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2016年6月28日 (火)

キネマ航空CEO コレオプテール の環形翼に萌えるの巻

 まずお詫びから、

 コレオプテールの構想を立てたオーストリア人のヘルムート・ルードヴィッヒ・フォン・ツボロウスキー博士をはじめ環形翼については不明な点が多々あります。何かの知見が得られれば、追記していきます。          キネマ航空CEO

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 当CEOは、ターボ・ファン・ジェットのファン・ダクトの考察を進めているのだけど、フランスの VTOL (垂直離着陸)機、スネクマ C450 コレオプテールSNECMA C450 Coléoptère )が頭から離れません。

C450_coloptre ご覧の通りの環形翼を採用したテール・シッターであります。

 軍用機を意図していたとは思えないがトラクターで牽引されるトレーラー上のキャリアに搭載されて起き上がり自由に展開できるなかなかの優れものでした・・・見た目はね。

 VTOL としては、唯一の実用機であったハリヤーと同様にジェットの熱風でアスファルトが解けたり、コンクリートの中の気泡が膨張して吹き飛んだり、などの問題は解決しなきゃならない。

 おまけに前線への展開では重い(吹き飛ばない)鉄板を敷くなどで塵、枯れ草、小石などの吸い込みを防ぐ支援が必須になる。

 気になるのは環形翼の機能です。 ジェットの噴気孔は環形翼の内側に隠れており、ジェットポンプと呼ばれる噴流効果で環形翼内に空気流が作れます。ダイソンのクーラーの原理と同じですが、どれほどの推力効果があるのかは分かりません。

 それは、さておき・・・同じ翼型が輪になっているなら垂直に上昇しているときは矢羽根の効果で安定性が増すのだろうが・・・水平飛行に移行したらどうなるんだろう ?

 翼として揚力を出すなら上半分(一応、水平飛行時の機体の上下関係はコックピットで決まっている)は外側に凸のキャンバがつき、下半分には内側凸のキャンバを付けるのだろうな。

 左右はキャンバのない対象翼型となっており、円環の上下のキャンバが滑らかに変化してつながっているんだろうなー。それに環形翼と胴体を繋ぐ支柱は中で三角翼になってつながっているのかもなー。

 待てよ ! どちらにしても VTO(垂直離陸) の時は両方の翼の揚力で背面宙返りにならないか ? ここは 外から見える 十字尾翼が自動制御されていて・・・と夜も寝られません。

 ちなみにパイロット・シートは計器盤もろ共 55 度前へ回転して VTO 、特に VL(垂直着陸) 時に、パイロットは首を横にひねりながらうつむくように傾けて斜め後ろ下方に地上を見る着座姿勢になるようにしていました。確かに楽になります。やってみてね。

 で、これで成功したのか、と言えば、していません。しかし事前のテストは慎重に進めたんですよ。

 環形翼は無し、たぶんバネと油圧の緩衝機と車輪付きの四本の主脚の上に直立したスネクマ アター ターボ・ジェット・エンジンのまんまテストベッドとした C400P1 から、P2 と進み、天っ辺に射出座席付きという P 2 ではガントリー・クレーンの先端から下げた安全ロープを外した自由飛行で VTO 後の水平移動(水平飛行ではありません)と VL に成功し、機首をコレオプテールにした P 3 を作りプロトタイプへ向けた確認を続けました。

 機体の安定制御には分流された圧縮空気を吹き出すノズルで行ったようだ。下の P 2 の写真では左右の各1本しか見えないけどロールとヨーを受け持ち、ピッチの制御は環形翼に隠れた可変角度のジェット・ノズルで行っていたらしい。このあたりで何となく怪しげな構造に思えてくるのだが・・・

 P 3 は、機首やコックピット周りのモックアップと同時に VL 時のジェット・ブラストによる地上反射風がエンジンに与える影響を確認するため仰向けのままにセットされた台車を後退させ壁に近づきながらエンジン制御方法の確認をするなどの実験に使われました。結局下の写真のようにほとんど寝たきりで過ごしたようです。

