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2018年12月の4件の記事

2018年12月29日 (土)

キネマ航空CEO 「歴史と哲学と人口を考える」 の巻 (朦朧編)

 (妄想編)では「哲学や歴史は未来を予言するか、できるか」を考えるために、外れた予言としてマルクスの「資本論」を槍玉に挙げた・・・とは言いながら明治5年の戸籍を中心に前後の調査結果から身分別と職業別の人口を確認したところで終わった。 
  出典 「近世日本の人口構造」 関山直太朗 1958 吉川弘文館

 明治2年から3年にかけて行われた身分別の人口を含む藩籍調査は旧藩の組織を通して行われた。 その2年後の明治5年に新政府が行った戸籍法による人口調査と比較してもある程度の正確度で実施されていたようだ。

 明治政府は旧藩の組織を極めて従順に、もしくはシステム的に、活用できていたと考えられる。(薩長土肥の行政督励官が派遣されていただろうけど)

 明治維新は革命(レボリューション)というより、乗っ取り(テイクオーバー)と名称変更(リネーム)をしたともいえる。 そしてそのあとに仏教をスクラップ、そして、神道をビルドするイノベーションを行ない新しい起業文化(スターティング・ビジネス・アイデンティティ)を加えたと言えそうだ。

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 さて明治維新は200万人の支配層に3,000万人の被支配層の平民が従うことで成立したといえる。 もちろん支配層の人数には家族が含まれるが実質的な指導層であることには変わりはない。

 のちに平民とされた身分でも積極的にかかわった人々もいる。 しかし、先ほどの実質的な数に大差はない前提が成立すると考える。

 その支配層の中でも大政奉還後の錦の御旗に対して味方(Ally)、敵(Foe)、内実は複雑であろうが中立(Neutral)の大略三つの立場の選択を強いられる。

 旧勢力(Foe)の掃討には具体的な戦闘行動を伴う。 その軍隊に対応する立場の選択には藩の思想(空気ないし雰囲気)や経済に加えて地政学的な要因で藩主と側近となる家老などの決断が下されて、あるいは放置されて、のちの平民となる農民、町人の運命は決まったと思われる。

 藩の行動の制約は一応は武士の数で決まる。 ちなみに下表は同じ出典の明治3年の各藩の身分別人口比率を算出し各々の最低と最高の比率を比較したものである。

明治3年藩政録の身分比較(%)
身分   最低    最高        
武士(華士族、卒) 3.92 26.54
百姓(農民) 52.42 89.55
町人(商・工) 2.55 23.40
神官 僧侶 0.75 2.47
エタ・非人 0.05 3.02

 数値を縦に足しても100%にはならない。 各藩の数値の最高と最低を拾ってを並べただけである。  さて、・・・

 ① 武士階級が3.92%の藩はどこだろう-薩長土肥に抵抗しで多くの戦死者を出した藩なのだろうか。
 ② 逆に農民が54.42%の藩はどこだろう・・・町人や武士が多い藩となるが江戸や大阪の幕府直轄地は入っていない統計だからなー。
 ③ 農民が89.55%の藩となると①の裏返しなのか、それともかなりの貧乏藩でユートピアには違いないのだろうが明治維新は渡りに船とも言えそうだ。 あるいは数値をテキトーに作成して、せめてもの抵抗をしたのか・・・(歴史はこんなデータの解読から始まるんだろうな)

 想像できるのは幕府の止(とど)めを刺したのは武士階級の比率より絶対数が多い藩であることは間違いないであろう。

 特に薩摩藩の例では多くは(外城)農地に展開している郷士と呼ばれる層の存在と思われる。

 長州藩では薩摩藩ほどの層の厚さはなかったが下士官クラスを兼ねて農民組織を兵として統率指揮できるクラスの下級武士がいたと思われる。 加えて農村医だった村田蔵六(大村益次郎)という軍事の逸材を抱えていた。

(当CEO の余談)
 では幕府はというと、お膝元に御家人と呼ばれる下級武士はいたが職制は旗本(騎兵)の配下(歩兵)にすぎない。 時代劇で描かれるお江戸は八百八町の治安を預かる八丁堀の与力(旗本)と配下の同心(御家人)で知られる組織形態でありました。 奉行所の出役には与力は騎乗だが同心は徒歩(かち)早駆けであります。

