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2019年8月19日 (月)

キネマ航空CEO 「民主主義 ?? 社会主義って !? 」 について「日本、理 ことわり の書」から考える、の巻

Photo_20190817202101市街地の北辺から北へ車で一時間の中山間地に居られる畏友と呼ぶべき篤学の士が奥様と共に読書と日々の糧となる作物の育成と収穫に加えて今は下山してくる野生動物との攻防と珍しい客の観察に悠々ではなかろうが自適の明け暮れを過ごしておられる。

当CEO は、士からは読後の書籍を貸していただいている。 当CEO も、これはと思う本をお貸ししており、士からはブログの鋭敏な書評で応えて頂いている。 この面では当CEO はかなりの借り越しをしている。

そこで、中古CD(より書籍のほうが安い)ショップで昭和歌謡曲の CD と一緒に求めた左掲の本(鳥影社 2009.4 刊)を、士に紹介することにしたのだが、実はこの本の書評はアマゾンに掲載された一本しか目につかなかった。

したがって中古価格はべらぼうに安い。 二冊購入して、士と、もう一人の知人に差し上げた。 

もう一人の知人からは未だ聞いていないが、士からはブログにWEB上では第二号となる書評を掲載して頂いている。 

士は、世俗の分野とは言え著者個人を秘匿して脳科学や脳内物質を哲学や倫理への展開をすることでは人間の人格は等しく同じであるというリベラルが持つべき基本的人権の定義を科学的に再構築を意図することにも通じる違和感を指摘されていると思えます。

当CEO も、指摘には異論はないが脳科学が社会科学にそれなりの力を持つ時代の入り口にあるのではないか、と後日、山間の士に送った文章に 追記を含む 校閲 と 誤字や改行を含む 校正 を施してWEB 上の第三号となるべく掲載することにしました。

なお、本稿は当CEO の書評というより独断独善的解釈による社会科学への応用例であります。 ご興味をいただければ、寸鉄人を指す士の書評と饒舌に過ぎる当CEO のブログで、洛陽の紙価が高まる前に、紹介写真の帯もご参考に原本をお手にお取りください。

イザヤ・ベンダサンが山本七平氏であったように、いずれ著者姓名(筆名可)で展開されることを期待して・・・

立秋12日目 キネマ航空CEO 拝

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「日本、理ことわりの書」の読後感

市井の隠居です。

本書は、今現在では高邁な哲学や倫理の評価対象になる本ではありません。 このところ認知度を高めてきた脳科学を援用して日本人の性行を分かりやすく展開して、いかに日本でビジネスを成功させるか、のハウツー本です。 もちろん日本人が参考にしてもなんら差支えはない。

以下は本書を参考にした老生(個人)の時代の心情リベラルの盲点であります。

貴兄に消化不良を起させたのは、世俗を語るために脳科学を持ち出し脳内物質の分泌による人間の行動原理を 「居心地が良いかどうか」、から始めたことにあるのでは・・・と拝察します。

旧来、人間の存在は「知情理」、「真善美」を共通項に語られていたところに、個人の「情」の上位に脳内物質を展開して貴兄の指摘する世俗に拡張している違和感だ、とも思われます。

あらゆる文明の中では脳内物質(否定する自由も当然あります)を瞑想や荒行で制御する修行、酒や煙や薬物による開放を求める人間の本能が根底にある。 さらに言えば苦痛も居心地がよいこともある。

その中を生きていく人間はその本能の中で「知情理」、「真善美」を学ぶ、あるいは身に着ける。 これらを探求する意欲により個人の中に人格が形成されていく。

意欲が普通に行われておれば「習慣」、意識して自ら行えば「自己啓発」、他人を介せば「カウンセリング」、意図的な悪意を持って行われておれば「洗脳」。

探求意欲の中に悪意が潜むかどうかは本人次第、家族、近隣、国といった社会次第、さらには国々の集合体である世界さらには自然、地球、宇宙、あるいはそれらをひっくるめて身近の指導者や評価者のそれこそ人格次第の面はある。

