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2018年12月 9日 (日)

キネマ航空CEO 「渡辺京二氏の(勝手に命名)ミステリー三部作を解説する」 の巻(解決編)

キネマ航空CEO 「渡辺京二氏の(勝手に命名)ミステリー三部作を解説する」 の巻(挑戦編) 2018.12.07

を読んでからの「解決編」のココロだー!

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Photo_2③ さらば政治よ 旅の仲間へ 晶文社 2016.6

 内容は①、②の執筆や刊行の時期に週刊誌や新聞などに掲載された記事やコラムである。

 その中に渡辺京二氏の反マルクス主義のバックボーンとして、1956年(第二次世界大戦終結から11年目)にハンガリーの自立を目指す蜂起に対するソビエト連邦が反革命として大量の戦車と歩兵を投入し鎮圧したハンガリー動乱が契機だったとしている一文がある。

 以下当CEO の余談。 ハンガリーはオーストリア・ハンガリー帝国という歴史上の経緯もあり日独伊の枢軸国側にいたが、国境を接するソビエトの進攻を回避するため連合国側との停戦を図ったがナチス・ドイツ軍に占領されてソビエトとの戦闘を行った。 しかし敗北し、そのまま共産圏の周辺国家に組み込まれた。

 いっぽう第三共和国の一翼であったオーストリアはベルリン陥落後に巧妙な政治外交運営でソビエトの影響を排除して自由主義陣営に組み入れられた。

 いろいろな見方はあるがハンガリーはオーストリアのような自由主義国家への離脱を試みたようだ。 これをソビエトは反革命として進攻したのだが日本国内のリベラル思想にも大きな影響を与えた。 ある意味では日本のコミュニズム、リベラリズム、ナショナリズムの、またそれぞれのイズムの中での、左右の乖離が拡大する契機となったともいえる事件。

 渡辺京二氏は特に日本の共産主義の思想上の浅薄さに気がついたのだろう。氏はこれに対抗できる思想として、日本あるいは東洋の思想ではなくポラン二ーの著書から展開する。

 カール・ポランニー(1886 - 1964)オーストリア・ハンガリー帝国(ウィーン生まれ)、出自はハンガリー系のユダヤ人、カナダで死去。 イギリスやアメリカの大学で教鞭をとるがアカデミズムとは距離を置いていた。 「経済人類学」の創始者として知られる。(ようだ)

 ポランニーの説については②に概要、③の最終章に渡辺京二氏自身が行った大学での講義のテキストが掲載されている。

 恥ずかしながら当CEO はポランニーの著作を読んだことはない。 以下は当CEO が勝手に渡辺京二氏の講義録を解釈して展開するミステリー三部作の解決編であります。

 したがい、誤解、曲解があれば、すべて当CEO の責任であります。

 ポランニーは「近世の絶対主義国家が形成する重商主義市場」と「近代の自由主義国家の形態である資本主義市場」の違い、を「労働力」と「土地」の経済的取引の自由度の度合とみる。

 この説で②ひいては①を顧みると日本は豪農(庄屋、名主)が所有し差配する農民付き土地で成立しており商人の台頭による一次産物の移動で成立する鎖国重商主義といえる国家形態のもとでの大衆のモラルであった。

 近世と呼ばれるこの当時の欧州の重商主義市場は植民地の支配を伴っていたが資本の移動はなく物品の収奪による移送であった。

 資本主義と自由主義の萌芽は歴史的にはさらに遡れるが前者は18世紀半ばのイギリスで蒸気機関の活用から始まった産業革命、後者は広範囲に広がる社会、経済にかかわる古典的自由主義として同時期に普遍化した。

 ちなみに近世から近代への社会的、経済的な大転換とされるフランス革命は18世紀末の1789年からの10年間とされている。 また1848年のパリ2月革命ではいわゆるプロレタリアート革命と称されるが実質は都市労働者と開放農民の抗争でもあった。 政治体制としては失敗に終わっている。 マルクスらの共産党宣言が出されたのもこの年である。

 共産党宣言が最も高揚したのは1871年のパリ・コミューンの時代と思われる。普仏戦争の敗北の中で始まった初めての(資本主義というより自由主義の精神的な)プロレタリアート独裁による自治国家の模索の時代が、国際情勢と国家としてのフランスの中で生じる組織の内紛と国家内体制の覇権抗争で多くの血を流し、流され、て潰(つい)える。(当CEO は大仏次郎の「パリ燃ゆ」の抜粋を読んだだけですが)  

 19世紀に入り資本主義は中世のしがらみがないアメリカで奴隷労働力による国内の一次産業から二次、三次産業へ、さらには金融資本主義へと国内外の市場経済に拡大変容して行き、付随並行するもういっぽうの自由主義の変容は20世紀半ばで日本ではリベラリズムと名を変える。

 部外者には分別も難しい共産主義と社会主義も概念の起源は古いが直接の系譜はフランス革命の申し子であり19世紀半ばのマルクスとエンゲルスの「共産党宣言」による共産主義が資本主義、自由主義の対抗軸となる。

 ちなみにマルクスの学者としての業績は「資本論」であるが1867年の第一巻、1885年第二巻 1894年の第三巻からなる。 ただし二巻以降はマルクスの死(1883享年64)後に草稿をエンゲルスらによって編集されて刊行された。 共産主義革命への考察は第三巻にある。(以上当CEO の余談)

