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カテゴリー「心と体」の7件の記事

2015年1月 4日 (日)

キネマ航空CEO 新年のご挨拶と記事訂正のお詫び

明けましておめでとうございます・・・とはいえ、

「門松は 冥途の旅の一里塚 目出度くもあり 目出度くもなし」 

・・・と、憎まれ口をきく歳となりました。

さて、昨年末にかけては本業より読書に集中しておりました。その経緯はブログに記したとおりであります。まあ、書評等は異端として分類されるのでしょうがそれで良しと考えています。

昨年はブログのカテゴリーの一つの「オスプレイ」は中途半端なペンディング状態ですがそのうち再開する予定です。

いっぽう本業のキネマ航空の増便は1便のみでした。

その 011 便 の 『アロー " THE ARROW " 』 の囲み記事「アウトフローによるピッチアップ」のなかで遷音速時における直線翼と三角翼の挙動の文章に重大な錯誤があり大幅に書き直しました。

ここに謹んでご連絡とお詫びをいたします。改めて ご一読 ください。

また本編後段の、

BAC TSR.2 爆撃機もアローと同じような道をたどって中止されています。ちなみにこちらは尾翼付でしたが三角翼の翼端を下方に折り曲げた後年のノースアメリカン B-70 ヴァルキュリーの可変翼端にも通じた形状をしていました」

・・・につきましても、 BAC TSR.2 の形状は B-70 ヴァルキュリー のそれとは設計意図や機能が異なると指摘を受けましたが形状が似ているということだけですのでそのままといたします。 

ヴァルキュリー のそれは、胴体下のエンジン・ナセルに生じるショック・ウェーブ を抱え込むコンプレッション・リフト(圧縮揚力)用途だそうで、それより遅い速度(といっても音速以上)で飛ぶ BAC TSR.2 では必要ない、ということですが、それよりずっと遅い大型鳥類でも翼端を下げて空気を抱え込むことは行っております。(もちろん物理的な圧縮圧力の発生理論は違いますけど)

BAC TSR.2 には、そのほかにも翼端版効果、肩翼の過剰なロール安定を抑えて機動性を向上させるための下半角やヨー安定のベントラル・フィンの効果もあるはずです。  

この辺りは機会がありましたら・・・といっても  BAC TSR.2 が出てくる映画なんてあったかしら ? !

なお、ご心配をお掛けしております当CEOの一昨年のがん手術の経過観察は問題なく過ぎております。

したがい、今年こそは頑張って(我を張って) 『フランス・フランス・おフランス』のフランス映画に『核兵器絡み』の 2 便の増便を計画中です。できれば日本映画のいくつかも・・・

乞うご期待 !!

以上、末尾ながら皆さまのご健康を祈念して、キネマ航空年頭のご挨拶といたしたく存じます。

2015年正月吉日

キネマ航空CEO 拝

2014年12月 2日 (火)

キネマ航空CEO 読書眼鏡を使う - 『潮鳴り』を読んで時代小説について考える

前々回の独断偏見書評で、葉室凛氏の『蜩ノ記』に浮かんだ疑問は、続編らしい『潮鳴り』(2013・10)を読んでから、と書いたてまえの書評(になってないかも)を追加します。
ただ、本書は江戸中期以降の設定と思われるが「豊後羽根藩」を舞台にしただけで年代差も、はたして続編なのかも、分からない。

さて、あらすじは出版社の宣伝のままで、
「……生きることが、それがしの覚悟でござる。
俊英と謳うたわれた豊後・羽根藩の伊吹櫂蔵は、狷介さゆえに役目をしくじりお役御免、今や〝襤褸蔵〟と呼ばれる無頼暮らし。

ある日、家督を譲ゆずった弟が切腹。遺書から借銀を巡る藩の裏切りが原因と知る。前日、何事かを伝えにきた弟を無下に追い返していた櫂蔵は、死の際きわまで己を苛さいなむ。
直後、なぜか藩から弟と同じ新田開発奉行並として出仕を促された櫂蔵は、弟の無念を晴らすべく城に上がる決意を固める……。」

「何度破れても、挑戦し、生き抜くことはできる。そんな思いを伝えたかった」-葉室麟

それを彩るのは、薄幸ながら健気な、険しくも凛とした、あるいは権威の使い方を心得た、多彩な女性たちの支えで主人公が活躍する普通に読める『娯楽小説』でした。

それはそれでいいのだが、・・・作者は時代小説をどう設定しているのかを、先の筋の紹介文の範囲をなるべく崩さないで印象をまとめておきます。

まず廃嫡となっていた主人公が新田開発奉行並びとして出仕することになる。封建制度のもとでの家督相続(正確には被相続人死亡後の跡式相続か ? )には主君が行うお目見得の儀式が必要なはずであるけれど作中では言及されていない。葉室氏も知っていて省略したのかはそれこそ知れぬが、現代の非正規社員の再雇用のような部長決済で復職したように読める。

その伝で、前掲のあらすじを現代風に言い換えると、弟は会社ぐるみのかごぬけ詐欺の片棒を担がさせられて自殺に追い込まれたようだ。

その会社は巨大コングロマリットの系列会社で主犯は社長と経理部長(だけなの ? )と同系別会社に関係する某物産の社長が仕組んだ共同謀議 ・・・ を?

主人公を助けるのは、先ほどの女性たちと経済に詳しい市井のわけありコンサルタント、それにコングロマリット直系支社の支配人と詐欺に巻き込まれたその支社系列の銀行頭取、といったところ。(ほかにもいるけどね。若干のネタバレ御免)

ただ時代劇なので捜査二課は出てこない。

つまりは同時代小説で例えると『半沢直樹』のような経済小説ベースのミステリーが骨子なのですね。まあ、同時代小説では基本的な社会構造は説明不要なのです。(『半沢直樹』は背景にリアリティを持たせた時代小説なのかも

とはいっても『潮鳴り』は時代小説にもかかわらず、同時小説では必ず登場する取締役、すなわち城代家老も、並び家老も、家老に直属する目付役も、作中では何もせず大団円でも何の処分もされていないようであります。(初めに主君の職務放棄を黙認した理由は家老全員が共同正犯なのか ??  じゃ、事件幕引きの藩政は誰がとっていたのか ??? まさかの主君が ! ???? うーむ、時代劇による現代風刺か !)

