を配置するように納入する契約である。(軽量小物部品は除き納入は1勤務帯あたり1~2回、多くの場合は3交代勤務なので24時間当たり3~6回に分けて納入することになる)

組付け順序は同じ車種のラインなら車体色やグレードによって部品は異なり、複数の車種の混合ラインならさらに異なる部品が加わる。
経理上は在庫を最小にすることだが支払いは月単位であり、さして効果はない。 むしろ検収作業と呼ぶ伝票の処理が面倒になるがこれはコンピュータでの管理が必須となる。

最大の効果は少数の納入ロットでの購入品質を保証させることにある。 つまりラインには常に品質を保証された部品が用意されている。 ラインの各ステーションは保証された部品品質に組付品質を加えながら次のステーションに送ることとなる。

組付はカンバンと呼ばれる車体に付けられた組付指示書に指定されたこれまたカンバンの付いた部品をライン・サイドから車体まで移動、位置決め、(ねじ止め、はめ込み、接着などで)固定、電気系統の配線結合、さらには冷却水や潤滑油の補充、最後に調整の作業で品質は保証される。 

これらの組付品質は各ステーションの作業者で構成されるQC(キュー・シー:クォリティ・コントロール)サークルと呼ぶ提案活動で深化させる。

期待されている提案はライン脇の組付部品の配置、作業動線、作業容易化など部品形状に限らず工具、設備改善など商品設計や生産技術部門への設計変更提案などである。 が、実質は組付所要時間短縮の集積による品質を保持した生産台数の増加もしくは人員の削減活動でもある。

全員参加による洗練された生産工程によって、理論上は完成車に不良は発生しないシステムである。 こうまとめると、どこか矛盾といかがわしさの感じられる性善思想に沿った理想理論になる。

ここで、公平に参考文献に触れておいていただきたい。 参考文献(1)は早稲田大学生の卒業論文による中期の考察、(2)はトヨタ本体による最近の理論の展開です。

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さて、理想のシステムの中にも検査部門はある。 その存在理由として次の二つがある。
① 顧客品質の認証を保証する監督官庁から丸投げされた「裏書」書類調整機関としての組織。
② 部品公差と組付のバラツキの集積による不合格車両が存在する可能性に対する実動組織。
検査結果は ①は外部、②は内部に向かっている。

では、組織上の検査部門は工場から独立して本社から工場に駐在させるのか、各工場の一部門として工場長の指揮下に置くのか、の問題がある。

前者ではよそ者扱いであろう。 駐在責任者には課長クラスが就くこと多いと思われる。 職責を厳密に実行すると中間管理職として本社と工場との対立の狭間に陥りかねない。

後者ではさらにやりにくい。 直属の上司である工場長が本社から管理されているのは生産台数と合格率、なかでもラインオフ時に合格する直行合格率と再検査合格率、さらには長時間滞留する不良率である。

先に②に相当する組付品質の個別の責任は工程を分担する各ステーションのリーダーとなる班長が負っている。 コンベア・ライン停止権限は班長が持ち、問題が発生すると行灯(アンドン)と呼ばれる回転灯とブザーが起動しラインは停止する。

アンドンが点灯したステーションに組長、工長など複数のステーションを受け持つ上級監督者が駆け付けて対策を施す。 なお、組長、工長の通常の職責は担当するステーションの後端にいて組付作業のほかに全般的な確認も受け持っている。

言うまでもなくコンベア・ラインは水源から河口まで一斉に停止するので各ステーションの作業者は所定の組付作業を終えてラインの起動を待つ。

組付品質は組付工程の中で自己完結するのである。 さらに協力(一般には下請け)会社からの購入部品検査は組立工場長の指揮下に置かれて社内規定に従った手順と個数の抜取検査が行われ、不良が見つかったなら納入単位で返品されて選別検査さらには全数検査指示など仕入先にペナルティとして転嫁される。 不良品が抜取検査をすり抜けるとリコールとなる。

今回、問題となった検査部門は①に相当する完成車検査であるが、組織上の所属場所にかかわらず工場システムの中に組み込まれており、さらには工場間の競争に巻き込まれることになる。

組織人事では各工場長も検査部門長もそれぞれ年代のライバル関係で構成され競争意識を醸成する。 その一方では基幹工場の工場長に先輩や取締役が配置されていると暗黙の協調も成立する素地を容易に作れる可能性はある。 もちろん、性善説であれば健全な競争ができる理想的な会社であり社会となる。

ともあれ、生産ラインは前工程が造り込んだ合格品に定められた手順で作り込んだ品質を加えて後工程に送る。 この繰り返しがライン・オフまで続いて完成車検査部門に渡される。 この理想を実現させる思想のもとでは時間をかけて積み上げた組付ラインには不良品の発生はあり得ないのである。

組織と人間の間では思想の裏付けのある理想は時間をかけて現実が理想に近づいてゆく。 思想が成熟してくる時間と携わる人間の心理の関係の中では錯覚なのだが、あり得ないことがあり得るのである。(奇妙なレトリックになったが少しく頭を使ってくださいね) 

さて、日本の自動車工業は大まかにトヨタ系、ニッサン系、独立系のホンダとなるが、今回監督官庁から一連の勧告を受けたのはニッサン系は日産本体と三菱、トヨタ系では外様のSUBARUとスズキ。 トヨタ自動車本体と親藩のダイハツ工業と本田技研工業はなぜか無傷である。

うがった見方をすると、お代官と大庄屋の関係や、パトロン気取りで飛行機も作れる芸術家を庇護するお大名といった構図も考えられなくはない。

しかし、実態は生産・品質システムの創始者であるトヨタは弛みなく時代に合わせたトヨタ・システムの見直しと改訂、教育を繰り返しているのだろう。

今回勧告を受けた企業も当初は、本家に学び、本家に教えを請うていたはずである。 なんとか自分で咀嚼し、自家薬籠中の物として自社名を冠した〇〇〇・システムを創った(倭国から日本国へ移った?)その時点に留まってしまったのであろう。

ホンダについては分らぬが品質システムは各国家標準化団体(日本だとJIS)が構成する国際標準化機構(ISO)が作成したISO9000台に設定された品質マネージメント手法を忠実に実行しているのであろう、と持ち上げておく。 

