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2020年11月25日 (水)

ミッドウェーの「運命の5分間」の後先き・・・スマート、ステディ & サイレント・ネイビィ はジャイロコンパスを使いこなせたか?(第二の疑問)「錯誤と逸脱」について考える。の巻

徒然なるままに書いている長丁場の掲載が終了してから
校正、校閲でぶった切るつもりです。
閑話休題を楽しむには今のうちにお読みください。
2020.11.25 キネマ航空CEO

--------------------前置き--------------------

大日本帝国海軍が航空機の羅針儀にジャイロ・コンパスを使用していたのは間違いない。当時の(今も)ジャイロ・コンパスは定期的にまたは随時自差修正済のマグネチック・コンパスの「N(磁北)」にジャイロ軸を合わせる更正が必要である・・・はずである。

ジャイロ・コンパスの利点は(一応は)不動の軸を持つジャイロの軸に対して機体の軸が左右に回転した角度を電気信号に変えて同じ角度を針路として表示する複数の定針儀を、例えば操縦士と航法士の計器盤に設置することができる。

ジャイロ・コンパス自体はジャイロを回転させる電力を喪失すればマグネチック・コンパスとして頼ることになる。したがいジャイロ・コンパスは操縦席にあり、航空士が真針路を偏差で修正した磁針路を使う方式で飛ぶ、とする前提で話を進めています。

ぶっちゃければ、人間が対面する羅針儀の方位と地図に記入する方位は偏差を通した一定の関係でつながった異なる数字であります。つまり地球と人間のややこしい関係を科学とか工学と呼ぶという哲学的なお話でもあります。(閑話休題)

いずれにせよ、ジャイロ・コンパスでは磁北を指す(つまり自差を取り除いた)磁針とジャイロの軸を重ねる作業は操縦士に課せられた新しい任務となります。

いっぽうでは、電気信号であるから、ジャイロ軸を「磁北(じほく)」から偏差を見込んだ「真北(しんほく)」に変えて合わせることで羅針儀の針路角を真針路角に変換することもできる。したがい索敵命令で指示される真針路の値をそのまま使うことも可能であるが・・・?

この疑問を、前々回 で取り上げた#8 「太平洋の嵐」のパールハーバーに向かうシークェンスから引用すると、

 発艦前の飛龍の飛行甲板
総飛行隊長機でもある嚮導機(九七式艦攻)の
飛行士(中尉)「母艦の位置は真珠湾の真北230マイル針路180度24節・・・」 
 発艦に続いて編隊を組み進撃針路に移る嚮導機
飛行士「偏流測定終わり、修正針路178度
操縦士/機長(大尉)「針路178度宜候(よーそろー)、編隊を組め
 組み終わると
機長「進撃針路に入る
飛行士「進撃高度4000
機長「針路178度宜候

と相互に針路を確認している。(史実では飛龍の飛行隊長が総飛行隊長を務めてはいない)

パールハーバー空襲は前年の1941年12月であり 1942年の磁偏差地図 で代用してハワイ北部の磁偏差は+11度程度となる。磁針路で進んでいるなら真方位180度に対し機体の針路角は169度となる。この時、攻撃隊を嚮導する九七式艦攻はジャイロ・コンパスの機能を使った真針路での航法を使用している、とも考えられる。 偏流の影響については 前々回 を参照ください。

この映画の制作年(1960)当時のシナリオが正しい時代考証を経ているなら零式水偵でも九七式艦攻の操縦員が行うジャイロ・コンパスの偏差更正と同様に「磁北」ではなく、「真北」を基準に合わせている可能性がある。

いずれにせよ、偏差修正の手順をこれから再読と検証する秦郁彦氏の論攷に重ねると、ジャイロの偏差を更正する操縦員と航法で磁方位を指示する偵察員は共に同じ偏差修正の間違いを重ねていたことになる。

偵察員は直前まで九五式水偵の偵察員であったことは間違いないが、操縦員はいきなり零式水偵を任されるとは思えない。経験はあり、ジャイロ・コンパスの整合手順や航法方式を間違える可能性は低いといえる。

まず操縦員がジャイロ・コンパスを真北に合わせたとする前提では偵察員が「索敵針路100度」と操縦員に伝えればそのままの真針路を進むが、九五式水偵がジャイロ・コンパスを装備していなければ、偵察員は正しく計算した磁針路90.5度を手順のままに「針路90.5度」と操縦員に告げた可能性は残る。

