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カテゴリー「経済・政治・国際」の46件の記事

2017年10月25日 (水)

キネマ航空CEO 『女が引いて男が押して』?を考えるの巻

本稿は10月24日夜から25日零時を跨いでまとめました。したがい現時点では記述内容が実情と異なる個所がありますが当面、修正は行いません。悪しからずご了承ください。
                                    2017/10/30 キネマ航空CEO

2017年秋の分け(「訳」が正しい)の分からぬ衆議院の解散と総選挙が終わった。

でも面白かった。歴史はこんな具合に転ぶのだろうなと、レキジョ(歴女)やレキオ(歴男)が現在を歴史として見てくれれば良いのだが・・・

実力者を戴く集団が一枚岩の思考にはまることほど恐ろしいことはない。(ただし敵味方の明確な歴史ロマンならこれほど心躍るストーリーはないのだけど)

理由はいろいろあるのだろうが、後世から現在を見ると、幅のある権力集団に極端に(今回は「右」に)振れた実力者が出現して率いる集団に向かって(あわよくば乗っ取ろうと)対抗する女傑が振った旗に(相手の仕掛けに乗りやすい過去ありの)単純猛者が率いる弱小(弱中ぐらいとは思っているらしい)対立軸となるはずの集団が民主的な議決で乗ってみた。

だけど女傑は権力集団に挑むには、敵のミニコピーのようだが重心のずれた幅を抱えた戦力を率いては戦えない、と、どこかのキャッチコピーのお株を奪って「仕分け」を実行してみた。

やっては見たものの、この辺りで早々と見切りを付けたのではなかろうか。女傑は居城を変えることなく御座なりの出陣で籠城に踏み切る前に国際外交セレモニーにしっかりと向かった。

こうして女傑は「自民党」大勝の最大の立役者、功労者となった。これが最初から権力者との駆け引き(ディール)から始まっているなら歴史ロマンはもっと面白い。これからも続く歴史での女傑の去就に注目したいものですね。

一方では日本流の「二大政党制の欺瞞を暴いたともいえる。

最初から「仕掛け」乗らなかった智勇(持ち上げすぎだけど)の士は所属していた旧集団名を名乗らず(久し振りにリベラルらしい)新政党名の『立憲民主党』を立ち上げた。

でも通称またはマスコミ名では『立民党』となるようで当CEOには疑問が残るんだけど。「民(タ)(ヨ)ッテ」のか「民ノ為ニ」のか・・・それとも隠したほうの「ポウヲ(ムネ)トスル」なのか真意のほどはよく分からない。

さて、一般的に民主主義の中では「リベラル」からは、敵対する相手(つまり「コンサバ」)が強ければ強いほど「ポピュリズム」の称号を与えることになる。

しかし、当CEO は今回の「立民党」の健闘善戦の「野党」第一党も結局は「ポピュリズム」であると考える。

ほー、あの人がという人が党首のブレなさ、とか男気とか、真っ当さ、とかで持ち上げていることからもわかる。主義とか主張とか理論でじゃないのですね。

リベラリズム」の思想だけが(民ヲシテ)立民党」を支持しているとは当CEO には思えない。錯覚である。一年後に解散総選挙があれば「希望の党」と同様に数は減る。

幸いにもか、少なくともか、今後につづく歴史を考えると相手が一強だけに、平和であれば、当分、長ければ四年は現状の体制が続き、ミッドウェイ・ポイントは2019年夏の「参議院改選」時となる。

党首自身は「現実主義者」だ、といっている。憲法についても「オールド・リベラリスト」の思う「現実」ではないことが必要だろう。

・ ここまでにヒト、カネ、つまりは連合などの組織を取り込む体制の確立とサポーター支援組織を立ち上げ機能させる。
・ 安易な議席党員の受け入れ、政党の統合、個別はともかく包括的政策協定の締結などしない。(しても貸し借りはドライに行う。相手によっては踏み倒す)
・ TV受けする国会議論や発言はしない。「ソーリ、ソーリ、ソーリ(当CEO ならイエス?アイム ソーリー、アイアム 「ザ」 ソーリと答える)」、「一番でなければならないんですか(これは国会で、じゃなかったか。まあ野党魂が染みついているのよ。野党第一党とは名乗るんだけど)」、「強くなければ生きていけない。優しくなれなければ生きている資格がない(現代文学にある出典ぐらい調べろョ !
・ 国会議事録に残る名質問をして発言を引き出せ。そのための質問方法やレトリックの勉強をしっかりやれ。・・・WEB も文字で成り立っている、つまり活きた字に残せ。
・ ヤジは飛ばすな別の方法を考えろ。
・ 現在の国会法でできるのかどうか知らないが二人の質問者を並べ質問時間が足らなくなったら後の質問者が時間を譲るなどのチームプレーぐらいできる集団になれ。
・ 目指すのは中選挙区制の復活の議論である。得票率と当選比の不整合の修正である。
これをなさずして民主主義国家といえるのか。
これを憲法違反と言わざるして何が憲法改正か・・・

もし謙虚な「政権首班指名政党」と名乗るなら、まず質問時間は得票比以上に反対党に厚く配分せよ。

日本に「二大政党制」が成り立たないことはもうはっきりしている・・・ン ? 誰だ ? 相手は。論旨が飛びすぎたか・・・

つまり、日本に「多党制連立内閣」ができる国民性があるかどうかの決め手となる日本の「リベラリズム」の実態がはっきりしない。少なくとも「社民党」にはなかった。

池上(無双)氏の隠し玉『政界悪魔の辞典』では、
『【リベラル】 左翼と呼ばれたくない人たちの自称』 が、秀逸である。惜しむらくは、
『また「リベラリスト」とも呼ばれたくない個人の自称』 を付け加えればもっと明確になる。
いや、もっと本質の曖昧さに広がる。
『【希望】 失望までのつかの間の喜び』 も良い。確かに【】は【まれ】と読むもんね。

希望の党」は小池百合子氏がゴッド・マザー(名付け親)なのかな。英語ほど日本語は得意ではないのかもしれない。しかし、「民進党」を解体してフフフと笑っている顔も浮かんでくる。

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いずれにしてもジェンダー・フリーやポリティカル・コレクトネスで炎上しそう ? だけど)・・・
小池氏には以下の箴言で敬意を表する当CEO であります。

「女、賢しゅうして牛売りそこなう」・・・ひょっとすれば自分(だけ)は売り込めているかも
日ノ本ハ女ナラデハ夜モ明ケヌ国」・・・これは枝野幸男氏次第

と書いてる最中に「立民党」では「ソーリ、ソーリ」の辻本清美氏の政調会長兼国対委員長が決まったようだ。

パワーはあるのだろうが「昔の名前で出てます」では「立民党」はどうなんだろう。いやどうなるんだろう。この方にも同じ箴言で敬意を表しておきたい。

それにしても山尾志桜里氏は惜しいことをした。

「生まれた国が悪いのか、                 ・・・「生まれた時が悪いのか 
    それともあなたが悪いのか」                  それとも俺が悪いのか」  
「何かを成そうと生きて行くなら、             ・・・「何もしないで生きて行くなら
    それは容易(たやす)いこと、じゃない、けど」         それは容易いことだけど」
何とか歌えるぞ、「平成ブルース」。しかし、古いなー!「昭和ブルース」。( YouTube へ ) 

頑張ってね ! もし「民進党」にいたらどちらを選んだんだろう。

待てよ「民進党」のフルネームは何だっけ ? 「民ノホウガンデイル」だったかな。

あッ ! 忘れていた。

思いもかけず「民進党」出身者が大勢を占めた「希望の党」はいずれは分裂するか消えるはずである。

しかし、議員経験者は多い。あちこちに散らばった大物達?に抑えられていて芽の出なかった人材が(本物の風見鶏にも予測の能力はないけれど合わせることはできているもんね鶏頭となって頭角を現すかもしれない。

加えて民主的な党内意思決定で「」も、仕分けで「希望」もなくなって「参議院民進党党内派閥所属衆議院院内会派無所属所属衆議院議員」の元閣僚や元党役員の古株もいる。

そのうえ「立民党」には過去の自任自称の大物たちが居残っている。

お仲間と数合わせの画策をしたりせずに、議会に皆勤してじっとしていてくれるだけにしてほしいものだが。

いくらお金や票を持ってきてくれてもね。ねえ枝野さん。

2017年9月30日 (土)

キネマ航空CEO 「『心情リベラルの終焉』の時代」について考える

山里の篤学の士のブログに、主題の映画批評から続けて、いまの世相を多少の諦観をにじませ次のように喝破している。

「民進党も社会党と同じ運命になりそうだが、要するに自民党が二つできたということだ。
小池さんらの『白紙の手紙』にどんな設計図を描けられるか、そこに日本の未来がかかっている。」

当CEO もそう思う。「心情リベラルの終焉」である。

国を擬人化したあとの「世相の気分」はある期間を経れば刷新されなければ「世相の気分」が作る国の歴史は停滞し、あるいは暴走する。

そこで選挙による「二大政党による政権の交代」という民主主義の大(か、どうかは分らぬが)前提が必要とされる。つまりは政権が代わっても大きく変わらぬ社会的構造があるという原則で成立している。
 小さく変わることを期待するリベラルもコンサバも大勢いるということだ。しかし変わった方向でほとんど変わらないと思う側もあればいっぽう大きく変わりすぎたと思う側もある。人間の知や理を越えて情は面倒である。

そして、日本国憲法下で始まった自由主義陣営の生活物資に支えられながらの戦後生活は苦しいがその中ではぐくまれた自由は心情リベラルの平等思想となり、音楽や小説、新聞や雑誌の論調や評論を通して順に北朝鮮、中国、ソビエト、キューバへと反対の陣営に理想卿を求める。

その中での日本で実現した二大政党は一つの政党の中にある二大派閥が担当していた。大政翼賛の時代よりは良いのだろうが当時の心情リベラルが支えていると信じていた野党は決して二大政党の一方を務めていたわけではない。

簡単に言えば一党二派閥の政党に軍備再構築を制限(憲法9条戦争放棄)し産業再生(異論はあろうが憲法13条幸福の追求)に予算執行を集中させる結果を求める表裏一体の自称野党に過ぎなかった。

つまり内閣首班を送れなかった政権党内派閥が真の野党であった。(言うまでもなく自由民主党は自由党と日本民主党の保守合同です。一党二系内の集団が離合集散しながら二大派閥を形成する時代でした―純正リベラルからはこの要約に大いに異論はあるでしょうが)

本来なら時代の変遷を心情リベラルが託した海外の理想郷の軍事備蓄と産業の変遷の考察で併記概観すべきだが別の機会に譲る。

時代は移り日本の国力の向上と先行していた自由陣営諸国の衰退に合わせて一党二派閥の中で分裂が起こり、離党した保守政治家を取り込んだ自称野党間の連々(「々」がいくつあるのかわからぬ)連立内閣や幾度かの保革連立ののち自民党・公明党との連立が始まる。

ちなみに公明党は内閣首班になるつもりがない。かつての自民党派閥のような連立内野党を演じる意図はない。連立相手の自民党にとっては意外と使い勝手の良い集票政党でありますね。

この混乱の時代に心情リベラルは時代の変化を予感したがさしたる成果もないまま途中で投げ出される時代であった。

続いて二回目の自称野党の連(々々・・・?)立政権は外交の継続破棄の模索や国民の不安を増幅させる近隣外交を実行しながら旧憲法の陸軍顔負けの閣内不一致を行い自称野党に戻る閣僚が出たりと政権の態をなさなくなる。

成果と言えば、税金は上げられる、ことを示したことぐらいだろう。

この辺りが心情リベラルの限界だったのかもしれない。つまり日本にできる二大政党は幻想に過ぎなかった。

さすがに三度目ともなると基本となる所属条件の線引きと排除を始める。男にできなかった女の力である。

これが篤学の士の憂うるいずれは自民党の党内派閥となって溶解するのか、二大政党の野党となって(使い勝手が良いままかどうかは分らぬが)公明党との連立を図れるまでに成長するか、の時代の幕開けの分岐点ができる選挙ともいえる。

そうなった後の旧心情リベラルの憂鬱が始まる、いや続く。要は反対党ではなく影の内閣としての野党としてのチェック機能の有無である。

1.官僚のコントロールができるのか?(その前に党員の品格のほう・・・かもしれないが)
  官僚は議員の手足ではなく忖度の指示に持てる頭脳を最大限に発揮してくれる顔のない組織となっている。
  米国のロールモデルは官僚のトップとなる閣僚制は首班となる大統領を含め議員内閣ではない。上級官僚も準じて入れ替える。英国は議員内閣制を採用している。上級官僚は民間からの公募制や随時の人事異動などが採用されている。
  どちらも日本の官僚制とは違うが癒着などそれなりの弊害はあるようだ。
  その前に困ったことに両国とも二大政党そのものがあやしくなりつつある。

