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カテゴリー「経済・政治・国際」の42件の記事

2017年4月 2日 (日)

キネマ航空CEO 心情リベラルの憂鬱。「賞味期限」と「消費期限」を考える の巻

陽気に誘われて久しぶりになだらかな起伏の里山を歩きながら考えた。

「ひと」にとって生きていくうえで大切なものは何だろう。幸い当CEO は「衣」は綴れ、「住」は苫屋ながら不満はない。「食」も粗食とはいえ特に不自由はない。ないが、多くは加工食品に頼ることになる。

「加工」と言えども半生(ハンナマ)らしく「賞味期限」と「消費期限」があるようだ。その違いの最も簡単な説明は農林水産省の「こどもの食育」のページにある。

賞味期限」はともかくとして「消費期限」を過ぎても食べられなくはないが、「食べない」ようにしてください、と自己責任になっている。

確かに食べるものが無くなれば「消費期限」に関係なく食べることもあるだろうし、食べたこともある。「モッタイナイ」を流通段階で繰り返しており、「勿体無い」から横道へ、は過ぎれば犯罪とみなされる。

これに似た期限のある人間関係がひらめいた。選良と選挙人との関係である。

ここで、堪えていたくしゃみを繰り返し、鼻水をすするとそれぞれに違うことも気が付いた。

食べ物は食べたいものを買ってくる。でも、選良はそうでもない。大体の選挙人が他人の嗜好(志向だろうな)で決まる人数の方が多すぎると感じるようだ。

その他人を含め、選ばれる選良の『賞味期限』は選挙の開票時点までで、いったん選挙管理委員会の当選証書が発効されれば、選んだ選挙人にはそこで期限切れとなる。

その代議士となった先生の『賞味期限』は官僚、財界、学会、組合、政党といった大金を動かす組織、団体が決めることになる。もちろん、金はなくても先生の言動、行動をヒーロー、ヒロインとして憧れるネット・パトロンは賞味を続けられる。

(注)ネット・パトロン 《語源》 patron behind the computer network 【略】ネパト:対象に敬意や称賛を表すというより、その対象の相手を攻撃することが多い。対象自身に声なき声を聞くよりよりずっと心強い支持者と感じさせる、近い日本語では「贔屓の引き倒し」のご贔屓筋。《類似音声語》ネット・パトロール:正しくはサイバー・パトロール(cyber patrol)【略】サイパ。・・・(採録日2017年4月1日)

さて、多くの選挙人は選良を『賞味』するにもテーブルは最早遠く、メニューさえ読めない。

とは言え、法律でその『消費期限』は 4 年とか 6 年とかと決められている。理由は人事の刷新、初心に帰るためである。

しかし、効果があるのかないのか議院内閣制は政党内閣制でもある。

ある政党の総裁任期は 3 年のようだ。理由は分からぬがどうも選挙前の党内固めの猶予のようである。で、同時にスタートして順調に進めば最小公倍数の 12 年で一周する。

干支でもあるまいし、と内閣の首班となった総裁には法律で「国会解散権」が授けらる。いっぽう、「内閣総辞職」のカードもあるが、解散恐怖症の野党にも、地固めのできない与党派閥にも、行使させる力がない場合もある。

その結果、どちらにも挑戦者がいないと「『任期』は『人気』、『賞味期限』のおこぼれもある。こちらは法律じゃないから勝手に倍の 6 年にすればいいじゃないか」ついでに「一代特例ではなく恒久特例(党紀改変)も」となる。

人事権の集中が長くなると権力が集中し忖度された情報にまみれて驕りにつながる。驕りという「情」は権力者には焦りという別の概念で取り巻く小物の言葉に早く出る。

結局のところ選良の『消費期限』は選挙民が自ら自己責任で決めるしかない。これが『民主主義』である。選ぶだけが『民主主義』ではない。

ここで、心情リベラルの憂鬱が始まる。

米に(限らずだが)民主主義体制の下で民主主義の形式を手段とした指導者の行なう断絶を伴う変化(ある種の革命)が始まっている。

革命的思考の民主主義指導者に対する『消費期限』の宣告は民主主義でできるのであろうか。

その動きは少なくとも米国では見え隠れしているが背後で行われる取引は更なる混乱も引き起こす可能性もある。

日本のあなたなら指導者の『消費期限』はどのように宣告しますか ? 日本の草の根民主主義に対しての『消費期限』宣告は幸か不幸か鮮やかに行えたのだが。

ここから先の日本の行く末は、日本が国際政治のパワーゲームに登場してからの、いやそれ以前からの歴史の問題なのだが、リベラル新聞に登場するリベラル論者の論調はできもしない鎖国待望論のようである。(例えばTTPに反対し、それが叶うと二国間協定に反対するなどなど)

すなわち、(「見えないものは存在しない」に落ち着く)中国や北朝鮮の中に居れば幸せ論に近い。「見えているのか、見えすぎて見えていないのか」韓国は民主主義の最も進んだ国、論には驚いた。

歴史にまつわる思考は長くなる。機会があればいずれまた。

フェックション !! (《さんま氏の引き笑いに似た》息を引いた声を加えてあと3回繰り返す)ジュルルー
万朶の櫻の花粉症はつらい

2016年12月12日 (月)

キネマ航空CEO 民主主義を映画から考える。『後出しトランプの巻』後編

前回『後出しトランプの巻』全二回の前編 を念頭に置いてお読みください。予告の副題、「かなりの事は映画から学べる」、です。

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さて、当キネマ航空 003便 にて上映中のある映画の終わりに次のような一節が挿入されます。

Don't rejoice in his defeat, you men.
For though the world stood up and stopped the bastard,
The bitch that bore him is in heat again.
                          Bertolt Brecht

ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトのドイツ語詞の英語訳からの引用であります。字幕では・・・

諸君、あの男の敗北を喜ぶな。
世界は立ち上がり奴を阻止した。
だが奴を生んだメス犬がまた発情している。
               ベルトルト・ブレヒト

では、his defeat him の「=あの男=奴」とは誰なのか?
映画は1943年の欧州東部戦線南端のクリミア半島を敗走するナチス・ドイツ軍の小隊を描きます。したがいアドルフ・ヒットラーを指すのは自明の理ではありますが、元となった出典は・・・

Das da hätt einmal fast die Welt regiert,
Die Völker wurden seiner Herr. Jedoch ich wollte,
dass ihr nicht schon triumphiert:
Der Schoß ist fruchtbar noch aus dem das Kroch.
          Bertolt Brecht: Der aufhaltsame Aufstieg des Arturo Ui, 1941

で示されるように戯曲『アルトゥロ・ウイの興隆 それは抑えることもできる』の一節です。

創出された1941年は、ナチス・ドイツが奇襲でソビエトに侵攻(6/22)、日本では(4/13)の日露中立条約締結、つづいてパール・ハーバーをこれまた奇襲攻撃(12/8)によってとりあえずの宣戦布告をおこない、日独伊三国同盟(1940/9/27)により連動して独伊vs米の双方からの宣戦布告が行われて第二次世界大戦となった年になります。

作品は、もちろん戦後に日本でも何度か上演されているようですが当CEO は未見。

ただし、現在から見ると主題は him ではなく、『生んだ雌犬』は何のメタファー(隠喩)なのかになります。少なくともヒットラーの母親を指してはいない。

したがい同時にブレヒトが描かなった『生ませた雄犬』は何か、も考えなければならない。

仮にMr. Thim と仮定すると「彼」も、また「」も「民主政治」の手続きに乗っ取って選ばれた。

日本のリベラリストは、有権者の数を「彼」に「投票できる層」にまでに成長(衆愚と呼ぶからには増長)させたのは「資本主義」と決めつけるのであろう。(正確には「彼の選挙人に」だが、選挙人は彼に投票しなければならない義務ないし責任はない)

しかし、厳密には「資本主義」や「自由主義」ではなく「富の再分配の不平等」であり、「共産主義」でも「独裁政治」でも同様に存在する。後者では「投票権を持たない層」に過酷なまでに薄くなるだけである。

自由主義」をうたう国においては『雌犬』は「富の再分配の不平等)」であり、『雄犬』が「民主主義のシステム」として見ればどうでだろう。

どっちがどっちでもいいのだが、「共産主義」の国では『雌犬』も『雄犬』も、いるのかいないのかは、だんまりを決め込むほかのリベラリストやコミュニストにお任せして・・・

ポリティカル・コレクトネスからもジェンダー論者からも、当CEOは下品、と批判もしくは無視されるだろうが、これからを担う若い有権者には、W・チャーチルを引き合いに出すまでもなく「この程度のいかがわしさが『民主主義』である(その中で最良の方法でもある)」と勉強あるいは教育をし直した(己も含む)逃れられない定義が必要と考えられる。

コミュニストはいざ知らず、リベラリストの望む安定した政治システムは「論理・倫理・道徳に基づいた(地球規模の、もしかすると宇宙規模の)寡頭政治もしくは独裁政治」となるのであろうが、彼らが理想の指導者の範とするのであろう Mr. C の棺は蓋われ、 Ms. M の選挙は2017年に行われる。

鎖国政治が行われた(を行わされた、か)C国は「富の再分配」が破たんし、D国は原発を廃止しても、自らが主導するE連合の中の隣国のF国から原子力発電の買電をおこない、弱者を無制限に受け入れ、E連合に押し付けもした結末はどうなるのだろう。
(言わずもがなのA国とB国は省略)

そして許容し納得できる民主政治が行え、民主主義が浸透できる社会の規模や範囲はJ国ではどれくらいなのだろう。

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ベルトルト・ブレヒト(1898-1956)
ドイツ(第二)帝国(バイエルン王国)に生まれ東ドイツで没した。

16歳(1914)の詩作が残り、21歳(1919)で劇評や舞台劇の執筆を始める。28歳(1926)ごろから資本論に傾倒しマルクス主義者となる。(以下年齢は西暦下二桁 + 2 )

1933年に著作は発禁・焚書となりナチス政権による第三帝国(1933/1 - 1945/5)のドイツ市民権をはく奪され、欧州を転々としたのちソビエト経由でアメリカに亡命(1941)。

戦後アメリカでは非米査問委員会の審問(いわゆる赤狩り)を受けた直後(1947)に出国。フランス経由での西ドイツ入国は拒否されて、スイスを経てオーストリアに移り国籍を取得(1948)。