殆んどの自動車製造にかかわる企業、一次、二次・・・の協力企業(ティア・ワン、ティア・ツー・・・)はISO9000台の認証を取得し、あるいは取らさせられているが、親会社と同様に毎年行われる既得認証の剥奪をともなう継続審査は適当になれ合える認証機関と付き合っているかも知れない。(くどいようだが審査自体はマネージメント手法の適合性でありその結果ではない)

いずれにしても、ISO9000台の規格を取得した組付部品の供給企業(サプライヤー)は規格に基づき品質を保証して製造企業(メーカー)に納入する。

この規格では品質はあくまで取締役以上の経営者(マネージメント)が「自社名・システム」の実行と改定を実施する監督責任者であることを示している。 これは直接顧客(カスタマー)に向き合う製造企業(自動車メーカー)の組付品質に於いても同じである。

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ずいぶん長くなったのでここでインターミッションを入れ次回に続きます。

なお、トヨタ・システムISOとは直接の関係はない。 ISO12000台は材料、形状、公差など、より部品に近い規格になるが自動車メーカーは材料や保安部品の多くはISO規格より厳しい値を自社規格としている。 

しいて言えば、品質管理のマネージメント上では取得しているISO9000台の規格がリファレンスとして存在しているはずである。 不正問題は自社名・システムと人間との関係、『理想や思想は危険である「自動車は国家なり」について考えるの巻』に続きます。

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参考文献

(1)自動車産業の栄光の陰 ~トヨタ生産方式の持つ労務管理的デメリット~ 2005 
宮本治樹
トヨタ・システムは運営細目にはアメリカ合衆国憲法並みに修正追加の流動性があり必ずしもこの論文の通りとは言えないが核となる理想は言い当てている。

(2)トヨタの問題解決 ~問題解決の実践で、よりよい社会の実現を~ 2016 
トヨタ自動車(株)業務品質改善部 主査. 古谷健夫
対外プロパガンダではあるが分かりやすい。

背景を補足するとQC(Quality Contorol)品質制御の基本は米国で開発された統計による製造現場の品質の安定性と精度の向上だが複数の組織にまたがるTQC(Total Quality Contol)となり、続いて経営戦略を含めたTQM(Total Quality Managiment)総合的品質管理となって、トヨタ・システムで発展した。
本来のTQCTQMもトップダウンによる特命もしくは外部のQCチームが組織の分析をするのであるがトヨタ・システムではQCサークルとしてボトムアップの自主(ボランティア)活動が追加設定される。 また特徴としてCS(Customer Satisfaction)顧客満足度を品質の中に加えている。 
日本以外ではTQCTQMで実施されている。日本独自のQCサークル自体は非正規雇用や季節雇用の増加により減少傾向にあるようだ。

(3)ISO認証~一般財団法人 日本品質保証機構

2019年4月 8日 (月)

キネマ航空CEO 「類は友を呼ぶ」のか「友が類を呼ぶ」のか-「令和」について考える

山里の畏友のブログにコメントで「令和」の「違和」感を書き込んだのだが聊(いささ)かまとまりのつかぬ文章になったので備忘として記録して置くことにする。

当CEO の浅学非才ぶりではあるが、まず表意文字を表音文字として万葉仮名が使われた「万葉集」の一節に(当時から訓読みだったのかどうかは不明ながら)漢詩の序があるのは知らなかった。もしあるなら下敷きとなる本場の漢詩があるのでは、と思ったらやっぱりあったようだ。

梅花歌三十二首(万葉集巻伍 所載、編纂8世紀後半)
于時、初春気淑風、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香・・・

帰田賦(文撰巻拾伍 所載、編纂6世紀前半)
於是、、原湿郁茂、百草滋栄・・・ 

・原文に句読点はない。
・梅花花三十二首(万葉集)引用部12pt以上の文字は政府発表の訓読みあり。
・帰田賦(文撰)引用部の12pt以上の文字は万葉集の相当部分。
・8文字中「春」「令」「月」「気」「和」の5文字は双方に見られる。

漢詩は一文字の韻律の種類(平と仄)の並びの規則性と四行相当による起承転結で作られる形式の組み合わせで絶句、律句、排律に分かれるようであるが確立したのは唐代(618‐907)の終わり頃らしい。したがい双方ともそれ以前の形式の、といえる。

双方とも詩文が始まる個所にある二文字は続く四文字と一連の句であり基本的な文体もしくは書式を一にしている。ちなみに異なる双方の二文字は中国語では同じ発音、同じ意味だそうだ。

漢詩は「読む」あるいは「発音」、の美学の止揚であり、提案者が説明に「于時」を省いたのなら漢詩に対する日本人の感性かもしれない。

もう一つ、日本にある参考にした漢書の「文撰」において「於是」にはすでに返り点がついていた可能性はあり、詩文である「序」の「文」と「詩」を分ける言葉として読解の解釈上の誤解かもしれない。

もし政府が省いたのなら中国にというより国内に向けた意図的削除だった可能性はある。

時の政府もしくは首相の公式発言では、『漢籍を参考に後年至っては返り点と音訓を駆使して日本語の古文となる詩文を添えた日本固有の定型詩を編纂した和書(国書といわなければ通らないらしいけど)から選ばれた最初の元号である』と言い直すべきと当CEO は考える。

いくら首相が国書からと言い張っても中国からは「フフン」であろうことは覚悟する必要がある。

書かれた当時は現在の学位論文よりずっと出典が重視され、知識と教養を貴(たっと)ぶ時代であった。この程度のことは万葉学者のレベルなら十分に承知している。また、理解していなければならない。

なるほど、今は名を秘す考案者が名乗りたがらないのは分からなくはない。でも本当にそうだろうか?

