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2020年8月13日 (木)

キネマ航空CEO 「おもてなし」の挽歌で景気づけの「エア・ボン踊リ」に挑戦する

2020.08.19 公開校正と校閲を終了とします。キネマ航空CEO

ホスト国の新型コロナは収まらず一年延期としたものの、憲章に則り参加するもの拒まずの五輪のスピリットは危うくなり中止の影も忍び寄る。

中止はアスリートの無念とIOCのTV中継権の皮算用が失効するこれまた無念との引換になる。さらには既に貰い得のフィクサーやエイジェントが収益のキックバック予定分をよこせと暗躍を始めるかもしれないが、税金をはらってチケットまで買った国民も、投資をつぎ込んだ企業もインタナショナル・クラスターにされなくて良かった、と覚悟しておくしかないだろう。少なくとも前回の中止に比べれば・・・

変態を繰り返し予防薬も治療薬もないまま実行して最悪の事態に陥って、白を黒だと言いつのる国のまねをしても、黒を白(これらは禁止用語かね?)と言い張っても世界に押し通すだけの思いこみも粘りも、つまり国力はないだろうからね。仮に一年遅れておればCOVID20となりTOKYO VIRUSと呼ばれてもみずから反論できたかどうか。

話は変わるが、世論調査で「おもてなし」の夫君の環境大臣が、国民が期待する次期総理候補のナンバー・ワンだ、と報道されていたこともある。

まあ、取り上げた記者も記者だともいえるが、大臣は日本船籍で日本企業が運航するタンカーが世界の宝石と言われるモーリシャスの海岸で原油流出事故を起こし環境破壊が現実となってもなんの有効なコメントも出していないようだ。(8/13出稿時現在)

その点では、対中国への牽制や環境問題のプレゼンスの誇示を狙う旧宗主国はオン・ザ・コロナでも反応は早い。

確かに帳簿上は経済産業省や国土交通省の所管かもしれない。しかし海洋国家として環境を守るなら、オイル吸収剤や囲い込みフェンスなどかき集めて海上自衛隊の新明和US‐2飛行艇でパラメディックを下ろしてでも積めるだけ詰め込んで、できれば編隊でパラメディックを含めた要員も現地へ飛ばし、現場に着水して荷下ろしをする発案や調整はできるだろう。

場合によっては要員と追加物資を乗せて現地へ向かう輸送艦と海上で会合して中継輸送もやれる訓練にもなる。人員がそろったところで川崎C-2輸送機で資材をパラシュートで降ろしパラメディックが回収するなどなど、そうした海洋を含めた遠隔地汚染に即応できる機動態勢を各官庁と一緒に予算折衝するぐらいは今からでもおやんなさいと言いたくなる。

もちろん防衛省、経産省ばかりではなく国交省、財務省、外務省、厚生労働省、内閣官房e.t.c.の調整は必要だろう。一番面倒なのは武器を持たない輸送機でも自衛隊と言うだけで目の敵にするリベラル野党だろうが、むしろ首相になるには、実施できなくても論議を尽くして歴史の中で野党の失策に持ち込む雄弁こそが必須だね。

とかく自滅傾向のある日本のリベラル相手ではそのチャンスがいっぱいあるようだ。たとえば、自衛隊を出すまでもない、直ちに化石燃料と原子力発電をやめて、直ちにサステナブル・エナジーに変換すればすべて済む話だ、とかのすり替え論法に誘い込む…とかね。

今の時代、環境省は世界を相手の国益を調整する機関としての存在をアピールをする役所でもある。また所管大臣の背負うべき責任でもある。

まあ、野党ではなく身内が相手なのかもしれないが、指示もくれない首相の下で指示待ちを決め込んで叩かれる失点を減らし、首相指名のチャンスを待ってもすんなり回ってくるはずも無いのにね。それでも日本の有権者は優しい。しかし国際的には「金を払うだけの日本」と、将来の失点につながった歴史は今作られてゆく。

 

さて、残暑の盛りに当オフィスへ訪問いただいた皆様への特別なご招待は
「おもてなし」の挽歌で景気づけの「エア・ボン踊リ」

当オフィスの訪問者数なら三密炎上することもないだろーから
ごゆっくりとお楽しみください

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トーキョー・「ゴリン」ピック音頭 2020 (仮)

     あァー あの日 リオでの約束の、 あそれ 約束の
     オリンピックは おもてなし あ、それそれ オモテナシ

     あァー さあれ、されども 物事にゃーああ
     表があって、裏がある、 あそれ それそれ うらおもて
      地球の上に朝が来りゃ、その裏側は夜になる ) ワカッテルヨ!

     あれ あれ これ これ のり越えて、
     ついに2000と20年 残りは六月(むつき)となったれば、

     さても 新種の花が咲き、
      華があってもゴジラじゃないシン、ぁッ シン シン シン シン 
     新型ァー、シン・コーローナァー

     アー、「ピック」は延期で うらもなし
           ( ァそれッ おもてなければ あー ウラガナシ
                        
     アアー、咲いて結んだ花の実は ボーダー越えて狂い咲き

     ア、それ、「ピック」は中止(仮)で、うらがなし

               どどんかッ どどんかッ

     さあれ、されども 世の中に、 ドン ドン

     あってはならない うらおもて

     そあれ そーあれ、そあれ そーあれ そーあれ、そーあれ

     あってはならない ウラオモテ

     あイヤ、 イヤ イヤ

     あってもないのが うらおもて、ハイうらおもて ハイハイ

     世の中は―あぁ~あぁ

     あってもないのが ウラオモテ!

