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2014年1月の3件の記事

2014年1月27日 (月)

キネマ航空CEO オスプレイの再開の前に回転翼機を振り返る。(その2)

キネマ航空CEO オスプレイの再開の前に回転翼機を振り返る。(その1)」と同時公開です。そちらから読んでくださいね。

さて、単葉のブレリオXIがドーバー海峡を渡ったときはアンザニ空冷三気筒(W に近い星形)25馬力、機体重量は300Kg 。

これに対しコルニュのヘリコは蒸気冷却90°V型8気筒アントワネットエンジン24馬力、機体重量260kg 。

馬力当り荷重に直すとそれぞれ12kg/馬力と10.8kg/馬力となる。

コルニュのヘリコは粘り強そうなV8エンジンではあるがベルトの効率などからするとせいぜい人の手を借りずにジャンプした程度だったと思われる。

同年、コルニュの少し前にブレゲーが同軸反転型のヘリコで浮き上がったのだが、助手が安全のために支えていたようで記録上はコルニュとなった。(ということでアメリカにも先行例があり、ヘリコの初飛行についても一言あるようだ)

いずれにせよヘリコは操縦の前にエンジンの出力の問題が立ちはだかっていた。

1923年に飛んだぺスカラ III ではイスパノ・スイザV型8気筒180馬力、離陸重量1000kgだった。馬力当り荷重は5.6kg/馬力、馬力のままで比較すると7.5倍となっている。ぺスカラはサイクリック・ピッチ・コントロールを採用し機能を成立させた最初の人物だった。

ようやくエンジンがヘリコプターの構想に追いついたが、その前に風車として回転することで揚力を出せるローターを主翼として推進力をプロペラに分担させるオート・ジャイロ(gyro)が考案された。なお、オートジャイロの発明者の命名はオート・ジロ(giro)だった。

発明したスペイン人のフアン・デ・ラ・シエルバが離陸時に横転する苦難を克服して、1923年1月17日に初飛行を成功させたシエルバC.4で原理的な完成をみた。

オートジャイロではエンジンでローターを駆動していないためトルク反力は発生しない。垂直離陸は基本的にできない。前進することで浮揚しており機体の方向安定は水平と垂直尾翼の矢羽根効果で行う。

いわばブレリオXIの主翼をローターに変えて、そのローターを取り付けるローター・ヘッドを前後左右に傾けてロールとピッチを受け持ち、垂直尾翼の方向舵でヨーを受け持つ操縦装置であったが初期のローターヘッドを傾ける機構はよく分からない。

ただ、ぺスカラの採用したサイクリック・ピッチ・コントロールではなかったようだ。つまりジャイロ効果を見込んで位相をずらした操縦装置ではなく、機体に固定された支柱にフラッピングとラギングの二つのヒンジ(蝶番)をもつローター・ヘッドのようだ。

シェルバが1920年のC1から1922年のC3までに直面した最大の問題は、ローター・ブレード(羽根)のピッチは全周で一定であるため前進速度を早くするとローターの回転方向が進行方向に一致する半円と逆行する半円とでは、速度の二乗に比例する著しい揚力差が生じて離陸時に機体が横転することであった。

その横転を避けるシェルバの考案は、ローター・ヘッドとローター・ブレードのつなぎ目に上下に回転するフラッピング・ヒンジを入れて自由に動く機体をローターの下にぶら下げる方法であった。

Db0321182c254275bf084d2754800ec7写真は現在のオートジャイロ(ジャイロコプター?)のローターヘッドの一つ。◆セスナ172操縦訓練日記さんのブログから借用しています。