作者はこの羽根藩のクロニクル(年代記)に育てるようであるが、この藩はいずれ潰れる(潰される ? )しかないと思うのは、当CEOだけなのかな(シッポを出さない家老が『蜩の記』の悪家老で、ここでもうまく立ち回り、次回につながるのかも・・・と期待するしかないナとも・・・その時のヒール役は隣りの支社の支配人が務めることになるだろうナ・・・生き抜いた主人公はどっちに就くんだろう)

背景となる封建制度を維持するための大名、武家社会のしきたりや枠組みを無視(もしくは説明を省略)した、これを『時代小説』と呼んでいいものかどうか・・・

いや、読者は歴史論文の実例や調書(しらべがき)を読みたいのではない。薄幸の女性に涙し、女性たちの生き方と共に主人公の再生する姿に感動するつもりで読んでいるのだから、これでイイのだ!・・・と、思えばその通りで、

本作の評価はしごく明快 ! 水戸黄門や暴れん坊将軍、大岡越前などのTVムービーで育てられた読者に共通するイメージでバックグラウンドの説明を代行してもらって仕組みの異なる社会を説明する煩雑さを回避し、映像では描けないペダンティズムの味付けを楽しめる作品でありますね。山場では映像(化)の編集を意識したカットバック技法も使われています。

(だいぶ読書眼鏡の効果が出てきた !

余談を飛ばしたい方は、こちら 。

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余談ながら当CEOは小説を選ぶ時の予想と読了後の感想は次のような座標に分類します。ご参考になれば。

まず右に『教養小説』、左に『娯楽小説』、右の右に『幻想(ファンタジー)小説』、左の左に『伝奇小説』を置きます。それぞれの定義にはややこしいところもあるがあなたが何となく決めればよい。

前の二つが普通の小説。そこからはみ出して興味が湧くのが後の二つ。つまりは作者(ひいては読者)の作品に対する想像力とリアリティの置き方で判断します。(虚構にも評価できるリアリティはある。小説は作者と読者の相性ですね)

以上の四つの基準点を横一直線の座標に並べてもよし、前の二つを横軸、後ろの二つを縦軸(どちらを上に置くかはあなた次第)にした直交座標にしてもよし・・・この座標のどこかにあなたが評価する大きさの丸印を打てばよい。

せっかく読んだのだから気に入れば二重丸で ! ・・・年齢ととも座標の位置や丸印の大きさが変わっても、まったくかまわない。(それが再読する意味と価値なのだから)

なお、横一直線の座標が必要な理由は、読者の共通の認識となれる『教養小説』や『娯楽小説』にも『幻想(ファンタジー)小説』と『伝奇小説』の要素があり、後者の二つはどこか背後でつながっている輪をつくっています。しかもメビウスの輪のように・・・それが小説(作家と読者の人間の思考)の面白さですね。

それと直交座標は一見科学的だけど視野は狭くなるように思えます・・・まあ、当CEOには直交座標のメビウスの輪なんて立体幾何学を考えるには歳をとりすぎてますからね。

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当CEOは、『教養小説』では山本周五郎氏の諸作(当時はこれが王道だった)、伝奇小説』としては、山田風太郎氏の特に後期の明治もの、を同時代か、少し遅れて読んだ世代に属しており、時代小説を読むことにおいては幸せな時代を過ごしてきた世代と思えます。

あ!池波正太郎氏も忘れてはいけない。映像の分野で若い読者を誤解させた責任も大きいが、氏は当然それを知っており、あえて話を進めたことは随筆に書かれていたと記憶している。
たとえば江戸市中には町ごとに木戸があり木戸番がいて夜中に覆面をした徒党が集団で大通りを駆け抜ける映像はまず考えられない。いっぽう屋根の上には番所はなかったが、通りを横切るにはコアラのように地面を走ることになる。その前に漆喰で固めた瓦屋根でも音はするし・・・それを言い出すとお話にならないこと(時代劇には背景となる制度や組織を無視したことでリアリティを出す多くの嘘があること)を読者も承知していた。(記憶によりますからこの通りの表現ではない !

そういえば、葉室氏と池波氏のもっとも大きな差は、悪党(悪女)の魅力ではなかろうか。

葉室氏は、そこを女性への憧憬(しょうけい)めいた筆致とペダントリィで置き換えようとされているようにおもえる。これが時代が求める小説の差とも、遅れてきた作家の試行錯誤とも、いえるようだ。

なお、同じ九州在住の作家として、近年、時代史小説を上梓し始めた帚木蓬生氏の久留米藩を舞台とする『水神』を忘れてはならない、と思う当CEOであります。

余談に 、戻る

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キネマ航空の増便や事務所の副業「オスプレイ」の拡充も準備中です・・・

2014年11月 8日 (土)

キネマ航空CEO 読書眼鏡を試す - 『永遠の0』と『蜩の記』を読むの巻

2014.11.08 公開後、加筆。 同11.11擱筆

(承前)キネマ航空CEO 読書眼鏡を買う

さて、使ってはみたものの、慣れるにはそれなりの時間がかかりそうです。
レンズで矯正した左眼の焦点が合う範囲は極めて狭くなっています・・・水晶体を調整する筋力の衰えであります。

このため姿勢を正しくして読書する習慣を身に付けることから始める始末となり、効果自体はまだ何とも・・・であります。一体どんな格好で読んでいたんだ・・・

ということで、まずは、後日異なった感慨を持つようなら訂正することにして・・・いつものように長いので何度でもご訪問ください。なお、いずれも映像化されていますが、未見です。

結論を先に読みたい方は、こちら 。

『永遠のゼロ』 百田尚樹 1956生れ、初出2006年8月、

表紙のタイトルは大まかに上のように大きさを変えて書かれている。なにが大きな「0」と小さな「ゼロ」なのかよく分からぬが『無』から『無限』に広がる主人公の哲学的存在理由ではなく、「零式艦上戦闘機」のことらしい。

0 戦、ゼロ戦、そのものは 運用者が主張するグラフに外挿法で作り込んだ仕様書に副って頂点を極めただけ で、時代はすでにそのグラフの延長線から離れた別の線上で、第一次世界大戦の空戦の戦訓で導かれたランチェスターの法則を実証する戦争に変わっていた。
(とは書いてなかったが、制式採用から4年後のマリアナ沖海戦ではすでに時代遅れになっていたとは書いてある)

にも関わらず使われ方で「永遠の」と形容される技術のシンボルとしていまだに旅客機の開発技術力の惹(き合い)句にまで引っ張り出されている。(あの ! NHKの7時のニュースには思わず笑った。記者も主(ぬし)持ちのサムライだねー、安倍首相の人事はさすが・・・と皮肉ってもおられない)
特定目的に軽量化しバランスを欠いた装備の旅客機って大丈夫 ? と、外国ではセールスの足を引っ張っているのではないかと心配になる当CEOであります

