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2019年8月 4日 (日)

「マックとミー、レガシー・ビジネス始めるってよ」の巻 (3 の 3)

(3 の 2)から続く。

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キネマ・エアラインズのお客様と当CEO オフィスにご来訪を頂いております皆様に、暑中のお見舞いとご健勝祈願のご挨拶をお送り申し上げます。

なお、合わせましてエアコンなしで営業中の当キネマ航空 CEO オフィスより、継続中の記事の分割掲載のご案内をお知らせ致します。

弊社CEO はこのところ、歳とともに生来の暑がりがひどくなり、おまけに怠け癖も再発して、従来のように一気呵成に書き上げる気力も失せたようであります。

このため少しずつでも書き継ぐように説得いたし、ようやく第一回分の出稿にこぎつけました。 ぜひ、ご継読を賜れますようお願い申し上げます。 

よって、追加出稿があり次第、下記に追記にてご案内いたします。 ご寛容の上、何卒宜しくお願い致します。 

                             2019/08/04 キネマ航空  広報担当 敬白


第一回 出稿 2019/08/04
第二回 出稿 2019/08/05
第三回 出稿 2019/09/30 
第四回 2019/10/13 Latest !!
第五回 以降は(3.1)と項を改めて継続します

「アー!しっかり仕事をしてくださいね! せめて予定ぐらいは・・・」
「うるさい !! CEO ファースト、社員は居らんからお客様 セカンドじゃ !!」
「政治家ども!有権者ファーストなら、裏金歓迎
大口献金セカンドぐらいはハッキリせい !!

-----------------------------第一回--------------------------------

先々回(3 の 1)で MRJ90 もとい、 M90 をふくむ三菱・スペースジェット M100 シリーズ が世界最小胴体径の商業機シリーズになったと書いたが次の指摘があった。

エンブラエル ERJ 145 シリーズ(乗員/乗客 2+1/37-50 胴体径 7'6"/2.29m 座席配列 1+2)は2003年に哈爾浜航空工業集団(当時)との合弁によるコンプリート・ノックダウンで中国に移管し2016年に生産を終了した模様。 

しかし、本国ブラジルでは派生機種のビジネスジェット エンブラエル レガシー 600 シリーズ、加えて輸出市場を含み10か国で運用中の軍用途としての ERJ シリーズの保守と受注体制を保持している。
すなわち、ボーイング傘下の位置付けは不明だが商業機としてのステータスは維持しているようだ。

詰まるところ、MSJ M100 シリーズ (乗員/乗客 2+2/69-88 胴体径 9'8.5"/2.96m 座席配列 2+2 )に相対する ERJ 145 シリーズ(胴体径 2.29m 座席配列 1+2)となる。

室内幅ではないがクラスの標準的な通路幅18”(0.457m)を差し引いた配分は 0.625m/席 対 0.611m/席 の比較ともなる(正確には、胴体外殻構造物寸法 = 胴体幅 - 室内幅、を含んでいる)
M100 シリーズは座席をヘリングボーン式に配置してシート幅に余裕を持たせるそうだ。

したがい、当CEOオフィス の記事は、座席配置 2 + 2 とした定義では、と書き換えなければならないようだ。

もちろん「大は小を兼ねる」とも「小よく大を制す」ともいえる。
新規開発の工業製品の宿命としてチーフ・エンジニアの見識とカスタマーの要求という時代の錯綜(ニーズとシーズのタイムラグ)の中で決まる商品価値でもある。 評価の確定している製品では企業運営のマネージメントの識見でもある。

いずれにせよ M100シリーズ についてもサポートサービスの契約を交わしている ボーイング(-ボンバルディア・グループ)は MAC の背後を押さえる航空ビジネス全般の比較論点が明確なカードをすでに押さえていると言える。

これに対して MHI-MAC チーム は座席配置 2 + 2 での最小胴体径商業機であった ボンバルディア CRJ シリーズ の事業を継承した。 この辺りから考えてみたい。