ちなみに双方の全体像を示しておく。
右からの縦書きの原文に句読点はなく書丈に合わせた改行はあるがすべての文字は連続している。句読点はWeb を参考にした。当ブログでの改行個所は当CEO の独断である。

創詠は後漢順帝永和三年(西暦138年 後で必要なので当CEOの補足)

歸田賦   張衡(ここでは空白と改行あり 当CEOの補足)
遊都邑以永久,無明略以佐時。
徒臨川以羨魚,俟河清乎未期。
感蔡子之慷慨,從唐生以決疑。
諒天道之微昧,追漁父以同嬉。
超埃塵以遐逝,與世事乎長辭。
於是仲春令月,時和氣清;原隰鬱茂,百草滋榮。
王雎鼓翼,倉庚哀鳴;交頸頡頏,關關嚶嚶。
於焉逍遙,聊以娛情。
爾乃龍吟方澤,虎嘯山丘。
仰飛纖繳,俯釣長流。
觸矢而斃,貪餌吞鉤。
落雲間之逸禽,懸淵沉之鯊鰡。
於時曜靈俄景,繼以望舒。
極般遊之至樂,雖日夕而忘劬。
感老氏之遺誡,將回駕乎蓬廬。
彈五絃之妙指,詠周、孔之圖書。
揮翰墨以奮藻,陳三皇之軌模。
苟縱心於物外,安知榮辱之所如。
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万葉集巻伍

(省略)
右事傳言那阿郡伊知郡蓑島人建部牛麻呂、
是也梅花歌三十二首、并序(ここでは改行あり 当CEOの補足)
天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。
于時初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。
加以曙嶺移雲、松掛羅而傾盖、夕岫結霧、鳥封穀而迷林。
庭舞新蝶、空歸故鴈。
於是盖天坐地、促膝飛觴。
忘言一室之裏、開衿煙霞之外。
淡然自放、快然自足。
若非翰苑、何以濾情。
詩紀落梅之篇。古今夫何異矣。
宜賦園梅聊成短詠。

当CEO 補足(天平二年は西暦730年)

平仄(ひょうそく)は分らぬが、たぶんこんな風な緩急で読まれたのではなかろうか。
文章としての整い方は『帰田賦』にありそうだがぜひ、どちらもそのままの「漢詠」と読み下しの「吟詠」とで聞き比べたいものだ。

さて、日本語の優れているところは微妙な差異はあるだろうが表意(音読み)と表音(訓読み)に同じ文字を使う知恵から始めていることである。ここで「漢字は(共産?)中国製だから」と言うこともないし言われることもない。

『帰田賦』を一瞥すると日本人の心には何とはなく穏やかならぬ文字が数か所に見受けられる。当キネマ航空のお客様は、結辞の「安知榮辱之所如」をなんと意訳するだろうか。 つまり「何があったんだろうか?」と。 作者はかなり剛直な人柄だったようだ。

作者 張衡(78-139)はときの愚帝のもと中央官庁や地方府の相として旧弊や腐敗を正そうとしたが、かえって疎まれて、職を辞して故郷に帰る時を夢想した作。 正確には帰田は叶わず中央に戻されて病死。 「帰田賦」は、享年【62】の前年の作。

政治家ではあるが人文、天文、数理の科学、工学、詩、画、などに優れる文人であり発明家でもあり、現在の日本の、とは厳然とした違いのある当時の「知識人」だった。

どうやら、請われて『令和』を提案した方も現在の日本における「高度の知識人」であることが想像できる。

両方の原文を知り、安倍首相が選ぶ選者となる現代の(凡知の識人)有識者諸氏が選び易い形で、依頼された国書にこだわる首相へ献呈したのではなかろうか。
選者を選んだ首相もおそらくその程度の知識人いや政治家なのでありましょう。

この先は、「お友達内閣」と揶揄される首相の今後の身の処し方次第ではありますが・・・(英語ではFriends Cabinet 日本だとFriendship Cabinetとなって「友情内閣」。言葉は巡り巡って「麗しき日本」、「美しき哉、日本」)

この視点からは「凡知百識に勝る」もしくは「心から首相を憂うる」有識者として「令和」を選んだ「元号に関する懇談会」のメンバーの職責とお名前を掲げて後世に残しておきたい。
NHK・日本放送協会会長 上田良一氏
民放連・日本民間放送連盟会長 大久保好男氏
日本私立大学団体連合会会長 鎌田薫氏
経団連名誉会長 榊原定優征氏
日本新聞協会会長 白石興二郎氏
前最高裁判所長官 寺田逸郎氏
作家 林真理子氏
千葉商科大学国際教養学部長 宮崎緑氏
京都大学iPS細胞研究所所長 山中伸弥氏
以上、NHK発表順の9人の有識者の方々。
(お申し出あれば渋々ながら御姓名は削除いたします)

一度切り貼りされて二文字熟語となった「元号」として定着する文字を必死になって説くのは安倍氏個人なのか、内閣なのか、公式見解に自らの知識を加えておもねる「知識人のなんと多いことか」。畏友は人よりマスコミを糾弾している・・・「見識とはなにか!」と。

「ボーッと生きてんじゃねーよ!」by チコちゃん @NHK。(あ~ 会長に向かって言っちゃった)

もっとも当CEO は時々、いや、いつも「ボーッと生きてん」のもいいなー、と思ってますけど。

自らはまだ名乗られぬ「令和」の提案者は「選ばれたからには」、と腹をくくり、芋の煮えたも(含まれた真意をまったく)ご存知ない首相を満足させ、まさに憂いながら、(改行)
自ら発(ほ)っせられた生前譲位を粛々と進められる、(改行)
今上陛下に一世一元のもとではおそらく、いや決してお知りになれないであろう、(改行)
次の世に引き継がれる元号を奉じたのではなかろうか。

こう書くとまた畏友に叱られそうだ。たしかに主権は総理でもなく国会でもなく国民にある。
ここは、チコちゃんのこころの代弁者、年上のお友達(実は未来のチコちゃん)の言葉を借りて、当キネマ航空にご搭乗のお客様に於かれましても、愈々(いよいよ)腹をおくくりになり、煮えた芋をご賞味(もとい)お感じ、頂ければ幸いです。

「今こそ全ての日国民に問う」。二つの「令和」とは来(きた)るべき、また来た時代を「君たちはどう生きるか」、「どう生きることを選ぶのか」と、

キネマ航空CEO 敬白


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書くのに時間がかかってしまい投稿直前にWeb で「帰田賦 令和」を探すと結びはともかくとして同じような論旨のページがかなりあった。

当CEO は「帰田賦」より「帰去来」のほうが好きだなんだなー。だけど『帰りなん、いざ』、たって、「どこへ帰りゃいいんだ」、ま、「そのうちなんとかなるだろーぉ」、か !?
by 植木等 with 青島幸雄。

昭和も懐かしいね。昭和リベラルには懐かしがってもおれない時代になりそうだ。
「 わかっとる。 わかっとる わかっとる。 わかったらって俺についてこい」(by 同前)、と6月に向けて昭和後期生まれの安倍ちゃんは平成生まれを誘っている。

