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2019年3月の1件の記事

2019年3月31日 (日)

キネマ航空CEO 「歴史と哲学と人口を考える」、「アメリカ Part2」自由主義の始動の巻

アメリカの神話時代

 アメリカの独立戦争につづくのは国土の拡張の時代でもあった。その意味では現代に続く近世の思想を旗印として掲げた植民地の独立ではあったが中世の国家と同様の行動原理に則っている。

 この時代から激しさを増すアメリカ・インディアン(ネイティヴ・アメリカンと記すべきか)の虐殺は、スペインのマヤ、アステカ、ポルトガルが行ったインディオ、ロシアのアリュートなどとは時代が異なるはずの人権を憲法に掲げた理想とは相反するともいえる。 が、人間は、理想と行動は背反で両立するのが人間であるということを近代においても証明した歴史ともいえる。

 いずれにせよアメリカの独立後のイギリス本国の犯罪人流刑地がオーストラリアへ移ることになったからと限定することではないが入植者の人口増加によりアボリジニの虐殺が加速されることにもなった。

 ここで日本においても神話から人間の性情としての虐殺の歴史を振り返ることも無駄にはならないと思える。

  当CEOの記憶の中にある記紀のなかで伝承で語られた『草薙の剣【くさなぎのつるぎ】』で神話化された事実の最も妥当なと思える解釈の一つを振り返ってみる。

 まず、名銘の由来は、神代(かみよ)に素戔嗚尊【すさのおのみこ】が出雲国で八岐大蛇【やまたのおろち】を退治した時に大蛇の尾から取り出した剣に付けられた「天叢雲剣【あめ(ま)のむらくものつるぎ】」から始まる。

 間のいきさつはすっ飛ばし、人世(ひとよ)に入って剣は「伊勢の皇大神宮(後の伊勢神宮の内宮)」に収められており、斎氏(後の斎王)であった叔母の倭姫【やまとひめ】から天叢雲剣と小袋を一つ授けられて倭建命【やまとたけるのみこ】は東征に赴く。

  倭建命のプライベートの記述はすっ飛ばし、今の静岡県の中部において国造【くにのみやつこ(官位を得た地方豪族)】が一行を枯れ野に誘導して火を放ち謀殺を計ったが、倭建命は剣で枯草を薙ぎ倒し小袋にあった火打石で迎え火を付けて難を逃れたことから「草薙剣【くさなぎのつるぎ】」となったと由緒が語られる。
(ちなみにその地が草薙、焼津として残っている)

 字面からの事実としては文字として記紀が編纂された時代には破壊消防が行われていたこと、時季としては晩冬から早春にかけてと、思われることぐらいだろう。

 ここで薙がれた「」は植物の草でもあるがその前に大和言葉である訓読みでは【くさ】、原語(中国語)の音読みでは【ソウ】である。
【ソウ】には、粗末、劣る、から、初めの、荒い、例えば草稿【ソウコウ】さらには卑しいもの、蔓延(はびこ)るもの、などに使われるようだ。

 ちなみに【くさ】は室町あたりから忍びの者つまり間者【カンジャ】として使われていたようだ。 草のようにいる人に紛れてということだろう。

 本来の雑【ザッソウ】もマイルドに野【ヤソウ】となるが、有用なら野【ヤサイ】となる。 現代になると重箱読みの競馬【くさケイバ】、野球【くさヤキュウ】があるけれど相撲【くさずもう】からのお流れだろう。

 江戸は幕末のころに莽の臣【ソウモウのシン】が流行る。 草も莽もどちらも草であるが田舎もしくは市中に埋もれた(多くは討幕の)志のある者を指す。 志はあってもなくても田舎や市中にいるのは民【たみくさ】である。 語源となった同様の訓読みでは田【たくさ】がある。

 【ミン、たみ】は人衆、主、臣(シンなるミンではない。シンとミン)と音読みで使われ、その原義は被支配者である。田草を含めて支配者には草は一面では厄介者だったのであろう。

 草を薙いだ剣とは反抗する部族を壊滅させた武器であり、薙いだ炎は血しぶきとして読める。 翻って神代にさかのぼると八岐大蛇とは八人の首魁に率いられた連合勢力であり、その尾とは戦闘員で編成された胴体であり(ちなみに蛇の尾は肛門より後ろらしい)そこから引き出された天叢雲剣は最初から血塗られていたことになる。 つまり外国産の鉄の剣で出雲の砂鉄から良質の鋼の刃(はがねのやいば)を造る技術を奪った記録である。