 人数上は1722年(享保7)の資料では5,205人の旗本1人に(17,399人の)御家人が2-3人の割合であって、御家人株の売買は公然化されており、組織上でも討幕軍に対抗するための兵となる旗本知行地の農民や市中の町人の組織化や指揮統率ができるような社会構造ではなかったと考えられる。 むしろ、天領や関東以北の豪農の中から佐幕派の浪士が生まれている。 上野戦争における彰義隊の兵力は4,000名とあり町人、博徒、侠客が加わったようだが正確な人数や役割は歴史から消えている。(余談終り)

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 上で述べた疑問は佐幕派討伐軍の東征北伐ルートにあった藩ごとの記録の中の人口の動向と藩の記録や農民・町民(未来の平民)が残した記録をたどって五稜郭までの庶民史を描く研究があってもよさそうだがマスメディアに取り上げられることはなさそうだ。

 当CEO の幕末や明治初頭史の知識は、史実かどうかの疑問を含めて歴史書に名を遺した人物が活躍する映画やTV などを窓口としており、幕末明治庶民史とは程遠い。 どなたかが解き明かしてくださることを願っている。 

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 世の中を大括りに表す言葉に、「平時、乱世、大乱世」、がある。 時【じ】と世【せい】の違いは続いた期間と思われる。 もちろん「時」は短く「世」は長い。

 徳川幕府の終わり方を見ると、渡辺京二氏の描くパックス・トクガワーナを平時【へいじ】ではなく平世【へいせい】と読者に錯覚させたい気持ちも分からなくはないな、とも思えては来る。

 「資本論」の予言性は年を越えて「朦朧編 Part 2」につづくのこころだ!

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いや「朦老編かな」?

へ続く

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2018年12月26日 (水)

キネマ航空CEO 「歴史と哲学と人口を考える」 の巻 (妄想編)

ふっと、19世紀後半のプロイセン王国、ドイツ帝国の首相オットー・フォン・ビスマルクの名言とされる「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」、が当CEO の頭をよぎった。

「愚者」と「賢者」はともかくとして「経験」と「歴史」の並列、もしくは対比、は何とも収まりが悪いように感じられる。 「してそのこころは?!」とか「その異や如何?」、「そもさん !」と続くような日本人独特の謎掛け、もとい、禅問答風の和風意訳ではなかろうか。

 「什麼生【そもさん】」、当CEO の場合は・・・??「説破【せっぱ】・・・せっぱ・・・せっぱ・・・っぱ」と切羽詰【せっぱつ】まるのであります。

たぶんこれが、(常に鋭いコメントを下さる武兵衛さんをまねて)当CEO の海馬に「哲学や歴史は未来を予言するか?」として残っちゃったのだろう。

渡辺京二氏の「勝手に命名」三部作をまとめる間に、当CEO の灰色に濁った頭脳に脈絡なく浮かんだ事柄を整理してみる回です。 したがい、渡辺京二氏とはほとんど関係はありません 

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 ギリシャ、ローマそれにインド、中国、オリエントなど大まかに宗教がらみの哲学では人間は変わらないためか説教や箴言として歴史の中では予言の機能はあったと思えるし考えられる。

 だが、近代に入ると人間より個人が多くなり哲学の百家争鳴、宗教迷走の時代となったようだ。

 予言が外れた哲学なり思想としては、その筆頭にマルクスの「資本論」が上げられる。

 資本論の示すプロレタリアート革命は資本主義社会の成熟による過程を経て成立するものである。 たとえ、傑出した指導者が導いたとしても資本主義など経験していない社会から成立した自称共産主義国家がマルクスの言う共産主義革命が成功した、とは言えないのではないか。

 主だった(マルクス・レーニン主義の)共産主義国家を列挙すると、旧ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、中華人民共和国、キューバ共和国、ベトナム社会主義共和国などである。

