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2019年11月13日 (水)

「マックとミー、レガシー・ビジネス始めるってよ」の巻 (3 の 3.1)

「マックとミー、レガシー・ビジネス始めるってよ」の巻(3 の 3)の 第五回 に相当します
例によって数回の連載になりそうです

第一回から第四回までは こちら です

-----------------------------第五回--------------------------------

まず、胴体後部の左右にパイロンを介して双発のジェットエンジンを装備するフランスのシュド・カラベル SE 201 の妹たちの話に分け入って行くと、彼女たちは二つのカテゴリーに分かれる。

一つは乗客が数十人から100席前後の小型ジェット・ライナーと呼ばれるクラスであり、もう一つは乗客が数人ないし十数人のビジネス・ジェットと呼ばれるクラスとなる。

まずは前者、
すなわち既存の(名のある)航空機製造会社が手掛けた商用機から振り返る。

なお、対象は双発に限らず全てのエンジンが後部に集中している機体とします。
したがって、尾部に第2エンジンを備えた 3 発機ではありますが、
老舗の ダグラス DC-10、から始まる MD-11
対抗する新興 ロッキード L-1011
胴体前方の左右に各1発の三発機で可変後退翼の、
アニメ・マニア受けしそうな爆撃機 マーチン XB-51
等は、対象から外します。
除外理由は飛行体としてのレイアウト上の差なのですがいずれ別稿で・・・
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胴体後部にエンジンを集中搭載したジェット旅客機
Jetliner with Tail Mounted Engines

 注記 出所「ジェット旅客機 エアライン イカロスMOOK」 2006.10 pp80 - 81
     年.月 は(色分けした)各機種の運航開始年と最終デリバリー年を示す
     ソ連・中国の機種は英語版Wikipediaの運航開始年と生産終了年で示す
     括弧内は( )エンジン総数 [ ] は通算生産機数(主にWikpediaから)

年 代 フランス イギリス アメリカ オランダ ソビエト/
中国
1958.6 カラベル (2)        
1962 カラベル [279]        
1964.2     727 (3)    
1964.3   トライデント (3)      
1964.4   VC-10 (4)      
1965.4   BAC1-11 (2)      
1965.12     DC-9 (2)    
1967.9         Il-62 (4)
1967   VC-10 [64]      
1968.9         Yak-40 (3)
1968.11       F-28 (2)  
1970.9         Tu-134 (2)
1972.2         Tu-154 (3)
1974.3         Il-62M (4)
1976   トライデント [117]      
1976   BAC1-11 [244]      
1976   ルーマニア
ROMBAC

1-11 (2)
     
1980.10     MD-80 (2)    
1980.12         Yak-42 (3)
1981         Yak-40 [1,011]
1983     727 [1,832]    
1987       F-28 [241]
 
1988.3       F-100 (2)
 
1989         Tu-134 [852]
1993   ROMBAC
1-11 [11?]
     
1995.3       F-70 (2)  
1995.4     MD-90 (2)    
1995         Il-62 /M
[94/193]
1997       F-100 [283]  
1998       F-70 [47]  
1999.10     717 (2)    
2000     DC9-MD90
[2,283]
   
2003         Yak-42 [185]
2006     717 [156]    
2013         Tu154 [1,026]
2015.11         中国
ARJ21 (2)
As off 2019         ARJ21[19/135]

   (年表の『年代』は10年単位での色分けしている)

 ROMBAC 1-11 はルーマニア製の BAC 1-11
 ARJ21中国商用飛機公司が製造するノックダウン生産の経験がある MD-80 系の改設計機種。 ウクライナのアントノフの協力による主翼の刷新、アビオニクス関連では欧米諸社の支援などによる。
 MD-8090 等はマクダネル・ダグラス社での DC-9 系の呼称。
 717ボーイング傘下での MD-95 の呼称

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長女となるシュド・アビアシオンカラベルは就航から製造終了までを短期間に終えたがアメリカを含む諸外国に食い込み、中短距離ジェットライナーがビジネスになることを証明した。 

フランスで次に計画されたのはリア・マウントではなく申し訳程度のパイロンにエンジン・ポッドを主翼にぶら下げて先行していたボーイング 737 よりはわずかに大型でパイロンの存在がわかる マルセル・ダッソーメルキュールであった。

試作と生産の合計12機がフランスの国内航空会社のみで運用されただけで結果的には失敗機に入るのだが、後に 737 の唯一のライバルとなっているフランスが主導したエアバス A-320 の原型ともいえる。