二つの操縦用のヒンジとそれを操作するロット、ローターを自由に傾けるヒンジの構造に加えてそれぞれのストッパーもよく分かる。

ヘッドの横についている歯車はローターに始動回転を与えるフレキシブルシャフトで駆動されるのか?何しろ、当CEOは現物を見たことがない。

ただし写真のローターのヒンジは初期のベル・ヘリコプターに見られるシーソー型と呼ばれる形式でシェルバC4のオリジナルとは違うようだ。

1934年のシェルバC.30になるとローターヘッドはかなり複雑で、ローターの折り畳み機構や後で述べる跳躍離陸(ジャンプ・テイクオフ)の機構までついている。(それまでにシェルバはフラッピング・ヒンジとラギング・ヒンジに到達していた)

現在のヘリコプターのローターヘッドの構造では lamaマニアさんいろいろなメインローターヘッド1 2 がすごい。ローターヘッドを構成するヒンジやダンパーの原理的な構造は2の一番下にあるアエロスパシャルSA315B ラマの写真が分かりやすい。

Shrink_img_1013388_32499336_3 lamaマニアさんのご承諾を得て転載と記事を追加します。(2014.01.31)

手前(写真の上)のローター・ブレードの一番奥(隣のブレードのほうがわかりやすい)がフラッピング・ヒンジ、手前側にラギング・ヒンジ、スウォッシュ・プレートからのロッドにつながっているのがフェザーリング・ヒンジ。その他のダンパーやストッパーもついている。

ヘリコプターのブレードはフェザーリング・ヒンジでのみでコントロールされて他の二つのヒンジは成り行きで位置を決めていることがよく分かる。

あとで述べるヒンジレス(またはリジッド)・ローターの写真も同ブログにあります。 lamaマニアさん、ありがとうございました。

さて、ローター・ブレードは揚力と遠心力(もちろん機体の重量も含めて)を釣り合わせているので風であおられて壊れかけた番傘のようにはなるが、ジャイロプレーンでは水平状態で飛行中の機体を背後から見るとお皿状のローター回転面はローターの回転方向によって右か左に傾いて飛んでいる。

これで翼と胴体が別々に動くことはできることになりました。あとに述べるフラッピング、フェザーリング、ラギングも鳥の飛行に見られる翼の骨格と羽根の動きになぞらえています。(2014.02.19追加)

このブレードが回転しながら上下に羽ばたくように動けるヒンジをフラッピング・ヒンジと呼び、二つの理由でヘリコプターにも採用される。

一つは固定翼機のプロペラの根元の太さと比べるとよく解る。かなりの太さでエンジンの馬力を受け止めている。

ヘリコのローターをプロペラとして設計すると、機体重量を直接受け止めるためには同じクラスの固定翼機の10倍の馬力を受け止める太さになってしまう。これをヒンジによって曲げモーメントを消してプロペラに比べると細い基部ですますことが可能になっている。

もう一つは低速飛行時に受ける突風などで生じるローターの回転位置による突発的な揚力のアンバランスを自律的に吸収する効果をオートジャイロから継承している。

さて、コレクティブ・ピッチ・コントロールのできるローターヘッドにはブレードのピッチを変えるヒンジ(見た目は迎え角を変える回転軸)がある。これをフェザーリング・ヒンジと呼ぶ。

これは、固定翼機のプロペラにも採用されているが実用化されたのは1930年代に入ってからとなる。エンジン停止時にプロペラの風車抵抗を最小(揚力をゼロに近づける)にする状態をフル・フェザーと呼ぶことが知られている。

さらにブレードの回転方向に(ブレードの角速度が変化できる)遊びを持たせるラギング・ヒンジがある。

ヘリコではローターを回転させる軸とサイクリック・ピッチ・コントロールで傾いたローター回転面の軸は角度を持って交差しておりブレードが一周する間に起こる回転速度(角速度)の変化を吸収する目的がある。

同時にそれなりに重いローターを回し始める時の負荷を吸収する目的もある。

付け加えると、各ヒンジにはストッパーとダンパーが付いており、たとえば地上のヘリコのブレードの先端が地面についたり、前後のブレードが接触するようなことはない。

以上のフラッピング、フェザーリング、ラギングの三つのヒンジの付いたサイクリック(およびコレクティブ)・ピッチ・コントロールのできるローターヘッドの開発でヘリコのブレーク・スルーの方向が定まった。