 そのような読み方は祖先の神話への冒涜であると罵られそうであるが、これらが事実であって、文章で書き残す任を受けたあなた(中級官僚ぐらいかな?)はそのまま活写するであろうか?  私なら忖度をしてファンタジーにする。

 ついでに音読みの草薙【ソウテイ】には「草を刈り平(たい)らげる、乱れを収める」の意もあり、出典との前後関係は分からぬながらも「文字を知る文化人のあなたなーらどうする?」である。

 その後の草薙剣倭姫命の待つ伊勢の皇大神宮へは還らず現在の熱田神宮に収められている。 これも血塗られた剣を帝の近縁の皇女、王女が斎氏、斎王を務める伊勢の内宮に戻すことをはばかったとも読める。

 ちなみに雨叢雲剣が神代から人世に移ったときに形代【かたしろ】(レプリカ)が造られ帝の傍に置かれることになるが、平家滅亡の折に瀬戸内の壇ノ浦に消えている。

 ここで帝は神代から伝わる三種の神器(石器時代の勾玉、銅器時代の鏡、鉄器時代の剣)のうち「剣」を失ったことになるが再び「形代」が造られて伊勢神宮の神事をへて宮中にうつされた。

 いずれにせよ文字のある歴史時代(人世)の日本は、神話時代(神代)の「モノ」である「つるぎ」とは切り離されている神器ともいえる。

 倭建命が活躍していたのは西暦ではA.D.1世紀末を挟んだ辺りで中国で紙が発明されたころとなるようだ。 記紀が成ったのはA.D.8世紀の前半とされるが、現存する紙の写本はA.D.14世紀ごろ。 原本が紙に記されたのかどうかは不明のようだ。

 神話時代は残酷な時代であることに違いはない。アメリカは 紙もあり印刷も可能な文字や写真の時代になってから神話時代を辿ることになった。

 神話は人口が拡大するときに熾きる。 神代の日本の場合にはははっきりした資料はないが、19世紀の南北アメリカにはヨーロッパから4,000万人(当然白人)が移動してくる時代であった。 加えて19世紀後半の奴隷貿易の廃止により労働力を中国やインドなどのアジアからも求める大量移民の時代でもあった。

神話時代と共存する南北戦争と奴隷解放

 前回先延ばしにした南北戦争(The Civil War 1861-1865)とリンカーンの関係ににもどる前に戦前の、敵、味方、中立の関係を整理しておく必要がある。

 アメリカ合衆国として当時の地政学のはもう少し複雑である。 南北問題といっても主にミシシッピ川の以東の話であり、ミシシッピ川以西ロッキー山脈までの中央部にはまだ州制度はないか準州しかなく、ロッキー山脈を越えて西海岸までは北側を除きゴールドラッシュですでに州制度が成立していた。

My darling Clementine(雪山賛歌のメロディ)の”Dwelt a miner forty-niner, And his daughter Clementine. ”は、49年組、つまり(渓谷沿いの岩穴に)住む一攫千金を夢見る金鉱探しの娘の哀しい物語です。ジョン・フォード監督の『荒野の決闘 "My darlin Clementaine (1946)"』のオープニングとラストシーンに使われていました。 49年組とは合衆国がその前年の1948年にメキシコから購入したカリフォルニアへ、48年に東部から出発して未開の土地を越えロッキー山脈を越えてゴールドラッシュの幕開けとなる(18)49年にたどり着けた人たちです。

 地政学の中には気候の要因がある。 北部では冬季の農作業は限られており南部のように周年にわたり固定した労働力を確保する必要性はすくない。 結果として北部は工業化に向かう自由労働制度、南部は奴隷制度が産業基盤を支えることとなり、自由州、奴隷州と呼ばれて南北の対立は激しくなる。 もっとも奴隷制度自体は英国が持ち込んでプランテーションを運営していた。

 その実態は産業構造によるこの制度の違いにより州の対立が顕著になり連邦政府はミシシッピ川以西からロッキー山脈の間の中央部では1820年に北緯36度30分以北では奴隷制度を認めない「ミズーリ妥協」成立させて南北間の平衡を成立させた。

 時代が下り南北縦断鉄道建設計画が具体化する34年後の1854年にはこれを廃して新しい州となる準州の奴隷制度の選択は州民の意志によると主張する民主党(Democratic Party)が「カンザス・ネブラスカ法」を連邦議会で通過成立させた。 その結果、この地域をめぐる南北の暴力をともなう対立ははげしくなり、1860年に北部は奴隷制度廃止論者を結集して結成した共和党(Republican Party)は翌1961年にエイブラハム・リンカーンを第16代大統領に選び、就任直前に南部七州は連邦制度から抜けて合州国を抜けて南部連合国を結成しさらに四州が加わり南軍を構成した。
(奴隷制度を容認するのが南部の民主党となる。言語の差、意味の差はややこしい。 かと言って日本人がいちゃもんを付けるのもおかしいが、曖昧にするのもおかしい)