 実際に反射風(酸素のない高温の排気)を吸い込む可能性は高い。ハリヤーではゆっくり前進しながらの下降を採用している(た)。

 空力的には環形翼の影響の方が大きいと思えるがこちらのテストはプロトタイプでやったのでしょう。むしろビヤ樽のような環形翼にあたる自然風の影響のほうが大きそうですがね。

C400p1_2_3

 右より C400P1 、P2 、P3P3 は実験のため背面状態でセットされています。

 これらのミュール機の呼び名は「アター・ボラン (空飛ぶ アター)」ですって。機体じゃなくエンジンが飛ぶという、いまとなっては何となくシニカルな命名っぽいですね。でもアターの名を継ぐエンジンは、ダッソー ミラージュや同 エタンダール系の国産ジェット戦闘機に採用されており、成功したといえます。アターの語源は後でね。
 (ミュールは「驢馬」のこと、機能確認に供するのみで プロトタイプ 「駿馬」ではありません)

 なぜ、こんな機体をフランスが作ったのかと言えば、元のアイデアはドイツ第三帝国時代にハインケル社などのスケッチ画に残された構想にありました。

 フランスが開発を始めた当時はもちろん第二次大戦後でしたので、ドイツの主だったジェット、ロケット、航空工学の技術者はソビエトには強制連行で、アメリカやイギリスからは多少の自由を保障して優秀な人材(ロケット工学者の W .フォン・ブラウン博士や異端の空力学者、三角翼のA.リピッシュ博士ら)を釣り上げられており、西ドイツでは人材が払底していたようです。

 そこでヨーロッパ(生国のオーストリア)に留まっていたフォン・ツボロウスキー博士(ロケットの開発に関わっていたエンジニア)はジェット・エンジンを組み合わせた環形翼の構想を立てて西ドイツ政府とフランス政府に持ち込みました。

 一応の戦勝国だったフランスは仇敵のドイツとの相乗りではありましたがここは懐の深いところを見せて・・・と開発に踏み切ったのではなかろうか・・・1955 年のことでした。当時はテール・シッターの VTOL 機の開発計画が特にアメリカで咲き乱れていました。

 売り込んだかたちの西ドイツや乗ったフランスがどの程度この構想に確実性あるいは革新性を見ていたのか定かではありませんが コレオプテール (初飛行は 1959.5.5 または 6)の 7 (または 9 )回目の飛行で発生した事故(1959.7.25)の後に 両国政府はあっさり計画を撤回、残骸はスクラップにしています。

 主開発社となっていたスネクマは両国政府に(開発費目当てで)継続を希望したようでした。ちなみに、スネクマは戦後にノーム・エ・ロームが国有化されて再編されたエンジン・メーカーでした。

 で・・・、本当に開発費目当てだけだったのか、が今回の主題になっちゃいます。

 新生スネクマの源流すなわちアター・ジェットの最初の一滴は、軸流式の BMW 003 でした。開発者のヘルマン・エストリッヒ博士は 1945 年 2 月に、のちにソビエトの管轄となる地域に入ったアメリカ軍に確保されて多くの技術資料はプラット・アンド・ホイットニーの技術者に渡りました。

 BMW 003 と言えば工場を押さえたソビエトに現物や図面それに設備は鹵獲され、捕虜となった技術者と共にソビエトに持ち去られてコピー生産され、リバース・エンジニアリングで共産圏のジェット・エンジン技術の源流の一つとなり中国へも流れていきます。また、現物を運ぶ潜水艦が撃沈され、寄港地から空輸されていた図面や写真が日本のネ-20 のヒントになったことでも知られます。

 その後、エストリッヒ博士はドイツでの尋問を経てイギリスのブリストル・エンジンに移され、アメリカのターボプロップ・エンジンの設計に加わっていましたがアメリカ政府の要請によるアメリカ移住では家族の同行が許されませんでした。