2019年3月31日 (日)

キネマ航空CEO 「歴史と哲学と人口を考える」、「アメリカ Part2」自由主義の始動の巻

アメリカの神話時代

 アメリカの独立戦争につづくのは国土の拡張の時代でもあった。その意味では現代に続く近世の思想を旗印として掲げた植民地の独立ではあったが中世の国家と同様の行動原理に則っている。

 この時代から激しさを増すアメリカ・インディアン(ネイティヴ・アメリカンと記すべきか)の虐殺は、スペインのマヤ、アステカ、ポルトガルが行ったインディオ、ロシアのアリュートなどとは時代が異なるはずの人権を憲法に掲げた理想とは相反するともいえる。 が、人間は、理想と行動は背反で両立するのが人間であるということを近代においても証明した歴史ともいえる。

 いずれにせよアメリカの独立後のイギリス本国の犯罪人流刑地がオーストラリアへ移ることになったからと限定することではないが入植者の人口増加によりアボリジニの虐殺が加速されることにもなった。

 ここで日本においても神話から人間の性情としての虐殺の歴史を振り返ることも無駄にはならないと思える。

  当CEOの記憶の中にある記紀のなかで伝承で語られた『草薙の剣【くさなぎのつるぎ】』で神話化された事実の最も妥当なと思える解釈の一つを振り返ってみる。

 まず、名銘の由来は、神代(かみよ)に素戔嗚尊【すさのおのみこ】が出雲国で八岐大蛇【やまたのおろち】を退治した時に大蛇の尾から取り出した剣に付けられた「天叢雲剣【あめ(ま)のむらくものつるぎ】」から始まる。

 間のいきさつはすっ飛ばし、人世(ひとよ)に入って剣は「伊勢の皇大神宮(後の伊勢神宮の内宮)」に収められており、斎氏(後の斎王)であった叔母の倭姫【やまとひめ】から天叢雲剣と小袋を一つ授けられて倭建命【やまとたけるのみこ】は東征に赴く。

  倭建命のプライベートの記述はすっ飛ばし、今の静岡県の中部において国造【くにのみやつこ(官位を得た地方豪族)】が一行を枯れ野に誘導して火を放ち謀殺を計ったが、倭建命は剣で枯草を薙ぎ倒し小袋にあった火打石で迎え火を付けて難を逃れたことから「草薙剣【くさなぎのつるぎ】」となったと由緒が語られる。
(ちなみにその地が草薙、焼津として残っている)

 字面からの事実としては文字として記紀が編纂された時代には破壊消防が行われていたこと、時季としては晩冬から早春にかけてと、思われることぐらいだろう。

 ここで薙がれた「」は植物の草でもあるがその前に大和言葉である訓読みでは【くさ】、原語(中国語)の音読みでは【ソウ】である。
【ソウ】には、粗末、劣る、から、初めの、荒い、例えば草稿【ソウコウ】さらには卑しいもの、蔓延(はびこ)るもの、などに使われるようだ。

 ちなみに【くさ】は室町あたりから忍びの者つまり間者【カンジャ】として使われていたようだ。 草のようにいる人に紛れてということだろう。

 本来の雑【ザッソウ】もマイルドに野【ヤソウ】となるが、有用なら野【ヤサイ】となる。 現代になると重箱読みの競馬【くさケイバ】、野球【くさヤキュウ】があるけれど相撲【くさずもう】からのお流れだろう。

 江戸は幕末のころに莽の臣【ソウモウのシン】が流行る。 草も莽もどちらも草であるが田舎もしくは市中に埋もれた(多くは討幕の)志のある者を指す。 志はあってもなくても田舎や市中にいるのは民【たみくさ】である。 語源となった同様の訓読みでは田【たくさ】がある。

 【ミン、たみ】は人衆、主、臣(シンなるミンではない。シンとミン)と音読みで使われ、その原義は被支配者である。田草を含めて支配者には草は一面では厄介者だったのであろう。

 草を薙いだ剣とは反抗する部族を壊滅させた武器であり、薙いだ炎は血しぶきとして読める。 翻って神代にさかのぼると八岐大蛇とは八人の首魁に率いられた連合勢力であり、その尾とは戦闘員で編成された胴体であり(ちなみに蛇の尾は肛門より後ろらしい)そこから引き出された天叢雲剣は最初から血塗られていたことになる。 つまり外国産の鉄の剣で出雲の砂鉄から良質の鋼の刃(はがねのやいば)を造る技術を奪った記録である。

 そのような読み方は祖先の神話への冒涜であると罵られそうであるが、これらが事実であって、文章で書き残す任を受けたあなた(中級官僚ぐらいかな?)はそのまま活写するであろうか?  私なら忖度をしてファンタジーにする。

 ついでに音読みの草薙【ソウテイ】には「草を刈り平(たい)らげる、乱れを収める」の意もあり、出典との前後関係は分からぬながらも「文字を知る文化人のあなたなーらどうする?」である。

 その後の草薙剣倭姫命の待つ伊勢の皇大神宮へは還らず現在の熱田神宮に収められている。 これも血塗られた剣を帝の近縁の皇女、王女が斎氏、斎王を務める伊勢の内宮に戻すことをはばかったとも読める。

 ちなみに雨叢雲剣が神代から人世に移ったときに形代【かたしろ】(レプリカ)が造られ帝の傍に置かれることになるが、平家滅亡の折に瀬戸内の壇ノ浦に消えている。

 ここで帝は神代から伝わる三種の神器(石器時代の勾玉、銅器時代の鏡、鉄器時代の剣)のうち「剣」を失ったことになるが再び「形代」が造られて伊勢神宮の神事をへて宮中にうつされた。

 いずれにせよ文字のある歴史時代(人世)の日本は、神話時代(神代)の「モノ」である「つるぎ」とは切り離されている神器ともいえる。

 倭建命が活躍していたのは西暦ではA.D.1世紀末を挟んだ辺りで中国で紙が発明されたころとなるようだ。 記紀が成ったのはA.D.8世紀の前半とされるが、現存する紙の写本はA.D.14世紀ごろ。 原本が紙に記されたのかどうかは不明のようだ。

