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2017年9月30日 (土)

キネマ航空CEO 「『心情リベラルの終焉』の時代」について考える

山里の篤学の士のブログに、主題の映画批評から続けて、いまの世相を多少の諦観をにじませ次のように喝破している。

「民進党も社会党と同じ運命になりそうだが、要するに自民党が二つできたということだ。
小池さんらの『白紙の手紙』にどんな設計図を描けられるか、そこに日本の未来がかかっている。」

当CEO もそう思う。「心情リベラルの終焉」である。

国を擬人化したあとの「世相の気分」はある期間を経れば刷新されなければ「世相の気分」が作る国の歴史は停滞し、あるいは暴走する。

そこで選挙による「二大政党による政権の交代」という民主主義の大(か、どうかは分らぬが)前提が必要とされる。つまりは政権が代わっても大きく変わらぬ社会的構造があるという原則で成立している。
 小さく変わることを期待するリベラルもコンサバも大勢いるということだ。しかし変わった方向でほとんど変わらないと思う側もあればいっぽう大きく変わりすぎたと思う側もある。人間の知や理を越えて情は面倒である。

そして、日本国憲法下で始まった自由主義陣営の生活物資に支えられながらの戦後生活は苦しいがその中ではぐくまれた自由は心情リベラルの平等思想となり、音楽や小説、新聞や雑誌の論調や評論を通して順に北朝鮮、中国、ソビエト、キューバへと反対の陣営に理想卿を求める。

その中での日本で実現した二大政党は一つの政党の中にある二大派閥が担当していた。大政翼賛の時代よりは良いのだろうが当時の心情リベラルが支えていると信じていた野党は決して二大政党の一方を務めていたわけではない。

簡単に言えば一党二派閥の政党に軍備再構築を制限(憲法9条戦争放棄)し産業再生(異論はあろうが憲法13条幸福の追求)に予算執行を集中させる結果を求める表裏一体の自称野党に過ぎなかった。

つまり内閣首班を送れなかった政権党内派閥が真の野党であった。(言うまでもなく自由民主党は自由党と日本民主党の保守合同です。一党二系内の集団が離合集散しながら二大派閥を形成する時代でした―純正リベラルからはこの要約に大いに異論はあるでしょうが)

本来なら時代の変遷を心情リベラルが託した海外の理想郷の軍事備蓄と産業の変遷の考察で併記概観すべきだが別の機会に譲る。

時代は移り日本の国力の向上と先行していた自由陣営諸国の衰退に合わせて一党二派閥の中で分裂が起こり、離党した保守政治家を取り込んだ自称野党間の連々(「々」がいくつあるのかわからぬ)連立内閣や幾度かの保革連立ののち自民党・公明党との連立が始まる。

ちなみに公明党は内閣首班になるつもりがない。かつての自民党派閥のような連立内野党を演じる意図はない。連立相手の自民党にとっては意外と使い勝手の良い集票政党でありますね。

この混乱の時代に心情リベラルは時代の変化を予感したがさしたる成果もないまま途中で投げ出される時代であった。

続いて二回目の自称野党の連(々々・・・?)立政権は外交の継続破棄の模索や国民の不安を増幅させる近隣外交を実行しながら旧憲法の陸軍顔負けの閣内不一致を行い自称野党に戻る閣僚が出たりと政権の態をなさなくなる。

成果と言えば、税金は上げられる、ことを示したことぐらいだろう。

この辺りが心情リベラルの限界だったのかもしれない。つまり日本にできる二大政党は幻想に過ぎなかった。

さすがに三度目ともなると基本となる所属条件の線引きと排除を始める。男にできなかった女の力である。

これが篤学の士の憂うるいずれは自民党の党内派閥となって溶解するのか、二大政党の野党となって(使い勝手が良いままかどうかは分らぬが)公明党との連立を図れるまでに成長するか、の時代の幕開けの分岐点ができる選挙ともいえる。

そうなった後の旧心情リベラルの憂鬱が始まる、いや続く。要は反対党ではなく影の内閣としての野党としてのチェック機能の有無である。

1.官僚のコントロールができるのか?(その前に党員の品格のほう・・・かもしれないが)
  官僚は議員の手足ではなく忖度の指示に持てる頭脳を最大限に発揮してくれる顔のない組織となっている。
  米国のロールモデルは官僚のトップとなる閣僚制は首班となる大統領を含め議員内閣ではない。上級官僚も準じて入れ替える。英国は議員内閣制を採用している。上級官僚は民間からの公募制や随時の人事異動などが採用されている。
  どちらも日本の官僚制とは違うが癒着などそれなりの弊害はあるようだ。
  その前に困ったことに両国とも二大政党そのものがあやしくなりつつある。

