カテゴリー「文化・芸術」の2件の記事

2020年3月 6日 (金)

キネマ航空CEO 徒然なる儘に擬俳句(はいくもどき)を捻ってみる

離着陸時のエレベーターの逆転の記事を「其の儘」にしておいて何が「徒然」だと言われそうだが、たまに浮かぶ俳句もどきを自己中?、もとい!自己注でやってみた。

---------------------------------起

令和二年 咳(せき)に怯える 国の春
   怎麼生!「国とは?」  説破!「右も左も、上も下も、すべて含めて、前も後ろも見えず、みんなが何処かで共有する時間」

(しわぶき)に マスク一瞥 町の春
   「気になるならマスクしてまで出てくるな、と言いたいがお互い事情もある」

街中や 嚔(くさめ)も憚(はばか)る 杉の春
   「こうなりゃ、嚔(くしゃみ)も我慢するのだ !!」

すべて季重なり、中七字余りもある。

当CEO は五七五の正統芭蕉俳句も嫌いではないがむしろ江戸川柳の方に引かれている。それは、さて置き。

昨今、芭蕉隠密説が現実味を帯びてきているようだ。つまり、隠密として俳聖芭蕉の顔と冷徹な観察眼のスパイが共生していたことになる。

探るべき世情は口の端に上る川柳や書き留められた落首などから収集できる。なかには破礼句もあっただろう。芭蕉も目を通していたと考えられる。では後世に俳聖となる顔はなぜ必要だったのか?

世の中を動かす、あるいは危機感を持つエスタブリッシュメントである豪農、商人、武士などと忌憚なく交わえる人物像を演じるには当時これ以上の地位(ステータス)はなかったであろう。

芭蕉は世俗の一切を「侘び寂び」の中に潜ませることを選んだ。それは一人ではできない。そのための其角と考えたほうが真実に近いだろう。

三何某喜(みなにぼうき)が「其角裏芭蕉」の脚本を書くかもしれない。もちろん、やがて悲しきコメディ*脚注 になる。

---------------------------------承

"You only live twice" は日本語タイトルでは「007は二度死ぬ」となっている。「生きることは死ぬことだ」と日本人らしい邦題ではある。先のリンクの注記では作者のイアン・フレミングは「芭蕉にならって」生きる、と解釈としているようだ。

もう一つ、彼のプロファイルからの解釈もできる。フレミングは第二次大戦時には対ナチ包囲国だった在モスクワ通信社の局長で赴任しインテリジェンスの中核として活動した。終戦の年に帰国して8年後に作家生活に入っている。

見方によれば、帰国と同時に彼はSFでいう「パラレルワールド」の中で作家とスパイの二つの人生を生きていたのではないか。現役時代の彼はジェームス・ボンドのような工作員ではなくMのようなデスクワークだったので日々の生活は変わっていなかったかもしれない。

英国には同じような経歴の作家がいる。彼の一世代後のジョン・ル・カレ(筆名)は在西ドイツ公館の外交官としてMI6のパートを務めていた。その彼、ル・カレは着任と同時期にスパイものの第一作を發表している。

カレがMI6の訓練を終了し西ドイツへ赴任する直前に同じセクションにいた二重スパイにより東ドイツにいた約40名のエージェントが一気に逮捕、殺害されたスパイ組織の壊滅を経験している。

フレミングは荒唐無稽なスパイ合戦で現実を茶化しているエンターテイメントに対し、カレの陰鬱な作風はエンターテイメントとしての評価は低いようだが組織の中にいる個人にとっては、結果のわからぬ計画を立案し工作員を選んで潜入させて苦汁を味わはなければならないスマイリーには麻薬的な魅力があるともいえる。

更に彼らの先輩には「人間の絆」、「月と六ペンス」などのサマーセット・モームがいる。第一次大戦中には劇作家のままMI6に所属してスイスで諜報活動を行い、1917年のロシア革命さなかに行われて失敗した重要な作戦の現地工作のパートを務めていた。