 神話時代は残酷な時代であることに違いはない。アメリカは 紙もあり印刷も可能な文字や写真の時代になってから神話時代を辿ることになった。

 神話は人口が拡大するときに熾きる。 神代の日本の場合にはははっきりした資料はないが、19世紀の南北アメリカにはヨーロッパから4,000万人(当然白人)が移動してくる時代であった。 加えて19世紀後半の奴隷貿易の廃止により労働力を中国やインドなどのアジアからも求める大量移民の時代でもあった。

神話時代と共存する南北戦争と奴隷解放

 前回先延ばしにした南北戦争(The Civil War 1861-1865)とリンカーンの関係ににもどる前に戦前の、敵、味方、中立の関係を整理しておく必要がある。

 アメリカ合衆国として当時の地政学のはもう少し複雑である。 南北問題といっても主にミシシッピ川の以東の話であり、ミシシッピ川以西ロッキー山脈までの中央部にはまだ州制度はないか準州しかなく、ロッキー山脈を越えて西海岸までは北側を除きゴールドラッシュですでに州制度が成立していた。

My darling Clementine(雪山賛歌のメロディ)の”Dwelt a miner forty-niner, And his daughter Clementine. ”は、49年組、つまり(渓谷沿いの岩穴に)住む一攫千金を夢見る金鉱探しの娘の哀しい物語です。ジョン・フォード監督の『荒野の決闘 "My darlin Clementaine (1946)"』のオープニングとラストシーンに使われていました。 49年組とは合衆国がその前年の1948年にメキシコから購入したカリフォルニアへ、48年に東部から出発して未開の土地を越えロッキー山脈を越えてゴールドラッシュの幕開けとなる(18)49年にたどり着けた人たちです。

 地政学の中には気候の要因がある。 北部では冬季の農作業は限られており南部のように周年にわたり固定した労働力を確保する必要性はすくない。 結果として北部は工業化に向かう自由労働制度、南部は奴隷制度が産業基盤を支えることとなり、自由州、奴隷州と呼ばれて南北の対立は激しくなる。 もっとも奴隷制度自体は英国が持ち込んでプランテーションを運営していた。

 その実態は産業構造によるこの制度の違いにより州の対立が顕著になり連邦政府はミシシッピ川以西からロッキー山脈の間の中央部では1820年に北緯36度30分以北では奴隷制度を認めない「ミズーリ妥協」成立させて南北間の平衡を成立させた。

 時代が下り南北縦断鉄道建設計画が具体化する34年後の1854年にはこれを廃して新しい州となる準州の奴隷制度の選択は州民の意志によると主張する民主党(Democratic Party)が「カンザス・ネブラスカ法」を連邦議会で通過成立させた。 その結果、この地域をめぐる南北の暴力をともなう対立ははげしくなり、1860年に北部は奴隷制度廃止論者を結集して結成した共和党(Republican Party)は翌1961年にエイブラハム・リンカーンを第16代大統領に選び、就任直前に南部七州は連邦制度から抜けて合州国を抜けて南部連合国を結成しさらに四州が加わり南軍を構成した。
(奴隷制度を容認するのが南部の民主党となる。言語の差、意味の差はややこしい。 かと言って日本人がいちゃもんを付けるのもおかしいが、曖昧にするのもおかしい)

 結局のところ「カンザス・ネブラスカ法」は「ミズーリ妥協」破りであり、南部資本による新興の準州を通じた鉄道利権の拡大に対抗する北部は有効な反撃として使える懸案や法案もなく、リンカーンには憲法による「自由と平等」「奴隷解放」を旗印する言葉に信念があったし、従う合州国民も大勢いたことで戦争は開始された。

 北軍は緒戦の劣勢を海上封鎖と人種を問わぬ徴兵制の採用と焦土作戦で南部連合を追い詰めて1865年に終結した。 戦争を俯瞰すると兵力、兵器、工業力、経済力の差といった面では(特に北軍が)先端の兵器を用いた近代戦であり、来るべき太平洋戦争の雛型でもあるといえる内戦でありました。

 叙事詩としては負けた南部では中世的な陽動、奇襲の作戦指揮をとったリー将軍は英雄であり、焦土作戦を指揮した北軍のシャーマン将軍への憎悪は強いようだ。 この辺りは思想や宗教を問わず、日本の零戦や山本五十六(元帥)神話との心情的な類似点が感じられる。

 さて勝利した合衆国のリンカーン大統領は1964年の大統領選挙で再選されており速やかな南部連合国と合衆国の再統一のため寛大な講和条件で対応するが1865年4月14日に暗殺され、対南部連邦の政策を引き継いだ後任のジョンソン大統領の時代に対南部強硬派が議会の大勢を占めて戦後復興の主導権を得ることになる。 実際の連邦軍の旧南部連合からの撤退は1877年であった。

 奴隷解放政策については1860年の共和党の結党政策で予備宣言として公表されている。 リンカーンが大統領としてかかわった奴隷解放政策は1862年9月と1863年1月の二度に渡って交付されている。 そして1865年1月31日に、議会で承認された「アメリカ合衆国憲法第13条修正条項」を各州に提出した。

  修正第13条に続き関連する修正第14条、修正第15条が成立し奴隷制に関する「リコンストラクション修正3法」が構成される。 これらの合衆国憲法が効力を発効するには各州議会の承認が必要であり最後に承認したのは20世紀末の1995年3月になった旧南部連合国のミシシッピ州でありました。

 リンカーンの行なえた具体的な政策は極めて恣意(意図的な)的な実行であり、例えば共和党の予備宣言では南部諸州が合衆国内に留まれば奴隷の開放は必要としないとか、合法的奴隷制度の廃止は南部連合国に対してであり合衆国(北軍側)に留まった奴隷州には適用されないとか、であり、妥協とも戦争の本質的目的達成の手段ともとれる。

 リンカーンが憲法修正を急いだのは戦後の揺り返しを恐れたのであろうが、それが暗殺に繋がったといえる。 暗殺計画は大統領、副大統領、国務長官の同時殺害による国家転覆であったが失敗した。 成功したらの if では北軍の中にも奴隷解放政策が明らかになるにつれて除隊するものもいれば建国の理想の実現の戦いとするものもいた。

