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カテゴリー「映画・テレビ」の24件の記事

2016年11月 9日 (水)

キネマ航空CEO 映画『ハドソン川の奇跡』を見る前、見た後のお勧めの一冊

前回 は映画『ハドソン川の奇跡』としての感想ですが、今回はイーストウッド監督の頭の中にはあったが映画では明確には表現できなかった、あるいは上映時間の中に描き切れなかったと思われるある事例を挙げた本を紹介しておきます。

墜落か生還か-緊急事態発生』(1992) S・スチュワート 著/十亀 洋 訳 講談社刊(2000)

墜落を分析した映画や本は数多くあり翻訳もされているが、本書は重大事故から生還したクルーたちの記録であります。我々はこのことを信じて航空機に乗ることができるのであります。

その中から、TWA841便の事例はイーストウッド監督に多大なインスピレーションを与えたと思われます。

1979年4月4日午後8時25分、JFKよりミネアポリス・セントポール・インターナショナルに向けて離陸した同便ボーイング727-100 は強い向かい風のため高度を 35,000フィートから39,000フィートに上昇した直後にオート・パイロットによる操縦桿が左に20度から30度に振れていることを同9時47分に視認してオート・パイロットを解除したと同時に右のスパイラル・ダイブ入った。

コックピット・クルー(スリー・メン・クルー)の回復作業により8,000フィートで制御を取り戻し3,000フィートで急降下から回復したが、今度は強い機首上げのまま上昇に移りストール・スピードに近づいてゆく・・・もちろん近くのデトロイト・メトロポリタン空港に緊急着陸したのだが・・・著者は英国航空の機長を定年退職し自ら起こした航空会社で機長を務める現役のパイロットであり下手な航空パニック映画より緊迫した空気を伝えている。

原因は右主翼にあるNo.7スラットの予期せぬ展開であった。当然NTSBの監察事案となりクルー全員に厳しい目が向けられる。コックピット・クルーによって意図的なフラップの操作が行われたとしてである。

727-100はジェットライナーとしては第2世代というより1.5世代であったようだ。つまりパイロットの技量で飛ぶ時代であった。

このため次のようなパイロットが使う裏技の噂(うわさ)があった。

727では(当然禁止されていたが)高速時にフラップを2度下げると高速飛行に適した翼型に近くなり巡航速度や燃料消費が良くなる。このためには前縁スラットの展開を止めるためスラット制御回路のブレーカーを人為的に遮断することが行われていた。

これが実行され、航空機関士がコックピットから出たときに残ったクルーがブレーカーを切りフラップを下げた。このあと戻ってきた機関士がブレーカーが落ちていることに気づき入れなおしたためスラットが出た人為的な事故である。

NTSBは航空機関士が直前にコックピットから出たという乗客の目撃証言を頼りにストーリーの肉付けを始める。・・・常識的に考えれば機関士もブレーカーが外されている理由は知っているはずであり二時間ドラマでは嫌疑を疑う探偵か刑事がいるはずなんだけど、ボイス・レコーダーの音声が消されているなどの状況証拠でさらに疑惑を深めていく。

もちろん並行して構造的な調査も行われたがスラットの不時作動が考えられる一連の構造の問題は過去にNSTBボーイングが実施した対策が完了していることから深く追及はされなかった。

唯一残る技術的な可能性であるNo.7スラットの作動ピストンとロッドがシリンダーから外れたケースは引き起こし時にNo.7スラットの飛散とともに部品は機体から外れて回収できなかったのでボーイングの部品試験のデータから否定されて可能性で終わった。No.7スラットの飛散で操縦を回復したのだけど)

NSTBの公聴会にクルーが呼ばれたのはボイス・レコーダーの消去を含む発生前のクルーの行動についての査問の一回だけでありクルーらが要求したすべて状況についての発言は拒否された

飛行試験は行われたがパイロットからは飛行特性が変わったと言われている727‐200が使われた。シミュレータによる実験では機長の対応が遅れたため回復の機会が失われたと報告書に結論付けられた。もちろん上記の想定化においてのシミュレートである。

ALPAAir Line Pilot Association 米国定期航空操縦士協会)から反論が出され、報告書には査問委員会を構成する三人の委員のうちパイロットでもあった一人からも付帯意見がつけられた。

発生から二年以上経った後に、疑惑を残したままクルーの三人は嫌疑不十分とされた。正副操縦士は業務に復帰したが疑惑の中心となった機関士は職を辞した。

その後ボイス・レコーダーの音声消去もスラットの不時作動も合理的な理由や関連するインシデントが実際に発生し部品や構造に疲労や腐食による機能不全が立証されている。

この本の発行された時点ではクルーの名誉回復はなされていない。

以上、航空機フリークなら興味のある細部もすっ飛ばしたので実際に本をお読みください(例えば、右主翼のスラットが開いたのにオート・パイロットは左翼を下げようとしたのか。なぜボイス・レコーダーの音声が消えたのか。NTSBが結論を変えるべき事例の数々とは)。図書館にあるはずです。

映画「ハドソン川の奇跡」の中でもサレンバーガー機長ALPAの担当者にNTSBの情報を入手するよう強く求めている場面があります。

NTSBが進めたTWA841便の調査のなかで最初にクルーを聴取した調査官が言ったとされる「もしクルーが過ちをしていないのなら727の耐空証明に疑いがかかる」という発言にすべてがかかっている。(著者は操縦士ですから事実認定は読者の判断にかかってもいます)

USエアウェイズ1549便はフランス製だけど、映画の中でもこのインシデントについてサレンバーガー機長ALPAの担当者が話をしているようだったが当CEOは聞き取れなかった。昔なら居残れたのだけどね。いずれDVDになったら確認してみます。

2016年11月 1日 (火)

キネマ航空CEO 映画館に『ハドソン川の奇跡』を観にゆく

2016.11.3 以降に校正と加筆(青字)を行いました。よろしければ再読を。

イーストウッド監督が脚本の下敷きにしたと考えられる1979.4.4 に TWA841便で発生したインシデントで最初は称賛されながらNSTBに追及されたクルーがありました。疑惑は残されたまま嫌疑不十分とされましたが後日判明した事例によっても再調査は行われず名誉回復もなされませんでした。 こちら をご参照ください。(2016.11.9に追記)

原題は“Sully”だったが邦題は航空機ファンを当て込んでいるようなので実話の背景詳細は省略。

サリー」は、バード・ストライクによるUSエアウェイズ1549便の不時着水事故時(2000/1/15)の機長のファミリー・ネーム「サレンバーガー」を短縮した愛称。

本人の気持ちとは裏腹に「ハドソン川の奇跡」の英雄と祭り上げられた機長がNTSB(国家運輸安全委員会)より事故原因追求の過程で機長としての判断や行動を検証され追求されることになります。

主題は、追求される側の「サリー」がハドソン川への着水を選んだ自分の判断は本当に正しかったのかどうか苛まれることに焦点を当てて進みます。

ここではNTSBは典型的な悪役(ヒール)を割り当てられています。アメリカ映画には必須の憎たらしければ憎たらしいほど正義を際立たせる、役者としては美味しい役回りですけどね。

まあ「サリー」や観客の視点からはそうでしょうが、航空機に限らず事故のヒューマン・ファクターの要素は必ず検証されなければなりません。この点では日本は直接運航に携わる個人に甘すぎるようです。

では以下、映画としての感想のみ。

冒頭、実写によるニューヨーク・ラガーディア空港からの離陸に続いて、キャビンに視点が変わりバード・ストライクの瞬間(飛蚊症のようですが実際にこんなものかもしれない)からいかにもCG感いっぱいでエンジン二基の出力を喪失したエアバス A320-214 が黒煙を引きながらニューヨークの市街地上空を滑空する場面から始まります。

しかし、もう少し陰影のあるというか被写体との間にある空気を感じられる映像にならないかと、なんともチープな印象に感覚的に落ち込んでしまうイントロです。

いっぽう作劇術としてはクライマックスとなる事故の公聴会へ収束していくのですが、これが実話か、と疑いたくなる構成です。

公聴会でのNTSBの論旨はエンジンが作動していたかどうかのミッシング・リングとなるNo.2 エンジンが回収される前の予測に基づき、幾つかの空港への緊急着陸の可能性を示唆するシミュレーションの結果と着水によって生じる乗客への危機誘導という二者択一の選択が必要な1分21秒間にコクピット・クルーに生じたコンフリクトを追求したものでした。(『クルーの間』のコンフリクトではないのが救いです)

NTSBの聴聞の要旨は、緊急時のマニュアルの手順を飛び越えてAPU を作動させた機長の処置の前まではNo.2 エンジンによって油圧と電力を供給できていたため操舵が可能だったと判断した。このためNo.2 に僅かに残っていた推力で空港に緊急着陸ができた可能性が存在したという推測が成立することの検証であった)

追求するNTSB の委員に対して本当に「サリー」自身の弁舌で自分の判断の正当性を論証してボードとなる委員に認めさせていたのか、またその直後その席で追求していた委員の口からNo.2 エンジンの回収と確認結果が公表されるなどNTSB 側は聴聞時に事実を隠した論理の展開を映画のような手口で行っていたのかどうか、たった一回の公聴会の中ですべてが一連の謎解きにショーアップされて行なわれたのか、など実話をうたう脚本としては破たんに近い劇的構成が目立ちます。

まあ、アメリカは国家や組織が事実を隠して押しつける個人の責任というスケープ・ゴートを必要としているという国なのかもしれませんが・・・監督がこの映画でそれを見せたかった、のかな?・・・までは想像はできますがこの描き方ではよくわかりません。(丹念にアメリカの批評を読まなければなりませんが当CEO はパスします)

現実の事故の結果ではサレンバーガー機長がマニュアルの手順を踏まずにAPU を起動するなどの一連の判断と処置は正しかったのですが、それにしても、映画としては「サリー」を演じた名優の名のあるトム・ハンクスによって成立する個人対多数の裁判劇としてのアメリカの正義に焦点を当てたC・イーストウッドらしい愛国映画のよう(な実話のようなフィクションの娯楽映画)に見えてしまいました。

(機長が遵守しなければならないマニュアルは高高度での全出力の喪失を想定しており、停止したエンジンの再始動が優先されAPU の始動は一番最後に書かれていた。NTSB がエンジンの一つは動いていた可能性と機長の判断にこだわる理由の一つ。ただ事故は離陸直後の極低高度で起こったことは言うまでもありません)

トム・ハンクスと言えば当キネマ航空 900便で上映中の『プライベート・ソルジャー』の中で比較している『プライベート・ライアン』にも出演していますがスピルバーグ監督も同じようなアメリカを象徴する男を演じさせています。(昔のようなハンサムなスターではないところが新しいといえますかね)

これまでの名優で描かれた対立を主軸にした映画では、(ハンサムとは言いづらいが)密室での個人対多数の関係を丹念に描いたヘンリー・フォンダの『十二人の怒れる男たち』(1957、初出は1954のTVドラマですがこちらは未見)。

個人対集団の対決とそれを取り巻く群衆を冷徹に(個人を支持していた群衆も次第に消極的になり背を向けていくなかで)孤立した個人を描いた、かつてはハンサムだった初老のゲーリー・クーパーとグレース・ケリーの『真昼の決闘』(1952)。