2.国民として最悪の事態である交戦状態に至るまでの外交能力があるのか?
  現在でも宣戦布告はできないが自衛戦争は認められるという憲法解釈は認められていると考えられる。宣戦布告を受ける以前の段階での回避能力はあるのか。
  それ以上に紛争停止の仲介能力はあるのか。こればかりは国力より官僚より政治家の人的資質である。
  言葉に含みもない、また実行力もない「イエス・オア・ノー」の安倍首相の国連総会の演説は加盟国それぞれの外交の本音に日本国はどう伝わったのだろう。某大統領のレプリカか?それでも国内に向けて強固な同盟関係の見せかけのアピールか?
  先を見ていくとサッチャー首相がロールモデルの小池首相(仮)は抑止力になるのかフォローワーになるのか。サッチャー首相が紛争で相手にしたのは戦線を拡大する力も同盟国を引っ張り込む力も外交的に抑え込める国だった。

3.停戦を行える能力はあるのか?
  侵略を宣言して宣戦布告をしてくる国はない。しかし戦争放棄(交戦能力のない)国に戦闘状態を仕掛ける国がないとは言えない。
  始めた戦闘状態を『単独で』終結させることが可能なのか。
  近代日本の戦争では仲介国を介しての戦勝による終戦や勝ち馬に乗る参戦という成功体験で始まったが、現代戦では立憲君主制議会が開始した戦争は内閣による終結工作においては仲介国を誤って事態を悪化させ天皇の存在で終戦という敗戦を迎えられた。
  今後の戦争では勝っても負けてもこの終戦のスキームはあり得ない。
  端的に言えば集団安全保障が発動されても集団安全保障国は国連ではない。緒戦でお茶を濁して「いち抜けた ! に抜けた !! さん、よん抜けた!!」と前面に立たされることもある。極東の紛争を脅威と感じない国は多い。193ヵ国193票で構成される国連に戦争調停力(法的拘束力)はない(世界のというより加盟国政府に期待する民意や道徳の指標に過ぎない)ことははっきりしている。そして分断状態の戦勝倶楽部の常任理事国が一致した場合においておや、である。

 4.そもそも日本に二大政党制が根付くのか?
  米国では共和党と民主党、カソリック、プロテスタントという宗教の規律基盤が根底にある。英国の保守党と労働党、根本は身分制度に基づくと考えられるが英国国協会の影響下にあると言える。ただし小政党は多く発生しており連立に加わる勢力も出てきている。

  現在の日本はというと無宗教、多宗教乱立の信教の二股三股は自由の時代とは言え、・・・

  自民党の神道、公明党の仏教という神仏合従内閣であり宗教としては江戸時代分権というより、・・・(一応の分権により大政奉還という政治儀式が可能だった)

  神主仏従というポスト江戸時代である明治時代を経てレトロ・アヴァンの昭和時代の幕開けにならなければいい時代、・・・

  明治維新の帰結である敗戦維新をやり過ごし大正モダンもどきを謳歌したアプレ昭和を通り過ぎて再びレトロ昭和に回帰するかもしれないポスト昭和平成時代であり、・・・

  まだ元号の決まらぬネオもしくはノヴァ昭和の始まりかもしれない分岐点でもあります。

モダン/ポスト/レトロ/アヴァン・アプレゲールを省略。つまり戦前・戦後)/ネオ/ノヴァ・・・当CEO の世代には懐かしい響きの単語です。多様な解釈ができますがご自由に・・・

  この東洋思想の輪廻もどきの流れは壊滅的な人的被災を政治的にはすべてを天災にしてしまう大正の関東大震災から始まる、昭和の空襲に原爆、平成の阪神淡路大震災、東日本大震災と福島第一メルト・ダウンなどを抱合しながら進んでいる。

  その(輪廻)もどきに表出する事象の本質は明らかに変質している。歴史は単純に繰り返すのではない。

そして一方で取り巻く環境では、心情リベラルが存在できる自由主義は独裁主義、加えて恐怖主義の挑発を超えた挑戦を受けている。少なくとも心情リベラルの根底にあった国はなくなっていることは間違いないであろう。

独裁主義が自由主義を生んだのだが、自由主義にいるリベラルから現在を見れば、日本では純正(標準的)リベラルから、外国では先鋭リベラルからだろうが、豊かな自由主義が貧富の差の大きい独裁主義や恐怖主義を作った、と言えなくはないだろう。

しかし、普遍的な科学工学の力で独裁主義や恐怖主義の存在は様変わりしているともいえる。

また、そもそも論でいえば二大政党が成立している国は少ないことも知っておく必要がある。これはまた別の機会に。

2017年8月14日 (月)

キネマ航空CEO 梅原猛の原点に挑むが・・・横溝正史の作品に思いをはせるの巻

 古代史の先達から先回の論文『水底の歌-柿本人麻呂論 (初出1973)』に続いて梅原猛氏の原点となる「『 (上、下)』 1980 集英社文庫」を貸していただいた

___2初出は1970.1 から 1971.12にかけて芸術新潮に24回連載された「エッセイ」をそのまままとめた作品であります。(同名単行本 1975 集英社)

この連載から深化した作品が「『隠された十字架  法隆寺論』 1972 新潮社」となるようですが当CEO は未読。

 さて、本書は古代日本仏教の勃興史であります。

水底・』のような言語上の思考ではなく、塔、仏像、壁画、寺、神社、奉納歌舞などの具象を分析した芸術論的古代史論である

 しかし、これでは、そんなに読みたくなる「帯」(腰巻きとも言う)にはならない。むしろ、・・・

聖徳太子」の血脈の抹殺に始まる太子の祟りを縦糸に、
新興仏教と古来神道との狭間に勃発した人間の欲望の覇権争いを横糸に、
兄弟間譲位と女性天皇の擁立が織りなす時代の皇室をめぐる姻戚と相関の(性的関係を含めた)関係を解き明かし現代につづく、
水底・』に先行した壮大な 論文 ! ではなく エッセイ ! ! です

・・・であります。さて、下巻の巻末に西暦239年から1697年までの1559年間に及ぶ年表がありますが実質は、次の200年を掛けた国家仏教から仏教国家への萌芽完成まで、の足かけ3世紀です。(その仏教国家完成から崩壊までには1100年が必要でした・・・とは書いてないけど)

552(538説もあり) 仏教(仏像、経論の)公式伝来
574 厩戸皇子(うまやどのみこ)のちの聖徳太子生まれる
585 2月蘇我馬子仏塔を立て斎会を説く
      3月物部守屋中臣勝海ら仏像仏殿を焼く
587 聖徳太子(没後の尊称だが便宜上)四天王寺建立の発願、馬子法興寺建立発願
591 法興寺起工
593 聖徳太子摂政となる。四天王寺起工
622 2月聖徳太子薨ず
643 11月蘇我入鹿聖徳太子の子山背大兄王(やましろのおおえのかみ)一族の殺害
      参画氏族の中に中臣塩屋連牧夫(なかとみのしおやのむらじまきふ)
      のちの藤原氏の始祖
645 6月乙巳の変蘇我氏滅亡、「大化の改新」
 ・
 ・
712 古事記成る
720 日本書紀成る
737 藤原氏四兄弟相次いで天然痘で死去
739 (別資料では737)聖徳太子一族の住居址に救世観音像を安置する夢殿建つ
743 大仏建立発願
752 大仏開眼供養
(なお、表示の月は太陽歴なのか陰暦なのか当時の中国暦なのかは不明です。)

 この間、 562年に半島では任那の日本府が新羅に滅ぼされ589年大陸では隋王朝の成立600年遣隋使の初回派遣603年新羅への征討出兵中止618年隋に代わり唐王朝の成立630年遣唐使初回派遣663年半島の白村江で唐・新羅連合軍に敗北668年唐・新羅により高句麗滅亡、新羅による半島の統一・・・。

     と対外関係も忙しい時代で、公の遣隋・遣唐使に加えて技能難民や労働力難民の流入、帰化人による技術、芸術など大陸文化の系統的な吸収ができた時代でもあったようです。(大化改新後に防人(さきもり)などの九州沿岸への徴兵動員がおこなわれた。それ以前の半島進出については倭(やまと)朝廷が長(おさ)を派遣する在外組織なのか両岸の部族間の関係なのかは判然としないが物資や文化の交易をおこなう倭朝廷寄りの部族の保護のようだ)

     幸いに後半の100年弱は半島からの撤収に加えて大陸情勢も唐王朝が安定しており、半島の新羅との両睨みの北九州海岸線防衛ラインの構築の中で奈良文化も大陸的から日本的なものへの咀嚼が落ち着いて行えた時代と思われます。(この時代に記紀が成り、万葉集の編纂が始まる。先の(任那)「日本府」の固有名詞は日本書紀にて初出。いくつかの暗殺や武力抗争があった。658から660年にかけて東北の蝦夷などの部族への侵攻が始まる。決着は平安遷都後の、坂上田村麻呂、阿弖流為(あてるい)伝説に・・・)

     内政は、といえば、国家統治の規範を仏教に置こうとする有力氏族蘇我氏と皇位継承血脈にいる皇族である聖徳太子の仏教推進派と対立する他の皇族を擁したその他大勢派の氏族との政争を制した聖徳太子没後の天皇の座をめぐる抗争で、中臣氏はまず、かつての親の代では同盟関係であった蘇我馬子の子入鹿太子の子である山背大兄王の離反を図り聖徳太子の(いわゆる皇統の)血脈を断絶させ、その2年後の大化改新に先立つ乙巳の変入鹿らを殺害して太子以前の時代からの旧勢力の筆頭だった蘇我氏の権勢を一気に没落させます。

 年表の585年を確認ください。中臣藤原)氏のこころの内に分け入ると、氏族間の憎悪なのか義憤なのか、対象は仏教なのか政(まつりごと)なのかよくわからぬが(権益であることは間違いない)長年の諜略と一瞬の暗殺で政権の奪取に成功した時代でもあったのであります。

おおっ!梅原師見てきたように語り出し・・・がのり移ってきたゾ

 そして、藤原氏はその後の後宮との姻戚関係、不遜不倫関係を巧み(といっても蘇我氏だってやっていた)に構築し政(まつりごと)を手中に収めるのですが、その中で一族を襲った不幸を、殺したわけでもない(殺したんじゃないのかな ? 説もある )聖徳太子の「祟り」として仏教を利用した鎮めをするために西洋にはない日本美学』の建立を続けた・・・という論旨の展開と読めました。

 ただ直近では、協力したのちに殺された蘇我入鹿も恨んでいるはずなのだけどね・・・でも黒幕中臣氏聖徳太子を含めて山背大兄王一族の殺害“実行者”に対しておこなった口封じを兼ねた直接実行氏族への復讐の処罰だったら『祟り』はないよねー・・・と数代下がった子孫の藤原氏になっても感じられるということのようです。

 「祟り」も、「祟る」側と「祟られる」側の地位身分、あるいは人望の相対関係で「祟られる」側の勝者としての感じ方次第なのでしょーね。これぞ日本 ! ?

 梅原説はさらには塔の内部に施された壁画、仏像の装飾がおどろおどろしい世界を再現してくれます。さすがに地霊、怨霊には敵わないらしく年表の続きとしておまけの42年で
 ・
 ・
(783 万葉集の編纂終わる。開始年不明、600年代後半)
(794 平安京遷都)
   ・・・と(正確には難波宮などを含み)呪いや祟りで転々とした都の総称としての奈良盆地から長岡京を経て地形の似た平安京への恒久避難となったのでしょうね。藤原氏はこれから400年近く政権の中枢に留まります。この間の祟りはどうなったのかは当CEO 浅学につき分かりません。

 さて今回は形ある物体からの梅原氏の思考の展開ですが具体的なこの時代の『』の建設となると為政者ひいては施工者の思惑がどこまで反映できるのかはよくわからない。

 少なくとも、切妻、寄棟、高床といった旧来工法では、施工者がこれくらいの大きさでといえば棟梁の差配に従って材木の調達から現場での加工組立ができる。

しかし、この時代に始まった大陸起源の複雑な仏教建築となると工程の分化が必須となる。

 外観内観の意匠と構造決定の工程はおそらく同時並行で行われ、そこから個々の構造部品を作るには多くの部品図面や指図書に起こす設計集団が必要となる。

 加えて部品の加工、組立の人工と工数とその工程順序の管理といった施工集団が存在する。この二つの集団は運搬労働力を除き多分一体の集団であったと思われる。この中に渡来人の集団と旧来(倭)工法の集団があったはずだがそのあたりははっきりしない。
余談ながら木材の伐採、輸送、集積、仮加工、寝かし(エイジング)といった木材ビジネスもこの時代に生まれたんだろうな。

 もちろん建築全体を構成する木工や石工のほかに木彫、金物といった現在では装飾品と分類される技能集団も独立して存在していたのだろう。

 この時代の「」が梅原氏や多くの有名無名の人々のこころをとらえるその『』は『外観内観の構造の意匠』で決められているのであり、施工主となる中臣・藤原氏の意識に外観内観の細部に対する梅原説が提示する意図がそのままに入っているかには疑問がある。