 結局のところ「カンザス・ネブラスカ法」は「ミズーリ妥協」破りであり、南部資本による新興の準州を通じた鉄道利権の拡大に対抗する北部は有効な反撃として使える懸案や法案もなく、リンカーンには憲法による「自由と平等」「奴隷解放」を旗印する言葉に信念があったし、従う合州国民も大勢いたことで戦争は開始された。

 北軍は緒戦の劣勢を海上封鎖と人種を問わぬ徴兵制の採用と焦土作戦で南部連合を追い詰めて1865年に終結した。 戦争を俯瞰すると兵力、兵器、工業力、経済力の差といった面では(特に北軍が)先端の兵器を用いた近代戦であり、来るべき太平洋戦争の雛型でもあるといえる内戦でありました。

 叙事詩としては負けた南部では中世的な陽動、奇襲の作戦指揮をとったリー将軍は英雄であり、焦土作戦を指揮した北軍のシャーマン将軍への憎悪は強いようだ。 この辺りは思想や宗教を問わず、日本の零戦や山本五十六(元帥)神話との心情的な類似点が感じられる。

 さて勝利した合衆国のリンカーン大統領は1964年の大統領選挙で再選されており速やかな南部連合国と合衆国の再統一のため寛大な講和条件で対応するが1865年4月14日に暗殺され、対南部連邦の政策を引き継いだ後任のジョンソン大統領の時代に対南部強硬派が議会の大勢を占めて戦後復興の主導権を得ることになる。 実際の連邦軍の旧南部連合からの撤退は1877年であった。

 奴隷解放政策については1860年の共和党の結党政策で予備宣言として公表されている。 リンカーンが大統領としてかかわった奴隷解放政策は1862年9月と1863年1月の二度に渡って交付されている。 そして1865年1月31日に、議会で承認された「アメリカ合衆国憲法第13条修正条項」を各州に提出した。

  修正第13条に続き関連する修正第14条、修正第15条が成立し奴隷制に関する「リコンストラクション修正3法」が構成される。 これらの合衆国憲法が効力を発効するには各州議会の承認が必要であり最後に承認したのは20世紀末の1995年3月になった旧南部連合国のミシシッピ州でありました。

 リンカーンの行なえた具体的な政策は極めて恣意(意図的な)的な実行であり、例えば共和党の予備宣言では南部諸州が合衆国内に留まれば奴隷の開放は必要としないとか、合法的奴隷制度の廃止は南部連合国に対してであり合衆国(北軍側)に留まった奴隷州には適用されないとか、であり、妥協とも戦争の本質的目的達成の手段ともとれる。

 リンカーンが憲法修正を急いだのは戦後の揺り返しを恐れたのであろうが、それが暗殺に繋がったといえる。 暗殺計画は大統領、副大統領、国務長官の同時殺害による国家転覆であったが失敗した。 成功したらの if では北軍の中にも奴隷解放政策が明らかになるにつれて除隊するものもいれば建国の理想の実現の戦いとするものもいた。

 リンカーンが無事であったなら、は希望的な if になるのだろうが現実は暗殺者の意図はある程度成功する。 政権を継承した北部の共和党議会では南部連合の構想を北部主導の国家建設に変えて旧南部連合諸州の再建にはより過酷な条件を課す一方で奴隷解放を実行させた。 しかし旧南部連邦の諸州は州議会としての権限で黒人(厳密には有色人種)に対して習慣化した差別的な制度を維持していく。

 奴隷制度はどのようなものであったのか、は一概には言えない。 被強制労働者であり土地所有者の財産と定義されるが、その庇護はあった。 労働力であり病気の蔓延にならないように清潔さを保ち、それなりの食事も保障を担保する必要があった。 奴隷解放は現実の中で最低限の生きる保証を奪うことになる。

 解放された元奴隷はプランテーション(農園)に居場所を失うが仕事は農園にしかない。 名前が小作人に変わっただけである。 自由労働者になったら農園主は多少の給料を上げても宿泊費と食費で回収できる。 むしろ完全な自由あるいは放置された自由のほうが危険でもあった。 ほかに彼らを受け入れる土壌はないのだから。