もう一つのブレーク・スルーはエンジン回転を減速するギヤボックスの出口に回転数が一定以上にならないとローター・ヘッドにつながらないようにする遠心クラッチを設けている。

参考までにオートジャイロでもコレクティブ・ピッチコント・ロールを可能にしてローターの揚力をゼロの状態でエンジンの後ろに設けたクラッチをつなぎローターにつながるシャフトを回転させ、ローターの慣性が十分回転エネルギーを蓄えたところでクラッチを切り、ローター・ブレードに(フェザーリング・ヒンジで)迎え角を与えると機体が浮揚する。

このローターの慣性で浮揚した間に推進エンジンを全開するとオートジャイロとして前進飛行が始まる、という跳躍離陸(ジャンプ・テイクオフ)と呼ぶ垂直に離陸ができる機体も開発されている。(初期に開発された多くのヘリコがエンジンの力がなくてピョン・ピョンと跳躍していたのも無駄ではなかった・・・か? 閑話休題)

ヘリコに用いる遠心クラッチは、エンジンの始動時に重たいローターを回さなくてもよく、ローターへのつながりも緩やかになる。また飛行中のエンジン停止時にはエンジンとローター・ヘッドを自動的に切り離しオートローテーションを可能にする装置でもある。

現在はエンジン側の駆動速度がローターの回転速度より遅くなるとローターが空転するワンウェイ・クラッチをローター・ヘッド真下に設けた機構に置き換わっている。

ただ、オートジャイロの飛行からわかるようにローターの慣性に貯えるエネルギーが小さいとオートローテーションは困難になり、ブレードを軽く設計するヘリコの設計ではオートジャイロから期待されるようなオートローテーションは無理である。もちろん風車とプロペラの翼型設計の違いも大きい。

さて、これらを組み合わせて最初の現代ヘリコ(固定翼機でいえばブレリオXI)になったのは1935年に初飛行したサイド・バイ・サイドのツイン・ローター式フォッケウルフFw61であり、1939年に初飛行したテール・ローター式シングル・ローターのシコルスキーVS-300であった。

飛行機では4年で終わった雌伏の期間がヘリコプターでは実に38年必要であった。固定翼機の両大戦と同様にヘリコは朝鮮とベトナムの二つの戦争をへて民間での実用性が確立した。

その中でヘリコで避けられない機械的、空力的振動のブレーク・スルーをすっとばし、同軸やV軸交差のツインローターやシングル・ローターのアンチトルク機構のフィネストロンもノーター・システムもどこかに置いといて、
以降の重要な革新技術は、というとやはり、ローター・ヘッドでヒンジの替わりに金属や複合材料のたわを使ったヒンジレス(またはリジッド・ローター・システムである。

フェザー、ラグ、フラップの三つのヒンジを完全に取り払ったのは1959年に初飛行したテール・ローター式シングル・ローターの ロッキード・カリフォルニア CL-475 研究機が最初であった。

これで、ヘリコの宙返りも可能になり機動性も向上するが、最大の利点はメインテナンスの容易性であり、空力による自立安定性は低くなるが自動安定装置との併用と一部にはヒンジを残すセミ・リジッド式が主流になっている。

こうして固定翼機と回転翼機の開発を振り返ると、重要なメカニズムで固定翼機はヒンジレスからヒンジ式に、回転翼機はヒンジ式からヒンジレスに変わる正反対の進化が興味深い。

固定翼機もステルス性とかでヒンジレスになるのだろうか?