同年にチェコ・スロバキア経由で東ベルリンに入り劇作家、詩人として西側からも評価を受ける。

映画に一節を引用された『アルトゥロ・ウイの・・・』はナチスの勃興をアメリカのギャングの抗争に置き変えた舞台演劇。
(映画は西ドイツの小説からの脚色であり、こちらに引用されていたのかもしれない)

彼、マルクス主義者のブレヒトが宗教を認めない共産主義の原理派だったかどうかは分からないが、『雌犬』を処女懐胎の聖母マリヤに掛けた「キリスト教の文化」と読めないこともなさそうだが・・・どんなもんだか。

ちなみに共和党は、キリスト教色の強い保守政党とされています。

なお、同映画のドイツ語版では以下のようになっていました。英語ではわずかに脚韻の名残があるようだが、こちらではしっかりと頭韻、脚韻を踏んでいる。

Die Völker wurden seiner Herr,jedoch
Dass keiner uns zu früh da triumphiert-
Der Schoss ist fruchtbar noch, aus dem das kroch.
                                          Bertolt Brecht

ただ、原文からはかなりの省略があるようだ。

日本語訳は英語訳からであるがドイツ語ではどうなのか(少し違うようだ)、が解ればいずれ校正するつもりです。

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ここで紹介した映画は、技法も含めて従来の「劇的演劇」を否定したブレヒトが主張する「叙事的演劇」に近いと思うのですが一部の戦争映画フリークの間で「劇的演劇」的にしか評価されていないのが残念。

リベラル層の再評価を期待して、『後出しトランプの巻』 全二回 完

2016年12月11日 (日)

キネマ航空CEO 心情リベラルの憂鬱。 『後出しトランプの巻』全二回の前編

このタイトルも気が引けるが投票結果を受けての情報や論評で思ったこと徒然であります。

副題は「かなりの事は映画から学べる」(キネマ航空のコマーシャル)、として次回になります。

当CEO も、Ms.ヒラリー・クリントン(Ms.C)が僅差で「制」すると思っていた。しかし「征する」はあり得ない。

当CEO は Ms.C が大統領になったら、そうなったあとが恐ろしいと思っていました。アメリカの政治は Mr.O 以上に停滞したことは間違いない。

Ms.C が落選した理由は「ガラスの天井」とすり替えられつつあるが現実にはアメリカ人のリベラルの間にも厳然として残る愛国心である。

個人のアドレスをメール端末として国家機密を扱っていた政治家が、例えポピュリストと呼ばれ、シロート同然の政治家気取りを野(や)に置いたままで政治ができる時代なのか、はリベラル支持でもインテリならば十分に承知しているだろう。

日本のインテリの多数が脳裏に秘めている『マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや』(寺山修司)は米国のリベラルの想う祖国ではないことは事実である。

FBI が選挙投票日の直前になって、僅かながらも Ms.C の優勢と伝えられた時点で 疑惑の再調査を行ったのも、個人のか、集団のかは、さておいて民主党の思惑ひいては政府の意思が働いたと考えていい。

かくかくにの思惑でジョーカーとして Mr.ドナルド・トランプ(Mr.T)を登場させた。1946年6月生まれだから70歳であり2期務められるかどうかは定かではない。

70歳を越えて就任した大統領はいない。もっとも近いのが69歳12か月の Mr.ロナルド・レーガンで、1期目の暗殺未遂を経験し再選、2期を全うして77歳12か月で退任した。

この後は政権与党となった共和党が自由主義の党としてのチェック機能を行使できるだろうか、または Mr.T をしてレーガン大統領の轍の上を歩ませるのか、が今後のアメリカの注目点になるだろう。

以上を前置き、として・・・

どうも日本のリベラリストの論評はアメリカに反発しながらもかつての映画、加えてテレビのホーム・ドラマで描かれたアメリカ社会を前提とした画面の外には存在しない民主主義の原理をリベラリズムとしているようだ。

日本のリベラリストからは民主主義(デモクラシー)の対義語として衆愚政治(ポピュリズム)というキーワードで語られる。

Mr.T の発言のうち TPP の未承認は日本のリベラリストからは歓迎されるはずだがそうでもない。

核の傘からの自立」は日本のリベラリストとしても望んでいたはずだがこちらもそうではない。アメリカとは自分から縁を切るのは良いが切られるのは嫌なようだ。

日本のリベラリストがよって立つ「民主主義」も、暗黙の、したがい個々にとってはそれぞれの定義、でしかない。

日本でもそろそろ「民主主義の定義」を実態に合った「身も蓋もないもの」に定義し直して再構築する時代に入ったと考えられる。

民主主義」の最小要素は個人の自由な生活である。だが、ただの主義だけでは生きていけない個人の生活を支えるのが「民主政治」となる。

したがい、「民主政治」の本質的定義は、「自分の思い通りにしてくれる代理政治」と言える。

有権者を煽動したのがジョーカー(Mr. T)であると定義しても(特に日本人の)リベラリストが選挙結果を衆愚政治と呼ぶのはいかがなものか。

選挙結果は、『選挙権のある生活(弱)者』の行動結果であることは「民主政治を実行する構造」そのものといえる。

選挙権のない日本人が投票した彼ら(衆)をおろか(愚)として蔑み貶める(さげすみおとしめる)ことが日本人のいう東洋の思想なのかを問い直さなければならない。

むしろ、ディベートの場に国家機密保持のルールに背いた政治家しか送り出せなかった政党の方を「大衆愚弄の衆愚政治」と呼ぶ方が正しいとも思える。

(実行されるべき)「民主政治」には、理想からもたらされる論理的、倫理的な補足の定義を多数存在させることでようやく(実行は保証されない)「民主主義」として成立している。

その定義自体の意義はともかく、実効性を失いつつある。

唯一の抑えは与党上下院議員の理性の数(多数決が民主主義を支える制度だからね)であろう。さもなくば・・・Mr. Jorker が書き換えた旋風予想天気図には吹く風、吹かぬ風があるはずだ。

吹かせられぬ風が、あるいは吹かせた風が、アメリカに時々起こる事件を引き起こさないと言えなくはないことはないのかあるのか。

多重否定の悪文だなー?どっちなんだ!
書いてる本人も分からなくなってきた。あとは読者の読み解きにお任せします。

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翻って「党議拘束」という知性を放棄した議員で支えられている「議院内閣制」の我が国ではどうなのだろう。我が国の「民主主義」は、はるかに高度な「大衆愚弄政治家」を選んでいる「民主政治」と言えそうだが・・・

『後出しトランプの巻』 後編に続く

2016年9月20日 (火)

キネマ航空CEO 陰謀論は楽しい!上有対策、下有政策?の巻(全編閑話)

2016/09/25 公開校正と加筆を終了しました。とりあえず、これを以って決定稿とします。

 陰謀論と言えば「太平洋戦争はルーズベルトの陰謀」説がある。「チャーチルの陰謀」説もある。全般に海外のジャーナリストや歴史学者の本やその翻訳がベースのようだ。

 Webでは、ここから引用したり、パクったり、で自説を構築する若い人たちもいる。しかし、「陰謀に乗っかってしまった、その前に陰謀の元ネタを作っちまった、日本(人)の無能あるいは限界」説と併せた論考はしていないようだ。「それを自分で言ったらお終いよ」の究極の自虐史観の裏表なのだろう。

 史観と、重々しく他人の口から浴びせられるが、発音すれば「しかん」、言ってる本人の私感と大して変わらない。

 でも、陰謀論って楽しいんだろうな。で、当CEO もやってみようと思う。

 さて、最近の事例では、「せいふ」(以下、お上)に対する日本の自動車メーカーの燃費偽装申告による認証について・・・(以下、ご承知なら----までとばしてね)

 燃費の値そのものは実用上にはほとんど無意味なのだが、お上は技術上の認証制度と燃費値による分離課税率とを絡めて新車への更新政策をとっている。

  この事例でほとんどのジャーナリズムあるいは自動車評論家は珍しくも「けいざいしんぶん」以外の瓦版もこぞって「お上」に対する虚偽の申告は「りょうみん」に対する冒とくとして論陣をはった。

 概要は「みつびし」の申請値は会社組織による捏造値であるとの内部告発に始まり、「お上」から業界団体に対して行われたヒヤリングで「すずき」が申告値の基となった走行抵抗はお上のご指示と異なった個別実験データの積上げ値だったと報告し、この二社が瓦版の標的となった。

 「お上」はやりたくもない検証実験を行った結果、「みつびし」は申告された全機種にくわえて対象機種以外にも(会社ぐるみの)不正の存在を実証してしまった。

 いっぽう「すずき」には、全機種に申請値よりかなり優れた実験値のお墨付きをお上から下しおかれることになる。

 お上の振り上げた拳は、一応の無罪の通達だが、「お上のお触書通り」に行わなかった罪、という理由で今後の申請に当たっては(他社より)厳しい審査を実行する、という時代遅れの「大岡裁き」めいたお達しで幕が引かれた。

(ここまで前振りね・・・長いな)

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 さて、陰謀論はここから!