・・・などに比べると、本作『ハドソン川の奇跡』こと“Sully” (2016) は、個人vs国家 の対決でありながら、そこに描かれた大衆は、いとも軽く(能天気に)個人を支持して喜んでいるという英雄待望のフィクションとしての政治映画ともいえます。

このあたりにイーストウッド監督のシニカルな面が少しは出ているのでしょうか。そういえばストーリー上では不要なTVレポーターの正義派ぶった発言のシーンも挿入していました。

もちろんエンド・ロールの前に「サリー」本人の実写映像を流してアメリカ映画らしくハッピーに終わってはいるのですが、映画を透かしてみるアメリカの本当の現実はどうなんでしょうね。

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実話を売り物にした(特に戦争)映画やCGものがあまり好きではない当CEO の運営する航空会社で航空事故の映画を上映するのもいかがなものかとは思いますが、

キネマ航空 009便では、『フライト236』、『フライト』、前者は実話ベース、後者は実在の事故の原因を換骨奪胎したフィクションを扱っています。

また、アーカイブスの中では『ジェット274』があります。こちらは事故機の機長の妻の話で、パン・アメリカン機の爆破テロがモデルのようですがフィクションです。

お時間がありましたらご搭乗、ご来訪ください。

当CEO は、こちらのほうが時代とともに変わる映画としての正統のように思えます。

なお、サレンバーガー機長は、実話とかフィクションとかにかかわらず前二者の映画のようなパーソナリティではない、真摯な人柄であることは、ゴースト・ライターの作かもしれませんが自伝とされる、

機長、究極の決断 「ハドソン川」の奇跡 “Highest Duty”』(2011)C・B・サレンバーガー著、十亀 洋訳 青山社文庫刊

にてご確認ください。どちらに優劣をつけるのでは決してない、映像と活字の情報を受容する訓練と実践です。

なお、この本ではAPU の起動は記載されていません。

NTSB の報告書もあるはずですが未見。機会があれば補足します。本当は読んでから批評すべき、と思うのですが。

2014年12月13日 (土)

キネマ航空CEO 菅原文太氏を追悼。団塊の世代への遺言を聞く

菅原文太氏が11月28日にお亡くなりになった。生年は1933年8月。同月10日に亡くなられた高倉健氏は1931年2月でしたからほぼ2年半の差を18日縮めて人生を終わられた。

世間に知られた氏の作品では高倉氏より少し遅れて『仁義なき戦い』シリーズ(1973-1976)、『トラック野郎』シリーズ(1975-1979)があげられます。

映画からの印象は独断でありますが、前者は暴力団の実録ものとはいえ、対立する双方の組織には主流派と反主流派があり、ある意味では企業や政界内部の派閥抗争に置き換えて見られ、後者は庶民の陽気で猥雑な世界を描き、当時の社会の写し絵のように覚えています。

1980年代に入ると映画は斜陽産業となり、活躍する舞台となったプログラム・ピクチャーも衰退して、氏はいわゆる映画スターのトリを務められたお一人です。

この後、二人の東映男性スターは多くの作品に関わりますが大きな差が生まれてきます。

映画といっても産業活動ですから需要と供給といってしまえばそれまでですが、生まれ年は近いとはいえ、高倉氏は監督や脚本、スタッフ、キャストにおいても常にベテランに囲まれてスターの地歩を固めますが、菅原氏は新進監督の作品で新人キャストを支える脇に徹しておられたようです。

当CEOが感じるだけかもしれませんが、・・・

高倉氏の場合は戦争で生き残った者が感じる翳を、サバイバース・ギルト(Survivor's guilt: 生き残った者の罪悪感)としての儀式にも見える様式美を演じ続けていたように思えます。(重要な注記 サバイバーズ・ギルトは戦争だけにあるものではなく災害、事故、自殺においても生じます。言及には心しておきましょう)

菅原氏が演じた役は、新しい戦争(企業間の市場争奪戦)の中にいる兵士(会社員)の心理を衝いていました。いっぽうではその心情のバランスをとるかのような後者のシリーズにもかわかっていました。

こうして、高倉氏は『古い昭和』を曳きながら、菅原氏は『新しい昭和』を通した経験を社会に返す実践を始めたばかりでお亡くなりになった。

作品とは関係なく性格もしくは心の持ちようからすれば、

高倉氏は人生を通して得た人と人との関わりを、スクリーンの前にいた人々との関わりを、大切にして、多くの作品に恵まれ、生涯現役を貫かれたと思えます。

いっぽうの菅原氏は構成員あるいは会社員としての宿命である昇進、降格、栄転、左遷の中で否応なく生じる『断捨離』を感じ取っていたようにも思えます。

断捨離とは宗教的な意味はすこし違うかもしれませんが、英語では Cut away となるように思えます。 "away "は逃げ去ることではありません、離れることです。

氏は現役時の濃密な人間関係や組織からは離れて個として( Cut away )の人生の半ばで倒れられたように思えます。

当CEOは文太氏の作品は両手に満たないほどしか見ていません。それでも強く印象に残る作品はあります。

太陽を盗んだ男』(1979)で「文さん」は、原子力発電所から核燃料を盗んだ沢田研二(ジュリー)氏が体制に要求する脅迫を阻止せんと奮闘する不死身の警部を演じています。ストーリィは荒唐無稽ですが核燃料を傍に置く沢田研二の肉体の変化はリアルそのものです)

そしてこの年末の一日を「健さん」の追悼で推した『新幹線大爆破』(1975)とのDVD豪華二本立てで追悼したいと考えています。皆様にもお薦めします。

お気づきになりましたか?

お二人のスター人生はどちらもアウトローを演じることから始まりました。その転機となったそれぞれの作品で・・・

高倉氏は体制に楯突く側の犯罪者を演じています。が、実社会では公的な栄誉(文化功労者、文化勲章)を得られています。

菅原氏は体制側の人物を演じます。が、実社会では権力に物申す立場に立たれました。

「落花は枝に還らず」と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。一つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。もう一粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした。すでに祖霊の一人となった今も、生者とともにあって、これらを願い続けているだろうと思います。・・・菅原氏の奥様のコメントより抜粋。

当CEO個人としては、

図らずも同じときに彼岸に渡られたお二人の生き方は、団塊の世代より10年ないし20年早い先達としての今後の生き方への遺言のように思えます。

高倉氏のような終生変わらぬ生き方を理想とする多くの日本人の世代を超えた範であることは誰も否定はできません。

いっぽうで、団塊の世代には、菅原氏のごとく『物申す』人生を範とするべき時代が近づいている入り口で氏を失うことは無念の一語に尽きます。

スクリーンのお二人に少なからず惹きつけられた当CEOも含まれる団塊の世代は、10年乃至20年残る人生でどちらかを選ぶとすれば、優劣の比較などではなく、どちらを我が身の範とするのでしょうか。

与野党の議員を含めた安倍晋三氏(1954 - )の世代は「健さん」は見ていても「文さん」は観ていないのではないかな(閑話休題)。

余談

先回書評に上げた葉室凛氏の『潮鳴り』の中で「ひとたび落ちた花をもう一度咲かせたい」と似たようなフレーズが使われていた。原典があればご存じの方はご教示ください。

2014年11月21日 (金)

キネマ航空CEO 高倉健氏を追悼す

氏は当CEOが前回ブログの公開後の加筆のなかで氏の名に言及した、くしくも、その日にお亡くなりになりました。
ここにご冥福をお祈りするとともに、氏のフィルモグラフィの中から当CEOが推すベスト3を記録して心より追悼いたします。

1.昭和残侠伝 公開1965・10・1 監督 佐伯清 脚本 村尾昭、山本英明、松本功

2.飢餓海峡 1964 監督 内田吐夢 脚色 鈴木尚之 原作 水上勉 

3.新幹線大爆破 1975 監督 佐藤純彌 脚本 小野竜之助、佐藤純彌

次点 ブラック・レイン BLACK RAIN 1989 監督 リドリー・スコット 脚本 クレイグ・ボロティン、ウォーレン・ルイス

要約を先に読みたい方は、こちら 。

1.は、ほぼ同時期に先行して公開された『網走番外地』 公開1965・4・18 監督 石井輝男 脚色 石井輝男 原作 伊藤一 、 と共に高倉健氏が東映任侠映画シリーズの口火を切ったシリーズの第一作です。ただし、番外地』シリーズの第一作は、ストーリィ自体はほとんど無視されているけれど実話の原作ものでした。

その理由からではこちらの『残侠伝』シリーズが、正統な昭和任侠のスタイルを確立したともいえます。

高倉健(以下健さん)と池部良(良さん)の対立と友情に藤純子らが絡む、三人のスターで成り立つ変奏曲の繰り返しではありますが、そこがいいのです。(念のため当CEOは、どちらのシリーズもすべてを観たわけではありません)

第一作の公開は戦後20年たっていましたが、背景は終戦直後でした。率直にまとめれば戦争に生き残った世代が夢想するケジメが背景にありました。

それに東京オリンピックも終わり高度成長が停滞し、学生運動、労働運動も閉塞した社会にいた次の世代が共鳴、共振した作品でした。
ただし、ストーリーの根幹は江戸時代からつづく(正当な?!)復讐譚で、いわば日本人の琴線に触れる伝統的エンタテイメント作劇術でもあります。
『永遠の0』でもゼロ戦を除いて読めば、何となくでもお判りでしょ?

2.公開年度から分かるように健さんのブレーク直前の作品です。伴淳三郎、三国連太郎、左幸子といった一癖ある俳優、女優に囲まれた健さんです。
今となっては健さんゆえにこれからも残る名画、名作となった、といえるのかもしれません。

伴淳(バンジュン)といっしょに行動する刑事役ですがなかなかカッコいい。表面では戦後が薄れる時代や世代をも感じさせてくれる名共演です。

この当時の現代ものの日本映画にはロケーションが多用されていました。ストーリィばかりでなく背景もお見逃しなく。

3.健さんの役はテロリスト・グループのリーダーです。もちろん理由はあります。
ニクソン・ショック、オイル・ショックと貿易立国の経済による国民の生活が外から揺さぶられますが、政府の対応は後手にまわる時代になっておりました。具体的には田中角栄首相のロッキード贈収賄事件のさなかに撮影され、次の三木武夫内閣でも自民党内の混乱で政治が停滞していた時期に公開された。

相手は日本国有鉄道、ターゲットは東京-博多間を走る0系新幹線。(ふつう架空の会社、架空の乗りものにするんですが・・・)

もちろん国鉄の協力は得られません。(実質上の解決をするのは国鉄に勤める人たちなのですけどね)

したがい多くのシーンは模型を写すカメラ・ワークと「撮り鉄」もどきの実写に、車内や運転指令室は(たぶん写真から)再構成したセット(この中で、焦りまくりの『サニー「千葉』ちゃん」真一氏や誠実を絵にかいたような『ザ・ガードマン』宇津井の健さんの活躍)で緊張感を保ちます。

東映特撮も十分合格点です。特撮映画とすればある意味、東宝の『ハワイ・マレー沖海戦』の特撮よりすごいとも言えます。なにしろ「日本国政府」を真正面から相手にしているんですから。