     そうだ そうだろ そうだよね どどんかッ どどんかッ

     うらと おもてと、 オモテと ウラ

     あっても なくても 裏がなし

     あー うら悲し

     あァあ ああ ああァ ウラガナシ! どどんかッ どんどん

               (お疲れ様ァ~)


一応、五七、七五調なので民謡と昭和歌謡のリズムをテキトーに組み合わせれば歌えるはずだけど、言葉と論旨の整合性や妥当性の判断はそれぞれの感性にお任せすることになる。

ちなみに、心悲しい、と書いて【うらがなしい】と読みます。

「そーだ!うら】 で悲しむから維新も革命も起きないんだッ」「日本人は起こせないんだーッ!情けない!」と両翼端から叩かれ指弾されそうですね。

「…で、維新と革命はどう違うの?」

 …! 「急にそんなこと訊(き)かれても・・・」 引用 from 梅沢富美男(プレバト)

人間は、ヒトの頭の中に自分の主義しか存在しないことを理解しようとしない。かつての歴史の中に全員を満足させる民主主義など存在したことはない。あっても神話かおとぎ話かアニメか漫画の中だけに過ぎない。

しかし「民主主義」は幻想に過ぎなくても、共有する「民主制度」は存在する。

右と左の翼に煽られる真ん中の胴体は、「このショーモナイ民主制度でも、受け継ぎ、少しは良くするために、やることをやり、やれることをやる」
と答えるしかないね。
 パクリ by 当CEO

不幸なことに、この胴体は今は消えゆく747並みに詰まっていてどっちに飛ぶのかさえわからない。とかく初期の問題を起こしがちな、より(の二乗で)小型の新型機MSJのフリートに乗り換えるか、生きながらえることに必死の機長代理と2世紀前のAI頼みの機長群が陰で操縦するもっと大きいAじゃなくC380にボーディング・ブリッジを架けて(に賭けて?)みるのか、そう言う時代になるようだ。前者にゃ気乗りはしないし、後者には乗る気がないがね。

 

2020年7月30日 (木)

キネマ航空CEO 「哲学カフェ」 に顔を出し、「メメントモリ」 と「旧知」 を思う

―――――「哲学カフェ」―――――

「本日のお勧め」として日替わりの豆とローストでドリップをする珈琲を飲み、備え付けの新聞や月刊誌に目を通したり、纏まった読書に没頭したり、纏まりのつかぬブログを書いたり、オーナーとの雑談を交わす茶房がある。

そのオーナーから、月に一度夕べから始まるオープンテーマの「哲学カフェ」の場を提供し始めていると聞いて顔を出す。

哲学「にも」なのか、「には」なのか、色々の接頭形容句が付けられる。今回で3回目と言うことで「起業」哲学に進むらしい。

大企業にもサイドビジネス(副業)が許される時代では安定した企業に就職しても、否(いな)、なおさらに二重に雇われて行う副業ではなく創業による自己実現のための副業を奨める「哲学」講座のようだ。

いつの時代にもある履き違えた厚さが違う二足の草鞋の平衡の取り方かな、とも思うが、当CEOの一回り年下の主宰者や二回り下の参加者が「ああだこうだ」と話すのを聞くのも面白いので、もう一、二度参加して見るつもりでいる。

とは言え、「起業と言う精神活動の不足する社会」が日本の将来への不安の一要素であることは間違いないし、また「志のある個人の不安を支えようとしない社会風土」の中での一歩を表しているとも言える。

最も「その社会風土」のロングテールの中にいる当CEOは、起業投資のお誘いに巻き込まれないように念のため当CEOの興味は「実学」ではなく「形而上学」としての「哲学」にあると先に逃げを打っておくことにする。

ただ場所を提供しているオーナーの想う「哲学カフェ」のイメージとは少し違うようで、講座の終わりの座談では「メメント・モリ」の言葉がオーナーから発せられたが参加者の興味を引かなかったようだ。
ラテン語の“Memento mori”であり、キリスト教の中では「死を想え」あるいは「死を憶いだせ」の意である。

―――――「旧知の訃報」―――――

そして、帰宅して日付の変わる頃、日々チェックする北の中山間地に住む知人のブログで、そこから西に山一つ越えたダム湖となった川を見下ろす中山間地の中腹でブルーベリー農園を営む知人の訃報に接した。

余命宣告されていた彼はその余命を1ヶ月残して逝ってしまった。

彼とは今年の3月の一日、ブログの主に誘われて彼の農園にある甘夏みかんと八朔の収穫に出向いた折、誘い主が到着する前に当CEOの病歴について取り止めのない話を交わした。

当CEOは7年程前、細胞癌であるリンパ癌の手術を受けている。担当医から術式説明の後に「再発の確率は最悪95%から良ければ5%」と説明された。その時は平均すれば50%で普通の生活での生存率と変わらないな、と覚悟めいた思いが掠めていた。

手術は成功し術式での緩解を確認する5年間の3マンス・チェックを経て6マンス・チェック、1イヤー・チェックとなる過程で「その覚悟」は次第に薄れてくるのを自覚する。

そして、リンパ癌の宿命である臓器癌として再発が発見された時点では延命処置しかない。その時に「同じ覚悟」ができるかどうかは、分からない・・・

などを話し終わるころに到着した誘い主と一緒に摘み残されていた、枝にたわわの柑橘の玉を収穫し、過分の分け前をいただき、別れたままである。

―――――「葉隠」―――――

さて、「メメントモリ」、日本語では肥前佐賀藩鍋島家(鍋島本家)の家臣山本常朝(1659-1719)が1710頃から16年にかけて口述でのこした「葉隠聞書」の一節「常住死身【じょうじゅうしにみ】」にもどこかで通じるであろう。

戦国時代最後の大戦(おおいくさ)、大阪夏の陣(1615)から45年後、天草の乱(1637)から23年後に生まれた常朝が52歳から足掛け7年を掛けて聞書きに残した常朝の言う反語もしくは隠喩で示された「生」の意義は日々重ねる主君に対する御奉公の心構えではあった。

また常朝43歳の1701年には天領の肥前長崎で出島警備を行う肥前佐賀藩の深堀鍋島家が長崎会所の役人との間でやられたらやり返す一年をかけた血なまぐさい 深堀事件 も起こっている。