この当時、利根筑摩零式水偵九五式水偵を混載していた。新鋭機である零式水偵の配属機数はまだ少なかった。

いずれにせよ、当CEOは氏の説の否定を試みているが、肝心のジャイロ・コンパスは零式水偵では間違いなく装備されているが制式化が5年早い九五式水偵には装備されていないとは断言はできない。

当時はジャイロ・コンパスを偏差修正後の真北に合わせていた、という仮定も正しいと言い切ることはできない。

もし使われていても、利根四号機の偵察員は直前に機種転換の座学ないし訓練を受けているだろうからいきなり錯覚するとも思えない。受けていなければ別の問題がある。

むしろ、常識的にはジャイロ・コンパスのジャイロが異常の時には磁気コンパスとしての運用に変わるので、そのためにはジャイロ・コンパスにおいてもジャイロ軸を磁北に合わせて磁方位を用いた航法を採用していた、と考えるのが妥当であります。 

すなわち映画のダイアログから想像する定針儀の真方位表示説は間違っている。

以上の前提でお読みください。今回追加する参考にした資料は、

 #14 ミッドウェー戦記 豊田 穣 1973 文藝春秋
  初稿は1951年なのだがどこを改定したのかは不明

--------------------航法錯誤説の検証--------------------

第四索敵線を飛んだ利根四号機から発信された(暗号で送信されるというより短縮記号化されている)電文の謎は二つある。

かなり遅れて確認に飛んだ蒼龍二式艦偵筑摩零式水偵四号機の二機は報告された位置に敵を発見できなかったが、戦後米軍の公開資料から彼我の相対関係が明らかになってくると日本側に何らかのパーソナル・スキルとネイヴァル・システムに齟齬と隠蔽の可能性が浮かび上がる。

索敵の不手際は米軍にもあったのだから仕方がないとはならないだろう。

一度使った参考図はこちら  
(東京時間のため現地時間では -1日、 +3時間)

1.「航法上の錯誤」があった。
  日本時間04:28に最初に発見した敵艦隊の報告位置が基点としているミッドウェー島からの距離を約60浬程遠く報告し、追加される報告も全てこれに準じていた。

2.「索敵線からの逸脱」があった。
  指定された索敵線を通常の速度と高度の索敵手順で飛行すると報告時間に敵艦隊に遭遇する可能性はない。すなわち、発見できた事実からは通常の指示、命令を越えた人為があった。

以上の二点に加えて、索敵隊はミッドウェー攻撃隊の発艦と同時刻に出発する命令だったが、利根四号機のカタパルトからの射出が30分遅れて02:00となったこと、敵艦隊の発見から敵空母を発見を報告した時刻の05:20迄に1時間8分も掛かっていること、などが重なってより複雑になっている。

そして、「航法上の錯誤説」の最も単純な推定原因は、基点となるミッドウェー 島と偵察機の発進位置の相互関係を南北に長く設定していた、となる。もちろん、作図上はどちらを先に書き込んだのかは分からない。

なぜなら、航法上では偵察機は報告電文に必要な基点との関係ではなく発進する艦と機の相互関係のみで飛行するため、ミッドウェー島から発見位置までの距離は必然的に遠くなるからである。

同様に、「索敵線からの逸脱説」も敵艦隊の発見地点は出発点を西にずらせば指定された索敵線の帰路に重なるのだが、実際の出発点を西に移動しない限り発見時間通りには敵機動部隊と遭遇できない。

こちらの矛盾は飛行速度を所定の巡航速度よりかなり速くすることで計算上は成立するのだが会敵した時の滞空時間が減少する問題が残る。

これに対しては、索敵線の往路と復路の中間線を命令された300浬の進出点まで進み、折り返して同じ航路を辿り帰投する説。指定された索敵線の往路の途中から90度左の測程に入り指定された復路に戻る説。などなど諸説ある。

--------------------秦郁彦氏の論攷の概要と考察--------------------

ここから、「錯誤説」で定説とされる#9に採録されている秦郁彦氏の論攷「ミッドウェーの索敵機」の再読と検証に入る。

下図は「航法上の錯誤説」の結論を示している。
Photo_20201116200601

図中の時間は現地時間です。(東京時間への換算は、+1日、-3時間)。

秦氏の論攷は、時系列では東京時間6月3日の15:30に受けた機動部隊司令部第八戦隊司令部に向けた発光信号による索敵線の割り当ての命令から始まることになる。第八戦隊司令部は同様に麾下の航空巡洋艦利根筑摩の艦長に命令として伝達する。