2.国民として最悪の事態である交戦状態に至るまでの外交能力があるのか?
  現在でも宣戦布告はできないが自衛戦争は認められるという憲法解釈は認められていると考えられる。宣戦布告を受ける以前の段階での回避能力はあるのか。
  それ以上に紛争停止の仲介能力はあるのか。こればかりは国力より官僚より政治家の人的資質である。
  言葉に含みもない、また実行力もない「イエス・オア・ノー」の安倍首相の国連総会の演説は加盟国それぞれの外交の本音に日本国はどう伝わったのだろう。某大統領のレプリカか?それでも国内に向けて強固な同盟関係の見せかけのアピールか?
  先を見ていくとサッチャー首相がロールモデルの小池首相(仮)は抑止力になるのかフォローワーになるのか。サッチャー首相が紛争で相手にしたのは戦線を拡大する力も同盟国を引っ張り込む力も外交的に抑え込める国だった。

3.停戦を行える能力はあるのか?
  侵略を宣言して宣戦布告をしてくる国はない。しかし戦争放棄(交戦能力のない)国に戦闘状態を仕掛ける国がないとは言えない。
  始めた戦闘状態を『単独で』終結させることが可能なのか。
  近代日本の戦争では仲介国を介しての戦勝による終戦や勝ち馬に乗る参戦という成功体験で始まったが、現代戦では立憲君主制議会が開始した戦争は内閣による終結工作においては仲介国を誤って事態を悪化させ天皇の存在で終戦という敗戦を迎えられた。
  今後の戦争では勝っても負けてもこの終戦のスキームはあり得ない。
  端的に言えば集団安全保障が発動されても集団安全保障国は国連ではない。緒戦でお茶を濁して「いち抜けた ! に抜けた !! さん、よん抜けた!!」と前面に立たされることもある。極東の紛争を脅威と感じない国は多い。193ヵ国193票で構成される国連に戦争調停力(法的拘束力)はない(世界のというより加盟国政府に期待する民意や道徳の指標に過ぎない)ことははっきりしている。そして分断状態の戦勝倶楽部の常任理事国が一致した場合においておや、である。

 4.そもそも日本に二大政党制が根付くのか?
  米国では共和党と民主党、カソリック、プロテスタントという宗教の規律基盤が根底にある。英国の保守党と労働党、根本は身分制度に基づくと考えられるが英国国協会の影響下にあると言える。ただし小政党は多く発生しており連立に加わる勢力も出てきている。

  現在の日本はというと無宗教、多宗教乱立の信教の二股三股は自由の時代とは言え、・・・

  自民党の神道、公明党の仏教という神仏合従内閣であり宗教としては江戸時代分権というより、・・・(一応の分権により大政奉還という政治儀式が可能だった)

  神主仏従というポスト江戸時代である明治時代を経てレトロ・アヴァンの昭和時代の幕開けにならなければいい時代、・・・

  明治維新の帰結である敗戦維新をやり過ごし大正モダンもどきを謳歌したアプレ昭和を通り過ぎて再びレトロ昭和に回帰するかもしれないポスト昭和平成時代であり、・・・

  まだ元号の決まらぬネオもしくはノヴァ昭和の始まりかもしれない分岐点でもあります。

モダン/ポスト/レトロ/アヴァン・アプレゲールを省略。つまり戦前・戦後)/ネオ/ノヴァ・・・当CEO の世代には懐かしい響きの単語です。多様な解釈ができますがご自由に・・・

  この東洋思想の輪廻もどきの流れは壊滅的な人的被災を政治的にはすべてを天災にしてしまう大正の関東大震災から始まる、昭和の空襲に原爆、平成の阪神淡路大震災、東日本大震災と福島第一メルト・ダウンなどを抱合しながら進んでいる。

  その(輪廻)もどきに表出する事象の本質は明らかに変質している。歴史は単純に繰り返すのではない。

そして一方で取り巻く環境では、心情リベラルが存在できる自由主義は独裁主義、加えて恐怖主義の挑発を超えた挑戦を受けている。少なくとも心情リベラルの根底にあった国はなくなっていることは間違いないであろう。

独裁主義が自由主義を生んだのだが、自由主義にいるリベラルから現在を見れば、日本では純正(標準的)リベラルから、外国では先鋭リベラルからだろうが、豊かな自由主義が貧富の差の大きい独裁主義や恐怖主義を作った、と言えなくはないだろう。

しかし、普遍的な科学工学の力で独裁主義や恐怖主義の存在は様変わりしているともいえる。

また、そもそも論でいえば二大政党が成立している国は少ないことも知っておく必要がある。これはまた別の機会に。

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