-----------------------------第ニ回--------------------------------

その前にリージョナル・ジェットの基本構造について考えておく。

一般的に三次元の相似形状の均質な物体は基準となる長さを倍尺で 2 倍すると面積は二乗で 4 倍、重量の指標となる体積は三乗で 8 倍となるので2 倍に拡大した航空機の翼面荷重は 2 倍となる。
すなわち、飛行機ファンにはお馴染みの二乗三乗則 である。

つまり翼面積をさらに 2 倍するか速度を 2 の平方根の 1,414 倍にしないと同じ滑走路長で離陸できない。 
翼面積を拡張すれば自重は増えその分エンジンの出力を上げればさらに増えるので離陸滑走距離と離陸速度のバランスで折り合わせることになる。

では、縮尺して長さを半分 1/2 倍にすると面積は 1/4 倍、質量は 1/8 倍したがい翼面荷重は 1/2 倍となる。

原型となるジェットライナーより出遅れた小型のリージョナル・ジェットは原型より有利になるかと言えば、そうはならない。

縮尺を 1/2 にして翼面荷重が 1/2 になっても、推力の元となるジェット・エンジンの空気取入口面積(レシプロエンジンならプロペラ回転面積)は 1/4 倍であり滑走距離は伸びるし最高速度も低下する。

小型になるほどエンジン本体とそれに関係する機体の構造部品は系統的に二乗三乗則 から外れて機体重量は相対的に重くなってゆく。

大型機では主に主翼の剛性を低下させる撓み翼とぶら下げたエンジンポットを揚力や空力回転モーメントのカウンターバランスウェイトにして構造重量の低減が行われて二乗三乗則 に近づけることができたが小型機ではそうそう うまくはゆかない。

リージョナルジェットでは主翼をできるだけクリーンにして性能を高めてそれを維持できる剛性を持つ主翼構造を採用することになる。
さらに言ってしまえばボーディング・ブリッジなどない(当時は大空港にもなかった)ドサ回りの地方空港巡りをする機体なので移動式のタラップなど使わず乗降できる機体内蔵タラップ(エアステア)も必須であった。

次回はこうした要件で開発されたリージョナル・ジェット前史を振り返ってみたい。

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どーせ、シュド・カラベルから始まるんでしょ。 でも、この調子で三回目もお願いしますよ。
いちいち五月蠅い ! じゃが外せんじゃろな。
それに予定は未定じゃない!不明のままじゃ !!
このクソ暑いさなかにエアコンのない CEO オフィスに来る客はいないじゃろが。

そりゃそうだけど、増便もしていない 本業 のほうは大丈夫ですかねー。
確かに心配じゃが雑用が多すぎるわい。
そう言や キネマ航空博物館 も展示を増やさないとな。

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「そうこうしている内に残暑お見舞いになっちゃったな」
「残暑 残暑 何残暑 酷残暑 なんちゃって !」

「昭和中期じゃあるまいし『なんざんしょ こくざんしょ』なんて誰も笑えませんよ」
「少しは涼しくなるかと思ったんじゃが、『昭和も遠くなりにけり』、かのぉ」

-----------------------------第三回--------------------------------

いわゆるリージョナル・ジェットの先駆けといわれるシュド SE 210 カラベルデ・ハビランド DH106 コメットの胴体部を基本にしていることはよく知られている。 そこで、両機種の年代記を一覧にしてみる。 まずコメット(二代目)の出自から・・・

年 . 月 デ・ハビランド DH106 コメット シュド SE 210 カラベル
1943.2 コメット(二代目)の名は戦時下のブラバゾン委員会が戦後の航空機産業に向けて策定したプラン4のジェット輸送機の中に概案  
1946.9 当初は郵便機として計画されたが旅客機に仕様変更  
1949.7 初飛行  
1951.1 BOACコメット Mk.1 就航 仏航空局の国産短中距離ジェット旅客機要求仕様を公開
1952.3   シュド・エストの双発リアマウント案 SNACASE X-210 を選定
1952.5   政府の開発援助を得てSE-210 となる SE は シュド・エスト から
1952.10 BOAC Mk. I #9 ローマ・チャンピーノ空港離陸時オーバーランにより全損 軽傷者 2 名  
1953.2   SE-210 試作機製造開始、まずは購入したコメット I の胴体からコックピットを分離するところから
1953.3 カナダ太平洋航空向け Mk. IA #2 のフェリー中にパキスタン・カラチ空港離陸時オーバーラン火災全損
BOACの運航要員 5名、D.H. のエンジニア 6名 全員死亡
 