今ももて囃される「忠臣蔵」のネタ元で知られる赤穂事件の江戸城中における刃傷と即日切腹も1701年、浪士の討入りと、徒党を組んでの押込みを評定しながらも斬首ではなく切腹とする幕府の処断は1703年であった。いずれも元禄時代であり戦国の気風が残りまた太平の世の兆しが見え隠れする時代でもあった。

因みに常朝【つねとも】は、心構えの通りに生きていても「追腹法度」でその時を得ず42歳(1700年)で出家し常朝【じょうちょう】として仏門に入り当時では長寿の還暦を越えた天寿を全うしている。ここまでの「常朝」は主君の没後の42歳を境に読み替えてくださいね。

追腹法度は佐賀藩では1661年に常朝の主君鍋島光茂により諸藩、幕府に先駆けて発布されている。先行したのは佐賀藩独特の藩体制にもよるようだ。人道のためではなく「主従関係」を「主君と家臣」から「主家と家臣」へと変えるという「情理」から「条理」へご奉公の定義の転換であります。ただ人間の心では主従関係に限らず「情」と「条」の「理」が混然一体となっている「道理」がある。

ややこしい「理」よりも「道」が大好きな日本人の場合、「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の注釈の一文で、後に明治維新により下級武士から成り上がった「士族」の二代目三代目辺りから「武士道とは死ぬことなり」と決めつけられれば、かつては圧倒的大多数の人口を占めていた農工商の職分からいきなり「平民」へと一括りにされて、すべからく「武士」として、「道」として、の「美学」の甕に漬けられて染めあげられるべし、となる。

取りあえずの「理」であるルールの下で勝敗を伴う競技の選手に付けられ、多彩な媒体により拡散される「サムライ・ジャパン(侍ジャパン、さむらいJAPAN、等々)」や「サムライ・ブルー」などは見る者にとっても「常住死身」を知ってかどうか、先の流れの中に入るのだろう。
同様に「なでしこジャパン」も「大和撫子」の流れを引きずり「常住死身」を支える清楚な、あるいは凛とした「貞女の鑑【かがみ】」を想起させるのかもしれない。「大和撫子【やまとなでしこ】」は河原撫子【カワラナデシコ】の異称だが日本女性の美称でもある。千々に裂けた五枚の花弁は色も含めて妖しさも感じられるけどね。

とは言え、西城八十作詞「侍ニッポン」(1931)の元の歌詞は七聯あり幻の七番で終わる。
 二度とせまいぞ 武士(さむらい)稼業 
 泣いて涙で 人を斬る
 恋と意気地の 骸(むくろ)の上に
 降るは昔の 江戸の雪
(「せまいぞ」は「する」の文語体の命令形「せよ」の否定の意思表示「するんじゃないぞ」)
念のため、骸は主人公に斬られた武士ではない。主人公の武士であります。

(閑話休題)

―――――「いくつもの死、いくつかの死」―――――

そして、旧知の彼の死の後にも、残された日本では不慮の死、理不尽な死が続き、その前に表面化していた多くの裁判やゴシップが追いかけ消えてゆく。

当CEOも「メメントモリ」と聞くと「生きねば」よりも、自死や尊厳死がそれなりの言葉の重みを持つ歳となっている。

記憶にある「自死」に言及した言葉では鶴見俊輔の一文がある。鶴見俊輔はリベラリストというよりプラグマチストあるいはニヒリストのようでもある。

また、キリスト教徒であった厳しい母の影響と反発、成人後の仏教への興味、加えて第二次大戦による留学時の戦時交換船での帰国、南方への従軍(軍属)の経験者でもある。
したがい、何を基準にするかはさて置き、左右両側から、中でも左からの毀誉褒貶も多い思想家である。

 「おとうさん、自殺をしてもいいのか?」
と幼い息子にそう問われた鶴見俊輔は、
 「してもいい、二つのときにだ」・・・
 「戦争にひきだされて敵を殺せと命令された場合、敵を殺したくなかったら、自殺したらいい」・・・
 「もう一つは、君は男だからいうんだけれども、もし強姦をして、証拠隠滅のためにその女を殺してしまおうという衝動が起こったら、その前に首をくくって死んだらいい」・・・
  と答えている。(段落や括弧の変更は当CEOの独断による)

この会話は日中戦争でも太平洋戦争でもなく、その知見はあったとしても現行憲法下の朝鮮戦争あるいはベトナム戦争の時代であった。

一方、「尊厳死」は日本の文化の中では「自刃」「切腹」「介錯」と言う儀式をも含めて日本人固有の永遠のテーゼでもあるようだ。(長い閑話休題)

―――――ご冥福を―――――

ヒトと動物の死はどう違うのだろう。ヒトはヒトを弔う心を持っている。(例外を除きと付け加えなければならないのが悔しいが)

その一方で、あるべく生きた動物は死期を悟ると自らその集団を離れて消えてゆく本能があるとも言われている。

いや、屍(しかばね)の周りにその仲間が集まり弔っているのを見かける、と記録するナチュラリストもいる。

ただ、人の感性で動物の行動を記録することは誤りであることが多いと言うサイエンティストの目では、ありえない屍の周りを取り囲む仲間は、動かぬ身体と冷えてゆく体温という不意の死に戸惑っているだけとも思える。

その残されたモノへの戸惑いがヒトの本能に組み込まれてゆく生命の掟の芽生えかもしれない。

そろそろ亡くなった知人の思い出に戻ろう。

三つ歳上の彼と別れた日、相身互いの「ご老体」と呼びかけると「ご老体はやめてくれ」と返されたが「御老公とも呼べないよ」と言うと、苦笑していた彼の笑顔を思い出す。

いま、彼の残したブログを読み返すと日々の生業(なりわい)の間に奥様との旅行、子、孫たちとの触れ合い、級友や同期の友との再会、そして毎年の彼岸の墓参などの日常も溢れている。