さて、そこに登場するのは(元祖)『非情のライセンス』の「ボス」こと丹波哲郎氏演の警察庁刑事部長が国民を守る国家を代表して一人の健さんを無視し、もう一人の健さんを断じます。 政府はダメでも官僚はしっかりしていたといえるのかな
(元祖)『・・・』は、丹波哲郎氏らが出演した『キイハンター』の中で野際陽子・・・嬢(だったかな当時は、)が歌った曲名です。

映画としては、あれよ、あれよのご都合主義の脚本で、冷静に観れば後味もビター(それを承知の上で観客が感情移入しているテロとはこういうものだという列車内のシーン)ですが、映画はテンポだ、勢いだ!がよく分かる快作です。

次点 健さんは外国映画でも存在感を示します。マイケル・ダグラスと吠えまくるキャバレーのセッションも楽しい。
松田優作氏が持ち上げられているが実質は何をしでかすか理解できない(と思われている)日本人を描いているヒール役ですね。その意味では名演・怪演です。

どちらにしようか迷ったのが、ザ・ヤクザ THE YAKUZA 1974 監督 シドニー・ポラック、脚色 ポール・シュレイダー 、 ロバート・タウン、原作 レナード・シュレイダー

監督のR. スコットは英国人。S. ポラックはニューヨーク派というか、どちらもハリウッドの主流とは異なる感覚で日本をとらえています。

異論はあるかもしれないが、映像としての日本に対する認識は本質に迫ってもいる。後者には「戦争中の東京では広島や長崎よりもたくさんの人が死んだ」なんてセリフもある。

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ここで上げた作品は健さんは必ずしも主役ではありません。それ故に役者、俳優としての健さんが登場している重要な作品であります。

1.においては、「良さんあっての健さん」です。3.では当時の映画ファンの大半の思いを体現したヒーローでもありますが、いっぽうで、監督たちが据えた「陰の主役」は(大霊界から来たのか、帰ったのか)丹波哲郎の「ボス」であります・・・いまリメイクすると立場は逆転するのかもしれません・・・映画には時代がありますね・・・だからこそ健さんが画面にいることが重要な意味を持ちます。

以降の作品は監督、脚本家、それ以上に観客にとって「健さんありき」の「健さん」が「健さん」を演じる作品となります。そちらは当CEOが推すまでもなく多くの方にとり上げられるでしょう。・・・これらの作品も忘れられません・・・心よりご冥福をお祈りいたします。

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キネマ航空CEO

2013年12月23日 (月)

キネマ航空CEO 「風立ちぬ 」、零戦の「美しさ」と「怖さ」について考える (その 4)

「風立ちぬ」の最終回、例によって「後書き」による「前書き」です。
キネマ航空CEO 「風立ちぬ 」、零戦の「美しさ」と「怖さ」について考える (その 3)、と同時公開。

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「風立ちぬ」は、宮崎駿監督の劇場公開アニメーションの中では異質である。本作を除くほとんどの作品は愛、勇気、成長といった普遍性の中で描かれて国際性を持っており、その中で安心して親も子も作品の世界に親しんでいた。しかし、・・・

「風立ちぬ」はそうではない。安倍首相も頼みとするクール・ジャパンを越えて、日本人に向けた日本の現代史への誘(いざな)いである。

少なくともこの作品の中からその結論が得られるものではない。他人の批評を参考にしてもいいが自分で考えなければならない。

その意味では、監督は大きな転換を行った。もはや劇場公開をする長編アニメーションで自らの考えることを構成することはできないと思い定めたように感じる。

できるとしても、これからも日本を襲うであろう天災や、あるかも知れない戦争を、菜穂子と二郎の恋愛と周囲の人たちを通して夫婦とか家族のありようとして描くしかなかった。

これからは、宮崎駿氏としての画筆、文筆で語られる言葉を通じて、最終作として公表した「風立ちぬ」を観ることになる。

作品自体は、

左からは「兵器を開発した設計者の反省、その兵器で踏みにじられた隣国への謝罪がない」とたたかれ、おまけに「煙草を喫うなと」とねじ込まれ(あっ!これは左ではないね・・・単なる蒙昧)。

右からは、「零戦の活躍シーンがない(・・・これは必ずしも右ではないか?)」、から、当CEOから見ると単なる決めつけで「左翼」などとたたかれる。右から見れば、なにをどう見たって左は左、鏡を見ると右は左なんだけど・・・

「風立ちぬ」の公開後、零戦に関する宮崎駿監督の発言は、モノである「零戦」を神格化するな。

神格化される根拠は勝者のアメリカが弱い敵と戦って勝ったのでは、さまにならないから「テリブル(恐ろしかった)」といっているのを、一部の日本人が真に受けて喧伝したに過ぎない。

歴史や社会の中では一過性に過ぎない*モノを日本人の(かつての、から、将来への)情緒的精神性に結び付けることの恐ろしさを考えてほしい、という趣旨のようである。

* うまく説明できないが「モノ」にはその価値を発揮する期間があり、それを過ぎれば(工学)技術的な分析に裏付けられた総括とともに博物館に収まるかマニアの妄想の中で生きるかしかない。

当キネマ航空CEOもそう思う。

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「モノ」である零戦がそれほど神格化されるには使用された期間を通じて常に相手より優れていたことで証明されなければならない。

零戦の「美しさ」と「怖さ」について考える (その 1)、では、

「風立ちぬ」の中で、堀越技師の生きがいである飛行機の設計の目的は「美しい飛行機」、となんども繰り返される。

この美しさは、宮崎駿の過去の作品から推測すると、使用した人間を含めた運用上の美しさとも取れるが、そうでもなさそうである。

まず、(その 1)では、確かに美しい零戦の機体とライバルの機体をフォルムとして考察して、零戦は開発時点で形状自体がすでに工学的には時代遅れになっていたことで得られた美しさである、ことをまとめた。

零戦の「美しさ」と「怖さ」について考える (その 2)

ここでは、一般に強調される(数値化されない)空戦性能ではなくて、諸元表にある燃料槽の仕様と航続性能から戦闘機としての戦域滞空戦闘能力を計算してみた。

結果は、

零戦 21 型は仕様通りの長距離護衛戦闘機としての性能を持っており十分に優れていたことは間違いなく、相手がその設計仕様に合わせた戦闘をしてくれている間は優勢を保てた。

しかし、戦局に合わせた改造仕様の 52 型は、速度などの注目される表面上の性能は向上しているが、滞空戦闘性能は著しく劣化している。

52 型は防空戦闘機にも護衛戦闘機にも向かない状態になっていた。(もしくは、出回っている資料の性能自体に転記時の誤記、あるいは元になった仕様書作成時から改ざんあるいは秘匿されていた可能性がある)

零戦の「美しさ」と「怖さ」について考える (その 3)

ここでは、兵装と日本が参戦しなかった第一次大戦とスペイン内乱での航空戦が第二次大戦の航空機に及ぼした影響から零戦の搭乗員の全仕事を考えてみた。

少なくとも零戦 21 型に対抗して開発されたアメリカの戦闘機システムを相手に戦うには 21 型も 52 型も搭乗員の精神力しかなかった。

この時点では「ゼロ」は恐ろしいものではなくなっていたと考えられる。

その悲劇的な精神力を、兵器としても不完全となった「モノ」である「零戦」と同一化、神聖化して語り継いでいいのかどうか。

日本人には情緒的な「滅びの精神美学」という厄介なものもある・・・

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1941年生まれは戦争が、ものごころに残る最後の世代である。宮崎駿監督の戦争観、歴史観が現れたアニメーション作品には初期の「風の谷のナウシカ(1984)」がある。

しかし「風立ちぬ」と並べるテキストとしては同名のコミック版1~7(1982.2~1994.3)に注目したほうがよい。

アニメーション作品とは大幅に異なっている。こちらには(当CEOも理解し解読しているとは言えない)国家観、(選ばれた人の、ではあるが)生死観が複雑に入り組んで語られている。

奇しくも、その最後のコマの言葉は「風立ちぬ(2013.9)」 と同じ、

生きねば
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

であった。

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「風立ちぬ」に触発された「零式艦上戦闘機」全4回 / 完

注・・・一応、以下の使い分けをした
怖(こわ;おそろし)さ : 言葉を発した本人が感じる場合
恐(こわ;おそろし)さ : 周囲の人も感じる場合

キネマ航空CEO 「風立ちぬ 」、零戦の「美しさ」と「怖さ」について考える (その 3)

零戦の性能は、ブラック企業に勤める人への励まし、か・・・???

では、「怖ろしさ」の続きです。設定は前回と同じく、あなたは作戦課長であり搭乗員ではありません。基礎データ は前回と同じです。

ただし以下の本文は一人の人物の思考の中で、過去と現在が入り乱れています。上げ足はとらないでね!

搭乗員への、言わずもがなの出撃命令は、「敵機を撃墜すること」。そして、その実体は敵機の搭乗員を殺害することです。生きて還れば別の機体で、また出撃してきますからね。

さて、30 分の戦域滞空時間内で相手を殺害できる機会は以下の表となる。

型式 三菱
零式艦上戦闘機
グラマン
(艦戦)
ノースアメリカン
(陸戦)
21型 52型 F6F P-51D
装弾数x搭載数 口径
発射速度
発射弾数/分
7.7mm
(プロペラ同調)
700X2
500-700/分
700X2
500-700/分
12.7mm
(外翼)
400X6
800/分
400X2+270X4
800/分
20mm
(外翼)
60X2
500/分
100X2
500/分
正味連射時間
7.7mm 1'24''-1' 1'24''-1'
12.7mm 30" 20.25"+9.75"
20mm 7.2" 12"
総射撃時間 1'31.2''-1'7.2'' 1'24''-1' 30" 30"

零戦は 1 分 31 秒から 1 分 7 秒、米軍機では 30 秒、に過ぎない。とはいっても連続して打ちつづければ、機銃が壊れてしまう・・・(というより、そんなに長く照準を合わせ続けられない。敵もサルもの、逃げるもの)

米軍機は 1 秒に 80 発、零戦 52 型では 7.7 mmで 23 発/秒、20 mmで 17 発/秒なのでせいぜい 1 秒から 2 秒の連射を繰り返すことなる。

30 分の戦域滞空時間がノルマならば、どちらの側も、 28、9 分は、敵機を追いかけまくるか、敵機から逃げまくっている時間となる。

全弾打ちつくしたら、 30 分の戦域滞空ノルマはほっといて、さっさと帰途につくほうが賢明といえる・・・つまり、機体とパイロットの残存率は向上する。

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それにしても、零戦は米軍機の 3 倍の時間、敵の後尾についていないと全弾射撃ができない。大雑把には、航空機に搭載する機銃は口径が大きいほど破壊力は大きいが発射速度が遅くなる。当然、同じ弾帯の収納スペースなら携行弾数も少なくなる。

また、口径の大きい弾丸ほど空気抵抗も大きく、加えて初速が遅く、射撃時の機体の姿勢とは関係なく重力によって下方に弾道が曲がりやすい。

したがい、口径が異なる機銃を同時に発射する場合は地上で水平にして合わせた照準器の照準点に双方の機銃の火線を集中させるのは難しい。このため零戦を駆るベテランは機銃を使い分けていた。

つまり零戦は照準を合わせる理屈上のチャンスは増えるが発射速度は遅く、弾丸の集中力は低かった。

まず、日本が国産化の手本にした英国製 7.7 mm口径航空機用機銃の発射速度は 1000 発/分程度はあるはずだが、重要な部品となるバネの材料を国産化できなかった。