さて、もう少しツイン・ローターのヘリコの歴史まで振り返りたいが後回しにして、次回は「オスプレイのXXについて考える」、なのだー・・・

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注記 ヘリコの歴史はこれほどストレートではありません。ここで代表的な機名に付けたリンク先(ALL THE WORLD'S ROTORCRAFT)はヘリコの歴史の宝庫です。ぜひご参照ください。

キネマ航空CEO オスプレイの再開の前に回転翼機を振り返る。(その1)

キネマ航空CEO オスプレイの再開の前に固定翼機を振り返る。」から続きます。

現代に続くヘリコプターの浮揚(ホバリング)はライト兄弟の飛行からほぼ4 年後の1907年11月13日に飛んだ(跳んだ?)フランスのポール・コルニュによる、と言われています。(本ページのリンクはいずれも英文ですが関連した写真や画像があります。下までスクロールして参照してください)

本当に浮揚したといえるかどうかは浮いている写真(地上の写真はあります)も残されていないのでホントのところは分からない。精密模型が、「かかみがはら航空宇宙科学博物館」にあるのでご覧の上ご自身のご判断を優先ください。

当CEOは時代を過ぎれば、「ライト兄弟もコルニュも自転車屋」であった、というそれだけの理由でこの説を信じたい。

さて、ヘリコプターの開発で最初に解決しなければならない問題は、回転翼(ローター)が回ると、エンジンを取り付けてある胴体を反対方向に回転させるトルク反力をいかに打ち消すかでした。(後年打ち消すのではなく、発生させない、考案もあるが成功していない)

この反力を打ち消すためには同じローターを逆方向に回転させるのが手っ取り早い解答の一つとなる。ただ同じといってもローターの翼型は回転方向に合わせて逆向きでなければならない。

コルニュのヘリコはこの方法の一つであるタンデム・ツイン・ローターと呼ばれる形式です。一つのエンジンと一本の平ベルトで前後のローターを逆回転させます。

平ベルトなんて今見ることはまずありませんが軸の配置とベルトの掛け方、プーリー径の大小で回転軸の向きや回転方向、回転速度を変えらる優れもので産業革命を支えた技術の一つです。

ベルトでは「すべり」がありますから前後の回転の同期は取れません。したがい、機械的に同期のとれたローターの回転面の一部分が重なっている現在のタンデム・ローターではありません。

サイド・バイ・サイドの違いはあれ、機械的に同期されていてもローターの回転面が重なっていないオスプレイの遠い遠いご先祖さまの形態的なDNAとなります。(オスプレイには一目で分かる工学上の別の理由があるだろうですって?その通ーり、でも飛行機もヘリコもロマンです)

さて、ヘリコの飛行には固定翼機の10倍程度のエンジン出力が必要であり、エンジン性能の向上を待つ間に様々なトルク反力の解決法が現れます。タンデム・ツインのローターを上下に重ねた同軸反転式やテール・ローター式などの開発者の名前は広く知られることなくヘリコの基本技術となりました。

これと並行しながら操縦機構が開発されます。まず、上昇と下降はエンジンの出力を操作することで可能です(以降はエンジンが必要な動力を出している前提での説明です。回転翼機で前提がぐずれれば即、墜落となります。・・・正確には機体の姿勢を変えてオートローテーションという技法が使える機体で操縦技術を駆使しなければ・・・ですが・・・。)

また、空気(流体)を介して行いますからローター(船だとスクリュー)翼の迎え角(ピッチ)を大きくして揚力を増加したりピッチを小さくして揚力を減らしても行えます。

これを、ピッチを是正(コレクト)するという意味でコレクティヴ・ピッチ・コントロールと呼びます。

固定翼機のプロペラでも速度によって効率の良い迎え角が変わりますから可変ピッチ機構が考案されますが実用化されたのは1930年頃でした。(閑話休題)

次に回転翼機が前に進むためにはローターを前傾させます。このためには、回転するローターの後ろ側の揚力(迎え角)を前側より大きくさせます。すなわちローターが一周する間にピッチを変えて、またもとのピッチに戻す、つまり周期的(サイクリック)にピッチを変えることで可能となります。