 リンカーンが無事であったなら、は希望的な if になるのだろうが現実は暗殺者の意図はある程度成功する。 政権を継承した北部の共和党議会では南部連合の構想を北部主導の国家建設に変えて旧南部連合諸州の再建にはより過酷な条件を課す一方で奴隷解放を実行させた。 しかし旧南部連邦の諸州は州議会としての権限で黒人(厳密には有色人種)に対して習慣化した差別的な制度を維持していく。

 奴隷制度はどのようなものであったのか、は一概には言えない。 被強制労働者であり土地所有者の財産と定義されるが、その庇護はあった。 労働力であり病気の蔓延にならないように清潔さを保ち、それなりの食事も保障を担保する必要があった。 奴隷解放は現実の中で最低限の生きる保証を奪うことになる。

 解放された元奴隷はプランテーション(農園)に居場所を失うが仕事は農園にしかない。 名前が小作人に変わっただけである。 自由労働者になったら農園主は多少の給料を上げても宿泊費と食費で回収できる。 むしろ完全な自由あるいは放置された自由のほうが危険でもあった。 ほかに彼らを受け入れる土壌はないのだから。

 やがて、タバコから綿花と受け継がれてきたプランテーションも工業化と共に消滅し元奴隷は職を失い都会の失業者となる。 そしてKKKなどの匿名集団や公権力による警察権の行使という生存を否定する勢力の時代がつづく。 法律上では黒人の土地所有はまだ禁じられていた。

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リンカーン神話の翳

 「奴隷解放」はヨーロッパには「自由と平等」の戦いを想起させて外交カードとして有効に機能した。 緒戦より綿花の取引で南部の背後にいた英国も手を引き海上封鎖で外交、商取引の途絶で南部を孤立に導いた。

 では、ここからリンカーンのネイティブ・アメリカンの運命を振り返る。 1521年から1890年にかけて入植者とネイティブ・アメリカンとの戦闘地域を記した地図から抽出して次の年代に分けて表にしてみる。

 なお、1890年はスー族を中心とした最後の抵抗であったがウーンデッドニーで敗北し合衆国はフロンティアの消滅を宣言した年。 1521年はっきりしないが中米のアステカ帝国がスペインにより滅亡した年でもある。

ネイティブ・アメリカンの抵抗の記録(1521-1890)
年代 1521-1774 1775-1783 1784-1847 1848-1860 1861-1865 1866-1890
時代   独立戦争   ゴールドラッシュ 南北戦争 フロンティア消滅
年数 253 9 63 13 5 25
戦闘回数 21 4 17 19 18 18
回数/年 0.08 0.44 0.27 1.46 3.6 0.72
戦闘回数の補足 1675-76年
にかけて6回
  1811-13年にかけて6回 1855-56年
にかけて9回
リンカーンのレガシーとしての1866-68年
を加えれば
24回
4.8回/年
となる
1876-77年
にかけて8回
1876年 に
リトル
ビッグホーン
で第七騎兵隊が全滅

「時代」の区分は発生した「月」を勘案すべきではあるが「年」でくくった。
年数の長い区間では「戦闘密度の補足」で連続かつ集中していた回数を抽出した。
これらも入植者や騎兵隊による強制移住が遠因や原因であった。

 ネイティブ・アメリカンの受難はリンカーンが政界を志した時代であるゴールドラッシュから深刻化してくる。 大統領就任後は自由と平等の象徴として奴隷解放を掲げてはいるが支持勢力を含めて本質は共和国(合衆国)の統一と発展であり、ネイティブ・アメリカンはその障害でもあったようだ。

  リンカーンが暗殺を逃れていれば解放されたアフリカン・アメリカンとネイティブ・アメリカンの運命がどう変わったか、リンカーンが彼らに自由と平等を与えたか、与えられたか、の if は分からないがリンカーンは神話は歴史の中に埋もれていった。

 1500年には450万人ほどいた北米のネイティブ・アメリカンは1890年には50万人にたらなかったと記録から推定されている。

 その差の400万人は98回の戦闘による死者以上に、土地を追われ狩猟、農耕で得る食糧を奪われた餓死、居留地に押し込める狩り立て、脱走時などの虐殺もあれば、何よりも厳しい環境の中であっても生存できる生命の上限を満たすべく生まれてはこれなかった子供たちの数でもある。

 「哲学と人口」には程遠かったが、以上が正義の戦争の実態である。 しかし、これを白人もしくはキリスト教の所為とする日本人による左右の論調があるが人間の行為としては日本の神話にも埋もれ、歴史の中に隠れていることは確かである。

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 予告では「なぜ南部連合は独立を目指した」のかは北部連邦と同じく「奴隷制度」とは表裏の問題であった。 それは、産業革命のなかでインド綿花の移植栽培と紡績機械の考案が・・・と続くはずだったが本稿で飛び飛びに概説しており、中止して次回はアメリカの神話時代に行われたフランス革命に戻ります。

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 ネイティブ・アメリカンの抵抗が終焉してアメリカがフロンティアの消滅を宣言した1890年は【M +7、E 45、L 21、S 12 】で(+7)はマルクス死して7年目となる。

 年号【 】内は主要人物の数え年。 例えばマルクスの生年では、1818年【M 1、E -2、L -52、S -61 】
                                    没年では、1883年【M 66、E 64、L 14、S -5】

                  M : マルクス、E :エンゲルス、L : レーニン、S : スターリン。
                 (マルクスとエンゲルスは同年代、
レーニン、スターリンとは半世紀の年代差がある)

 こうして膨張し分裂したアメリカは再度統一されてマルクス主義の宿敵である自由主義を掲げた最強となる連邦共和制の合州国が誕生した。

 

2019年2月28日 (木)

キネマ航空CEO 「歴史と哲学と人口を考える」、「アメリカ Part1」資本主義の勃興の巻(Part 2)

 今回は「アメリカ」資本主義の勃興編「南北戦争」に跳ぶ。
 跳んでいる間に同様に自由主義の旗を掲げたフランス革命が起こるのだが、それは今回のあとに・・・、

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 現代への革命と呼べるのはアメリカの市民戦争いわゆる南北戦争(The Civil War 1861-1865)であり、資本主義の幕開けといえる。

 しかし、その前に、先回のアメリカ独立戦争(1775-1783)の終結であるパリ条約をチラ見しておく。

 1783年のパリ条約によりアメリカはミシシッピ川以東の東ルイジアナをイギリスより割譲、北緯49度線の南側と北側を交換し後のカナダとの国境線を確定。フロリダ半島は連合国であったスペインに返還され、1819年になってスペインから買収した

