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2013年12月の7件の記事

2013年12月27日 (金)

キネマ航空CEO 一年を振り返る

キネマ航空ご愛用の皆様、

早いものでもう2013年も残りわずかとなりました。

当CEOが前職をリタイヤする前は気持ち的に会計年度(FY: Financial Year/ 4-3月)で一年が回っていました。・・・が、今では暦年(CY: Calender Year/ 1-12月)で生活することになじんできています。

しかし、一方では、気分的にではありますが月齢カレンダー(Luna Calendar)をダウンロードして壁紙にしています。

さて本年は、正規のフライトとしてキネマ航空 009便010便 の2本の増便が果たせました。ご搭乗いただけましたでしょうか?

また、当オフィスで連載中のカテゴリー 「オスプレイ」を中断しておりますが、「特定秘密保護法」にはまったく関係ありません。だいたいが公知の情報を組み立てて独断で話を運んでいるだけです。

と、いうことは、関連法案として「デマゴーグ規制法」が成立すれば解釈次第で閉鎖に追い込まれるかもしれませんけれどね。でもね、そうなれば今の与野党ともに、政治家も失業することになる・・・はずなんですがね。

類は友を呼ぶで、日本も周りの国と同じような「民意」と「衆愚」と「デマゴーグ」の時代になりそうな予感もします。

とはいうものの、現実には、自由主義のなかの普通の国でも、一国のリーダーはこの三つを見極めてリーダーシップをとるのが政権、と言えます。

安倍晋三氏は民意がどこに向かうかを先に見抜きましたね。戦後の理想民主主義の本流と民意が思っていたはずの民社党が金だけはまだある三代目やスッカラカンで去る気ない市民運動家でリーダーシップの限界を示しちゃいました・・・(民意が選んじゃった)からね。(閑話休題)

さて、来年はオスプレイのカテゴリーを再開する予定で資料を収集しております。そのため、過去の記事を読み直してみました・・・が、誤字、脱字はもとより我ながら「閑話休題」どころか「話の逸脱」が多すぎます。

来年は、まずこれまで(本筋)の要約から始めなければ、と思っています。

Telephoto_camera--------------------

はなし替わって、当CEOは秋に入って、この夏の酷暑の中で、愚堕々々(グダグダ)になりながら構想していた、飛行機と鳥のスナップを目的とした35mmフィルム、フル・サイズの画角で600mm相当のコンパクト・デジタル・カメラをようやく完成させました。 

手持ちのカメラに、通信販売の部品や友人にオークションで落としてもらった「たぶん上手(うま)くいくだろう買い(これがホントの大人買い!金で買い占めるのは子供でもできる)」の中古部品を組み合わせて、何の改造もせずに組んだだけです。

したがい、周辺光量が落ち、当然のことながら合焦、測光その他によるタイムラグ、連写速度などの性能では、飛行場や湖のそばで見かけるン百万円の高級な一眼レフのシステム・カメラには及びもつきません。

でも1:1のフレームで当事務所に掲載する分には十分と思えます。

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試写した結果ではフレーミング(照準)と手振れの防止にはかなりの習熟とカメラ側の機能メニューの理解が必要のようです。

画質がどうのという前に高いカメラを買わなくてよかったと痛感しました。「弘法は筆を選ばず」だそうですが「下手は道具を選ぶべし」です。

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ただ、ベースにしたニコンのデジカメは多くのボタンやダイヤルを右手の指で操作するのですが、写真のように釣り紐(ストラップ)を付ける部品が突起となっており操作の邪魔になっています(写真参照)。他社の同クラスの製品を見ると工夫がされているのですがね。

ここで余談。日本光学は戦艦大和の測距義を造った技術で、戦後の精密光学機械をつくり、世界を制しているという論理がよく使われます。工学技術としての零戦の場合と同じように、この論法で、だから日本は今でも素晴らしいという論旨の評論はあまり信用しないほうがいい時代にもなってきたようです。(まだ懲りない閑話休題)

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このカメラで当地の上空にできたコントレールを写してみました。飛行機雲ができると天気は下り坂となりますが、それはそれとして、来年は爽やかな気持ちのよい年になりますように。

Contrail_a

Contrail_b

Contrail_c

Contrail_d

Contrail_e

飛行機雲はこんなぐあいにも消えてゆくんですね。大きな画面で細部をみると不思議な美しさがあります。写真に残すと気が付かなかったことも見えるようになるかもしれません。

またまた余談ながら、四周を見ることのできる戦闘機のパイロットには自分の機が曳くコントレールは灰色のもやにしか見えないと、どこかで読んだ記憶がよみがえりました。

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来年もキネマ航空はご期待に添える増便を続けます。各便へのご搭乗を心よりお待ちしています。

皆様も、よいお歳を重ねられますように・・・もとい!歳なぞ忘れてよい年を、お迎えされますように!

キネマ航空 CEO 拝

2013年12月23日 (月)

キネマ航空CEO 崖の上に立つ

浜松市天竜区春野町杉に発生した地滑りの上に立つごとができた。ここで茶農園を営む山下さんのご厚意である。

最近話題となった地滑りの写真を大胆にあしらえた封筒に入った「奇跡のお茶」を仕掛けて話題となった人であり地域である。

「奇跡のお茶」はこれからの受験の季節に向かい好評であるとのこと。「災い転じて福」にはほど遠いが、現状を認めて一手を打つ人たちの心意気には、多くの人にぜひ触れていただきたいと思う。

今回は浜松市の農林業振興課が行う森林散策会と春野山の村の企画と山下さんの協力により崖の上に立っている。

20131215aあまり報道されることのない上から見たところである。(画像をクリックすると拡大されます)

