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2019年2月28日 (木)

キネマ航空CEO 「歴史と哲学と人口を考える」、「アメリカ Part1」資本主義の勃興の巻(Part 2)

 今回は「アメリカ」資本主義の勃興編「南北戦争」に跳ぶ。
 跳んでいる間に同様に自由主義の旗を掲げたフランス革命が起こるのだが、それは今回のあとに・・・、

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 現代への革命と呼べるのはアメリカの市民戦争いわゆる南北戦争(The Civil War 1861-1865)であり、資本主義の幕開けといえる。

 しかし、その前に、先回のアメリカ独立戦争(1775-1783)の終結であるパリ条約をチラ見しておく。

 1783年のパリ条約によりアメリカはミシシッピ川以東の東ルイジアナをイギリスより割譲、北緯49度線の南側と北側を交換し後のカナダとの国境線を確定。フロリダ半島は連合国であったスペインに返還され、1819年になってスペインから買収した

 なお、両戦間の1803年にはミシシッピ川西岸からロッキー山脈以東の西ルイジアナをフランスから買収。(試験には出ないと思うけど、この年は覚えておいてね。フランスも火の車だったのよ。 ついでにテキサス分離独立派とメキシコ共和国の間の戦闘の象徴とされるアラモの砦をめぐる戦い(1836年)もこの戦間であった。

 独立から62年後の1845年には現在のテキサスを併合、1846年には西海岸の北側のオレゴンを併合、1847年に米墨戦争戦争でメキシコより西海岸の南側を割譲させ、1953年にはメキシコの北側を買収して現在の米国本土が確定した。。

 ちなみに、アメリカ側で参戦したオランダイギリスとの海外植民地の覇権抗争の劣勢を挽回しようと1780年に参戦したのだが、同年にイギリスから宣戦布告されたアジア植民地をめぐる第四次英蘭戦争中にアメリカ独立戦争の戦勝国側になった。

 しかしイギリスとの講和条約は1819年となりお互いに占領した植民地はフランスの調停でオランダに戻されたり交換したりすることになるのだが、戦闘では本国沖の海戦に敗れたりと、オランダにとっては外交の思惑から外れた参戦であった。

また余談ながら、1819年は日本の海外への窓となっていたオランダの凋落が顕わになった年であった。 江戸では田沼意次の権勢が翳り、天明の大飢饉の時代であり、「剣客商売」の秋山小兵衛が活躍していた時代でもあった。 明治維新まで49年でありました。

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 アメリカの独立戦争につづくのは国土の拡張の時代でもあった。その意味では近世の思想を掲げた植民地の独立ではあったが中世の国家と同様の行動原理に則っている。

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 本来の南北戦争(The Civil War 1861-1865)にもどると、リンカーンが奴隷解放のために始めた人道上の戦争と思っている人がいるかも知れないが、それは後に廻して、

 大枠はアメリカ合衆国となった両大洋に挟まれた大陸の地形と風土と人口(いわゆる地政学とはちょっと違うようなゲオポリテックス)により産業形態が分かれた。言ってみればずっと後にもみられる南北問題でもあります。

 農業主体の南部が大農園奴隷経済(いわゆる『奴隷州』)であり産品の自由貿易が基盤

 工業化を進める北部は自由労働経済(いわゆる『自由州』)であるが遅れた工業国(地域)として保護貿易が必須

 と、依って立つ経済基盤の相違による内戦でありました。

 ちなみに南北戦争では南部は南部連合(南)軍とも呼ばれ独立戦争後に収得した地域に成立した連邦に属する州が主体であった。 いっぽうの北部は独立以来、その州制度を維持する政治の中心であり連邦(北)軍であった。

 独立戦争によりアメリカ合衆国(United States of America)を構成する連邦州(United States)から州単位で独立を宣言したしたアメリカ連合国(Confederate States of America 存在期間1861-1865)の「(南部)連合」軍から攻撃を受けた側は「合衆国(United States)」軍として応戦することになるが、本家を名乗るのもおこがましいと思ったのか、元祖で行こうと思ったのか合衆国の制度上の本質となる連邦共和制(Federal republic)から「連邦」軍と呼ぶ。

(またまた余談ながら)メロディは讃美歌からの使い回しだが北軍の行進曲として作詞されたリパブリック讃歌(The Battle Hymn of the Republic / 共和国戦闘讃歌)がある。 日本では「オタマジャクシはカエルの子・・・」や「権兵衛さんの赤ちゃんが風邪ひいた・・・」などの替歌で知られている。 

 戦端は1860年4月14日に南軍によって切られたが時の大統領 A・リンカーンは同19日には南部海岸線の海上封鎖を行い基本となる戦略を確立した。

 自由州は開戦当時にはまだ州制が引かれていなかった地域(ミシシッピ川の西、ロッキー山脈の東の合衆国政府が所有地する過疎地)を挟んで東岸となる大西洋から、1848年あたりに始まったゴールドラッシュによる一攫千金のカリフォルニア州や農牧中心のラスト・フロンティアとなるオレゴン州などの西岸となる太平洋まで広がり北軍側についていた。

 いっぽうの奴隷州(南軍)は東は海上を封鎖された大西洋(含むメキシコ湾)岸から西はテキサス州とメキシコとの国境線までであった。

 殆んどの戦闘は人口の多い東半分で行われたが、連合と連邦の南北間に挟まれた奴隷州であったミズーリ、ケンタッキー、ウェスト・バージニア、メリーランド、デラウェアの5州は戦争中は政治的には連邦内に留まった中立を掲げたが民意の一部は南部連合を支持していた。

 戦闘詳細には立ち入らないが、戦争前の1853年には日本にも現れた黒船(合衆国海軍)による海上封鎖と、何よりも綿花のような工業原材料となる輸出農産品による自由貿易では国家として独立できない産業形態によって何はともあれ南部(連合の文明)は『風と共に去』った。。

 かくして南北戦争の終結による余剰兵器が日本にも流れて特に小銃を持った歩兵戦で成立する明治元年まであと3年。 

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 南北戦争は1865年5月9日に書面上は終結したが歴史的記述とすれば戦闘は翌月の後半まで続いている。【M 47、E 45、L -7、S -14 】

 年号【 】内は主要人物の数え年。 例えばマルクスの生年では、1818年【M 1、E -2、L -52、S -59 】
M : マルクス、E :エンゲルス、L : レーニン、S : スターリン。(マルクスとエンゲルスは同年代、
レーニン、スターリンは半世紀の年代差がある)

 こうして膨張し分裂したアメリカは再度統一されてマルクス主義の宿敵である自由主義を掲げた最強となる連邦共和制の合州国が誕生した。

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 奴隷解放と差別の激化(次回につづく)

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 南部連合国の誕生の背景(次回につづく)

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