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2019年1月の1件の記事

2019年1月31日 (木)

キネマ航空CEO 「歴史と哲学と人口を考える」、「アメリカ Part1」自由主義の勃興の巻

 「資本論」の予言性を確かめるとなると「共産革命」を論じることと等価と思えるのだが、「革命」とは何か、が分からない。
 便利な言葉でテキトーに頭に「名詞」を付けたり、お尻に「的」を付けて形容詞にすれば何にでも使える。 ただし、「形容詞」を頭につけていたら情緒に流れていると思ったほうが良いようだ。 例えば「美しい」とか、「汚い」とか。

 歴史や思想や哲学で使われる「革命」はつぎのようにまとめられるように思える。

 ① 「同じ地域(国)の中で、同じ言語を話す集団の一部が、既存のヒエラルキーを破壊
   すること。  時として暴力を伴うことが多い」
 ② 「成功した革命は、革命行動に加わらなかった民衆を新体制に従属できた場合」
 ③ 「失敗した革命行動は反乱と呼ばれる」

 したがい、革命は思想や哲学の理念や理屈の外にいた民衆を、共感であれ、恐怖であれ、新体制に組み込むことができたかどうかで決まる。

 革命の理念や理屈に与しない、あるいはそうでなくても、社会の中ので反抗し、さらには混乱の中で殺されても、同じ地域や同じ言語集団に残るのか、あるいは逃げ出すのか、の選択を自分や家族に強いる社会現象でもある。

 現実は外国からの干渉や地域の歴史的な経緯など社会現象としては複雑なのだが ② となる場合は民衆の味方(Ally)、敵(Foe)、中立(Neutral)のモーメンタムもしくはベクトルの認識が重要となる。

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 人間の歴史を遡ると、現在、現代、近代、近世、中世、古代、神話時代と区分される。

 歴史を学ぶときに惑わされてはならないのは、『代』や『世』を民心の在り方と捉えれば世界が同時に時代を変えたことはない。 おそらく、これからもないだろう。

 その時代区分の中で、マルクスらの「資本論」の世界である共産革命は資本主義の、すなわち、現在の、「成れの果て」、として定義されている。

 共産革命の幻想は世界で最初に近世から近代に変わった、アメリカの成立から始まることになる。
 ただし、メイフラワー号によるプリマス(1620)到着から始めるつもりはない。 それ以前にイギリスはバージニア(後の州、もちろん勝手に命名)に植民を始めており、メイフラワー号本来の目的地であった。

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 つまり、現代につづく近代の始まりはアメリカの独立戦争(1775‐1783)といえる。
 アメリカではこの戦争を独立革命あるいは革命戦争と呼ぶ。

 なぜ独立戦争を近代の幕開けとなるのか、は、現在につづく「人間の平等の権利」が国家としての独立宣言に盛り込まれ、近世の血統による王権の継承から離れた選挙による大統領制度が確立したことにある。

 さて、当時の独立派の拠点は北米大陸の東海岸にへばり付いていた、いずれは13本の線となる英植民地であった。 そして、のちに星となって加わる地域は欧州列強の植民地が周囲を囲んでいた。

 フランス は、五大湖の一つオンタリオ湖から大西洋にそそぐセントローレンス川の流域、と、現在のミネソタ州を源流として30余の支流を集めてメキシコ湾にそそぐミシシッピ川の流域すなわち北米大陸の中部に勢力を伸ばしていた。
 スペイン は、ミシシッピ川河口のセントルイス以西のロッキー山脈の西側の南半分を制していた。
 ロシア は、アラスカから西海岸の北部にかけて進出をしていた。
 イギリス は、セントローレンス川の北側(現カナダ)とスペインから奪ったフロリダ半島を抑えていた。

 ここで上げた国名は現在と同じだが形態は帝国、王国であった。しかし、今ではイギリスと現代になってフランコ独裁後に復活したスペインを除き皇帝も国王もいない国となった。

--------------------------------------(2019.2.1以降に追記)

 ここで、本国と植民地の人口や職業構成比などを挿入したいのだが、確たる資料が見つかり次第追記することにして、なぜ圧倒的に少ない人口の植民地の独立が可能だったのか、を考えてみる。

 一つは英本国はヨーロッパの勢力図やアジアにおける植民地経営で補給線が手薄であったこと、さらにはそれに基づく新興の北米植民地に対する課税強化を行ったこと。 一つは独立側は自発的入植者や流刑者であったことから本国に対する忠誠心は薄かったこと、が上げられる。

 さらに、米国独立戦争時の国際情勢は植民地軍に有利な状況が上げられる。

 劣勢の植民地軍に対しフランスポーランドの義勇軍やプロイセンの義勇兵(将校)が参加し劣勢を挽回し、フランクリンの遊説によりフランスが対英参戦、続いてスペイン、アメリカ大陸にはあまり関係のないオランダも参戦。

 いっぽうではロシア(エカテリーナ2世)の主導によりプロイセンスウェーデンデンマークポルトガルの武装中立同盟の結成。 かくしてイギリスの周りは敵国と中立国で包囲され孤立した。これはアジア、アフリカ植民地の覇権抗争の一角でもあった。 

 軍事的に見ればイギリス側には植民地内の王党派、ドイツ諸侯公国からの傭兵部隊、皮肉なことに植民地の拡大を嫌う原住民(ネイティヴ・アメリカン)がいた。 英国政府はアメリカ大陸の分割売却をもくろみ植民地の西進を禁じていたが現地では無視されていた。 ついでながら、イギリス本国内でも野党は独立軍を支持していた。

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 とにもかくにもアメリカは 1783年【M -35、E -33、L -87、S -151 】にパリ条約で独立を果たした。

 年号【 】内は主要人物の数え年。 例えばマルクスの生年では、1818年【M 1、E -2、L -52、S -104 】
アルファベットは M : マルクス、E :エンゲルス、L : レーニン、S : スターリン。
(マルクスとエンゲルスは同年代、
レーニンは半世紀、スターリンは1世紀の年代差がある)

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 こうして「自由主義」を掲げた国家が誕生した。

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 次回は「アメリカ」資本主義の勃興編「南北戦争」に飛ぶ。 この間に同様に自由主義の旗を掲げた革命がフランスに起こるのだが、それはそのあとに、

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チラ見せ!!

 しかし、本来の現代の革命と呼べるのは南北戦争(The Civil War 1861-1865)であり、資本主義の幕開けといえる。

 その前に、・・・

 以下、追記予定です。

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