ひとり中山間地に起居しブルー・ベリー育成の生業と地域振興の活動を重ねてきた彼はご家族の元で人間、ヒトとして旅立ったのだろう・・・ご冥福を祈る。

彼の活動の一端と後姿は当CEOのブログでも偲べる。ぜひ ご訪問 ください。

2016年12月30日 (金)

キネマ航空 CEO 2016CY 業務の終了のご挨拶

当キネマ航空は事業からの収入はなんらありません。したがい通例のFY(ファイナンシャル・イヤー)ではなくCY(カレンダー・イヤー)を区切りとしています。それは、さておき・・・

去りゆく2016年にご搭乗いただきましたお客様に心より感謝を申し上げます。
また当オフィスにご来訪の皆さま、ありがとうございました。
当オフィスの記事のみにご関心を持ってご来訪の皆さまは、ぜひとも KINEMA AIRLINES のフライトにもご注目ください。

と、書いたところで愕然としました。
何としたことか、本業のキネマ航空では本年度は一便も新規就航ができていませんでした。

時代の変わり目に立ち会っている興奮で不覚にも 「経済・政治・国際」 のカテゴリーの記事に集中してしまった醜態でありました。(でも結構なワークロードではあるんですよ)

その中で当CEO のお勧めは キネマ航空CEO 陰謀論は楽しい!上有対策、下有政策?の巻(全編閑話) であります。

オスプレイ」の記事でも進展がありませんでしたが某(マイルド?)ネトウヨと括られると思われるサイトに当オフィスの記事がリンクされ、キュレーター・サイトにも登場しました。

その当オフィスの記事は該サイト筆者の視点とは全く違うのですが都合の「良いとこ取り」だけで時間を掛けた記事も一文を通しては読まれていないんだろうなー。

MRJ」につきましては考えるほどに膨らんでしまい予定を大幅に超過しております。

いずれのカテゴリーも結論らしきものは見えてきたのですが(ということは皆さまにも見えてきただろうということで)、そうなると書くのが面倒くさくなる「当CEOの悪い癖」、が出てきています。
しかしながら来年中にはどちらも何とか収束させることをお約束します。

その前に準備だけは進めていた「キネマ航空 013便」を第一四半期(CY)に就航させるべく取り組んで行きます。ご期待ください。

「それでは皆様も良いお歳を重ねられますよう。またのご来訪をお待ちしております」 を当キネマ航空よりのご挨拶といたします。

                                  キネマ航空 CEO 拝

追記

映画に関連した2016年度の当オフィスの記事は以下であります。

キネマ航空CEO 民主主義を映画から考える。『後出しトランプの巻』後編

キネマ航空CEO 映画『ハドソン川の奇跡』を見る前、見た後のお勧めの一冊

キネマ航空CEO 映画館に『ハドソン川の奇跡』を観にゆく

2015年1月 4日 (日)

キネマ航空CEO 新年のご挨拶と記事訂正のお詫び

明けましておめでとうございます・・・とはいえ、

「門松は 冥途の旅の一里塚 目出度くもあり 目出度くもなし」 

・・・と、憎まれ口をきく歳となりました。

さて、昨年末にかけては本業より読書に集中しておりました。その経緯はブログに記したとおりであります。まあ、書評等は異端として分類されるのでしょうがそれで良しと考えています。

昨年はブログのカテゴリーの一つの「オスプレイ」は中途半端なペンディング状態ですがそのうち再開する予定です。

いっぽう本業のキネマ航空の増便は1便のみでした。

その 011 便 の 『アロー " THE ARROW " 』 の囲み記事「アウトフローによるピッチアップ」のなかで遷音速時における直線翼と三角翼の挙動の文章に重大な錯誤があり大幅に書き直しました。

ここに謹んでご連絡とお詫びをいたします。改めて ご一読 ください。

また本編後段の、

BAC TSR.2 爆撃機もアローと同じような道をたどって中止されています。ちなみにこちらは尾翼付でしたが三角翼の翼端を下方に折り曲げた後年のノースアメリカン B-70 ヴァルキュリーの可変翼端にも通じた形状をしていました」

・・・につきましても、 BAC TSR.2 の形状は B-70 ヴァルキュリー のそれとは設計意図や機能が異なると指摘を受けましたが形状が似ているということだけですのでそのままといたします。 

ヴァルキュリー のそれは、胴体下のエンジン・ナセルに生じるショック・ウェーブ を抱え込むコンプレッション・リフト(圧縮揚力)用途だそうで、それより遅い速度(といっても音速以上)で飛ぶ BAC TSR.2 では必要ない、ということですが、それよりずっと遅い大型鳥類でも翼端を下げて空気を抱え込むことは行っております。(もちろん物理的な圧縮圧力の発生理論は違いますけど)

BAC TSR.2 には、そのほかにも翼端版効果、肩翼の過剰なロール安定を抑えて機動性を向上させるための下半角やヨー安定のベントラル・フィンの効果もあるはずです。  

この辺りは機会がありましたら・・・といっても  BAC TSR.2 が出てくる映画なんてあったかしら ? !

なお、ご心配をお掛けしております当CEOの一昨年のがん手術の経過観察は問題なく過ぎております。

したがい、今年こそは頑張って(我を張って) 『フランス・フランス・おフランス』のフランス映画に『核兵器絡み』の 2 便の増便を計画中です。できれば日本映画のいくつかも・・・

乞うご期待 !!