以上のヘリコの要となる動作をサイクリック・ピッチ・コントロールと呼びます。これには固定板と回転板からなるスオッシュ・プレートを傾けて行います。

コレクティヴ・ピッチ・コントロールはスオッシュ・プレートを傾けずに単に上下させることで行います。

最初にサイクリック・ピッチ・コントロールを装着したのはアルゼンチンからヨーロッパに渡ったパテラス・ぺスカラ侯爵(もとはスペイン人)の同軸反転型(複葉式)ローターのヘリコからと言われています。

ぺスカラ侯爵はこの概案を1916年頃に創り、出資者を募り1919年には一号機を試作したようですが、フランス軍の援助で実際に飛んだのは三号機で1923年だった。(飛行中の写真あり)

サイクリック・ピッチ・コントロール操作にはジャイロスコピック・モーションと呼ばれる現象が関係します。一般には「高速で回転している物体の軸は倒れない」として知られています。

絶対に倒れないわけではなく、回転軸を傾けたい方向から90度遅れた位置に軸を倒す方向に力(正確にはトルク)を加えるようにしてやる必要があります。

スオッシュ・プレートのサイクリック・ピッチ・コントロール機構で迎え角を変えてローターの前半分と後半分に揚力の差をつければこの理屈でローターは傾いて操縦が可能になります。

ぺスカラ侯爵のサイクリック・ピッチ・コントロールの機構は風車に見られる方法のようですが、具体的に操作する機構はわかりません。侯爵は初めから理解して操縦機構を設計したのでしょうか?・・・まさか、操縦桿を右に倒して前に進むなんてことは・・・疑問は尽きません。

ヘリコの話になるとカタカナが多くなりすぐに紙面がつきます。ヘリコにはさらに重要な機構の考案が必要となるのですが、それは次回ということで恒例の閑話休題に入ります。

現在のヘリコではスオッシュ・プレートの基本的な操縦操作は、右手でサイクリック・ピッチ・コントロール・レバーを操作し前後傾斜(ピッチ)と左右傾斜(ロール)の操縦をします。

いっぽうの左手はコレクティブ・ピッチ・コントロール・レバーを操作します。このレバーの先端にスロットルを操作する回転グリップを取り付けて昇降(アップダウン)をおこないます。

この回転グリップはアメリカのベル社の考案のようです。ただし出力への反応が遅いガスタービン・エンジンと電子制御による安定を持たせた機体になると独立したレバーを設けることもあるようです。こちらはフランスで始められました。

左右の偏向(ヨー)はフット・バーで行います。ツイン・ローター機種では二つのローターのサイクリック・ピッチを差動させて行います。詳しい話は「オスプレイ」のバック・ナンバーでご確認ください。

なお、テール・ローター式ではフット・バーでテール・ローターのコレクティブ・ピッチを操作します。(閑話休題)・・・で、次回の「回転翼機を振り返る(その2)」に移るのだー。

2014年1月20日 (月)

キネマ航空CEO オスプレイの再開の前に固定翼機を振り返る。

オスプレイは固定翼機と回転翼機の良いとこ取りをした航空機と呼ばれる。

オスプレイの続きを再開する前に、固定翼機と回転翼機の基本となる技術の進歩を振り返っておこう。

歴史的には、内燃機関で動力飛行に成功したといわれる固定翼機と回転翼機はほぼ同じ時期に現れた。

前者は、1903年12月17日のアメリカのライト兄弟によるライト・フライヤー Ⅰ(1)(2)の飛行、後者は、ほぼ4年後にフランスのポール・コルニュによる1907年11月13日の飛行と言われる。

ただし、これらの実績には異論もある。例えば、ライト・フライヤー I 号を忠実に再現したレプリカ・モデルは飛べなかった。したがい・・・。

とか、コルニュのヘリコプターに使われたエンジン出力を使ってモーメンタム理論で計算して得られる推力では地面効果があっても、とても浮揚などできない。したがって・・・。