当日かどうかは分からぬが、利根の飛行長は艦長を経由して受けた命令を第八戦隊指令部命令として、索敵を担当する操縦員と偵察員(通常いずれかが機長を兼務するペア)を人選し命令内容を説明し準備を指示する。

翌4日10:25に発令された機動部隊司令部の索敵隊出発命令で、索敵隊は攻撃隊と同時出発となり飛行長の計画のもと機体とカタパルトの運用計画を立て準備を始める。

実務はまず飛行長が、命令された(発光信号の書き取り)数字を選抜した利根一号機利根四号機の搭乗員ペアに伝えて飛行計画となる索敵航路図の準備をさせる。(この文および以下の関連する文は秦氏の論攷にはない)

偵察員が携行して索敵に使う地図は所属艦の航海士が海図台で使うミッドウェー島を印刷してある地図ではなく、いわゆる白(地)図が使われたようだが方眼状の線が入っていたかどうかは明白ではない。

基本手順は操縦員が記録した数字を偵察員が航空図板に乗せる地図に写すようだが、基準となるミッドウェーを地図に書き込むのは命令受領時以降には可能になる。 

では、出発位置の記入はとなると、事前の予定位置を使うことはまずないので、発進当日になって直前に飛行長から各搭乗員のペアに発進位置を知らされる。おそらく航海長が統括する天測位置を入れた海図からと思われる。

口頭でか、搭乗員のペアのどちらが書き込んだのか、海図台から移したのか、緯度と経度の直角座標でか、方位と距離の角座標でか、この時に基点となるミッドウェーの位置も書き込んだのか、・・・。

いずれにせよ一号機四号機の搭乗員(3人でも)ペアは、艦橋で偵察員が作図し携行する航空図板に載せた地図に記入された索敵路図を飛行長が確認したあと、艦長から訓示を受けて、起動後のジャイロの安定を含めた30分程の始動暖気運転を終えて左右のカタパルトに待機する零式水偵に向かう。 

秦氏は、出発前のルーティンワークの中に出発位置と基点の相対的な誤記の可能性があることを否定はできないとしても、聞き取り調査ではこれまでに地図に位置の誤記入の事例はなくその可能性はまずない、としている。

したがい、秦氏は羅針儀の取り扱いに注目している。 なお、利根四号機の搭乗員の階級は偵察員/一飛曹(一等飛行兵曹)/機長、操縦員/一飛兵(一等飛行兵)、電信員/一飛兵の序列であった。(飛曹は下士官)

機長で航法を担当する偵察員は出撃直前に利根飛行隊に着任し、その前は磁偏差の定義が異なる南洋や内地の海域で行動する水上機母艦瑞穂で二座の九五式水偵の偵察員機長であった。いっぽうの操縦員と電信員の経歴は不明であるが零式水偵の経験者のはずである。

なお、利根四号機は三座の零式水上偵察機であり航空羅針儀は操縦席にあり始動したジャイロ軸と磁北を合わせる更正が必要なディレクショナル・ジャイロ・コンパスであった。

また、利根飛行隊は同時期に事故機の補充で零式水偵を受領した。この機と3人のペアでどの程度の推測航法訓練をしたのかは定かではない。

秦氏が論攷する敵艦隊発見位置の誤謬が発生した理由は次の4項目にまとめられる。

1.(前提)索敵線の真方位100度、発進位置の偏差はE9.5(+9.5)度より索敵針路の磁方位は100-(+)9.5=90.5度である。(自差については後述)

2.偵察員は東偏の偏差E(+)9.5度で修正済みの90.5度を索敵針路の磁方位として命令を受けたが、この時の偏差修正値を西偏W9.5度と解釈していた

3.偏差Wが使われる南方や内地での経験が長かった偵察員は偏差E(+9.5)をW(+9.5)として真方位を90.5-(+)9.5=81度と計算して白図に写した

4.すなわち、飛行針路の方位は指定された真方位に対して正しい磁方位だったが利根四号機の「地図上の真針路」の方位では19度北に偏っていた。したがい、ミッドウェーからの距離が長く伸びた

ここまで、やや、どころか、かなり、ややこしいが、まずは以下の解説と 前回 の羅針儀の項を参照してください。

磁偏差値は、東偏を E または + で表し、西偏を示す W は - で表す。日本海軍では EW の表記を使っていたようだ。(#8 DVD の地図でも使われている)

