24H JST ANALOG CLOCK --- OUT OF SERVICE

JST Clock runs on Shockwave-flash. Zulu Time=JST-9

無料ブログはココログ

JST Clock runs on HTML5

« 2021年2月 | トップページ | 2021年4月 »

2021年3月の2件の記事

2021年3月30日 (火)

ミッドウェーの「運命の5分間」の後先き・・・タスクフォース索敵行 弐の巻

公開校正校閲中です。

いよいよ前回まとめたミッドウェー(以下 MI)作戦におけるKdBの行動表の座標を適当な地図の上に落としてゆきましょう。そのための海図の選定から始めます。

索敵機の偵察員が携行する航空図板に張り付ける地図の様式については今のところ断定はできない。しかし艦隊各艦の艦橋の海図室にある海図はメルカトル図であることは間違いはない。

この航海長が統括する海図の基本情報に加えて天候、索敵など独自の諸情報が集約され、旗艦であれば艦隊付参謀や戦隊付参謀が今後の行動や攻撃の準備その他を調整した戦術を参謀長が司令長官に上申し司令長官が艦長に命令する。

艦長は各課の長となる士官を通して下級士官、下士官を経て兵に伝わる。この中で航海長と飛行長(と飛行隊長を含めた)関係に注目したいがそれは追々と・・・。

ここからは当CEOがその海図に情報を書き込む段階で航海長の下の兵曹長クラスの下士官となって作図して見る試みであります。

さて、このへなちょこ兵曹長はかなりテキトーで地図は日米双方の公式戦史の付帯図に目をつけて、念のためそれらがメルカトル図であることを確認することから始めることにした。

日本側の地図もほぼ公式資料だがいろいろと面倒そうなのでサムネイルを掲載していませんが図書館から借用している書籍の付図の情報を下表に示します。

なお表中のサムネイル画像はクリックで別タブに開きます。

(以下 テーブルの下に続きます)

基礎文献によるミッドウェー海空戦の海図比較
Diagram
Map
“The Battle of Midway
- Strategic and Tactical Analysis”
-Map Title & Sub Title-
「戦史叢書
ミッドウェー海戦」

-付図名称-
(左に対応)
省略 Diagram A
Theatre of Operations
 
省略 Diagram B
Search Plans & Movement of Forces
To 2400, 3 June
Zone Time +12
付図第一
ミッドウェー、アリューシャン作戦における各部隊行動要領、飛行哨戒標準、潜水艦配備標準(機密聯合艦隊命令作第十四号及びその後の訂正加味)
Diagram-c_s Diagram C
Air Searches Midway Area
(Beginning 30 May)
付図第二
ミッドウェー及びアリューシャン方面における各部隊進撃行動図(ミッドウェー部隊は六月四日までアリューシャン部隊は六月五日昼まで)
Diagram-ds Diagram D
0000-2400 4 June 1942
Zone Time +12
付図第三
ミッドウェー部隊合戦図(六月五日)
Diagram-d1s Diagram D-1
0000-0600 4 June,1942
Zone Time +12
付図第三の一部の部分拡大に相当
偵察機の航跡や双方の攻撃ルートは表示されていない
Diagram-d2s Diagram D-2
0600-0900 4 June,1942
Zone Time +12
 同上
Diagram-d3s Diagram D-3
0900-1300 4 June,1942
Zone Time +12
 同上
Diagram-d4s Diagram D-4
1300-2400 4 June,1942
Zone Time +12
 同上
省略 Diagram E
0000-2400 5 June,1942
Zone Time +12
付図第四
ミッドウェー部隊戦場離脱と引き上げ行動図
省略 Diagram F
0000- 6 June and After
Zone Time +12
付図第四

今回は米側の“The Battle of Midway - Strategic and Tactical Analysis” の Diagram C Air Searches Midway Area (Beginning 30 May)を検証に使用します。

メルカトル図法の採否の検証に米側の図を使用した理由は図の座標軸に補助目盛線をきちんと示していることです。加えて戦後すぐに日本に乗り込んだ調査団が収集した資料であることもあります。

原本は1948年に機密文書として作成されておりアーカイブはマイクロフィルムの時代であったが書籍を分解までして正しく複写複製することはなかった。

そのため経緯線のアスペクト比は崩れており北緯30度の緯線と180度の経線だけがほぼ直線で直交しているけれど海図として航跡のレファレンスに使うには苦しいところがあります。