 なお、両戦間の1803年にはミシシッピ川西岸からロッキー山脈以東の西ルイジアナをフランスから買収。(試験には出ないと思うけど、この年は覚えておいてね。フランスも火の車だったのよ。 ついでにテキサス分離独立派とメキシコ共和国の間の戦闘の象徴とされるアラモの砦をめぐる戦い(1836年)もこの戦間であった。

 独立から62年後の1845年には現在のテキサスを併合、1846年には西海岸の北側のオレゴンを併合、1847年に米墨戦争戦争でメキシコより西海岸の南側を割譲させ、1953年にはメキシコの北側を買収して現在の米国本土が確定した。。

 ちなみに、アメリカ側で参戦したオランダイギリスとの海外植民地の覇権抗争の劣勢を挽回しようと1780年に参戦したのだが、同年にイギリスから宣戦布告されたアジア植民地をめぐる第四次英蘭戦争中にアメリカ独立戦争の戦勝国側になった。

 しかしイギリスとの講和条約は1819年となりお互いに占領した植民地はフランスの調停でオランダに戻されたり交換したりすることになるのだが、戦闘では本国沖の海戦に敗れたりと、オランダにとっては外交の思惑から外れた参戦であった。

また余談ながら、1819年は日本の海外への窓となっていたオランダの凋落が顕わになった年であった。 江戸では田沼意次の権勢が翳り、天明の大飢饉の時代であり、「剣客商売」の秋山小兵衛が活躍していた時代でもあった。 明治維新まで49年でありました。

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 アメリカの独立戦争につづくのは国土の拡張の時代でもあった。その意味では近世の思想を掲げた植民地の独立ではあったが中世の国家と同様の行動原理に則っている。

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 本来の南北戦争(The Civil War 1861-1865)にもどると、リンカーンが奴隷解放のために始めた人道上の戦争と思っている人がいるかも知れないが、それは後に廻して、

 大枠はアメリカ合衆国となった両大洋に挟まれた大陸の地形と風土と人口(いわゆる地政学とはちょっと違うようなゲオポリテックス)により産業形態が分かれた。言ってみればずっと後にもみられる南北問題でもあります。

 農業主体の南部が大農園奴隷経済(いわゆる『奴隷州』)であり産品の自由貿易が基盤

 工業化を進める北部は自由労働経済(いわゆる『自由州』)であるが遅れた工業国(地域)として保護貿易が必須

 と、依って立つ経済基盤の相違による内戦でありました。

 ちなみに南北戦争では南部は南部連合(南)軍とも呼ばれ独立戦争後に収得した地域に成立した連邦に属する州が主体であった。 いっぽうの北部は独立以来、その州制度を維持する政治の中心であり連邦(北)軍であった。

 独立戦争によりアメリカ合衆国(United States of America)を構成する連邦州(United States)から州単位で独立を宣言したしたアメリカ連合国(Confederate States of America 存在期間1861-1865)の「(南部)連合」軍から攻撃を受けた側は「合衆国(United States)」軍として応戦することになるが、本家を名乗るのもおこがましいと思ったのか、元祖で行こうと思ったのか合衆国の制度上の本質となる連邦共和制(Federal republic)から「連邦」軍と呼ぶ。

(またまた余談ながら)メロディは讃美歌からの使い回しだが北軍の行進曲として作詞されたリパブリック讃歌(The Battle Hymn of the Republic / 共和国戦闘讃歌)がある。 日本では「オタマジャクシはカエルの子・・・」や「権兵衛さんの赤ちゃんが風邪ひいた・・・」などの替歌で知られている。 

 戦端は1860年4月14日に南軍によって切られたが時の大統領 A・リンカーンは同19日には南部海岸線の海上封鎖を行い基本となる戦略を確立した。

 自由州は開戦当時にはまだ州制が引かれていなかった地域(ミシシッピ川の西、ロッキー山脈の東の合衆国政府が所有地する過疎地)を挟んで東岸となる大西洋から、1848年あたりに始まったゴールドラッシュによる一攫千金のカリフォルニア州や農牧中心のラスト・フロンティアとなるオレゴン州などの西岸となる太平洋まで広がり北軍側についていた。

 いっぽうの奴隷州(南軍)は東は海上を封鎖された大西洋(含むメキシコ湾)岸から西はテキサス州とメキシコとの国境線までであった。

 殆んどの戦闘は人口の多い東半分で行われたが、連合と連邦の南北間に挟まれた奴隷州であったミズーリ、ケンタッキー、ウェスト・バージニア、メリーランド、デラウェアの5州は戦争中は政治的には連邦内に留まった中立を掲げたが民意の一部は南部連合を支持していた。

 戦闘詳細には立ち入らないが、戦争前の1853年には日本にも現れた黒船(合衆国海軍)による海上封鎖と、何よりも綿花のような工業原材料となる輸出農産品による自由貿易では国家として独立できない産業形態によって何はともあれ南部(連合の文明)は『風と共に去』った。。

 かくして南北戦争の終結による余剰兵器が日本にも流れて特に小銃を持った歩兵戦で成立する明治元年まであと3年。 

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 南北戦争は1865年5月9日に書面上は終結したが歴史的記述とすれば戦闘は翌月の後半まで続いている。【M 47、E 45、L -7、S -14 】

 年号【 】内は主要人物の数え年。 例えばマルクスの生年では、1818年【M 1、E -2、L -52、S -59 】
M : マルクス、E :エンゲルス、L : レーニン、S : スターリン。(マルクスとエンゲルスは同年代、
レーニン、スターリンは半世紀の年代差がある)

 こうして膨張し分裂したアメリカは再度統一されてマルクス主義の宿敵である自由主義を掲げた最強となる連邦共和制の合州国が誕生した。

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 奴隷解放と差別の激化(次回につづく)

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 南部連合国の誕生の背景(次回につづく)

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2019年1月31日 (木)

キネマ航空CEO 「歴史と哲学と人口を考える」、「アメリカ Part1」自由主義の勃興の巻

 「資本論」の予言性を確かめるとなると「共産革命」を論じることと等価と思えるのだが、「革命」とは何か、が分からない。
 便利な言葉でテキトーに頭に「名詞」を付けたり、お尻に「的」を付けて形容詞にすれば何にでも使える。 ただし、「形容詞」を頭につけていたら情緒に流れていると思ったほうが良いようだ。 例えば「美しい」とか、「汚い」とか。