それはさておき、百田氏の主人公の造形は超人的な飛行技能を持ち、その戦闘手法では上官や同僚から臆病者と陰口を言われても特別攻撃批判の信念を公言していた下士官搭乗員が自ら志願するという、東映時代劇の剣豪もののキャラクターからはじまり、任侠路線の理性と情念の不連続点に通じる理不尽な八方塞がりの構図とその後日譚を、「零戦」搭乗員達の戦中、戦後を生存者の証言を通して作者のメッセージで味付けして辿(たど)る筋立てなのだが ・・・

わかる人にはわかる、「総括」ですが、当時の任侠もののスタッフやキャストには戦争帰りやその翳を経験している人が加わっていました。百田氏は言わないだろうけど作劇術として熟知のうえで劇中劇の骨格に仕込んでいる。当CEO のタイムマシン・キャスティングなら宮部を池部良、大石は高倉健、でもこんなに背の高い(重い)飛行兵はいたのかな? 松乃は緋牡丹のお竜になる前の藤純子が・・・。昭和の匂いが出てくるでしょ。
わからない人にはわからない・・・か。

しかし、いまの時代に書く、あるいは読むなら本書でも指摘されている志願(ボランティア)だけで編制されたのではない組織的『特攻』の意味を「情の理」で語った次ぎに、百田氏自身も批判をしている体制側にいた人物を描き、同じ読者に読ませるはずである・・・が、氏にその気はなさそうである。

かれらも日本人であるのだが・・・氏はどのような組織や階級の人物を設定し、どのように否定または肯定をするのかと、当CEOは思うのであります。まあ、ただの悪役A、B・・・だったのかもしれないけれど・・・つまり、今も求められる国家としての必要悪なのかもね)
なお、当CEO はエンタテイメントの世界限定で ! 悪役の(あるいは、だった)俳優さん、女優さんの活躍に声なきエールを送っています
。ドラマの質はこの方たちの登場でほぼ決まっていますからね。

百田氏がエンタテイメント構成作家の「手練(てだ)れ」として業界で賞されているのは当CEOも大いに頷(うなず)けます。

敵艦に突入したものの爆薬は炸裂せず、すべてをもぎ取られて甲板に転がる胴体から取り出された写真の母と子を特定せずに終わらせたところは、読み手の想像力が試されているともいえます。

もちろん百田氏は、重い爆弾と気化した燃料が充満したタンクを抱えながら天才的な操縦技術で、目標とする敵艦隊から離れて前進展開するレーダーで管制された戦闘機群の邀撃と追撃をかわし、近接信管を付けた砲弾を撃ち上げる輪形陣のピケット・ラインをかいくぐり、「0」と共に、あたかもアメフトのランニングバックが100ヤード独走のタッチダウン(敵性スポーツに例えるな ! )を決めたようなスーパー・ヒーローの日本人だったと、ほんの数行で暗示しているのではありますが(映画だとどう描くのか)・・・
偶然(それこそ天佑、神佑とも言いかえられる特別攻撃の本質)で到達した平凡な兵士もいただろう、とも・・・読めるのは見事 ! な手腕です。

はたして本当に主人公だったのか、映像化する脚本家や監督の手腕もまた試されている。

百田氏はかなりの記録や資料を読み込んで構成しているようだけど、戦記ものや手記を夢中になって読んでいた戦後第一次世代の読者には、そのごった煮風の引用とまとめ方に加えて作家としてブレーク後の言動で薄っぺらく、うさん臭く感じてしまうのは否めないようです

参考までに、百田氏のいう作戦指導層ではないが、搭乗員ではない主人公として、知覧の陸軍航空基地を舞台にした特別攻撃機の整備を担当する技術将校が直面する苦悩を描いた『翼に息吹を』 熊谷 達也 1958年生まれ、初出2010年 1 -11月雑誌掲載 があります。氏の別作品での剽窃問題とは別に、資料の読み取りかたをこちら(文庫版あり)の併読で比較するのもおすすめです。どちらにも参考文献のリストが付けられています。

『蜩の記』 葉室麟 1951生れ、初出2010年11月より11年8月雑誌掲載、

はたしてこんな人間が、家族が、当時も今も在るのか (現在の冤罪死刑囚とその家族に普遍する話ではなく、また、現実に今あるとも思えない。あくまでエンターテイメントがベースの作品です) その意味ではこちらもスーパー・ヒーローなのだ、といえる。もちろん周到にそのような視点を選んでいるのですが。

本家と分家の血脈(けちみゃく)の争いが発端のストーリィの決着は、悪人も主人公に接して「人は変わる」といいたいのかもしれないがヒール役を務める城代家老の一人勝ち(ネタバレ御免 ! )である。 (エンタテイメントからノンフィクションのムードにあえて寄せたと言えなくもないけど

それに対抗するために主人公が藩政と仏門の幕藩体制の力学の中に仕掛けた藩誌の副本という文書の地雷も、はたしてそのなかで機能するのか、しても爆発するころには記録自体がどうでもよくなっている(エンターテイメントのカタルシスにもならない)明治時代に変わっているだろう、と言いたくなります。もちろん主人公に向かってではなく作者に・・・ですが。)

ネタバレついでに、血脈の争いといっても家臣たちの暗闘(私闘)のようなもので、記録が正本に残ってもあの城代家老ならそのまま穏便に処理するであろうし、主人公の切腹への沙汰も、当代主君の治政刷新がなければ先代の遺(い)言となる人事や諸策を奉持(ほうじ)することで(封建時代の)家臣団の重鎮、鑑とみなされたでありましょうね。

いっぽうでは、山里に移ろう季節の田畑や木々に清流、日の光と闇、子どもたち、働く娘たち、悪代官に翻弄される農民たちには、作者の感情のこもった視点を身近に感じさせます。白装束に身を包んだ主人公の覚悟の様式美は、映像になるとさらに涙腺を刺激するだろうなと、当CEO も思います。

個々を取り上げれば文庫版の R. キャンベル氏の後書きのひとつひとつに納得できます。しかし、そう素直には読めないな、と思う当CEOであります。

ここまで主人公を完全無謬に書き込むことでエンターテイメントのハードルを高く上げ過ぎている。主人公に並ぶヒール役の城代にも同等の魅力がなければならない。・・・が、そうでもないので、主人公の空回りに見えてくる。そこを狙うことで、読者にとっては空回りとは思えない現代組織の中の個人論と深読みさせる、というよりファンタジーとして読まれているようだ。(ただ、今の世でも余命を知ることになれば老師の言葉はせつないであろうが・・・)