 そのため梅原氏は高さとして指示できる「」に着目したのだろう。しかし、これだけで梅原氏の施工者意志説で提示された細部の意匠(具象)の証明になるのかどうか。

 もちろん細部の具象コンセプトについてもまだ発見されない文書や絵で詳細な中臣・藤原コンセプトの要求が行われたのかもしれないが、その再現のすべては構造で決まる。

 むしろその時々の塔建築を請け負う集団がその時々の工夫を凝らして無二の「」を設計し、建て上げて、施工主が気に入らなければ壊されついでに殺されて、といったところではなかろうか。たぶん彼らの身分では施工主を祟ることもないだろう。

 施工主は気に入れば内装に金を掛けて己の世界の構築はできる。またその意向も建築よりは伝わりやすいかもしれない。梅原氏の筆はここでは怪談めいた鬼気迫る筆致で畳みかける。

 737年以降に法隆寺夢殿に封印されたという聖徳太子を写したとされる救世観音菩薩(木造観音菩薩立像)は、正面のみの空洞(要するに最中の皮の表側の片割れ)で動き回るための足もなく、御仏を示す光背は釘で直接頭部に打ちつけられて「人間でなく怨霊」の聖徳太子を呪詛する目的である、と。

 怨霊も足で移動するのか ? 足をなくすれば出る場所が決まっている(はずの)地縛霊に貶めたのか・・・この説では時代考証の錯誤感もあるけど新説にはなりそう。

 さらに浅学のCEO ではあるが、釘打ちの呪詛は『生きている相手』を模した藁人形や人型に打ち込まれ、イエス・キリストも生きているうちに釘で十字架に磔にされた。ドラキュラ伯爵は呼吸していないようだが眠っているところに釘の代わりに杭を打ち込まれているんじゃなかったっけ。そもそも既に死した者の怨霊に「釘」の効果があるのかね・・・となる。

 光背と頭部を結ぶ構造も釘の形状も説明されていない。どんな釘なんだ?むしろ光背と観音像をつなぎ一体となる構造の意味もある・・・観音像を動かしたら光背がとり残されて御仏の慈愛が消えちゃったってこともあるんじゃないか・・・

 まあ、呪詛の方法の諮問を受けた取り巻き文化人のブレーンが困り果てて出した案を、藤原氏には「やってみる」ことは「やってやる」と進取の勇気があるのでやってみた。

 しかし、ご利益がないもんで白布にまかれて人目を避けて隠ぺい放置されていた・・・と、梅原説につながるのかもしれないが・・・、

 肝心の観音像を包んだ白布の汚れや埃を含めた科学的分析はなされていない。梅原氏は西欧の「聖骸布」のようにあからさまにはしない。これもまた日本、なのかもね。

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 こうした呪詛は怨霊の祟りに対する女性の恐怖心が深くかかわっていると梅原説では強調される。

 どうやって祟りから呪詛への過程が進むのだろう。そもそも100年近く後の女性が祟りの言われをどのように知るのだろう。記紀を奉ずる公家、神職からか、かじった僧侶からか・・・
神仏習合と反発もこの時代から延々と始まった。そして、明治元年(1872)の神仏判然令で公式に神仏分離とされて、仏教《が特に庶諸民に対して権威もしくは拘束力を持った》国家の末期期に入った/閑話休題)

 予算が必要な呪詛建築の施工には男性の分担と考えられるのだが、下品な当CEO はさらに考える。こうした謀(はかりごと)の発端はどこで行われたのだろう。

 昼なのか夜なのか、広間か寝室か、家政婦は見たのか、宮中や公家の屋敷の間取りや奉公人の数は、上下の食糧献立事情は、人口や職業、都市や村の構成や経済は、行政機関の構成は、租税の徴収は、予算の案や執行は、芸術家集団の存在は、といった時代背景があってこその梅原説と思うのだが古代史の背景解明に梅原氏は古代史の著作の印税を使って影の貢献をされたのであろうな ・・・と、つい余計なお世話を思ってしまう。

 せめて「」を一基建てる費用の収支出納ぐらいは氏の下で解明してほしいものです。ただ働きで古代日本の文化を作るのが日本人なのか ? 帰化人もよく我慢したものだなー。

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 さて、描かれる「家系図」と「時系列人物行動表」とくるとこれらを駆使した横溝正史の名探偵金田一耕助を思い浮かべる当CEO であります。《迷》探偵のようでもありますが人間の始めた行為を押しとどめることもなく最後まで見届ける仏のまなざしのようでもあります。

 「犬神家の一族」では戦後の財閥解体、「悪魔が来りて笛を吹く」では華族制度の崩壊、「獄門島」や「八つ墓村」、「悪魔の手毬歌」では村社会の戦後史とも家族史とも、戦前が背景となる「本陣殺人事件」では格式のある家族の中の男尊女卑に潜む屈曲した潔癖倫理など、当CEO の世代にはフィクションでそれぞれの時代を映し出していると感じられる。しかし、残念なことに今では「オワった コンてんつ」と片づけられるのだろう。

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 繰り返すが梅原説はなまじ学際的なアカデミズムをまとっているだけに個々別々の分野の古代史を総合した中での再評価が必要と思われる。 梅原説の解説本が待たれます。

 まあ、当CEO も多感なころに梅原説に接しておれば古代史の迷路に紛れ込もうとしたかもしれない梅原氏の情熱は強く感じますが、今が当CEO にとっての読み時と思えます。

 『聖徳太子の祟り』と『藤原氏の呪詛』の相克が日本国の骨格形のない精神をつくり、時代時代の肉付けがされてきたという梅原説を否定するつもりは更々ない。

 が、先に挙げた二点の論考の視点であり始点となる美学的解釈部分を外すとエッセイ自体は『一般人読者が感じる権威感(パンピー・アカデミズム)』は消える。

 特に後者の具象の説明自体は資料読み解きの誤解であると、専門分野からは否定されているようだ。しかし、梅原氏はこのエッセイや関連著作での修正もしくは注記の付与をされるつもりはない(完全黙秘の)ようです。

 そして今なぜ、この本が当CEO の手元に現われたのか、と考えると、

『前振りの間違いぐらいで挫折するな!』
『間違った前振りで提起した論旨の先の真実が必ず出現して過去の前振りをかすませる!!』・・・
日本人論的精神論のなかでは「初志貫徹」 >>かなり大なり君子豹変」の価値感の間で振れる一つの解を日本人らしく行動で示してくれているのかも知れぬ・・・なー。

 と、思いながらも当CEO は若き日、日本国自体を含めた若き時代の心情的リベラリズムの限界をプチ豹変させる模索をしている最中です。

 紹介してくださった先達さんありがとうございます。これからもご指導よろしくお願いいたします。

2017年5月31日 (水)

キネマ航空 CEO 「水底の歌-柿本人麻論」からいにしえ(古)をおもふ・・・ついでに「やすらぎの郷」を考える

人生の一時期に多少の時間の余裕ができ新しい知人との交流が始まるのは二つとない幸運である。

当CEO が住む町中から峠を二つ三つ超えた、住むにはそれなりの苦労はあるのだろうが桃源の地にその一人の篤学の士が住まわれる。

ほぼ三か月前に士から特に説明もなく微笑みながら渡された本をやっと読み終えた。

Song_of_water_bottom_1 Song_of_water_bottom_2梅原猛の「水底の歌-柿本人麻論」上下で900ページ弱の文庫である。初出のハード・カバーは1973年であるから当CEO は社会人となっていた。

当時の書評欄では、正確な記憶ではないが内容の要約と、ジェット・コースターのような論文である、といったようなものであったが未読のままである。

新目(あらため ?)て読む機会を与えていただいた論文(梅原氏自身が文中にそう書いている)が文学系出版社の文庫本になるということは?と思いながら読み始める。

篤学の士が黙って渡してくれた理由とはまったく異なるのだろうが・・・これが意外と今現在の世の中を映し日本が返るべき姿を示唆しているように思えてくる。

論文の内容は万葉集の歌人柿本人麻(呂)の「人物」論というより「存在」のプロファイリングである。勿論インタビューはできないから書誌学もしくは文献学と呼ばれる手法が使われる。

対象は手書きであり検証するための比較対象も時の数寄者に再編纂、再編集された異本や国学者の解釈の手書きが残るのみであり通覧すべき一群の原本も散逸されている。また写本が原本と同じどうかの検証も困難な場合が多い

さて、梅原氏は、認知度では大勢を占める(エスタブリッシュメント側の人物)斎藤茂吉、賀茂真淵といった先人による解釈ばかりか、もはや反論できないご本人たちに容赦のない攻撃を加える文体で始まる。

そのあとは、彼らが引用したり無視したりの書誌文献に加えて伝説、伝承を駆使して解釈を改めて原本に戻り推論を立てる。「だろう」から始まり「と思える」、「考える」を経て「違いない」と畳みかける。元は雑誌の連載のようでこのパターンが主題を変え相手を変え文献を変えて延々と繰り返される。

そのうち漢文、古文、万葉仮名など難解な個所を読み飛ばすコツを体得すればまさに悪酔いと快感のジェット・コースターの気分になれることを請け合います。

科学、特に工学と重ねると書誌学による結論の真偽を判定することは極めて難しい。その工学にしても想定外も想定を間違った想定の内となることが証明できるはずであるがなぜかこの国では行われない。

さて、当CEO がこの本でおもひを致したのは論文として示された結論よりも論考の背景となる真の闇があった時代であります。

この本でも「怨霊」の「祟り」と「鎮魂」が幾度か繰り返されます。

思ふに「祟り」は祟られる側(一般に勝者もしくはエスタブリッシュメント側)の受け身の言葉でこれが息づいていた時代であります。

では、敗者または否エスタブリッシュメントの弱者側の言葉では、となると積極性のある「呪い」となるがこの本では出てこなかったと思う。

記紀に絡めとられた弱者には「呪い」さえ認められていなかったのかもしれない。

いや記紀を統べる強者の階層はあまたある「神」をも含めた同じ階層の「祟り」は認めても真の弱者の「呪い」など、はなからないものとしていたの「だろう」。

西洋思想に対抗する「現代の」日本思想の復権は「大和魂」、でもなく、ましてや「武士道」でもない。なかんづく、「呪い」の復権である「と思える」。

倉本聰氏の最新作「やすらぎの郷」を参照しよう。

TV局の社員以外でTV界に貢献した者だけが入れる無料老人ホームの中の有料のバーで・・・

恒例の誕生パーティの参加者が同じ入居者の二人だけとなり中止したら古くからの付き合いのあったホテルから高額のキャンセル料を請求される。

しかし、当てにしていたご祝儀がなくなり払えなくなった自分に落ち込む人気女優だったお嬢(こと浅丘ルリ子)と、慰めているのか呆れているのか、気は合うが口の悪い個性派女優だったマヤ(こと加賀まりこ)。

もう一人の参加予定者、伝説の女優で最長老の姫(こと八千草薫)が嘆くお嬢に「私だって人を呪いたくなることはあったの。これは実際に効果があったのよ」と「ナスの呪い揚げ」の儀式を伝授する。(・・・場所は変わって姫のコテージへ)

タスキ掛けにスッ、スッ、スッ・・・スッ、と皮に刃を入れた長ナスのへたをスパッと切り落しそこに割りばしの先を鋭くとがらせた串を呪いを掛ける相手の名前を叫びながらブチューッと刺し、チンチンと煮たぎる油の鍋に突っ込むのである。ジューッ、グツグツ・・・グツグツ・・・

     よい子の皆さーん ! 「人を呪わば(うなら、相手と自分の墓)(を)二つ(用意してから)」という、教えもあるよ。祟られる側から先手必勝で「呪い返し」もあるぞ、と人を使って仕掛けてくる予告ともいえそうだけど。
     一方、書誌学になぞらえれば語源は仏教かららしい。仏教にも似た加持祈祷の儀式があるがこれは「祈り」であり断じて「呪い」ではなーい!という新興(密教)仏教の古来(エスタブリッシュメント)神道に対する挑戦である、なーんて。
      これらに関連する書誌は自分で探してね。書誌学は些細な想像から始まります。
(閑話は休題)

さて、384人を揚げるつもりのお嬢は、「揚げたら全部食べるのよ」と姫に言われて30人に絞ったものの「とても食べられない」と弱音を吐く。しかし、姫は「一口でいいわよ」といたって柔軟である。(追記:指定のタレは生姜醤油。姫は山葵でも辛子でも柚子でも良いと言うと思う。山椒の振掛けも旨そうだ)

シャーマニズム的な儀式だから、日の巡り、月の満ち欠けの暦も関係するようだが姫は細かいことは気にしない。適当に選んだその当日の丑三つ時になってにぎやかに始まる・・・

ところが翌朝のニュースで30人の中の一人が路上で亡くなったと報道される。時間を再現すると叫んだ時間に重なる。さすがにうろたえるお嬢とマヤと参加した男たち。

しかし、姫は「偶然!そんなことが現実に起こるわけはない!」と毅然として言い放つ。

どうです、交渉では勝てない日本の外務省は秘密の「呪い処」を作るのです。言い負かされたり手ごわい相手の名前(ボクネンジーンとかトンナンチーペーとかDDTとかハナカーラ・チョーチンとかスパッと一発キンチョールンとかムーンウォーキンとか)を入れて叫ぶのです。スッスッ、スパッ、何某ーッ、ブチューッ ! チンチン、ジューッ、グツグツ・・・

相手には見せぬ手の内の儀式を伴った日本の文化的交渉術です。「呪い」が「祟り」になっても西洋文明では「そんなことが現実に起こるわけはない!」のであります。ん?? 東洋人にこの理屈は通らないか?もう、やっているかも・・・。同じ東洋文明だもんね。

昔の日本に戻れ!」と叫ぶ声は「明治維新に戻れ!」と等価のようです。冷静に歴史を見れば「西洋の衣を新調した明治維新」は大正時代を超えて昭和の太平洋戦争の敗北で終わるのですがこれを繰り返すのはいかがなものか。

東洋に限らず大体の政権の施政手段は梅原猛氏の描いた時代と重なる。さすがに今の日本では死を求めることはないだろうが人格攻撃で生きた屍とし文書も言葉も調査する前にすべてなかったことにする。

こうした人事や施政を繰り返していると敗戦を終戦と言いかえる「西洋のシステムの衣を纏わされた日本の心」を抱えた権力は、ないはずの「祟り」が怖くなるの「だろう」。もっとないはずの「呪い」の「共謀」のほうが、もっともっと怖い「と思える」、いや「考える」。そうに「違いない」!