島のようになった茶園が見えるが奥の流れは地滑り後に掘られた導水路である。

もとの流れは手前の黒っぽく見える土手のさらに手前をえぐり右手の林の付け根まで回り込んでいた。

その本流が土砂で埋まりダム化するため、土砂の及ばなかった茶園の一部を切り開き放水路を確保している。

その島側の縁は切り取られたまま、厚い表層となる農土の下に数層の火山灰とみられる層、続いて砂利や石の地層を見せている。

そして、元は農地であった土地に上流に降る大雨に備える先の導水路を開削をして島となった。

国や県、市の行政の適切、機敏な判断もさることながら耕作地を即座に提供した方々の決断に、平常にも何がしかの覚悟をもって生活しておられることが感じられる。

写真の中央上端に見える木立の手前にある小さな建物が地域の公民館である。道路の手前にある家屋に住む方がたは増水の危険があると、この公民館で過ごされたそうである。

崖上に住む山下さんは、やはり別の公民館で寝泊まりし、日中は後日に「奇跡のお茶」となる若葉を摘む生活だったとのこと。

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山道を登る途中でシイタケ農家の話を聞く。

この農家が栽培する原木シイタケは今ではロングテールの市場にとどまる努力を続けている。

ロングテール市場とは、ある商品が他の商品にとって代わられて、供給する側の生産者が減る中で、これまでの愛用者がこだわりの顧客となり、少数ながら需要と供給のバランスで長続きする市場にとどまる体力と知恵が生産者に求められている。

シイタケの市場は100%国内の原木栽培であったが30年ほど前から中国産の輸入シイタケに蚕食され、一方で国産シイタケは菌床栽培(一種の工場生産)が参入して、いまや原木栽培は20%を切っているそうである。

これらは市場原理であり、また資本の原理でもある。顧客が広範囲に広がるロングテール商品では地産地消で事業が釣り合うことはなく、自然志向にのる大手の流通と提携することになる。

そこへ東北大津波による風評被害が加わる。こうした場合、大手の意思決定は早い。お客様の安全のため、とかの理由で撤退をしていくさまが見えるようだ。(当CEOも購買業務にに従事していたことがある。大手といえどもそうしなければ生き残れない)

この農家ではこうした状況をのり越える原木シイタケ事業のリストラクション(再構築)を始められるようだ。

中山間地では地滑りにより川の流れがせき止められ孤立する危険と隣り合わせである。その中山間地も平地にある人口密集地の影響から逃れられない。市場という顔の見えない相手の意志を理由にして商流を切られることがある。

その中で生活をする中山間地の方々の顔は、忘れられた日本語の『身の丈(みのたけ)を生きる』を思い出させる。

「身の丈」とは自分で自分に合った「枠を決めて生きる」のではなく、「背筋を伸ばして生きること」を示してくれている。

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山道を下る途中で製茶工場を見学、茶産業のはなしを聞く。

茶葉を集荷して工場の施設で製茶するほかに、個人の道具に近い設備で生産者のこだわりの製茶も行われている。

写真で小さく映っている公民館で地産地消の混ぜご飯と具の豊かな汁(金500円也)をいただく。極めて美味、お代わりをする。「奇跡のお茶」も振る舞われた。やや渋みのある緑茶らしい味わいである。

そうそう、シイタケ農家で振る舞われた塩コショウと少量の油のみでソテーされたシイタケの味も旨かった。

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20131215c

さて、こちらは、わき道を登る前に斜面の下半分を カメラの水平に留意して撮影したもの。 36~7度の傾斜である。

崩れやすい土質が崩壊した土砂が溜まって形成されて安定した斜面を保っている。

その摩擦係数は、0.7から0.75といったところか。この斜面は富士山の頂上付近より急であるが登れないことはないそうだ。

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20131215b

次の写真は崖の上で斜面の上半分を撮影したもの。角度は46~7度ある。

こちらは摩擦により安定しているというより、脆(もろ)い凝結でつながっており、奥にはより強固な岩の層があるようだ。

工事は県の地域土木事務所だが国の予算で3~4年かけ、まず上下の斜面が合うあたりに支えになる土台を造り、「(上の斜面)法面に吹付枠を設置し鉄筋挿入、およびグラウンドアンカーにて地すべりを抑制する」(工事概要説明看板より)。

要するに斜面の上に取り付けるマス目状の鉄筋コンクリート枠(のり枠工法)が滑り落ちないように土台を造り、のり枠をアンカーで地中の岩盤に固定する工法。

この、のり枠の中をどうするのかは聞きそびれた。方法は多々あるようだがおそらくコンクリートで埋められるのだろう。

最初の崖の上からの写真は幅150メートル、高さ130メートルの絶壁を見下ろしている。春野の山の中に一大城塞が出現するのだろうが、ここで「自然の復元」などと言い出せば「身の程知らず」となるのだろう。 

先回のブログで載せた、ちょうど上下の斜面の境目に生き残り、寒さの中で芽吹き始めた立木(たぶん欅)は切り倒されていた。下半分の斜面の処置法はまだ明確ではないようだ。

20131215d

キネマ航空 ウェルカム・ホールの世界時計について

キネマ航空 フライト010 就航に合わせてウェルカム・ホールの世界時計を変更いたしました。

お客様の中にはいきなり次のような画像が出て驚かれ、ご迷惑をおかけしたかもしれません。

こころよりお詫び申し上げます。

World_clock_befor_html5

「お客様のブラウザはHTML5を表示できません。ブラウザのアップグレードかFLASH版の時計をご使用ください」・・・とのアナウンスでございます。

これはお客様のブラウザーが HTML5 に対応されていないOS(たとえばウィンドウズXPやヴィスタに付属するIE)で表示されます。

この場合左上の「戻るボタン(←)」をクリックしてもIEがフリーズしたように振る舞うことがあるようです。

この場合は画像下の「FLASH版」をクリックしていただけば従来と同じウェルカム・ホールとなりますので、これまでと変わらず当キネマ航空をご利用いただけます。

HTML5版は以下のようになっており、3都市の時刻が表示されます。また従来通り、カーソルを乗せた時刻帯の時間がポップアップされます。加えて代表的な都市名も選べますのでお試しください。

World_clock_for_html5

秒の一桁目が揃っていない場合があるようですが [F5] キーで画面をリフレッシュすれば同じになります。(但し、どちらが正しいのかわかりません)2025/11/15 追記