エンタテイメントとしてはいまのところ内匠頭の切腹で終わったみたいなものであり、葉室氏はこの続編にあたる作品も書いてあるようなので それを読んで からの再読をして伏線を辿らねばなりますまい・・・とも考える当CEOであります。

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中間小説と呼ばれる作品は娯楽小説(エンタテイメント・ノベル)と教養小説(ビルドゥングスロマン)のバランスで成り立っている。どちらかに振れ過ぎたりオーバースイングすると幻想小説(ファンタジー・ノベル)になる。それぞれに居場所はあるのだが・・・

ここで上げた二作品は、ともに三人称の語り口だが、歴史の中に仰ぎ見るヒーロー像を作り出す若者の視点で描かれた二重性に作家の世代と読者の世代の間の巧妙かつ奇妙なコラボレーションを感じる、当CEO であります。

執筆時の百田氏は 50歳、葉室氏は 59歳。中間小説も袋小路に入って、こうした手法で若い世代に組織や体制の中での精神的居場所を諭(さと)し、故児玉清氏や直木賞の選者も含む同年代が共感、共鳴する時代になったのか、とビミョーに感慨深いものを感じる当CEOでもあります。

死者が生者のときに残した言葉や文字にどこまでの真実があるのか。『死者を語るは生者のみ』、後世、「時代をへた記録や記憶は読み手、語り手によって正誤に関わりなくどちらにも解釈や再生ができるという永遠の現実(真実なんておこがましい)」がおかしな方向に向かわねばいいのだけれど・・・
ニヒリズムに寄っていることは承知していますけど、単なるシニシズムですかね ? 下をよめばそうかも・・・ね)

こうした対語のフレーズでは、『天の声』が『人に語らせる』ってコラムは大学や高校の入学試験に使われ、それで落っこちた受験生にとっては腹話術みたいな、『人が語って天の声となる』と、逆転しているもんね。

ちなみに未読だけど「永遠の0」には同年代の著者によるパロディがある。
『永遠のエロ』 睦月影郎 1956年生まれ、初出2014年。 
ゼロ戦に、白い雲、青い空、そして 紺のタイト・スカートから白いブラウスの裾を出し前ボタンを1つ残して外した立姿で、ちょっと年上(当CEO より、じゃありませんよ) のお姉さんを配したカバー絵の文庫本です。全くのエンタテイメント(エロ・グロ・ナンセンス)が意味を持つ時代が周ってきたのかもしれません。えっ、「こんなのはいつの時代にもある」・・・ソデス。ま、山道を歩いていると平らじゃないのに登っているのか下っているのかわからない風景に出合うこともある。時代の分水嶺はあとになって分かるもんです。

当CEOはといえば、最近はビルドゥングス・ロマンに寄った作品を読むより、カール・ハイアセンなどの海外のジュブナイル・フィクションを読むほうが楽しいのだけど、いまだに未熟なだけなのかも

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  「ところでCEOよ ! 」、「主題だった新しいメガネには慣れたのかね ! 」 ・・・ですか ? それが・・・

『読書眼鏡』の英訳( Reading Glasses )を、辞書で日本語に戻したところ『老眼鏡』となってました
(したがい、上の書評は眼鏡を替えても、ひねくれ老人の世迷いごと、のままですか

けれど、この伝統的、保守的な形状のメガネは気に入っています。指一本でブリッジをあやつって簡単に鼻眼鏡にしたり定位置に戻したりできます。

題名は忘れたけれどヘンリー・フォンダが眼鏡越しに見上げる視線はけっして「上目使い」ではありません。眼鏡一つで老人の演技が決まるようです。

とても及びませんので、ピエトロ・ジェルミがモノクロームの映画だった「刑事」のラストシーンで心の奥を押し隠すようにかける色付眼鏡も欲しくなった(何色だったんだろう ? グレーか、ブラウンか) ! ・・・と、どこまでもミーハーな当CEOであります。

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2014年11月 1日 (土)

キネマ航空CEO 読書眼鏡を買う

Reading_glasses

当CEO は両眼でパンフォーカスです。パンフォーカスとは、写真や映画で使われる用語で、画面全体にピントが合っている、状態です。

当CEO の場合は、右目で25㎝から60㎝、左目で60㎝前後からほぼ無限遠、に焦点が合っております。(厳密には対象の明るさによって多少前後しますけど)

したがい眼鏡なしでも生活上はなんの不都合もありません。ただ、両眼立体視が必要な車の運転には右目の近眼視を矯正する眼鏡を着用します。

で・・・突然、話は変わりますが、当CEO は最近のベストセラーと呼ばれる二冊を読む機会がありました。

問題は、これらの洛陽の紙価を貴(たか)めたどちらの作品にも、当CEO は何とも居心地の悪さを感じてしまうことです。

一方では、これらを映像で見たら、心を揺さぶられるんだろうな、ということも分からないではありません。

当CEOも、かつて大きなスクリーンで見た『七人の侍』のインターミッション直前にあった、雨の中(だったと思うけど ? 強い風が吹いていたかも ! )、最初の戦闘で討ち死にした千秋実を埋葬する場面で、その千秋実が作った「丸が六つ、三角が一つ、それに 『た』 を加えた」旗印を、三船敏郎が屋根の上に高々と掲げるシーン(藁屋根だから旗竿をさせるのですに流れる早坂文雄の「侍のテーマ」を奏でるトランペットが突然に高音に変調し、音を絞り出すと不覚にも涙がにじんだところで館内が明るくなったのを思い出します。

そして近頃、当CEO は特に活字の作品で感じることが多くなった、世評との乖離をもたらす原因にハタと思い当たることになりました。

そう、『右脳と左脳』の脳科学の基礎であります。例外はあっても右脳は感覚脳、左脳は論理脳という、あれであります。

そして、右半身にある感覚器官の情報は左脳の、左のそれは右脳の受容器官にはいる・・・

双方の脳は海馬と呼ばれる記憶のバッファー・メモリー(一時的記憶装置)である神経脳を介して情報の交換をして、それぞれの脳の機能が作用して人間の感情や行動を強いる。・・・じゃ、なくて 司る・・・か。

ただ、基本となる五感の受容器官神経の左右交差は事実であっても、それを理由とする個人レベルの思考もしくは志向そして情動とのあいだに学問的な相関は、ないらしい。

とはいっても、神経系の伝達距離には物理的な距離の差が存在しており、脳はかなり柔軟性のある器官のようで、当CEO の脳では・・・、同じ側の脳にある感覚受容器の情報を優先するように、『個人レベルで変化している』、しかも勝手に ! ・・・という仮説も否定はできますまい。(俗説はこんな具合に生まれるのでしょう