モームには神経を研ぎ澄ましながらもスパイの退屈な日常と直接間接に係わった人間の観察をシニカルに描いた"Ashenden"(1928)「秘密諜報部員」がある。

キリがないがフレミングと同時代のグレアム・グリーンも上げておく。彼は22歳でカソリックに改宗し27歳で共産党に入党。両者(主義であって国ではないようだ)の共通性に生涯シンパシーを持っていたとされるが戦時中にはMI6に所属していた。二重スパイだった上司のキム・フィルビーと折り合いが悪く1943年に辞職。反米的な作品も書きアメリカから入国拒否をされている。スパイ小説の映画化ではないが当キネマ航空900便で「ことの終わり」を取り上げている。

ノーベル賞は貰えないが良質の大衆文学となりえる作品の作家業に求められる人間観察力言語の解釈と表現の能力は諜報活動に非常に馴染みのいい組み合わせの資質となる。まあ、それは英国人だけの特性と言われるかもしれない。

---------------------------------転

「同じ島国においておや」、とまでは言わないが、英国でも吟遊詩人bard)が同等の活動をしていたのではないか。同様の生業(なりわい)は大陸文化圏にも存在する。

芭蕉がその両面を生きて旅していた、としても不思議はない。そして芭蕉の功罪の「」は完全に隠密の生活を文字通り隠しきって「俳聖」となったこと、その「」はそのために本来の川柳や破礼句で大衆の持つ「五七五」そして「七七」の付け句によるエネルギーの発露を切り捨てたこと。具体的には第二次大戦後の高度成長期に入ると「季語と定形」、「ワビとサビ」を切り札(トランプ)に変えた「五七五」として受け継がれることにある。

ちなみに戦前というより日中戦争の最中、1940年には治安維持法による京大俳句事件または新興俳句事件と呼ばれる弾圧があった。戦後創刊の「天狼」の初期1948-53年には事件にかかわった西東三鬼が編集長につき「実在の真実への観入」(三鬼)など社会性を取り込む運動もあったがやがて消えていった。水脈は今も存在するのだろうが知られてはいないようだ。

---------------------------------結(なのだ)

"twice"は「二度」ではあるが時間差で過ごす二度の人生ではない、並行した「二倍」の時間なのだ。
人に見せないがたまにはチラ見せする時間でもあるのだ。

では"only"は?。 お前「だけ」、なのか?「たった」の二倍、なのか?それとも、人生をSMAP日本人が大好きな"only one"「たった一つ」に固執して、あるいは統合して、それともいっぽうを消して、死ぬ過程のことなのか?それは、"you live" あなたの「生き方」次第なのだ。

毒のある老人の俳句や川柳を読むのは毒ばっかりの散文よりずっと楽しいのだ。もちろん作るのも。

そう言ゃ第三句は自己注の追記が必要だった。

街中や 嚔(くさめ)も憚(はばか)る 杉の春
   「こうなりゃ、嚔(くしゃみ)も我慢するのだ !! 
   だけどやって見ると傍からは嘔吐を堪(こら)えて悶えているとしか見えないのだ。
   堂々とやるのだ! 『フェーックショイ!!!』
ついでに『じゅるるー』と啜るのだ

それから温暖化かどうか知らないが季跨り季重なりは認めるべき時代になっているな。そして・・・

* おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな
 隠密説の芭蕉の句として味わうのはいかがだろう。

2013年9月10日 (火)

キネマ航空CEOのバカンス・・・といっても、

粋なパリジャンは、誰もいなくなったバカンスのパリの街の居残り相手のカフェで朝食をとり、人気(ひとけ)のない町を気任せ、足任せに散歩するのが至福のバカンスだったようです。

でも、これはふた昔、いやそれ以上の昔のはなし。いまは観光客に席捲されて、粋なパリジャンも身の置き所がないようです。

当CEOもこのパリジャンの真似をして過ごしました。とはいえこの暑さ、まわり人々は何処にも行かず、そのうえ子供をつれた里帰りで人口も増えたような・・・かつての新興住宅街は、ほぼ同質、同年代の世帯ですので、住人と同じように歳を重ねていきます。

以下は体温より高い室温にうなされた「半撹半睡」の状態で大衆文化(映画や小説)から見た世相あれこれ。

・ ブルー・クリスマス(1978 東宝)
特撮のないSF巨編だそうです。脚本倉本聡、「本は一切替えるな!」といわれて任されたのが監督岡本喜八。名前だけ見れば面白くなりそうですが条件が条件ですので、そうなるわけがない。