「身近な彼ら」の中には電線(いまでは光線もある)、無線で送られる文字だけではなく二次元で作られた平面画像と疑似空間が、さらに音響と音声で相手に合わせた変幻自在の人格を持ち始めてもいる。

世俗はそれぞれの「知情理」「真善美」を抱えた個人の集合体となる。 したがい、脳内物質が抱え込む人格は個人の数だけある。 世俗はその多様性集合体である。

集合体には秩序が必要であり現代には二つの秩序がある。 経済秩序としての資本主義(Capitalism)と共産主義(Communism)。 しかし、個々の人間を対象にすると、自由主義(Liberalism)と矯導主義 (脚注1) (Guidism ? は多分違うと思う)、と言い変えるほうがよさそうだ。

自由主義は、その歴史的変遷による振れは大きいが一応の富の再配分は行われる社会を前提とする。 それが社会主義だ、といわれても後述するようにそう簡単ではない。 

なお、矯導主義には大日本帝国も含まれておりマルキシズムに限定するつもりはない。 ただ、色濃く出ているとはいえる。 心情リベラルは自由主義とこの間をふらふらと居心地を求めてさまよっている。

自由主義を自任する国を概観するとアメリカ合衆国ほど大きくなると世俗(居心地)の均質性がないと成立できなくなり、大韓民国クラスでは均質性で成立ができている。

日本の元々アメリカ嫌いのリベラルの多くは今の韓国こそ「民主主義」が最も進んだ国と評価しているようである。

矯導主義は持続性、均質性を保つおそらく唯一検証された統治法と思われる。中華人民共和国と朝鮮民主主義人民共和国。 特に後者は民主主義と名乗っているせいか、かつては日本のリベラルにとっての「地上の楽園」理想卿でもあった。

そして、前者は憲法に則り矯導主義的資本主義で自由主義的資本主義の打破打倒を目指している。 ちなみに日本の矯導主義は戦前では右翼サイドが、戦後は左翼サイドがアメリカを相手に夢想(それこそ下部組織はアドレナリン、上部組織はエンドルフィンの全開を)していた。

さて、その国家主席は毛語録を反面教師に主席名で示す理論もしくは思想で国民に共産幻想を再生拡大して皇帝を目指している間に、次の主席を目指す党中央執行委員会の委員諸氏は、あまたある中国皇帝国家史よりむしろ世界国家を目指すにはエドワード・キボンの「ローマ帝国盛衰史」をひっそりいやこっそり、ひょっとすれば塩野七生の「ローマ人の物語」も読み込んで 元老院「対」皇帝 の攻防をひも解き、大衆の中に蒔いた共産党宣言がカソリックの経典に迫れるものか、を研究しているだろう。

気になるのは一大帝国を作り上げたアメリカの任期付き皇帝は「ローマ帝国盛衰史」など読んでもいないらしい。(あまり人のことは言えないけど)

翻って日本はと問われれば自由主義的矯導主義かつ資本主義といえる。 ただ、同系の国と比べれば両面において反対できる居心地の良さはまだ少しはあるようだ。

その中で日本人が最も誤解あるいは錯覚している外来訳語は「民主主義」である。 たぶん明治時代の茅原崋山と言われるデモクラシー【Democracy】の訳語「民本主義」の転用が語源であろう。

ただし、原語の字づらからも「-主義」【-ism,-イズム】の範疇には入っていない。 チャーチルが言うように「民主制度」が正しい訳と考えられる。

したがい、自由主義でも矯導主義でも、資本主義でも共産主義でも、選挙制度という民主制度(Democratic System)として採用することができるし国名にも使える。

もちろん後年の政治学用語として民主主義【Democratism】(デモクラティズム)もあるが政治家を含む日本人がそれを意識しているとは思えない。

資本主義と共産主義、自由主義と矯導主義。 世俗の中では「真善美」はともかく「知情理」では異なるはずの【資本主義】と【共産主義】の境界は土地の所有や生産手段の帰属先程度と曖昧になり、【自由主義】と【矯導主義】の境目は、いつの時代にもある、それぞれの「居心地の良さ」の差に過ぎないようになった。 世俗は【主義】の差による国力の優劣のなかにある。