繰り返す歴史の中で、たった十七音を「呪い=祟り」として共謀をでっちあげるような京大俳句事件も再現されるかもしれない。

そうならないように日本精神を謳う国家はまず(もちろん限界は必要だが)呪い」の自由化を立法すべきである。そして「呪い」は「祟り」ではない。「祟り」は「祟り」として「己から始まる」ものとして正しく受け止められる国家であれ!政治家であれ!官僚であれ!

あるべきだ!うーっ・うっ・うっ・・・「今は明るい闇の世だ」、「鶴田浩二だ」、「『傷だらけの人生(YouTube)』だ」!歌詞 はこちら

はぁぁ----------------------------------- (しばしの沈黙)

ん!なんのブログだったっけ!?

ああ、書評だったことを忘れていた。(推理小説あるいは二時間サスペンスのあら捜しに慣れておれば構成自体が何となく怪しげに感じられる)この書(論文)は少なくとも論理の書というより感覚を刺激する書であります。梅原猛氏が歌舞伎の台本をいくつも創作されたことはむべなるかな、であります。

論文としての証明展開に自家撞着があるという具体的な指摘内容(クエッション・アンド・コントリビューション)に対して梅原氏からは開き直りに近い「論点ずらし」で終わらせたままで版を重ねている・・・

梅原氏も弱点として認めることになるミッシング・リングを創出できれば歴史エンタテイメント小説の原案としては面白いのだが、氏がこの「論文」で後年の文化勲章への一里塚に立ったことでは、論争相手を国文学者で知名度のある益田勝実氏 一人に絞った手法など哲学者として弁証法を熟知した氏が「書誌学上の破たん」 を承知した上での意図的なライフワーク・シナリオの一部だったのかもしれない。

論争資料
(1)(2)(3) 。梅原氏が相手にしなかった例は こちら 。梅原説支持論は こちら 。
本体よりこれらのインテリの喧嘩のほうが面白い。梅原氏はなかなかの喧嘩、いや論争上手であります。

) 「書誌学上の破たん」: 歴史を含む書誌学、文献学では客観的な「真実」などはなく、どのみち「新説」から始まる「通説」ないしは「定説」しかないこと。
   「新説」の中には無視というより抹殺される「異説」になることもあるとは承知したうえでなお、当CEO は主観的な「真実」は(論文のような論理とは)別の問題であると考えています。当CEOのブログは「珍説」ですが何か?

   
もちろん「破たん」は、「科学」、特に「利便」とともに身近に「実害」を伴う「工学」でもいえることではあります。ある条件付きの「定説(理論)」を「真実」としながら「想定外」、「未曾有」の言葉の担保で「実害」を「確率」の範囲の内、外、として既定の「真実」をカバー(蔽おうと)する人類の知恵といえないことはないのですが・・・。

書誌学がベースの歴史エンタテイメント小説の草分けとしては英国のジョセフィン・ティによる「時の娘 The Daughter of Time (1957)」があります。小説としてはこちらの方がすっきりとした構成であります。英国の歴史に興味がなくても、こちらも読むべし!

こちらも併せて再読することで篤学の士からは歴史の見方を改めて思い出させていただいたようだ。感謝。

2017年4月 2日 (日)

キネマ航空CEO 心情リベラルの憂鬱。「賞味期限」と「消費期限」を考える の巻

陽気に誘われて久しぶりになだらかな起伏の里山を歩きながら考えた。

「ひと」にとって生きていくうえで大切なものは何だろう。幸い当CEO は「衣」は綴れ、「住」は苫屋ながら不満はない。「食」も粗食とはいえ特に不自由はない。ないが、多くは加工食品に頼ることになる。

「加工」と言えども半生(ハンナマ)らしく「賞味期限」と「消費期限」があるようだ。その違いの最も簡単な説明は農林水産省の「こどもの食育」のページにある。

賞味期限」はともかくとして「消費期限」を過ぎても食べられなくはないが、「食べない」ようにしてください、と自己責任になっている。

確かに食べるものが無くなれば「消費期限」に関係なく食べることもあるだろうし、食べたこともある。「モッタイナイ」を流通段階で繰り返しており、「勿体無い」から横道へ、は過ぎれば犯罪とみなされる。

これに似た期限のある人間関係がひらめいた。選良と選挙人との関係である。

ここで、堪えていたくしゃみを繰り返し、鼻水をすするとそれぞれに違うことも気が付いた。

食べ物は食べたいものを買ってくる。でも、選良はそうでもない。大体の選挙人が他人の嗜好(志向だろうな)で決まる人数の方が多すぎると感じるようだ。

その他人を含め、選ばれる選良の『賞味期限』は選挙の開票時点までで、いったん選挙管理委員会の当選証書が発効されれば、選んだ選挙人にはそこであっさり期限切れとなる。

そして(誰が呼ぶのか代議士)先生となった選良の『賞味期限』は官僚、財界、学会、組合、政党といった大金を動かす組織、団体が決めることになる。もちろん、先生の言動、行動をヒーロー、ヒロインとして憧れるネット・パトロンは金はなくても賞味を続けられる。

(注)ネット・パトロン 《語源》 patron behind the computer network 【略】ネパト:対象に敬意や称賛を表すというより、その対象の相手を攻撃することが多い。対象自身に声なき声を聞くよりよりずっと心強い支持者と感じさせる。近い日本語では「贔屓の引き倒し」のご贔屓筋。《類似音声語》ネット・パトロール net patrol 【略】ネトパ:正しくはサイバー・パトロール cyber patrol 【略】サイパ。・・・(採録日2017年4月1日)

さて、多くの選挙人は選良を『賞味』するにもテーブルは最早遠く、メニューさえ読めない。

とは言え、法律でその『消費期限』は 4 年とか 6 年とかと決められている。理由は人事の刷新、初心に帰るためである。

しかし、効果があるのかないのか議院内閣制は政党内閣制でもある。

ある政党の総裁任期は 3 年のようだ。理由は分からぬがどうも選挙前の党内固めの猶予のようである。で、同時にスタートして順調に進めば最小公倍数の 12 年で一周する。

干支でもあるまいし、と内閣の首班となった総裁には法律で「国会解散権」が授けらる。いっぽう、「内閣総辞職」のカードもあるが、解散恐怖症の野党にも、地固めのできない与党派閥にも、行使させる力がない場合もある。

その結果、どちらにも挑戦者がいないと「『任期』は『人気』、『賞味期限』のおこぼれもある。こちらは法律じゃないから勝手に倍の 6 年にすればいいじゃないか」ついでに「一代特例ではなく恒久特例(党紀改変)も」となる。

人事権の集中が長くなると権力が集中し忖度された情報にまみれて驕りにつながる。驕りという「情」は権力者には焦りという別の概念で取り巻く小物の言葉に早く出る。

結局のところ選良の『消費期限』は選挙民が自ら自己責任で決めるしかない。これが『民主主義』である。選ぶだけが『民主主義』ではない。

ここで、心情リベラルの憂鬱が始まる。

米に(限らずだが)民主主義体制の下で民主主義の形式を手段とした指導者の行なう断絶を伴う変化(ある種の革命)が始まっている。

革命的思考の民主主義指導者に対する『消費期限』の宣告は民主主義でできるのであろうか。

その動きは少なくとも米国では見え隠れしているが背後で行われる取引は更なる混乱も引き起こす可能性もある。

日本のあなたなら指導者の『消費期限』はどのように宣告しますか ? 日本の草の根民主主義に対しての『消費期限』宣告は幸か不幸か鮮やかに行えたのだが。

ここから先の日本の行く末は、日本が国際政治のパワーゲームに登場してからの、いやそれ以前からの歴史の問題なのだが、リベラル新聞に登場するリベラル論者の論調はできもしない鎖国待望論のようである。(例えばTTPに反対し、それが叶うと二国間協定に反対するなどなど)

すなわち、(「見えないものは存在しない」に落ち着く)中国や北朝鮮の中に居れば幸せ論に近い。「見えているのか、見えすぎて見えていないのか」韓国は民主主義の最も進んだ国、論には驚いた。

歴史にまつわる思考は長くなる。機会があればいずれまた。

フェックション !! (《さんま氏の引き笑いに似た》息を引いた声を加えてあと3回繰り返す)ジュルルー
万朶の櫻の花粉症はつらい

2016年12月12日 (月)

キネマ航空CEO 民主主義を映画から考える。『後出しトランプの巻』後編

前回『後出しトランプの巻』全二回の前編 を念頭に置いてお読みください。予告の副題、「かなりの事は映画から学べる」、です。

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さて、当キネマ航空 003便 にて上映中のある映画の終わりに次のような一節が挿入されます。

Don't rejoice in his defeat, you men.
For though the world stood up and stopped the bastard,
The bitch that bore him is in heat again.
                          Bertolt Brecht

ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトのドイツ語詞の英語訳からの引用であります。字幕では・・・

諸君、あの男の敗北を喜ぶな。
世界は立ち上がり奴を阻止した。
だが奴を生んだメス犬がまた発情している。
               ベルトルト・ブレヒト

では、his defeat him の「=あの男=奴」とは誰なのか?
映画は1943年の欧州東部戦線南端のクリミア半島を敗走するナチス・ドイツ軍の小隊を描きます。したがいアドルフ・ヒットラーを指すのは自明の理ではありますが、元となった出典は・・・

Das da hätt einmal fast die Welt regiert,
Die Völker wurden seiner Herr. Jedoch ich wollte,
dass ihr nicht schon triumphiert:
Der Schoß ist fruchtbar noch aus dem das Kroch.
          Bertolt Brecht: Der aufhaltsame Aufstieg des Arturo Ui, 1941

で示されるように戯曲『アルトゥロ・ウイの興隆 それは抑えることもできる』の一節です。

創出された1941年は、ナチス・ドイツが奇襲でソビエトに侵攻(6/22)、日本では(4/13)の日露中立条約締結、つづいてパール・ハーバーをこれまた奇襲攻撃(12/8)によってとりあえずの宣戦布告をおこない、日独伊三国同盟(1940/9/27)により連動して独伊vs米の双方からの宣戦布告が行われて第二次世界大戦となった年になります。

作品は、もちろん戦後に日本でも何度か上演されているようですが当CEO は未見。

ただし、現在から見ると主題は him ではなく、『生んだ雌犬』は何のメタファー(隠喩)なのかになります。少なくともヒットラーの母親を指してはいない。

したがい同時にブレヒトが描かなった『生ませた雄犬』は何か、も考えなければならない。

仮にMr. Thim と仮定すると「彼」も、また「」も「民主政治」の手続きに乗っ取って選ばれた。

日本のリベラリストは、有権者の数を「彼」に「投票できる層」にまでに成長(衆愚と呼ぶからには増長)させたのは「資本主義」と決めつけるのであろう。(正確には「彼の選挙人に」だが、選挙人は彼に投票しなければならない義務ないし責任はない)

しかし、厳密には「資本主義」や「自由主義」ではなく「富の再分配の不平等」であり、「共産主義」でも「独裁政治」でも同様に存在する。後者では「投票権を持たない層」に過酷なまでに薄くなるだけである。

自由主義」をうたう国においては『雌犬』は「富の再分配の不平等)」であり、『雄犬』が「民主主義のシステム」として見ればどうでだろう。

どっちがどっちでもいいのだが、「共産主義」の国では『雌犬』も『雄犬』も、いるのかいないのかは、だんまりを決め込むほかのリベラリストやコミュニストにお任せして・・・