 エストリッヒは 1945 年 9 月に、秘密裏に接触してきていたフランス政府のオファーを受けてドイツで(希望したミュンヘンではなくフランスの占領地だったリッケンバッハに)BMW出身者を含む技術者チームを編成してアター 101 の原設計を完成させました。

 ちなみにアターAtar)の語源は、アトリエ・テクニーク・アエロノーティック・ド・リッケンバッハ (Atelier technique aéronautique de Rickenbach ) の頭文字です。リッケンバッハ航空技術工房 かな。

 フランスは戦利品である技術をめぐる米英ソの熾烈な囲い込み工作に割り込めました。

 1946年4月には関係した技術者全員とその家族に対する保障とフランス国籍取得の可能性を含んだ契約延長を行い、その成果は技術者と共にスネクマに移されました。

 スネクマクレオプテールにこだわったのは、ドイツで実績を積んだ二人のエンジン技術者の出自が背景にあるのかもしれません。

 これに国家、特にフランス側の思惑が加わって、生まれたばかりのアター・エンジン本体の開発にそれなりの成果を残したのですが環形翼機自体は時代に咲いたあだ花(西ドイツに対する当て馬、あるいは米英に対する目くらましの偽装)だったのかもしれません。

 当時の西ドイツには、実験航空機を自主製作できる力はありませんでした。コレオプテールやそのミュール機の機体設計製造はフランスのノール・アヴィアシオンが担当しました。

 しかし、通例である機体メーカーが開発の主契約者にはならなかった。本当の理由は不明ですが上記の理由が妥当と考えられます。

 フランスにはかつて両手の指に余る航空機メーカーが生まれては統合を繰り返していました。

 その中に南東方(シュド・エスト)、南西方(シュド・ウエスト)、北方(ノール)と名付けた航空機メーカーが存在しておりノールは名門の一つです。いずれも航空創生期に名が残るブランドを集約してきた国営企業です。

 南東、南西が再統合でシュド(南方)・アヴィアシオンとなり「東」と「西」が消えて「南」はやっと単独名称となって、ノール(北方)・アヴィアシオンと並びました。1957年ですのでコレオプテールの開発着手はこれより前です。

 南北は再び統合します。しかし、セントル(中央)・アヴィアシオンにはならずアエロ・スパシャル(スーパー航空)となりました。1970年でした。さらに統合が繰り返されますが、いまではグループ・ダッソーの一つです。

 いっぽう、エンジンのスネクマは企業の吸収や合併を続け、現在では政府が株式の 30%を持つコングロマリットのサフラン・グループの中で航空機用途に限らずジェット・エンジンやロケット・エンジン、航空機の降着装置などを担当する中核企業ですが、ここで歴史閑話は休題。

 計画を持ち込んだフォン・ツボロウスキー博士がノール・アヴィアシオンで機体設計にどこまで関わっていたのか、はよくわかりません。

 もともとはフィーゼラー Fi 103V-1)やメッサーシュミット Me 163 コメット などのロケット技術者のようで、ラムジェットの構想の中で生まれた環形翼を組み合わせるアイデアを提供しただけなのかもしれません。

 いずれにしても、コレオプテールが水平飛行への転換できたのか、も定かではありません。一説では水平飛行に成功して、さらに姿勢を変えてホバーリングからの下降中に機体の搖動が始まり墜落したとなっています。

 結果的にはかろうじて水平方向に射出されて脱出したパイロットの大けがで終わったことで良し、と言える機体のようです。

 フランスでなくても、いつか誰かがやってみようと思うような形態のコレオプテールは甲虫(こうちゅう)の意。でもカブト(甲)ムシ(虫)には似ていない。形からは銀灰色のカナブンかな。カナブンはしっかり飛べてたんだけど。

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 これがなぜターボ・ファンに関係するのかは、既にお分かりの通り、当CEOにはターボ・ファン・ジェットのダクトはまさしくこの環形翼の問題にもかかわっているように思えるからです。

 ちなみに環形翼ではありませんが、サンダーバード 1 号(いうまでもなく架空)はコレオプテールの発展型と言えなくもないかなー。

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