でも、演ずるのは、いるだけで場がしまる俳優座をはじめとする新劇の重鎮の面々、後の倉本作品の常連となる俳優たち、さらに岡本映画に欠かせない天本英世に加え、岸田森などなど。これに佐藤慶、中丸忠雄が加わってればジョーカーのフォー・カードになったのに!(こんな手ポーカーにあったっけ?)と、うれしくなります。

ただ内容は、人間のといってもいいのですが(あえて)日本人の(と言います)いやな面を見せ付けるリベラル的プロパガンダ映画です。というわけで一種のカルト映画でもあります。

京都の国際会議で岡田英次博士がUFOを見た人間の血液が青くなると発言するが遮られ失踪する事件があり、これを追跡する仲代達矢(某国営放送の記者)をメインとした第一部。

これに平行して描かれた国防庁の内勤から高橋悦史大尉にリクルートされて特殊作業班に入った勝野洋と、親友の(涅槃で待っている)沖雅也(F-104のパイロット)の気配りで恋人となった竹下景子の話に移る第二部とで構成されています。(とにかく長い133分)

SF仕立てらしいのはUFOに遭遇することで鉄をベースにしたヘモグロビン(赤色)が銅に変わったヘモシアニン(青色 イカの血液はこれらしい)になるという説明。

でも厚塗りファンデーションの女子を除いて、とんでもなく気持ちの悪い顔色になることは避けられないはずだがその辺はあいまいのまま。

まあ、ブルーベリーに含まれるアントシアニンは多少赤みもあるから、静脈に依存する外見はそんなに変わらないとしておきましょう(何の科学的根拠もありません!)

物語のポイントは青い血となった人たちは心は穏やかになり争いごとは好まなくなる。おまけに外見も変わらないとなれば排斥したくなるのは世の常。国連の秘密理事会の指導のもと各国政府は全国民の血液検査を始めて隔離政策を実行します。

そして勝野洋は差別反対のデモを監視する任務の最中にF-104でUFO邀撃中に行方不明となっていた沖正也と出会い、一部の青い血の人たちが見逃されていることを知らされます。彼は緊急着陸して収容されていた沖縄の米軍基地からなぜか解放されていました。

勝野洋の所属する作業班は、国連の方針としてこれらの市中に散在させている青い血の自国民を危険分子として各国同時に粛清するために設けられた組織でした。

ありえない設定ではありますがネトウと称する一部の方々には後半の展開は血沸き肉踊るストーリィかも知れません。

さて当CEOがこの映画で心に残っているのは高橋悦史(当CEO大好きな男優のひとり。もっと長生きしてほしかった)特殊作業班の隊長が粛清決行の前夜、勝野洋に何箇所も自傷した腕の傷跡を見せて血への不安を隠せないことを告白する場面です。

思うにヘイト・スピーチを行う深層心理の大半はこの自己確認ではなかろうか・・・

さて血の問題は民族につながり個人の建前、本音の葛藤を生み出す。こうした問題は日本の文学にも名作があるが生々しすぎるので外国のお話として抽象化するのが良さそうだ。

・ 帰らざる肉体 ユベール・モンテイエ 大久保和郎訳 早川書房 (1963)
原題は Le retour des cendre (1961) 『灰の中からの帰還』だから邦題はちょっと安っぽい。

一人娘を持つシングル・マザー(なんて定義はフランス語にあるのかな?)の40代前半のヒロイン、エリザベート・ヴォルフは密告で強制収容所に送られるが、直前に結婚した年下の夫スタニスラス(スタン)に会いたい一心で、生き延びるためにドイツ軍の将兵相手の慰安婦になり収容所の解放までかろうじて生き延びる。しかし、そこでうつされた病気のため見る影もなくなっていた。

パリに着いたエリザベートは名を変えて旧友の産婦人科医の協力で形成手術によって、かつての面影に近づけていたとき、娘のファビエンヌとスタンが本人とも知らずエリザベートの代役として母親かつ妻として演ずる協力を頼んでくる。