 発端は、「みつびし」からの内部告発であったらしい。こうした場合、お上は業界団体のまとめ役にまず腹の探り合いを持ちかける。

 相手は「とよた」である。T社などと書かないで平仮名を使うのは実録を書くつもりなど、はなからない、からである。

 自動車会社の技術部門と品質部門と購買部門の際(きわ)になる狭間(はざま)には、競合メーカーの競合車種を市場から調達して性能を徹底的に測定し分析し、さらに分解して部品の精密測定を行い、ものによってはさらに復元できないまでに切断して精度のレベル、さらには材質からコストまで推定する隠密部門もしくは組織を持っている。

 「とよた」はかなりの予算を使って、それこそ全世界の主要な大量生産車種を系統だって調査した情報の集積を持っている(持っていないとおかしいのですよ)。

 当然、「みつびし」車の公開情報と実性能の乖離は十分に承知していたと考えていい。

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 「とよた」は考える。省庁お大名に匹敵する業界の大名主、大庄屋として、これまでのようにお上と計らい穏便に収めるかどうかと。

 決断は公(おおやけ)にする、を選んだ。結果、お上は予算があまってたのか、事後対策に奔走することになる。

 「みつびし」を叩くことは、お上の影の政策(Shadow politics)である日本の多すぎる自動車産業の統合(実際は整理の)政策に手を貸すことになる。

 かなでほん忠臣蔵なら「あさのけ」は見当違いの「きらさま」に報復できるが、今回ばかりは、とばっちりを受けた平侍、足軽、雑兵は(お家の存続など二の次の)雇われご主君様、ご家老様、お目付衆の重役方を恨むしかないのである。それでも納まらないのは抱えるものが多くて逃散もできない「あさのけ」に連なる農民町方衆である(逃散:江戸時代の農民の抵抗手段)。藩札を現銀化する「おおいしさま」は「みつびしけ」にいるのか。

 たとえば、「みつびし・じどうしゃ」とは何の関係もなくなったが、かつての親会社の「みつびし・じどうしゃ」より更なる悪名の残る「みつびし・ふそう」は今は外様の「だいむらーけ」の連結子会社である。ディーゼル・エンジンの商用車で「とよた」の連結子会社の「ひの」や資本関係のある「いすゞ」と競合している。

 そうなれば、実行できる力のある下(しも)の決断は早い。資本主義の中での私企業の本能でもある。上有政策が上有対策に走っている間に下有政策を実行しながら下有対策を装ってお上の政策をお手伝いする。

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 しかし、お上のヒヤリング(つまりご威光による丸投げ制の自己申告)で「すずき」が手を上げることを「とよた」が織り込んでいたのかどうかは定かではない。

 ただ、「すずき」は「とよた」や「よりあいしゅう(こうぎょうかい)」への仁義は尽くしてからお上に申告しているだろう。

 「とよた」が「すずき」の小型車はともかくとして、自社の隠密部門で軽自動車を頻繁に調査していたとは思えない。しかし、熾烈なシェア争いと燃費競争を行っている連結子会社だった「だいはつ」が同様の調査を実施していることは間違いない。

 では、なぜ「すずき」が自己申告に手を挙げたのか、「すずき」が「とよた」の高級車を調査することはないが、「だいはつ」の競合車は徹底的に調査して、そのお互いの手の内は分かっている。

 むしろ自己申告した背景となった事実を既にお上に知られていたのかもしれない。おそらく、ゲームの理論、中でも囚人のジレンマの中で「だいはつ」を同じ土俵に上げようとしたのであろう。

 お上も常に江戸にいるわけではない。役得もある関八州見回り役の監察(のまね)ぐらいはやる。今では新幹線も飛行機もある。「すずき」へだっていく。設備の説明も受ける。技術者とも会う。

 「すずき」が偽装に使ったとされた技術は既に公知のコンピュータ・エイディッド・エンジニアリング(CAE コンピューターに支援された開発技術/確立には膨大な時間の計算と実験による整合性の確認が必要になる)であり、「とよた」も熟知しており、間違いなく使っている。お上だってそんな技術の存在は先刻勉強をしている。

 「とよた」は「すずき」の技術レベルと市場に対してのデータ偽装にならないことを「だいはつ」を通して承知しながら、「すずき」に自己申告に隠れた業界の内部告発者となる因果を持ち掛けたのかもしれない。

 同時に、孤独な晒し者の「みつびし」には心理的な安堵と油断の呼び水を与えることにもなる。人間も組織も弱者に対しては異常な強者にもなれる。

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 認証に、一々の実測データをもって申請する時間と手間を含めたコストは多くのライン・アップを抱えるメーカーにとっては膨大な負担である。

 お上が身をもって実証した「すずき」の「CAE の使い方はお上のお定め書に対する違反」のみであり「お上の実験値は全車種で申請値より良好であった」という「技術上のモラルが業界に存在する」事実をメディアを介して下々へ公知させる、またとない機会となる。

 つまり、申請機種を代表する車種にのみに実測データを添付することでCAEのデータを申請資料に使用できることを法令化するディール(取引)である。

 もちろん、申請データに不審があれば(上納金は必要だろうが)今回のようにお上が実測する責任分担を付けて。

 そもそも、社会の中ではカタログとビッグデータの統計値の中にしかないメーカーとカスタマーとの間の暗黙知である燃費の値を課税額の対象にすることで生じるお上がとるべき責任のありようを迫った。

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 発端となった「みつびし」を対象とした内部告発があったのかどうかは問われない。内部告発者は最大限の保護を保障することがお上の矜持であり堅持されなければならない。

 同時にその中に陰謀を潜ませることもあり得る。追及された両社の対照的な差は業界内での正義や序列の問題も含んでいる。もちろん業界とお上の双方にとっても。

 したがい、お互いに開示し合ったかどうかは分からぬが、「墓穴を掘った生贄」の存在を共有する相互の暗黙の判断による個別的共同陰謀論は成立する。

 お上にも「すずき」と競合する「だいはつ」を比較対象車として調査対象に考えた技術職がいたかもしれない。

 しかし、お上の仕事は受理された文書の整合性の有無のみである、と上司に止められる。やろうとしても「とよた」の不同意に阻まれたであろう。

 「だいはつ」は2016年8月1日に「とよた」の完全子会社となり上場も廃止された。

 そのお上が認めた「すずき」の燃費性能はソフト・ハイブリッドなどの技術で成立している。いっぽうで、普通のしかも同じ排気量のエンジンの燃焼や駆動系の改善と、同じ規格内の車体軽量化で同等の燃費性能の申請値を実現できるのか、の問題がのこる。

 結局のところ、「すずき」の採用したギミック自体がその程度の技術なのかもしれないが、e-燃費と呼ばれるビッグ・データではかなりの差があるように見える。

 「とよた」がこの問題でお上に口を出したかどうかは分からないが「とよた」の本心は別にある。

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 「とよた」が「だいはつ」の株式を100%所有し自社の一部門にしたのは「すずき」の「いんど」の市場がほしい、の一言に尽きる。

 燃費偽装疑惑の公表とお上のお沙汰はマスコミ瓦版の高性能マッチと貧弱ポンプにより軽自動車の市場を冷え込ませるそれなりの効果があった。

 「とよた」とっては「すずき」の思惑の成否などに関係なく抑え込み、「すずき」は情報公開の手腕は拙(つたな)いが技術に関しては正直な会社であるとの信用を世間に残し、同時に新規認証車の投入が遅れるというボディ・ブローを与えて軽の市場の縮小を早める方向性を業界関係者に知らしめた。

 同時に、にっさんには、みつびしとの協業、特に軽自動車主体の国内事業の先行きに冷水を浴びせた。にっさんはOEMとの比較を再度せざるおえないだろう。

 次は「だいはつ」を通して直接コントロールできる軽市場の縮小整理に伴う「すずき」へ繰り出すパンチを隠して、いよいよ本丸である「すずき」を持ち株会社として進む「いんど」への道である。そんなに急ぐことはない。

 いまのところ、「とよた」にとっては、「すずき」はしっかりと独立した社会性のある会社、でなければならないのである。時は移ろうのだ、急ぐことはない・・・ただ、

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 陰謀論はいくらでも紡げる。

 にっさんみつびしの虚偽申告を知る同様の組織や機会などの背景はあるはずだが、 どこまで他社の品質を独自調査していたのか、るのーけ の傘下で技術情報の蓄積は機能していたのか、OEMの場合の自社確認はどうしていたのか。

 陰謀論の引き金となる内部告発には、みつびし のすべての情報を承知した にっさん、正確には、るのー の日本の国内市場など捨てた世界戦略が背景にあるともいえる。これにより みつびし 株の市中価格が落ち込むことは間違いない。

 上記は、それに対する とよた のカウンター・インテリジェンスともいえる。にっさん みつびし の海外シェアを手に入れる時には すずき いんど を確実に手に入れておかなければならない。

 それも、虎視眈々と狙う各社の追い上げに捕まる前に・・・

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 どうです?三菱自動車が市中に公開した(商品を含む)情報を分析する各社の能力を駆使した「真田丸」よりはるかに壮大な調略合戦の陰謀論ですが信憑性はどうでしょうね。

 VWのディーゼル車の排ガス燃費偽装もアメリカの大学の研究室が(輸入された)「市販」車から手がかりをつかんで暴かれている。

 それよりも、三菱自動車は、なぜ「偽装はばれない」 と信じていたのか、とマスコミに問うほうが先のように思えます。

 がそのマスコミも含めて、皆が皆、陰謀(論)とやらに巻き込まれる大日本帝国と同じ構造なのかもしれません。何とかムラの中にいるのでしょうかね。

 それにしても、VW に比べるといかにも幼稚な手法は、意外に手の込んだ戦略的(?)黙認の陰謀で、今更どうにもならぬ憂き身を日産に「ミツビシ」ブランドと一緒に一切合切の丸投げ身売りで花道を飾り退場するために、わざと・・・

 いやいや、お上の測定データ自体が政策的捏造だとする陰謀論だってあるかもしれない。

 ね!部外者にとって、陰謀論はアホらしくも楽しいでしょう。

2016年7月 4日 (月)

キネマ航空CEO 衆愚政治を考え、イギリスと日本の未来を考える (全編閑話休題)の巻

EU 離脱を問うイギリスの国民投票による僅差の離脱支持の結果は、「衆愚政治」そのもので、実施した保守党の党首であり首相の責任とする論調が強い。

事実、僅差であったことを考えれば「勝利」を前提とした策であったことは間違いない。しかし、日本を含む迷惑を被る側からは代議制度の機能を放棄したということなのだろう。「だから、衆愚政治」だ、の論旨でかたずけてはならない、と当CEOは考える。

「民主制度の成熟度をしる唯一の手掛かりは(開かれた)「選挙」による「代議制度」での(反対意見への真摯な)「討論」による「評決」である」ということになる・・・と学んだ遠い記憶がある。

ただ上記のくくり( )の内は、なくても民主制度と言えるようだ。中国や北朝鮮はまさしくそう主張する。

問題なのは後者の( )のなかで「意見が通らないことを知っての反対のための反対意見」に対応するのが民主政治、となると、残念ながら日本にも当てはまる。ある意味では代議員の質が低下して対案を「レトリック」として表現できなくなってきたとも言える。