1953.5 BOAC783 Mk. I #8 カルカッタ空港離陸時、落雷(未断定)により墜落、乗員乗客 43 名全員死亡  
1953.6   フランス UTA航空コメット Mk.IA 通算#19 ダカール空港でオーバーラン(機体損傷のみ)
1953.8   エール・フランスコメット Mk.I の運航開始
1954.1.10 BOAC781 Mk. I #3 イタリア西部の地中海上空で爆発
耐空証明取り消し
BOAC は全機の運航停止し本国へ廻航したが異常は発見できず燃料系電気系の強化と煙感知器追加と乗員訓練を実施
 
1954.3 耐空証明を再発行  
1954.4.8 SAA(南アフリカ航空)201 Mk. I #? イタリア西部の地中海上空で爆発
9 日、耐空証明の再取消し
BOAC からのリース機であった SAA201 の機体は深海にあるため BOAC781 の残骸を回収して原因追及

エール・フランスコメット Mk.1 の運航を停止、以降の再開はなかった

1954.4 チャーチル首相の指示による国を挙げた事故調査結果の検証となる水槽に沈めた実機の胴体に対する繰返し加圧実験などの設備建造を開始  
1954.5.29 水槽の完成  
1954.6.24 客室中央部外郭板の窓枠取付部の角から亀裂が発生し、短時間で胴体の断面形状を形成するフレーム(構造部材)に達するとフレームに沿って上下に伸展し胴体を輪切り状態にしてゆく疲労破壊の開始点を確認  
1954.8.28 回収された前部胴体の上部にあった自動方向探知機取付部に同様の亀裂があり疲労破壊の仮説は実証された  
1954.10 最終事故報告書に向けての審問を開始  
1955.2 機体設計上の欠陥による金属疲労と断定
破壊の進展の追求から設計、構造、材質、試験法など未知であった工学上の知見を得る
 
1955.5   シュド・エスト SE-210 初飛行
1957.3   シュド・エストシュド・ウエスト の合併で シュド・アビアシオン に社名を変更
1958.8   シュド・カラベル I (1.4m のストレッチ)就航
1958.9 最終型式となる コメット Mk.IV のデリバリー開始  
1959 ホーカー・シドレー、 デ・ハビランドを買収  
1964 ホーカー・シドレー・コメット Mk.IV で生産終了  
1972   シュド・カラベル 12 で生産終了
生産機数 162 (内 Mk.IV74 279
運用終了 1982年まで民間で運用されていた
1967年より2011年まで英空軍が派生機種の対潜哨戒機 BAE ニムロッド を 運用
21世紀初頭 まで運用されたようだ

 カラベルはコメットの就航と同じ年に開発が始まり1972年に製造を終了したがその生産数は1.7倍であった。 

 おそらくシュド・エストの設計案に国外の胴体とエンジンの選定が含まれていたのだろう。 シュド・エストの細部設計はコメット Mk.I の路線就航の翌年となる設計案選定(1952.3)から始まり初飛行まで38か月(3年2か月)かかった。

 カラベルの機体がコメットをベースにして開発されたのは、英連邦以外で海外からの筆頭発注元だったエール・フランスのコックピット共通化への意向が強かったことと英国の見返り販売政策がかみ合ったこともあった。 

 また、要求仕様書にあった自国で開発したジェット・エンジンである スネクマ アターの出力と運用実績の不足から採用を見送り、ロールス・ロイス エイヴォン を採用するなど、工学に関係する機体やエンジンは輸入であろうと実績を優先させて採用する官民の国家プロジェクトの運営に注目したい。

