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2015年5月31日 (日)

『心情リベラルの戦争論を考える』 とりあえずの最終回の最終回、の巻

(巻末に概要と感想をまとめたのは連載中に読んだり再読した本とDVDです。参考になっているかどうか、気が向けばお手に取ってください。

(承前)
文明』の根幹は、

Mbius_loop

西洋の『』による『
東洋の『』による『

といえる。

それを支えるのが『知・情・理』や『真・善・美』となる。えっ?! 西洋には『』が二つあるの?? と問われれば「イエス」である。

一つは『』による『』、もう一つは『』による『』である。そのせめぎあいが「西洋哲学」となる。

前者の『』に相当する日本の『』はあくまで人間の『』で左右される。『』は(6世紀に渡来した)仏教に由来するのだが(自称したのかは不明だが)倭国に古来固有の神道による『』と巧妙に結びついたといえる。

』で客観的「不善」が許されることもあり、『』で「不徳」も許されることが歴史では散見できる。

』の『』は、『』による「理屈」、すなわち『』による「(ことわり)」である。明治維新により西洋の『』が公けに拡がり日本人の『』に混乱が始まった。

はからずも『』と『』による戦争も、『』と『』による戦争も国民にとっては変わりがない。東西両洋に共通する原理があるようだ。

さて、不思議なことに

戦争論では、『文明』を繰り広げてきた「人間」が生来持っているあるいは継承してきた本質を取り扱うことはほとんどないようだ。

エス』、「S」ではなくて『Es』で哲学や心理学の用語で、もとは「非人称」を示すドイツ語の冠詞。「中性」ではない。このため「非人称」のない英語ではラテン語からの「イドId)」が使われる。哲学がドイツで進化するのは言葉が関係する。
ついでに日本では、「エス」はレズビアンまたはサディズム。警察小説などに出てくるとスパイ。庁内S、なんてつかわれる(閑話休題)

Es』は「Es denkt 非人称の考え(考えさせるのは人間ではない=無意識 )」と定義されていたが「本能的な感情や欲求、さらに衝動」をさすようになる。 「無意識的な逃避」は除くというややこしい定義があるがここではおいておく。
Es』の概念の提起者は18世紀後半に現在のドイツに生きたG.C リヒテンベルグだが冠詞を名詞として独立させたのは別人。拡張し広めたのはニーチェやフロイトなど-日本ではあまり受け入れられない人たち。

ニーチェやフロイトは置いといて、動物に潜在する本能で動物からひきついだ本能というと「性衝動、飢え・渇き、睡眠」の三つと考えられる。前二者は攻撃性を発生させるが後者は無防備に誘い込む。

哲学や心理学では性衝動を「リビドー」として扱うようだ。いっぽう残りの二つは学問的に深くは扱われないようだ。ただ、この三つの本能は戦場においても日常の生活の延長として抱えている。

つぎに戦争の様相の変化を上げてみる。

戦争の起源は主に耕作面積を支配下におき労働力を確保して食料を安定化することであった。現代の戦争では陸軍が行う占領と軍政により占領国の影響を確保した民生移管となって残っている。(植民地もこれに入るが民生移管にはずいぶんの時間と血が流れた)

戦争の起源は農耕が農業に替わったあたりから拡大していったと考えられる。

遊牧民はというと当面の獲物(動物ばかりではないが)を追求する現場判断の機動力を重視する集団で破竹の進撃をおこないゲルマン民族大移動のもととなった。しかし、この4世紀に中央アジアから出たフン族は国家形成はできず早々と分裂したが思想としてヨーロッパの農業国に大きな影響をのこした。

フン族が出現した中央アジアの西(ようするに中国の北)にあった遊牧国家モンゴル帝国から13世紀初に南進した元は滅ぼした農業国家である宋の官僚による行政組織を温存し14世紀半ばまで続いた。 その祖であるモンゴル帝国は中央アジアや東ヨーロッパに、加えて中東とトルコの一部を版図に加えたが13世紀後半には早々と分裂して成立した部族、王族単位の領土が長く続いた。

要約すれば農業を行えない地域では文明はとどまったままである。言いかえれば文明は遊牧から牧畜へ変わるのではなく遊牧+農耕で牧畜に変遷するのである。(新解さんの定義は正しい)

文明の発展により戦争の性格を大きく変えた第一次世界大戦の後に起こった大規模な軍隊で行う戦争の終結は連合国によるドイツの分割統治とほぼアメリカ一国による日本の占領がおこなわれた。占領をおこなうには被占領地に行政組織という『文化』が有効に機能していないと実行できない。