以下、選挙絡みの表現もあり。投票日後に拡大いたします。無理して読まないでくださいね。2016/07/11 解禁しました。

生放送による公開討論会に出席した共産党のイメージ戦略用イケメン役員が少なくとも一般的には暴言と言える言葉を発して、他党からの取り消しの要求に対し拒否を重ね(ざるをえなくなり)、事後に慌てて委員長(同党のCEO)が党の見解として「その言葉の真意はこうであり・・・」と、なんだかうやむやな謎解きして、党役員ならその真意を元にしたレトリックを使って討論会でいえばよかったはずのイメージ戦略担当役員の辞任で決着をつけた、

その共産党も人間の党でありますね。ここで離党処分にしておけば前例の模範になっただろうに。えっ、再就職先 ? 社民党が拾ってくれますよ。こちらの党との共闘がお似合いなのだが・・・だけどこちらは共産党が相手にしたくないようだ。

かけ違いの共闘を行う民進党も同席した女性幹部は党としては抗議するところを助っ人一家への義理でパスしてしまい、イケメンの新人がかましたスタンドプレー一発でオウンゴールを決めてしまいました。以降のこの二項対立の討論では両党の歯切れのわるいこと。(おちゃらけ文章は切れが悪くて長くなるなー)

さて肝心のイギリスの、というより民主主義がよって立つシステムが持つ「民主主義 = 代議制」 は棄権(投票率)で守られている本質を明らかにしてくれました。

すこし乱暴な言い方をすれば、代議制の選挙で日本やイギリスが採用する小選挙区の存在理由は本来なら全員参加の国民投票制の手間を省く中選挙区複数当選制が持つ民の声の「」を拡大させて、できれば安定化を図る良くも悪くも 1 か 0 かのデジタル・アンプ(増幅器)として棄権者を含む有権者を納得させる役割なのであります。

選挙制度に深く立ち入るのはやめるが小選挙区制には政党の二分化を促進する効果を促す機能が期待された。しかし、二大政党が成立しない日本では議員同士の見かけ上の相互保障なのか、反対意見を取り込んでいるのよ、のジェスチャーなのか、ブロック選挙区比例代表制という中途半端な制度を伴っています。

イギリスは実に6種類の選挙制度を併用しているようだが国会は小選挙区制を採用している。小選挙区制は二大政党の間での僅差を拡大して政権を安定をさせ、あるいは逆転して政権を交代させるシステムの一部となる機能を維持している。

その中で政党数の増加もあり、決めるべき懸案が決められない時代となってきたこと、すべき討論が実行できなくなってきたこと、を憂慮したキャメロン首相がめったに行われない国民投票で国民の総意を引き出そうとしたことは間違いないと考えられる。

当CEOはこれまで「戦争論」だの「文明論」だの、のご託を並べた中で「」「」「」についてこれまたご託を連ねてきた。

また、その上に立つ「」とか「」とか、数が集まれば時には宗教として、時には政治として、時には曖昧、時には危険な、しかし、本来個人として持つ「人間の根源的なよりどころ」を重ねてきた。

政治も、その延長である戦争も、根底にあるのは「」であることは、これまで述べてきた。アンプの付いた代議制の選挙で「」が論点の決着を図ることはどちらに転んでも、なお国に残る「」の危険性にキャメロン首相が気づいていたならどうであろう。

EU からの離脱を僅差で選んだのはまさしく「」であったことは、国民投票の再実施の請願や離脱派指導者の虚言にだまされただのと「衆愚」を強調する報道で晒されることになる。

民主的な「代議制度」の「国政」や「選挙」で、この「」を抑え込むのか、あるいは「」で引っ繰り返されるのか、の二項選択に、時の「政権」が賭けることになるとすれば、国民投票の結果のみで「衆愚政治」だの「首相の無能」だの、と、仮にイギリスの報道からの受け売り、あるいはその読み解き、であっても傍(はた)から言っていいのか、ではなく・・・言った己の「民主主義の本質」が問われているのであります。

共通通貨のユーロ制に加わらずポンドを堅持してきたイギリスはイギリスらしさを保つ可能性の最後の機会に賭けたといえる。その結果としてイギリス国民に国の方向性について「覚醒」させたともいえる。

このあたりは、人口の減る日本を考えた民意に逆らう痛みを伴う消費税率改定を選挙を経ずに先送りにする方がはるかに衆愚政治に(正確には大衆愚弄統治に)近いといえる。まあ先の短い老人にはありがたいけどね。当CEO なぞは「覚醒」などお呼びでない「半覚半睡」が似合う年になってきました(閑話休題)

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大陸ではドイツは東側を吸収した雌伏の時をしのぎ、EU 時代を迎えフランスとの蜜月のリーダーシップを牽引する至福の時代となりました。この中でイギリスは独仏の仲介役として残留する政治的な意味はすくなくなります。

東洋のというより日本の情緒的 O-Tsu-Ki-A-I ができればいいのでしょうが、国益を守る外交的関係を選ぶのが当然・・・日本がこちらに弱いのも当然、でもあります。

(東洋思想が優れていても残念なことに実践の現場では言いつくろう手段になることを中国が示し始めている・・・まあ、日本も通った道ではありますが、異を唱える日本の東洋思想家はいないのか、ダライ・ラマの影に隠れているのか・・・)

経済的には、英国が大陸と抜き差しならない関係ができていることも背景にある。おまけにドイツはナチス時代のトラウマでか、ほぼ無制限で人権至上主義的な難民受容政策をEU 内に掲げてリーダーとして参加国に押し付け始めてしまった。

したがい、イギリス以外に離脱を仄めかす、背に腹は代えられないのだが変えざるを得ないジレンマの国も出てくる。

(この辺りは日本は東洋的なのか日本的なのか西欧的なのか、巧妙に振る舞っています)

すなわちイギリスの「」は「大陸のそばの島国」を選択することになった。「英国は日本化を選んだ』 のだ ! 」、なのだ !  もちろん韓国をフランスに並べるには格下にすぎますがね。

ここで気になるのは、EU 発足(1991)当時の日本のマスコミの論調は思想的背景を形作った一人とされるリヒャルト・ニコラウス・栄次郎・グーデンホーフ・カレルギー伯の出自からのフレーム・アップと言える「日本の精神が欧州で開花した」といった論調の流れのなかでの分析が見られないことである。

分析できないようでは、「日本の精神」は日本人が信じる「日本の」に過ぎないことになる。異なる文化で「異なる」が理解できない相手を日本人から「衆愚」と決めつけるのは不遜であろう。
(まあ、中・韓に対しては言いたくなることもありますがね。これはまた別の機会に)

とはいえ、あるTVで若い評論家が政治を動かすのは「」ではなくて「」であると強弁していたが、しかし、その真意の「謎解き」がなかった。だから一方で田中角栄元首相が見直されるのか、と妙に納得した一週間でありました。

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イギリスは政策上の間違いとされる歴史上の思惑違いは多々ある。第二次世界大戦前のチェンバレン内閣で、対ソ戦略上の時間稼ぎがナチス政権によって裏をかかれたことがまずあげられる。(その前のサイクス・ピコ条約などあらゆる歴史認識の共有化には「遡求欲求」が必ず表れるのだろうけど、当CEO はパスをして・・・閑話は続く)

これによりチャーチル内閣が発足し、強力なリーダーシップで本土上陸の前哨戦であったバトル・オブ・ブリテンと呼ばれる航空戦を征し、アメリカの国力(兵力、生産力)を基にしながらドイツの半分まで巻き返したのだが戦局の帰趨が見えてきたときには英国民は戦争が終わる前の選挙であっさりとチャーチル卿を切り捨てる見識があった。

CEO の得意分野の飛行機絡みではホイットルが心血を注いだジェットエンジンの発明は重大視されず特許を公開してしまい、実質的なメカニズムの標準化と実用化は敵国であるドイツに先を越された。

このときは先行者の知見と戦勝国として残っていた国力の差で航空用エンジンのパラダイム転換に対応できる国の面目は何とか保てたのだが。
とはいえ、イギリスの無策のおかげのナチス・ドイツの成果は米英仏ばかりかソビエトから中国へ広がり、加えておこぼれ(写真と断面図)が日本にも回ってきたのだった。

イギリスは、日本のパール・ハーバー攻撃に連動してドイツの行なった対米宣戦布告をてこにしたアメリカが対独宣戦布告をする前から孤軍奮闘中のイギリスを援助する軍事物資貸与法に基づく交換品としてホイットルが開発した初期の改良型 パワー・ジェット W.1X ジェット・エンジンを供与し、戦勝国になるとその完成型となるロールスロイス RB.26 ダーウェント RB.41 ニーンをソビエトに有償輸出して外貨を得ている。

輸出売却の建前はジェット・エンジンとしては今後の主流となる軸流式の圧縮機より劣っている遠心式圧縮機を採用したいわば旧型でした。なお、ソビエトがすでに軸流式圧縮機の BMW 003 を戦利品として手に入れていたことは前回を参照してください。

イギリスの開発したパワー・ジェット W.1 は、めぐり巡ってアメリカではGEが改良し生産はアリソンに移管された GE/アリソン J33 となってロッキード P-80 戦闘機へ、同様にソビエトで改設計が行われてクリモフ VK-1 となってミグ 15 へ、とそれぞれ搭載されるエンジンの原型となました。

その後、両機は朝鮮戦争でジェット機同士の史上初めての交戦機として相見(あいまみ)えるという、まことにイギリスらしい航空史のエピソードを残しています。

これぞ歴史が示す技術をめぐる平時の戦争、戦前の平和です。もちろん皮肉ですよ。

(閑話の中のまた閑話、はここで休題)

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EU からの離脱を問う国民投票では、「」を扱う代議制政治がどっちに転ぶかわからない限界が明らかになった。当然生じてくる民意の再調整、地域の独立をめぐる「」と「」の再構成(あえて、「」と「」の妥協点である「」は入れません)を行う、「衆愚」ではない、「賢秀」ならぬ「覚醒」した「賢衆」の討論が数か月続くことになる。

大陸のドイツ、フランスが、「早く離婚して」とせっついても、引き延ばせばいいのです。EU にとっても、イギリスにとっても、再婚相手は中国しかないのです。中国は サンケイ が描くほど急速にダメになるとは思えない。

