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2020年10月20日 (火)

ミッドウェーの「運命の5分間」の後先き・・・スマート、ステディ & サイレント・ネイビィ (第一の疑問)について考えるの巻

旬の後書きを出稿したいがために校正と校閲は不足しています
続く「第二の疑問 利根四号機の謎」に必要な
いくつかの作図や画像の調整に平行して
完了するべくお約束いたします
キネマ航空CEO

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( 承前 - ミッドウェーの「運命の5分間」の後先き・・・スマート、ステディ & サイレント・ネイビィ について考える(序章)

前回書き連ねた時系列の戦闘詳報で浮かぶ「第一の疑問」は、01:30 に第一次攻撃隊がミッドウェー(イースタン島、サンド島からなる環礁)に向けて発進すると同時に出発した敵艦隊を探索する七本の索敵線を飛ぶ各偵察機からの報告はまだなく、第一次攻撃隊は目標に到達していない 02:20 に「敵情特ニ変化ナケレバ第二次攻撃ハ第四編成ヲ以ッテ本日実施」という機動部隊の空母四隻に示達した発光信号の意図である。

敵情」とはどのような情況なのか、何が「変化」するのか、しないのか、第二次攻撃の目標は、艦船か陸地か、さらにその背景は何なのか、を次の文献から探っていく。

 #0 ミッドウェー 淵田美津雄 奥宮正武 1951 日本出版共同(朝日ソノラマ文庫 1992)
 #1 太平洋戦史 上 小島襄 1966 中央公論社 
 #2 ミッドウェー海戦 戦史叢書 43 防衛庁防衛研修所戦史室/著 1971 朝雲新聞社
 #3 ミッドウェー戦記 亀井宏 1985 光人社
 #4 ミッドウェイ海戦の心理学 勝敗を分けたものは何か? 安西二郎 1986 PHP研究所
 #5 パールハーバーの真実 技術戦争としての日米海戦 兵頭八十八 2001 PHP研究所
 #6 ミッドウェー海戦 第一部 知略と驕慢 森史朗 2012 新潮社 
 #7 ミッドウェー海戦 第二部 運命の日 森史朗 2012 新潮社

#7 では先の信文の冒頭には欠落があり「本日敵機動部隊出撃ノ算ナシ 敵情特ニ変化ナケレバ・・・」と続く。(太字下線 は一航艦戦闘詳報から引用としているが一応の公式文書である #2 には無いようだ)

しかし、これでやっと命令予告の辻褄が合う。航空乙参謀吉岡少佐が作成し、同甲参謀源田中佐、首席参謀大石中佐、参謀長草鹿少将、司令長官南雲中将の署名のもと第一航空戦隊の赤城へ直接、そして僚艦の加賀と第二航空戦隊の二隻の空母には発光信号で伝達されたとある。

#7 をよく読むと文案作成命令者は甲参謀の源田中佐の指示であったことを明言し、合わせて後の詳報作成時に自身の忖度で削除したとあるが藪の中である。

要するに第一航空艦隊司令部は「敵は不在」と断定して「断定に変わりが無ければこの命令を実行する」と麾下に通達していた。

その命令の背景を #4 から孫引きをするのだが、出典とする #1 は「太平洋戦争 上 」と名を変えて中公新書になっておりひらがな体で同一文が書かれている。

この記録の作成者の特定や作成時期などは不明のままで前後の文脈は分からない。しかし南雲司令部の作戦指導の本質を矛盾なく要約していると認められる。

なぜ残っていたのかも不明だが先の信文との類似などから南雲司令部の甲か乙の航空参謀が作成したと考えて間違いないであろう。

 () 敵ハ戦意乏シキモ、我ガ攻略進捗セバ、出動反撃ノ算アリ。
 () 敵ノ飛行索敵ハ西方南方ヲ主トシ、北西方及ビ北方方面ニ対シテハ厳重ナラザルモノト認ム。
 () 敵ノ哨戒圏ハ概ネ五〇〇マイルナルベシ。
 () 敵ハワガ企図ヲ察知セズ。少ナクトモ五日早朝マデ発見サレザルモノト認ム。
 () 敵空母ヲ基幹トスル有力部隊、付近海面ニ大挙行動中ト推定セズ。
 () ワレハ『ッドウェーヲ空襲シ、基地航空兵力ヲ壊滅シ、上陸作戦ニ協力シタル後、敵機動部隊モシ反撃セバ、コレヲ撃滅スルコト可能ナリ。
 () 敵基地航空隊ノ反撃ハ、上空直衛戦闘機並ビニ防禦砲火ヲモッテ撃攘スルコトヲ得。