アメリカはこれ以降に関与した戦争で成功した例はない。しかし、小規模の占領ならばロシアのウクライナさらに中国が外縁で行う少数民族弾圧や環礁埋立による実行支配のなかにその芽が見え隠れしている。

さて話を引き戻すと近接して類似した概念を持つ国家間では貯えた物質的な価値(国家財産だけど税金)の賠償金の獲得で勝敗を定めて(いわゆるマウンティングです)終結させる暗黙のルールが成立した。(この基本的なルールが第一次大戦でくずれてしまいます。その結果マウンティングに替わる『』による戦争指導者の裁判が行われることになります。見方をかえれば、なまじ『』であるために報復裁判にもなります)

さて、その物質的な価値もやったりとったり、じゃ変わり映えしないので海外の未知の価値を探すことになる。簡単にいえば植民地の占有と物産の収奪という「文明の衝突」の局面を見せ始める。

前者は原住民との戦争(聖による虐殺も多々あった)。後者は輸送路の確保すなわち船による戦闘であり工学の成果で戦う『』と『』の文化の優劣に『』をつぎ込む競争となった。』といっても戦争は止めましょう、ではなく、いかに相手を出し抜くか、ですけどね。

が、大規模な破壊をともなった後の占領では費用対効果の問題がある。占領に付随する勝利したことによる費用が戦争終結時までの費用に追加され戦勝国の国民の税負担となる。(第一次大戦では敗者が自らの復興資金を負担し、加えて戦勝国に賠償金まで支払うルールが継続された。もちろん敗れた国民の税金で。これが第二次大戦の原因とされている)

覇権国の国力の維持は軍事力のプレゼンスでバランスされるが、軍事力を行使すれば国力を削ることをベトナムとアフガニスタンで証明した。結局のところ富の収奪をおこなう戦争の目的は経済システムのなかの活動のほうが効果がでることになった。

その覇権国の軍事力行使後のプレゼンスの撤収のなかで新戦力の台頭が生ずることになる。ベトナム戦は中国の南シナ海進出、アフガニスタンではソ連撤収後の混乱にアメリカの物量をともなった介入を招いた。

その結果、どのような集団あるいは個人であれカネを確保すればモノとヒトを自由に調達できる世界規模の経済と情報のシステムを活用できる時代となった。武器弾薬など兵器の『』の成果や食料の兵站は表裏両面の経済を通して移動し、『』の拡散が『』となり状況をさらに複雑にしている。

IS (いわゆるイスラム国)が面積を押さえて国と名乗れるのはこれまでのような戦争が行えないなかで航空機など使わないで小規模戦闘の多発状態をつくりだしている。これには地政学的に定住が前提の(航空機などの現代兵器はこれにあたる)農耕文化ではなく小集団の機動を有効に働かせる遊牧文化が背景にある。

これにより現在の(格差の大きい)「文明の衝突」といえる戦争では思想の排除が目的となり、象徴される場所で行う無差別テロとそれを実行させていると見做される指導者の暗殺の応酬となりつつある。