日本に迷惑が及ぶことは間違いないが、英国の政治家としてのキャメロン氏がこの状況をつくり後進に収拾を譲ったのは、英国の政治家として正しい、と当CEO は考えるのであります。

歴史から見れば英国には国難を乗り切る政治のリーダー・シップとフォローワー・シップが生まれる仕組みがあったことは間違いない

問題は、英国の「地政学的な日本化」の中に、政治家の「資質的な日本化」が潜んでいる可能性があるかもしれないことであります。つまりは英国の欧州大陸からの自立はリーダーその人しだいであります。

ある意味では EU の覇権を握る独仏がいずれ引くであろう境界線は「サイクス・ピコもどきの時限爆弾条約」にもなり得る。

ジャパン の国民が、腐(くさ)しながら傍観する碁盤の上は傍目八目なのかマイナス八目なのか、の民主代議制選挙民の国日本の知性やいかにですね。

イギリスとEU vs 中国とアメリカとの四角関係に踏み込みませんでしたが、基本的に「遠交近攻」の関係と 程よい遠さ の関係は継続される。「」と言っても「対立」ですがね。

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いっぽうの「遠交」は 朝日 や リベラル が語らない日本の安全保障が崩れる(かもしれない)時代への警鐘でもあります。

心情的リベラル」、もとい「半覚半睡」の当CEO としては数十年後まで引っ張ってもらってキャメロンさんみたいに後進に国民投票も選挙も委ねたい。

本土と沖縄に似た関係はイギリスにもある。そこに吹き出す問題もある。

英国の「国民投票」はそのための貴重な「民主主義の本質」を学ぶ授業として注目していきましょう。

2015年5月31日 (日)

『心情リベラルの戦争論を考える』 とりあえずの最終回の最終回、の巻

(巻末に概要と感想をまとめたのは連載中に読んだり再読した本とDVDです。参考になっているかどうか、気が向けばお手に取ってください。

(承前)
文明』の根幹は、

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西洋の『』による『
東洋の『』による『

といえる。

それを支えるのが『知・情・理』や『真・善・美』となる。えっ?! 西洋には『』が二つあるの?? と問われれば「イエス」である。

一つは『』による『』、もう一つは『』による『』である。そのせめぎあいが「西洋哲学」となる。

前者の『』に相当する日本の『』はあくまで人間の『』で左右される。『』は(6世紀に渡来した)仏教に由来するのだが(自称したのかは不明だが)倭国に古来固有の神道による『』と巧妙に結びついたといえる。

』で客観的「不善」が許されることもあり、『』で「不徳」も許されることが歴史では散見できる。

』の『』は、『』による「理屈」、すなわち『』による「(ことわり)」である。明治維新により西洋の『』が公けに拡がり日本人の『』に混乱が始まった。

はからずも『』と『』による戦争も、『』と『』による戦争も国民にとっては変わりがない。東西両洋に共通する原理があるようだ。

さて、不思議なことに

戦争論では、『文明』を繰り広げてきた「人間」が生来持っているあるいは継承してきた本質を取り扱うことはほとんどないようだ。

エス』、「S」ではなくて『Es』で哲学や心理学の用語で、もとは「非人称」を示すドイツ語の冠詞。「中性」ではない。このため「非人称」のない英語ではラテン語からの「イドId)」が使われる。哲学がドイツで進化するのは言葉が関係する。
ついでに日本では、「エス」はレズビアンまたはサディズム。警察小説などに出てくるとスパイ。庁内S、なんてつかわれる(閑話休題)

Es』は「Es denkt 非人称の考え(考えさせるのは人間ではない=無意識 )」と定義されていたが「本能的な感情や欲求、さらに衝動」をさすようになる。 「無意識的な逃避」は除くというややこしい定義があるがここではおいておく。
Es』の概念の提起者は18世紀後半に現在のドイツに生きたG.C リヒテンベルグだが冠詞を名詞として独立させたのは別人。拡張し広めたのはニーチェやフロイトなど-日本ではあまり受け入れられない人たち。

ニーチェやフロイトは置いといて、動物に潜在する本能で動物からひきついだ本能というと「性衝動、飢え・渇き、睡眠」の三つと考えられる。前二者は攻撃性を発生させるが後者は無防備に誘い込む。

哲学や心理学では性衝動を「リビドー」として扱うようだ。いっぽう残りの二つは学問的に深くは扱われないようだ。ただ、この三つの本能は戦場においても日常の生活の延長として抱えている。

つぎに戦争の様相の変化を上げてみる。

戦争の起源は主に耕作面積を支配下におき労働力を確保して食料を安定化することであった。現代の戦争では陸軍が行う占領と軍政により占領国の影響を確保した民生移管となって残っている。(植民地もこれに入るが民生移管にはずいぶんの時間と血が流れた)

戦争の起源は農耕が農業に替わったあたりから拡大していったと考えられる。

遊牧民はというと当面の獲物(動物ばかりではないが)を追求する現場判断の機動力を重視する集団で破竹の進撃をおこないゲルマン民族大移動のもととなった。しかし、この4世紀に中央アジアから出たフン族は国家形成はできず早々と分裂したが思想としてヨーロッパの農業国に大きな影響をのこした。

フン族が出現した中央アジアの西(ようするに中国の北)にあった遊牧国家モンゴル帝国から13世紀初に南進した元は滅ぼした農業国家である宋の官僚による行政組織を温存し14世紀半ばまで続いた。 その祖であるモンゴル帝国は中央アジアや東ヨーロッパに、加えて中東とトルコの一部を版図に加えたが13世紀後半には早々と分裂して成立した部族、王族単位の領土が長く続いた。

要約すれば農業を行えない地域では文明はとどまったままである。言いかえれば文明は遊牧から牧畜へ変わるのではなく遊牧+農耕で牧畜に変遷するのである。(新解さんの定義は正しい)

文明の発展により戦争の性格を大きく変えた第一次世界大戦の後に起こった大規模な軍隊で行う戦争の終結は連合国によるドイツの分割統治とほぼアメリカ一国による日本の占領がおこなわれた。占領をおこなうには被占領地に行政組織という『文化』が有効に機能していないと実行できない。

アメリカはこれ以降に関与した戦争で成功した例はない。しかし、小規模の占領ならばロシアのウクライナさらに中国が外縁で行う少数民族弾圧や環礁埋立による実行支配のなかにその芽が見え隠れしている。

さて話を引き戻すと近接して類似した概念を持つ国家間では貯えた物質的な価値(国家財産だけど税金)の賠償金の獲得で勝敗を定めて(いわゆるマウンティングです)終結させる暗黙のルールが成立した。(この基本的なルールが第一次大戦でくずれてしまいます。その結果マウンティングに替わる『』による戦争指導者の裁判が行われることになります。見方をかえれば、なまじ『』であるために報復裁判にもなります)

さて、その物質的な価値もやったりとったり、じゃ変わり映えしないので海外の未知の価値を探すことになる。簡単にいえば植民地の占有と物産の収奪という「文明の衝突」の局面を見せ始める。

前者は原住民との戦争(聖による虐殺も多々あった)。後者は輸送路の確保すなわち船による戦闘であり工学の成果で戦う『』と『』の文化の優劣に『』をつぎ込む競争となった。』といっても戦争は止めましょう、ではなく、いかに相手を出し抜くか、ですけどね。

が、大規模な破壊をともなった後の占領では費用対効果の問題がある。占領に付随する勝利したことによる費用が戦争終結時までの費用に追加され戦勝国の国民の税負担となる。(第一次大戦では敗者が自らの復興資金を負担し、加えて戦勝国に賠償金まで支払うルールが継続された。もちろん敗れた国民の税金で。これが第二次大戦の原因とされている)

覇権国の国力の維持は軍事力のプレゼンスでバランスされるが、軍事力を行使すれば国力を削ることをベトナムとアフガニスタンで証明した。結局のところ富の収奪をおこなう戦争の目的は経済システムのなかの活動のほうが効果がでることになった。

その覇権国の軍事力行使後のプレゼンスの撤収のなかで新戦力の台頭が生ずることになる。ベトナム戦は中国の南シナ海進出、アフガニスタンではソ連撤収後の混乱にアメリカの物量をともなった介入を招いた。

その結果、どのような集団あるいは個人であれカネを確保すればモノとヒトを自由に調達できる世界規模の経済と情報のシステムを活用できる時代となった。武器弾薬など兵器の『』の成果や食料の兵站は表裏両面の経済を通して移動し、『』の拡散が『』となり状況をさらに複雑にしている。

IS (いわゆるイスラム国)が面積を押さえて国と名乗れるのはこれまでのような戦争が行えないなかで航空機など使わないで小規模戦闘の多発状態をつくりだしている。これには地政学的に定住が前提の(航空機などの現代兵器はこれにあたる)農耕文化ではなく小集団の機動を有効に働かせる遊牧文化が背景にある。

これにより現在の(格差の大きい)「文明の衝突」といえる戦争では思想の排除が目的となり、象徴される場所で行う無差別テロとそれを実行させていると見做される指導者の暗殺の応酬となりつつある。