ポリティカル・コレクトネスからもジェンダー論者からも、当CEOは下品、と批判もしくは無視されるだろうが、これからを担う若い有権者には、W・チャーチルを引き合いに出すまでもなく「この程度のいかがわしさが『民主主義』である(その中で最良の方法でもある)」と勉強あるいは教育をし直した(己も含む)逃れられない定義が必要と考えられる。

コミュニストはいざ知らず、リベラリストの望む安定した政治システムは「論理・倫理・道徳に基づいた(地球規模の、もしかすると宇宙規模の)寡頭政治もしくは独裁政治」となるのであろうが、彼らが理想の指導者の範とするのであろう Mr. C の棺は蓋われ、 Ms. M の選挙は2017年に行われる。

鎖国政治が行われた(を行わされた、か)C国は「富の再分配」が破たんし、D国は原発を廃止しても、自らが主導するE連合の中の隣国のF国から原子力発電の買電をおこない、弱者を無制限に受け入れ、E連合に押し付けもした結末はどうなるのだろう。
(言わずもがなのA国とB国は省略)

そして許容し納得できる民主政治が行え、民主主義が浸透できる社会の規模や範囲はJ国ではどれくらいなのだろう。

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ベルトルト・ブレヒト(1898-1956)
ドイツ(第二)帝国(バイエルン王国)に生まれ東ドイツで没した。

16歳(1914)の詩作が残り、21歳(1919)で劇評や舞台劇の執筆を始める。28歳(1926)ごろから資本論に傾倒しマルクス主義者となる。(以下年齢は西暦下二桁 + 2 )

1933年に著作は発禁・焚書となりナチス政権による第三帝国(1933/1 - 1945/5)のドイツ市民権をはく奪され、欧州を転々としたのちソビエト経由でアメリカに亡命(1941)。

戦後アメリカでは非米査問委員会の審問(いわゆる赤狩り)を受けた直後(1947)に出国。フランス経由での西ドイツ入国は拒否されて、スイスを経てオーストリアに移り国籍を取得(1948)。

同年にチェコ・スロバキア経由で東ベルリンに入り劇作家、詩人として西側からも評価を受ける。

映画に一節を引用された『アルトゥロ・ウイの・・・』はナチスの勃興をアメリカのギャングの抗争に置き変えた舞台演劇。
(映画は西ドイツの小説からの脚色であり、こちらに引用されていたのかもしれない)

彼、マルクス主義者のブレヒトが宗教を認めない共産主義の原理派だったかどうかは分からないが、『雌犬』を処女懐胎の聖母マリヤに掛けた「キリスト教の文化」と読めないこともなさそうだが・・・どんなもんだか。

ちなみに共和党は、キリスト教色の強い保守政党とされています。

なお、同映画のドイツ語版では以下のようになっていました。英語ではわずかに脚韻の名残があるようだが、こちらではしっかりと頭韻、脚韻を踏んでいる。

Die Völker wurden seiner Herr,jedoch
Dass keiner uns zu früh da triumphiert-
Der Schoss ist fruchtbar noch, aus dem das kroch.
                                          Bertolt Brecht

ただ、原文からはかなりの省略があるようだ。

日本語訳は英語訳からであるがドイツ語ではどうなのか(少し違うようだ)、が解ればいずれ校正するつもりです。

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ここで紹介した映画は、技法も含めて従来の「劇的演劇」を否定したブレヒトが主張する「叙事的演劇」に近いと思うのですが一部の戦争映画フリークの間で「劇的演劇」的にしか評価されていないのが残念。

リベラル層の再評価を期待して、『後出しトランプの巻』 全二回 完

2016年12月11日 (日)

キネマ航空CEO 心情リベラルの憂鬱。 『後出しトランプの巻』全二回の前編

このタイトルも気が引けるが投票結果を受けての情報や論評で思ったこと徒然であります。

副題は「かなりの事は映画から学べる」(キネマ航空のコマーシャル)、として次回になります。

当CEO も、Ms.ヒラリー・クリントン(Ms.C)が僅差で「制」すると思っていた。しかし「征する」はあり得ない。

当CEO は Ms.C が大統領になったら、そうなったあとが恐ろしいと思っていました。アメリカの政治は Mr.O 以上に停滞したことは間違いない。

Ms.C が落選した理由は「ガラスの天井」とすり替えられつつあるが現実にはアメリカ人のリベラルの間にも厳然として残る愛国心である。

個人のアドレスをメール端末として国家機密を扱っていた政治家が、例えポピュリストと呼ばれ、シロート同然の政治家気取りを野(や)に置いたままで政治ができる時代なのか、はリベラル支持でもインテリならば十分に承知しているだろう。

日本のインテリの多数が脳裏に秘めている『マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや』(寺山修司)は米国のリベラルの想う祖国ではないことは事実である。

FBI が選挙投票日の直前になって、僅かながらも Ms.C の優勢と伝えられた時点で 疑惑の再調査を行ったのも、個人のか、集団のかは、さておいて民主党の思惑ひいては政府の意思が働いたと考えていい。

かくかくにの思惑でジョーカーとして Mr.ドナルド・トランプ(Mr.T)を登場させた。1946年6月生まれだから70歳であり2期務められるかどうかは定かではない。

70歳を越えて就任した大統領はいない。もっとも近いのが69歳12か月の Mr.ロナルド・レーガンで、1期目の暗殺未遂を経験し再選、2期を全うして77歳12か月で退任した。

この後は政権与党となった共和党が自由主義の党としてのチェック機能を行使できるだろうか、または Mr.T をしてレーガン大統領の轍の上を歩ませるのか、が今後のアメリカの注目点になるだろう。

以上を前置き、として・・・

どうも日本のリベラリストの論評はアメリカに反発しながらもかつての映画、加えてテレビのホーム・ドラマで描かれたアメリカ社会を前提とした画面の外には存在しない民主主義の原理をリベラリズムとしているようだ。

日本のリベラリストからは民主主義(デモクラシー)の対義語として衆愚政治(ポピュリズム)というキーワードで語られる。

Mr.T の発言のうち TPP の未承認は日本のリベラリストからは歓迎されるはずだがそうでもない。

核の傘からの自立」は日本のリベラリストとしても望んでいたはずだがこちらもそうではない。アメリカとは自分から縁を切るのは良いが切られるのは嫌なようだ。

日本のリベラリストがよって立つ「民主主義」も、暗黙の、したがい個々にとってはそれぞれの定義、でしかない。

日本でもそろそろ「民主主義の定義」を実態に合った「身も蓋もないもの」に定義し直して再構築する時代に入ったと考えられる。

民主主義」の最小要素は個人の自由な生活である。だが、ただの主義だけでは生きていけない個人の生活を支えるのが「民主政治」となる。

したがい、「民主政治」の本質的定義は、「自分の思い通りにしてくれる代理政治」と言える。

有権者を煽動したのがジョーカー(Mr. T)であると定義しても(特に日本人の)リベラリストが選挙結果を衆愚政治と呼ぶのはいかがなものか。

選挙結果は、『選挙権のある生活(弱)者』の行動結果であることは「民主政治を実行する構造」そのものといえる。

選挙権のない日本人が投票した彼ら(衆)をおろか(愚)として蔑み貶める(さげすみおとしめる)ことが日本人のいう東洋の思想なのかを問い直さなければならない。

むしろ、ディベートの場に国家機密保持のルールに背いた政治家しか送り出せなかった政党の方を「大衆愚弄の衆愚政治」と呼ぶ方が正しいとも思える。

(実行されるべき)「民主政治」には、理想からもたらされる論理的、倫理的な補足の定義を多数存在させることでようやく(実行は保証されない)「民主主義」として成立している。

その定義自体の意義はともかく、実効性を失いつつある。

唯一の抑えは与党上下院議員の理性の数(多数決が民主主義を支える制度だからね)であろう。さもなくば・・・Mr. Jorker が書き換えた旋風予想天気図には吹く風、吹かぬ風があるはずだ。

吹かせられぬ風が、あるいは吹かせた風が、アメリカに時々起こる事件を引き起こさないと言えなくはないことはないのかあるのか。

多重否定の悪文だなー?どっちなんだ!
書いてる本人も分からなくなってきた。あとは読者の読み解きにお任せします。

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翻って「党議拘束」という知性を放棄した議員で支えられている「議院内閣制」の我が国ではどうなのだろう。我が国の「民主主義」は、はるかに高度な「大衆愚弄政治家」を選んでいる「民主政治」と言えそうだが・・・

『後出しトランプの巻』 後編に続く

2016年9月20日 (火)

キネマ航空CEO 陰謀論は楽しい!上有対策、下有政策?の巻(全編閑話)

2016/09/25 公開校正と加筆を終了しました。とりあえず、これを以って決定稿とします。

 陰謀論と言えば「太平洋戦争はルーズベルトの陰謀」説がある。「チャーチルの陰謀」説もある。全般に海外のジャーナリストや歴史学者の本やその翻訳がベースのようだ。

 Webでは、ここから引用したり、パクったり、で自説を構築する若い人たちもいる。しかし、「陰謀に乗っかってしまった、その前に陰謀の元ネタを作っちまった、日本(人)の無能あるいは限界」説と併せた論考はしていないようだ。「それを自分で言ったらお終いよ」の究極の自虐史観の裏表なのだろう。

 史観と、重々しく他人の口から浴びせられるが、発音すれば「しかん」、言ってる本人の私感と大して変わらない。

 でも、陰謀論って楽しいんだろうな。で、当CEO もやってみようと思う。

 さて、最近の事例では、「せいふ」(以下、お上)に対する日本の自動車メーカーの燃費偽装申告による認証について・・・(以下、ご承知なら----までとばしてね)

 燃費の値そのものは実用上にはほとんど無意味なのだが、お上は技術上の認証制度と燃費値による分離課税率とを絡めて新車への更新政策をとっている。

  この事例でほとんどのジャーナリズムあるいは自動車評論家は珍しくも「けいざいしんぶん」以外の瓦版もこぞって「お上」に対する虚偽の申告は「りょうみん」に対する冒とくとして論陣をはった。

 概要は「みつびし」の申請値は会社組織による捏造値であるとの内部告発に始まり、「お上」から業界団体に対して行われたヒヤリングで「すずき」が申告値の基となった走行抵抗はお上のご指示と異なった個別実験データの積上げ値だったと報告し、この二社が瓦版の標的となった。

 「お上」はやりたくもない検証実験を行った結果、「みつびし」は申告された全機種にくわえて対象機種以外にも(会社ぐるみの)不正の存在を実証してしまった。

 いっぽう「すずき」には、全機種に申請値よりかなり優れた実験値のお墨付きをお上から下しおかれることになる。

 お上の振り上げた拳は、一応の無罪の通達だが、「お上のお触書通り」に行わなかった罪、という理由で今後の申請に当たっては(他社より)厳しい審査を実行する、という時代遅れの「大岡裁き」めいたお達しで幕が引かれた。

(ここまで前振りね・・・長いな)

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 さて、陰謀論はここから!