ご参考までに従来のFLASH版は以下のようになっております。

World_clock_with_flash

いよいよ消費税率の増加と合わせるように「XP」も保証期間を終えることになりますのでPCまたはOSの更新を行っていただければ上記の問題は解消いたします。

また、ウインドウズ7上での確認ではファイアフォックス、オペラ、グーグル・クローム、サファリなどの現行版ブラウザはHTML5に適応しています。

当CEOはこれまで現行よりひとつ前のOSを使うことに決めており、「7」を使っていますが「8.1」の影がちらつき始めて、どうしたものかと考えております

なお、これらの世界時計は ClockLink のアプリの埋め込みで行っており、「秒」の値が微妙に違っていたり、「F5」キーで画面をリフレッシュすると「分」の単位までおかしくなることがありますが「ご愛嬌」ということでご容赦いただけますようお願いいたします。

キネマ航空 CEO 敬白

キネマ航空 010 便就航のお知らせ

キネマ航空の運航便もようやく二桁の 010 便 に到達いたしました。
これも、ひとえにご愛用の皆様のお蔭と感謝いたしております。

記念すべき当 010 便は、「キネマ・フライト オブ パロディ! リメイク! リスペクト!」として運行いたします。

ここに挙げたオリジナルに対する芸術的模倣の三要素は、特に映画の制作手法として定着しております。これを当CEOが無理やり分類してのフライトです。

010-1便 パロディック・フライト

・ キング・コング “KING KONG ” (1933)
 特撮怪獣映画の原点。リメイクが次第にふやけていったことを再確認していただく作品選択です。

 パロディ作品に入る前に、「キングコング」 リメイク版二作との比較を行っています。

 なお、登場する飛行機は海軍のカーチス F8C-5/O2C-1 ヘルダイバー らしい。ただ、Webで比較する画像を探したがこのキングコングのフィルムからの画像しかヒットしなかった。カーチス F8C-4 以前の形態と比べると明らかに違うが違いすぎる。

 リメイク第一作、同名の「キング・コング(1976)」では、ベル UH-1 イロコイダグラス DC-7 ベル 206A ジェット・レインジャー が登場する。

 リメイク第二作の「キング・コング(2005)」はオリジナルと同じ1933年に設定しておりカーチス F8C-4がCGで登場する。

・ クイーン・コング “QUEEN KONG ” (1976)
 名前からしてパロディは見え見え、大プロデューサー ディノ・ラウレンティスの「キングコング(1976)」に当て込んだイタリア、イギリスの合作ですが、ラウレンティスの逆鱗に触れてお蔵入りとなったそうな際物です。

 アブロ・ヴァルカンの編隊が離陸していくシーンがあります。その他、ジェット・ライナーやジェット・ヘリコも出てきたような・・・そのあたりは実際にご覧ください。

 映画紹介より長い記事は、V3 ボマーヴァリアント・ヴァルカン・ヴィクター)の歴史と英国航空工業の変遷です。

 囲みは、「キング・コング」の特殊撮影技術について、当CEOの偏見に満ちた記事です。お読みください。

010-2便 リメイク・フライト
 英語の原題では、頭に“The”があるかないかでのリメイク宣言であります。それにしても、リメイク版の邦題には工夫のかけらもない。それだけオリジナルが優れていたとも言えそうです。

 砂漠に不時着した双発双胴の飛行機を単発機に改造(リメイク)して脱出するという技術的には眉唾ながら人間関係で見せる映画です・・・が、うまくリメイクできたかどうか。

・ 飛べ!フェニックス “THE FLIGHT OF THE PHENIX ” (1965)
 原型機は フェアチャイルドC-82A パケット。この時代は映画作りも冒険でした。改造機フェニックスはN社とB社の機体と翼をベースに実際に飛ばしています。

 この機体を操縦していたポール・マンツは墜死します。彼の人生は、どことなく当 キネマ航空009便 で紹介した「華麗なるヒコーキ機野郎(1975)」の主人公ウォルド・ペッパーのモデルでは、と思えてきます。 

・ フライト・オブ・フェニックス “FLIGHT OF THE PHENIX ” (2004)
 こちらの原型機は発展型の同じく フェアチャイルドC-122 フライング・ボックスカー。地上の フェニックス は、オリジナルと同じく、原型機の切り貼りで作られた大道具ですが、飛行シーンはCGで作成されています。

 さて三羽目のフェニックスになりそうな原型機にも言及しました。フランスの ノール N-2501 ノルトラ です。次いでと言ってはなんですが日本からも候補機を!と、日本国際航空工業 キ-105 おおとり ) を挙げておきました。

 囲みは、(双胴輸送機と軍用輸送グライダーのビミョーな関係)、です。
双胴機については一人乗りから数人乗りでとても砂漠でリメイクなどできそうにない機体から、はては大型の四発機もありますがこちらははいずれまた・・・ということで。

010-3便 リスペクト・フライト
 なにがパロディで、どれがリスペクトか、となると個人の好みにも深くかかわっているようです。この選択は当CEOの好みですから、ご異論があれば「それはそれで正しい」と申し上げておきます。

・ 吸血鬼ノスフェラトゥ “Nosferatu” (1922)
 原題はともかくとして吸血鬼の映画で、しかもモノクロ・サイレントであります。音声付、色付きでなければ映画じゃない!とおっしゃる方には、ラストが少し変わりますがリメイク版のノスフェラトゥ  "Nosferatu: Fantom der Nacht " (1979 ) があります。

 オリジナルの監督はドイツ表現主義のムルナウ、後者の監督は同じくドイツのヘルツォークですから重苦しい雰囲気は味わえます。

 肝心の飛行機は出てきませんが関係なくはない。選んだ理由は本編で・・・

・ シャドウ・オブ・ヴァンパイア “SHADOW OF THE VAMPIRE ” (2000)
 一癖あるアメリカの映画人が集まって、ムルナウ監督を主人公にしたオリジナルのメイキング・フィルムという見立てで作られています。

 パロディとして見ることもできますが、ブラムストーカーの小説を脚色した1920年代の舞台劇を映画化した後年の「摩人ドラキュラ “DRACURA” (1931)」とは全く異なる(原作に近い)吸血鬼像をムルナウが造りあげていたことに対するオマージュとして見るべきでしょう。

どちらも時と場所を選んだ夜間飛行のチャーターでのご鑑賞をおすすめします。

 ただ、登場する肝心の飛行機がなんだか、さっぱりわかりません。キャプチャー画像をたくさん載せましたので、ご存じの方はこのコメント欄にご投稿をお願いします。

 では、たのしいフライトを!

