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2015年2月の3件の記事

2015年2月27日 (金)

『心情リベラルの戦争論』を考える(「を考え始める」の巻)

前近代国家で行われた蛮行の再現を重ねる自称「イスラム国(以下 IS )」の出現で当CEOの頭に思い浮かんだのが角川映画の『戦国自衛隊』(1979年版)である。

フェイクとはいえ戦車や代演のヘリコプター(シコルスキー S-62)にジープや舟艇など現代兵器を持つ一個小隊が戦国時代へタイムスリップする物語だった。

半村良の中編を原作とする虚構ではあるが、それゆえか日本映画では珍しい本能的な戦争の様相が丁寧に描かれている。近代兵器の兵站を欠いた小隊は全滅するのだが予定調和とは言え骨太の映画であった。

映画は「時空の裂け目(いわゆるタイム・スリップ)」で近代の異質な集団が前近代に現われて自ら行う国造りの誘惑(歴史の改変というSFのもつテーマ)にとらわれるのである。

しかし、中東から広がる現実は、近代社会の中に前近代もしくは古代の戦闘集団が現れて国造りを始めたとも思えてくる。

なぜ?なのか、には様々な説明がある。

平和に慣れた日本人からすれば2003年に始まる、存在しない大量破壊兵器に踊らされた自衛隊の海外派遣のためといい、世界史をたどれば地勢や部族勢力の版図といった住み分けの文化を無視した人工的国境を強制した1916年のサイクス・ピコ協定だともいう。

薄気味の悪さでは機動力でユーラシア大陸や中東、インドを席巻し、ローマ帝国の崩壊やゲルマン民族の大移動をもたらしたモンゴル帝国の萌芽とも思えてくるであろう。

ただ、これらは論じる側は、自らを近代国家と自認したうえでの理屈となる。必然的にいわゆるISは国家などではありべくもないテロリスト集団と断じて、日本もこちらに組している。

論じられている側からすれば11世紀の十字軍、さらに前の東ローマ帝国とオスマン帝国の盛衰興亡にまでさかのぼるかもしれない。

いずれにせよ、歴史は「そもそも論」から始まり、論者は都合の良いところまでさかのぼり、そこからの結論に終わる。

たとえば日本ではリベラルもコンサバティブも、現状に存在する多くの相克状態は「ボタンの掛け違い論」となり「掛け直せば論」の展開となる。リベラルの多くは「いつも掛け違い」となるようだ。

どうやら、その理屈ではどうにもならないので、ボタンは「過去に戻って掛け直せ」とか「一つ、できれば二つ飛ばして直せ」とか「常に正しい」とかなんとか単純化して、民主主義(選挙)が大衆に迫ってくる。

ただ、ボタンの位置が、「正しく」あったとしても、「間違って」いても、「掛け直し」て見ても、最悪の事態となる戦争状態に引き込まれる可能性はある。

歴史は平和こそ不安定な状態であることを証明してきている。大体の戦争が平和条約を結んだ後におこる。俗にいえば結婚後に夫婦喧嘩が起こるようなものである。

次回は戦争の「そもそも論」でさかのぼれるだけ、さかのぼってみよう。

2015年2月 8日 (日)

キネマ航空CEO 浮遊するリベラルの憂鬱を考える(2)

『ショウ・ザ・フラッグの下で』(その2)

「ショウ・ザ・フラッグ(Show the Flag)」という熟語を具体的に意識したのは2001年の小泉政権の時代であろう。

現在を普通に暮らす国民としてリベラルとは何かを考えてみるキーワードになるのかもしれない。

Show」する「Flag」は一般的に「旗」と訳され、何らかの「記号」を示すために掲げ、また振る用途に使われる。つまり、「旗の開示」であり、漢語でいえば「旗幟鮮明(きしせんめい)」でもある。

「旗」の意味の範囲は広い。いっぽう、「幟」を「のぼり」と読めば、かつては神社仏閣で、今では小売店の店先に掲げられる縦長の旗を指しているが「し」となれば仏教の権威を示す旗を語源として、戦場に掲げられる権威を持った旗という軍事用語にも転じている。