 その代わり、それを統合する後部胴体マウントの双発エンジンのコンセプトは多くのフォローワーを生み莫大な特許収入を得ることになる。

 後部3発エンジンもここから生まれたと言ってもよいだろう。 さらに、多分、特許料は支払ったと思うが、何を考えたのか英国の ヴィッカース VC-10 それに続くソビエト連邦の イリューシン IL-62 などの四発胴体後部マウントでは、米国で台頭した技術を決定的に見誤ってしまっていた。 この辺りは次回に回すことにして・・・(閑話休題)

 さて、カラベルは、設計開始の翌年にインドでの コメットMk.I の原因不明の墜落。 さらにその翌年、地中海上空での連続空中爆発に対処を迫られることになる。 

 大がかりな実験を伴う英国の最終報告書はカラベルの初飛行の3か月前であったが、英仏間で原因の推定は共有されており、実験開始の段階での知見・・・すなわち、約1年前の、

「与圧による機体の膨張の繰り返しによる客室窓枠角部を取り付ける外板の開口部の角の丸みが小さいため応力集中係数が大きくなり、疲労破壊から始まる亀裂の連鎖が高空の室内外の気圧差によって胴体被殻の強度限界を越えて爆発した」というストーリィ(実機を使った実験の前提仮説)で改設計を始めていたと考えられる。

 そして、カラベル I の胴体を英国と同様の水槽に沈めて繰り返し加圧実験を実施している。

 具体的な対策には外観部品となる窓枠の角部の丸みを大きくして外殻を構成する外板の厚さを増す方法が取られた。 一連の事故と対策はWEB上にあるので閲覧できます。 

 カラベルの窓は角を丸めた三角形状の独特な窓を採用した。 少なくとも応力集中を起こす個所は一つ少ないという論理的結論なのか、いかにもフランスらしい美的感覚であります。

 コメットは角の丸みの大きい長方形で横長の窓を採用した。 中にはイギリスらしくラグビーボール状の窓もある。 これなら応力集中部は2個所となっている。 まあ競争しているわけでもないだろうが飛行機で見るお国柄は楽しい。

 それと同時に、顔のよく似た二つの機種はそれぞれの政府の指導と強固な意思のもとに計画されビジネスとは別に工学的な貢献を果たしたといえる。

 ひるがえって、一国だけの技術で航空機の機体とエンジンを創ることのできる国は数少ない時代の中で、誰とは言わぬが、わが日本の悲願の「(せめて機体だけはの)国産機を ! 」の、幻想に支えられた、政府機関の立案と構想を民間に丸投げされた MRJミツビシ・リージョナル・ジェット)いや MSJミツビシ・スペース・ジェット)が問われるのは、『ビジネスだけを目的としたのかに、なるであろう。

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何とか第四回につなげたのう
次回はリージョナル・ジェットの先陣を担った CRJ に迫りたいが
間の歴史の前置きが長くなりそうじゃから第五回から独立させるかのう ? !

どうぞ、ご自由に ! でも、お客様ファーストの CEO でお願いしますよ !!

-----------------------------第四回--------------------------------

先行する英国のコメットとそれを追う仏国のカラベルの主要諸元の変化の追跡です。

機体名称 デ・ハビランド DH106 コメット シュド SE 210 カラベル
型式 Mk.I Mk.IVc I 12
生産機数 11 28 20 12
初飛行 1949 1959 1958 1970
乗員/乗客 4 /36 4/79 2-3/90 2-3/128-131
航続距離(km) 2,415 6,900 1,650 3,200
巡行速度
(km/h)
725 840 746 810
最大離陸重量
(kgf)
47,620 73,480 43,500 58,000
全長(m) 28 33.99 32.01 36.24
全翼幅(m) 35.05 35.05 34.30 34.30
翼面積(m2 187.2 197.0 146.7 146.7
アスペクト比 6.54 6.21 8.02 8.02
翼面荷重
(Kgf/m2
254.4 373.0 296.5 395.4
エンジン仕様 ハルフォード H2
ゴウスト 50
RR エイボン
Mk.524
RR エイボン
Mk.522
P&W
JT8D-9
最大推力(kN) 22.2 46.7 46.75 64.50
搭載数 x4 x4 x2 x2
推力重量比 0.190 0.313 0.219 0.227