以上、末尾ながら皆さまのご健康を祈念して、キネマ航空年頭のご挨拶といたしたく存じます。

2015年正月吉日

キネマ航空CEO 拝

2013年12月27日 (金)

キネマ航空CEO 一年を振り返る

キネマ航空ご愛用の皆様、

早いものでもう2013年も残りわずかとなりました。

当CEOが前職をリタイヤする前は気持ち的に会計年度(FY: Financial Year/ 4-3月)で一年が回っていました。・・・が、今では暦年(CY: Calender Year/ 1-12月)で生活することになじんできています。

しかし、一方では、気分的にではありますが月齢カレンダー(Luna Calendar)をダウンロードして壁紙にしています。

さて本年は、正規のフライトとしてキネマ航空 009便010便 の2本の増便が果たせました。ご搭乗いただけましたでしょうか?

また、当オフィスで連載中のカテゴリー 「オスプレイ」を中断しておりますが、「特定秘密保護法」にはまったく関係ありません。だいたいが公知の情報を組み立てて独断で話を運んでいるだけです。

と、いうことは、関連法案として「デマゴーグ規制法」が成立すれば解釈次第で閉鎖に追い込まれるかもしれませんけれどね。でもね、そうなれば今の与野党ともに、政治家も失業することになる・・・はずなんですがね。

類は友を呼ぶで、日本も周りの国と同じような「民意」と「衆愚」と「デマゴーグ」の時代になりそうな予感もします。

とはいうものの、現実には、自由主義のなかの普通の国でも、一国のリーダーはこの三つを見極めてリーダーシップをとるのが政権、と言えます。

安倍晋三氏は民意がどこに向かうかを先に見抜きましたね。戦後の理想民主主義の本流と民意が思っていたはずの民社党が金だけはまだある三代目やスッカラカンで去る気ない市民運動家でリーダーシップの限界を示しちゃいました・・・(民意が選んじゃった)からね。(閑話休題)

さて、来年はオスプレイのカテゴリーを再開する予定で資料を収集しております。そのため、過去の記事を読み直してみました・・・が、誤字、脱字はもとより我ながら「閑話休題」どころか「話の逸脱」が多すぎます。

来年は、まずこれまで(本筋)の要約から始めなければ、と思っています。

Telephoto_camera--------------------

はなし替わって、当CEOは秋に入って、この夏の酷暑の中で、愚堕々々(グダグダ)になりながら構想していた、飛行機と鳥のスナップを目的とした35mmフィルム、フル・サイズの画角で600mm相当のコンパクト・デジタル・カメラをようやく完成させました。 

手持ちのカメラに、通信販売の部品や友人にオークションで落としてもらった「たぶん上手(うま)くいくだろう買い(これがホントの大人買い!金で買い占めるのは子供でもできる)」の中古部品を組み合わせて、何の改造もせずに組んだだけです。

したがい、周辺光量が落ち、当然のことながら合焦、測光その他によるタイムラグ、連写速度などの性能では、飛行場や湖のそばで見かけるン百万円の高級な一眼レフのシステム・カメラには及びもつきません。

でも1:1のフレームで当事務所に掲載する分には十分と思えます。

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試写した結果ではフレーミング(照準)と手振れの防止にはかなりの習熟とカメラ側の機能メニューの理解が必要のようです。

画質がどうのという前に高いカメラを買わなくてよかったと痛感しました。「弘法は筆を選ばず」だそうですが「下手は道具を選ぶべし」です。

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ただ、ベースにしたニコンのデジカメは多くのボタンやダイヤルを右手の指で操作するのですが、写真のように釣り紐(ストラップ)を付ける部品が突起となっており操作の邪魔になっています(写真参照)。他社の同クラスの製品を見ると工夫がされているのですがね。

ここで余談。日本光学は戦艦大和の測距義を造った技術で、戦後の精密光学機械をつくり、世界を制しているという論理がよく使われます。工学技術としての零戦の場合と同じように、この論法で、だから日本は今でも素晴らしいという論旨の評論はあまり信用しないほうがいい時代にもなってきたようです。(まだ懲りない閑話休題)

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このカメラで当地の上空にできたコントレールを写してみました。飛行機雲ができると天気は下り坂となりますが、それはそれとして、来年は爽やかな気持ちのよい年になりますように。

Contrail_a

Contrail_b

Contrail_c

Contrail_d

Contrail_e

飛行機雲はこんなぐあいにも消えてゆくんですね。大きな画面で細部をみると不思議な美しさがあります。写真に残すと気が付かなかったことも見えるようになるかもしれません。

またまた余談ながら、四周を見ることのできる戦闘機のパイロットには自分の機が曳くコントレールは灰色のもやにしか見えないと、どこかで読んだ記憶がよみがえりました。

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来年もキネマ航空はご期待に添える増便を続けます。各便へのご搭乗を心よりお待ちしています。

皆様も、よいお歳を重ねられますように・・・もとい!歳なぞ忘れてよい年を、お迎えされますように!

キネマ航空 CEO 拝

2012年6月18日 (月)

キネマ航空CEO 梟雄か?英雄か? 野田首相について考える。

人間の顔を実物大で写せる大型テレビの効用について以前に述べたことがある。そのテレビで野田首相を観ていると歴代の民主党の首相の中では腹が座っているように見える。

 

野田首相の引用術から見てみよう。代表選挙前の所信演説のさわりの部分は相田みつをの「ドジョウが金魚のまねをしてもしょうがねえじゃん」から上手い引用をしたものである。泥鰌(どぜう)がだれだか、金魚がだれだか、明らかである。

 

しかし演説の中でなにかを比べる場合は、「Aでもなく、Bでもない。じつはCである」と否定を重ねたリズムで強調するのが普通である。

 

このレトリックを巧みに連想させる個所に使っている。「金魚でもなければ、鯰(ナマズ)でもない。私はどぜうである」
どうです?上手いもんではありませんか?ナマズは言わずもがな、でありますね。ナマズはどぜうに比べるとどうも分が悪い。

 

国民は、あたかも2時間ドラマのように、政治に対して快刀乱麻のごとく複雑に絡み合った法律を一気に解きほぐすことを期待している。
ただ2時間ドラマも冷静に考えれば何も解決していない。立法によって成立している法律にそって一見解決してもその後に膨大な司法処理、行政処理、さらには個人の内的処理(諦観)の葛藤が待っているのであるが視聴者はそんなことは始めから無視している。