とあるのだが、この不思議な論理を作成し戦闘指導を行った参謀クラスの心理、むしろ思い込みは痛いほどわかる。

)項で機動部隊司令部は二つの戦闘行動を「もし反撃してきたら」の時系列進行が必要十分しかも仮定の条件の下で連合艦隊司令部の作戦命令は「可能ナリ」と言い切っていることからも、この()項が至上命令であると断定できる。また、南雲機動部隊にとっては囮作戦でしかないアリューシャン方面のアッツ、キスカ両島の攻略上陸作戦と連動していた。

そのため南雲機動部隊司令部は()を既成事実とし、()を敵空母の推定出現位置からの方位として、その念押しとする索敵計画を立案した。なお、戦後の敵の策定要領図では()の敵の出現方向は間違いではなかったが想定した敵の索敵方向は逆であった。

)ではもっと北側から現れると考えていたようだが、現実はほぼ東側に居た。正確には待ち伏せ(アンブッシュ)されていた。

)の想定のもとで機動部隊司令部は、山本連合艦隊司令長官の本意と聞かされていた第一次攻撃隊発進後「半数を艦船攻撃で待機」の命令(連合艦隊の作戦指導の文書命令ではなかった)を実施したのち、第一機動部隊上陸支援を優先して陸上攻撃に変更(あるいは準備)を予告した。

なぜ山本長官は文書で命令できなかったのか、なぜ参謀達があのような敵情分析をしたのか、は「第三の謎」で取り組みます。

#2 では連合艦隊(山本司令長官)の作戦指導により第一機動部隊(南雲司令長官)が作成した(90以上ある)作戦要領の一部を復元している。

航空攻撃当日の N-2 日においては「広範囲の索敵と警戒を厳にする」と「攻撃の間母艦搭載機半数を敵艦隊の出現に備えて艦上待機」の前に、この作戦の主目的は「敵基地奇襲の実施」と「また情況により同日再度ミッドウェーを攻撃する」ことがある、と再攻撃の優先順位をつけ、N-1N 日の計画には「敵情に変化なければ・・・」と同様の態勢を繰り返すと予定している。

なお、N 日は攻略(上陸)実施日。上陸を支援したのちに400浬北に向かい N+7 日まで敵に備えて待機、N+7 日以降にウェーク島へ向かう・・・とある。

さて、通常では雷装、爆装の作業は飛行甲板の下二乃至三階に分かれた格納庫内で行いエレベーターで飛行甲板に上げエンジンの始動と暖気を30分ほど行うが、特に雷装は爆装より時間がかかるため(#5)艦船攻撃の半数待機と命令された時間に合わせるために陸上攻撃隊の飛行甲板移動と並行して行われていたと思われる。

)と()から成立する()項は、仮に敵がいても「大挙」じゃないよ、と信心とご加護の境地に近い。

)項の敵の索敵圏500マイルは日本海軍の文書なのでノーチカルマイル(nmi 浬または海里)と思われるが南雲司令部がこれに対抗するため採用した索敵線の進出距離は300浬であった。

当時米陸軍は航空機の性能にも陸のマイル(mi)を使用していたので500(陸)マイルを換算した434浬でも索敵線設定においては完全に逆アウトレンジすなわち、敵は索敵範囲の外側遠くにいる想定であった。
(現実では敵空母機の索敵範囲は200マイルであったが敵はすでに懐どころか左脇腹に迫りつつあった)

さて、()においてはこうも読める。この「敵」は「ミッドウェー基地であり、機動部隊が進む北西や主隊の進路である北側は手薄」である、加えて()の想定の「500マイルはミッドウェーの陸上機の行動半径に過ぎない」である。

なんと都合のいい想定であろう。 敵が集中して偵察行うはずの西方、南方の海上は上陸部隊の輸送船隊と艦隊が進む進路そのものであった。

その部隊のために奇襲攻撃を行う機動部隊と主隊は完全無線封鎖の行動であった。(現実では機動部隊は事前に破り、主隊は最後まで守るのだが)