 少なくとも資本主義経済の労働者や生産物から生み出されたプロレタリアートが起こした革命ではない。

 突き詰めれば中世、近世の封建主義経済から発生したのでありマルクスの近代共産主義ではなさそうだ。

 不勉強な当CEO はエンゲルスやレーニンはいざ知らず、マルクスの「資本論」に、搾取者と被搾取者、富者と貧者、加虐者と被虐者がいれば直ちに革命が成立すると書いてある、のかさえも知らない。

 しかし、あろうが、なかろうが、自称、他称の共産革命はできたのである。それも含めて考えてみる。

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 思想に掲げる旗は作れ、指導者も生まれる。 しかし、革命から国家となるとフォロワーとなる人がいなければ成立もしないし動きもしない。 その人とか人民とかがどう行動したのかは歴史でははっきりとしていない。 はっきりしないのならせめて国家となった国民の数だけでもと思いつくがこれもはっきりしない。
 というより外国語で調べる気力もない。以下の展開でほかの国の検証をやってみてね。

 日本語となると明治維新はレボリューションだかイノベーションだか分からぬが日本の近世から近代に変わる時点での基本資料となりそうな文献がある。

近世日本の人口構造」 関山直太朗 1958 吉川弘文館

 近世末期の人口構成は近代の入り口である明治2から3年にかけて版籍奉還のために旧藩に命じて行われた重要統計の中の人別調べから推測できる。 ただし、既に明治政府直轄地となっていた幕府領と旗本知行地の実態は含まれていない。

 この時の人口は 32,794,807人だった。 そこからいくつかの藩を除いて集計した身分別人口は 30,089,401人と集計されており 2,705,496人の欠落が見られる。

 次に政府が明治5年に新戸籍法により調査した結果では人口は 33,131,525人となっている。 前回の2年前の記録より 336,718人増えている。

 これらを大まかな身分別に整理したのが下表となる。ちなみに、この身分別人口統計には家族も含まれている。

 明治維新直後の人口統計(推計)比較(人)
身分 明治3年 明治5年 増減
支配層 1,839,064 1,927,848 88,784
宗門 374,398 292,926 -81,472
平民 27,787,155 30,999,535 3,212,380

・ 支配層には皇族、華族、士族、卒、地士をまとめた。
   明治5年では旧藩大名は華族に参入されたと思われ、521人増えている(大名華族と堂上華族)。
   増加した人口は幕府管轄地の武士階級が繰り入れられたと考えられる。
   卒は仲間、小者等士族の下級家臣や一代限りの士族でのちに士族と平民に分化する。
   明治3年分では皇族(28人)と地士(3,380人)の項はない。地士は名字帯刀を許された有力者。   

・ 宗門には神官・僧尼がある。
   この層のみ人数が減っている。 特に神官の減少が大きく -70,941人となる。おそらく各農村にある小さい神社では兼業や副業で生計を立てており新戸籍法では平民へ移されたのだろう。
  
 ちなみに神仏分離は明治元年と同じ慶應4年からから始まり廃仏毀釈の混乱は明治4年まで続いた。
・ 平民では明治3年分にはエタ、非人、死刑がある。
   大幅な増加分は江戸など幕府直轄の町人、農民の人口を繰り入れられたと考えられる。
   死刑は獄中なのか、処刑済なのか、は分からないが1,066人いた。
   
明治5年の統計では、エタ、非人は平民になり、死刑はない。

 さて、江戸時代の農、工、商の身分は平民となったが、業種別人口ははっきりしない。

明治維新直後の就業人口統計比較(人)
業 種 明治5年 明治6年 増減
15,206,938 15,153,098 -53,840
671,692 688,429 16,737
1,267,401 1,276,864 9,463
1,751,301 1,766,685 15,384
雇 人 300,414 292,885 -7,529
合 計 19,197,746 19,167,961 -29,785

 明治5年の平民の人口に比べて 11,801,789人が消えている。 

 業種別人口は15歳以上の就業人数、戸主は15歳未満でも数えている。家族は含まれていないようだ 。 また、雑(業)や雇人が江戸時代から存在した職種なのか、明治に発生したのかは分からない(後者のように思える)。

 たった1年の違いではあるが農業就業人口の減少が比率順では工、雑、商業への、直接、または玉突き、での職種移動をもたらしている。 漸減していく農業人口からは江戸末期の農業人口はさらに多かったと考えられる。