そこで、発射速度を、製造できる材質で作ったバネの熱と衝撃の繰り返しに耐えられる限界に合わせたため、と、プロペラの間を縫って射撃する同調装置のため、に遅くなった。

これに対し米軍機は機銃を中口径に統一して搭載数を増やし、プロペラ回転圏外の外翼に装備していた。もちろん火線は照準器を通して弾道が直線と呼べる位置に交差集中させていた。

空戦を、日本がこだわった格闘戦(ドッグファイト)ではなく一撃離脱に変える模索は、日本が介入しなかったスペイン内乱(外国の介入があり事実上の戦争)の中でドイツによって実験されていました。重戦闘機(重戦)による一撃離脱の戦闘方法です。

重戦とは飛行機の性能と操縦士の技に依存している時間をかけたドッグファイトではなく、戦闘機の喪失を減らす「逃げる足」を優先させる速度と、それに見合う運動性をバランスさせた設計です。

逃げる足 : 後で述べる第一次世界大戦の教訓の応用・・・航空戦の帰趨は数で決するが、そのためには生き残らねばならない・・・坂井三郎氏の戦訓は零戦の性能においてても退避経路を考えた攻撃する。格闘戦は行わない、ことであった)

その究極にサッチ・ウィーブというという機動が編み出されました。、2 機編隊の先頭機が零戦の前に出て追尾を受けるが後続の 1 機が追尾する零戦の背後にまわり射撃する。

このときの2 機の機動の軌跡を織物の縦糸に見立てている。さしずめ横糸が零戦。米海軍のジョン・サッチ少佐の考案であり、あの鈍重そうな F6F で零戦を抑え込んだ。

これが可能になったのは航空機自体の生産能力と、それに見合うパイロットの育成という国力と人口もありますが、航空機間の明瞭な音声通話で意思疎通が可能になった通信技術革新によることが大きい。

(意思疎通といえば日本では虎の子の機銃を発射して曳痕弾で編隊内の注意信号としていました。)

で、この通信技術によってサッチ・ウィーブは 2 機編隊のうちの 1 機が全弾撃ちつくしても囮を装い零戦を残弾のある追尾機の射程範囲に誘い込むというより、先に述べたように零戦は長い時間にわたって敵機を追尾しなければならない性向があり、心理的には追い込むこともできる。

航空戦闘で天才的な感と技量を持つ、一人の坂井中尉、10 人のフォン・リヒトフォーフェンが軽戦(格闘戦用途)の名機を駆使して闘っていても戦争には勝てない・・・

彼らに落とされる数より、落とす数のほうが多ければよい・・・(面白いことに・・・面白くもないか・・・出撃回数も関係するが、負けた側のエースの撃墜機数が勝った側のエースよりも多いようだ)

つまり、航空戦は、航空機の数と平均的な操縦士の数、が支配するという、第一次大戦の航空戦の消耗比からイギリス人が導いた「ランチェスターの法則」を、戦闘システムとして、拡大証明する時代となっていました。

(イギリス人はこと戦争に関しては常に冷静です。戦闘機は、空戦中に落とし、落とされているか、というとそうでもなく、訓練中、作戦行動を含む移動中の喪失も多い、時には味方の誤射で落とされている。英国では第二次大戦中の味方の誤射による撃墜ついても調査し、公表もしている・・・閑話中の閑話休題)

さて、日本はその第一次大戦でも航空戦には数人の義勇兵がフランスの航空隊に参加したのみで、国家として得た知見は戦後の軍縮会議で戦艦保有数の劣勢を覆そうとイタリア人ドゥーエなどの長距離(戦略)爆撃> * の応用に向かいました・・・

零戦はその中から護衛戦闘機として生まれてきました。その意味では、新しい(航続距離=軽量化)とも、古い(軽量化=格闘戦)ともいえる運用思想の戦闘機でした。

* 当キネマ航空のラウンジのキネマ・エアラインズ・マガジンの特集「B - 25 ミッチェル 二人の軍人の間に存在する爆撃機」の中で掲載中です。

あー、いかん、宮崎駿の軍事オタクがうつってきた。(長~い閑話休題)

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さて、前回の、米軍機は戦闘空域に入っても増槽に「大量の」燃料を残している謎は解けたでしょうか?・・・それは増槽装着時の燃料消費量の計算で手抜きがあったからです。

増槽装着時の巡航燃費の計算は増槽装着時の巡航距離を全搭載燃料で割るのではなく、

増槽装着時の燃費(Km/L)={増槽装着時の巡航距離(Km)-標準時の航続距離(Km)}÷増槽燃料(L)

これで計算すると P - 51 の増槽装着燃費は先の 1.94 Km/L は1.79 Km/L となり 8 %は悪化します。

ただし、巡航速度は増槽あり、なし、で変わります。たぶん零戦21型に二つある巡航速度は遅い 296 Km/h のほうが増槽付、早い 333 Km/h が標準時と思われるのだが。

いかし、他の比較機では双方のデータはそろいませんからカタログデータの早いほうを使って「良し」とする・・・え!さすが課長はここまで見通していらしゃった・・・で、

再計算した結果は、

(注:増槽の巡航燃費を変更し、関連項目の変更をオレンジで表示しました。)

型式 三菱
零式艦上戦闘機
グラマン
(艦戦)
ノースアメリカン
(陸戦)
21型 52型 F6F P-51D
 巡航燃費(Km/L) 標準 4.23 3.37 1.85 2.05
増槽 3.42 2.17 1.23 1.79
 巡航時間(h) 標準 7.51-6.67 5.70 5.46 3.33
増槽 11.32-10.06 7.76 7.64 5.08
 巡航時間燃費(L/h) 標準 70.0-85.5 100 173 283
増槽 75.5-85.0 115 198 298
 戦闘行動半径(Km) 標準 717 960 315 403
増槽 1,265 1,280 760 708
 増槽飛行距離(Km) 増槽 1,129 694 699 1,017
 増槽距離/行動半径比 0.89 0.54 0.92 ** 1.45
 戦闘域往復時間(h) 標準 4.84-4.30 4.60 1.96 1.52
増槽 8.54-7.60 7.60 4.72 2.44
 戦域滞空時間(h) 標準 0.5 0.5 n.a. n.a.
増槽 0.5 0.5 n.a. n.a.
 戦域往復燃料(L) 標準 339 460 341 393
増槽 661 874 1,002 913
 戦域滞空燃料(L) 標準 186 110 605 551
増槽 194 16 512 569
*** 戦域滞空燃料比 標準 5.31-4.35 2.20 6.99 3.89
増槽 8.56-8.51 0.33 5.92 4.02
** P-51 では戦闘空域で増槽に残る燃料は投棄することにして以降の計算をした。
    投棄量は 176L、飛行距離で 326Km 相当

***  = 戦域滞空燃料(L)/ 戦域滞空時間(h)/巡航時間燃費(L/h)
      米軍機の戦域滞空時間も0.5時間として計算した

結果、 F6F は戦闘空域に入る直前に増槽を使い切り、 P - 51 ではまだ燃料が残っており、増槽を付けても優位な高速性能を使って会敵するまで増槽を投棄しなかったのかもしれません。

あるいは、運転温度の安定した液冷エンジンの高速連続耐久性能が十分にあれば巡航速度を公称値より速くして前線へ急行することに使ったかもしれません。

一方の「零戦」はかなり手前で増槽を切り離すことができました。

さて、戦闘機で肝心な性能は巡航速度です。その結果得られた航続時間は、今でいうと寮(基地)から会社(戦闘空域)までの往復通勤時間です。

勤務先での就業時間は戦域滞空時間の 30 分であります。

従業員(戦闘機パイロット)が上げる業績(つまりエースとなるに)は、日本では(だいたいが一人作業で)実働 30 分のうちの 1 分 30 秒の結果で査定します。

いっぽうのアメリカでは 30 秒、さらに言えば 2 機の共同作業ですので 正味 1 分で査定されています。

いずれにせよ、零戦で 1,000 キロメートル隔てた長距離侵攻作戦を行う場合は、片道 4 時間、往復で 8 時間の通勤時間と 30 分の就業時間を合わせると 1 日当たり 8 時間半の勤務となります。

(これが何日も何か月も続きます。「素晴らしかった昔の日本人」でも嫌になることはある、と思えるのですが・・・人間は愛国心だけで戦争を続けられるのか・・・それができれば今でも自己愛や家族愛でブラック企業で頭角も現せることになるのだが・・・「愛」のどこかが違うのか・・・閑話休題)

さて、これだけ長時間の作戦ですから、ほぼ毎日毎日、同じような時間帯を使って実施されます。整備兵は、夜なべの整備に弾薬補給、毎朝暗いうちから手回しポンプでドラム缶4.5本/を給油しています。一方、敵も手の内が読めてきます。

迎撃する P - 51 は増槽なしで 400 km 進出できますから、これでは、零戦の時間表にあわせて1時間20分後に出発すると 41~2 分で、零戦隊が発進から約 2 時間経過し、600 Km のところを、まだ増槽を使って飛行している編隊をキャプチャーできます。

もちろん出発時間を遅らせて相手を疲れさせることもできます。P - 51 は戦闘時間を含めて 2 時間弱の勤務となります。

・・・なお、以上の零戦と P-51 の遭遇シミュレーションは、かつて実際に行われた特定の作戦ではありません。1,000キロメートル離れた実際の戦闘では 、P-51 が侵攻側を務めていました。

P-51 が、紙製の大型増槽を付けた戦闘行動半径(推定 1,126 Km )で零戦なみの侵攻作戦を行う場合、往復 4 時間(日本版ウィキペディアの巡航速度では約 6 時間半)の勤務となりますので、「どっちも、どっち」、でありますが・・・

で、米軍は、既定の回数を出撃すればローテーション休暇があるようであります。我がほうは後方での休暇は、とてもとても・・・。

あっちのほうの問題では、ちゃんと私設の慰安所を設置しております。米軍の場合は、ハリウッド映画によると、休暇で後方に下がった時や前線でも従軍看護婦とよろしくやっているようでありますなー。
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へなちょこ参謀:「イヤァー、作戦課長どの、わが兵は、こうして休みなしで毎日毎日、長時間の過酷な労働条件でよく戦ってくれてますねー。零戦勤務は後年問題になるであろうブラック企業も顔負けと言えますなー」

作戦課長:「キッ、貴様ーッ、恐れ多くも、(陪席参謀達:起立して軍靴の踵を合わせる、カッ)、の名機零戦や搭乗員になんたることを言うーッ!土下座だー、銃殺だー、いや、切腹しろーッ、介錯は俺がやってやるー!」

陪席参謀:「マア、マア、作戦課長どの、ここはどこかの国でも前線でもないので、それは拙いです」

へなちょこ参謀:「さ、作戦課長どの、彼等はお国のために毎日毎日休みなく戦ってくれております。外国のスポーツ選手だって、国と自分の名誉のために戦いながらも、長く続ければ気持ちが折れることもあります。そんな時はこっそりとドーピングを行っています」

「幸い、わが国にもヒロポン **** という薬(日本人の創薬)があります。「疲労倦怠感を取り除き、眠気を吹き飛ばす」という効能があります」

「これを栄養剤として注射器といっしょに与えて、3,000 米の高度に上れば酸素をいくら吸っていたって飛行機乗りの 6 割頭 ***** と相まって・・・」

作戦課長:「ウーム、いずれ戦争は終わる。その時は備蓄したブツを・・・・ブツ、ブツ、ブツ・・・」
(くどいようですが特定の作戦課長がモデルではありません!)