ミッドウェー島にある長距離航空偵察の機材

所属 機種 航続距離
(nmi)
巡行速度
(kn)
滞空時間
(h)
行動半径
(nmi)
機数
陸軍
B-17 1738 158 11 873 19 +
 (4 /B-26)
海軍 PBY-5 2190 109 20 1095 32

ミッドウェー島からの PBY-5 飛行艇では爆雷を積んだ対潜水艦パトロールで1,000浬以上の行動半径がありじっさいには700浬の偵察半径で活動し、前日の 6 月 4 日に西から接近する上陸部隊の船団に対して攻撃を行って損害を与えているいる。

無線の傍聴から始まる敵の作戦計画では日本軍の上陸意図は既に掴んでおり、偵察による所在は分らずとも空母の存在は明白であり、陸上からの大型機による索敵と長時間接触から始まる中小型機による多段連続攻撃に続く空母三隻からの偵察兼攻撃編制の分散攻撃であった。

いずれの攻撃も意図した順序でもなく、兵装を投棄して帰艦した例もあるが、先行したほぼ全滅と言えるミッドウェー島からの魚雷攻撃や水平爆撃に続く絶妙ともいえる攻撃の空白時間*のあとの艦載機の攻撃では可能であったかもしれない日本の艦船攻撃隊の発艦を阻止し同様に()項による多大な犠牲を払った結果として艦隊直掩の護衛戦闘機(零戦)群を海面に引き下ろした後の空母機能の弱点である飛行甲板の破壊に最も効果的な急降下爆撃による艦載機からの攻撃につなげた。
*この空白時間に赤城艦上の機動部隊司令部は先の()から()を構成する奇妙な論理を()に集中させる攻めと守りの認知バイアスが決定的に働いたと考えられる。

ミッドウェー作戦の海空戦闘の実態は一体で行動する 4 隻の空母群 vs 1 つの飛行場(陸上機と飛行艇の基地は各々別の島にある)+ 2 隻の空母群+1 隻の空母 という 1:3 の海空戦であり、山本連合艦隊司令長官の当初の戦闘目的に対する考課は 1 : 4 のキルレシオ(空母 1 隻撃破するために空母 4 隻を失った)で終わった。

ただ、確かに空母の行き足を止めたのは航空機であったが、実際に横付けしていた駆逐艦とともにヨークタウンを沈めたのは遅れて戦域に入った潜水艦から走行深度を変えて放った 4 本の魚雷であった。

日本側の空母では 4 隻とも航空攻撃(急降下爆撃)で行き足が止まり、飛行甲板や格納庫の火災から始まる爆弾や魚雷の誘爆で沈んだのは蒼龍、加賀、護衛の駆逐艦からの 2 本の魚雷による処分命令による赤城、飛龍だった。飛龍は介錯の駆逐艦が離れた後も横転したまましばらくは沈まず、魚雷でできた船腹の裂け目から機関科員の35人が脱出し漂流後米軍に救助されている。

)から言えるのは南雲機動部隊の偵察計画は攻撃部隊の進出距離を 250 浬以下と想定し、敵の想定索敵限界より短い捜索線 300 浬を設定する消極的な偵察計画に加えて、居ない筈の敵に攻撃兵力を割かないという予断であり、高速の攻撃機が索敵を行ったのはミッドウェー環礁の西側の 2 本の索敵線に時計回りに振り分けた赤城と加賀の九七艦攻 2 機のみで、()で想定した最も敵の存在が想定される残り 5 本の索敵線には零式水上偵察機 4 機、九五式水上偵察機 1 機を割り当てた。

そして()()を実際に証明することで()を確認して()を成就するための合計7本の索敵線は 1 機 1 回限りの一段索敵であった。

多段索敵の不実施は山本連合艦隊司令長官の出撃機数の分割を含む「半数を艦船攻撃で待機」すなわち「時間差二正面戦闘」の命令のためと言えなくもないが、単純に南雲司令部の参謀は()()()に囚われていたと考えるのが妥当であろう。

また、現実では()の敵は「察知セズ」どころか既に作戦自体を察知していたし、6 月 4 日 05:20 時には、別働の攻略(上陸)部隊の先陣を切る船団はミッドウェー基地配属の PBY-5 飛行艇に発見され攻撃を受け、数時間後には後続船団が B-17 から水平爆撃を受けて死者もでていた。
(南雲司令部は出港直前に攻撃実施日を1日延期する決定に拘わらず攻撃手順(時間)の変更を行わなかった。これも第三の疑問で考える)