計算に重要な意味がある偏差の方位記号の E W (東と西)は偏差の数値が持っている正と負( + - )に対応しており分離できない関係があり、偏差W9.5度は-9.5度であり、論攷の3.を記号を含めて正しく実行すると、磁方位90.5から真方位に直すには90.5-(-9.5)=90.5+9.5=100度となって元の真針路に戻ることになる。 

先に述べたように偵察員と操縦士は出発前に艦橋へ向かい飛行長から索敵線の進出方位(命令通りの真方位)と進出距離、測程方向と距離を記入した航空図板の点検を受け艦長の訓示のあと、始動暖気運転を済ませた待機中の機に向かう。

その前に偵察員はまず今回は白図に発進位置と基点となるミッドウェーの位置(この二つ位置はどちらが先でも、また基点は最後でも構わないのだが)を記入し、次に発進位置から真方位の索敵針路を記入する。 この状態から操縦員に伝える磁方位を計算するので E(+9.5) を W(-9.5) と間違えれば 100-(-9.5)=100+9.5=109.5度となるはずである。 

秦氏の論攷は、偵察員は E W の区別を計算式に使われた + / - で認識していた、とかなりトリッキーな指摘しているのだが、むしろ論攷の実質上の前提として磁方位から真方位を逆算する論法で「真方位で示す索敵線を出発後の機上で初めて地図に記入する」と解釈しているようだ。

実務上では、(飛行中の偏流測定による誤差修正の基準にする目的を含めて)偵察員が出発前に白(地)図上に真方位の索敵線を作図し、両側に索敵線があればそれも記入する、はずである。

しかし、出発前に真針路で示すべき索敵線が19度も北に偏った図になっていたら、艦橋で(どちらが後先か分らぬが先発した利根一号機との比較により)飛行長も異常に気が付くであろうし、飛行長の点検で異常がなかったのであれば利根四号機の偵察員自身も作図時には気が付いていたのではないかと思える。

偵察員が、磁気偏差の「(E)西(W)」と「正負」の意味、と計算上での扱いを、忘れていた、もしくは知らなかった、あるいは教育されていなかった、のではなく西偏(W)での方位の関係性の簡略式である 真方位 + 偏差 = 磁方位 より磁方位から偏差の値を引いた「勘違い」と秦氏は言っているのだが・・・。

ちなみに東偏(E)の簡略式は 真方位 - 偏差 = 磁方位 であります。 
一般式にすると 真方位 偏差(東偏は + 、西偏は - の数値を用いる) = 磁方位
ここで言う、磁方位羅針儀針路です。

秦氏の論攷には海軍のシステムや組織の職務規律のルーティーンへの視点が欠けているように感じられる。

偵察員が偏差を扱う計算で秦氏の論攷のような錯誤するには、修正済みの磁方位を「真方位としての90.5度」を誰かから受け取っていた可能性もある。同時に、飛行長は事前に行う地図の確認で誤ったまま出発させたことにもなる。

利根飛行長の証言にはハワイ攻撃時に偏差修正を誤りで帰艦が遅れて問題となった事例から航空図板には真方位と磁方位の値を併記させていたこともあった、とある。

この場合、ミッドウェーで使う東偏(E)の場合は、{[磁方位]/真方位} で示せば、{[90.5]/100} である。 これを西偏(W)として読めば、{[真方位]/磁方位} の関係になる。 真方位と磁方位の値の大小の関係ではどちらも正しいので、西偏(W)に慣れておれば真方位を90.5度と思いこむ可能性はある。

ただし、この併記は、利根四号機の偵察員以外の誰かが書いていないと成立しない。

秦氏の論攷と同じ90.5度を真方位として東偏(E)の値で磁方位を正しく計算をしていたとも読める。 もちろん、真方位と磁方位の大小の関係では正しいのだが、この場合は既に併記されていた磁方位に対する読み手の注意は欠如していたと言わざるを得ない。

もちろん利根四号機の偵察員は、だれかから真方位として記憶するべき数値として90.5度を聞いて偏差を東偏(E)として磁方位81度と正しく計算していたとも考えられる。