**** 念のため、(いまでこそ、依存中毒性があり禁止された副作用の強い覚醒剤ですが)当時のヒロポンは 違法でもなんでもなかった ことは申し添えておきます。
***** 高山病と同じ低酸素症や低温で思考力や判断力が鈍り、単純な加減算もあやしくなる。

戦局の終盤に、P - 51 が長駆、日本本土に来襲するときは、いくらかは短い時間ではありますが同様の恐怖は味わっていたはずではあります。

士気を鼓舞することは同じように相手の国でも行われていました。いずれにせよ戦争はブラック国家がやるものでありますなー。

(戦争のブラックさは当キネマ航空 003便の、「キャッチ 21」や「M*A*S*H」でどうぞ)

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本来の開発目的であった護衛任務を伴う作戦ができなくなった戦局では、零戦 52 型の長い航続距離は体当たり攻撃に使われることになりました。しかし、この目的では 52 型の航続力は長すぎたようです。

搭乗員の目の前で給油していたのかどうか、片道ですから燃料を減らして出撃させることになります。

しかし、敵艦隊を見つけたときには燃料をほとんど使い切り、気化したガソリンが充満した暴露面積の広い ****** 両翼に各255リットル入りのタンクは、目標である航空母艦の周囲のピケット艦から打ち出される曳痕弾や近接信管装着を装着した炸裂弾の高温になった破片の通過で引火し爆発を起こします ******* 。・・・特攻「零戦」はもう一つの爆弾を背負わされていました。

****** 52 型の翼内タンク容量を21型と比べると 130L 多く、翼厚は変わらないため致命的な被弾面積は 34 %広くなっている。
******* 炭酸ガスを充満させる自動消火装置を付けていた機体もありました。しかし、タンクがそのまま引火爆発されては作動は間に合わなかった、と思われる。

自動消火装置の設計は、タンク内に帰投するための燃料が残り、気化燃料ガスの体積が少ない時にガソリンに着火して炎が出た場合に機能する仕様だった、と思われる。ただし漏えい防止の防弾タンクではないため燃料は漏れてゆき、帰投できたかどうか・・・

思われる、思われる、ばかりで気は引けるが、そのことは承知で、標準爆装の 60Kg 爆弾 x 2 に替えた 250Kg や 500Kg の大型爆弾の重量と引き換えに、機銃と同様の理由で炭酸ガスボンベも外させて出撃させていたことはなかったのか?

それとも敵に接近した時に、手動で燃料タンクに炭酸ガスを封入する指導をして出撃させたのか・・・戦争と工学の関係はやりきれないものがあります。

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零戦の戦闘行動半径は米軍のライバル機と比べると2倍もしくは2倍近く大きい。これが双方の基地もしくは空母配置の間合いを決める。

航空戦での航続距離は、奇襲と偵察、に効果がある。攻撃を日常化したりCAP(戦闘偵察)行動をするには兵装時の巡航速度が決め手となる。

米海軍が、少なくとも司令官や参謀が体当たり攻撃を恐れたとすると、この戦闘行動半径の間合いを乱されることであったろう。

また、最終的には戦争は陸上の戦闘の成否で定まる。

艦船に対する体当たり攻撃は、後方の司令部の幕僚にとっては、考えうる防御のなかで生じるコラテラル・ダメージ(避けられない損害)の範囲で敵が自ら兵力を確実に漸減させてくれている、と考えていても不思議ではない。

毎日10機のカミカゼが吹けば10日で100機、一月で300機、3か月で1000機を喪失するであろうことは、本土に上陸した歩兵のうえに降り注ぐ爆弾、機銃弾の数がそれだけ確実に減ったことをカウントしていたはずである。

勇壮な映像をイメージするメカニズム同士をカタログで比較して、航空機vs航空機、航空機vs艦船、艦船vs艦船、の戦闘の勝敗で戦争の帰趨が決まると考えているのは零戦神話を持つ日本人だけではないのだろうか。

ちなみに、戦闘艦隊や輸送船隊に対する特別攻撃機を含む航空攻撃に対応する防御法を考案したのも前述のサッチ少佐でした。

・攻撃空母艦隊や護衛空母を伴う輸送船隊から離れて展開する戦闘哨戒機隊
・艦隊、船隊の上空に待機する迎撃機編隊
・艦隊、船隊の周囲に円陣を組んだVT信管装着弾を打ち上げる駆逐艦隊によるレーダー・ピケット・ライン

という、いずれも通話技術が支える物量 3 点セットの組み合わせでした。

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次回でまとめて「風立ちぬ」最終回になるはず・・・

2013年10月20日 (日)

キネマ航空CEO 「風立ちぬ 」、零戦の「美しさ」と「怖さ」について考える (その 2)

今回から、零式艦上戦闘機の通説の「怖(おそろし)さ」について、考えます。(2013.10.17 初公開)

まずは例によって、寄せ集めの性能表の作成から・・・(2013.10.18 に各表の数字その他の補足と修正を行いました。詳細は表に付けた注記でご確認ください。より信頼性のあるデータを得た場合には再度の修正をおこなう場合もあります)

ここでは、零戦のひねり込みがどうの、空戦性能がどうの、といった、(あなたが知りたい)前線で扱う側の兵隊の視点で見た零戦ではなく、(海軍機だから)軍令部作戦課長となって作戦を立ててみる、ただし、展開としては過去と現在が混線したシミュレーション・ゲーム、というわけです。

後方にいる作戦課長には兵隊の視点など必要ありません。兵隊は、「ひねり込み」だろうが何だろうが、戦えばいいのです。あっ、いうまでもなく、演ずるのはかつて実在した作戦課長ではありません。

それにしても比較対照となる戦闘機が違うだろう、と思われるかもしれない。

でも、課長どの、国民の大半が信じている世界最強にまで神格化された「零戦」にグラマン F4Fカーチス P-40 ウォーフォーク を当てては失礼にあたりましょう。

でも、こんな性能に、あの「ゼロの怖さ」があるのか、ですって?

・・・あるのです。

公表されている性能諸元表の個々の数字は一見もっともらしいのですが、あまり問題にされない数字に少し加工を加えると、「へぇー」という数字が浮かんできます。

特に「三菱零式戦闘機 52 型 (A6M5)」は、戦闘機としてはとんでもない数字が現れます。では、もとになるその性能表から・・・(注: 赤字は追加データ  2013.10.18 )

型式 三菱
零式艦上戦闘機
グラマン
(艦戦)
ノースアメリカン
(陸戦)
21型 52型 F6F P-51D
燃料容量 (L) 胴体 145 60 946 246(標準)
322(最大)
翼内 380 510 non 696
落下増槽 330 320 568
1,707
284X2(標準)
409/416X2(紙製)
625/644X2(大型)
潤滑油(L) 63.5 52
航続距離(Km)
巡航時 標準 2,222 1,920 1,759 1,931
増槽 3,350 2,615 2,460 2,945
(標準X2)
3,412
(大型X2)
戦闘時 標準 全速30分
1,433
全速30分
1,550
630 805
増槽 全速30分
2,530
全速30分
2,560
(標準)
1,520
(標準X2)
1,416
(紙製X2)
1,609
巡航速度(Km/h) 296-333 337 322 580
最高速度(Km/h) 533
/4,550m
565
/6,000m
621
/7,100m
703
/7,600m
上昇力 -
6,000m/7.5分
-
6,000m/7分
3,000m/4.65分
6,100m/10.0分
17.9m/秒
/2,133m
兵装装弾数
口径/発射速度 7.7mm
(プロペラ同調)
700X2
500-700/分
700X2
500-700/分
12.7mm 400X6
800/分
400X2 270X4
800/分
20mm 60X2
500/分
100X2
500/分

零式戦闘機の数値は通説を形成する基本の数字を掲載していると思われるウィキペディア(野沢正 編著『日本航空機総集 第一巻 三菱篇』(出版協同社、1981年改訂新版)からの引用)と「世界の傑作機 No.55、No.56 文林堂」を用いた。他は英文のWikipediaなどからを日本の関連本と照合した寄せ集め。

例によって航空機の寸法はともかく、重量や性能は国どころか会社が異なれば同じ条件で測定されているとは限らない。

こうして寄せ集めでできたデータを、ああだ、こうだ、といっても、突き詰めれば作戦参謀がいつも正しい情報を手に入れるとはかぎらない。だいたいこうした数字は検証できないのであります。

さて、作戦を立てるには、一応のルールが必要になる。本作戦は制空戦闘に限定して兵装は機銃のみとする。落下タンク(増槽)は標準容量とする。邀撃側は増槽なしでの行動もできることにする。

立案の前に搭載する燃料の容量を整理して、重量を計算してみる。比重は 0.7 とする。

型式 三菱
零式艦上戦闘機
グラマン
(艦戦
ノースアメリカン
(陸戦)
21型 52型 F6F P-51D
 燃料容積(L) 胴体 145 60 946 246/322
翼内 380 510 non 698
機内搭載容量 525 570 946 944/1,020
落下増槽 330 320 568 568
総搭載容量 855 890 1,514 1,512/1,588
 燃料重量(Kg) 胴体 102 42 662 172/225
  比重 0.7 翼内 266 357 non 487
機内搭載重量 368 399 662 659/712
落下増槽 231 224 398 398
総搭載重量 599 623 1,060 1,057/1,100

ノースアメリカン P-51 の胴体搭載容量が二つあるのはタンク位置が重心から離れており空戦時には少ないほうの容量にしておく必要がある。したがい通常は差の 76 L (53kg 約 150Km 相当の飛行距離)を搭載しなかったようだ。

一回の出撃で零戦は 900L 弱、米軍機は 1,500L 強、ドラム缶にしてそれぞれ 4.5 本弱、 7.5 本が消費される。

税金は自動車用の(53.8円+消費税)/Lに対し航空機用は(26円+消費税)/Lである。現在、零戦を一機出撃させるといくら掛かるでしょうか・・・銀翼連ねた大編隊なら・・・えーと。その前に、「海上護衛戦 大井篤 1983 朝日ソノラマ」を読むと当時は前線にガソリンを供給する問題など、まともには考えられていなかったようだ。(閑話休題)

さて、上記のように出撃から帰投するまでに機体のそれぞれ重量は徐々に 600 Kg から 1 ton、(+ 増槽本体、機銃弾) も軽くなる。その結果、最高速度、巡航速度、上昇性能は向上し、それぞれの運用高度も変わってくる。

重量変化を織り込んだ諸性能の変化を推定する計算式はある。なかでも航続距離は公称値自体が短い時間に測定した実測値を使った計算で行われている。

要すれば、零戦には 1、米軍機には、謀略に使う軽負荷荷重の公称値*だとして 0.8 なり 0.7 の修正係数を掛けるなり、上昇性能では割る、なりをすればいいのでありますね。

* (ウィキペディアにおいても P-51 の巡航速度は、日本版で 443Km/h 、英語版で 580Km/h と異なっています。ここでは他のデータのそろった英語版を採用しています。前者が増槽付、後者が標準状態とも思えますが確たる資料は見つからなかった)