 発端は、「みつびし」からの内部告発であったらしい。こうした場合、お上は業界団体のまとめ役にまず腹の探り合いを持ちかける。

 相手は「とよた」である。T社などと書かないで平仮名を使うのは実録を書くつもりなど、はなからない、からである。

 自動車会社の技術部門と品質部門と購買部門の際(きわ)になる狭間(はざま)には、競合メーカーの競合車種を市場から調達して性能を徹底的に測定し分析し、さらに分解して部品の精密測定を行い、ものによってはさらに復元できないまでに切断して精度のレベル、さらには材質からコストまで推定する隠密部門もしくは組織を持っている。

 「とよた」はかなりの予算を使って、それこそ全世界の主要な大量生産車種を系統だって調査した情報の集積を持っている(持っていないとおかしいのですよ)。

 当然、「みつびし」車の公開情報と実性能の乖離は十分に承知していたと考えていい。

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 「とよた」は考える。省庁お大名に匹敵する業界の大名主、大庄屋として、これまでのようにお上と計らい穏便に収めるかどうかと。

 決断は公(おおやけ)にする、を選んだ。結果、お上は予算があまってたのか、事後対策に奔走することになる。

 「みつびし」を叩くことは、お上の影の政策(Shadow politics)である日本の多すぎる自動車産業の統合(実際は整理の)政策に手を貸すことになる。

 かなでほん忠臣蔵なら「あさのけ」は見当違いの「きらさま」に報復できるが、今回ばかりは、とばっちりを受けた平侍、足軽、雑兵は(お家の存続など二の次の)雇われご主君様、ご家老様、お目付衆の重役方を恨むしかないのである。それでも納まらないのは抱えるものが多くて逃散もできない「あさのけ」に連なる農民町方衆である(逃散:江戸時代の農民の抵抗手段)。藩札を現銀化する「おおいしさま」は「みつびしけ」にいるのか。

 たとえば、「みつびし・じどうしゃ」とは何の関係もなくなったが、かつての親会社の「みつびし・じどうしゃ」より更なる悪名の残る「みつびし・ふそう」は今は外様の「だいむらーけ」の連結子会社である。ディーゼル・エンジンの商用車で「とよた」の連結子会社の「ひの」や資本関係のある「いすゞ」と競合している。

 そうなれば、実行できる力のある下(しも)の決断は早い。資本主義の中での私企業の本能でもある。上有政策が上有対策に走っている間に下有政策を実行しながら下有対策を装ってお上の政策をお手伝いする。

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 しかし、お上のヒヤリング(つまりご威光による丸投げ制の自己申告)で「すずき」が手を上げることを「とよた」が織り込んでいたのかどうかは定かではない。

 ただ、「すずき」は「とよた」や「よりあいしゅう(こうぎょうかい)」への仁義は尽くしてからお上に申告しているだろう。

 「とよた」が「すずき」の小型車はともかくとして、自社の隠密部門で軽自動車を頻繁に調査していたとは思えない。しかし、熾烈なシェア争いと燃費競争を行っている連結子会社だった「だいはつ」が同様の調査を実施していることは間違いない。

 では、なぜ「すずき」が自己申告に手を挙げたのか、「すずき」が「とよた」の高級車を調査することはないが、「だいはつ」の競合車は徹底的に調査して、そのお互いの手の内は分かっている。

 むしろ自己申告した背景となった事実を既にお上に知られていたのかもしれない。おそらく、ゲームの理論、中でも囚人のジレンマの中で「だいはつ」を同じ土俵に上げようとしたのであろう。

 お上も常に江戸にいるわけではない。役得もある関八州見回り役の監察(のまね)ぐらいはやる。今では新幹線も飛行機もある。「すずき」へだっていく。設備の説明も受ける。技術者とも会う。

 「すずき」が偽装に使ったとされた技術は既に公知のコンピュータ・エイディッド・エンジニアリング(CAE コンピューターに支援された開発技術/確立には膨大な時間の計算と実験による整合性の確認が必要になる)であり、「とよた」も熟知しており、間違いなく使っている。お上だってそんな技術の存在は先刻勉強をしている。

 「とよた」は「すずき」の技術レベルと市場に対してのデータ偽装にならないことを「だいはつ」を通して承知しながら、「すずき」に自己申告に隠れた業界の内部告発者となる因果を持ち掛けたのかもしれない。

 同時に、孤独な晒し者の「みつびし」には心理的な安堵と油断の呼び水を与えることにもなる。人間も組織も弱者に対しては異常な強者にもなれる。

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 認証に、一々の実測データをもって申請する時間と手間を含めたコストは多くのライン・アップを抱えるメーカーにとっては膨大な負担である。

 お上が身をもって実証した「すずき」の「CAE の使い方はお上のお定め書に対する違反」のみであり「お上の実験値は全車種で申請値より良好であった」という「技術上のモラルが業界に存在する」事実をメディアを介して下々へ公知させる、またとない機会となる。

 つまり、申請機種を代表する車種にのみに実測データを添付することでCAEのデータを申請資料に使用できることを法令化するディール(取引)である。

 もちろん、申請データに不審があれば(上納金は必要だろうが)今回のようにお上が実測する責任分担を付けて。

 そもそも、社会の中ではカタログとビッグデータの統計値の中にしかないメーカーとカスタマーとの間の暗黙知である燃費の値を課税額の対象にすることで生じるお上がとるべき責任のありようを迫った。

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 発端となった「みつびし」を対象とした内部告発があったのかどうかは問われない。内部告発者は最大限の保護を保障することがお上の矜持であり堅持されなければならない。

 同時にその中に陰謀を潜ませることもあり得る。追及された両社の対照的な差は業界内での正義や序列の問題も含んでいる。もちろん業界とお上の双方にとっても。

 したがい、お互いに開示し合ったかどうかは分からぬが、「墓穴を掘った生贄」の存在を共有する相互の暗黙の判断による個別的共同陰謀論は成立する。

 お上にも「すずき」と競合する「だいはつ」を比較対象車として調査対象に考えた技術職がいたかもしれない。

 しかし、お上の仕事は受理された文書の整合性の有無のみである、と上司に止められる。やろうとしても「とよた」の不同意に阻まれたであろう。

 「だいはつ」は2016年8月1日に「とよた」の完全子会社となり上場も廃止された。

 そのお上が認めた「すずき」の燃費性能はソフト・ハイブリッドなどの技術で成立している。いっぽうで、普通のしかも同じ排気量のエンジンの燃焼や駆動系の改善と、同じ規格内の車体軽量化で同等の燃費性能の申請値を実現できるのか、の問題がのこる。

 結局のところ、「すずき」の採用したギミック自体がその程度の技術なのかもしれないが、e-燃費と呼ばれるビッグ・データではかなりの差があるように見える。

 「とよた」がこの問題でお上に口を出したかどうかは分からないが「とよた」の本心は別にある。

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 「とよた」が「だいはつ」の株式を100%所有し自社の一部門にしたのは「すずき」の「いんど」の市場がほしい、の一言に尽きる。

 燃費偽装疑惑の公表とお上のお沙汰はマスコミ瓦版の高性能マッチと貧弱ポンプにより軽自動車の市場を冷え込ませるそれなりの効果があった。

 「とよた」とっては「すずき」の思惑の成否などに関係なく抑え込み、「すずき」は情報公開の手腕は拙(つたな)いが技術に関しては正直な会社であるとの信用を世間に残し、同時に新規認証車の投入が遅れるというボディ・ブローを与えて軽の市場の縮小を早める方向性を業界関係者に知らしめた。

 同時に、にっさんには、みつびしとの協業、特に軽自動車主体の国内事業の先行きに冷水を浴びせた。にっさんはOEMとの比較を再度せざるおえないだろう。

 次は「だいはつ」を通して直接コントロールできる軽市場の縮小整理に伴う「すずき」へ繰り出すパンチを隠して、いよいよ本丸である「すずき」を持ち株会社として進む「いんど」への道である。そんなに急ぐことはない。

 いまのところ、「とよた」にとっては、「すずき」はしっかりと独立した社会性のある会社、でなければならないのである。時は移ろうのだ、急ぐことはない・・・ただ、

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 陰謀論はいくらでも紡げる。

 にっさんみつびしの虚偽申告を知る同様の組織や機会などの背景はあるはずだが、 どこまで他社の品質を独自調査していたのか、るのーけ の傘下で技術情報の蓄積は機能していたのか、OEMの場合の自社確認はどうしていたのか。

 陰謀論の引き金となる内部告発には、みつびし のすべての情報を承知した にっさん、正確には、るのー の日本の国内市場など捨てた世界戦略が背景にあるともいえる。これにより みつびし 株の市中価格が落ち込むことは間違いない。

 上記は、それに対する とよた のカウンター・インテリジェンスともいえる。にっさん みつびし の海外シェアを手に入れる時には すずき いんど を確実に手に入れておかなければならない。

 それも、虎視眈々と狙う各社の追い上げに捕まる前に・・・

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 どうです?三菱自動車が市中に公開した(商品を含む)情報を分析する各社の能力を駆使した「真田丸」よりはるかに壮大な調略合戦の陰謀論ですが信憑性はどうでしょうね。

 VWのディーゼル車の排ガス燃費偽装もアメリカの大学の研究室が(輸入された)「市販」車から手がかりをつかんで暴かれている。

 それよりも、三菱自動車は、なぜ「偽装はばれない」 と信じていたのか、とマスコミに問うほうが先のように思えます。

 がそのマスコミも含めて、皆が皆、陰謀(論)とやらに巻き込まれる大日本帝国と同じ構造なのかもしれません。何とかムラの中にいるのでしょうかね。

 それにしても、VW に比べるといかにも幼稚な手法は、意外に手の込んだ戦略的(?)黙認の陰謀で、今更どうにもならぬ憂き身を日産に「ミツビシ」ブランドと一緒に一切合切の丸投げ身売りで花道を飾り退場するために、わざと・・・

 いやいや、お上の測定データ自体が政策的捏造だとする陰謀論だってあるかもしれない。

 ね!部外者にとって、陰謀論はアホらしくも楽しいでしょう。

2016年7月 4日 (月)

キネマ航空CEO 衆愚政治を考え、イギリスと日本の未来を考える (全編閑話休題)の巻

EU 離脱を問うイギリスの国民投票による僅差の離脱支持の結果は、「衆愚政治」そのもので、実施した保守党の党首であり首相の責任とする論調が強い。

事実、僅差であったことを考えれば「勝利」を前提とした策であったことは間違いない。しかし、日本を含む迷惑を被る側からは代議制度の機能を放棄したということなのだろう。「だから、衆愚政治」だ、の論旨でかたずけてはならない、と当CEOは考える。

「民主制度の成熟度をしる唯一の手掛かりは(開かれた)「選挙」による「代議制度」での(反対意見への真摯な)「討論」による「評決」である」ということになる・・・と学んだ遠い記憶がある。

ただ上記のくくり( )の内は、なくても民主制度と言えるようだ。中国や北朝鮮はまさしくそう主張する。

問題なのは後者の( )のなかで「意見が通らないことを知っての反対のための反対意見」に対応するのが民主政治、となると、残念ながら日本にも当てはまる。ある意味では代議員の質が低下して対案を「レトリック」として表現できなくなってきたとも言える。

以下、選挙絡みの表現もあり。投票日後に拡大いたします。無理して読まないでくださいね。2016/07/11 解禁しました。

生放送による公開討論会に出席した共産党のイメージ戦略用イケメン役員が少なくとも一般的には暴言と言える言葉を発して、他党からの取り消しの要求に対し拒否を重ね(ざるをえなくなり)、事後に慌てて委員長(同党のCEO)が党の見解として「その言葉の真意はこうであり・・・」と、なんだかうやむやな謎解きして、党役員ならその真意を元にしたレトリックを使って討論会でいえばよかったはずのイメージ戦略担当役員の辞任で決着をつけた、

その共産党も人間の党でありますね。ここで離党処分にしておけば前例の模範になっただろうに。えっ、再就職先 ? 社民党が拾ってくれますよ。こちらの党との共闘がお似合いなのだが・・・だけどこちらは共産党が相手にしたくないようだ。

かけ違いの共闘を行う民進党も同席した女性幹部は党としては抗議するところを助っ人一家への義理でパスしてしまい、イケメンの新人がかましたスタンドプレー一発でオウンゴールを決めてしまいました。以降のこの二項対立の討論では両党の歯切れのわるいこと。(おちゃらけ文章は切れが悪くて長くなるなー)

さて肝心のイギリスの、というより民主主義がよって立つシステムが持つ「民主主義 = 代議制」 は棄権(投票率)で守られている本質を明らかにしてくれました。

すこし乱暴な言い方をすれば、代議制の選挙で日本やイギリスが採用する小選挙区の存在理由は本来なら全員参加の国民投票制の手間を省く中選挙区複数当選制が持つ民の声の「」を拡大させて、できれば安定化を図る良くも悪くも 1 か 0 かのデジタル・アンプ(増幅器)として棄権者を含む有権者を納得させる役割なのであります。

選挙制度に深く立ち入るのはやめるが小選挙区制には政党の二分化を促進する効果を促す機能が期待された。しかし、二大政党が成立しない日本では議員同士の見かけ上の相互保障なのか、反対意見を取り込んでいるのよ、のジェスチャーなのか、ブロック選挙区比例代表制という中途半端な制度を伴っています。

イギリスは実に6種類の選挙制度を併用しているようだが国会は小選挙区制を採用している。小選挙区制は二大政党の間での僅差を拡大して政権を安定をさせ、あるいは逆転して政権を交代させるシステムの一部となる機能を維持している。

その中で政党数の増加もあり、決めるべき懸案が決められない時代となってきたこと、すべき討論が実行できなくなってきたこと、を憂慮したキャメロン首相がめったに行われない国民投票で国民の総意を引き出そうとしたことは間違いないと考えられる。

当CEOはこれまで「戦争論」だの「文明論」だの、のご託を並べた中で「」「」「」についてこれまたご託を連ねてきた。

また、その上に立つ「」とか「」とか、数が集まれば時には宗教として、時には政治として、時には曖昧、時には危険な、しかし、本来個人として持つ「人間の根源的なよりどころ」を重ねてきた。

政治も、その延長である戦争も、根底にあるのは「」であることは、これまで述べてきた。アンプの付いた代議制の選挙で「」が論点の決着を図ることはどちらに転んでも、なお国に残る「」の危険性にキャメロン首相が気づいていたならどうであろう。

EU からの離脱を僅差で選んだのはまさしく「」であったことは、国民投票の再実施の請願や離脱派指導者の虚言にだまされただのと「衆愚」を強調する報道で晒されることになる。

民主的な「代議制度」の「国政」や「選挙」で、この「」を抑え込むのか、あるいは「」で引っ繰り返されるのか、の二項選択に、時の「政権」が賭けることになるとすれば、国民投票の結果のみで「衆愚政治」だの「首相の無能」だの、と、仮にイギリスの報道からの受け売り、あるいはその読み解き、であっても傍(はた)から言っていいのか、ではなく・・・言った己の「民主主義の本質」が問われているのであります。