 

国民は望む!! 廃炉、復興、年金、国防、脱デフレ、えとせとら・えとせとら・・・と。こんなもの、日本の仕組みのなかで一回の首相の任期でできるわけがない。

 

そんなことはない! 正しい政権党が政策を引き継いで権力者を交代させながら進めばよい! まあ、良いのか悪いのかその見本がお隣にあるにはあるのですが(閑話休題)

 

さて、民主主義の世にあっても権力者が権力に固執する。これは基本的に必要である。
そのために野田首相は初年度には「税制」一本槍で突き進む。増税はその使われ方や集め方を一旦脇に置くと人口が減っていく日本には絶対に必要である。

 

たとえば戦後70年かかって復興を成し遂げた日本には膨大なインフラストラクチャーがあって国民は今の時間を享受している。そのインフラも使えば減るし時間と共に壊れてゆく。

 

しかし人口が減少しても現在のインフラはその地方にとってはいきなり放棄できないのも事実であろう。
時おり新聞に沿線に残る住民の声をノスタルジックに取り上げられて暗に政府や自治体を批判されたとしても国家(国民)としては時間をかけて廃線、廃路にしていくしかない。それまでは国債という税金の先取りでまかなうことになる。

 

原子炉再稼動や廃炉にしても同様である。考えうるリスクであろうがなかろうが実際に現実になれば歴史の中でその責任は負わねばならないのが政治家であり、このことだけの一局面で政治家個人をあげつらうのはいかがなものかと考える。

 

こと増税に関して言えば与党であれ、野党であれ、いずれ実行しなければならない。野田首相はそこを衝いた。そして与野党協議にこだわり党内の軋轢は無視している。

 

いずれ政党は再編される。税制変更を実行した元総理大臣の実績は再編された政界においてもある程度の権力は維持でき、あわよくば新政党の中で再度、首班となって国政を担当することも可能な人脈も政、官、業に形成されつつある。では国民はどうみるか?

 

その「人脈なくして政治家になにができるのか」を国民ひとりひとりがどう見るているかを問われることになる。
これは、「人からなにかしてもらうには」ばかりではなく「自分からなにかするには」何が必要か?の両面を考えれば自ずとわかってくる。

 

もちろん昨今流行りの歴女、歴男はそれが「両刃の剣」になることはさらに深くご存知であろうがその「剣(つるぎ)」を上手に使った人物が歴史に名をのこしたり、無名であっても生きのびてアナタやワタシの先祖となっている。

 

さて政治家はアナタもしくはワタシ個人と全く同じでなければならぬと考えてしまえばそこで国は成立しなくなる。
そのことを前提において、その場その場であたかもスポーツの実況中継のようにありふれた評論を吐くのではなく、現在を将来の歴史物語として政治家の言動、離合集散を見ながら未来に対する無名の歴史上の人物として一票を投じるのが選挙権の行使であろう。

 

とはいっても人間は人を見誤ることはある。野田佳彦が、英雄か?梟雄(きゅうゆう:辞書引いてね)か? 歴史にはその点だけが残ってしまう。その点を本人は自覚しているのではなかろうか?

 

氏は松下政経塾の一期生の出身である。実業家として成功を収めた松下幸之助氏が1979年に創立した私塾である。その旧「松下電器」の実情は十分ご承知であろう。新興実業家といえども人間一代の仕事にすぎない。まして政治家などは・・・、と (金魚とは違うゾと) 腹を括っていることを信じたい。

 

なお、古今の歴史では英雄も梟雄もやってることは大差ありません。大衆がどう思っているか、思わされているかです。

 

日本人の考える理想的な出処進退は山口百恵さんかな。え?比較の対象が違う。では小泉純一郎氏の政治家としての生き方ではどうでしょう?

 

国民に痛みを訴える「米百票」から野党の質問レベルにあわせた「人生いろいろ・・・」までの引用で切り抜ける政治家としての弁舌はなかなかのものでした。そして郵政改革の一点突破だけであっさり引退しちゃいましたね。

 

ただし実力をもった後継者が次々と登場する歌謡界とは違い、小泉氏は百恵チャン並みの引退をして古巣の政党を含めて政界に今日の政権交代と混乱を巻き起こした張本人でもあります。その意味では氏は梟雄の資格を十分に備えています。(それにしても陰でなにもやっていないのかしら)

 

野田首相が小泉氏を反面教師として政権に執着し大所高所(それしか言いようがない)の民意に沿った政治を行なったそののちの結果で、未知数の野田氏も、評価の定まらぬ小泉氏も英雄となれるといえます。

 

国民がいなければ国家も政治家も必要はない。政治家の資質もさることながら梟雄や英雄を作るのはわれわれですね。(とはいっても選ばれた民主党は 市民運動 に乗っかったナマズを選んじゃったもんね!はてさて今度の選挙はどうしましょうか)

2012年6月 6日 (水)

キネマ航空CEO 葉桜の候にさらに物思う

承前 ・・・ キネマ航空CEO 葉桜の候に物思い、俳句をひねる

臼淵大尉の「進歩」とは何を指すのだろうか?
作中では戦艦対航空機の戦闘における対空兵器の劣勢のようにも読める。「新生日本」については具体的な憶測もできず永久に知ることはできない。

臼淵大尉は後部副砲指揮所で爆弾の直撃を受け血の一滴、一片の肉片も残さずその精神、心情と共にこの世から消えている。
しかし彼のことばは経済成長と共に勝ち得た精神的な心情が直面する「日本」の停滞と既得権の蔓延と、その行く手を憂べき世情に痛切な響となって重なってくる。

「進歩」については「兵器」とは離れて「新生日本人」と考えれば今と十分に重なる。
「新生日本」は「日の丸」や「君が代」を否定するものではなかったろう。 いったいどのようなものであろうか?

