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2011年4月12日 (火)

キネマ航空CEO 憂鬱の中で 自然保護について考える(7)

石原東京都知事がフライング発言で避難を浴びたが、時間を経れば信条の左右を問わずおおむね正しいと思っていることであろう。つまりようやくにして戦後の終わりにつながるという意味でです。

社会も政治も人が行なうものなので提起する側と反対する側にいやおうなく分かれて対立する。

世の中を動かすのはなにも学産官政ばかりでなはく選挙に投票した人、しなかった人を含めた、つまるところ知性と痴性が作用した治世のバランスである。その結果を時の政治家が責任を取るのが民主政治である。

弁証法では「テーゼ」と「アンチ・テーゼ」の対立で「ジンテーゼ」にいたるのであるが、政治では「バカな利口」と「リコウな馬鹿」が社会を相手に「言葉」で、時には「金」で、「騙しあい」の取引をすることであるらしいが結果オーライのシステムでもある。

本来なら「バカな利口」と「リコウな馬鹿」がそのたびごとに入れ替わり、立場が変わって互いに成長すればいいのだが、
「バカな利口」が踏ん張りすぎてやっと「リコウな馬鹿」に変わったら「バカな利口」になる前に「バカなバカ」だった。「イヤン!バ菅ン(by 木久翁)」。

そして、「選挙で取り替えて、シテヤッタリと、思った国民も、『一杯食った』、という、おっはっなっし、よーっ」(by Aki Yoshimura from Kinema Airlines flight 005)です。

これが戦後の第一世代が社会からフェードアウトして行く時代を象徴する戦後政党政治が行なわれたリジームの終焉についての独断的な総括である。

「利口なバカ」の一つに自然保護団体がある。

CEOは一時期、趣味として運営されていたグループに加わり、詳細は省くが組織の運営について戦後の第二世代と言える人たちとの葛藤に、一度目は積極的に参加したり、二度目の個人的な確執をうまく使った監視活動の会(正式名称は控える)と称する組織の介入には消極的に傍観したり、したことがある。

CEOはといえば二度目のかなり以前からその趣味の集いにもあまり参加することもなくなっており、二度目の騒動の後に自然に退会となった。

今のCEOとしては当時から変わらず趣味の会として明るく楽しく営々と指導と運営を続けておられる残った方々にお会いすると内心忸怩たるものがあるのも事実である。

さて、今回の東日本大津波地震において自然保護団体は何を主張し始めるのか期待を込めて注視している。

ある村では「ここより先に家をたてるな」と自然の力に対する畏敬の碑を残した先人がいる。
自然保護団体はこの碑をどう考えるのだろう。

復興ビジョンが必要な今こそ自然保護団体は「被害者の方々の傷口に塩を塗りこむ」覚悟の発言が必要な時期ではないか?

・今回の津波の到達地点までを干潟と葦原に戻す。- 部分的な私有権の利用方法に関わる。
・内陸に新市街地の建設による自然破壊を認める。- 人間が生存するための自然の改造を進める。
・二酸化炭素排出物の交換取引から脱退するする。- 国際連帯より自国民の生き残りをはかる。

ことであるがはたしてどの自然保護団体が言い出すのであろうか、口を噤んだままなのであろうか。

戦後第二世代の自然保護団体の積極的参加者はNGOと称してどう政治にかかわるかを模索していたはずである。いまこそ戦後第二世代の人が実践と歴史で学んだはずの声をあげて欲しい。

一般に今に残る自然や景観の多くは富者の道楽か権力者のわがままで開発され、また保護されていた。

多くの放置されていた自然は神聖な場所として手を入れることができなかったが明治維新以後の技術で開拓されてその富を得た先駆者のほんの一部がその富を自然に帰すことを実行したが多くの富は分散され、戦後はさらに拡散して富と自然との関係が一気に崩れたのは戦争に生き残った人間や戦後第一世代に属する世代のもつ責任でもあろう。ここでアメリカの農地解放が、などといっても始まらない。

第一世代の多くは大会社の経営者であろうと悪徳政治家として得た富であろうと下々の羨望の的であろうが昔に比べれば自然に対して名を残すには微々たる資産である。ましてや下々の浄財でまかなう乱立したNGOの資金で会の運営以外にできることは限られている。イベントで元気なNGOは行政から環境教育助成として渡される資金が豊富なのかも知れないので期待はできない。

日本で考えられるのは戦後第二世代としての成功した起業家達が個人資産として立派に使うこともできる薄い唯一の層を構成している。

孫正義氏はポンと100億円を主にお客様としての人を対象に義捐金として寄付したそうである。

義捐金ではなく「私は日本人である。日本人として被災浸水した土地を買い占めて自然に返して自然保護地区として日本国家にお譲りする」ともいえたはずである。

三木谷氏や堀江氏や渡辺氏は今こそ「なぜ私が儲けた金をこう使ってはいけないの」といって丘陵地に新しくて古い自然と共存する街の建設資金に寄付するとを言わせる活動ができるのも自然保護団体である。

戦後の第一世代は親と共に真剣に働きいろいろな物品や思想を取り入れることを喜びとしていた。しかしこれらのものや思想は戦後第二世代にとっては生まれたときから回りにあった。

戦後第二世代は何が必要で何がいらないのかを考えて戦後第三世代に何を託すかを考える時期を示す大津波でもある。

戦後がまったくなくなった分けではない。戦後は第二世代に引き継がれているのである。

核兵器はともかく原子力発電を同列に考えていいのかを含めて。

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