共通通貨のユーロ制に加わらずポンドを堅持してきたイギリスはイギリスらしさを保つ可能性の最後の機会に賭けたといえる。その結果としてイギリス国民に国の方向性について「覚醒」させたともいえる。

このあたりは、人口の減る日本を考えた民意に逆らう痛みを伴う消費税率改定を選挙を経ずに先送りにする方がはるかに衆愚政治に(正確には大衆愚弄統治に)近いといえる。まあ先の短い老人にはありがたいけどね。当CEO なぞは「覚醒」などお呼びでない「半覚半睡」が似合う年になってきました(閑話休題)

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大陸ではドイツは東側を吸収した雌伏の時をしのぎ、EU 時代を迎えフランスとの蜜月のリーダーシップを牽引する至福の時代となりました。この中でイギリスは独仏の仲介役として残留する政治的な意味はすくなくなります。

東洋のというより日本の情緒的 O-Tsu-Ki-A-I ができればいいのでしょうが、国益を守る外交的関係を選ぶのが当然・・・日本がこちらに弱いのも当然、でもあります。

(東洋思想が優れていても残念なことに実践の現場では言いつくろう手段になることを中国が示し始めている・・・まあ、日本も通った道ではありますが、異を唱える日本の東洋思想家はいないのか、ダライ・ラマの影に隠れているのか・・・)

経済的には、英国が大陸と抜き差しならない関係ができていることも背景にある。おまけにドイツはナチス時代のトラウマでか、ほぼ無制限で人権至上主義的な難民受容政策をEU 内に掲げてリーダーとして参加国に押し付け始めてしまった。

したがい、イギリス以外に離脱を仄めかす、背に腹は代えられないのだが変えざるを得ないジレンマの国も出てくる。

(この辺りは日本は東洋的なのか日本的なのか西欧的なのか、巧妙に振る舞っています)

すなわちイギリスの「」は「大陸のそばの島国」を選択することになった。「英国は日本化を選んだ』 のだ ! 」、なのだ !  もちろん韓国をフランスに並べるには格下にすぎますがね。

ここで気になるのは、EU 発足(1991)当時の日本のマスコミの論調は思想的背景を形作った一人とされるリヒャルト・ニコラウス・栄次郎・グーデンホーフ・カレルギー伯の出自からのフレーム・アップと言える「日本の精神が欧州で開花した」といった論調の流れのなかでの分析が見られないことである。

分析できないようでは、「日本の精神」は日本人が信じる「日本の」に過ぎないことになる。異なる文化で「異なる」が理解できない相手を日本人から「衆愚」と決めつけるのは不遜であろう。
(まあ、中・韓に対しては言いたくなることもありますがね。これはまた別の機会に)

とはいえ、あるTVで若い評論家が政治を動かすのは「」ではなくて「」であると強弁していたが、しかし、その真意の「謎解き」がなかった。だから一方で田中角栄元首相が見直されるのか、と妙に納得した一週間でありました。

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イギリスは政策上の間違いとされる歴史上の思惑違いは多々ある。第二次世界大戦前のチェンバレン内閣で、対ソ戦略上の時間稼ぎがナチス政権によって裏をかかれたことがまずあげられる。(その前のサイクス・ピコ条約などあらゆる歴史認識の共有化には「遡求欲求」が必ず表れるのだろうけど、当CEO はパスをして・・・閑話は続く)

これによりチャーチル内閣が発足し、強力なリーダーシップで本土上陸の前哨戦であったバトル・オブ・ブリテンと呼ばれる航空戦を征し、アメリカの国力(兵力、生産力)を基にしながらドイツの半分まで巻き返したのだが戦局の帰趨が見えてきたときには英国民は戦争が終わる前の選挙であっさりとチャーチル卿を切り捨てる見識があった。

CEO の得意分野の飛行機絡みではホイットルが心血を注いだジェットエンジンの発明は重大視されず特許を公開してしまい、実質的なメカニズムの標準化と実用化は敵国であるドイツに先を越された。

このときは先行者の知見と戦勝国として残っていた国力の差で航空用エンジンのパラダイム転換に対応できる国の面目は何とか保てたのだが。
とはいえ、イギリスの無策のおかげのナチス・ドイツの成果は米英仏ばかりかソビエトから中国へ広がり、加えておこぼれ(写真と断面図)が日本にも回ってきたのだった。

イギリスは、日本のパール・ハーバー攻撃に連動してドイツの行なった対米宣戦布告をてこにしたアメリカが対独宣戦布告をする前から孤軍奮闘中のイギリスを援助する軍事物資貸与法に基づく交換品としてホイットルが開発した初期の改良型 パワー・ジェット W.1X ジェット・エンジンを供与し、戦勝国になるとその完成型となるロールスロイス RB.26 ダーウェント RB.41 ニーンをソビエトに有償輸出して外貨を得ている。

輸出売却の建前はジェット・エンジンとしては今後の主流となる軸流式の圧縮機より劣っている遠心式圧縮機を採用したいわば旧型でした。なお、ソビエトがすでに軸流式圧縮機の BMW 003 を戦利品として手に入れていたことは前回を参照してください。

イギリスの開発したパワー・ジェット W.1 は、めぐり巡ってアメリカではGEが改良し生産はアリソンに移管された GE/アリソン J33 となってロッキード P-80 戦闘機へ、同様にソビエトで改設計が行われてクリモフ VK-1 となってミグ 15 へ、とそれぞれ搭載されるエンジンの原型となました。

その後、両機は朝鮮戦争でジェット機同士の史上初めての交戦機として相見(あいまみ)えるという、まことにイギリスらしい航空史のエピソードを残しています。

これぞ歴史が示す技術をめぐる平時の戦争、戦前の平和です。もちろん皮肉ですよ。

(閑話の中のまた閑話、はここで休題)

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EU からの離脱を問う国民投票では、「」を扱う代議制政治がどっちに転ぶかわからない限界が明らかになった。当然生じてくる民意の再調整、地域の独立をめぐる「」と「」の再構成(あえて、「」と「」の妥協点である「」は入れません)を行う、「衆愚」ではない、「賢秀」ならぬ「覚醒」した「賢衆」の討論が数か月続くことになる。

大陸のドイツ、フランスが、「早く離婚して」とせっついても、引き延ばせばいいのです。EU にとっても、イギリスにとっても、再婚相手は中国しかないのです。中国は サンケイ が描くほど急速にダメになるとは思えない。

日本に迷惑が及ぶことは間違いないが、英国の政治家としてのキャメロン氏がこの状況をつくり後進に収拾を譲ったのは、英国の政治家として正しい、と当CEO は考えるのであります。

歴史から見れば英国には国難を乗り切る政治のリーダー・シップとフォローワー・シップが生まれる仕組みがあったことは間違いない

問題は、英国の「地政学的な日本化」の中に、政治家の「資質的な日本化」が潜んでいる可能性があるかもしれないことであります。つまりは英国の欧州大陸からの自立はリーダーその人しだいであります。

ある意味では EU の覇権を握る独仏がいずれ引くであろう境界線は「サイクス・ピコもどきの時限爆弾条約」にもなり得る。

ジャパン の国民が、腐(くさ)しながら傍観する碁盤の上は傍目八目なのかマイナス八目なのか、の民主代議制選挙民の国日本の知性やいかにですね。

イギリスとEU vs 中国とアメリカとの四角関係に踏み込みませんでしたが、基本的に「遠交近攻」の関係と 程よい遠さ の関係は継続される。「」と言っても「対立」ですがね。

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いっぽうの「遠交」は 朝日 や リベラル が語らない日本の安全保障が崩れる(かもしれない)時代への警鐘でもあります。

心情的リベラル」、もとい「半覚半睡」の当CEO としては数十年後まで引っ張ってもらってキャメロンさんみたいに後進に国民投票も選挙も委ねたい。

本土と沖縄に似た関係はイギリスにもある。そこに吹き出す問題もある。

英国の「国民投票」はそのための貴重な「民主主義の本質」を学ぶ授業として注目していきましょう。

2015年5月31日 (日)

『心情リベラルの戦争論を考える』 とりあえずの最終回の最終回、の巻

(巻末に概要と感想をまとめたのは連載中に読んだり再読した本とDVDです。参考になっているかどうか、気が向けばお手に取ってください。

(承前)
文明』の根幹は、

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西洋の『』による『
東洋の『』による『

といえる。

それを支えるのが『知・情・理』や『真・善・美』となる。えっ?! 西洋には『』が二つあるの?? と問われれば「イエス」である。

一つは『』による『』、もう一つは『』による『』である。そのせめぎあいが「西洋哲学」となる。

前者の『』に相当する日本の『』はあくまで人間の『』で左右される。『』は(6世紀に渡来した)仏教に由来するのだが(自称したのかは不明だが)倭国に古来固有の神道による『』と巧妙に結びついたといえる。

』で客観的「不善」が許されることもあり、『』で「不徳」も許されることが歴史では散見できる。

』の『』は、『』による「理屈」、すなわち『』による「(ことわり)」である。明治維新により西洋の『』が公けに拡がり日本人の『』に混乱が始まった。

はからずも『』と『』による戦争も、『』と『』による戦争も国民にとっては変わりがない。東西両洋に共通する原理があるようだ。

さて、不思議なことに

戦争論では、『文明』を繰り広げてきた「人間」が生来持っているあるいは継承してきた本質を取り扱うことはほとんどないようだ。

エス』、「S」ではなくて『Es』で哲学や心理学の用語で、もとは「非人称」を示すドイツ語の冠詞。「中性」ではない。このため「非人称」のない英語ではラテン語からの「イドId)」が使われる。哲学がドイツで進化するのは言葉が関係する。
ついでに日本では、「エス」はレズビアンまたはサディズム。警察小説などに出てくるとスパイ。庁内S、なんてつかわれる(閑話休題)

Es』は「Es denkt 非人称の考え(考えさせるのは人間ではない=無意識 )」と定義されていたが「本能的な感情や欲求、さらに衝動」をさすようになる。 「無意識的な逃避」は除くというややこしい定義があるがここではおいておく。
Es』の概念の提起者は18世紀後半に現在のドイツに生きたG.C リヒテンベルグだが冠詞を名詞として独立させたのは別人。拡張し広めたのはニーチェやフロイトなど-日本ではあまり受け入れられない人たち。

ニーチェやフロイトは置いといて、動物に潜在する本能で動物からひきついだ本能というと「性衝動、飢え・渇き、睡眠」の三つと考えられる。前二者は攻撃性を発生させるが後者は無防備に誘い込む。

哲学や心理学では性衝動を「リビドー」として扱うようだ。いっぽう残りの二つは学問的に深くは扱われないようだ。ただ、この三つの本能は戦場においても日常の生活の延長として抱えている。

つぎに戦争の様相の変化を上げてみる。

戦争の起源は主に耕作面積を支配下におき労働力を確保して食料を安定化することであった。現代の戦争では陸軍が行う占領と軍政により占領国の影響を確保した民生移管となって残っている。(植民地もこれに入るが民生移管にはずいぶんの時間と血が流れた)

戦争の起源は農耕が農業に替わったあたりから拡大していったと考えられる。

遊牧民はというと当面の獲物(動物ばかりではないが)を追求する現場判断の機動力を重視する集団で破竹の進撃をおこないゲルマン民族大移動のもととなった。しかし、この4世紀に中央アジアから出たフン族は国家形成はできず早々と分裂したが思想としてヨーロッパの農業国に大きな影響をのこした。

フン族が出現した中央アジアの西(ようするに中国の北)にあった遊牧国家モンゴル帝国から13世紀初に南進した元は滅ぼした農業国家である宋の官僚による行政組織を温存し14世紀半ばまで続いた。 その祖であるモンゴル帝国は中央アジアや東ヨーロッパに、加えて中東とトルコの一部を版図に加えたが13世紀後半には早々と分裂して成立した部族、王族単位の領土が長く続いた。

要約すれば農業を行えない地域では文明はとどまったままである。言いかえれば文明は遊牧から牧畜へ変わるのではなく遊牧+農耕で牧畜に変遷するのである。(新解さんの定義は正しい)

文明の発展により戦争の性格を大きく変えた第一次世界大戦の後に起こった大規模な軍隊で行う戦争の終結は連合国によるドイツの分割統治とほぼアメリカ一国による日本の占領がおこなわれた。占領をおこなうには被占領地に行政組織という『文化』が有効に機能していないと実行できない。

アメリカはこれ以降に関与した戦争で成功した例はない。しかし、小規模の占領ならばロシアのウクライナさらに中国が外縁で行う少数民族弾圧や環礁埋立による実行支配のなかにその芽が見え隠れしている。