戦争は『』や『』で開始し継続できる。そして終わらせるのも『』や『』である。その前に開始させないための『』や『』の使い方が問われるが、西洋では『』による戦争ひいては社会の矛盾が具体化する21世紀となる。もちろん日本の『』による戦争も問われることになる・・・が安倍首相にどれだけの平時の、そして戦時の『』があるのかは定かではない。
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・憲兵(1955)/黒い声(1955) 宮崎清隆 東京ライフ社 軍隊内の警察というより外地防諜組織の最前線での記録。三島由紀夫氏激賞。
脚色はあると著者あとがきに記しているが冒険小説としても第一級。占領下の婦女暴行、略奪など軍政の当事者である兵による民間人にたいする犯罪や捕虜の虐殺もでてくる。前者は今の平時の日本にもある。(それより外国はもっと酷い)したがい日本の戦争とは関係ないと言われそうな気も。
・HAL伝説 コンピュータの夢と現実(1997 原著1997) デイヴィット・G・ストーク編/日暮雅道・監訳 早川書房 キューブリックの映画「2001年宇宙の旅(1968)」に出てくるコンピュータ(人工知能) HAL9000 に具わった機能と本書執筆時点の技術水準とこれからの予測が描かれている。いまやチェスなどのゲームでは人間を凌いでいるのだが・・・
人間の知と理は、加えて情は何かと問うことでは脳科学や心理学の解説本より面白い。
・海上護衛戦 大井篤 (1953 日本出版協同/ 他) タンカーを除く船舶による物資(物動貨物移動量)が昭和16年度初の550万トンから20年8月の50万トンにまで漸減する過程の通史(図・表も多い)。数社で復刊がリレーされているが標記の版は写真も豊富。航空機や、中でも潜水艦による輸送船や油槽船に対する兵站消耗戦の本質がまとめられている。 
大西洋でも同様の戦いが行われたが船団護衛には専用に開発されたフリゲート(艦)が使われた。我がほうは現在の遠洋漁船に毛の生えたような海防艦が主であった。
・マクロ経営学から見た太平洋戦争(2005) 森本忠夫 PHP新書 先に「魔性の歴史(1985)文芸春秋」として初出。その副題で新書化。経営学らしく数字は出てくるのだが縦書き漢数字のうえ、表や図はほとんどなくて通史として読むにはきつい。それが理由でもあるまいが感情的表現が多い。
リベラルとコンサバティブでは評価が大きく異なるであろう。だが戦争指導層は筆者の感情と同じ強さの感情で戦争に勝てると考えていたと思って読めばどうだろう。
・臨時軍事費特別会計(2013) 鈴木晟 講談社 大東亜戦争を経営するために国会はどう機能したか、を検証している。簡単にいえば国会で予算案を通さなければ継続できなかった、のだが。 
戦争を継続するには経済成長が必須だけど、現実では増税しかない。ところが今日の日本人は源泉徴収で納税拒否は江戸時代の農民並みに不可能であり、働かなくても消費税で縛られている。一揆も起こせそうにないので、夢想できる戦争拒否は野党は候補者を立てず選挙民は棄権を実行しインターネットで民主主義の限界を世界に公表する手段がある。しかしインターネットのインフラ自体は細いネック(首)を持っており中国や北朝鮮を参考に防諜を理由に絞めたり切り落としたりで遮断できる法制の整備は簡単にやられそうだ。共産党は審議拒否と棄権はしないそうなので与党と共産党で戦争を始められるかもね。
・ドイツ参謀本部(2002)渡辺昇一 祥伝社 戦争を準備し継続させ終結させるのは現場ではなく密室である参謀本部である。プロイセン国王を皇帝に戴くドイツ第二帝国を支えた参謀本部の盛衰通史。 
著者はバリバリのコンサバティブの論客。読むなら標記の祥伝社版がおすすめ。秦郁彦氏の書評に対する抗議が収録されている。インテリの喧嘩(いや論争)の仕方を学べる。いっぽうで著者は大西巨人氏に対し優生学の延長線と思われる糾弾の随筆を公表(1980)している。
・神聖喜劇 全五巻(1978-1980) 大西巨人 光文社 同社文庫版あり。著者が応召した対馬重砲連隊における教育期間を通して、軍隊は社会の延長であり縮図であることを微に入り細をうがち描いている。 
前述の渡辺氏の随筆はこの著作が気に入らなかったのだろう。 軍隊組織は無法地帯ではなく法律もしくは規則で運営されており、主人公(著者の分身)は超人的な記憶力と明晰な弁舌で、その中で生じる不条理に抵抗するのだがその不条理は兵営外に共通する。全五巻八部を読み通すのは苦痛だが安倍首相は読まないだろうし経験することもない世界の重さが残る。漫画版(幻冬舎)やシナリオ版(太田出版)もある。キューブリックの「フルメタル・ジャケット(1987) 原作本あり」の前半と比較してみるのもいいかもしれない。どちらの作品も反戦ものと割り切れなく感じるのがリベラルとコンサバの中間かもしれない。