キネマ航空 CEO拝

キネマ航空CEOの 「春野の休日 2013秋」 の後に、中山間地の土木行政について考える

春野町にある信濃畑(しなんばた)オープンガーデンで行われる定例のコンサートに参加した。2012年の春以来、今回で四度目の訪問となる。

その雰囲気は裏方を務められる武兵衛さん、セニョールさんのブログに詳しい。お二方ともお歳を重ねたあと都会から移り住まれた方達であり、セニョールさんは西にひと山越えた龍山町からの参加である。

どちらも過疎の町といえどもお二人のように定住しようという元気な人たちが大勢いる。会場には「昔乙女」(武兵衛さん言)の方々や子供を連れた若い夫婦もかいがいしくコンサートのスタッフとして参加している。

さて、コンサートはマエストロ・セニョールの指導による、「翼をください」の合唱で締めくくられた。いいお歳の方たちが歌っていたが当CEOは歌えない。

あとで調べたところ1971年のリリースで教科書に採用されて、もっともポピュラーなフォーク・ソングかニュー・ミュージックらしい。当CEOはその頃、何をしていたのやら・・・

さて、春野町には、全国ニュースとなった地滑りの痕が残っている。武兵衛さんのブログに「地滑り現場の工事が着手」という情報があったので足を伸ばして見学(物ともいえる)を行った。

そこでの見聞を武兵衛さんに送ったところ、自分で書きなさいと当事務所にリンクを張ってくれた。

当CEOは、武兵衛さんのブログに触発されていくつかの地滑りに関する記事を書いている。そこで今回も武兵衛さんのお力も借りることにする。

20131109aまず現状の斜面である。

時系列の経緯では、武兵衛さんのブログを訪問すると言葉を伴った「最良の記録」を閲覧できる。

できごと・事件」のカテゴリーで  2013年4月23、24、30日、5月5日の発生当時の記録と比べるとさらに拡大し荒涼としている。

武兵衛さんは、これに続けて

風景」のカテゴリーで6月7日、7月29日、9月18日、10月12日、11月7日、13日・・・と定点観測を続けている。大きな崩壊はさらに二度あった。

当CEOの写真は11月9日の撮影。

現状になったのは9月の台風によるようだ。中央付近に残っていた一群の樹木が滑落している。

20131109b次の写真は斜面左上に見える青い点である。切り立った崖の上に薄く見えるオレンジ色の大型重機2台から伸びる各々1本のワイヤーで吊り下げられている遠隔操縦の無人パワーショベルである。

無人とはいえ運転台が水平になっている。どこかにある、これと同じ操縦席でオペレーターがモニター画面を見ながら操作しているのだろう。オペレーターの水平感覚に合わせるためと思われる。

無線操縦なのか、有線なのか、そのオペレータは日本のどこにいるのか、など興味は尽きないが、重力や目視による人間の感覚がこの最前線の機械の姿勢にも現れているのだろう。

20131109c

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全景画像の右側中央付近に山津波に巻き込まれて枝葉を失い、まみれた泥が乾き、白くなった杉の幹の残骸がのこる。

発生時の生々しさは失われ、万人が感じる「恐ろしさ」から個人が感じる「怖ろしさ」に変わる。

現代社会ではこうした記憶の個人化は、武兵衛さんの言葉を借りると、社会や地域としての記憶の風化になり始める光景かもしれない。

この下には狭い川を隔てて人家と畑がある。原因とされた川は崖下を迂回する水路に改修され、崖は傾斜を緩めて、崖の上と下で長い長い時間を掛けて築いた生活の一部を自然に返すことになる。

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お気づきだろうか、全景画像の中央付近に一本の木がしっかりと立っている。

神様がいるのがどうか、災害現場には不思議と何がしかの希望を残してくれる。

東北を襲った大津波に残った陸前高田の一本の松のように。

ただ、この松は、政府がようやく認め始めた、「今生きている住民には半永久的に帰還できない土地がある」、ことを黙示するように静かに生を終えた。

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幸いなことに、この広葉樹は新しい芽を吹きだし始めている。

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「この一本の木(が存在する意味)をどのように生き残らせるのか」が、現地の土木事務所の土木行政として問われることになる。

組織の持つ科学や工学の力で自然の復元力に資するのか、その組織の力で自然を組み敷くことにするのか、である。

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毎年の春秋にコンサートが開かれる信濃畑のオープンガーデンから、先人の手によって行われた崩壊した斜面に自然を復元させてゆく過程を望むことができる。

そしてその復元にはどれほどの時間がかかるのかを実感することができる場所でもある。春野町の時間は悠然とながれて人々の生活がある。

願わくば数十年あるいは百年後に、当CEOは見ることはなかろうが、どちらの斜面も見事な広葉樹の森になっていると信じたい。

当CEOは幸田文の最晩年の随筆集「崩れ」、「木」に大きな感銘を受けたことを付け加えておきます。当CEOのように何かと表層を理屈付けすることなく、自然の崩壊や樹木の再生の現場まで出向き、感じた直観を言葉に変えて残されている。

「72歳、52キロ」の身体と脳から紡ぎだされたこれらの随筆は、良心をもつ(と断らなければならないのが情けないが)科学者、技術者の姿にも通ずる。

幸田文さんには及ばずとも、だれにもその機会はある。

武兵衛さんや森林散策会のメンバーは、2013年12月15日(日)に、この周辺の森林を散策する会を設定されるようだ。お二人のブログを訪問して詳細確認のうえ参加くだされば当CEOとして本稿を書いた甲斐があったといえます。

キネマ航空CEO 「風立ちぬ 」、零戦の「美しさ」と「怖さ」について考える (その 4)

「風立ちぬ」の最終回、例によって「後書き」による「前書き」です。
キネマ航空CEO 「風立ちぬ 」、零戦の「美しさ」と「怖さ」について考える (その 3)、と同時公開。

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「風立ちぬ」は、宮崎駿監督の劇場公開アニメーションの中では異質である。本作を除くほとんどの作品は愛、勇気、成長といった普遍性の中で描かれて国際性を持っており、その中で安心して親も子も作品の世界に親しんでいた。しかし、・・・