戦争は『』や『』で開始し継続できる。そして終わらせるのも『』や『』である。その前に開始させないための『』や『』の使い方が問われるが、西洋では『』による戦争ひいては社会の矛盾が具体化する21世紀となる。もちろん日本の『』による戦争も問われることになる・・・が安倍首相にどれだけの平時の、そして戦時の『』があるのかは定かではない。
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・憲兵(1955)/黒い声(1955) 宮崎清隆 東京ライフ社 軍隊内の警察というより外地防諜組織の最前線での記録。三島由紀夫氏激賞。
脚色はあると著者あとがきに記しているが冒険小説としても第一級。占領下の婦女暴行、略奪など軍政の当事者である兵による民間人にたいする犯罪や捕虜の虐殺もでてくる。前者は今の平時の日本にもある。(それより外国はもっと酷い)したがい日本の戦争とは関係ないと言われそうな気も。
・HAL伝説 コンピュータの夢と現実(1997 原著1997) デイヴィット・G・ストーク編/日暮雅道・監訳 早川書房 キューブリックの映画「2001年宇宙の旅(1968)」に出てくるコンピュータ(人工知能) HAL9000 に具わった機能と本書執筆時点の技術水準とこれからの予測が描かれている。いまやチェスなどのゲームでは人間を凌いでいるのだが・・・
人間の知と理は、加えて情は何かと問うことでは脳科学や心理学の解説本より面白い。
・海上護衛戦 大井篤 (1953 日本出版協同/ 他) タンカーを除く船舶による物資(物動貨物移動量)が昭和16年度初の550万トンから20年8月の50万トンにまで漸減する過程の通史(図・表も多い)。数社で復刊がリレーされているが標記の版は写真も豊富。航空機や、中でも潜水艦による輸送船や油槽船に対する兵站消耗戦の本質がまとめられている。 
大西洋でも同様の戦いが行われたが船団護衛には専用に開発されたフリゲート(艦)が使われた。我がほうは現在の遠洋漁船に毛の生えたような海防艦が主であった。
・マクロ経営学から見た太平洋戦争(2005) 森本忠夫 PHP新書 先に「魔性の歴史(1985)文芸春秋」として初出。その副題で新書化。経営学らしく数字は出てくるのだが縦書き漢数字のうえ、表や図はほとんどなくて通史として読むにはきつい。それが理由でもあるまいが感情的表現が多い。
リベラルとコンサバティブでは評価が大きく異なるであろう。だが戦争指導層は筆者の感情と同じ強さの感情で戦争に勝てると考えていたと思って読めばどうだろう。
・臨時軍事費特別会計(2013) 鈴木晟 講談社 大東亜戦争を経営するために国会はどう機能したか、を検証している。簡単にいえば国会で予算案を通さなければ継続できなかった、のだが。 
戦争を継続するには経済成長が必須だけど、現実では増税しかない。ところが今日の日本人は源泉徴収で納税拒否は江戸時代の農民並みに不可能であり、働かなくても消費税で縛られている。一揆も起こせそうにないので、夢想できる戦争拒否は野党は候補者を立てず選挙民は棄権を実行しインターネットで民主主義の限界を世界に公表する手段がある。しかしインターネットのインフラ自体は細いネック(首)を持っており中国や北朝鮮を参考に防諜を理由に絞めたり切り落としたりで遮断できる法制の整備は簡単にやられそうだ。共産党は審議拒否と棄権はしないそうなので与党と共産党で戦争を始められるかもね。
・ドイツ参謀本部(2002)渡辺昇一 祥伝社 戦争を準備し継続させ終結させるのは現場ではなく密室である参謀本部である。プロイセン国王を皇帝に戴くドイツ第二帝国を支えた参謀本部の盛衰通史。 
著者はバリバリのコンサバティブの論客。読むなら標記の祥伝社版がおすすめ。秦郁彦氏の書評に対する抗議が収録されている。インテリの喧嘩(いや論争)の仕方を学べる。いっぽうで著者は大西巨人氏に対し優生学の延長線と思われる糾弾の随筆を公表(1980)している。
・神聖喜劇 全五巻(1978-1980) 大西巨人 光文社 同社文庫版あり。著者が応召した対馬重砲連隊における教育期間を通して、軍隊は社会の延長であり縮図であることを微に入り細をうがち描いている。 
前述の渡辺氏の随筆はこの著作が気に入らなかったのだろう。 軍隊組織は無法地帯ではなく法律もしくは規則で運営されており、主人公(著者の分身)は超人的な記憶力と明晰な弁舌で、その中で生じる不条理に抵抗するのだがその不条理は兵営外に共通する。全五巻八部を読み通すのは苦痛だが安倍首相は読まないだろうし経験することもない世界の重さが残る。漫画版(幻冬舎)やシナリオ版(太田出版)もある。キューブリックの「フルメタル・ジャケット(1987) 原作本あり」の前半と比較してみるのもいいかもしれない。どちらの作品も反戦ものと割り切れなく感じるのがリベラルとコンサバの中間かもしれない。
・●1.真珠湾の裏切り(1991 原著1991)J・ジャスブリッジャー/E・ネイブ 大倉雄之助 訳 文芸春秋 ●2.消えたヤルタ密約緊急電(2012)岡部 伸 新潮選書 ●3.ドキュメンタリー・ドラマ第二次世界大戦 ヤルタ体制の道(1981) 遠藤晴久 亜紀書房 中国での局地戦を国際政治力学に格上げした世界大戦の太平洋戦線は、1941年末の真珠港攻撃からはじまりクリミア半島のヤルタ(国はウクライナだが、2015年現在、事実上はロシアの一部)で行われた連合国会談で決着する。
1.は極東にあったイギリスの暗号解読班により日本の行動は確認されていたがチャーチルの対米工作(すなわち情報秘匿)で始まり、2.ではヤルタ会談で行われた連合国の対日戦後処理の会議内容が在スウェーデン(中立国)の陸軍武官により日本本国に打電されたのだが情報伝達の過程で揉み消された。3.はこの間の公開資料をドラマの台本仕立てにした。いずれにもミッシングリングがあるようだ。さびしくも笑えるのは1.の引用で相手は知っていたのだから奇襲ではない。日本は謀略に巻き込まれたのだ、という主旨(趣のほうか?)の本もある。どちらにしても敵の罠に飛び込むのもいかがなものか(結果責任なんてないらしい)。インテリジェンスのうちシギント(通信分析)の分野とヒューミント(人間を仲介とするいわゆるスパイ活動)の成果の活用の成功と失敗。いや失敗と失敗か。
・●1.現代日本のリベラリズム(1996 講談社) ●2.日本の宿命(2013 新潮新書) 佐伯啓思 これらの二作は、3月18日の本文でとりあげた同じ著者の「西洋近代を問い直す (2014)」の原本である「人間は進歩してきたのか-『西洋近代』再考(2003)PHP新書」 をはさんで刊行されている。 その意味で読む必要がある。『』と『』の限界を考察されているがその代りとなりえる『』と『』の歴史の表裏の考察が待たれる。コンサバティブの論客としてはもっとも信頼できるお一人だが『』にとどまっておられるのが歯がゆい。
・東芝の祖 からくり義衛門 日本の発明王 田中久重 伝(2014)林 洋海 現代書館 幕末に活躍した佐賀藩の町家の発明家たちの物語。時代は隣りの久留米藩で武士に列せられ兵器のコピーと増産が求められる。そのための西洋への接近も藩内の攘夷派による後継者父子の暗殺となる。 
あまり描かれない幕末史として、京都での勤皇佐幕の政争は町家の自治を破壊し押し込み強盗や婦女暴行は頻発していたことも寸描されている。その多くは勤皇派で明治政府で活躍したり切り捨てられたりの下級武士と推定できる。その対策が新撰組。考えてみれば100年そこそこ前まで首を落とすことなど普通に行われていたことを思い出す機会にもなった。日本刀で首を落とされるのは残虐な行為ではなく名誉であるとかね。
・●1.暗号の天才(1981) R・W・クラーク 新庄哲夫訳 新潮選書 ●2.掟 ブレイキング・ザ・コード(2000 アイ・ヴィー・シー) 平時においても情報戦は行われる。前者は外交・軍事の通信傍受に必要な暗号解読の天才W・フリードマンの一生。日本軍部が絶対に破れないと過信していた暗号(パープル)を解読して見せた。ドイツのエニグマにも関係していたが本書では言及されていないA・チューリングを描いたのが後者のDVD。かれは連合国の兵站線となる船団攻撃をおこなうUボートと本国の通信に使われるエニグマの海軍版の解読機を完成させた。コンピュータの基本原理を考案したことでも知られる。
日本にはこうした人たちはいたのかいなかったのか、いまだに闇の中である。暗号の基本構成自体は民族の思考回路でその性格が決まるようなので公けにしたくないのかもしれない。現在の暗号といえども基本は単純でコンピュータにより手順を複雑にしただけのようだ。
・囚人のジレンマ フォン・ノイマンとゲームの理論 (1995 原著1993) ウィリアム・パウンドストーン 松浦俊輔 他 訳 青土社 J・フォン・ノイマンの伝記とゲームの理論の通史。ノイマンは数学者と呼ばれるが広範な物理、経済、心理、政治に影響をあたえる理論工学者だった。原爆の開発に関与し冷戦下の核政策の立案者のひとりであり、ノイマン型と呼ばれる現在のコンピュータの考案者でもある。ゲームの理論は決してギャンブルで勝てるための理屈ではない。あるテーマの解決する過程のなかで考えられる対立と協調と傍観を数学モデルとして扱う理論。主に経済学の分野を扱う手法とされる。
簡単にいえば狩猟民族でなければ考え出せないような日本人がもっとも苦手とする分野である、と思える。相反する項目を立ててその組み合わせの中で最も有利な、あるいは合理的な解を導く手法。応用するとかならず成功するとは限らない。つまりは情報次第といえる。まず状況を適切に分析した項目の立て方とそれらの組み合わせの適切な結果予測と出現確立の推定である。最優先する組合せが外れた場合に順次生じる可能性に対する同様の分析から修正する戦術と戦略の選択(冷戦下の核政策など)に使われた(たしかに経済が絡んでいるわ!)。運用から見ると、とくに戦術レベルでは狩猟民族型の、後(あと)のある「選択と集中」(臨機応変)に対して、日本では農耕民族型の後(あと)のない「集中の選択」(石の上にも三年)から抜け出せない、というと言いすぎか???