また同日に南雲機動部隊でも、敵の接触「ラシキモノ」を視認(#036)したようだが、やはり()の「五日早朝マデ発見サレザルモノト認トム」で誤認として却下したようだ。この「五日」は攻撃日当日である。

)で攻撃もしていないのに敵の反撃などあるはずがない、と断定していた「算アリ」の「」は古語では「占い」の意味もあるけれど、少なくとも軍隊では名詞として「公算」とか「見込み」とか、基本的に確実性に重みを置いている。これは先の戦闘詳報に記載された発光信号による予告命令では消されていた冒頭にあったはずの「算ナシ」においても同様と考えられる。

機動部隊司令部は攻撃能力(機数)の最大化と同時に自らの索敵行動による存在の発覚を恐れていたようだ。現実には相手を見つければ相手からも見付けられていることは今回参考にした戦史からも読み取れる。また索敵行動では見付けられても見つけても知らぬ振りが通用するか、でもある。

戦後になって海図上に双方の航跡を重ねると同時刻に雲の上を飛ぶ筑摩 5 号機の下にいた敵空母群 TF16 はこの偵察機を確認していたが機からの無線発信に注意を払うだけで上空通過を黙視していた。

日本の偵察と言えば、連合艦隊が事前に担当した二式大艇 2 機による真珠湾にいる(はずの)空母を確認する航空偵察(K作戦)の燃料補給地としていたハワイとミッドウェーを繋ぐ環礁線のほぼ真ん中に位置するフレンチフリゲート環礁には、数か月前に日本が行った同様の編隊によるハワイ爆撃の示威行動に反応した敵の水上機母艦が進出しており予定の偵察は行えなかった。加えてミッドウェーの偵察に振り替えた 1 機は敵戦闘機と遭遇の打電の後に喪失している。

また、連合艦隊司令部の立てたフレンチフリゲートの西側の北に立てた 3 本、南の 2 本で構えた潜水艦隊の散開線の展開は計画よりも投入隻数は減り、さらに出遅れて敵はすでにピケットラインの北側をすり抜けていた。

少なくともこの時代の戦闘では戦闘部隊は周囲の偵察を自前でやるしかなかった。しかし距離のある前方や側面には索敵援助は必須である。

仕掛けられた「AFの水不足」の情報戦のポカもさることながら、軍令部と連合艦隊司令部の最大の失敗は作戦行動の秘匿のために敵信傍受(いまで言うコミント/Communication Intelligence)の集積と解析による判断を機動部隊に一切知らせていないことである。

(「AFの水不足」の情報戦のポカとは、海底電信線でハワイ島とつながっていたミッドウェーから無線で発信された敵の平文の(もちろん偽)情報を傍受して疑問を持たず無線を使って自軍に展開しており、すでに敵に傍受解読されていた海軍の暗号通信文中の地名記号 AF をミッドウェーと同定されたこと)

ここまでの戦闘行動に入るまでの経緯の怪しさは海軍の組織と体制を維持する、特に人間としての士官の 3S の表裏問題に尽きるが次々回または次々々回に「第三の疑問」の中でエリート軍人が予見と予断を独断で行わざるを得ない原因とその考察をすることにして次回は本題の「第二の疑問」に移ることになります。

さて、ここに上げた事例は、当CEOから見ると 3S のすべてが当てはまると思えるのだが・・・残された文章からの 3S 表裏問題の判定は参考文献(引用ページはあえて開示しません)を読んだ読者に一任いたします。特に # 2 の入手は難しいが公立図書館で閲覧または貸出できる(はず)。

基礎文献の読み解きでは #02 は当事者の記述の解釈、調査文献 #367 では先行文献(#02)をもとにインタビューによる知見を加えて構成されており、面談する側の記述とされる側の発言の解釈と考察、#4 は前回で扱った文献を含め1986年以前の資料から指揮官の心理と葛藤のベースとなる人間としての気質の分析の解釈と考察を参考に判定することになる。

例えば、言及しなかった()では、敵が書いた偶然の筋書きで瓦解するのだが、まさしく想定通りに進んでいた。ただ、文章自体は「【え】」と(体言止めで)動詞の語幹を漢字一字で結んでいる。