などと、様々な議論がなされているがここでは踏み込まない。どちらも機体を安定させ制御(すなわち操縦)するには不完全な形状と構造で後年の改善が必要であった。

生物と同じように工学製品にも後続する設計者が踏襲する実績を伴う最適の形状がある。

まず、固定翼機でいえば1907年に英仏海峡を横断したフランスのブレリオ XI でその域に到達したといえる。

完全に覆われていれば機体の安定に寄与するはずの胴体の後ろ半分は木枠とワイヤーの張線で構成された骨組みが露出したままではあったが、単葉の主翼と胴体後端にある水平・垂直の尾翼で構成されていた。

機名はスポンサー兼パイロットのブレリオでしたが設計者はモラーヌ兄弟ソルニエで、独立後の1912年のモラーヌ・ソルニエ G 型では一層洗練された形態となっており、ライト・フライヤーは完全に過去の形態となっている 。

操縦ではピッチとヨーはそれぞれ全浮動式の水平尾翼と垂直尾翼で行っていたが、補助翼はなく、ロールはライト・フライヤーと同じ主翼のねじれを踏襲していた。(原型では水平尾翼に左右連動と差動の機能を持たせて、今でいうエレボンでロールをさせる案だったようだ)

そして、現代に続く蝶番(ヒンジ)を使った補助翼(エルロン)の発明(権)は1904年にフランスのロベール・エノー=ペルトリが作ったグライダーであると言われる。

語源は1800年代半ばからあるフランス語の「小翼」でありペルトリのエルロンの発明にも異論は多い。

1910年代に入って戦場で飛行機の機動が要求され、それに伴う剛性のある翼や機体が求められ、主翼のねじれではロールの制御がむつかしい複葉機の翼から広く使われ始めた。

現代の固定翼機の基本構成は、モラーヌソルニエの形態にペルトリの補助翼を採用して完成しているといえる。

我々が科学と呼ぶものの多くは鉛筆と紙だけでは成立しない工学であり、何らかの革新(航空機の場合は内燃機関)があると自らの夢を実現させるべくさまざまな応用方法を考えて多くの人が同時代的に形を造り、また変えていくことになります。

工学における発明者はその過程でたまたま名を残している、ともいえます。以上の概観では現在につづく飛行機の発明国はフランスとなりますが面白くない人も国もあるようですね。中には、ほんとの発明者は日本人だ ! とノミネートする人もいる。

いずれにせよ、発明からほぼ10年の間に固定翼機の形態と機能が定まりました

こうしてライト兄弟には発明者の名は残りましたがその工学的な回答(製品)は過去のものとなってしまいました。(ちなみに現在では工学的発明に発明者の名が残ることはまずありません・・・閑話休題)

余談ながら固定翼機の飛行が「冒険から実用に」変わるのは戦争を経た1927年のリンドバークによる特注単座機ライアン NYP による大西洋の無着陸横断飛行でした。

とはいえ、当CEOに言わせれば、工学的には、それより14日遅れた、今では実行者の名前など語られることもないベランカ WB-2 、さらに25日遅れたフォッカー C2 で大西洋の横断による長距離、長時間の飛行の現実性を既製の機体(前者は単発、後者は三発エンジン)を改造した多座席の航空機で実証したことにあります。

その飛行にかかる数十時間を回り続けたエンジンを作る背景こそが航空機の進歩を支える時代となりました。

回転翼で直接機体の重量を支えるために必要な動力は、固定翼機の翼に必要な揚力を得る場合の動力の数倍から十数倍に達します。

このため回転翼機の開発はエンジンの性能と耐久性があるレベルに達するまで停滞することになりました。しかし、ヘリコプターの基本技術の一つは直接に動力で浮揚しないジャイロプレーンで発明されます。

長くなりますが次回は回転翼機について振り返ります。

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