2015年5月24日 (日)

『心情リベラルの戦争論を考える』 とりあえずの最終回の始まり、の巻

インターミッションのある映画は内容の吟味はともかくとしてとりあえずの充実感を伴います・・・が、本ブログではそうはならないようだ、といまさら自省してもねー。

はじめは『心情リベラルの戦争論』として始まり『心情リベラルの文明論』に転調しちゃいました。ここで『戦争論』に引き戻そうと思います。

つまるところ戦争は『文明』の一部なのですね。これはリベラルがもっとも避けたい議論で『文明』は戦争を否定すると言いたいようです。確かに別の一面ではそうです。リベラルもコンサバティブもどちらかの一面を強調することで存在理由を主張し合っている。

とはいえ個々人の『知・情・理』の集団すなわち『文明』には抗争が根底にある、といえます。その『文明』の『知・情・理』の発達の度合、活用の巧拙が問われ、優劣の現れるもっとも極端な例が戦争であります。

16世紀西欧のカソリック国ポルトガルとスペインの海洋進出により南米の『文明』は滅びましたが、アジアでは中国は『文明』としては滅亡することはなく、日本では鉄砲などの『』の産物を模倣できる『文化』を育てていた。

もちろんこれらは「地政学」に理由を求めることも可能であろうが「生き残る」ための条件が『文明』にあることは間違いないと当CEOは考えるのであります。

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まずは『文明』を作り出す「人間」は、その個が、もしくは、その属する「集団」が生き残るために『知・情・理』を駆使する言語能力を持った動物と定義できます。

知・情・理』それぞれが相互に作用する。『』は文明の根幹となり有形の「道具」と無形の「論理」をつくりだす。絵画・彫刻などは有形の「道具」の範疇、小説・詩などは「論理」のそれにある。

その『』を発展させるのは『』である。また『』とその産物を拡散させるのも『』であります。そして本編に書いた通り『』には悪も毒もある。毒あるいは悪の『』に対する制限が『』となる。

その『』の基準になる『真・善・美』は残念なことに「論理」として共用される『』と同様に『』の影響下にある。その『真・善・美』の基本は宗教の教義に基づく『』で定義される。

その結果、『』の名のもとに『』が再構成されてすべての『』が正当化される。それが戦争の原理であるといえる。

「それは西洋の論理であり、日本人は違う」、という主張には当CEOもある程度の納得はできる。

たとえば日本人の『』は極めて少なく、多くの場合喜・怒・哀・楽」で済ましてしまう。その他多くの『』は「情緒」のなかに閉じ込められた。
日本人は「」を掛けるのは好きだが「」を掛けられるのは嫌うようだ。ただ、「(なさけ)」と読むと(とくに男女間では)嫌いではないようだけど。(閑話休題)

では日本人の『』は、と問われるとはっきりしない。その『』を人間の生活の上で具体化もしくは細分化した「法」については自由に解釈できる「不文法」のように思われる。
たとえば日本人の琴線を揺すってやまない「赤穂浪士」の処分においてはどう考えても「慣習法」とも言えない。

あえて日本の『』といえば、「仁・義・礼・智・信・勇・忠・孝・悌・和」の十徳、「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の八徳、「仁・義・礼・智・信」の五徳などの『』が相当する。

短縮することに長けた日本人として、四、三と飛ばして二徳にすると「仁・義」となり危ない解釈もできる。
(大東亜戦争にしても「仁義双六丁半かけて・・・」ではじまったと考えられる側面は否定できない)

しかし、ただ一つ「」と説かれるとまさに日本人の持つべき心となる。(ヘイト・スピーチは「義」からくるのか「勇」からくるのか「考」からくるのか、単なる「情」なのか)

さて、西洋の『』に相当する日本の概念は『』である。明治維新は江戸の「不文法」や「慣習法」を『』で運用するこでは西洋の『文明』に対抗できないと考え、成文法の体系をつくり『』によって十色に解釈できる『』を運用することにして、西洋とは別の『文明』を志した。

コンサバティブのいう、(かつての)美しい日本」はこの時代(もしくは状態)を指すのであろう。

(続く)

2015年4月22日 (水)

『心情リベラルの文明論を考える(インターミッション)』(よく分かる A I I B のすべて、の巻)

ご注意:
一番上の地図の幅は1525ピクセルあります。ディスプレイによっては「閉じる」ボタンが画面外になるかもしれません。ブラウザ下側の横スクロールバーで左に寄せてください。
また。
ブラウザによっては中ほどのテーブルの形状が崩れるかもしれません。
(なお、当ブログはPCによるご来訪を期待しております)

二回前の記事の、『心情リベラルの文明論を考える』 (地政学の巻) で言及したアジア・インフラ投資銀行(Asian Infrastructure Investment Bank、A I I B)の創立時の陣容が決まったようだ。

Aiibmap_from_wikipediaマップで見てみよう。国名はウィキペディア アジアインフラ投資銀行を参照。図は同ページの地図の表示を加工してあります。
(図は左クリックで拡大ポップアップできます)

珍しく北朝鮮が日本と共同歩調を取っている・・・のではなく中国から拒絶されたため。

台湾、香港は国じゃないと体よく創立メンバーから外された。

では中国は A I I B で何をしようとしているのか、のグランド・デザインが少しずつ開示されています。

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左は中国のTVもしくはWebからの図の二次か三次利用です。

いかがです、なにか思い出しませんか ?

そう、大東亜共栄圏です。

日本はまず北京を目指しますが膠着状態となり海を利用することでフィリピン、南洋、東南アジアを征し、インドを独立させ、スエズ運河の制圧を目指したようです。この過程で米国を布哇で封殺して太平洋を二分する計画が自分側の半分で真正面の海洋戦となりました。ただ現実の海洋戦は諸島の陸上戦を重ねる戦闘だった。

つまるところ日本も中国大陸の統治のもくろみに成功すれば八紘一宇のシルクロードの再建も考えたでありましょうがほぼ4分の3世紀を経て中国で実行プランが立てられることになりました。ちなみに「八紘一宇」は日本の専売特許ではなく中国の成語からの合成、すなわち和製漢語のようです。

この陸のシルクロードの再建は20世紀初頭ですでに考えられていました。中国ではなくドイツ帝国からでした。しかし第一次世界大戦で頓挫します。

第一次大戦は地政学的にドイツの海洋展開を阻み植民地利権を抱える列強連合と植民地争奪争いに出遅れたドイツからオーストリア=ハンガリー・ブルガリア・オスマン帝国とヨーロッパ大陸を東に延びる(パキスタンひいては中国、インドの喉もとに迫る)中央同盟とに分かれた戦いでもありました。

中国はこれらの近代歴史を十二分に研究しているはずです。なにしろ(特に日本からは第一次大戦では間接に、第二次世界大戦では大東亜戦争として直接に)対象とされていた国です。

歴史的推移をみると下手に戦争を起こせば条約を梃子にし、あるいは反古にして国々の思惑が動きだし、思わぬ変化が生ずる。第一次大戦では戦勝国になるはずのロシア帝国が崩壊し、第二次大戦では大日本帝国の自壊を待って共産国家を成立させて台頭してきた大陸中国としては、いまでは守りの側に立つことになる。(実際は血統に替わる一党による帝国主義だけどね)

結果として米国が出てこない偶発戦争の危険は織り込んで、軍事プレゼンス(周辺の自治区や海洋ではプレゼンスだけではない)の下(もと)での西側の外縁を囲い込む平和的経済システムを構築(いってみれば近攻)する・・・つまりは世界銀行(World Bank 以下 WB )を相手とする貸出し金利や延払い条件の自由主義経済の競争原理による金融経済競(戦)争を選択した。

さて、下表は「世界経済のネタ帳」から<世界の名目GDP(USドル)ランキング 2014版>のデータを加工整理した地域とGDPの関係です。国別GDPはこのサイトで確認ください。

AIIB参加国GDP 単位:10億US$
地域 参加国 地域GDP 参加GDP GDP地域比 参加GDP比
アジア 24 19 22,308.08 16,865.99 28.9% 75.6%
アフリカ 53 2 2,449.68 636.52 3.2% 26.0%
オセアニア 13 2 1,666.83 1,642.31 2.2% 98.5%
ヨーロッパ 50 24 22,336.98 20,010.27 28.9% 89.6%
中東 14 9 3,532.45 3,164.00 4.6% 89.6%
中南米 32 1 5,800.39 2,353.03 7.5% 40.6%
北米 2 0 19,207.65 0.00 24.8% 0.0%
合計 188 57 77,302.06 43,919.66 100.0% 56.8%

世界の富はアジア、ヨーロッパ、北米で80%を三分し、石油でリッチな国が多いはずの中東は5%にもとどかない。

統計に入っている国は188ヵ国で創設時参加国は57ヵ国。出資額はGDPベースと仮定すると地球上の全GDPの57%から集めることとなる。

地域別の出資比でみるとアフリカや中南米が低いのは融資対象地域ではなく投資もしくは中国との外交上の参加。(融資先は名前からアジア地域とされているが中国の指導下では将来には設立地域を示すことに読み替えられるかもしれないけど)

大口の出資を支えるヨーロッパやGDP出資比率の大きい中東は金融および将来市場への投資であろう。また同様だが自称イスラム国(以下 IS)への安全保障の意味もある。

投資を受けられるオセアニアで参加GDP比はオーストラリア、ニュージーランドの2国のみで99%を占めている。言いかえれば中国のねらい目でもあるもっとも脆(もろ)い地域に介入しておくためである。

北米で特にアメリカが入らぬのは中国の戦略(天下三分の計ならぬ太平洋二分の計)の真の敵であることを自覚していることで、主導するWBを使った融資条件のチキンレースを選んだことになる。

(三分の計:一般に人事を含め組織を3分して管理するのが常識であり、中国としては北米、ヨーロッパ、中国+アジアの3分の計がベースにあるのは間違いない。やっていることは往時の日本に比べればいろんな意味でのスマートさはある)

ちなみにWBは世界の金融市場でWB債券を発行して調達しているがAIIBは参加国の国家予算からの出資のようだ。

WBは設立後70年近く経過して制度改革を迫られてもアメリカの抵抗で実施できていない。中国はそこを衝いてきた。つまりは市場金融経済のチェックとは距離を置く中国の政治判断での融資が可能になるシステムの構築が受け入れられる時代になった。

ひるがえってアジアの出資は、というと主要地域が軒並みGDP比の90%以上からの出資が見込めるなかで15ポイントも低い。これが銀行の支店なら支店長の首が飛ぶところだが本店地域なのでそれはない。

ひとえに日本が参加しないためである。日本が参加すれば出資GDP比は96%に増える。逆に中国の出資がないとインドや韓国があっても29%に過ぎない。

いかにアジアの富が偏在しており、フィリッピンやベトナムのように中国からの政治リスクを抱えていても融資を期待しているかがわかる。もちろん日本やアメリカとの天秤を考えながら。

余談ながら日本のGDPは中国の50%。日本と中国を合わせてもアメリカの86%である。しかしAIIBは市中金融に直接には関わらないでアメリカの4.4倍のGDPベースの資金を中国が手にいれられる可能性を確保したことになります。これが戦争を手段としない国力でありますね。