 やがて、タバコから綿花と受け継がれてきたプランテーションも工業化と共に消滅し元奴隷は職を失い都会の失業者となる。 そしてKKKなどの匿名集団や公権力による警察権の行使という生存を否定する勢力の時代がつづく。 法律上では黒人の土地所有はまだ禁じられていた。

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リンカーン神話の翳

 「奴隷解放」はヨーロッパには「自由と平等」の戦いを想起させて外交カードとして有効に機能した。 緒戦より綿花の取引で南部の背後にいた英国も手を引き海上封鎖で外交、商取引の途絶で南部を孤立に導いた。

 では、ここからリンカーンのネイティブ・アメリカンの運命を振り返る。 1521年から1890年にかけて入植者とネイティブ・アメリカンとの戦闘地域を記した地図から抽出して次の年代に分けて表にしてみる。

 なお、1890年はスー族を中心とした最後の抵抗であったがウーンデッドニーで敗北し合衆国はフロンティアの消滅を宣言した年。 1521年はっきりしないが中米のアステカ帝国がスペインにより滅亡した年でもある。

ネイティブ・アメリカンの抵抗の記録(1521-1890)
年代 1521-1774 1775-1783 1784-1847 1848-1860 1861-1865 1866-1890
時代   独立戦争   ゴールドラッシュ 南北戦争 フロンティア消滅
年数 253 9 63 13 5 25
戦闘回数 21 4 17 19 18 18
回数/年 0.08 0.44 0.27 1.46 3.6 0.72
戦闘回数の補足 1675-76年
にかけて6回
  1811-13年にかけて6回 1855-56年
にかけて9回
リンカーンのレガシーとしての1866-68年
を加えれば
24回
4.8回/年
となる
1876-77年
にかけて8回
1876年 に
リトル
ビッグホーン
で第七騎兵隊が全滅

「時代」の区分は発生した「月」を勘案すべきではあるが「年」でくくった。
年数の長い区間では「戦闘密度の補足」で連続かつ集中していた回数を抽出した。
これらも入植者や騎兵隊による強制移住が遠因や原因であった。

 ネイティブ・アメリカンの受難はリンカーンが政界を志した時代であるゴールドラッシュから深刻化してくる。 大統領就任後は自由と平等の象徴として奴隷解放を掲げてはいるが支持勢力を含めて本質は共和国(合衆国)の統一と発展であり、ネイティブ・アメリカンはその障害でもあったようだ。

  リンカーンが暗殺を逃れていれば解放されたアフリカン・アメリカンとネイティブ・アメリカンの運命がどう変わったか、リンカーンが彼らに自由と平等を与えたか、与えられたか、の if は分からないがリンカーンは神話は歴史の中に埋もれていった。

 1500年には450万人ほどいた北米のネイティブ・アメリカンは1890年には50万人にたらなかったと記録から推定されている。

 その差の400万人は98回の戦闘による死者以上に、土地を追われ狩猟、農耕で得る食糧を奪われた餓死、居留地に押し込める狩り立て、脱走時などの虐殺もあれば、何よりも厳しい環境の中であっても生存できる生命の上限を満たすべく生まれてはこれなかった子供たちの数でもある。

 「哲学と人口」には程遠かったが、以上が正義の戦争の実態である。 しかし、これを白人もしくはキリスト教の所為とする日本人による左右の論調があるが人間の行為としては日本の神話にも埋もれ、歴史の中に隠れていることは確かである。

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 予告では「なぜ南部連合は独立を目指した」のかは北部連邦と同じく「奴隷制度」とは表裏の問題であった。 それは、産業革命のなかでインド綿花の移植栽培と紡績機械の考案が・・・と続くはずだったが本稿で飛び飛びに概説しており、中止して次回はアメリカの神話時代に行われたフランス革命に戻ります。

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 ネイティブ・アメリカンの抵抗が終焉してアメリカがフロンティアの消滅を宣言した1890年は【M +7、E 45、L 21、S 12 】で(+7)はマルクス死して7年目となる。

 年号【 】内は主要人物の数え年。 例えばマルクスの生年では、1818年【M 1、E -2、L -52、S -61 】
                                    没年では、1883年【M 66、E 64、L 14、S -5】

                  M : マルクス、E :エンゲルス、L : レーニン、S : スターリン。
                 (マルクスとエンゲルスは同年代、
レーニン、スターリンとは半世紀の年代差がある)

 こうして膨張し分裂したアメリカは再度統一されてマルクス主義の宿敵である自由主義を掲げた最強となる連邦共和制の合州国が誕生した。

 

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