各々の機種に型式の変遷があり、表記は初号機と最終生産機の型式
間にはより優れた性能を示す型式もあるが省略した

注 1) カラベル I の(翼面積)の値は推定。 
注 2) 推力重量比は物理単位 [kN ] 、工学単位 [kgf] を整合させるため次式を用いる。
    推力重量比 =(最大推力 kN x 搭載数)/(最大離陸重量 kgf x 0.0098)

翼について両機を比較するとアスペクト比に大きな差がある。 コメットの全翼長(ウイング・スパン)は変わらないが翼弦長(コード・レングス)を変えて翼面積を拡大しているようだ。

翼面荷重については、初期と後期においては両機とも似たような変化をだどっている。胴体を伸ばしで座席数、航続距離の維持または増加のための燃料槽の増設で最大離陸重量(MTOW)の増加を招き、離陸速度や巡行速度などの維持のためにはエンジンの推力増加も必要になる。

推力重量比(スラスト ウェイト レシオ を短縮した SWR では分らぬし、)以下「推重比」と呼ぶことにして、この値がエンジンと機体の適合性の指標になる。

この比は無次元であるが、基本となる推力(スラスト)の単位は物理単位で 1 kg の質量に乗じた加速度を数字で表した力の単位[N (= kgm/s2)]であり、いっぽうの機体の重量(ウエイト)は工学単位(と、言ってもお肉屋さんでもキロ・グラムまたはグラム当たりでハウ・マッチ、と使われる単位と同じ)の、重量または力を示す単位[kgf]であります。 中でも、重量 [kgf] を簡単に言えば、その物体の質量 m に地球上の重力加速度 G を乗じた値を測った値であり、無重力になれば 0 kgf になる単位でもあります。

地球上と言っても量る場所によって重力加速度は異なる。 肉の値段も変わる。 そこで、無次元でも使えるように 1kgf = 9.8N と定義しています。 面倒くさいですね。

つまり、 物理学単位の 1 N1 kg の質量に 1 m/s2 の加速度を与える力と定義されています。 つまり、地球上では 1 kg  の質量に 9.8 m/s2= 1 Gの重力加速度がかかって 9.8 N の力で手のひらを押し、これを 1 kgf (キログラム・「フォース」の略)と力の工学単位で呼ぶのだが、この力を肉屋の秤で測れば単に重さの 1 kg と呼ばれることになる。 中には丁寧に 1 kgw( (キログラム・「ウェイト」またはキログラム「じゅう」)と呼ぶ人もいる・・・のかな ?! 。(”お久しぶりね”の閑話休題)

したがい、本題の kN 単位に換算して算出した「推重比」は、そのエンジンの総推力でその機体に掛けることのできる加速度比を示している、といえます。

つまり、推重比が 1G)を超えれば機体を垂直に持ち上げることのでき、ヘリコVTOL には必須でありますが、1 以下でも加速でき翼面積と速度の二乗の積に比例する揚力で飛び上がれる。 もちろん離陸速度に到達でき、かつそのための滑走路長があれば、の話であります。

以上を頭の隅っこに入れて欧州のジェット・ライナーの創成期の推重比から振り返ると一般的な離陸時の機体の加速度は 0.2G 前後、コメット IV では 0.3G を超えたようである。

では、この時代の終わりに台頭してきたアメリカの代表機種の基礎となるボーイング 707-120(初飛行はコメットより 9 年、カラベルより 3 年遅れた1958.11)と比較すると、翼幅 39.88 m、アスペクト比 7.1 より翼面積は 224.0 m2翼面荷重は 511.3 m2 とやや大きいが、推重比は乾燥状態で 0.175G 水噴射で 0.201G。 推重比は四発機の コメット I と大差ないが航空ビジネスの基本仕様となる乗員/乗客は 3/179 名、最高速度 997 km/h、航続距離 7,480 kmと卓越していた。