だいたい、いらち(癇性)の参謀は部下の計算結果の進言など受け付けず、自分でテキトーにやっちゃうのであります。

でも空気の読めないインスタント参謀の当CEO は以降の計算に、これを反映させないことにして進めます。では・・・

・ 巡航航続距離を搭載燃料で割るとリッターあたりの飛行距離(燃費)が得られる。
・ 巡航航続距離を巡航速度で割ることで巡航時間をえる。
・ 搭載燃料を巡航時間で割ると時間当たりの巡航時間燃費が得られる。

なお、戦闘機の重要な性能は航続距離ではなく戦闘行動半径です。これは基地(もしくは航空母艦)からの進出距離(航続距離÷ 2 )と戦闘空域での滞在時間となります。いうまでもなく航空母艦は戦闘行動半径上にいると仮定します。

さらに、

・ 戦闘航続距離をそれぞれの巡航燃費で割るとこの区間の必要燃料容量が得られる。

次ぎに、

・ 搭載燃料からこの必要燃料容量を引くと戦闘空域で使用可能な燃料容量が算出できる。
・ この許容燃料容量に戦域対空時間を掛けて巡航時間燃費で割ると戦闘時のエンジンの出力余裕が推定できる。

さて、計算結果は下表のように燃費は抵抗となる増槽を用いたほうが悪くなる。当然ながら巡航速度も異なるが巡航時間を求める計算では同じ数値の速度を用いた。

したがい、増槽は戦闘空域に到達する前に(敵に遭遇すると燃料を残したままで)切り離すので、往路復路の条件は異なるが計算では同じとした。参謀は細かいことに気を取られてはいけないのです。

以上を整理して下表にまとめると、だいたいの作戦立案が可能な情報になる。
(注: 赤字は追加データによる補足。青字は数値の訂正および誤記の修正、項目追加など 2103.10.18 )

型式 三菱
零式艦上戦闘機
グラマン
(艦戦)
ノースアメリカン
(陸戦)
21型 52型 F6F P-51D
 巡航燃費(Km/L) 標準 4.23 3.37 1.85 2.05/1.89
増槽 3.92 2.97 1.62 1.95/1.85
 巡航時間(h) 標準 7.51-6.67 5.70 5.46 3.33
増槽 11.32-10.06 7.76 7.64 5.08
 巡航時間燃費(L/h) 標準 70.0-85.5 100 173 283/306
増槽 75.5-85.0 115 198 298/313
 戦闘行動半径(Km) 標準 717 960 315 403
増槽 1,265 1,280 760 708
 増槽飛行距離(Km) 増槽 1,294 849 920 1,102(/+141)
 増槽距離/行動半径比 1.02 0.66 1.21 1.56/1.75
 戦闘域往復時間(h) 標準 4.84-4.30 4.60 1.96 1.52
増槽 8.54-7.60 7.60 4.72 2.44
 戦域滞空時間(h) 標準 0.5 0.5 n.a. n.a.
増槽 0.5 0.5 n.a. n.a.
 戦域往復燃料(L) 標準 339 460 341 393/426
増槽 647 871 938 730/765
 戦域滞空燃料(L) 標準 186 110 605 551/594
増槽 364 19 576 782/823
 戦域滞空燃料比 標準 5.31-4.35 2.20 6.99 3.89/3.88
増槽 8.56-8.51 0.33 5.82 5.24/5.26
   = 戦域滞空燃料(L)/ 戦域滞空時間(h)/巡航時間燃費(L/h)
      米軍機の戦域滞空時間も0.5時間として計算した

まず巡航燃費では、米軍機は零戦の2倍程度大食いである。公称エンジン出力が2000馬力級と1000馬力級の差とすれば妥当であろう。

さすがに日本機は燃費が良い、という問題ではなく燃料のロジステックス(兵站)の問題です。その前に燃料のオクタン価等々の質の問題がありますが、ここでは置いといて・・・

増槽は使い切る前に敵と遭遇すると切り離さねばならない。増槽(飛行)距離/(戦闘)行動半径比は増槽にいくらのマージンを持たせて部下に出撃を命令するかの目安になる。

1 以下の零戦は戦闘空域に到達する前に増槽燃料を使い切る。効率的といっていいのかどうか・・・

問題はこの戦域滞空(燃料)である。これは戦域で空戦を行う場合の時間当たり燃料と巡航時の時間当たり消費燃料の比。

零戦 52 型では標準状態でも、米軍機と比較すると少ない燃料で空戦を行うことになる。投棄できない機内燃料が軽くなることで空戦性能が米軍機より向上する、ともいえる。

しかし、増槽を付けた場合は 0.3 しかない。こうなると、まともな戦闘ができるかどうか・・・空戦時は巡航時の数倍の燃料消費があるのだが・・・

もちろん、これらの数字は戦闘行動半径を小さくすれば補えるのだが、結論として、

増槽を付けた零戦 52 型は、公称値の戦闘航続距離を使った長距離侵攻による制空戦闘などできなかった。零戦は長大な航続力で世界を圧倒しつづけた、とはとても言えなくなっている。

よく言えば、増槽なしでおこなう防空戦闘機の仕様であった。しかし防空戦闘機としての(上昇)性能や(統一機銃)兵装ではなかった。

零戦の開発目的は雷・爆撃機の護衛戦闘機であり長大な航続距離は、速度の遅い爆撃機の編隊に合わせて飛ぶためのジグザグ航跡を引き延ばした距離である。

想像しがちの零戦の編隊が直線距離で行う制空戦闘を行う仕様ではなかった、が・・・航続距離については、零戦 21 型で行われたガダルカナル航空戦などの情報が過大なイメージとなって 52 型にも付いてまわっているようだ。

零戦 52 型は、戦局が護衛戦闘機として使われる作戦など事実上できない時代への改造、であり 、この、52 型の時点で零戦の持つ航続距離の用途は限られてきた。といえる。

まず、以上の結論の元になった表に集めたデータが正しいのかどうかについては、数値には直接引用もしくは孫引きの過程での誤記が考えられる。

また、堀越技師が関与していたとは思えないが、もともとの数値自体を改ざんして公式仕様書とした可能性も残る。この増槽による航続距離を使った作戦では仮に未帰還機があっても仕様書の数値まで疑われることはなかったであろう。

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いずれにせよ、零戦の仕様書による戦闘行動半径を使えば米軍機をしのぎ、アウトレンジ戦法を使った作戦が可能のようであります。

でも長くなったので、もっと「怖ろしい」作戦の詳細は次回にゆずることにします。米軍機は戦闘空域に入っても増槽の燃料が大量に残っている、などの謎を含んで次回につづく・・・ことにして、今日はパーッとやりましょう。作戦課長どのっ!パーッと!

2013年10月10日 (木)

キネマ航空CEO 「風立ちぬ」、零戦の「美しさ」と「怖(おそろし)さ」について考える (その 1)

オスプレイのはなしも「つづけねば。」、と思うのだが・・・今回は「風立ちぬ」の宮崎駿監督が示す神格化された「ゼロ」に対する「苛立(いらだ)ち」について考える・・・たぶん、見当違いと一蹴されるとは思うけど。

まず、零式艦上戦闘機の「美しさ」から・・・

お詫び
当オフィスへおいでになる方のほとんどは機種名だけで具体的に細部を思い描かれる方とお見受けします。
したがい、図面や写真の掲載は行っていません。
要すれば、機種名を検索しウィキペディア(できれば英文サイト-写真や三面図を見るだけですから)を参照いただければ幸いです。

飛行機の美醜は主に側面からの印象のようです。くわえて、やや前方から見た正面を含めた、いわゆる写真映りが決め手となる。

(ただ、飛行機の本質は平面図にあるのだがそれはまたの機会にして、・・・)

すなわち単発単座戦闘機の美醜を決める要素は発動機の形式と操縦士の着座状態から導かれる胴体形状のデザインといえる。これを決めるのが設計主務者すなわちチーフ・エンジニアの感性となる。

零戦」の発動機(エンジン)は空冷星形であり基本は円である。また胴体の形状は操縦士の座高と肩幅が基準となる。

零戦はこの二つの基準となる形状を先端のプロペラのスピナーから円形のカウリング(エンジン覆い)を通り、尾部の尾部航空灯までを一直線で貫いている見えない機軸線が明らかに存在すること、を意識できることが「美しさ」の基本となっている。

この機軸線はプロペラの回転面に直角すなわちエンジンの中心(クランク軸)にある推力線に一致している。

余談ながら正面から見るとすわりの悪い液冷V型の場合はシリンダー・ブロックがクランク軸の上(倒立V型の配置では下)にあり、通常、推力線となるプロペラの軸線は減速歯車でエンジン全体の中ほどに持ってきており、機首の形状の処理にもよるが零戦のような明快さはない。(閑話休題)

零戦の胴体はこの軸に一致した、しかも後端は鉛筆の芯のように鋭く尖った円錐体である。

ただ、少なくとも頭一つは胴体側面の基本形状からはみ出して視界を確保させなければならないため円錐体にもキャノピーと呼ばれる突起部が必要となる。キャノピーには独立した水滴型風防と胴体と一体になったファーストバック型がある。

この円錐体の重心付近から始まる格子窓で構成された水滴型風防と、バランスとしてはやや大きめな対称形を基本とした富士山型の垂直尾翼の裾野が胴体後端の尖った後部航空灯に円弧を描いて収束している。

零戦の風防は着艦時の前方視界を確保するため(座席を上方にスライドさせる余裕で)高くなっておりその形態を収束させるため他機種と比べると高く、長く、なっている。

円錐体の胴体とはいえ、操縦席あたりからは操縦士(パイロット)の平均的な体格(肩幅/座高)を収める長方形が胴体後部の形状を決める・・・。

下表は第二次大戦の代表的な単発単座戦闘機の後部胴体(風防後方部分の)断面形状を横幅(肩幅に相当)を縦幅(座高に相当)で割った比を示している。なお * 印はいわゆるファーストバックの機体を採用している。

機名 就役
胴体
後部断面
縦横比
機名 就役
胴体
後部断面
縦横比
三菱 零式艦戦 1939 0.83 グラマンF4F 「ワイルド・キャット」* 1940 0.77
三菱局戦 「雷電」* 1944 0.75 グラマンF6F 「ヘル・キャット」* 1943 0.65
川西局戦 「紫電改」 1945 0.82 カーチスP-40 「ウォーフォーク」* 1941 0.63
中島一式 「隼」 1940 0.65 ノースアメリカンP-51B「マスタング」* 1943 0.58
中島二式 「鍾馗」 1942 0.56 ノースアメリカンP-51D「マスタング」 1944 0.65
川崎三式 「飛燕」* 1943 0.63 スーパーマリン スピットフィアMk.I* 1938 0.57
川崎五式 1945 0.72 メッサーシュミット Bf109E* 1939 0.57
中島四式 「疾風」 1944 0.73 フォッケウル フFw190A 1942 0.57