Flag」の範囲も広く「栞」などの「目印」にも相当するが、どの言語にも「旗」には「幟」の意味がある。現在の日本語でも「旗」は「幟」の意を含んでいる。(だから見当違いが分かっていても日教組や共産党が嫌うんだね。過去の歴史なんて言わずに旗は我が組、我が党の掲げる旗しかなーいといえばいいのに)

さて、「Show」の意味のひとつは「見えて、あるいは見せて、いない、もの、感情、情報、を見せる」という行為である。

手持ちの英和辞書に記載された熟語の意味の幅を列挙すると、
・(軍隊の派遣により)権利を主張する
・公式訪問をする
・(会合などに)出席を人に見せるためだけに出席する
となる。

二番目は国家や政府の要人が使う専用機のコックピットの上の機外に国旗を掲げることで知られている(もちろん飛行中は機内に仕舞っている)。当然訪問自体にある意味を象徴する。

外交上とは限らぬが複数の人または組織の中に「個」を確立するには敵、味方、中立の仕分けが必要となる。

ただし、相手が同じでも、ある事案では「味方」だが別の事案では「敵」や「中立」となる。

交渉となると「味方」でも「敵」となり、また同時にその逆となる事案は多い。外交ではこれが複雑に絡み合う。

日本語での敵、味方は、一般的な英語ではEnemy(エネミー)、Friendly(フレンドリー)と直截的でいささか剣呑だ。

そこは英語では一種の雅語となる古語を使いフォー(Foe)、アリィ(Ally)、そして無難な「中立」はニュートラル(Neutral)のままである。

Show」する「Flag」はこの「Foe」、「Ally」、「Neutral」を示すことになる。

もちろん、かつて日本がおこなった「黙殺」もあるが「Ignore」と訳されたことはある世代以上には記憶にあるはずである。

正確には首相の記者会見での「ノーコメント」の意図が(陸軍の意向か、英語禁止が徹底していたのか)記事では「黙殺」となり、日本の通信社で「Ignore」と訳して発信され外国通信社では「Reject」と解釈された。
余談ながら当時の日本外交は中立国の大使館にいる外交官ではなく双方の通信社の電波(放送)を介して行われていた。連合国側で唯一、日本大使館のあったソビエト連邦を介して行なう目論見は見事に失敗した。(閑話休題)

小泉政権ではパックス・アメリカーナの平和を享受していた日本はソ連の崩壊により「難民救済資金」の拠出だけでは日本の権利の主張が難しくなり、交戦権を持たせないで国内的には三番目の理由、対外的には一番目の理由で外交的に「Show」したことになる。

そして安倍政権では二番目の理由でエジプトや周辺国に「難民救済資金」供与のスピーチに加えて周辺各国の「Foe」であるイスラエルで「Show the Flag」をおこなった。

「難民救済資金」云々は日本国内向けの言葉で、外部からは政治外交的に受け取られるのは否めない、と指弾するのがリベラル政党がおこなう支持者向けの発信のようだ。

基本的に今の国際社会には「難民救済」資金の受け皿はない。国際連合が日本の思惑に沿って機能しないことは明白であり、中東で「赤十字」が前面に立てるとは考えられない。その意味では正しい。

リベラル政党や支持者は今回の事象の一方で日本が依って立つ貿易という国際関係のなかでどのような「Flag」を見せるのか。憲法第九条による「Neutral」なのか。それが機能したのは東西の冷戦下ではなかったのか、を考える機会となる。

ただ「Neutral」を宣言しても簡単には自立できない。お互いに「敵」となる国の双方が大使館を置き本国に影響力のある外交官同志が接触ができ、双方に対話できる指導者がいることが認められていなければならない。

さもなくば「Neutral」は「Unknown」と同じでどちらに転ぶか分からない国になる。

永世中立のスイスは国民皆兵の国軍を持ち秘密銀行口座で双方の富を管理している。また西欧の精神支柱であるバチカン市国の傭兵を務めている。今後の宗教戦争めかしたテロに「富の管理」だけで対応できるかを問われることになる。