さて話を引き戻すと近接して類似した概念を持つ国家間では貯えた物質的な価値(国家財産だけど税金)の賠償金の獲得で勝敗を定めて(いわゆるマウンティングです)終結させる暗黙のルールが成立した。(この基本的なルールが第一次大戦でくずれてしまいます。その結果マウンティングに替わる『』による戦争指導者の裁判が行われることになります。見方をかえれば、なまじ『』であるために報復裁判にもなります)

さて、その物質的な価値もやったりとったり、じゃ変わり映えしないので海外の未知の価値を探すことになる。簡単にいえば植民地の占有と物産の収奪という「文明の衝突」の局面を見せ始める。

前者は原住民との戦争(聖による虐殺も多々あった)。後者は輸送路の確保すなわち船による戦闘であり工学の成果で戦う『』と『』の文化の優劣に『』をつぎ込む競争となった。』といっても戦争は止めましょう、ではなく、いかに相手を出し抜くか、ですけどね。

が、大規模な破壊をともなった後の占領では費用対効果の問題がある。占領に付随する勝利したことによる費用が戦争終結時までの費用に追加され戦勝国の国民の税負担となる。(第一次大戦では敗者が自らの復興資金を負担し、加えて戦勝国に賠償金まで支払うルールが継続された。もちろん敗れた国民の税金で。これが第二次大戦の原因とされている)

覇権国の国力の維持は軍事力のプレゼンスでバランスされるが、軍事力を行使すれば国力を削ることをベトナムとアフガニスタンで証明した。結局のところ富の収奪をおこなう戦争の目的は経済システムのなかの活動のほうが効果がでることになった。

その覇権国の軍事力行使後のプレゼンスの撤収のなかで新戦力の台頭が生ずることになる。ベトナム戦は中国の南シナ海進出、アフガニスタンではソ連撤収後の混乱にアメリカの物量をともなった介入を招いた。

その結果、どのような集団あるいは個人であれカネを確保すればモノとヒトを自由に調達できる世界規模の経済と情報のシステムを活用できる時代となった。武器弾薬など兵器の『』の成果や食料の兵站は表裏両面の経済を通して移動し、『』の拡散が『』となり状況をさらに複雑にしている。

IS (いわゆるイスラム国)が面積を押さえて国と名乗れるのはこれまでのような戦争が行えないなかで航空機など使わないで小規模戦闘の多発状態をつくりだしている。これには地政学的に定住が前提の(航空機などの現代兵器はこれにあたる)農耕文化ではなく小集団の機動を有効に働かせる遊牧文化が背景にある。

これにより現在の(格差の大きい)「文明の衝突」といえる戦争では思想の排除が目的となり、象徴される場所で行う無差別テロとそれを実行させていると見做される指導者の暗殺の応酬となりつつある。

戦争は『』や『』で開始し継続できる。そして終わらせるのも『』や『』である。その前に開始させないための『』や『』の使い方が問われるが、西洋では『』による戦争ひいては社会の矛盾が具体化する21世紀となる。もちろん日本の『』による戦争も問われることになる・・・が安倍首相にどれだけの平時の、そして戦時の『』があるのかは定かではない。
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・憲兵(1955)/黒い声(1955) 宮崎清隆 東京ライフ社 軍隊内の警察というより外地防諜組織の最前線での記録。三島由紀夫氏激賞。
脚色はあると著者あとがきに記しているが冒険小説としても第一級。占領下の婦女暴行、略奪など軍政の当事者である兵による民間人にたいする犯罪や捕虜の虐殺もでてくる。前者は今の平時の日本にもある。(それより外国はもっと酷い)したがい日本の戦争とは関係ないと言われそうな気も。
・HAL伝説 コンピュータの夢と現実(1997 原著1997) デイヴィット・G・ストーク編/日暮雅道・監訳 早川書房 キューブリックの映画「2001年宇宙の旅(1968)」に出てくるコンピュータ(人工知能) HAL9000 に具わった機能と本書執筆時点の技術水準とこれからの予測が描かれている。いまやチェスなどのゲームでは人間を凌いでいるのだが・・・
人間の知と理は、加えて情は何かと問うことでは脳科学や心理学の解説本より面白い。
・海上護衛戦 大井篤 (1953 日本出版協同/ 他) タンカーを除く船舶による物資(物動貨物移動量)が昭和16年度初の550万トンから20年8月の50万トンにまで漸減する過程の通史(図・表も多い)。数社で復刊がリレーされているが標記の版は写真も豊富。航空機や、中でも潜水艦による輸送船や油槽船に対する兵站消耗戦の本質がまとめられている。 
大西洋でも同様の戦いが行われたが船団護衛には専用に開発されたフリゲート(艦)が使われた。我がほうは現在の遠洋漁船に毛の生えたような海防艦が主であった。
・マクロ経営学から見た太平洋戦争(2005) 森本忠夫 PHP新書 先に「魔性の歴史(1985)文芸春秋」として初出。その副題で新書化。経営学らしく数字は出てくるのだが縦書き漢数字のうえ、表や図はほとんどなくて通史として読むにはきつい。それが理由でもあるまいが感情的表現が多い。
リベラルとコンサバティブでは評価が大きく異なるであろう。だが戦争指導層は筆者の感情と同じ強さの感情で戦争に勝てると考えていたと思って読めばどうだろう。
・臨時軍事費特別会計(2013) 鈴木晟 講談社 大東亜戦争を経営するために国会はどう機能したか、を検証している。簡単にいえば国会で予算案を通さなければ継続できなかった、のだが。 
戦争を継続するには経済成長が必須だけど、現実では増税しかない。ところが今日の日本人は源泉徴収で納税拒否は江戸時代の農民並みに不可能であり、働かなくても消費税で縛られている。一揆も起こせそうにないので、夢想できる戦争拒否は野党は候補者を立てず選挙民は棄権を実行しインターネットで民主主義の限界を世界に公表する手段がある。しかしインターネットのインフラ自体は細いネック(首)を持っており中国や北朝鮮を参考に防諜を理由に絞めたり切り落としたりで遮断できる法制の整備は簡単にやられそうだ。共産党は審議拒否と棄権はしないそうなので与党と共産党で戦争を始められるかもね。
・ドイツ参謀本部(2002)渡辺昇一 祥伝社 戦争を準備し継続させ終結させるのは現場ではなく密室である参謀本部である。プロイセン国王を皇帝に戴くドイツ第二帝国を支えた参謀本部の盛衰通史。 
著者はバリバリのコンサバティブの論客。読むなら標記の祥伝社版がおすすめ。秦郁彦氏の書評に対する抗議が収録されている。インテリの喧嘩(いや論争)の仕方を学べる。いっぽうで著者は大西巨人氏に対し優生学の延長線と思われる糾弾の随筆を公表(1980)している。
・神聖喜劇 全五巻(1978-1980) 大西巨人 光文社 同社文庫版あり。著者が応召した対馬重砲連隊における教育期間を通して、軍隊は社会の延長であり縮図であることを微に入り細をうがち描いている。 
前述の渡辺氏の随筆はこの著作が気に入らなかったのだろう。 軍隊組織は無法地帯ではなく法律もしくは規則で運営されており、主人公(著者の分身)は超人的な記憶力と明晰な弁舌で、その中で生じる不条理に抵抗するのだがその不条理は兵営外に共通する。全五巻八部を読み通すのは苦痛だが安倍首相は読まないだろうし経験することもない世界の重さが残る。漫画版(幻冬舎)やシナリオ版(太田出版)もある。キューブリックの「フルメタル・ジャケット(1987) 原作本あり」の前半と比較してみるのもいいかもしれない。どちらの作品も反戦ものと割り切れなく感じるのがリベラルとコンサバの中間かもしれない。
・●1.真珠湾の裏切り(1991 原著1991)J・ジャスブリッジャー/E・ネイブ 大倉雄之助 訳 文芸春秋 ●2.消えたヤルタ密約緊急電(2012)岡部 伸 新潮選書 ●3.ドキュメンタリー・ドラマ第二次世界大戦 ヤルタ体制の道(1981) 遠藤晴久 亜紀書房 中国での局地戦を国際政治力学に格上げした世界大戦の太平洋戦線は、1941年末の真珠港攻撃からはじまりクリミア半島のヤルタ(国はウクライナだが、2015年現在、事実上はロシアの一部)で行われた連合国会談で決着する。
1.は極東にあったイギリスの暗号解読班により日本の行動は確認されていたがチャーチルの対米工作(すなわち情報秘匿)で始まり、2.ではヤルタ会談で行われた連合国の対日戦後処理の会議内容が在スウェーデン(中立国)の陸軍武官により日本本国に打電されたのだが情報伝達の過程で揉み消された。3.はこの間の公開資料をドラマの台本仕立てにした。いずれにもミッシングリングがあるようだ。さびしくも笑えるのは1.の引用で相手は知っていたのだから奇襲ではない。日本は謀略に巻き込まれたのだ、という主旨(趣のほうか?)の本もある。どちらにしても敵の罠に飛び込むのもいかがなものか(結果責任なんてないらしい)。インテリジェンスのうちシギント(通信分析)の分野とヒューミント(人間を仲介とするいわゆるスパイ活動)の成果の活用の成功と失敗。いや失敗と失敗か。
・●1.現代日本のリベラリズム(1996 講談社) ●2.日本の宿命(2013 新潮新書) 佐伯啓思 これらの二作は、3月18日の本文でとりあげた同じ著者の「西洋近代を問い直す (2014)」の原本である「人間は進歩してきたのか-『西洋近代』再考(2003)PHP新書」 をはさんで刊行されている。 その意味で読む必要がある。『』と『』の限界を考察されているがその代りとなりえる『』と『』の歴史の表裏の考察が待たれる。コンサバティブの論客としてはもっとも信頼できるお一人だが『』にとどまっておられるのが歯がゆい。
・東芝の祖 からくり義衛門 日本の発明王 田中久重 伝(2014)林 洋海 現代書館 幕末に活躍した佐賀藩の町家の発明家たちの物語。時代は隣りの久留米藩で武士に列せられ兵器のコピーと増産が求められる。そのための西洋への接近も藩内の攘夷派による後継者父子の暗殺となる。 
あまり描かれない幕末史として、京都での勤皇佐幕の政争は町家の自治を破壊し押し込み強盗や婦女暴行は頻発していたことも寸描されている。その多くは勤皇派で明治政府で活躍したり切り捨てられたりの下級武士と推定できる。その対策が新撰組。考えてみれば100年そこそこ前まで首を落とすことなど普通に行われていたことを思い出す機会にもなった。日本刀で首を落とされるのは残虐な行為ではなく名誉であるとかね。
・●1.暗号の天才(1981) R・W・クラーク 新庄哲夫訳 新潮選書 ●2.掟 ブレイキング・ザ・コード(2000 アイ・ヴィー・シー) 平時においても情報戦は行われる。前者は外交・軍事の通信傍受に必要な暗号解読の天才W・フリードマンの一生。日本軍部が絶対に破れないと過信していた暗号(パープル)を解読して見せた。ドイツのエニグマにも関係していたが本書では言及されていないA・チューリングを描いたのが後者のDVD。かれは連合国の兵站線となる船団攻撃をおこなうUボートと本国の通信に使われるエニグマの海軍版の解読機を完成させた。コンピュータの基本原理を考案したことでも知られる。
日本にはこうした人たちはいたのかいなかったのか、いまだに闇の中である。暗号の基本構成自体は民族の思考回路でその性格が決まるようなので公けにしたくないのかもしれない。現在の暗号といえども基本は単純でコンピュータにより手順を複雑にしただけのようだ。
・囚人のジレンマ フォン・ノイマンとゲームの理論 (1995 原著1993) ウィリアム・パウンドストーン 松浦俊輔 他 訳 青土社 J・フォン・ノイマンの伝記とゲームの理論の通史。ノイマンは数学者と呼ばれるが広範な物理、経済、心理、政治に影響をあたえる理論工学者だった。原爆の開発に関与し冷戦下の核政策の立案者のひとりであり、ノイマン型と呼ばれる現在のコンピュータの考案者でもある。ゲームの理論は決してギャンブルで勝てるための理屈ではない。あるテーマの解決する過程のなかで考えられる対立と協調と傍観を数学モデルとして扱う理論。主に経済学の分野を扱う手法とされる。
簡単にいえば狩猟民族でなければ考え出せないような日本人がもっとも苦手とする分野である、と思える。相反する項目を立ててその組み合わせの中で最も有利な、あるいは合理的な解を導く手法。応用するとかならず成功するとは限らない。つまりは情報次第といえる。まず状況を適切に分析した項目の立て方とそれらの組み合わせの適切な結果予測と出現確立の推定である。最優先する組合せが外れた場合に順次生じる可能性に対する同様の分析から修正する戦術と戦略の選択(冷戦下の核政策など)に使われた(たしかに経済が絡んでいるわ!)。運用から見ると、とくに戦術レベルでは狩猟民族型の、後(あと)のある「選択と集中」(臨機応変)に対して、日本では農耕民族型の後(あと)のない「集中の選択」(石の上にも三年)から抜け出せない、というと言いすぎか???

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