この時代の戦闘機の胴体断面が真四角ということはないので上下面に丸みがある。

表の縦横比が 1 に近いほど円に近くなり、小さくなるほど胴体は縦長の楕円もしくは長方形の四隅に丸みのある形状に近づく。

厳密には構造設計から判断されなければならないが、上記の縦横比が小さいほうが強度(剛性)のバランスが取れた機体になれる可能性が高い。

なぜなら、飛行機は急降下からの引き起こしや上昇・下降の突風に巻き込まれることを想定すると上下方向の剛性は横(左右)方向に比べて強くなければならない。

機体としての剛性を考えると長方形に近い形状が好ましい。円はあらゆる方向に同じ剛性を持たせることになりがちである。

その前提で縦横比を見ると欧米機は「ワイルド・キャット」を除き 0.6 前後に設定されている。日本機では中島「」、「鍾馗」、川崎「飛燕」は欧米並みだが空冷化した「五式戦」になると 0.7 以上になっている。

また中島飛行機の集大成といえる「疾風」も 0.7 を越えており前作の「」、「鍾馗」に似てはいるがそれらの延長で設計されてはいない。

零戦をはじめとする日本の海軍機の胴体は、より円に近い楕円形で構成されており同時代で比較すると特異な形状といえる。

さて、胴体は空力的に翼と同じ働きをする。

当キネマ航空009便のフライト3で上映中の「グレート・エアレース」のなかで胴体を垂直尾翼にするにしても、やりすぎると危険、という例を示しています。結構人気のある機体なんですけれどね。(閑話休題)

とくに、ヨー(左右方向の首ふり)に対する風見鶏もしくは矢羽根の効果は胴体を扁平にすることで効果があり垂直尾翼の高さを低くすることが可能になる。

たとえばP-51Bのファーストバックから水滴キャノピーに改設計したP-51Dでは縦横比が 0.07 ポイント大きくなってドーサルフィン(垂直尾翼から胴体上を低く前に伸ばした三角形状のひれ)を追加している。

飛燕から同様の改造を施して 0.09 ポイント増やした五式戦では垂直尾翼の前縁を前に伸ばして面積を増やして対応している。

さて、表に掲載した機種では、機体後端を垂直尾翼の翼型に収束させて垂直尾翼の全高を方向舵に使っている例が多い。例外は三菱の「零戦」、「雷電」とグラマンの「F4F」、「F6F」のみである。

胴体後端を比較すると「零戦」は鉛筆の芯の先のように尖っており、方向舵の可動部は胴体の上で終わっている。グラマンの胴体は楔形に収束して垂直尾翼の一部を構成しているが方向舵としては使っていない。この点では零戦と同じである。

「やはり海軍機はそうだろ」、と思われるかもしれないが、艦上機に必須の着艦フックの収納位置が異なっている。「零戦」では尾輪の前、一方のグラマン(に限らず米艦上機)は尾輪の後ろ(胴体後端)となっている。

着艦時の運用上の合理性は着艦ワイヤー(アレスティング・ワイヤー)を踏み越えなくてもよいグラマンにあるようだ。

日本の海軍機も中島「彩雲」、「天山」、愛知「流星」などは着艦フックの位置は変えずに胴体後端を含めた垂直尾翼の全高をつかった方向舵を採用している。もちろん中島飛行機が「零戦」を改造した「二式水戦」も同様である。(閑話休題)

一般に「美しさ」は他とは異なることで認識される。

「零戦」の「美しさ」は縦横比 0.83 の胴体のゆたかな丸みにある、といえる。

そして、

先頭のプロペラ・スピナーから鉛筆の芯のように鋭く尖った後端で終わる推進軸に一致した機軸を中心軸とした円錐体に近い胴体にある。

(愛知「九九艦爆」、中島「九七艦攻」などは似てはいるが推力線とは外れた軸を持つ円錐体である。)

これに加えて「零戦」の場合は、格子天井、格子窓といえるキャノピーと、これもまた背の高い垂直尾翼が曲線と直線を組み合わせた日本的な美しさを取り込んでいる。

三面図を解析すれば黄金比(1:1.618・・・)が隠されているのかもしれない。

推力線を軸にした後端の尖った円錐体のテーマは、三菱「96艦戦」から「烈風」に続く堀越二郎氏が追及した美の姿である。

堀越氏の限界は、その円錐体をベースにキャノピーや垂直尾翼をパートとして組み合わせる「美」を追求したこと、ともいえる。しかし「烈風」では破たんしているとしか言いようがない。

時代はそれらのパートを胴体に融合させて機能を統合することで軽量化や性能を追求し、エンジンの性能でそれらを割り切る時代・・・、酷(むご)くいえば異様な美で戦争を勝ち抜く時代にあっても、氏はそこに立ち入らなかったともいえる。

いい変えれば、他とは異なることで得られる美の追求で失った、戦闘機としての機能、性能があったことは明らかである。もちろん堀越氏のみの責任ではないことも明らかである。

ただ、堀越二郎氏への讃歌とすれば、同時代のイタリアの単発単座戦闘機のほとんどが氏と同じく円錐体にこだわった胴体を追求していた。

参考 カプロニ・レジャーネ Re.200 Re.2001 Re.2002 Re.2005
    フィアット G50 G55
    マッキ MC.200 MC.202 MC.205

ご存じと思いますが、イタリアと日本はドイツと組んだ日独伊三国同盟で国際関係の打開を図ろうとしました。そのイタリアと堀越氏ひいては三菱重工業は、ドイツの合理主義に貫かれた戦闘機ではなく自国の戦闘機に美を求めていた。

零戦を含めこれらの機種が「性能は良かったか」、「戦争に役立ったか」、とは別の「飛行機の美の本質」の追求であったことは間違いはない。

宮崎駿監督が「風立ちぬ」で、夢の中であれジャンニ・カプロニ伯爵(イタリア)と堀越二郎(日本人)の心の交流を描いたことはよく理解できる。

ただし第二次大戦時にはカプロニは自分の名をつけた航空会社の経営陣の一人ではあったが実際の設計は手がけていなかったと思われる。

他の映画に登場するカプロニ氏のオマージュ(パロディ?)としては当キネマ航空 009 便のフライト 3 で上映中の「素晴らしき飛行機野郎」のイタリア代表ポンティチェリィ伯爵ではなかろうか?ちょっと歳を食いすぎているが・・・

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さて、本来なら「飛行機の本質を現している平面形」の美の比較にも言及すべきだが今回はここまでとします。

たとえば、零戦で行った主翼端の処理方法の影響、中島飛行機の小山技師長の後退角のない直線の前縁などなど・・・いっぱいあるのだが。

次回は宮崎駿氏の苛立ちについて考える。

2013年9月10日 (火)

キネマ航空CEOのバカンス・・・といっても、

粋なパリジャンは、誰もいなくなったバカンスのパリの街の居残り相手のカフェで朝食をとり、人気(ひとけ)のない町を気任せ、足任せに散歩するのが至福のバカンスだったようです。

でも、これはふた昔、いやそれ以上の昔のはなし。いまは観光客に席捲されて、粋なパリジャンも身の置き所がないようです。

当CEOもこのパリジャンの真似をして過ごしました。とはいえこの暑さ、まわり人々は何処にも行かず、そのうえ子供をつれた里帰りで人口も増えたような・・・かつての新興住宅街は、ほぼ同質、同年代の世帯ですので、住人と同じように歳を重ねていきます。

以下は体温より高い室温にうなされた「半撹半睡」の状態で大衆文化(映画や小説)から見た世相あれこれ。

・ ブルー・クリスマス(1978 東宝)
特撮のないSF巨編だそうです。脚本倉本聡、「本は一切替えるな!」といわれて任されたのが監督岡本喜八。名前だけ見れば面白くなりそうですが条件が条件ですので、そうなるわけがない。

でも、演ずるのは、いるだけで場がしまる俳優座をはじめとする新劇の重鎮の面々、後の倉本作品の常連となる俳優たち、さらに岡本映画に欠かせない天本英世に加え、岸田森などなど。これに佐藤慶、中丸忠雄が加わってればジョーカーのフォー・カードになったのに!(こんな手ポーカーにあったっけ?)と、うれしくなります。

ただ内容は、人間のといってもいいのですが(あえて)日本人の(と言います)いやな面を見せ付けるリベラル的プロパガンダ映画です。というわけで一種のカルト映画でもあります。

京都の国際会議で岡田英次博士がUFOを見た人間の血液が青くなると発言するが遮られ失踪する事件があり、これを追跡する仲代達矢(某国営放送の記者)をメインとした第一部。

これに平行して描かれた国防庁の内勤から高橋悦史大尉にリクルートされて特殊作業班に入った勝野洋と、親友の(涅槃で待っている)沖雅也(F-104のパイロット)の気配りで恋人となった竹下景子の話に移る第二部とで構成されています。(とにかく長い133分)

SF仕立てらしいのはUFOに遭遇することで鉄をベースにしたヘモグロビン(赤色)が銅に変わったヘモシアニン(青色 イカの血液はこれらしい)になるという説明。

でも厚塗りファンデーションの女子を除いて、とんでもなく気持ちの悪い顔色になることは避けられないはずだがその辺はあいまいのまま。

まあ、ブルーベリーに含まれるアントシアニンは多少赤みもあるから、静脈に依存する外見はそんなに変わらないとしておきましょう(何の科学的根拠もありません!)

物語のポイントは青い血となった人たちは心は穏やかになり争いごとは好まなくなる。おまけに外見も変わらないとなれば排斥したくなるのは世の常。国連の秘密理事会の指導のもと各国政府は全国民の血液検査を始めて隔離政策を実行します。

そして勝野洋は差別反対のデモを監視する任務の最中にF-104でUFO邀撃中に行方不明となっていた沖正也と出会い、一部の青い血の人たちが見逃されていることを知らされます。彼は緊急着陸して収容されていた沖縄の米軍基地からなぜか解放されていました。

勝野洋の所属する作業班は、国連の方針としてこれらの市中に散在させている青い血の自国民を危険分子として各国同時に粛清するために設けられた組織でした。

ありえない設定ではありますがネトウと称する一部の方々には後半の展開は血沸き肉踊るストーリィかも知れません。

さて当CEOがこの映画で心に残っているのは高橋悦史(当CEO大好きな男優のひとり。もっと長生きしてほしかった)特殊作業班の隊長が粛清決行の前夜、勝野洋に何箇所も自傷した腕の傷跡を見せて血への不安を隠せないことを告白する場面です。

思うにヘイト・スピーチを行う深層心理の大半はこの自己確認ではなかろうか・・・

さて血の問題は民族につながり個人の建前、本音の葛藤を生み出す。こうした問題は日本の文学にも名作があるが生々しすぎるので外国のお話として抽象化するのが良さそうだ。

・ 帰らざる肉体 ユベール・モンテイエ 大久保和郎訳 早川書房 (1963)
原題は Le retour des cendre (1961) 『灰の中からの帰還』だから邦題はちょっと安っぽい。

一人娘を持つシングル・マザー(なんて定義はフランス語にあるのかな?)の40代前半のヒロイン、エリザベート・ヴォルフは密告で強制収容所に送られるが、直前に結婚した年下の夫スタニスラス(スタン)に会いたい一心で、生き延びるためにドイツ軍の将兵相手の慰安婦になり収容所の解放までかろうじて生き延びる。しかし、そこでうつされた病気のため見る影もなくなっていた。

パリに着いたエリザベートは名を変えて旧友の産婦人科医の協力で形成手術によって、かつての面影に近づけていたとき、娘のファビエンヌとスタンが本人とも知らずエリザベートの代役として母親かつ妻として演ずる協力を頼んでくる。