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では日本の戦略はというと、今のところ出資カードを温存したことになるが「バス乗り遅れ論」が出てくる。(たぶん政府には常に反対もしくは政争の立場からの反対と思えるけど)

いっぽう、AIIBの投資リスクは、というと第一次大戦の勃発に見るように民族や宗教といった地政学の要因による失敗や遅延の可能性が大いにある。

現時点では中国独自のシルクロード基金からの融資でパキスタンを目指す計画が動き出す。始点は武力を使って民族・宗教といった人権を封殺した新疆ウィグル地区であり終点は米軍のプレゼンスの低下が予測されるイスラム地域を通した海洋への回廊である。

ある意味ではイスラム文化圏を通り、あるいはかすめる西のシルクロードへの試行となる。具体的に西に向かって実行するとなると、IS の潮流との戦争をおこなわないで経済活動を実行するための裏金をマネーロンダリングする機関に、にもなりえる。

逆に観れば自由主義圏からは中国の膨張をつかってISとの暗闘をおこなわせる選択肢もでてくる。(閑話休題)

AIIBを機構とすればいまのところ不透明この上ない状態でありますね。イギリスが先頭を切って参加したのは歴史の(Mi2いやMi6?だったかインテリジェンスによる遠交の)血が騒いだのでしょう。(じゃあ、近攻は、って言わずもがなですよ・・・ヨーロッパにとってはね)

とはいえ、アメリカとは公表されない意思の交換があったと思われます。自由陣営の仕掛ける地雷にもなれますからね。こうしたことは中国も外交の基本として百も承知でしょう。

あとは西欧からの参加意思の表明に先頭を切ったことでどんな固有の条件で参加できるかです。こうした組織が全員一律の条件ということは表にあっても裏ではありません。どんな金であれ利益があればそれにこしたことはありません。

現実に中国の戦略として成功する可能性が高いのはアメリカと豪州などの経済圏のバランスで実行できる南太平洋であるが、この地域であれば日本もプレゼンスを示せるはずです。

つまり日本はカードを使うため、あるいは使わないため、またその奥ではISに対して、日本の不得手なインテリジェンスが問われているのですね。

AIIBに対抗する低GDP国を対象とした公的融資機関は「世界銀行」のほかにも、日本を含めて各国、各地域に独自の政策銀行として存在しますが融資側の個別案件審査が諸事情で上手く回っていないというのが実情のようです。

中国はこの案件審査条件緩和カードと金利や延払いの条件のカードを組み合わせたり、トレードオフしたりと使い分けて市場に打って出ることになります。

ある意味では中国は世界経済では強力なリーダーシップが望まれていることを承知し、低GDP国はリスクがあってもそちらを選ぶという・・・日本国内では安倍政権が同様のポジションを持つという、かつて心情的リベラルを自認する団塊の世代が安住していた時代が終わりつつあることを考える時に立ち会っているようです。

「花に雨 亜米利加(メリケン)は遠く なりにけり」。いや、「・・・弱く なりにけり」 ・・・中七字余り。
メリケン:一般にメリケン粉のように舶来(輸入)品を指す。元は リケン(American)より。アクセントは昔のほうが正しかったようだ。戦争は風、平和は雨、と花の散らしかたは違えど、過ぎ行く今は昔を偲ぶ雨です。

2015年4月 8日 (水)

『心情リベラルの文明論を考える』(文明って何んだ!辞書の巻)

空っぽの当CEOに、「何んなんだ!」と問われれば辞書で調べてお茶をにごすことになる。

まずは新明解国語辞典(第四版)から丸写し(していいのかな?異議がでればひっこめると)して、ほかにも”芋辞書”(新明解国語辞典の第一版より) がたくさんあるらしいので・・・読み比べてみてくださいね。

ぶんめい【文明】 農耕・牧畜によって生産したものをおもな食糧とし、種種の専門職に従事する人びとが集って形成する都市を中心に整然と組織された社会の状態。〔通常、狭義の文化〔=精神文化を伴う。狭義では、そのような社会が さらに発展し、特に技術の水準が著しく向上した状態を指す。そうした技術の・体系(所産)という意味で用いられ、精神文化(の所産)と対比される。また、技術面・物質面のみが発達したことを強調するために「技術文明・物質文明」と表現することがある〕⇔未開・・・以下用例省略

ついでに、

ぶんか【文化】 その人間集団の構成員に共通した価値観を反映した、物心両面にわたる活動の様式(の総体)。また、それによって 創(ツク)り出されたもの。〔ただし、生物の本能に基づくものは除外する。狭義では生産活動と必ずしも直結しない形で 真善美を追究したり 獲得した知識の精神活動、すなわち 学問・芸術・宗教・教育・出版などの領域について言う。この場合は、政治・政治・経済・軍事・技術の領域と対比され、そのことを強調するために「精神文化」と言うことがある。また 最も広い用法では、芋を洗って食べたり 温泉に入ることを覚えたサルの群れなど、高等動物の集団が特定の特定の生活様式を身につけるに至った場合も含める〕・・・以下用例省略

肝心の、

せんそう【戦争】 ①国家間の争い・(紛争)を解決するための実力行使(に入ること)。(用例省略)②業者間・(社会生活上)の激しい競争。・・・以下用例省略。
ほかに「戦争のような忙しさ」なんて忙しさを強調する使い方などが抜けているような・・・

比較する英語辞書はウェブ上の Collins English Dictionary | Always Free Online で・・・【civilization】【culture】【war】を小窓に入れて英英語か米英語を選びます。もちろん似ていますが微妙に違います。

新解さんの【文明】は、まず食糧から入るところはさすがです・・・じゃ、漁業はどうなんだ、と突っこみを入れたくなるところもまたいい。

英語版、米語版ともに6項目の箇条書きで、日本語の「整然と組織された」と形容する部分は英語では「複合した文化、政治、法の体系で」となっている。また米語では「記述言語の使用」が入る。

日本語では【教養】に分ける項目を含めて【文化】では英語版で12項、米語版では8項目、細目を入れると12箇条ある。日本語で「構成員に共通した」は英語では「継承された」と、時間や世代にわたって成立することを打ち出している。ただ新解さんのすごいところは言外に広義では軍事、当然それに含まれる技術も【文化】のなかに入っている。

戦争】の定義は日本語では2項目だが、英語では動詞用法を除いても7項目、米語でも5項目ある。

基本定義は国家間の武力による衝突だが米語では「内戦」も含めている。また何らかの「抗争」や「コンテスト」にも使われる(例:対犯罪戦争、機知の戦争)。「具体的な敵意」に対する戦い(例:疫病に対する戦争)にも使う。

ほかに日本語の【文明】【文化】の項目のなかでは明確には使われていないけれど、英語では、「特定の(particular)」・・・につづく「時(period)」、「場所(region, nation)」、「人(people)」という言葉がどれかの項目の中で使われている。

また日本語辞書では【戦争】という言葉は特別に重く扱われて( ? )いるのか狭い範囲に限定しているようだ。

日本語では(省略した用例のなかで多少は補っているが)文明】【文化戦争】という言葉の定義は少なくとも英語世界の辞書の上澄みをすくっただけのようで新解さんでも靴の裏から足裏を掻くもどかしさは否めない。

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使った辞書が悪い ! せめて「広辞苑」と「Oxford Dictionary of English」で比べろよ・・・といわれるかもしれないが、生憎く持ち合わせがなく(ふつうはお金の場合に使います)、置く場所もなく、家人の電子辞書にあった『広辞苑』で調べた限りでは「新解さん」よりつまらない記述だった。

全般に日本の辞書は、「こうあってほしい」という理想とか、「これだけだ」という限界を当たり障りなく示しているようで、英語辞書のもつ社会(読者)に対するダイナミックさには欠けているように感じる。

つまりは、それが日本人の精神構造なのかもしれない。他の辞書で比較や検証をされたみなさんの感じ方はいかがでしたでしょうか ?

2015年4月 1日 (水)

キネマ航空CEO 日本には「メリーさんの羊」はいるが「スーザンさんの犬」はいない、へのリンク

ルフトハンザの傘下のLCCジャーマン・ウィングスの問題に多少の参考になるかと、過去の記事を紹介します。(2013/5/22の元の記事 へ 2015/03/29 に追記公開した部分を独立)

後に「スーザンさんの犬(もとの記事の中ほど太字の部分)で知られることになったNASAの論文の前書きをよく読むと、飛行機の(もちろん自動車や船舶、鉄道も含む、二輪車だってありえる)もっとも危険(クリティカル)な部品やシステムにはパイロットも含まれることを暗示していたようです。
(拙ない訳はご容赦。原文へリンクの付与あります)

犠牲になられた方々への哀悼の意を込めて キネマ航空CEO

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あわせて『フライ・バイ・ワイヤ(その1) キネマ航空CEO FBWとPIO、ついでに「大利根月夜」について考える』 をお読みくだされば幸いです。

パイロットの締め出しが可能になる方式は空港警備の盲点をついたハイジャック犯によるコックピット侵入後の機長殺害に対する日本の発案だそうですが日本でも統合失調症の機長が出たことには無関心のままのハードによる対症療法だったようです。

これに輪をかけたのが 9.11 での各国の対応でした。しかし、その中でも外国の一部の航空会社ではコックピット内常時複数体制を採用しているようです(注)
(注) 日本ではスカイマーク社がすでに以前から採用していたことを追記します。(2015/04/01)

もちろん今回のケースに対応できたかどうかはわかりませんが抑止力にはなったと考えられます。

パイロット絶対者説もしくは性善説をとる日本人の(正確には管理監督組織の)発想の限界を示した例かもしれません。鉄道でも似たケースがありました。ルフトハンザやドイツの運輸当局ひいては米国のATA (Air Transport Association of America アメリカ航空輸送協会) NTSB (National Transportation Safety Board 国家運輸安全委員会) 対応が注目されます。

それにしても 当キネマ航空009便 で上映している『乱気流 タービュランス』のなかに出てくる機内備品は本当にあるんですね。

今回の事件で機体側の構造やシステムと運用方法が詳しく報道されるでしょうから外部からの刃物持ち込みの空港における対応のみでは困難になる可能性もあります。再度の見直しが必要になると思われます。

より以前の記事一覧

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