つまり、当CEO が普通に読書する場合は右目の裸眼で読んでいますから、読後の喜怒哀楽の感情は左脳の論理として発生している、と仮説がたてられます。

それならばと、当CEO は、少しでも世間により添うべく、左目すなわち右脳でも文字を読むために両眼視を明視の距離(35cmあたり)に調整した読書眼鏡を求めてみました。

『キネマ航空CEO 読書眼鏡を試す』に続く

2012年9月14日 (金)

【番外編】キネマ航空CEOのパジェット癌闘病記(3)患者の正しい?病室の過ごしかた

さて、入院闘病は多くのスタッフに支えられて生活することになります

当CEOの場合は皮膚ガンからはじまっており形成外科病棟に入院することになります。形成外科は PLASTIC SURGERY(可塑性部外科)であり、いくら人間の尊厳は内面であるとはいえフツーの人間にとっては外観は人間のプライドの始まりとなります

その点では形成外科は人間にもっとも近いところにいる外科といえそうです。病棟の看護師さんの言では形成外科の先生の手術痕は他の外科に比べると繊細に処理されているそうです

かくして当CEOは主治医のM先生、F形成外科長、N先生、M先生、I先生、Y先生のチーム、それ以上にY看護師長以下の(人数は正確には分かりませんが)看護師、看護助手数十名の中で随時編成される、三勤+当直のチームが交替しながら24時間サポートしてくれます。

それにこの病棟フロアはあまり関連のなさそうな医科のベットが混在しており、看護スタッフを束ねるY師長に「この病棟は雑居房で大変ですね。救急患者の受け入れはさしずめ未決房だ」といささか失礼な問いかけをしたところY師長は「そーなの、雑居房なの。大変なのよ。それに今日は救急担当(病院)の日なの。もう一人運ばれてきてる」と応えてくれました。救急処置の終わった患者を受け入れる病棟ベットのやりくり差配は師長の重要な仕事のようです。

大病院の医師や看護師のみなさんの勤務は開業医院の優雅な診療とはかけ離れたハードな日常が垣間見えます。ドクターとして持たねばならぬ職業的非情さ、看護師としての知識・教養に加えての忍耐力。一患者としては言葉にならぬあらゆる形容詞をつけて、ただ「感謝」というのみです。

それにしても患者というものは退屈なものです。その時間をどう過ごすか?が患者の大命題となります。そこで思い出すのが英国の小説家サマーセット・モームの「アシェンデン」ものと呼ばれるあまり有名ではない連作短編スパイ小説です。

舞台は第一次大戦中のスイスのサナトリュウム。この結核隔離療養所がドイツ帝国側の諜報組織の情報中継所となっている疑惑を調べる目的で英国情報部は売れない作家のアシェンデン(作家のモーム自身)をスパイとして送り込む。

アシェンデンは患者(間者?)として潜入して当時としては不治の入院患者とその訪問者や見舞客、医師、看護婦等の病院のスタッフや経営者などの人物を観察することでスパイの仕事を進めます。しかしスパイは気は張り詰めていても現実には退屈な仕事です。これを実行できるのが英国人のようです。

アシェンデンは諜報の仕事にはなんの関係のないそれぞれの人物の人生を絡めたエピソードを重ねながら以外な人物をあぶりだします。事前に読むか病室に持ち込めば「退屈も我がもの」にできるかもしれません

まことに失礼ながら日々入れ替わる患者さんや見舞い客を観察しながらそれぞれの来し方行く末の人生を想像することでかなりの時間はつぶせます。とはいえ病院の患者ですから決してすべてが楽しくなるものではありませんがどこかの岐路の選択でそうなっていたかもしれない。あるいはこれからそうなるかもしれない人生を脇から見るわけですから自分を映す鏡といえます。

ただモームほどの文才、筆力のない当CEOがブログに書くと見当違いの人生をつくりだしてプライバシーの侵害になることは間違いなく厳に自粛いたします。

さて最後に入院中にこころに浮かび留まった言葉をいくつか紹介しておきます。

頑張る(れ)』・・・「トイワレテモ」

色んなところでかけられます。鎌田實先生は「がんばらなくていいんだよ」といってくれますが具体的にどうすればいいのかよくわかりません。特に全身麻酔の手術前に言われても当人はどうしようもありません。たぶんスポーツをはじめとするどんな場面でも「頑張れ」と声をかけられる人に対してよりも声をかける本人が自分のために発しているようですね。

当CEOの語源の解釈でもっとも気に入っているのは「我を張る」からの音の変移であります。「我侭」と「我慢」の間に揺れる自分の意識を弓の弦(つる)のように張って行動することと解釈しているのですが・・・我流ですかね。まあ弦も切れることがありますけれど・・・ただ一流と呼ばれる人たちは切れた弦の張替えが巧み・・・と言っていいように思えます。

なるようになる』・・・「ケ・セ・ラ・セラ」?

「なるようにしかならない」と考えはじめる年齢もあるようです。しかし生き物にとっては年齢に関係なくいつでも「なるようにしかならない」ことを迎える可能性があります。そうなるまでに「なるようになる」毎日毎時毎分毎秒の連続があります。その過程を楽しむのが大切です。

ひとそれぞれの運命は「自由意志説」か「予定説」か、と大上段に振りかぶって考える機会にもなります。突き詰めて宗教にまで行きつくか、占いに頼るか、それこそ「ひとそれぞれ」ではありますが。

人間は考える管(くだ)である』・・・「人生ハイガイトタンジュンダ」

もちろんパスカルの「人間は考える葦(あし)である」のもじりであるが、どこで記憶したのか定かではありません。人間は「食べて」「排泄」する「管」と「何かしら」を考える「脳」があると定義しています。たしかに人間は入院していると食事の心配はなく「動物」のようにえさを獲る必要はない。

看護師さんは毎朝の検温のとき「食事はどれくらい食べられましたか?」「お小水とお通じは何回ありましたか?」「痛いところはありませんか、気になるところありませんか?」とたずねてくれます。この人間の定義を確認してくれているのですね。

何事も片手伸ばして四畳半

一週間もすると小さなベット・ブースのテーブルの上に日常必要な小物を並べて(整理ではありません)生活できるようになります。いざとなれば片手で届くナース・コールのボタンを押して看護師さんの助けをかりることができます。

松葉杖四本(よんほん)足をもてあまし

右ソケイ部をかばうのであるが前進、後退、方向転換と、どの足から出すのか意外と難しい。

病院食腹八分目の日暮れかな

季節も移り夕食が終わるころには日が落ち、窓のそとの民家には灯りがともり始めています。

天使にも鬼にも看られる患者かな」・・・字余り

自分を変えない患者。世間を持ち込む患者。患者もさまざまです。その患者のために最善の処置に看護、院内生活指導をしていても患者にとっては鬼に見えるときもあるようです。かれらも退院するときには天使の皆さんに感謝して去っていくのでしょうけれど...