 さて19世紀半ば、世界が近世から近代へと潮目が変わる時空(とき)に日本は政治のイノベーション(維新)を行った。

 この明治維新で農地に縛られた「労働力」の取引自由化が行われた。 解放された労働力は近代の二次産業と軍事力に向かい出遅れた植民地重商主義国家を目指すことになる。

 その結果として先行する自由主義の申し子である列強資本主義と対立し昭和の敗戦となる。

 そしてとどめの転換点として、この敗戦により、米国が主導する占領軍総司令部(GHQ)はポランニーを意識したのかどうか、小作人付農地を庄屋・名主から解放し「土地」の取引自由化が行われた。

 渡辺京二氏の言う「平和と安息の世界」となる二つの基盤がここで途絶えて「逝きし世の面影」を懐かしむのみとなった。

 すなわち①の世界の再現などない、・・・と。

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 渡辺京二氏は狷介不屈なリアリストでありニヒリストのようであります。

  ニヒリズムというと虚無主義として日本や西洋では反社会的なイメージ(日本では現人神としての天皇への不敬、特にカソリックではキリストへの侮辱)が強いが、ニーチェの目指す本質は生き方の規範として消極的(なりゆき任せに)に生きるか、積極的(主体性をもって)に生きるか、のどちらのニヒリズムを選ぶかの問題であります。

 その根底にある虚無とは宗教の束縛から離れた(日本人には輪廻転生でなじみ易そうな)永劫回帰(であるがそれとは違うような)のもとで創造的に生きることで超人(「悟りを開く」のかいな)を目指す前提であります。(と、まとめた当CEO 自身は「ツァラトストラ(超人)がかく語った」のを聴いても良く分からないのではありますが・・・映画「2001年宇宙の旅(2001: a space odyssey)1968」で暗闇だった画面に映像が始まり太陽、月、地球が直列、つまり皆既日食のシーンに流れるアレであります)

 渡部京二氏の宗教観はさておき、水俣病公害に積極的にかかわり、厚生省への座り込みを行い、教条主義に傾く運動から離れ、気難しそうな石牟礼道子氏の活動を最後までサポートしている。

 考えようによってはいずれもニヒリストだからできるといえます。 これがモラリストだと八方美人となって途中で投げ出すか、何もできなくなるか、原理主義者(ファンダメンタリスト)となって周りを見なくなるか、になってしまいそうだ。

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 渡辺京二氏の著作①②③をピックアップし三部作のミステリー仕立てにして解説してみた。 氏の書物の構成は主旨や読み解きのヒント(ミステリーで言えば伏線)は前書きや後書きに現われている。 つまり章立ての内容は氏の思考の過程あるいは読者や学生への文書の読み取り力の知的教育テキストとして読む文章であります。

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 特に③は①②に比べて読む人は少ないようだがミステリー三部作のレジュメは③の前書きにある。 大所高所の歴史がどうの、哲学がどうの、ではなく変遷する時代という歴史の中で個人としてどう生きるか、の指針であり、三部作はビルドゥングス・ミステリーと読めます。

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 とは言え、まだミステリーは残るなー by キネマ航空CEO

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コメント

 読書の秋の貴重な時間を渡辺京二の著作に没頭しておられたCEOの知的活力に大いに讃歌を送りたいと思います。渡辺氏の理想は東欧革命で挫折し苦渋の環境を経たとき、江戸庶民の軽やかな「面影」の発見は一縷の希望の復活だったに違いありません。そしてそれは、従来の階級闘争史観を打ち破る原動力にもなったんですね。 オイラも「カムイ伝」を愛読していたのでよけい、氏の地平を切り開いた孤立と勇気に共感を覚えます。パワハラ体験だらけだったオイラはその孤塁の辛さが伝わってきます。
 CEOの指摘する通り、江戸庶民の現実は渡辺氏の一面的な桃源郷世界ではないのも事実です。しかし同時に、現代の人間が喪ってしまったトトロのいう「忘れ物」がそこに存在していたのも事実だと思います。問題は氏の提起した「面影」から我々は何を受けとめるべきかですね。人間は歴史は今も昔も「そんなもんだ」で終わらないことが大切だと思っています。

『「そんなもんだ」で終わらないこと』ご指摘の通りだと当CEOも同意いたします。

人間はいろんな意味で変わらないが取り巻く枠組は変わる。
枠組のなかで個人は変わる。積極的に変わることもできる。

まだ歴史になっていない枠組みの中で個人はどう生きるか。変わる枠組に個人はどうかかわるか、かかわれるか。時代への警鐘ですね。

ご指摘はまた、同じ枠組みや歴史の中にある対立する事実を(武兵衛さんや当CEO 個人の中で)どう並列させるか、のテーマですね。またいつかディスカッションしたいですね。

さて、当CEOのように馬齢を重ねると漢語で「半覚半睡」、大和言葉では「夢か現【うつつ】か」の境地に近づけるように思えます。

大和言葉のほうでは「・・・幻【まぼろし】か」と続くのですが、かつては日本人の教養を支えた漢語ではどう続くのか。禅の修行などする気はない当CEOではありますが。

ボーッと生きてん(by チコちゃん@NHK)のも悪くはない、と思える歳でもあります。いまボーッと幻の中の「拾遺編」を書こうとしています。

本業がますますおろそかになりそうです。

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