 いずれにせよ渡辺京二氏が示唆するユートピア人口は 30,999,535人いたはずである、とあげつらうつもりではない。

 身分や職種の人口単位をパーセントで示さなかったのは歴史や統計の中で一人と数える個人には、消えている人や数えられていない人、がいることを示して次の話題に入る。

 徳川幕府の人口調査には除外対象もあり、方法も各藩への委託であり必ずしも統一された方法ではないこと、各藩の意図的な過少、過大報告があることは明治に入っての調査との突合せで解明されている。

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 イノベーションと思える明治維新はどのようにできたのか、を考えて資本論の予言性を考えてみる。

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続く

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2018年12月 9日 (日)

キネマ航空CEO 「渡辺京二氏の(勝手に命名)ミステリー三部作を解説する」 の巻(解決編)

キネマ航空CEO 「渡辺京二氏の(勝手に命名)ミステリー三部作を解説する」 の巻(挑戦編) 2018.12.07

を読んでからの「解決編」のココロだー!

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Photo_2③ さらば政治よ 旅の仲間へ 晶文社 2016.6

 内容は①、②の執筆や刊行の時期に週刊誌や新聞などに掲載された記事やコラムである。

 その中に渡辺京二氏の反マルクス主義のバックボーンとして、1956年(第二次世界大戦終結から11年目)にハンガリーの自立を目指す蜂起に対するソビエト連邦が反革命として大量の戦車と歩兵を投入し鎮圧したハンガリー動乱が契機だったとしている一文がある。

 以下当CEO の余談。 ハンガリーはオーストリア・ハンガリー帝国という歴史上の経緯もあり日独伊の枢軸国側にいたが、国境を接するソビエトの進攻を回避するため連合国側との停戦を図ったがナチス・ドイツ軍に占領されてソビエトとの戦闘を行った。 しかし敗北し、そのまま共産圏の周辺国家に組み込まれた。

 いっぽう第三共和国の一翼であったオーストリアはベルリン陥落後に巧妙な政治外交運営でソビエトの影響を排除して自由主義陣営に組み入れられた。

 いろいろな見方はあるがハンガリーはオーストリアのような自由主義国家への離脱を試みたようだ。 これをソビエトは反革命として進攻したのだが日本国内のリベラル思想にも大きな影響を与えた。 ある意味では日本のコミュニズム、リベラリズム、ナショナリズムの、またそれぞれのイズムの中での、左右の乖離が拡大する契機となったともいえる事件。

 渡辺京二氏は特に日本の共産主義の思想上の浅薄さに気がついたのだろう。氏はこれに対抗できる思想として、日本あるいは東洋の思想ではなくポラン二ーの著書から展開する。

 カール・ポランニー(1886 - 1964)オーストリア・ハンガリー帝国(ウィーン生まれ)、出自はハンガリー系のユダヤ人、カナダで死去。 イギリスやアメリカの大学で教鞭をとるがアカデミズムとは距離を置いていた。 「経済人類学」の創始者として知られる。(ようだ)

 ポランニーの説については②に概要、③の最終章に渡辺京二氏自身が行った大学での講義のテキストが掲載されている。

 恥ずかしながら当CEO はポランニーの著作を読んだことはない。 以下は当CEO が勝手に渡辺京二氏の講義録を解釈して展開するミステリー三部作の解決編であります。

 したがい、誤解、曲解があれば、すべて当CEO の責任であります。

 ポランニーは「近世の絶対主義国家が形成する重商主義市場」と「近代の自由主義国家の形態である資本主義市場」の違い、を「労働力」と「土地」の経済的取引の自由度の度合とみる。

 この説で②ひいては①を顧みると日本は豪農(庄屋、名主)が所有し差配する農民付き土地で成立しており商人の台頭による一次産物の移動で成立する鎖国重商主義といえる国家形態のもとでの大衆のモラルであった。

 近世と呼ばれるこの当時の欧州の重商主義市場は植民地の支配を伴っていたが資本の移動はなく物品の収奪による移送であった。

 資本主義と自由主義の萌芽は歴史的にはさらに遡れるが前者は18世紀半ばのイギリスで蒸気機関の活用から始まった産業革命、後者は広範囲に広がる社会、経済にかかわる古典的自由主義として同時期に普遍化した。