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イギリスはテール・マウンテッド・エンジン・シスターズのステージ・ショウとなった。 上の表では機名の通称と就航年を示したが以下ではメーカー名を添えて(開発開始 - 初飛行)年を示します。

3 発 の トライデント (1958 - 1962.1 )は、デ・ハビランド DH.121 として計画されたが 1962 年に ホーカー・シドレー に吸収されて HS.121 として初飛行した。

開発時点ではユーザーとなる航空会社より同じコンセプトのボーイング 727 (1956 - 1963.2 )との共同開発も提案されたが自国エンジンのこだわりから成立しなかったようだ。 正面図で見ると胴体の断面構造とそれにつながる翼根の構造は 727 に分がありそうだ。

4 発 の ビッカース VC-10 (1957 - 1962.7)はソビエトが(諜報組織によって非合法な手段で入手した資料をもとに) イリューシン Il - 62 (1962 - 1963.1)をほぼ 1 年(足らず)のタイムラグで追従し従姉妹より長生きだった。

この当時、英国ではマルクス主義のシンパは高等教育を受けた知識層にも浸透していたため、重要な情報の漏洩が続き、軟派の I. フレミング(の 007 こと J.ボンド)や、現在にも続く硬派の J. ル・カレ(の G.スマイリーe.t.c)などスパイ小説の傑作を生む背景となった時代でありました。
VC-10 にも Il 62 にも関係ないが、ル・カレは「寒い国から帰ってきたスパイ(1963)」が有名。 映画では「寒い国から帰ったスパイ(1965)、「寒い国」は東ドイツだけど西側の飛行機しか出てこなかったような記憶が・・(閑話休題)

いずれにせよ、4 発エンジンの配置では、アメリカが進める揚力で主翼の強度部材に生じる曲げモーメントや回転モーメントに対し、主翼にぶら下げる分散配置でエンジンの重量をバランスウェイトにすることで軽減して、主桁のたわみ構造など構造重量の軽量化に寄与するコンセプトがデファクト・スタンダードとなる。

その前に、後部4発の配置は、この時代から始まる燃費の向上や騒音など環境性能との引き換えにエンジン外径の増加を招く高バイパス比化がなされていくターボファン・ジェットの装着には決定的に不利なレイアウトだった。

さて、・・・

発 の BAC 1-11(1956 - 1963)は、あまり聞いたことのない ハンチング・エアクラフトH-107 として計画されたのだが、同様の計画を進めていたビッカース社と他の2社(ブリストルイングリッシュ・エレクトリック)とともに合併し、1960年に BACブリティッシュ・エアクラフト・コーポレーション)となり型式名は BAC 1 と新会社名を名乗ることになる。 なお、 - 11イレブン)がくっ付いたのは名門ビッカースの開発していた同様の機体が VC-11 だったから、かなぁ??

ハンチング・エアクラフトHunting Aircraft)は、戦前から練習機など小型機を手掛けていたメーカーだった パーシバル・エアクラフト が源流。 1954年に燃料油脂事業のハンチング・グループに入り、ハンチング - パーシバル・エアクラフトを経て1957年に パーシバル の名は消えた。 1960年には BAC に吸収されて、ハンチング ‐ パーシバル 時代のジェット練習機 ジェット・プロヴォスト T-1T-5 にまで発展させている。

戦前のパーシバル・プロクター(1939)は、当キネマ航空 フライト 003 で上映中の「マッケンジー脱出作戦」に登場している。 ちなみに、パーシバル 時代の機名には初期はカモメの仲間から、プロクターあたりから教職者や聖職者の役職名を用いている。(閑話休題)

さて、この BAC 1-11バック・ワン・イレブン)は英国製の商用機としてはまあ成功したと言っていいのだが、試作機の試験期間にディープ・ストールと呼ばれるT字尾翼機特有の墜落事故を起こすことになる。

イギリス編はここで終わるのだが年表で見るように1960年代に就航させた3機種は1970年代には開発費を十分に回収することなく生産を終えている。

もちろん機体の運航は続いているが1977年には航空機産業の国営化にともない BACスコティッシュ・アビエーション ホーカー・シドレー・グループ とあわせて BAe (ブリティッシュ・エアロスペース)に統合された。