ユダヤ民族の大粛清によりエリザベートは巨万の富を相続しているが当時の民法では親族が相続をうけられるのは本人以外は気の遠くなる年月が必要だったのだ。

エリザベートの日記として語られるストーリィはフランス独特の心理劇ではあるが、ユダヤ人とは外見か、血か、文化か、宗教か、習俗か、などなどの設問と登場人物の個々の個人の思考や行動が浮き彫りにされる。

作者は「つまらんミステリを書くなら退屈な小説を書くほうがいい」と公言する大学教授のようです。今の日本にミステリを書く大学教授はいるのかな?退屈な解説本は新書で書いているようだが・・・

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さて日本で血の問題を突き詰めると皇室の「万世一系の男系男子」の定義がある。日本人は科学的知識のない時代に実に鋭い生物学的感覚を持っていたと言ってもいい。「男系男子」とは生物の遺伝子としてのミトコンドリアDNAを無視するという定義と等価となる。

現在の生物学では男系ミトコンドリアの継承は絶無とは証明できないが基本的にミトコンドリアは女系として遺伝されている。つまり我々男でも女でも母方を辿ることはできるが父方の追跡は限界がある(最近では英国王室の例)。そこで社会の維持には真偽を問わず系図がものを言うことになる。

現日本人を形成しているのはDNAからして混血民族であることは疑いはない。その中で急速に混血が進むのは内乱を含む戦争などの騒乱にあるといってもいい。これは古事記、日本書紀などの神話の中にも求められる。また白村江の戦乱を初め多くの外勢力との抗争は何度かあり混血は促進されたと考えられる。全般に勝者は男系の敗者を抹殺するが女系はそうでもなかったようだ。

平時においても通商、外交使節など人間の交流があれば混血は進む。江戸時代のジャガタラ文(ふみ)に見られるように強制的に(多分外見を理由とした)排除をする(厳密には海外にいたすべての日本人も排斥する鎖国)政策の徹底が行われたことは知られている(はず)。とは言いながら男であれば鄭成功のように日本人の血としてもてはやすご都合主義もある。

さらに混血は美形(昔の基準はわからないが、つまりは他と異なるユニークな容姿)となる確率が高い。結局のところ権力者の目に留まることが多くなり自分の血を加える機会も増える。権力者はさらに上の権力者への貢としてすでに成人した娘を自分の氏に入れ教育を注いで養女として姻戚を結ぶことも行われたが系図上では女系の出自自体はあいまいにできていた。

つまるところ明治以来の科学立国日本は自縄自縛に陥ってしまったようだ。見方を変えれば、だからこその日本独特の皇統の定義といえなくもないが敗戦をなかったことにしたい心理のひとつにも思えてくる。

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・ ハニートラップについて
たしか、胡桃沢耕史の本だったと思うのだが題名は忘却。内容もうろ覚えで、・・・

ハニートラップというと性的スキャンダルと捉えられているが、それよりも尿や毛髪、体(血やリンパ)液といった個人情報の収集が目的であると喝破していました。

一般の人間ドックでそれらを分析した結果には、我々には知らされないその他の情報が実に多く隠されているいることは薄々知られている。

下々の引っかかるハニートラップは金銭目的だが、政治家、官僚、経済人となると国家中枢の権力者の予測寿命や抱えている疾病を含めた個人や家系の生物学的信頼性の情報を蓄積していくヒューミントの一環であるわけですね。

近頃、相手国から無視されたり利用されていると感じている、そこの政治家や官僚のあなた!身に覚えはありませんか?「お前はもう死んでいる!」なんてね、思われているかもしれません。

ということで、VIPや自称VIPは京都科捜研の榊マリ子さんのような塵ひとつ見逃さない優秀なDNAバスターズかゲノム・スィーパーズの帯同が求められますね。特に似たDNAを持つ某国、某某国が虎視眈々と狙っていますよ!

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どうです?しんねりむっつりの芥川賞を読むより大衆文化のなかの作品のほうがずっと身近で奥深いことがお分かりいただけたでしょうか?

論理科学と日本文化の齟齬の拡大は靖国神社の中にも見られます。こちらはまたの機会があればのこころだー・・・小沢昭一さんが懐かしい。

2013年5月19日 (日)

キネマ航空 009-5 便 搭乗券リリースのご案内

【訂正とお詫び】 2013.05.21

009‐2 便の「フライト236」の初稿の中で「メリーさんの犬」と書いてしまいましたが「スーザンさんの犬」に訂正いたします。すでに脳裏にどどめられた方にはお詫び申し上げます。

なぜ間違えたのかはご賢察をお願いします。今後は十分に校正と推敲に留意いたします。まことに申し訳ありませんでした。

キネマ航空CEO
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キネマ航空 009 便の最終フライトとなります。繰り返しのご搭乗ありがとうございます。

TICKET/ Flt.009-5 をクリックしてください。直接のご搭乗となります。

この 009-5 便の時代は1929年10月24日の「暗黒の木曜日」から始まった世界恐慌のまっただ中の時代のパイロットを描いた2本です。

この数年後の1936年7月から1939年4月にかけて戦われたスペイン内戦は新しい航空戦の始まりをもたらします。航空戦は主に欧州機が主体で行われました。

日本はこの航空戦に参戦しませんでした。その結果、日本は第一次大戦機の延長にある零式戦闘機(計画要求書 1937)を生み、ヨーロッパは、特にドイツ(Bf109 同1934年)から、いわゆる重戦闘機の戦訓を習得し、対抗する英国(スピットファイア 同 1935年)も高速と上昇力を使った一撃離脱の戦法、つまりは大馬力エンジンが必要な機種へ転換をはじめました。これには馬力の増強に耐えうる強靭な機体も含まれます。これが日本の設計と大きく異なりました。

米国は中立を保ちました。その結果、第二次世界大戦に入ると、どっちつかずの開発で生産された戦闘機のままでしたので太平洋戦線の緒戦では零戦にたたかれることになりました。(P-36 同1933年頃 のエンジン換装型がP-40 同1937年頃、新設計を行うP-51 の仕様が1940年に策定)

ちなみに中立とはいえ、数千人のアメリカ市民も義勇兵としてコミンテルンに指導された共和国側の人民戦線の旗が掲げられた国際旅団に参加し、ナチス・ドイツとファシスト政権のイタリアの欧州枢軸国に支援された右派反乱軍と戦闘を行っています。その中に第一次世界大戦後のロスト・ジェネレーションと呼ばれる世代も加わっていました。

そして、ここで生き残ったアメリカ市民は共産党員とみなされ、さらに過酷な人生を歩むことになります。アメリカ市民の信じた自由がソ連からも母国からも裏切られた戦争でもありました。

今回の主人公となるふたりも生きていれば参加していたかもしれません。その二人の死を描く二人の監督の手法が対照的です。

 BOARDING TICKET/ Flt.009-5 

第一次大戦中には多くの青年、特に男子が志願、義勇、徴兵として戦場を経験することになります。飛行機が登場して大量のパイロットが必要とされたのもこの戦時においてでした。

大戦が終わり過酷な戦場を経験し、幸運にも生き残って帰還した兵士たちの世代を「ロスト・ジェネレーション "Lost Generation"」と呼ぶようになります。日本語では「失われた世代」と訳されました。すなわち親の世代からすれば、これまで息子たちに教育してきた価値観が失われていく時代となりました。

しかし、そう呼ばれる世代からすると "Lost" の意味は航空機でいう「ロスト・ポジション」自機位置喪失の「迷子の世代」と呼ばれたほうが適切と思えます。そして多くのパイロットが軍から離れますが空への執着は断ち切れません。

上映作品は

・ 翼に賭ける命
ストーリィは浮き草稼業のフライング・サーカスの家族とそれを取材する新聞記者の四角関係のメロドラマです。

とはいえ原作はアメリカのノーベル賞作家ウィリアム・フォークナーの「パイロン(標識塔)」という小説です。

パイロン・レースのシーンは結構迫力があります。ヒロインとなるドロシー・マローンの虚無的な演技は魅力的ですが・・・今の日本で理解できるかどうか。

コラムはどうしたことか、当CEOが思い出した日本の歌謡曲の話になってしまいました。

「流れの旅路」と「サーカスの唄」です。5月15日の就航後に YouTube にリンクを付けました。多少の加筆と修正を行いましたので、ご存じの歌でなければ再度のご搭乗をおすすめします。

後者の音源は、SPレコードのせいか2番が欠けていますが、以下の歌詞でした。ご参考までに・・・
「2 昨日市場で ちょいと見た娘/色は色白 すんなり腰よ/鞭(むち)の振りよで 獅子さえなびくに/可愛いあの娘(こ)は うすなさけ」 ちなみに「獅子(しし)」はライオンです。

「すんなり腰よ」は「ほっそりした腰」という意味ですが、性的妄想を喚起させるとして検閲不許可か自主規制か・・・単に曲全体のイメージの構成上なのか・・・原詩の二番と三番の間に、二番分相当の長さの間奏が入っています。

・ 華麗なるヒコーキ野郎
「ストーリィも映像も航空映画らしい航空映画です」の一言で共感してくださるお客様は本当の飛行機ファンです。

解説の目玉は、飛行機の主役を務める、そっくりさん同士のカーチス JN-4D ジェニースタンダード J-1 の比較と開発のいきさつです。この2機種は「翼よあれが巴里の灯だ」でも共演しています。

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二つの映画に託(かこつ)けたような鎮魂の辞ですが、日本にはこのような生き方をされたパイロットもおられました。

日本に「ロック岩崎」こと岩崎貴弘氏(1951-2005)がおりました。氏は航空自衛隊で第一線の戦闘機を乗り次がれて、数々の戦技を工夫され模擬空戦でその結果を出された伝説のパイロットでした。

氏は44歳半ばで第一線を退くと同時に退官されてエアロバティックのパイロットとしてピッツ S-2C を有するチーム、エアロックを率いられました。

そして2005年4月、エアロックのホームであった但馬空港で訓練中に不測の墜落に遭遇されて、観客に観られることなくお亡くなりになりました。享年53歳。

氏は実際の戦闘に参加されてはおられませんが、飛べなくなることで心の中の何かを失い、何かを見つけようとされておられたように思えます。

これは人生の半分を過ごした愛着のある職をリタイヤしたものすべてが感じる気持ちを代わって実行されたようにも思えます。

当CEOも10月の青空のもとで氏のフライトを観たことがあります。中でも垂直に空高く上昇して始める数々のマニューバーは今でも記憶にあります。

ご冥福をお祈りします。

キネマ航空CEO

当CEOオフィスにご来訪並びに、ご搭乗ありがとうございました。

フライト009 は、こちらの通しチケットでいつでも再搭乗いただけます。

 BOARDING TICKETS for Flt.009

当キネマ航空CEO自身、我ながら冗長冗漫、支離滅裂なところを認めます。しかしながら全フライトを通して、それなりの論旨は持たせたつもりであります。

論旨了解、意味不明の場合は各フライトのコメントにお書き残しください。もちろん論旨不明の場合も同様にお願いいたします。

キネマ航空CEO拝

次発のキネマ航空010便もご期待ください。
またのご来訪をお待ちしています。

キネマ航空CEO

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