 ちなみに近世から近代への社会的、経済的な大転換とされるフランス革命は18世紀末の1789年からの10年間とされている。 また1848年のパリ2月革命ではいわゆるプロレタリアート革命と称されるが実質は都市労働者と開放農民の抗争でもあった。 政治体制としては失敗に終わっている。 マルクスらの共産党宣言が出されたのもこの年である。

 共産党宣言が最も高揚したのは1871年のパリ・コミューンの時代と思われる。普仏戦争の敗北の中で始まった初めての(資本主義というより自由主義の精神的な)プロレタリアート独裁による自治国家の模索の時代が、国際情勢と国家としてのフランスの中で生じる組織の内紛と国家内体制の覇権抗争で多くの血を流し、流され、て潰(つい)える。(当CEO は大仏次郎の「パリ燃ゆ」の抜粋を読んだだけですが)  

 19世紀に入り資本主義は中世のしがらみがないアメリカで奴隷労働力による国内の一次産業から二次、三次産業へ、さらには金融資本主義へと国内外の市場経済に拡大変容して行き、付随並行するもういっぽうの自由主義の変容は20世紀半ばで日本ではリベラリズムと名を変える。

 部外者には分別も難しい共産主義と社会主義も概念の起源は古いが直接の系譜はフランス革命の申し子であり19世紀半ばのマルクスとエンゲルスの「共産党宣言」による共産主義が資本主義、自由主義の対抗軸となる。

 ちなみにマルクスの学者としての業績は「資本論」であるが1867年の第一巻、1885年第二巻 1894年の第三巻からなる。 ただし二巻以降はマルクスの死(1883享年64)後に草稿をエンゲルスらによって編集されて刊行された。 共産主義革命への考察は第三巻にある。(以上当CEO の余談)

 さて19世紀半ば、世界が近世から近代へと潮目が変わる時空(とき)に日本は政治のイノベーション(維新)を行った。

 この明治維新で農地に縛られた「労働力」の取引自由化が行われた。 解放された労働力は近代の二次産業と軍事力に向かい出遅れた植民地重商主義国家を目指すことになる。

 その結果として先行する自由主義の申し子である列強資本主義と対立し昭和の敗戦となる。

 そしてとどめの転換点として、この敗戦により、米国が主導する占領軍総司令部(GHQ)はポランニーを意識したのかどうか、小作人付農地を庄屋・名主から解放し「土地」の取引自由化が行われた。

 渡辺京二氏の言う「平和と安息の世界」となる二つの基盤がここで途絶えて「逝きし世の面影」を懐かしむのみとなった。

 すなわち①の世界の再現などない、・・・と。

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 渡辺京二氏は狷介不屈なリアリストでありニヒリストのようであります。

  ニヒリズムというと虚無主義として日本や西洋では反社会的なイメージ(日本では現人神としての天皇への不敬、特にカソリックではキリストへの侮辱)が強いが、ニーチェの目指す本質は生き方の規範として消極的(なりゆき任せに)に生きるか、積極的(主体性をもって)に生きるか、のどちらのニヒリズムを選ぶかの問題であります。

 その根底にある虚無とは宗教の束縛から離れた(日本人には輪廻転生でなじみ易そうな)永劫回帰(であるがそれとは違うような)のもとで創造的に生きることで超人(「悟りを開く」のかいな)を目指す前提であります。(と、まとめた当CEO 自身は「ツァラトストラ(超人)がかく語った」のを聴いても良く分からないのではありますが・・・映画「2001年宇宙の旅(2001: a space odyssey)1968」で暗闇だった画面に映像が始まり太陽、月、地球が直列、つまり皆既日食のシーンに流れるアレであります)

 渡部京二氏の宗教観はさておき、水俣病公害に積極的にかかわり、厚生省への座り込みを行い、教条主義に傾く運動から離れ、気難しそうな石牟礼道子氏の活動を最後までサポートしている。