なお、BAC の時代にフランスのアエロスパシャルとの国家間共同開発によるコンコルド(フランス名では コンコード)を完成させている。

BAe は国営企業として銃器、弾薬、軍用車両会社に加えて自動車のローバー・グループなどを傘下に収めたが民生部門は順次分離や売却を進めて1999年には、航空・宇宙・海洋、国防、情報・セキュリティに特化した BAE システムズとなった。 

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さて、オランダもテールが左右に展開するエア・ブレーキのフォッカー F-28 の系譜が踏ん張ったが、中距離ジェットライナーでは 727 と DC-9 でアメリカが覇者となり、やがては大型機を真似たのだが主翼の下に中途半端にくっ付けた双発の 737 が取って代わって肥大化して行く。

ソビエトは、独自性を注ぎ込んだとしても、はじめは英国、次には米国のコピー、中身を伴わない物まね、と言われようが、閉鎖された東側経済の中では西側に対抗できていた。

そして中国はソビエトの技術協力もしくはコピーのコピーによる勉強の時代だったといったところだろう。 このあたりの経緯は省略する。 

その中で特記できるのはソビエトの Yak-40 である。

このころのイギリスは多彩な計画機を模索しており、その中の情報をこっそりいただいた可能性も考えられるが、乗客数30人程度の高速性能はほどほどにして扱いやすい直線翼と冗長性を兼ねた運航の安定性で採用した3発テールマウントに加えて APU (補助動力装置)やエアステアカラベル 727にも見られた備え付けのタラップ)を備えたコンセプトはノーマンズランドであるタイガやツンドラの中に点在する極寒地の地方空港を結ぶインフラとして考えうる機能をきちんと備えていたといえる。

本機は、当キネマ航空 フライト 006 で上映中の「 747 エア・ターゲット」に登場している。 ただ、同じ後部 3 発のダッソー・ファルコン 50 のスタンドインで、ですけどね・・・(キネマ航空のコマーシャルでした)

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カラベルが目指した、ミッドレンジ(中距離)・ジェットライナーからリージョナル(地域的)・ジェットへ、つまり汎用から目的限定への可能性を示唆したのは Yak-40 であったと言える・・・まあ、一部の航空マニアや専門家からは否定されるかもしれないけれど・・・

日本の航空機フリークは零戦を持ち出すまでもなく自国の技術を神聖化する傾向が強いが、技術の「要」は、使えたかどうか(の過去)、ではなく、使えるかどうか(の未来)、であるだろう。

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以上の年表は第一世代のジェットライナーの一角を構成する一形態の機種をまとめています。 一つの世代の航空機は、ほぼ20年周期でその世代の盛衰を経て、ある企業は消滅し、ある企業は次世代機種の進空とそれに準じた既存機種の更新で生きながらえるようです。 

英国で見ると 1960 年代に製造が始まり 1970 年代で航空機産業自体が合従連衡のなかで民生用途の製造業種としての一生を終えている。 そして産業自体が国有化という手法で集約されることになる。

以降の英国で開発製造されたジェットライナーは低騒音と STOL 性能に特化した(都市空港向け)高翼4発(1973年 ホーカー・シドレー 時代に計画された HS.146 がベース)の BAe 146 (1978 - 1981 -2001 には BAE の時代となっており アブロ RJ として生産終了 )のみであります。こちらは、20 年間で 387 [221/166]機を市場に送り出した。

アブロ社が復活したわけではなく暖簾としての名跡利用でした。 あの アブロ 683 ランカスター698 バルカン などで英国人にとっては勝利した戦争記憶に残るメーカーでした

きしくも英国が航空機産業をあげてジェットライナーによる空への覇権を目指す挑戦とその限界を露呈した時代を、日本はコンベンショナルな低翼のターボプロップ双発の YS-11 で共にしていたことになる。

YS-11 の初飛行は 1962年、生産終了は 1973年、ほぼ半分の10年間で終わった生産機数は 182機でした。 上の年表に入れ込んでみてね。

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需要が見込めるから開発されるリージョナルジェットとは言え、
技術史を語るには、

本来ならば、大洋を超える大型ジェットライナーの覇権争い、
さらには
国有化から外れた中小の航空機メーカーや国策支援を取り付けたライバル企業など
各国の思惑によるターボプロップ機の開発競争に続いて目論む
ジェットライナーへの参入へも視線を配るべきだが

天邪鬼の当CEO は、

次回は「翼はクリーンじゃダメなのか!」と題して英米の技術競争のなかに
分け入ってみよう。

 

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