終止形の「【える】」と読むのだろうが「(テ必勝ヲ期ス)。」と続きそうにも思える。また文学的に続き(願望)を暗示させているとも思える。何と続くのか、このままで終わるのか。これも原本がなければ分からない。

ただ、当CEOのように片言隻句を論(あげつら)った論考をするようでは、「日本人の戦争」はできないし、その指導も当CEOには任せられない、と片づけられるのであろう。
それはそれで(学術会議に縁のない)当CEOは自由に論考できると言うことでありがたいことでもあります。

さて、参考文献の中で見過ごされがちだが #5 では江田島の教育は論理が必須の科学や工学の教育は行われていたが人を動かす言葉の教育は行われていなかったと論攷している(つまり士官の統率は精神論で行うことであった)。これについても「第三の疑問」で考えてみる。
(本書は九七艦上攻撃機の魚雷装着装置は機体別に異なっていたなど興味深い技術品質の細部や当時の山本五十六が海軍省勤務時代に構想した兵器のシステム論の視点からその顛末が展開されている)

補足資料として #1 から TF16 のエンタープライズに座乗し TF17 を含めた敵機動部隊の司令官スプルーアンス少将が戦端を開くにあたって将兵に与えた訓示を引用しておく。
ちなみに  TFTask Force であって機動部隊というより特命部隊のほうが正しい。機動部隊は Mobile Force であります。

(この訓示はミッドウェーから発進した PYB-5 飛行艇が発見した南雲部隊の位置を受信解読した 6 月 5 日 02:34(日本時間)から攻撃隊を発進させる 04:00 の間に行ったと考えられる。日本側では この PBY-5 を 02:32 に確認している。「敵情特に変化ナケレバ」の雷爆転換予告の 12 分後である。また、04:00 は第一次攻撃隊長が「第二次攻撃ノ要アリ」と打電した時間であり、南雲部隊に対してミッドウェー基地からの攻撃が始まる時間でもある)

敵はミッドウェー占領を目的として、攻撃してくるものと予想される。敵兵力は、空母 4 乃至 5 隻を伴い、輸送船、補給船を含むあらゆる艦種より構成されていると思われる。
もし、わが第16、17機動部隊の存在が敵に探知されなければ、我々はミッドウェー北東の位置から、敵空母を奇襲できる。
今後の作戦は、この奇襲攻撃とミッドウェー島部隊が敵に与える損害、敵に関する情報の入手いかんによって左右されるだろう。
いまや開始されんとする作戦の成功は、われわれの国家に対する偉大な貢献となる。
空母は、敵機の攻撃によって分離を余儀なくされる場合でも互いに視認距離内にとどまるように努力すべきである。

これをスプルーアンス少将が自ら書いたかどうかは分らぬが優れた参謀と参謀長に支えられていたことを南雲中将の司令部と比較して考えなければならない。もちろんそれぞれの指揮の下ででき得る全てを尽くした両国の兵士への敬意とともに。

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さて、本日2001年10月20日にはご祝儀相場とは言え世論調査の支持率 70% をマークした菅首相が野党で雌伏の時代の著作「政治家の覚悟 (2012) 文芸春秋社企画出版部編」が文春新書で再刊される報道があった。

旧著にある「政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で(中略)その作成を怠ったことは国民への背信行為」と政権与党を批判した記述を綺麗サッパリと削除して別のインタビュー記事に差し替えた、ようだ。

なお、ご本人はこのフレーズは記者会見で、誰の言葉か「知らない」と、ゴーストライターに任せて読んでいないと告白している、ようだ。

ようだ、ようだ、と続ければ、十分に江田島教育の 3S の資質をもお持ちの、ようだ。

出版元の文芸春秋のコメント、「過去の政権党の批判よりも直近のインタビューの方が読者ニーズにかなう」とは、お抱えゴーストライターの代弁とはいえ読者も舐められたものである。

さはさりながら、というより政権党に復帰したら克明な記録はあるのか、ないのか、説明もしない、と聞かされると当時の政権党とさして変わらず、相変わらずの「裏ガ有ッテモ、ウラガナシ」の日本の政権党であります。

新書、文庫といえば誰が書くのか忖度解説とワンセットのサービス付きであるが、それよりも、こちらに期待したい。

「文春砲」があるじゃないか!
こちらでまさかの忖度弾装填準備の
発令なんかしてはいないと思う・・・けど

 

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