消えて行く世代にとっては「近代」「現代」と続き、(「戦争で」、ではないことを切に願い、そして祈る)次の時代、となって改めて命名されるであろう「その時代末」生きた日本の心情的リベラルの世俗とは何だったのか。

それを「正気の時代」とすれば戦争の直後であったこと、それも戦争から遠く離れて長く、良く持った時代だったこと。 その中で心情リベラリズムの志向は「理想的」矯導主義であり、その「理想」も、「いろいろ」の自由主義、だったことではなかろうか。

人間的側面を【矯導主義】とした【共産主義】と同義語とされる【社会主義】(Socialism)についての考察に踏み込んでみる。

知名度の元はといえば、コミューンの連邦国家形成上の主義を最終的に一党独裁の共産党がいずれ明確な身分制度となる共産主義(者)(Communist)を名乗らず、そのまま乗っ取って潰え去ったソビエト社会主義共和国連邦(英名 Union of Soviet Socialist Republics)だったと想像される。 

当然の秩序維持なのか必要悪なのかはさておき、必然的に【自由主義】にも【矯導主義】が顔をだす。

【社会主義】は二つの主義の間で【矯導主義】の度合を薄めて見せたい、居心地よく響かせたい、という【共産主義】思想の志向の認知から始まったのではなかろうか。 

逆に見れば【自由主義】のほうからの世俗の格差調整政策をとる度合もしくは間合をはかる工夫の言葉にもなる。 たとえばそれぞれのお国柄の北欧社会主義などがある。

それやこれやで、いろんな面で利用でき、だいたいの【社会主義】は接頭形容句を伴う。 【国家(的)-】【民族(的)-】などは歴史を揺るがす思想となり現在ではそれぞれ別の【-イズム】になっている。(自分で調べてね)

中には自称ではないだろうが、ユートピアン- (utopian-)【空想的-、理想的-】なんてのもあった。 (一応は共産主義に先行する先駆者的敬称あるいは尊称でもあります)

これに対してマルクスやエンゲルスは、近代科学の黎明期に【共産主義】を【科学的社会主義 (scientific socialism)】と創称した。 一世紀半を経過した今では「-主義」の出自の象徴とした【科学】自体も慣性あるいは惰性で革命的に動き出している、と予言の妄想を拡張している人も国もあるかもしれない。

何しろ、「科学」がもたらす(した)【自由主義】と【矯導主義】は、それぞれの中で、ばかりか双方から IT、AI を駆使した【監視社会主義】だ、いや【安全社会主義】だ、と【-社会主義】の接頭形容句論争や糾弾競争が始まるのだろうからね。 いわばオーエル「1984」の居心地論争が数十年遅れて始まることになる、いや経験することになる。

ただ、アメリカをダシに(つまり中国には言及しない)批判をする日本の純性リベラルの居心地は、【矯導主義的社会主義】により【矯導主義的資本主義】が【自由主義的資本主義】に勝利することで真の【科学的共産主義】革命の最終段階である【理想的共産主義】への過程、に過ぎない程度のようにも思えてくる。 実に居心地良いじゃんか、と。

一方では、主義や主張のパラレルワールドに存在する「科学」も「世俗」も大きさのない質点に過ぎず、「居心地のよさ」の集合力のせめぎあいで現実の時間を遡行できない【ニュートン力学】に沿って後退することもなく、右や左へ、いや、上へ下へと突き動かされているようでもある。 

しかし、その先の科学は破滅的結果へも導ける【アインシュタインの相対性理論】からの予測となるのだが・・・

まさかとは思うが、純粋リベラルの中にはどんな文明にも見られる「終末論による再生説」で、文明の破滅後の少人数のコミューンの共存という【ネオ・(新)ユートピアン社会主義】を夢見ているのかもしれない。