幸いにも1991年に原本の機密は解除されて2017年になって当時の作成責任者だった(海軍大尉のち少将で退役した) R.W.Bates 版として刊行されている。

こちらでは上表のDiagramがコンピュータで復元されておりWebに乗っていたことがあったようで、何かのはずみでDiagram C のみが当CEOの手元にある。

次回はこの図と 先々回の「簡易メルカトル図法の経緯線アスペクト比」との妥当性を検証してから 先回の「第一機動部隊の時刻表」 と 今回選んだ 「Bates海図」を組み合わせた検討に入ります(次々回になるかなー)。

こうした点では残念ながら日本側の「戦史叢書 ミッドウェー海戦」 の付図は負け戦とは言え、今回のような検証に使うにはいささかおざなりな記録であります。

なお、今のところどちらの文献も全文と(Bates版を除き)付図を含めてWeb上で閲覧できます。

2021年3月22日 (月)

ミッドウェーの「運命の5分間」の後先き・・・タスクフォース索敵行 壱の巻

公開校正校閲中です。

ミッドウェー作戦では日本側が傍受した海底電信線でオワフ島とつながったミッドウェー島発信の平文の無線通信に仕組まれたトラップを不用意な平文無線で拡散して大日本帝国海軍の次の作戦目標の特定がなされていた。

攻撃開始直前の航空偵察として二式大艇2機による空母の所在を確認する第二次K作戦によるパールハーバー偵察では潜水艦からの燃料補給のための会合地点としたのはミッドウェーとハワイ群島を結ぶハワイ列島の中間、半年前のパールハーバー攻撃や第一次K作戦の偵察兼爆撃行で使われたフレンチフリゲート環礁だったがすでに敵の水上機母艦が進出してPBY-5飛行艇が哨戒飛行を実施しており作戦は中止された。

その後二式大艇の1機はウオッゼ島からの偵察で未帰還となっている。ウェーク島のほうがミッドウェーに近いのだが飛行艇の運用上でウオッゼ島が使われた。

また、潜水艦11隻で5本の警戒線を展開する計画は故障で動員隻数が減り中止したK作戦に分遣していた3隻の再配置が終わった時点では二群に分かれた敵の特命艦隊(タスクフォース)TF16TF17は五日前に警戒線を通過していた。

余談だが日本海軍ではタスクフォース(Task Force)を機動部隊と訳している。いっぽうお相手は日本の機動部隊モバイルフォース(Mobile Force)としている。

   今では携帯電話(Mobile Phone)並みのお手軽部隊と取れる命名である。もはや携帯電話も廃れてスマホ(Smartphone)とやらになっているけどね。
   ちなみに日本側の機動部隊の符号はそのまんまのKdB(KidoButai)で聯合艦隊GFだった。後者は第一次大戦の英国での用語のGrand Fleet 【大艦隊】からの借用らしい。英語では連合した艦隊Combined Fleetが使われる。
    聯合艦隊は日清戦争において複数の艦隊で編成される艦隊を指す用語として作られ、その後は有事や訓練での随時の編制で使われたが大正時代に常設化した。
   日本では空母や基地の航空群の単位は航空戦隊のSfが使われる。本作戦のKdBでは1AF(第一航空艦隊)を構成するのは1Sf(第一航空戦隊)2、2Sf(二航戦)2 の4隻であった。
   パールハーバー攻撃では5Sf(五航戦)2 が加わる6隻で編制されていた。日本はこれ以上の規模の航空艦隊を編制をすることはなかった。

   航空艦隊の略号AFは攻撃目標のミッドウェイ島の暗号名AFでもあった。(閑話休題)

さて日本に残された索敵手段としては後方で行う無線傍聴があった。通信の内容とは別に発信の方位で位置を特定し送信の頻度やパターンで敵の規模や行動を推定し予測する今ではオシント(Open-Source intelligence)と呼ばれる諜報手段の一つである。
   日本側も機動部隊出撃時には日本近海で空母と潜水艦部隊の訓練を模した偽交信を行っていた。

攻撃実施の数日前に南洋方面にいた第六艦隊の敵信班がミッドウェーの北方で頻発を始めた空母と航空機間らしい交信を傍受し特定した位置を無電で大本営に報告したが受信記録文書は残されておらず無視というより黙殺されている。(受信した側は受信電を返すがその文書記録を含めて受信側には存在していない)

GF旗艦大和の敵信班はこの電信の傍受あるいは独自の傍聴なのかは不明だがKdBに近い海域に敵艦隊の所在を探知してGF司令部に報告していたが黒岩GF参謀の「KdBも傍受しているはずであり無線封鎖の厳守と継続」を主張する進言を是とした山本GF司令長官の判断で指揮命令系統にあった南雲KdB司令長官へは周知されなかった。(KdBは傍受していなかった)