ストレスの溜まる職業であることは疑いようもありません。家庭に持ち込むことのないように感情をコントロールする教育課程があるのでしょうか?ぜひ履修させたい人が一人いるのだが...

水枕三鬼の脳を支えけり

西東三鬼の句、「水枕ガバリと寒い海がある」より。

病院の枕はビーズ入りで頭になじみ過ぎて苦痛である。術後の発熱時の氷枕を思い出し看護師さんに水枕をお願いしてビーズ枕に重ねている。

水と空気の配分でまさに「ガバリ」となって以降、看護師さんの「替えましょうか?」のご好意に首を横に振って「ガバリ」と音を立てながらお断りしているが気づいていただけたかどうか・・・

Y師長さんに「ウォーター・ベットはないのですかねー?」と尋ねたところ「部分アクアならうちにもあるわよ。本格的なのはICUに一台。ここには回ってこないわよー」とのこと。どうやら三鬼の句を越える名句はできそうにない。予定句はつぎのようなものだったのだが。

水の床(とこ)海月(くらげ)は毒を抱え居り

くらげは潮に流されたのか自分の意思で漂っているのか。ただ生きてきた時間に比例した毒を心をもっている。観察句なのだが自分にはないとも言い切れない。

天国(びょうしつ)の硝子越しなる芝生かな

読む句になってしまった。天国は暑くもなく寒くもなく快適なところだそうだ。病院も同様に過ごし易くなっている。しかし天国と同様に簡単には外に出ることは叶わない。天国からも下界の芝生が緑に見えるのだろうか?

現実には病室にも差があり、とくに大部屋では窓側、廊下側では飛行機のシート以上に差がある。季節にもよるがなるべく高い階の北側にある見晴しのよい病室の窓側がよさそうだ。

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参考になる闘病記にはなりませんでしたね。しかし、闘病とは他人から見ると下らぬこと、つまらぬことにいかに熱中できるかということのようです。

またこの闘病記では意識して家族のことは書きませんでした。節目の決断においては家族のことを考えていることはあたりまえですが、こと闘病に関する限りは自分が明るく闘病していることを示すことが何よりと考えます。

一旦 了

起筆 2012年8月24日

擱筆 2012年9月 5日 入院2ヶ月目のメモリアルとして

【番外編】キネマ航空CEOのパジェット癌闘病記(2)軍事的に見たばあい

さて当CEOは入院中も「キネマ・エアラインズ」の営業活動に励み持参の十数枚の名刺をドクター、看護師の皆さんに配りまくりさらに補充しております。そのなかで主治医となっていただいたM先生が話をあわせてくださり、「最近は忙しくて見る機会もないが記憶にあるのは『プライベート・ライアン』だ」とのこと。

キネマ航空のご愛用者にはご承知のとおり当航空のフライト900で同作品をこき下ろし、便乗公開の「プライベート・ソルジャー」のほうを持ち上げており、こちらを強く勧めましたが一連の手術を通したあとの当CEOの感懐ではいささか後悔をしております。

というのはガンという敵は外部からの侵略か内部に起こった反乱かはともかくとして患者という国土(身体)の中でドクターがおこなう戦争にほかなりません。

前回のCEOの闘病記を戦史ふうに並べると、

・身体の統治者たる当CEO、異常らしき状況の偵察を独立守備隊(開業医)に命ず

・独立守備隊より偵察結果は変化は認めるも大事にあらずステロイドによる対抗措置でおこなうと報告される

・数ヶ月間、状況の改善はさして認められず中断。守備隊は撤退

それから約五年後に該中心部の異常を確認する

・独立守備隊は前回と同様の調査および対抗活動をするが状況に変化なし

・独立守備隊は新規編成の偵察行動として敵中央部陣地を制圧(摘出手術)。二週間後に敵の正体をパジェット軍と確認。当CEOが状況を後方の統合参謀本部(HMUH)に報告書の伝達を指示される。ここで当CEOは伝令兼情報源となります。

・情報源の当CEOは統合参謀本部指揮下の形成外科連隊でX線、CT、PET(これは保険外)のリモート・センシングで内部状況の画像撮影を受ける

 注)形成外科はこじんまりとしていますが速やかな展開ができる連隊(レジメント)といえそうです(個人的な感想です)

・同連隊は続いて敵展開地域周辺の散開状況を確認する将校斥候を送り情報分析部門による解析をおこなう

・斥候報告の分析と偵察写真に基づいて包囲区域を設定し掃討を実施する

・あわせて内部への侵略経路となる道路(リンパ管)、道路にそって点在する近在の村落(センチネル・リンパ節)で追撃戦を兼ねた偵察の実施

・作戦結果の評価として掃討範囲に若干不足の可能性と村落の一つには侵略された痕跡を認む

・作戦評価にそってさらなる敵の潜むと思われるジャングル(リンパ網を含む脂肪層)の空爆による殲滅(郭清)作戦の立案。

・これに伴うコラテラル・ダメージ(予想される損害、神経や血管の切断、血栓、皮膚の再生時間エトセトラ)の範囲をふくむ作戦(ジョイント・オペレーション)計画の立案とCEOによる修正提案

・ジョイント作戦実施後の戦果確認では、追加掃討地域や殲滅地域に敵の存在は確認できない。したがい当面の二回にわたる作戦は成功が確認された

・コラテラル・ダメージは当CEOの承諾した予測通りに進行中

以上を短絡すると第二段階作戦は実施しないほうがよかったともいわれることもあります。まあよく言われる「ガンは切らずに治せる」という俗説は50%は正しいとなります。

良いドクターは手術の腕もさることながら説明責任のあり方にもかかっているともいえそうです。ともあれ作戦の修正や開始の承認は身体組織の首相なり大統領である患者が行う事項であり、各ドクターの説明を聞いて(当CEOはやりませんでしたがセカンド・オピニオンを含めて)患者がそのフィフティ・フィフティの決断をすることになります。