これまでの勝ち戦といえども戦場の惨禍を経験した海軍軍人が非戦の思想を持った例はあった。 しかし、ここから憲法九条に敷衍するには無理がある。

臼淵大尉(戦死により中佐)は当然のことながら二度にわたる原子爆弾の惨禍やソ連の参戦さらには大陸における日本軍の行為など知る由もない。いまとなっては同じ戦場から生き残った吉田満の著作「臼淵大尉の場合」から慮(おもんばか)ることになる。

二人の相違は同年の生まれであったが吉田満は早生まれの22歳、臼淵巌は21歳であり、そして中等学校卒業後の進路の差であった。

随筆や論評と括(くく)るには重い吉田満の著作は「戦艦大和ノ最後」、「祖国と敵国の間」と共に次に収められている。

「鎮魂戦艦大和」 吉田 満 1974 講談社

吉田満の著作は戦勝国アメリカに加えて、左からは好戦文学として、右からは特に初稿の末文を改稿したことで精神的な転向として、生還者からは(意図的な)風聞の寄せ集めとして批判の対象になっている。詳細は次の著作が参考になる。

大和の最後、それから 吉田満 戦後の航跡 千早耿一郎 2004 講談社

臼淵大尉の言う「進歩」については、はたして出撃前夜の臼淵大尉の発言かどうか、さらには吉田満の創作ではないか、との疑義もある。

しかし、その「進歩」は次のようにも読める。臼淵大尉の父君、臼淵清忠中佐は海軍機関学校出身で艦船から航空機を発進させるカタパルトの権威であった。そして「大和」の構想が始まる時期に航空優位の論文を外部に公表したことで記録として残る軍法会議を避けた退役の処分を受けている。

そしてその子息は航空優勢が明確となった時点で「大艦巨砲」の象徴である「大和」乗り組むことになった。あまりにも皮相な解釈かも知れないがその胸中を横切った父君への想いを重ねた苦渋ともとれる。

戦争で死ぬということ(1923.8.22-1945.4.7)、生き残るということ(1923.1.6-1979.9.17)、とはそういうものである。そのことを書物でいいから一度は経験すべきである。

そして、読んだからといって結局は何も分からない。読んだもの自身の生き方が結論となるのであろう。

ただ一つ学べたことは「戦争の終わらせかた」である。

太平洋戦線の政治的終結は鈴木首相、米内海相などの海軍のラインによる工作で昭和天皇の聖断に持ち込んだ。 このためか陸軍に比べ海軍に対する世評は高い。「スマート・ネイヴィ」と呼ばれることもあるようだが形容詞の「スマート」には「要領のよい(小ずるい)」の意味もある。

海軍は兵器オペレーターの集団である。海軍は役にたたないと分かっていてもオペレーターの扱う兵器がある限り戦争の終結を言い出すことはできない。
この点では臼淵大尉は冷徹に戦争そのものを見通していたと思える。

海軍は多くのオペレーターを兵器と同時に失う作戦を行い、そのために空中、海上、海中の多くの簡易兵器を製造し実戦に投入した。

陸軍は竹やぶがあればオペレーターにも武器が作れる、あるいは作らせることができる。しかし海軍では武器を作るためには、用兵者とオペレーターの中間に設計者、製造者が必ず存在する。

もともとは「櫻花(おうか)」という航空機について稿を続けるつもりであったがその季節を逸したようだ。いずれ稿を改めたい。

一旦 了

P.S.

原子力村に限らず、何々村と呼ばれる現代の閉鎖社会の核となるのが「官僚の無謬性」と「工学技術者の無名性」なのではなかろうか?

もちろんその周囲をユーザーと呼ばれる受益者が包みこんで成立していることは間違いないのであるが、その社会構造と心理構造をブログで書くには時間がかかる。

2012年5月23日 (水)

キネマ航空CEO 葉桜の候に物思い、俳句をひねる

少し遅れた今年(2012年)の四月半ば、連れ合いのお供で近くにある公園にて満開の桜を観た。台地に刻まれた沢を使い造営された運動公園である。

桜はその沢を水路に変えたコンクリートの護岸壁の上にある遊歩道に沿って長く伸びており、広がった枝は人の丈より高く遊歩道と水辺を覆っている。

開園15周年というから育苗後20年前後の桜並木である。満開ともなると花の下は隧道(トンネル)となり、台地の縁(ふち)に立てば雲海、否、谷を埋める深い霧を望むような壮観にも見えてくる。

そして桜を見る季節になると日本人を自覚する。桜が国花であろうがなかろうが、その自覚はきわめて複雑なものである。
いったい外国人は花にこのような感情を持つのであろうか?

外国人はさて置き、「桜」の概念は梶井基次郎の小説、本居宣長の詩歌、更には幾多の古典へと広がるのであろうが、自身について振り返ると、実のところは今でも(音痴ながら)歌える唱歌、歌謡曲、軍歌などから刷り込まれたものであろう。

これらは当CEOがまず歌うこともあるまい演歌、ポップスにおいても同じであり、基本的に研ぎ澄まされた日本人の情念である。

それらの作詞者、作曲者の感性を通して古典に向う茫漠とした時間につながっているからであろう。

ただ歳を重ねて経験を積み、少しひねくれた身には、この光景の先も見えてしまう。

この果ては 毛虫(むし)の棲み処や 花桜(はなざくら)

類句はあるであろうが経験の句である。

いったい桜とは何であろうか?
こうした思いを一気に晴らしてくれた本がある。

桜が創った「日本」-ソメイヨシノ 起源の旅- 佐藤俊樹 岩波新書 (2005)

古典を彩る「桜」は決して一種ではなかった。しかし、今では、「桜は一斉に花開き北上し日本を縦断する桜前線をつくるソメイヨシノであり、その前後に先乗り、名残り、の種(しゅ)が僅かに残るのみ、」のようだ。