かくして日本側が採用した索敵計画はKdBが単独で立案したミッドウェー攻撃隊の発艦と並行して発進させるミッドウェーを挟んだ西側に外付け兵装なし7.7mm旋回機銃一挺のみで高速を出せる三座の九七艦攻を2機、そこから反時計回りの東側に双フロートで同じ兵装の三座の零式水偵を4機、旧式で低速短足だが旋回一挺、固定二挺の7.7mm機銃と下方視界は広い複葉単フロート二座の九五式水偵 1機による索敵線七本の一段のみの(時間差をつけた後続機を出さない)索敵が開始されるまでを以下にまとめる。

1.機動部隊の航跡

敵空母の撃滅は軍令部総長永野修身(海軍大将)が奉勅した大海令第十八號
  
山本聯合艦隊司令長官ニ命令
   一 聯合艦隊司令長官ハ陸軍ト協力シミッドウェー島及ビアリューシャン群島西部要地ヲ攻略スヘシ
   二 細項ニ関シテハ軍令部総長ヲシテ指示セシム」
によって軍令部総長が細項を指示した大海指第九十四号の別冊「ミッドウェー島作戦ニ関スル陸海軍中央協定
   三 作戦要領
     一、海軍航空部隊ハ上陸数日前ヨリ「ミッドウェー」島ヲ攻撃制圧ス
       ・・・
     四、海軍ハ有力ナル部隊ヲ以テ攻略作戦ヲ支援掩護スルト共ニ反撃ノ為出撃シ来ルコトアルベキ敵艦隊ヲ捕捉撃滅ス
と、日本語としてはいかようにも解釈できるというより連合艦隊に下された天皇陛下のご命令はあくまで攻略(占領)作戦の命令であったことは何度も述べている。

   ミッドウェー攻略作戦にはアリューシャン作戦を含めると艦隊と船団からなる七つの部隊編成で実施されたが下表はミッドウェー環礁の占領のために制海制空権を確保する奉勅命令を受けた第一機動部隊の航跡である。

   この時間表のなかで別働する攻略(上陸)部隊の船団はすでに空爆を受けており損害も出ているが省略する。それらについては表の注記にある文献を参照ください。

Mi1af_9191185

6月3日は無線封鎖を続けて針路70度9節で進む補給船団を含むKdB艦隊が5日の攻撃隊の発艦予定地点に向けて大変針を行う日であったが霧の中の操艦を強いられておりKdB司令部1030に微弱長波により変針手順を命令している。

この辺りから記録に相違が見られる。例えば「記録ミッドウェー海戦」(以下「記録Mi」)では電波輻射と同時刻に125度に変針としているが21隻の艦隊と5艘の補給船団で構成された部隊が霧中の変針命令を受けて即時に実行できるのかどうかには疑問がある。

「戦史叢書 ミッドウェー海戦」(以下「叢書Mi」)では天測を実施した12001315の二回に分けて100度135度と変針している。いっぽう「記録Mi」では1330の天測座標(と思われる)の記録時に130度へ針路を再度変更している。

「叢書Mi」では3日1315に定針した135度から5日0030の第一航行警戒序列と同時に130度に変針している。

「記録Mi」では4日0307に針路そのままで速度を9節から12節に変更している。「叢書Mi」では9節から12節への変更時点は記されていないが翌5日120012節から24節に変更している。4日0307には艦隊への給油が終わった補給船団に駆逐艦の一部を付けて分離別動させておりこの時点で12節に増速したと考えられる。

利根四号機に航跡の検証の基準となる攻撃隊の発艦位置においては天測座標では記録されていない。最も流布している「ミッドウェー」とそのあとに刊行された「叢書Mi」との間にも齟齬がある。

ミッドウェーからの方位では「北西」「315度」(「叢書Mi」では両方)が使われていて、距離ではそれぞれ「240浬」「210浬」とされている。

「北西」「315度」は同じ方向と言えば同じと言えるが一方は「西北西」から「北北西」(315 ∓ 22.5度)の間とも解釈できて航海記録としては全く等しいとも言えない。30浬の差も24節で直進すれば1時間15分かかる距離である。

これらの記述に何らかの意味や意図が入っているのかを地図上で読み解くことになる。

なお、以上三件の基礎資料に別刷りの正誤表があるのかもしれないが「叢書Mi」を除き入手できていない。参照した他の参考資料(日本語)にも特記するような記述はない。

続く

« 2021年2月 | トップページ | 2021年4月 »

2021年10月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31