ディストピアン・ユートピアン!なんて居心地、良さそうな、悪そうな、アニメになりそうな・・・日本人が好きそうな。

【社会主義】と呼ばれる範疇には名前を消して存在する主義【-イズム】 もあるが、今となっては日本で「社会」や、前述の「民主」などを名乗ってみるけど未来を描けぬ政党が何となく冴えないのは何となくわかる気がする。

 

その一方で【自由民主】と続けると実態はともかく言葉の力はあるようだ。 【自民】と詰めると、まったく意味のない記号となるはずだが、繰り返されると日本語としての言霊となるのだろう。 

八文字を二文字に詰めた「令和」もそうかもね。 「い」は前の母音に引っ張られるのだけど、「れいわ」か「れーわ」か。 どちらが定着するのだろう。 「平成」には二つも「い」があったけど「へーせー」しか記憶に残ってないな。 

さて、「しずけさやいわにしみいるせみのこえ」…

【ジィー、ミィーン】と染み込む「岩」は、有権者さらにはその予備軍を含めた選挙民の隠喩(メタファー)になるのだが、その居心地はいいのか、わるいのか。

それにしても、古文の引用はむつかしい。 「しず(づ)かさや」 か 「しず(づ)けさや」 か。 当CEO は後者で 「づ」 のほうが心地よいのだが原文は「閑さや」である。

ついでに 「いわに」 は 「岩に」 ではなく 「巌に」 であります。 【いわお】とも読むが、何とはなく、もう苔むしちゃっているようだな。(閑話休題)

 

【自由】と【民主】そのどちらもが国際社会に組み込まれてゆく日本が必要として移入した概念の言葉である。 【自由】は主義であり【民主】は制度であることを再度繰り返しておきたい。

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ハウツー本を越えて本書から読めることは、これまでの、そしてこれからの個人の「居心地の良さ」とはなにか、のようです。

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注1) 【矯導主義】 当CEO の合成造語です。 同音で意味も似ているようだが差がある【嚮導主義】のほうが正しいのかも知れない。(念のため、違いは自分で調べてね)

ちなみに、大陸の漢字圏では【矯導所】や【矯導隊】など(思想)刑務所、矯正執行(暗殺実行)部隊と言った意味で使われることが多いようだ。 日本では行政用語として【矯導院】現在の少年院などがある。

英語に翻訳すると【Guidism】となって、おそらくキリスト教の一派となってしまうだろう。 多様性文化の下では【民主主義】と同様に適切な 日 - 英 の訳語ではないようだ。

【嚮導主義】を英語にすると【Guidanceism】となるが、【嚮導艦】【嚮導機】などでは命令にしたがう全体を先頭で率いる意となる。 

日本語では類語の【先達(せんだつ、せんだち)】があり、巡礼や修行、学問などで目的を持った集団の先頭あるいは最上位に立つ人をさすので多少は穏やか・・・かな。 

でも社会科学的には漢字圏なら精一杯振っておいたほうが正しいと思える。

完 2019.08.19

追記 2019.09.27

少なくとも日本では一般的にならない、したがい明確な日本語になっていない、世俗的な、つまり人間的な主義(-ism)としてアナーキズム(Narchism)とリバタニアニズム(Libertarianism)がある。 それぞれ左と右の、共産主義と資本主義に付随する概念の極遠とされる。

しかし、脳内物質に支えられた人間の考えることの極限ではお互い重なりあうようで、その差異は現在の世相世俗の中での対立に過ぎないようだ。 

世相に完全な自由主義もなければ矯導主義もない。 結局のところ極限は概念のままであり、脳内物質で、群れ、争(あら)そう本能のある人間が極限の主義の実態にたどり着くには完全な矯導主義か終末論の中にしかなさそうである。

この記事で哲学に興味をもつ読者はいないだろうが考える幅は広いほうが良いと思われるので追記しておきます。

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