「風立ちぬ」はそうではない。安倍首相も頼みとするクール・ジャパンを越えて、日本人に向けた日本の現代史への誘(いざな)いである。

少なくともこの作品の中からその結論が得られるものではない。他人の批評を参考にしてもいいが自分で考えなければならない。

その意味では、監督は大きな転換を行った。もはや劇場公開をする長編アニメーションで自らの考えることを構成することはできないと思い定めたように感じる。

できるとしても、これからも日本を襲うであろう天災や、あるかも知れない戦争を、菜穂子と二郎の恋愛と周囲の人たちを通して夫婦とか家族のありようとして描くしかなかった。

これからは、宮崎駿氏としての画筆、文筆で語られる言葉を通じて、最終作として公表した「風立ちぬ」を観ることになる。

作品自体は、

左からは「兵器を開発した設計者の反省、その兵器で踏みにじられた隣国への謝罪がない」とたたかれ、おまけに「煙草を喫うなと」とねじ込まれ(あっ!これは左ではないね・・・単なる蒙昧)。

右からは、「零戦の活躍シーンがない(・・・これは必ずしも右ではないか?)」、から、当CEOから見ると単なる決めつけで「左翼」などとたたかれる。右から見れば、なにをどう見たって左は左、鏡を見ると右は左なんだけど・・・

「風立ちぬ」の公開後、零戦に関する宮崎駿監督の発言は、モノである「零戦」を神格化するな。

神格化される根拠は勝者のアメリカが弱い敵と戦って勝ったのでは、さまにならないから「テリブル(恐ろしかった)」といっているのを、一部の日本人が真に受けて喧伝したに過ぎない。

歴史や社会の中では一過性に過ぎない*モノを日本人の(かつての、から、将来への)情緒的精神性に結び付けることの恐ろしさを考えてほしい、という趣旨のようである。

* うまく説明できないが「モノ」にはその価値を発揮する期間があり、それを過ぎれば(工学)技術的な分析に裏付けられた総括とともに博物館に収まるかマニアの妄想の中で生きるかしかない。

当キネマ航空CEOもそう思う。

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「モノ」である零戦がそれほど神格化されるには使用された期間を通じて常に相手より優れていたことで証明されなければならない。

零戦の「美しさ」と「怖さ」について考える (その 1)、では、

「風立ちぬ」の中で、堀越技師の生きがいである飛行機の設計の目的は「美しい飛行機」、となんども繰り返される。

この美しさは、宮崎駿の過去の作品から推測すると、使用した人間を含めた運用上の美しさとも取れるが、そうでもなさそうである。

まず、(その 1)では、確かに美しい零戦の機体とライバルの機体をフォルムとして考察して、零戦は開発時点で形状自体がすでに工学的には時代遅れになっていたことで得られた美しさである、ことをまとめた。

零戦の「美しさ」と「怖さ」について考える (その 2)

ここでは、一般に強調される(数値化されない)空戦性能ではなくて、諸元表にある燃料槽の仕様と航続性能から戦闘機としての戦域滞空戦闘能力を計算してみた。

結果は、

零戦 21 型は仕様通りの長距離護衛戦闘機としての性能を持っており十分に優れていたことは間違いなく、相手がその設計仕様に合わせた戦闘をしてくれている間は優勢を保てた。

しかし、戦局に合わせた改造仕様の 52 型は、速度などの注目される表面上の性能は向上しているが、滞空戦闘性能は著しく劣化している。

52 型は防空戦闘機にも護衛戦闘機にも向かない状態になっていた。(もしくは、出回っている資料の性能自体に転記時の誤記、あるいは元になった仕様書作成時から改ざんあるいは秘匿されていた可能性がある)

零戦の「美しさ」と「怖さ」について考える (その 3)

ここでは、兵装と日本が参戦しなかった第一次大戦とスペイン内乱での航空戦が第二次大戦の航空機に及ぼした影響から零戦の搭乗員の全仕事を考えてみた。

少なくとも零戦 21 型に対抗して開発されたアメリカの戦闘機システムを相手に戦うには 21 型も 52 型も搭乗員の精神力しかなかった。

この時点では「ゼロ」は恐ろしいものではなくなっていたと考えられる。

その悲劇的な精神力を、兵器としても不完全となった「モノ」である「零戦」と同一化、神聖化して語り継いでいいのかどうか。

日本人には情緒的な「滅びの精神美学」という厄介なものもある・・・

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1941年生まれは戦争が、ものごころに残る最後の世代である。宮崎駿監督の戦争観、歴史観が現れたアニメーション作品には初期の「風の谷のナウシカ(1984)」がある。

しかし「風立ちぬ」と並べるテキストとしては同名のコミック版1~7(1982.2~1994.3)に注目したほうがよい。

アニメーション作品とは大幅に異なっている。こちらには(当CEOも理解し解読しているとは言えない)国家観、(選ばれた人の、ではあるが)生死観が複雑に入り組んで語られている。

奇しくも、その最後のコマの言葉は「風立ちぬ(2013.9)」 と同じ、

生きねば
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

であった。

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「風立ちぬ」に触発された「零式艦上戦闘機」全4回 / 完

注・・・一応、以下の使い分けをした
怖(こわ;おそろし)さ : 言葉を発した本人が感じる場合
恐(こわ;おそろし)さ : 周囲の人も感じる場合

キネマ航空CEO 「風立ちぬ 」、零戦の「美しさ」と「怖さ」について考える (その 3)

零戦の性能は、ブラック企業に勤める人への励まし、か・・・???

では、「怖ろしさ」の続きです。設定は前回と同じく、あなたは作戦課長であり搭乗員ではありません。基礎データ は前回と同じです。

ただし以下の本文は一人の人物の思考の中で、過去と現在が入り乱れています。上げ足はとらないでね!