以前当ブログでも書きましたようにフランスの箴言である「後悔しないことが知恵の始まりである」を実感する機会となりました。

さて、今後の当CEOの身体におけるパジェット軍の行動はリンパ村を押さえながら前進するのか、あるいは米軍が太平洋戦線で見せた蛙飛び作戦のようにリンパ島を跳び跳びに侵攻するのかは定かではないままに、まだゲリラとしてリンパのジャングルに潜伏している可能性や当CEOの体質として再侵略か再蜂起がおこる防衛上、治安上の危険地帯が存在する可能性が残されています。

したがい、今後の作戦は次のようになると思われます。

・潜伏ゲリラを特殊部隊であぶり出す(抗ガン剤やラジオ・アイソトープ等の投与など)

・ゲリラ組織が顕在化すると高分解画像(MRI)による攻撃点の特定。無人攻撃機によるTV爆弾(放射線照射)などの高度技術兵器の駆使した大規模兵力の投入まで進む可能性があります

注)あくまで個人的な感触ですが放射線医療は高度な技術に最も予算が投入される羽振りのよい軍団に見えます。

なお、保険治療には入らぬ一桁二桁高額の治療費で行われる陽子線照射で短期間でできる治療法もあるようですがまあ当CEOが受けることはありませんね。

どうです!?

ガン治療行為は米軍がおこなう現代戦の基本とまったく同じではありませんか?ただこの作戦行動の詰めでは第二次大戦以降のゲリラ戦においては常に成功しているとはいいがたいのが気にはなります。

で、平和主義者(どうも反米意識が根底にあるような気がします)がガンに罹患した場合、こうした作戦を自分の体内に受け入れて正常な組織の一部や神経系の切断など、つまりは無辜の市民を巻き込んだコラテラル・ダメージにさらすことができるのかどうか聞いてみたいものであります。

まあ、平和主義者はこのような人体と社会といったアナロジー(類似性)自体をハナから認めないではありましょうが・・・理由は「人間の命は地球より重い。しかし人間を構成する細胞の方は軽い」がその根拠になるのですかね。

ただ、最後の二段階になるとこれまでの(白兵戦でおこなう)医療のイメージとは異なり最先端医療ではありますが療治と呼ぶほうが正しいようです。特に放射線科のドクターは常にリハビリテーション・チームと行動するダメージ・コントローラー(損害調整官)のようで、回診の後尾に連なる若いドクター連(装置の操作担当のテクニシャン?)のようすが「宇宙戦艦ヤマト」の波動砲のオペレーターのように見えてくるのは事実であります。

このステージでは発生したガンの部位にもよりますが平和主義者が唱えている戦争否定とのアナロジーでつながるターミナル・ケア(終末医療:平和主義者としては早期発見ガンの段階からか行うつもりかも知れない)との兼ね合いの決断も必要にはなりそうです。

結論としてガン戦争におけるドクターの職責はまさしく「プライベート・ライアン」の世界であります。このような戦場のなかに身をおくM先生に「プライベート・ソルジャー」を薦めたのはいささか申し訳なかったかな、と反省しております。

【番外編】キネマ航空CEOのパジェット癌闘病記(1)人間ドックは当てにするな

オスプレイの記事にする予定でしたが10週間プラス1日の入院で資料が整理できなかったので個人的な記録として番外編を3回掲載します。とばして次々々回にご期待下さい

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または「平和主義者はガン戦争に勝てるか」・・・カンケイ?大いにアリですがそれはのちほど。

当CEOは二十数年人間ドックの検診を受け続けていました高脂血症と高めの尿酸値を指摘されたのみでガン・マーカー異常の診断がなされたことはありませんでした。

後でわかったことですが人間ドックの検査は臓器ガンのような大きさを伴ったガンの検査であって「腺ガン」などの細胞単位のガンの検査はなされていないというより簡易診断法がないと言うことのようです。

したがい、そこのあなた、そう人間ドックで異常のないあなた!、もガンになる十分条件はそなえておりますよ。ちなみに肺ガンも腺ガンの一種だそうです。

さて当CEOのガンはパジェット病と呼ばれる腺ガンであります。念のためベーチェット病とは違います。当CEOの場合は乳房外パジェット癌と称されアポクリン腺と関係し毛根から発症する皮膚病から始まります。清潔、不潔とは関係なく毛根のある正中線上に発症することが多いようです。

WEBで検索したところ皮膚に止まっているあいだは問題ないが皮膚層を越えると面倒な腺ガンとなるけれど初期の分別には細胞検診しかないようであります。・・・すなわち人体は七層にわたる皮膚層と皮下の脂肪層、筋肉、内臓などの組織となります。パジェット癌細胞が皮膚層を越えるとリンパ液にのり、フィルターに相当する患部の近くのセンチネル・リンパ節に滞留することなります。ここからリンパ腺、リンパ管、静脈をとおり体内に拡がるため腺ガンと呼ばれます。

このガン細胞が見つかるセンチネル・リンパ節の数がガン治療効果指標となる「五年後生存確率」として95%から5%に亘るそうです。ただしこのリンパ節が必ずパジェット癌細胞をブロックするかどうかについては定かではないようで、今のところこれを追跡していくしかないということです。

以上が手術前に説明された病状の要約です。ただ当CEOは真剣に説明するM先生には申し訳ないと思いながらも足して2で割れば50%で、統計上ではともかく交通事故など危険がいっぱいの先のことなど分からぬ個人としての生死については妥当な確率だな、と頭を掠めておりました。

この「五年後生存確率」はガンの治療効果の指標として零歳児でも百歳の高齢者でも同じだそうで幼い子供のガンについては胸が痛みますがある程度の年齢に達すると五年を区切りに、できればそれを繰り返して生きる可能性があれば、それはそれでそれほど悪いことではないように思えました。

ここから当CEOの発症から治療の中間サマリーとして記録してご参考まで。

今をさること五年まえ、下腹部へそ下の正中線上の陰毛上部に2X1cm大の赤い斑を見つけて皮膚科の開業医院を訪れ診断をうけました。そのときはセロファン・テープをカットして該部を押さえて、田虫などの寄生虫や菌類を探しているようでした。

結局よくわからぬとのことで強力なステロイド系の薬品を多用と他用の厳重注意とともに渡されて治療しました。このときには痒み痛みの自覚症状はまったくありませんでした。具体的な病名も告げられることなく特に悪化を自覚することもなく数ヵ月後に治療の中断を申し出て了承され、いったんはクローズとしました。