 考えようによってはいずれもニヒリストだからできるといえます。 これがモラリストだと八方美人となって途中で投げ出すか、何もできなくなるか、原理主義者(ファンダメンタリスト)となって周りを見なくなるか、になってしまいそうだ。

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 渡辺京二氏の著作①②③をピックアップし三部作のミステリー仕立てにして解説してみた。 氏の書物の構成は主旨や読み解きのヒント(ミステリーで言えば伏線)は前書きや後書きに現われている。 つまり章立ての内容は氏の思考の過程あるいは読者や学生への文書の読み取り力の知的教育テキストとして読む文章であります。

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 特に③は①②に比べて読む人は少ないようだがミステリー三部作のレジュメは③の前書きにある。 大所高所の歴史がどうの、哲学がどうの、ではなく変遷する時代という歴史の中で個人としてどう生きるか、の指針であり、三部作はビルドゥングス・ミステリーと読めます。

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 とは言え、まだミステリーは残るなー by キネマ航空CEO

2018年12月 7日 (金)

キネマ航空CEO 「渡辺京二氏の(勝手に命名)ミステリー三部作を解説する」 の巻(挑戦編)

10月半ばより11月にかけてキネマ航空CEOオフィスを飛び出して市井の歴史学者渡辺京二氏の著作3冊を読み通した。

結構な時間を費やしたのは何を書いているのか、なぜ書いているか、が分からなかったからであります。

つまりは、三作を通して必読の上中下巻のミステリーだったのです。

で、・・・まず当CEOが渡辺氏の労作を多少逸脱しておちょくります。

つまり読者各位は、長いけれど当CEOに対し異議異論を挿み込めば分厚い書物も読み易くなるのではないかと希望を抱きながら。

なお三冊中の①②は中山間地に住む篤学の士から課題図書として、③は市立図書館から借用しました。

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Photo① 逝きし世の面影 平凡社ライブラリー 2005.9 (初出 葦書房 1998.9)

 徳川政権の末期から明治時代前期にかけて来訪した異邦人の宣教師、外交官、商人、軍人、医師、教師、冒険家が記した報告書、旅行記、日記、関連する著作などから彼らが観察した同時代の日本人の美点を分析し十四章に分けて独特の文体で列挙する。

 異邦人(とつくにびと)がここまで日本を「平和と安息の世界」と言ってくれるのだから日本人なら悪い気はしない。

 しかし、幕末から明治であっても異邦人が自由に行動できたわけでもあるまい。 言ってしまえば中国、北朝鮮に限らずどこかの国に招待される記者たちと同じだろう。

 もちろん文献の中には彼らから見た負の印象も記録されている。 これに対しては著者の文体に取り込まれた別の異邦人の記録の解釈を展開して否定される。 明治に入ると外国の知識を得た日本人の文章も提示され補強される。

 でも、このままでは外国人に「ニッポン スゴイデスネー」と語らせ日本人に「日本! 最高ー!」と信じ込ませる今日(こんにち)全盛のTVプログラムのひな型でありますね。

 それに、対象となった間にも「平和と安息の世界」らしからぬ飢饉、一揆、騒動、擾乱(変)があったはずだがこれらは著者に軽くいなされる。 

 著者からは「たとえ一側面にすぎぬとしても・・・このような幸福と安息」の時代を「忘れたくない」。 「暗い側面をあげつらうのは批判者にゆだねよう」、「なぜなら、もはや滅び去った文明なのだから」、と批判者となりそうな読者を封殺し・・・いや、むしろ挑発し、誘導して本質に向かわせている・・・と思いたい。

 当CEO オフィスご常連の各位には、まずこの本を買ってでも、借りてでも、ぜひとも当CEOのこのレジュメに反論してください。待っています。なお、当CEO に同意するコメントは一切不要です。

  さて、「たとえ一側面」、だとしてもなぜこのように総括できる時代が成立したのかはミステリーのままです。

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Photo② 日本近世の起源 洋泉社新書 2008.2 (初出 弓立社 2004.2)

