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2015年3月11日 (水)

『心情リベラルの戦争論を考える』 (『知』の巻)

(承前)まず『』から始めよう。基本的には、経験、伝承、教育などで得られるいわゆる知識の集合体であり、言葉、文字を得たことで集団を越えた知恵となる。

では、もっと根源的な『』の始まりはないのかというと・・・

映画『2001年宇宙の旅 ( 2001:a space odyssey ) 』(1968)では人類ではなく猿人の水場争いから始まっている。

ふとしたはずみに(モノリスに唆されて?触れてしまい)白骨化した動物の大腿骨を握った一頭の猿人が水場に近づいた他の集団の猿人を一撃のもとに殴り殺し、狂ったように残っていた骨格を粉砕し、高く投げ上げた大腿骨が宇宙ステーションに向かう今は無き PANAM の宇宙往還船となって、画面が数億年前から2001年に転換する場面がある。

いずれにせよ人間が道具を持ったのである。

』の与えた最大の功罪は物づくりである。おそらく生産性の向上や開墾のための道具の工夫を始めたのは農耕民族である。もちろん遊牧民族も馬具などの道具を工夫したであろう。

ちなみに人類最悪の工夫は中国でなされた発明と言われる火薬である。

武器の始まりは手足と歯であったが歯は刃となり手で扱われて殺傷力を増し、やがて弓と矢となり遠距離を競う。ついには火薬を使い、重く破壊力のある砲弾をさらに遠くへ飛ばし、つぎには砲弾自体に火薬が仕込まれ爆裂弾となり破壊範囲を広げる。

爆(裂)弾は飛行機によって運ばれ、飛行機は航空母艦により海洋に、多く、遠く、広く、展開される。また空中給油により飛行機自体が行動半径を広げ、潜水艦が水温の変化層に隠れ忍び寄る。

さらには、火薬を爆発させるのではなく燃焼をさせることで物体を飛ばすことができるロケットの開発がある。今にいたると燃焼する火薬に相当する物質の成分も異なってきており、扱うにも金がかかり大がかりな設備や組織が必要となってくる。

それに見合って、先端の爆発する火薬もさらに広範囲に破壊力のある核兵器となる。しかし、航空機によって行われた二度の使用からか相互不使用という奇妙な安定が生じている

日本の、広島の、長崎の理不尽な死は、歴史においては戦争の形態に大きな重しとして残されている。(後記へ)

(核保有国からすれば現在は『』の流動性でその安定がくずされようとしている。一面では弱小国の核兵器開発、テロ組織による入手、にもチキン・レースのうまみはあると言える

』は兵器の開発にだけ使われたのかというとそんなことはない。ただ本稿は一応、戦争論だからね。

』は「知恵」となって紛争や抗争を避ける手段にもなる。たとえば苦し紛れであっても「八方美人」、いや「嘘も方便」とか「ユーモア」とか・・・

ただし前者は、どこかでばれるだろうし、後者は相手が同じ知識レベルにないと通じないし逆効果もある。どちらも潤滑油どころか摩擦材か研磨剤になる。

つまりは『』を使うための万人に通じるルールとなる『』を、『』が自ら作り出すことになる。

(つづく)

-------------------後記------------------

クーンのパラダイム(科学的発展による社会的な断続的な変化の間の安定した期間)の変換とも言えそうである。しかし、古いパラダイムは続いている。

ゲルニカ(1937)、重慶(1939-1941)、ロンドン他(1940-1941、1944)、東京他(1944-1945)、ドレスデン他の戦略爆撃(1939-1945)、ハノイ他(1964-1973)など軍事施設に近接した市街地もしくはを人口密集地狙って行った通常の炸裂弾、焼夷弾による金のかかる無差別(無区別?)公算爆撃は戦争経営を圧迫する。

まず、ばら撒く爆弾の数、それを運ぶ大型の爆撃機とその数、数に見合った訓練や作戦に使う燃料 etc. etc。まず大型の爆撃機は数をそろえることが無理となる。

抑止兵器となる核弾頭付 ICBMにしても管理やメインテナンスに加えて継時変化に伴う更新を考えれば政府や議会の頭痛の種になる。

けっきょく、コストパフォーマンスから小型機(戦闘機や無人機)で運べる破壊力を減少した通常弾頭を付けた精密誘導爆撃となって科学によるコラテラル・ダメージ(予測される損害もしくは付帯する損害いわば許容できる非戦闘員への損害)のコントロールによる狙撃戦が継続される。

ただ、戦争の終結は陸軍による面の確保がなければ決着がつくことはない。つまり『』の下で行われる軍政による秩序の再構築が必要になります。

海空戦で決着したと思われているフォークランド紛(または戦)争(英国は War ではなく Conflict と呼ぶ)においても陸軍による面の制圧後に終戦となっています。もとは自国の管轄下の諸島だったので軍政を敷くまでもなかった。
(日本が竹島に手を出せない理由、中国が尖閣諸島を棚上げにした理由、また岩礁を人工島に変える理由、が理解できる)

現在の米国には占領軍政の基礎となる財政の負担能力も相手に受け入れられる『』もない。この点では、少なくとも占領下の日本人には『』による自制はあったようだ。

なお、これ以降の米国の戦争はことごとく失敗している。ある意味では日本は米国に「世界の警察(もちろん実質は軍隊)」という甘い夢(成功体験)を見させてしまったようだ。日本人も罪なことをしてしまったのかもしれない。

-----------------(閑話休題 2015/03/11記)--------------------

「科学(『』)の発展によって生ずる」パラダイムの変換といえば、来日しているドイツのメルケル首相は「科学的発展が見込めない」ことで原子力エネルギーを集中させる発電方式の中止というパラダイムの変換をおこなったようだ。

ここで我らが安倍首相を引っ張り出すのもなんだが、日本人の責任で行う原子力発電所の再稼働はともかく、海外への輸出のセールスをはかるとはね。『』の理解力が違うようだ。

福島の事例は明らかに日本の国土を減少させたことは明白である。その代り西ノ島に新しい領土はできている、とはいってもいつ住めるようになるのやら。

大体が日本の設備技術は、日本人にしかない細密さ、こだわりの管理、勤勉な国民性、などがセットになって宣伝、喧伝されている。

設置先の国土を実質的に減らすかもしれない設備を輸出して、その管理を日本人以外にまかせてダイジョーブなの?かもしれないの想像力は必要。中国が攻めてくるかもしれないとかね。軽重の判断はしてるんだろうけど・・・)

いや福島の事例は未曽有の天変地異が施設の想定外の状態で生じたものであり、輸出では想定を変えるし、(中東の原発なんて格好の標的になりそうだけど)現地での未曽有は現地の責任だからダイジョーブなのだろう。
(ところで原子力災害って保険の引き受け手なんてあるのかしらん?もちろん輸出先が掛けるんだろうけど)

ラジオアクティビティ・セールスマンよりトランジスタラジオ・セールスマンのほうがよっぽど罪がない。(といってもトランジスタは産業のコメと同時に兵器のコメでもある。ま、日本の専売ではなくなったけど)

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