・●1.真珠湾の裏切り(1991 原著1991)J・ジャスブリッジャー/E・ネイブ 大倉雄之助 訳 文芸春秋 ●2.消えたヤルタ密約緊急電(2012)岡部 伸 新潮選書 ●3.ドキュメンタリー・ドラマ第二次世界大戦 ヤルタ体制の道(1981) 遠藤晴久 亜紀書房 中国での局地戦を国際政治力学に格上げした世界大戦の太平洋戦線は、1941年末の真珠港攻撃からはじまりクリミア半島のヤルタ(国はウクライナだが、2015年現在、事実上はロシアの一部)で行われた連合国会談で決着する。
1.は極東にあったイギリスの暗号解読班により日本の行動は確認されていたがチャーチルの対米工作(すなわち情報秘匿)で始まり、2.ではヤルタ会談で行われた連合国の対日戦後処理の会議内容が在スウェーデン(中立国)の陸軍武官により日本本国に打電されたのだが情報伝達の過程で揉み消された。3.はこの間の公開資料をドラマの台本仕立てにした。いずれにもミッシングリングがあるようだ。さびしくも笑えるのは1.の引用で相手は知っていたのだから奇襲ではない。日本は謀略に巻き込まれたのだ、という主旨(趣のほうか?)の本もある。どちらにしても敵の罠に飛び込むのもいかがなものか(結果責任なんてないらしい)。インテリジェンスのうちシギント(通信分析)の分野とヒューミント(人間を仲介とするいわゆるスパイ活動)の成果の活用の成功と失敗。いや失敗と失敗か。
・●1.現代日本のリベラリズム(1996 講談社) ●2.日本の宿命(2013 新潮新書) 佐伯啓思 これらの二作は、3月18日の本文でとりあげた同じ著者の「西洋近代を問い直す (2014)」の原本である「人間は進歩してきたのか-『西洋近代』再考(2003)PHP新書」 をはさんで刊行されている。 その意味で読む必要がある。『』と『』の限界を考察されているがその代りとなりえる『』と『』の歴史の表裏の考察が待たれる。コンサバティブの論客としてはもっとも信頼できるお一人だが『』にとどまっておられるのが歯がゆい。
・東芝の祖 からくり義衛門 日本の発明王 田中久重 伝(2014)林 洋海 現代書館 幕末に活躍した佐賀藩の町家の発明家たちの物語。時代は隣りの久留米藩で武士に列せられ兵器のコピーと増産が求められる。そのための西洋への接近も藩内の攘夷派による後継者父子の暗殺となる。 
あまり描かれない幕末史として、京都での勤皇佐幕の政争は町家の自治を破壊し押し込み強盗や婦女暴行は頻発していたことも寸描されている。その多くは勤皇派で明治政府で活躍したり切り捨てられたりの下級武士と推定できる。その対策が新撰組。考えてみれば100年そこそこ前まで首を落とすことなど普通に行われていたことを思い出す機会にもなった。日本刀で首を落とされるのは残虐な行為ではなく名誉であるとかね。
・●1.暗号の天才(1981) R・W・クラーク 新庄哲夫訳 新潮選書 ●2.掟 ブレイキング・ザ・コード(2000 アイ・ヴィー・シー) 平時においても情報戦は行われる。前者は外交・軍事の通信傍受に必要な暗号解読の天才W・フリードマンの一生。日本軍部が絶対に破れないと過信していた暗号(パープル)を解読して見せた。ドイツのエニグマにも関係していたが本書では言及されていないA・チューリングを描いたのが後者のDVD。かれは連合国の兵站線となる船団攻撃をおこなうUボートと本国の通信に使われるエニグマの海軍版の解読機を完成させた。コンピュータの基本原理を考案したことでも知られる。
日本にはこうした人たちはいたのかいなかったのか、いまだに闇の中である。暗号の基本構成自体は民族の思考回路でその性格が決まるようなので公けにしたくないのかもしれない。現在の暗号といえども基本は単純でコンピュータにより手順を複雑にしただけのようだ。
・囚人のジレンマ フォン・ノイマンとゲームの理論 (1995 原著1993) ウィリアム・パウンドストーン 松浦俊輔 他 訳 青土社 J・フォン・ノイマンの伝記とゲームの理論の通史。ノイマンは数学者と呼ばれるが広範な物理、経済、心理、政治に影響をあたえる理論工学者だった。原爆の開発に関与し冷戦下の核政策の立案者のひとりであり、ノイマン型と呼ばれる現在のコンピュータの考案者でもある。ゲームの理論は決してギャンブルで勝てるための理屈ではない。あるテーマの解決する過程のなかで考えられる対立と協調と傍観を数学モデルとして扱う理論。主に経済学の分野を扱う手法とされる。
簡単にいえば狩猟民族でなければ考え出せないような日本人がもっとも苦手とする分野である、と思える。相反する項目を立ててその組み合わせの中で最も有利な、あるいは合理的な解を導く手法。応用するとかならず成功するとは限らない。つまりは情報次第といえる。まず状況を適切に分析した項目の立て方とそれらの組み合わせの適切な結果予測と出現確立の推定である。最優先する組合せが外れた場合に順次生じる可能性に対する同様の分析から修正する戦術と戦略の選択(冷戦下の核政策など)に使われた(たしかに経済が絡んでいるわ!)。運用から見ると、とくに戦術レベルでは狩猟民族型の、後(あと)のある「選択と集中」(臨機応変)に対して、日本では農耕民族型の後(あと)のない「集中の選択」(石の上にも三年)から抜け出せない、というと言いすぎか???

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