そして昨年の第四クォーターに中央部が突起し赤斑部も拡大していました。今年に入り同じ開業医で再診(初診料はとられます)を受けました。またセロテープが登場し同様の処方を受け翌週の診察では効果が認められず二週後に検査切除となります。一般的に開業医は週単位で患者をハンドリングしているようです。

さらに二週後検査結果で皮膚層を越えた腫瘍であったとの説明と検査媒体のプレパラートを同梱した宛HMUH形成外科某先生机下の紹介状をいただきました。そのときの珍問答「えっ?ベーチェット?」「BじゃなくてP。ぺージェット」「はあ・・・」。

結局紹介先で主治医となっていただいたM先生より「両方とも人の名前なので日本語読みでは紛らわしいけど、わかりやすくパジェット。外国では「病」としているが日本ではガンと呼んでいる」という説明で整理がつきました。

現役時代は「バジェット(予算)」で悩まされていたのにリタイヤして「パジェット」で悩まされるとは、とあらぬことを考える当CEOではありました。(閑話休題)

さてその紹介状は、それを持っていく当CEO自身の症状ではありますが宛先明記で封印されており親書扱いとして内容確認をしませんでしたがあとでM先生を悩ますことになります。それは追々と。

ではM先生の処置手順に移ります。

まず、血液採取からはじまりX線写真、CT、PETで画像情報の収集が始まります。つぎに赤斑部の周囲から10mmと20mm離れた二つの長円の円周上から直径4mm程度の皮膚サンプルを20数箇所切り出して病理検査を受けます。加えて泌尿器課で直腸、前立腺の診断を受けます。結果は幸いネガティヴでした。

手術室のスケジュールの空く2週間後に20mmラインに沿った皮膚の切除と当病院の基本術式(実施している病院は少ないらしい)である近接する(センチネル)リンパ節を左右計5箇所を摘出する処置を受けました。結果としてはこれがよかった。なお術式は患者である当CEOが承諾していることは言うまでもありません。

さて術後一週間、この手術の検査の結果を聞きました。切除した皮膚のほうは6時から11時の範囲に切片の近傍に転移細胞がいくつか認められる。その部分以外は10mmのラインで収まっている。それから数日遅れて右側のセンチネル・リンパ節の3個中の1個にも認められたと説明をうけました。ここで先ほどの五年後生存確率につながります。

さて、M先生の所見はまず患部は取りきれていると思われるが切片近傍に認められることから追加削除手術を薦める。ということで日程を含め当CEOも承諾しました。ところがそのあと先ほどのように右側リンパ節の一つに転移細胞が認められたことより術式、日程の変更が提案されました。

このあたり開業医で行った手術では皮膚層を越えた患部が切除されておりましたが紹介状には明確に書かれていなかったようです。その手術から約一ヵ月後にM先生の行った切除皮膚の状態と同時に念のためにおこなった近傍リンパ節のなかでの転移細胞の発見はM先生も戸惑われたようです。

ともあれ追加されるのは転移細胞が発見されたリンパ節につながる2系統のリンパ節の郭清をおこなう術式です。まず皮膚に近い側は形成外科、骨盤深く大腸近傍については上部消化器外科のS先生とのジョイント・オペレーションになるということで説明を受けました。なおリンパ節郭清とはリンパ管をたどって追跡するのではなくリンパ液の流れる脂肪層を一掃する手術となります。

このため手術の前に前者で一本、後者で二本の神経を切断したり腸管の回りを対象とするので内臓器、生殖器にかかわるリスクの説明を受けます。基本的に左右二本の系統の一方が生きておれば手術によるリスクは少ない。とはいえどちらか一方が既に機能していないかもしれないし、キネマ航空CEOの人生も片肺の洋上飛行になります。このあたりは患者の決断になります。

さらに前者では心臓血管系のバイパス手術で切り取って移植に使う静脈を切断するが再縫合はしない。後者では腸管周囲の神経叢も一掃する。手術承諾においては当CEOは悩みましたが前者はやむを得ない。後者については郭清ではなく神経叢だけで機能しているかどうかも分からないがその部分には触れず調査目的としての脂肪層の切除をお願いしました。

ところでこの段階で手術日の確定まで一旦退院も可とのアドバイスがありましたが図々しい当CEOは両ドクターのタイミングの合うキャンセルもあるだろうと居座ることにしました。ただで居座らせるのもどうかと思われたのか、S先生の大腸ファイバー診断を受けることになりました。

歳相応の疲労部分があるようですが手術には問題ないとのこと。胃カメラ検診では「フガ、フガ」としかいえませんがこの検診ではドクターや看護師さんとの会話が成り立ちます。

かくしてジョイント・オペということになります。オペ全体の責任は入院医科の主治医が持つようですが当CEOは性懲りもなく先生にコマンディング・ドクターをお願いしますと念押ししておりました。対等の責任ほどもっともらしくかつ役にたたない日本の美風はありません。

とはいえ手術中は全身麻酔で行っておりだれがどうしたなどは何の記憶もありません。半身麻酔で受けた人の話では(もちろんM先生がではありませんが)とんでもないことをしゃべっているぞ、とのこと。このあたり当キネマ航空のフライト003で上映中の映画「M*A*S*H:移動米軍外科病院(Mobil Army Surgical Hospital>)のこと」を思い出します。

ちなみに麻酔科の先生(手術室の先生ではなく術前、術後のルーティン事項担当)によれば麻酔中は睡眠と気絶の境目を行ったり来たりしているようで夢を見ること(幽体離脱?)もありえるとのこと。

さて結果は皮膚、リンパ節ともに陰性であり五年後生存確率はグンと上がりました。ただし、関節付近の郭清手術では皮膚の再生と両下肢静脈の血栓とその肺への移動が残り当CEOはワルファリンを飲んで歳相応に苦闘中であります。オタクのあつかうフィギュァー・ドールには関節はあっても皮膚も血管もないからなー。オタクも歳をとると思い知るぞー。

で、「平和主義者はガン戦争に勝てるか」はどうなったかって?・・・それは次回に引っ張ります。

当CEOの入院中に平和について考えさせる二つのニュースがありました。そのひとつはNHKの全国ニュースで何の説明もなく(個人もしくは代表者名はないまま)某県某市の平和団体がオスプレイの配備反対の声明文を某県の副知事に手渡している映像を報道しておりました。

おそらく「NHKのお墨付きで全国区になった」と仲間内では自慢のタネとなるのでしょうが戦後リベラルの思想が外圧に晒されている時代に入った自覚はないのかなの疑問とともに少しオチョクッテ見たくなりました。

(続く)

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