ユダヤ民族の大粛清によりエリザベートは巨万の富を相続しているが当時の民法では親族が相続をうけられるのは本人以外は気の遠くなる年月が必要だったのだ。

エリザベートの日記として語られるストーリィはフランス独特の心理劇ではあるが、ユダヤ人とは外見か、血か、文化か、宗教か、習俗か、などなどの設問と登場人物の個々の個人の思考や行動が浮き彫りにされる。

作者は「つまらんミステリを書くなら退屈な小説を書くほうがいい」と公言する大学教授のようです。今の日本にミステリを書く大学教授はいるのかな?退屈な解説本は新書で書いているようだが・・・

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さて日本で血の問題を突き詰めると皇室の「万世一系の男系男子」の定義がある。日本人は科学的知識のない時代に実に鋭い生物学的感覚を持っていたと言ってもいい。「男系男子」とは生物の遺伝子としてのミトコンドリアDNAを無視するという定義と等価となる。

現在の生物学では男系ミトコンドリアの継承は絶無とは証明できないが基本的にミトコンドリアは女系として遺伝されている。つまり我々男でも女でも母方を辿ることはできるが父方の追跡は限界がある(最近では英国王室の例)。そこで社会の維持には真偽を問わず系図がものを言うことになる。

現日本人を形成しているのはDNAからして混血民族であることは疑いはない。その中で急速に混血が進むのは内乱を含む戦争などの騒乱にあるといってもいい。これは古事記、日本書紀などの神話の中にも求められる。また白村江の戦乱を初め多くの外勢力との抗争は何度かあり混血は促進されたと考えられる。全般に勝者は男系の敗者を抹殺するが女系はそうでもなかったようだ。

平時においても通商、外交使節など人間の交流があれば混血は進む。江戸時代のジャガタラ文(ふみ)に見られるように強制的に(多分外見を理由とした)排除をする(厳密には海外にいたすべての日本人も排斥する鎖国)政策の徹底が行われたことは知られている(はず)。とは言いながら男であれば鄭成功のように日本人の血としてもてはやすご都合主義もある。

さらに混血は美形(昔の基準はわからないが、つまりは他と異なるユニークな容姿)となる確率が高い。結局のところ権力者の目に留まることが多くなり自分の血を加える機会も増える。権力者はさらに上の権力者への貢としてすでに成人した娘を自分の氏に入れ教育を注いで養女として姻戚を結ぶことも行われたが系図上では女系の出自自体はあいまいにできていた。

つまるところ明治以来の科学立国日本は自縄自縛に陥ってしまったようだ。見方を変えれば、だからこその日本独特の皇統の定義といえなくもないが敗戦をなかったことにしたい心理のひとつにも思えてくる。

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・ ハニートラップについて
たしか、胡桃沢耕史の本だったと思うのだが題名は忘却。内容もうろ覚えで、・・・

ハニートラップというと性的スキャンダルと捉えられているが、それよりも尿や毛髪、体(血やリンパ)液といった個人情報の収集が目的であると喝破していました。

一般の人間ドックでそれらを分析した結果には、我々には知らされないその他の情報が実に多く隠されているいることは薄々知られている。

下々の引っかかるハニートラップは金銭目的だが、政治家、官僚、経済人となると国家中枢の権力者の予測寿命や抱えている疾病を含めた個人や家系の生物学的信頼性の情報を蓄積していくヒューミントの一環であるわけですね。

近頃、相手国から無視されたり利用されていると感じている、そこの政治家や官僚のあなた!身に覚えはありませんか?「お前はもう死んでいる!」なんてね、思われているかもしれません。

ということで、VIPや自称VIPは京都科捜研の榊マリ子さんのような塵ひとつ見逃さない優秀なDNAバスターズかゲノム・スィーパーズの帯同が求められますね。特に似たDNAを持つ某国、某某国が虎視眈々と狙っていますよ!

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どうです?しんねりむっつりの芥川賞を読むより大衆文化のなかの作品のほうがずっと身近で奥深いことがお分かりいただけたでしょうか?

論理科学と日本文化の齟齬の拡大は靖国神社の中にも見られます。こちらはまたの機会があればのこころだー・・・小沢昭一さんが懐かしい。

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