この当時は、まだ燃料消費量がどうの、という時代ではありませんでした。 アメリカは長大な滑走路を持つ空港の展開を含めてジェットライナーのシステムを視野に入れていたとも、それを実行できる覇権を握っていたともいえる、航空の時代の幕開けでした。

詰まるところ、この時代はジェット・エンジンの黎明の時代でもありました。 ここで上げた機種で次の時代を担うターボファン・ジェットを採用していたのは カラベル 12ボーイング707-120 のみでありました。

そうそう、フランス政府が自国で開発したジェット・エンジンの スネクマ・アター を断念したのは その推力が 2,722 Kgf だったことにあります。 双発時の推重比にすると 0.125 となります。 したがい、仏航空局のコンペには 5 発機の提案もあったそうな。

ちなみにアターの 3 発案では推重比は 0.187 となりますからコメット Mk. I と同等になりますが、信頼性の面で RR エイボン Mk. 522 の採用を決断しました。 意地を通して 3 発で開発を進めたらビジネス・ジェットのデファクト・スタンダードの栄誉を逃したことになったはずです。 フランスらしい合理性の追求と言えなくもないでしょうかね・・・

米英の旅客機の比較については 当 キネマエアラインズ 900便 で上映中の「予期せぬ出来事 "V.I.P.s"(1963)」のコラムをご参照ください。 また、ボーイング 707 につきましても 同 800便 の「ボーイング・ボーイング "Boeing Boeing"(1965)」にて上映中です。 ご搭乗をお待ちしています。
キネマエアラインズ のコマーシャルでした)

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なお、フランスはコメットの胴体をそのまま使って角を丸めた三角形の窓枠に変えたのではありませんでした。

英国に胴体ごと無理やり買わされたのかどうかは不明だが、欲しいのはコクピットを収めた機種部であった。 コックピット後端の隔壁部で切り離し、変形した円錐台状の接続部を間に挟んで自前の胴体直径 2.97m (コメットは 3.12m )に滑らかにつなげていた。 カラベルは、のちの型式ではこの接続部を使ってコックピットを拡張をしており、機首の形状は初期に比べてわずかに変わっている。

デ・ハビランドは先頭を切ってジェットライナーのコックピットを開発しコメットに採用した。 結果としては計器視認性や操作性は満足できたけれど、飛行関連の計器盤を窓に近づけて前方視界を確保するため操縦席を絞られた機首に押し込めたので狭苦しく、のちにパイロットからのクレームが出ることになる。 また、これまでの計器盤の標準色であった艶消ブラックから艶消グレーに変更するなどの先進性も持ち込んでいた。

いっぽう、カラベルでは飛行関連の計器の配置を幾分変えているが、この当時はエンジン関係の計器はフライト・エンジニア席にあった。フランスはこちらのノウハウを評価したのだろう。 もちろん艶消しグレーも採用していた。

さらに、ストレッチされたカラベルではコメットの場合と同様に垂直尾翼からつづくドーサルフィンとも言えない背の低い補強材が重心付近まで伸びているなど、どちらの主導かはわからぬが共通したコンセプトを共有している。 胴体直径は違っていても基本構造は参考にしているようだ。

カラベルは、後部胴体マウントのエンジン配置に伴いのちのダッソー・ファルコンにも続く水平尾翼と垂直尾翼の構成を十字型にしたこと、 その尾翼に後退翼(その垂直尾翼は三角翼だったが)を採用したことがコメットとの大きな違いであった。

この時代は、エンジニアの発想を実現させる努力と工夫が相互に検証と補完がなされて後世に多くの遺産を残す、あるいは残せる時代であった、「真似した、された」からでは当を得た批評とは言えない。

さて、次回は大陸を結ぶ大型ジェットライナーは誰かに任せて中小型の単距離ジェットライナーでリージョナルジェットの前史に迫りたい。

このあたりから鋭意執筆中です。
別稿の第五回に続きます。
ご期待ください!

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