 「戦国乱世から徳川の平和パックス・トクガワーナ」と副題が付いており、謎を解くことができるかもしれません。

 本書では①で提示された著者の定義する「文明」への過程が十章にわたって展開される。

 第二章「乱妨狼藉の実相」 ここでは、①では描かれなかった実相が述べられている。

 戦闘状態とその前後について回る大量虐殺、殺人、傷害、略奪、放火、稲難・麦難(収穫阻止の戦略上の破壊工作)に加えて日本の内のみならず大陸や半島の婦女も含む人身捕獲、移送、売買、輸出、などが付随していた。 婦女に対する強姦も当然含まれている。

 弱者が強者から受ける仕打ちの列挙であるが、同時に弱者が強者にまた逆にオセロゲームのように入れ変わる強弱の相対関係の実態も指摘している。

 当CEO の余談ではあるが、今を生きている我々は、この時代より遅れた渡来人でなければ、生き残ったこれらの強者か弱者かあるいは両方を経験した子孫として日本人を名乗っていることになる。

 (乱)妨【(らん)ぼう 】は乱暴と同義である。 中国において「妨」の原義の《さまたげる》から《そこなう、害をあたえる》と転意したようだが、なぜ「女」偏なのかは不明。

 一例として本書の中で「(中世においては)従者を伴わない(あるいははぐれた)女性の旅は「性」の提供を伴っている(女捕り【めとり】という普通名詞で表されている)」と言及されている。 森鴎外の『山椒大夫』は物語ではなく事実が前提となっている。 

 これが①のなかの異邦人の記録では女性の一人旅が可能な国と驚かれている。

 なぜこのような「ユートピア」が成立したのか、しえたのか、を全十章に序章、終章、二つの後書きを加えて考察されている。 

 そして「ユートピア」が成立した①の時代は、立法、行政、を司るための警察権、司法権は藩(幕府)にあります。 何かの法令に違反した場合には農村から藩へ犯罪者として差し出すあらかじめの人選が行われていたり、一揆や騒動には藩として要求を忖度するが一揆側の代表者数人を死罪として決着することで社会が維持される時代でもありました。

 もちろん、現代の制度からは人権団体がいきり立つでしょうが、これが多数の平穏のために受け入れられている社会でもありました。

 ではどんな国だったかを要約をすると、幕藩体制、士農工商の身分制度なのだが・・・ 土地を所有する名主、庄屋と土地着きの農民による農村の制度の成り立ち、特に名主や庄屋の成立過程、そこから生ずる徴税権を行使する立法と行政の官僚集団である幕藩と農村との関係を含む身分制度の融通性が指摘されます。

 そして①で描かれるのはその官僚集団が担う必要がなかった外交と国防に苦闘する中で「ユートピア」が消えていく時代の挽歌である、とまとめられます。

 さて、ミステリーのネタバレはご法度であります。 ただ、あとがきや解説を読んでから本編に取り掛かる読者もいるようですので・・・

  渡辺京二氏は中世から近世への過渡期の武士集団である守護大名や群雄と農民を含む宗教集団との戦闘を農民蜂起とする唯物史観を徹底的に否定します。

 戦国時代の資料から得た多くの二次文献では虐げられた弱者(敗者)が挑んだ「農民蜂起」として解釈して、敗北までの束の間の平和を農民大衆の勝利として共産主義的な唯物論に沿って解釈している。

 しかし著者は、敗者の内部にも勝者と同様な分化された階級層は存在しており、資本家と労働者といった一対一の階級闘争ではなく 270年に及ぶ「パックス・トクガワーナ」の成立に集約される勝者と敗者の合意形成過程と解釈すべきである。 いわゆる共産主義的階級闘争では決してないと主張します。 

 なぜこのような「ユートピア」ができたのか、①に続けて、この②を読んでいただきたい。

 さて②でも別のミステリーが浮かび上がります。

 「ユートピア」の成立過程に深く語られなかった(実際は終章で語られているのだが)工や商にかかわる人々は?

 そして、なぜ渡辺京二氏はマルクス主義を嫌うのか?

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Photo_2③ さらば政治よ 旅の仲間へ 晶文社 2016.6

キネマ航空CEO 「渡辺京二氏の(勝手に命名)ミステリー三部作を解説する」 の巻(解決編) 2018.12.09

に、つづくのココロだー!

 

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