理由とすれば、「前置き」に記した多くの仮定を含んだ憶測にはなるが零式水偵九五式水偵の機種の違いからくる羅針儀の偏差修正システムの違いに起因すると言える。

この場合は秦氏の指摘するように磁針路は81度となる。

偵察員は正しく偏差で修正した磁針路として操縦員に「索敵針路81度」と伝えたら、操縦員は「針路81度宜候」と応えるのだが、事前に索敵の真方位は100度と聞いているはずであり、9.5度の差を不審に思ったかもしれないが階級が上の機長であれば発進が遅れたため針路変更の命令があったと納得したと考えてもおかしくない。

かくして、操縦員が「磁北」に合わせたジャイロ・コンパスで磁方位81度を飛べば真方位は90.5度、仮に「真北」に合わせておればそのまま81度となる。

真方位81度の索敵線は筑摩五号機の針路の4度南を30分遅れで飛んだことになり、もっと早い時間に敵艦隊を発見できるかもしれない。

いっぽうの90.5度の真方位はその13.5度南を通るので、分散していた敵空母とその護衛艦隊の針路のかなり前方であり当該時間の04:28に敵に遭遇する可能性は全くないとは言い切れない。

飛行長は出発前に確認したが、添えられているはずの方位の数字を確認していなければ図上の真針路が10度足らずの北側への偏移には気が付かなかったのかもしれない。 両側の索敵線も90.5度を挟んで23度に振り分けた索敵線を描けばそれらしく見える。(ただし命令文には23度間隔とは書いていない)

ここで気になるのは、航空図板に使われた紙は、全くの白紙だったのか、作図にも読み取りにも直感的な方位の基準となる方眼白図だったのか、島などの陸地を入れた白地図だったのか、白地図でないことは確かのようだが、日本の軍隊にルーティンワーク用の人間の感覚に沿ったな備品が用意されていないのかもしれない。

もう一つ余談だが、航空羅針儀一型改(大型)の目盛は一度刻みだが、#10 の操縦席計器盤図にある二型改は中型の2度刻みかもしれない。1941年の「航空機用計器ノ名称」には二型も二型改も載っていない。いずれにせよ0.5度刻みで運用するかどうか、は疑問が残る。

以上の考察で秦氏が論攷する「実際の飛行軌跡と機上の作図による地図上の軌跡の乖離の発生」を否定しているので、もっとも初歩的な発進位置に対する基点ミッドウェーの位置を方眼白地図の読み違いで誤ってプロットしていた、とする可能性は残る。もちろん、地図は全くの白紙で方眼はなかった、の説もある。

これにも多くの仮説が作れる。 利根の飛行長を補佐する飛行課員が作成して一号機四号機に同じ白地図を渡した可能性もある。

くどいようだが推測航法による飛行自体には敵艦隊に対する基点であるミッドウェーの位置は全く関係ない。 利根機からの敵艦隊以外の潜水艦や航空機との遭遇報告で使われた起点は出発点からの方位であった。

なぜ、ミッドウェーを基点にしたのか、合理的な理由、理屈も分からないでもないが、大元は司令部にいる参謀のためと思われる。将棋の棋盤のように適切に方眼に切り番号を振った地図を使えばよいのだが、「〇〇〇のxxxに敵空母」などと言うのは嫌だったのであろう。(閑話休題)

利根四号機が揚収されて艦橋に提出された航空図板の地図には異常は認められなかったとの証言がある。 一方では図には一本の線が引かれているのみだった、とも言われており方位や速度などのメモが記入されたはずの地図を含め、どのような仮説に対しても裏付けとなる証拠は何もない。

ただ、確認に飛んだ索敵機が利根四号機の報告位置に敵が不在で復路の途中で偶然敵艦隊を発見した時点で利根四号機の報告位置は間違いであることは明らかな事実であり、細部を積み上げれば利根艦橋第八戦隊司令部が加担したともいえる事態になっており第八戦隊が一体となった隠蔽が謀られたとも思える。

何しろミッドウェイ作戦の結末は、敵も味方も双方の無線傍受ができる連合艦隊司令部の旗艦大和でさえ後年のTVドラマの名台詞「事件は現場で起きている」を既に決め込んでいたのだから敗北の中の信賞必罰もできなかった。

資料を廃棄し口を封じればすべては「藪の中」である。

さて、機体について周る自差の問題が残っているが、「利根四号機は事故修理機であり自差の修正がされていなかった」「そんな員数合わせの機体を作戦に使うことはない」「いや、されていない機を領収するはずがない」と各論がある。