搭乗員への、言わずもがなの出撃命令は、「敵機を撃墜すること」。そして、その実体は敵機の搭乗員を殺害することです。生きて還れば別の機体で、また出撃してきますからね。

さて、30 分の戦域滞空時間内で相手を殺害できる機会は以下の表となる。

型式   三菱
零式艦上戦闘機
グラマン
(艦戦)
ノースアメリカン
(陸戦)
    21型 52型 F6F P-51D
装弾数x搭載数 口径        
発射速度
発射弾数/分
7.7mm
(プロペラ同調)
700X2
500-700/分
700X2
500-700/分
   
  12.7mm
(外翼)
    400X6
800/分
400X2+270X4
800/分
  20mm
(外翼)
60X2
500/分
100X2
500/分
   
正味連射時間          
  7.7mm 1'24''-1' 1'24''-1'    
  12.7mm     30" 20.25"+9.75"
  20mm 7.2" 12"    
  総射撃時間 1'31.2''-1'7.2'' 1'24''-1' 30" 30"

零戦は 1 分 31 秒から 1 分 7 秒、米軍機では 30 秒、に過ぎない。とはいっても連続して打ちつづければ、機銃が壊れてしまう・・・(というより、そんなに長く照準を合わせ続けられない。敵もサルもの、逃げるもの)

米軍機は 1 秒に 80 発、零戦 52 型では 7.7 mmで 23 発/秒、20 mmで 17 発/秒なのでせいぜい 1 秒から 2 秒の連射を繰り返すことなる。

30 分の戦域滞空時間がノルマならば、どちらの側も、 28、9 分は、敵機を追いかけまくるか、敵機から逃げまくっている時間となる。

全弾打ちつくしたら、 30 分の戦域滞空ノルマはほっといて、さっさと帰途につくほうが賢明といえる・・・つまり、機体とパイロットの残存率は向上する。

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それにしても、零戦は米軍機の 3 倍の時間、敵の後尾についていないと全弾射撃ができない。大雑把には、航空機に搭載する機銃は口径が大きいほど破壊力は大きいが発射速度が遅くなる。当然、同じ弾帯の収納スペースなら携行弾数も少なくなる。

また、口径の大きい弾丸ほど空気抵抗も大きく、加えて初速が遅く、射撃時の機体の姿勢とは関係なく重力によって下方に弾道が曲がりやすい。

したがい、口径が異なる機銃を同時に発射する場合は地上で水平にして合わせた照準器の照準点に双方の機銃の火線を集中させるのは難しい。このため零戦を駆るベテランは機銃を使い分けていた。

つまり零戦は照準を合わせる理屈上のチャンスは増えるが発射速度は遅く、弾丸の集中力は低かった。

まず、日本が国産化の手本にした英国製 7.7 mm口径航空機用機銃の発射速度は 1000 発/分程度はあるはずだが、重要な部品となるバネの材料を国産化できなかった。

そこで、発射速度を、製造できる材質で作ったバネの熱と衝撃の繰り返しに耐えられる限界に合わせたため、と、プロペラの間を縫って射撃する同調装置のため、に遅くなった。

これに対し米軍機は機銃を中口径に統一して搭載数を増やし、プロペラ回転圏外の外翼に装備していた。もちろん火線は照準器を通して弾道が直線と呼べる位置に交差集中させていた。

空戦を、日本がこだわった格闘戦(ドッグファイト)ではなく一撃離脱に変える模索は、日本が介入しなかったスペイン内乱(外国の介入があり事実上の戦争)の中でドイツによって実験されていました。重戦闘機(重戦)による一撃離脱の戦闘方法です。

重戦とは飛行機の性能と操縦士の技に依存している時間をかけたドッグファイトではなく、戦闘機の喪失を減らす「逃げる足」を優先させる速度と、それに見合う運動性をバランスさせた設計です。

逃げる足 : 後で述べる第一次世界大戦の教訓の応用・・・航空戦の帰趨は数で決するが、そのためには生き残らねばならない・・・坂井三郎氏の戦訓は零戦の性能においてても退避経路を考えた攻撃する。格闘戦は行わない、ことであった)

その究極にサッチ・ウィーブというという機動が編み出されました。、2 機編隊の先頭機が零戦の前に出て追尾を受けるが後続の 1 機が追尾する零戦の背後にまわり射撃する。

このときの2 機の機動の軌跡を織物の縦糸に見立てている。さしずめ横糸が零戦。米海軍のジョン・サッチ少佐の考案であり、あの鈍重そうな F6F で零戦を抑え込んだ。

これが可能になったのは航空機自体の生産能力と、それに見合うパイロットの育成という国力と人口もありますが、航空機間の明瞭な音声通話で意思疎通が可能になった通信技術革新によることが大きい。

(意思疎通といえば日本では虎の子の機銃を発射して曳痕弾で編隊内の注意信号としていました。)

で、この通信技術によってサッチ・ウィーブは 2 機編隊のうちの 1 機が全弾撃ちつくしても囮を装い零戦を残弾のある追尾機の射程範囲に誘い込むというより、先に述べたように零戦は長い時間にわたって敵機を追尾しなければならない性向があり、心理的には追い込むこともできる。

航空戦闘で天才的な感と技量を持つ、一人の坂井中尉、10 人のフォン・リヒトフォーフェンが軽戦(格闘戦用途)の名機を駆使して闘っていても戦争には勝てない・・・

彼らに落とされる数より、落とす数のほうが多ければよい・・・(面白いことに・・・面白くもないか・・・出撃回数も関係するが、負けた側のエースの撃墜機数が勝った側のエースよりも多いようだ)

つまり、航空戦は、航空機の数と平均的な操縦士の数、が支配するという、第一次大戦の航空戦の消耗比からイギリス人が導いた「ランチェスターの法則」を、戦闘システムとして、拡大証明する時代となっていました。

(イギリス人はこと戦争に関しては常に冷静です。戦闘機は、空戦中に落とし、落とされているか、というとそうでもなく、訓練中、作戦行動を含む移動中の喪失も多い、時には味方の誤射で落とされている。英国では第二次大戦中の味方の誤射による撃墜ついても調査し、公表もしている・・・閑話中の閑話休題)

さて、日本はその第一次大戦でも航空戦には数人の義勇兵がフランスの航空隊に参加したのみで、国家として得た知見は戦後の軍縮会議で戦艦保有数の劣勢を覆そうとイタリア人ドゥーエなどの長距離(戦略)爆撃> * の応用に向かいました・・・