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いっぽうでは、互いに「foe」の関係にあっても「外交外の交渉」を可能にするインテリジェンス(諜報ルート)の構築という分野がある。当然ながら表に出ない人的危険は避けられない。

フランスやドイツはこのルートを使い身代金で人質を奪還したようだ。これには今回の日本のように人質の名前を公表して金額を釣り上げて強迫されるような段階では、もはや遅すぎることはリベラルも承知しておく必要がある。

リベラル・マインドはこうした活動を認められるのか、その前にインテリジェンスに及ぼす危険はどのように報道の自由と並立させるのか。たまには心情リベラルであってもインテリジェンスの背景を「Show」する政権交代の可能性を考えてみるのはいかがだろう。

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Show」にはもう一つ、「見せてはいけない、もの、感情、情報を見せている」という意味もある。エンターテイメントにおける「ショウ」はこちらの意が強いようだ ”It's Show Time!”(閑話休題)

安倍首相が行なった「Show」には多面性がある。ここで時間が経過した福田首相の行った「Show」とのリベラル的比較考察もいかがだろう。

2015年2月 4日 (水)

キネマ航空CEO 浮遊するリベラルの憂鬱を考える(1)

『ショウ・ザ・フラッグの下で』(その1)

自称「イスラム国」(英語名 Islamic State)を名乗る組織により二人の日本人が日本国民(首相を含む日本人)への報復の名目で殺害された。
「国(State)」と名乗る組織が行った個人に対する正当性の欠けらもない理由である。
心よりお二人のご冥福をお祈りいたします。

この経緯には闇の中に消えていく疑問がいくつもある。

まず、Y氏は何のために紛争地域に入ったのか。なぜ、危険な集団に敵対する側にいたのか。また火器を携行していたのか、いなかったのか。
現地で自ら日本の民間軍事会社の幹部と名乗っていたのか。名乗っていなかった、とすれば日本でのマスコミやWebでの情報が影響したのか。

そのY氏の救出に向かうとしてG氏がなぜ自称「イスラム国」の影響下の地域に入ったのか。該当もしくは関連する組織に何らかのコネクションがあったのか。
なぜ、行動は自らの責任とするビデオ・メッセージを残したのか。また、現地取材時にはいつも同様のメッセージを残していたのか。

G氏の殺害はY氏の経歴と関係したのかどうか。

最大の疑問は二人の日本人の殺害は自称「イスラム国」の開示した順序で行われたのか。日本政府が最も気にしていた画像の合成判別やG氏の声紋分析の結果の公表は信頼できるのか。

自称「イスラム国」は幕引き後は公開発信で言及させたヨルダン軍のパイロットの情報を封印している。(2月3日現在)

もとは身代金と人質交換のシナリオと日本政府の中東への歴訪に対するシナリオの二本があり、さらに分散して監禁していた末端組織の連携がくずれて暴走し統制する組織が後者のシナリオにそって画像情報の公開を実行したのではないか。

安倍首相は、2014年の末にはG氏については家族からの通報、さらには二人の人質の動向は大使館や外務省、警察庁の(部外秘という意味での)諜報情報を把握していたと考えられる。

こうした背景の下で2015年1月の中東訪問のスピーチ原稿が作られたと考えられる。

作成するのは首相が指名するスピーチ・ライターがいるのか。外務省の官僚なのか。そもそも日本人の本来曖昧であるべき外交スピーチの作成能力はどの程度なのか。

日本の外交は英語と日本語が作らて実行される。スピーチは双方の政府機関を含めて各国の報道機関や情報機関が翻訳比較をするというニュアンスの表現の齟齬が最大の弱点となる。さらに当事国においてもWeb上で同様のことが行われており、各国の情報組織はそのコメントを収集することで分析、補強される。

今回の内容は中東に対する日本のコミットメントのニュアンスが色濃く出ている。これを『ショウ・ザ・フラッグ』を求める米国とのすり合わせを完了した文章としてそのまま読まざるを得なかったのではないか。

こうした疑問が明らかにされることはないと考えられる。

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ただ、G氏が画像報道記者として弱者に注いだ視線の記録は、願わくは世界のNPOがその記録を日本人が行ったとして、それこそ拡散していただきたいものである。

(続く)

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