利根四号機の発進遅延についてはこれまた諸説あるが、#14では羅針儀が関係する原因として第八艦隊司令部土井参謀の言から「発艦まぎわになって偏差、自差の修正が行われていないことがわかり、どうにか修正して三十分遅れて発艦したが、コンパスの針は十度右にブレていた。そのため、予定コースよりかなり南にずれて飛行し、(引用終わり)」とある。

ここでは偏差に近い十度という数字が磁偏差が西偏の正しい式(100 + 10 = 110)で処理されているようにも見え(文中の数値は「十度右」以外に言及はない)、後出資料の一般的な説とは逆の南の方にずれていたので往路の途中で敵艦隊を発見できたとされている。

図でしか説明されていないので詳細は不明だが往路を2時間28分で200浬進み、平均80節(時速148粁)で飛んでいたり、ミッドウェーからの距離の矛盾についての言及はなく、二枚ある付図の関係にも不自然な点が多い。著者は九九式艦爆の士官操縦員兼機長だったのだが航法に関しては歯切れが悪い。

また、#3 では第八艦隊司令部土井首席参謀中佐の発言として、水上機のフロートを乗せるカタパルトの滑走台車に不具合があった、となっている。新旧のミッドウェイ関係の著作を突き合せるとこれに限らず、まだまだ「藪の中」は続くがこの辺で一旦中断する。

その一方では、定説の元本である戦史叢書#2 (1971)の彼我の航跡を突き合せた配置は正しいのか、の疑問にも通じる。いずれ機会を作って検証してみたい。(元本 #2、正確には敗北後に作成された作戦経緯と戦後の米軍の調査を経たあとの米軍公開資料を編纂し考察を加えたもの)

さて、羅針儀の精度については偵察機のほかに嚮導機となる艦攻、中攻など偵察任務も兼ねる機体には水平目盛盤が使われる大型、中型のジャイロコンパスが使われている。

大まかとは言え、艦載機の偏差修正の確認は発艦もしくは発進後大きく旋回して羅針盤を安定させて事前に知らされている母艦の進路と平行に飛びながら行うようだ。もちろん、この時にも実施されたかどうかは不明である。

自差は、個々に特有の磁性体や磁場を持つ機体と羅針儀に固有の特性と据付角も含めた組み合わせで固有の値を示し、方位によっても振(ぶ)れるようだが自差の特性を含めた数値が分れば偏差の中に組み入れることもできる。

また、前回の「航空機用計器ノ名称」の中にある機上自差測定器等は利根にも配備されていたのではないか。 測定と調整は別ものだが航空(偵察)巡洋艦と豪語する艦(ふね)にこうした設備機器機材の配備がなければ攻撃優先偵察軽視の海軍であったと言われても仕方がないだろう。

--------------------まとめて、次回の前置き--------------------

秦氏は彼我の艦隊航跡図から索敵線下にありながら雲上飛行を行い、これを見逃した筑摩一号機(機長は士官)の怠慢を指摘している。

また、同機は途中で敵艦載機と空戦まがいの遭遇をしておきながら報告をしていないことも列記している。

それを補い敵艦隊を補足した利根四番機の功績を認めて、空母発見までの行動に積極性の欠如が見えるとも指摘している。

論攷の「航法上の錯誤」も「索敵線からの逸脱」がなければ時間的に成立しないのだが後者には納得できる論攷を与えていないようだ。

また、積極性の欠如では、利根四号機が命令された長波輻射は後方の主力部隊を含めて日本側の受信記録はなく命令を実施していない、としているのだが、他の資料では米側の受信記録があるとしている。(日本側では消息を絶った筑摩五号機が実施している報告は残っている) 

利根四号機は06:00前後からの敵情報告の記録がないのは敵の防空戦闘機から待避行動に入っていると思われる。 なお、長波輻射は長いケーブル・アンテナを伸ばして吹き流しながら行う。

次回は利根四号機の発進時間の遅れを含めて偵察機の乗員となってどのような服務規程で偵察飛行をしているのか、から思考を進めてみたい。

ほとんど転記だけなので今月中に済ませたいのだが・・・

その結果から、今回の真針路90.5度の錯誤についての検証*注)を含めて、むしろ利根四号機に「索敵線からの逸脱」はなく、正しい進路を飛行中に敵艦隊を発見できる真説を探ってみたい。

*注)きちんと整備されている(はずの)索敵機発進の規則と手順のルーティンワークの中でそれぞれが遂行意欲を持って行われておればあり得ないのだが・・・できないのが人間なのかもしれないが。

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