 歴史や思想や哲学で使われる「革命」はつぎのようにまとめられるように思える。

 ① 「同じ地域(国)の中で、同じ言語を話す集団の一部が、既存のヒエラルキーを破壊
   すること。  時として暴力を伴うことが多い」
 ② 「成功した革命は、革命行動に加わらなかった民衆を新体制に従属できた場合」
 ③ 「失敗した革命行動は反乱と呼ばれる」

 したがい、革命は思想や哲学の理念や理屈の外にいた民衆を、共感であれ、恐怖であれ、新体制に組み込むことができたかどうかで決まる。

 革命の理念や理屈に与しないで、さらには社会の中で反抗し、あるいはしなくても、混乱の中で殺されても、同じ地域や同じ言語集団に残るのか、あるいは逃げ出すのか、の選択を自分や家族に強いる社会現象でもある。

 現実は外国からの干渉や地域の歴史的な経緯など社会現象としては複雑なのだが ② となる場合は民衆の味方(Ally)、敵(Foe)、中立(Neutral)のモーメンタムもしくはベクトルの認識が重要となる。

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 人間の歴史を遡ると、現在、現代、近代、近世、中世、古代、神話時代と区分される。

 歴史を学ぶときに惑わされてはならないのは、『代』や『世』を民心の在り方と捉えれば世界が同時に時代を変えたことはない。 おそらく、これからもないだろう。

 その時代区分の中で、マルクスらの「資本論」の世界である共産革命は資本主義の、すなわち、現在の、「成れの果て」、として定義されている。(何しろ革命による共産国も鎖国的資本主義となっているのだからどちらに早く予言が現れるかでもあります)

 共産革命の幻想は世界で最初に近世から近代に変わった、アメリカの成立から始まることになる。
 ただし、メイフラワー号によるプリマス(1620)到着から始めるつもりはない。 それ以前にイギリスはバージニア(後の州、もちろん勝手に命名)に植民を始めており、メイフラワー号本来の目的地であった。

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 つまり、現代につづく近代の始まりはアメリカの独立戦争(1775‐1783)といえる。
 アメリカではこの戦争を独立革命あるいは革命戦争と呼ぶ。

 なぜ独立戦争を近代の幕開けとなるのか、は、現在につづく「人間の平等の権利」が国家としての独立宣言に盛り込まれ、近世の血統による王権の継承から離れた選挙による大統領制度が確立したことにある。

 さて、当時の独立派の拠点は北米大陸の東海岸にへばり付いていた、いずれは13本の線となる英植民地であった。 そして、のちに星となって加わる地域は欧州列強の植民地となって周囲を囲んでいた。

 フランス は、五大湖の一つオンタリオ湖から大西洋にそそぐセントローレンス川の流域、と、現在のミネソタ州を源流として30余の支流を集めてメキシコ湾にそそぐミシシッピ川の流域すなわち北米大陸の中部に勢力を伸ばしていた。
 スペイン は、ミシシッピ川河口のセントルイス以西のロッキー山脈の西側の南半分を制していた。
 ロシア は、アラスカから西海岸の北部にかけて進出をしていた。
 イギリス は、セントローレンス川の北側(現カナダ)とスペインから奪ったフロリダ半島を抑えていた。

 ここで上げた国名は現在と同じだが形態は帝国、王国であった。しかし、今ではイギリスと現代になってフランコ独裁後に復活したスペインを除き皇帝も国王もいない国となった。

--------------------------------------(2019.2.1以降に追記)

 ここで、本国と植民地の人口や職業構成比などを挿入したいのだが、確たる資料が見つかり次第追記することにして、なぜ圧倒的に少ない人口の植民地の独立が可能だったのか、を考えてみる。

 一つは英本国はヨーロッパの勢力図やアジアにおける植民地経営で補給線が手薄であったこと、さらにはそれに基づく新興の北米植民地に対する課税強化を行ったこと。 一つは独立側は自発的入植者や流刑者であったことから本国に対する忠誠心は薄かったこと、が上げられる。

 さらに、米国独立戦争時の国際情勢は植民地軍に有利な状況が上げられる。

 劣勢の植民地軍に対しフランスポーランドの義勇軍やプロイセンの義勇兵(将校)が参加し劣勢を挽回し、フランクリンの遊説によりフランスが対英参戦、続いてスペイン、アメリカ大陸にはあまり関係のないオランダも参戦。

 いっぽうではロシア(エカテリーナ2世)の主導によりプロイセンスウェーデンデンマークポルトガルの武装中立同盟の結成。 かくしてイギリスの周りは敵国と中立国で包囲され孤立した。これはアジア、アフリカ植民地の覇権抗争の一角でもあった。 

 軍事的に見ればイギリス側には植民地内の王党派、ドイツ諸侯公国からの傭兵部隊、皮肉なことに植民地の拡大を嫌う原住民(ネイティヴ・アメリカン)がいた。 英国政府はアメリカ大陸の分割売却をもくろみ植民地の西進を禁じていたが現地では無視されていた。 ついでながら、イギリス本国内でも野党は独立軍を支持していた。

-------------------------------------

 とにもかくにもアメリカは 1783年【M -35、E -33、L -87、S -94 】にパリ条約で独立を果たした。

 年号【 】内は主要人物の数え年。 例えばマルクスの生年では、1818年【M 1、E -2、L -52、S -59】
アルファベットは M : マルクス、E :エンゲルス、L : レーニン、S : スターリン。
(マルクスとエンゲルスは同年代、
レーニン、スターリンとは半世紀の年代差がある)

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 こうして「自由主義」を掲げた国家が誕生した。

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 次回は「アメリカ」資本主義の勃興編「南北戦争」に飛ぶ。 この間に同様に自由主義の旗を掲げた革命がフランスに起こるのだが、それはそのあとに、

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チラ見せ!!

 しかし、本来の現代の革命と呼べるのは南北戦争(The Civil War 1861-1865)であり、資本主義の幕開けといえる。

 その前に、・・・

 以下、追記予定です。

«キネマ航空CEO 「歴史と哲学と人口を考える」 の巻 (朦朧編)

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