零戦はその中から護衛戦闘機として生まれてきました。その意味では、新しい(航続距離=軽量化)とも、古い(軽量化=格闘戦)ともいえる運用思想の戦闘機でした。

* 当キネマ航空のラウンジのキネマ・エアラインズ・マガジンの特集「B - 25 ミッチェル 二人の軍人の間に存在する爆撃機」の中で掲載中です。

あー、いかん、宮崎駿の軍事オタクがうつってきた。(長~い閑話休題)

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さて、前回の、米軍機は戦闘空域に入っても増槽に「大量の」燃料を残している謎は解けたでしょうか?・・・それは増槽装着時の燃料消費量の計算で手抜きがあったからです。

増槽装着時の巡航燃費の計算は増槽装着時の巡航距離を全搭載燃料で割るのではなく、

増槽装着時の燃費(Km/L)={増槽装着時の巡航距離(Km)-標準時の航続距離(Km)}÷増槽燃料(L)

これで計算すると P - 51 の増槽装着燃費は先の 1.94 Km/L は1.79 Km/L となり 8 %は悪化します。

ただし、巡航速度は増槽あり、なし、で変わります。たぶん零戦21型に二つある巡航速度は遅い 296 Km/h のほうが増槽付、早い 333 Km/h が標準時と思われるのだが。

いかし、他の比較機では双方のデータはそろいませんからカタログデータの早いほうを使って「良し」とする・・・え!さすが課長はここまで見通していらしゃった・・・で、

再計算した結果は、

(注:増槽の巡航燃費を変更し、関連項目の変更をオレンジで表示しました。)

型式   三菱
零式艦上戦闘機
グラマン
(艦戦)
ノースアメリカン
(陸戦)
    21型 52型 F6F P-51D
 巡航燃費(Km/L) 標準 4.23 3.37 1.85 2.05
  増槽 3.42 2.17 1.23 1.79
 巡航時間(h) 標準 7.51-6.67 5.70 5.46 3.33
  増槽 11.32-10.06 7.76 7.64 5.08
 巡航時間燃費(L/h) 標準 70.0-85.5 100 173 283
  増槽 75.5-85.0 115 198 298
 戦闘行動半径(Km) 標準 717 960 315 403
  増槽 1,265 1,280 760 708
 増槽飛行距離(Km) 増槽 1,129 694 699 1,017
 増槽距離/行動半径比   0.89 0.54 0.92 ** 1.45
 戦闘域往復時間(h) 標準 4.84-4.30 4.60 1.96 1.52
  増槽 8.54-7.60 7.60 4.72 2.44
 戦域滞空時間(h) 標準 0.5 0.5 n.a. n.a.
  増槽 0.5 0.5 n.a. n.a.
 戦域往復燃料(L) 標準 339 460 341 393
  増槽 661 874 1,002 913
 戦域滞空燃料(L) 標準 186 110 605 551
  増槽 194 16 512 569
*** 戦域滞空燃料比 標準 5.31-4.35 2.20 6.99 3.89
  増槽 8.56-8.51 0.33 5.92 4.02
** P-51 では戦闘空域で増槽に残る燃料は投棄することにして以降の計算をした。
    投棄量は 176L、飛行距離で 326Km 相当

***  = 戦域滞空燃料(L)/ 戦域滞空時間(h)/巡航時間燃費(L/h)
      米軍機の戦域滞空時間も0.5時間として計算した
         

結果、 F6F は戦闘空域に入る直前に増槽を使い切り、 P - 51 ではまだ燃料が残っており、増槽を付けても優位な高速性能を使って会敵するまで増槽を投棄しなかったのかもしれません。

あるいは、運転温度の安定した液冷エンジンの高速連続耐久性能が十分にあれば巡航速度を公称値より速くして前線へ急行することに使ったかもしれません。

一方の「零戦」はかなり手前で増槽を切り離すことができました。

さて、戦闘機で肝心な性能は巡航速度です。その結果得られた航続時間は、今でいうと寮(基地)から会社(戦闘空域)までの往復通勤時間です。

勤務先での就業時間は戦域滞空時間の 30 分であります。

従業員(戦闘機パイロット)が上げる業績(つまりエースとなるに)は、日本では(だいたいが一人作業で)実働 30 分のうちの 1 分 30 秒の結果で査定します。

いっぽうのアメリカでは 30 秒、さらに言えば 2 機の共同作業ですので 正味 1 分で査定されています。

いずれにせよ、零戦で 1,000 キロメートル隔てた長距離侵攻作戦を行う場合は、片道 4 時間、往復で 8 時間の通勤時間と 30 分の就業時間を合わせると 1 日当たり 8 時間半の勤務となります。

(これが何日も何か月も続きます。「素晴らしかった昔の日本人」でも嫌になることはある、と思えるのですが・・・人間は愛国心だけで戦争を続けられるのか・・・それができれば今でも自己愛や家族愛でブラック企業で頭角も現せることになるのだが・・・「愛」のどこかが違うのか・・・閑話休題)

さて、これだけ長時間の作戦ですから、ほぼ毎日毎日、同じような時間帯を使って実施されます。整備兵は、夜なべの整備に弾薬補給、毎朝暗いうちから手回しポンプでドラム缶4.5本/を給油しています。一方、敵も手の内が読めてきます。

迎撃する P - 51 は増槽なしで 400 km 進出できますから、これでは、零戦の時間表にあわせて1時間20分後に出発すると 41~2 分で、零戦隊が発進から約 2 時間経過し、600 Km のところを、まだ増槽を使って飛行している編隊をキャプチャーできます。

もちろん出発時間を遅らせて相手を疲れさせることもできます。P - 51 は戦闘時間を含めて 2 時間弱の勤務となります。

・・・なお、以上の零戦と P-51 の遭遇シミュレーションは、かつて実際に行われた特定の作戦ではありません。1,000キロメートル離れた実際の戦闘では 、P-51 が侵攻側を務めていました。

P-51 が、紙製の大型増槽を付けた戦闘行動半径(推定 1,126 Km )で零戦なみの侵攻作戦を行う場合、往復 4 時間(日本版ウィキペディアの巡航速度では約 6 時間半)の勤務となりますので、「どっちも、どっち」、でありますが・・・

