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2015年3月 7日 (土)

『心情リベラルの戦争論を考える』 (「そもそも」論の巻)

(承前)「そもそも論」でいえば『戦争』は『人類』が現れ、集団を形成したことからはじまった。

『戦争』の芽となる抗争は、同種同族の動物のなかで個体同士が『生存』、すなわち食料と生殖、をかける目的があった。人類の『戦争』は同種同族の集団間の抗争といえる。

もちろん人類が集団を形成する目的も『生存』につきる。

さて、その集団は、生存のための食として採集か狩猟、すなわち植物性または動物性の食料に分化していく。

黎明期にはふたつは混合していたと考えられるし、採集に近い漁労も加わる場合もあったであろう。そして地勢がその集団の将来の形態を決めたと考えられる。

採集を主とした集団は定着し自然に手を加えて農耕をはじめ、狩猟を主とした集団は家畜の餌を自然に求めて回遊する遊牧を採用した。

食糧自給の安定とともにそれぞれの集団が拡大して民族となる。

最初に発展を遂げたのは農耕民族だと考えられる。地勢を変えて治水や開墾、耕作を行う農耕の労力を管理して食料を増産するという点では原始共産制とも呼べない階級をともなった包括的な統治と呼べる管理を行なう集団になったと考えられる。

いっぽう遊牧民族はというと、定着する農耕民族の集団性より、移動中にいつ遭遇するか分からない脅威や状況変化に対応できる分散した機動力を独立して行使できる集団の集合体であったと考えられる。

つまりふたつの集団は起源を同じくしていても集団の性格は大きく異なっていると考えられる。映画『シェーン “shane ”』(1953)は先に定着した牧畜業と後から進出した農業の抗争であった。ちょっと強引だけどね。別に牧畜業は乱暴な集団という意味ではない。その前に先住民族を追い出したという話はまたあとで。

こうした集団の拡大は隣の集団と接触し、境界線を作り国家の形態を作り出した。その境界線も交渉より抗争のほうが多かったはずである。境界線が定まっても拡大を試みる争いは続く。

集団の盛衰を左右するのは生産力を持つ土地そのものである。

特に農耕民族にとっては新地を開拓するより既存の農地を抗争で奪うほうが効率的であり、勝者側の人的損耗も生き残った敗者を労働力、繁殖力に使うことで勝者の生産力の拡大がはかれる。戦乱が収束した江戸時代でいえば扶養家族を含めても人口の10%足らずの管理職で250年にわたって社会を運営できていた。

ちなみに漁労をおこなう集団は独自の文明への発展には限界があり地勢によっては農耕集団の中に組み込まれていったと考えられる。(後述予定)

前近代国家を形成する戦争形態が「文明」の黎明期にはすでに成立していたと考えられる。

さあ、戦争だ!・・・

でも、その前に、以降に出てくる『 』内に入れた用語は学問的な定義とは異なることを宣言して・・・ついには、『文明の衝突』が始まるゾ!・・・

さて、戦争を行う条件はすでに整っているが、戦争を起こすのは『人間』である。

人間』が『人間』であることは、『』、『』、『』、を獲得し、『』、『』、『』、をテキトーに使い分け、ごちゃ混ぜにする能力をもった生命体であることにつきる。(つづく)

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