付け加えると当CEOの桜のイメージの刷り込みは多感な時期に読んだ吉田満著「戦艦大和ノ最後」でもあるようだ。

四月五日、沖縄に向け出撃の前、三田尻沖に停泊して行なっていた訓練の合間に三番見張員の上げた声に、次のような個所がつづく。

『早咲キノ花ナラン 先ヲ争ソッテ双眼鏡ニ取附キ、・・・ 霞ム「グラス」ノ視野一杯ニ絶エ間ナク揺レ我ヲ誘ウ如キ花影ノ耀キ 桜、・・・』 ・・・部は省略

少なくとも士官のだれもが作戦の成功が覚束ないことを覚悟した出撃において兵学校出身士官と学徒出身士官の間で死の意味についての対立があった。その対立を収斂させたのは臼淵大尉(だいい)のことばであった。

『・・・日本ハ進歩トイウコトヲ軽ンジ過ギタ・・・本当ノ進歩ヲ忘レテイタ 敗レテ目覚メル・・・今目覚メズシテイツ救ワレルカ 俺タチハソノ先導ニナルノダ 日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ジャナイカ』 ・・・部は省略

まさにその新生日本の今がある。葉桜の季節となると先の句も推敲が必要となる。

その果ての 蟲(むし)の棲み処ぞ 櫻花(さくらばな)

季語の用法から見ても俳句の体をなしていないと思われる。ただ、佐藤氏の著作「桜の創った・・・」に依れば「桜」は「ゼロ記号性」の最たるもののようだ。

すなわち、すべてを飲み込み、すべてを吐き出すシンボルであるようなので季語の括りから外れても許されると思いたい。

いっぽう、自称ナチュラリストからは「虫の命も生態系の一部であり美しい蝶に変わる。たとえ毒蛾であっても自然界には有益である」とねじ込まれることも止むを得まい。

とはいえ、筆者の通う桜並木は虫の駆除が行われているようであり文句はそちらにも付けてもらいたいものだ。

ただ、『今の時代を作ったのは戦中戦後に生まれ戦後に育ち、やがて社会から消えていく当CEOの世代こそ、その「蟲」だったのではないのか』 との糾弾も次の世代から受けねばなるまい。

 キネマ航空CEO 葉桜の候にさらに物思う に 続く

2012年4月 8日 (日)

キネマ航空CEOの春野の休日

里山歩きのグループで知り合った方たちに誘われるようにして同じ市内とはいえ車で小一時間かかる春野という町にあるオープン・ガーデンで行なわれる春の祭りに参加してきた。

Whole_view

四周を囲う山に沿って大きく曲がる清流のある庭である。

左岸の花の林は育成中で入ることはできないが右の花が見えるあたりから画面の外に広がっている。

川はどれくらい清流かというと鯉のぼり、ならぬビニール製らしいのは残念だが鯉ながしを行なえるほどである。

写真でははっきりしないが、Streamers

緋鯉のうしろに小さな鯉も泳いでいる。

オープン・ガーデンと言うとTVで紹介される英国の管理された庭を思い浮かべるがそんな大それたものではない。

Art

それでも竹を素材にした手作りのオブジェなどがあちこちに飾られている。

Passage

こちらは廃材木を利用した小道である。

実のところオブジェはここにある竹の輪を作った端材のようだ。

小道やその脇の人が踏み入りそうなところに並べられた輪っかのなかには、

Objects

こうして小さな花や若い芽が守られている。

立ち入り禁止の立て札や張り巡らされたロープで守られた庭より遥かに心を鎮める力がある。

よく考えられて設けられている小道のせいもあってか植え込みに立ち入る人は見かけなかった。

古都の社寺の庭、大名が残した大庭園、確かに美しく、大切なレガシーではあるが今日の日本の美や精神を具現して生きている文化はこれである、と言い切れるのかどうかを考えさせられる庭であった。

Uncles さて遠景の櫻に囲まれたように見える緑の傘のあたりには、とりどりの花で飾られた舞台がある。

ここでフィドルとギターのアイリッシュ音楽のデュオ。

数年前にゆかりもない当地に移り住み茶農家を始めた若夫婦と真っ赤なリンゴのほっぺ(久しぶりに見た)の幼児も舞台に上がってのトーク。

街っ子の女子中高生弦楽クァルテットの演奏するクラシックなどが繰り広げられた。

春野の町は先ほどのような若い人たちばかりではなく物書き絵描きの中堅世代にも移住先として人気がある町のようだ。

こうしたイベントが行なわれ、日常の営みがつづくのは、なかんずくこうして遠くから彼らを見守っているリタイヤした方々が農業にいそしみながらの緩やかだが強い結びつきがあってのことだろう。

花で囲まれた舞台は左端のアンクルが山を越えた隣町から来て前日の強風のなかで組み上げたそうである。

Contrail このような町の上にも航空路がありコントレールを曳いた旅客機が通り過ぎて行きました。

上下10km離れてそれぞれの人生が交差しているよく晴れた、しかしまだいくぶん肌寒い、穏やかな春の一日でした。

2011年2月 3日 (木)

キネマ航空CEOの趣味と実益

CEOの古くからの趣味にバード・ワッチングがあります。ウォッチではなくワッチですから歳が知れようというものです。

当時もですが今ではさらに珍鳥・奇鳥を求めて東奔西走、南行北帰、高昇下降という疲労を伴うワッチはやりません。

たまたまの行きずりの鳥に思いをはせる程度です。これができるのも当時いろいろと教えて下さった年齢に関係のない先輩の方々のお陰です。

2月3日に「空飛ぶ者の翳」と題して転載の許可をいただき当時の文章と新しく飛行機の出てくる映画のコラムでまとめたコラボ企画を<<キネマ・エアラインズ マガジン>>に掲載しました。

ぜひキネマ航空 V.I.P. ラウンジ でお楽しみ下さい。

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