で、米軍は、既定の回数を出撃すればローテーション休暇があるようであります。我がほうは後方での休暇は、とてもとても・・・。

あっちのほうの問題では、ちゃんと私設の慰安所を設置しております。米軍の場合は、ハリウッド映画によると、休暇で後方に下がった時や前線でも従軍看護婦とよろしくやっているようでありますなー。
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へなちょこ参謀:「イヤァー、作戦課長どの、わが兵は、こうして休みなしで毎日毎日、長時間の過酷な労働条件でよく戦ってくれてますねー。零戦勤務は後年問題になるであろうブラック企業も顔負けと言えますなー」

作戦課長:「キーッ、貴様ーッ、恐れ多くも、(陪席参謀達:起立して軍靴の踵を合わせる、カッ)、の名機零戦や搭乗員になんたることを言うーッ!土下座だー、銃殺だー、いや、切腹しろーッ、介錯は俺がやってやるー!」

陪席参謀:「マア、マア、作戦課長どの、ここはどこかの国でも前線でもないので、それは拙いです」

へなちょこ参謀:「さ、作戦課長どの、彼等はお国のために毎日毎日休みなく戦ってくれております。外国のスポーツ選手だって、国と自分の名誉のために戦いながらも、長く続ければ気持ちが折れることもあります。そんな時はこっそりとドーピングを行っています」

「幸い、わが国にもヒロポン **** という薬(日本人の創薬)があります。「疲労倦怠感を取り除き、眠気を吹き飛ばす」という効能があります」

「これを栄養剤として注射器といっしょに与えて、3,000 米の高度に上れば酸素をいくら吸っていたって飛行機乗りの 6 割頭 ***** と相まって・・・」

作戦課長:「ウーム、いずれ戦争は終わる。その時は備蓄したブツを・・・・ブツ、ブツ、ブツ・・・」
(くどいようですが特定の作戦課長がモデルではありません!)

**** 念のため、(いまでこそ、依存中毒性があり禁止された副作用の強い覚醒剤ですが)当時のヒロポンは 違法でもなんでもなかった ことは申し添えておきます。
***** 高山病と同じ低酸素症や低温で思考力や判断力が鈍り、単純な加減算もあやしくなる。

戦局の終盤に、P - 51 が長駆、日本本土に来襲するときは、いくらかは短い時間ではありますが同様の恐怖は味わっていたはずではあります。

士気を鼓舞することは同じように相手の国でも行われていました。いずれにせよ戦争はブラック国家がやるものでありますなー。

(戦争のブラックさは当キネマ航空 003便の、「キャッチ 21」や「M*A*S*H」でどうぞ)

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本来の開発目的であった護衛任務を伴う作戦ができなくなった戦局では、零戦 52 型の長い航続距離は体当たり攻撃に使われることになりました。しかし、この目的では 52 型の航続力は長すぎたようです。

搭乗員の目の前で給油していたのかどうか、片道ですから燃料を減らして出撃させることになります。

しかし、敵艦隊を見つけたときには燃料をほとんど使い切り、気化したガソリンが充満した暴露面積の広い ****** 両翼に各255リットル入りのタンクは、目標である航空母艦の周囲のピケット艦から打ち出される曳痕弾や近接信管装着を装着した炸裂弾の高温になった破片の通過で引火し爆発を起こします ******* 。・・・特攻「零戦」はもう一つの爆弾を背負わされていました。

****** 52 型の翼内タンク容量を21型と比べると 130L 多く、翼厚は変わらないため致命的な被弾面積は 34 %広くなっている。
******* 炭酸ガスを充満させる自動消火装置を付けていた機体もありました。しかし、タンクがそのまま引火爆発されては作動は間に合わなかった、と思われる。

自動消火装置の設計は、タンク内に帰投するための燃料が残り、気化燃料ガスの体積が少ない時にガソリンに着火して炎が出た場合に機能する仕様だった、と思われる。ただし漏えい防止の防弾タンクではないため燃料は漏れてゆき、帰投できたかどうか・・・

思われる、思われる、ばかりで気は引けるが、そのことは承知で、標準爆装の 60Kg 爆弾 x 2 に替えた 250Kg や 500Kg の大型爆弾の重量と引き換えに、機銃と同様の理由で炭酸ガスボンベも外させて出撃させていたことはなかったのか?

それとも敵に接近した時に、手動で燃料タンクに炭酸ガスを封入する指導をして出撃させたのか・・・戦争と工学の関係はやりきれないものがあります。

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零戦の戦闘行動半径は米軍のライバル機と比べると2倍もしくは2倍近く大きい。これが双方の基地もしくは空母配置の間合いを決める。

航空戦での航続距離は、奇襲と偵察、に効果がある。攻撃を日常化したりCAP(戦闘偵察)行動をするには兵装時の巡航速度が決め手となる。

米海軍が、少なくとも司令官や参謀が体当たり攻撃を恐れたとすると、この戦闘行動半径の間合いを乱されることであったろう。

また、最終的には戦争は陸上の戦闘の成否で定まる。

艦船に対する体当たり攻撃は、後方の司令部の幕僚にとっては、考えうる防御のなかで生じるコラテラル・ダメージ(避けられない損害)の範囲で敵が自ら兵力を確実に漸減させてくれている、と考えていても不思議ではない。

毎日10機のカミカゼが吹けば10日で100機、一月で300機、3か月で1000機を喪失するであろうことは、本土に上陸した歩兵のうえに降り注ぐ爆弾、機銃弾の数がそれだけ確実に減ったことをカウントしていたはずである。

勇壮な映像をイメージするメカニズム同士をカタログで比較して、航空機vs航空機、航空機vs艦船、艦船vs艦船、の戦闘の勝敗で戦争の帰趨が決まると考えているのは零戦神話大和神話を持つ日本人だけではないのだろうか。

ちなみに、戦闘艦隊や輸送船隊に対する特別攻撃機を含む航空攻撃に対応する防御法を考案したのも前述のサッチ少佐でした。

・攻撃空母艦隊や護衛空母を伴う輸送船隊から離れて展開する戦闘哨戒機隊
・艦隊、船隊の上空に待機する迎撃機編隊
・艦隊、船隊の周囲に円陣を組んだVT信管装着弾を打ち上げる駆逐艦隊によるレーダー・ピケット・ライン

という、いずれも通話技術が支える物量 3 点セットの組み合わせでした。

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次回でまとめて「風立ちぬ」最終回になるはず・・・

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