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2021年8月の1件の記事

2021年8月30日 (月)

キネマ航空CEO 海図と航空図の図上検証を始める(その前に)。

「ミッドウェー」のカテゴリーを始めたころの2020年8月から朝日新聞朝刊に池澤 夏樹 作 影山 徹 画「また会う日まで」の連載が始まった。新聞小説の良いところは挿絵が挿入されることにある。もちろん技術的文化的な考証を必要とする場合もあるだろうが・・・当カテゴリーで取り上げている航法計算盤の図が掲載されている。

さて、主人公は実在の秋吉利夫、海兵42期、最終階級海軍少将、最終職位職責は海軍水路部第二部長後に同第一部長を兼務、学位は東京帝国大学理学博士、クリスチャン。水路部は海図作成と天測に必要な天文歴を編纂する天文学、潮汐や地磁気等に関する地球物理学、さらには航海術や航空術に必要な器具の開発や改良をする業務と幅広く担当する。その彼が航法計算盤の精度向上をさせたエピソードが出てくる。

ここでは(秋吉氏の資料からなのか作者の知見なのかは不明だが)ミッドウェー後の時制に挟まれた以下の文章には明らかな間違いがあることを取り上げる。

出典「また会う日まで 341-342」掲載分

「航空母艦を基点として洋上を飛ぶ偵察機は地形を目印に飛ぶ地文航法はできず(水平線が見えない飛行もあるために)気泡式六分儀と計算尺による天測航法が必須となる。・・・(要約)」とあるが帝国海軍の航空母艦、巡洋艦、戦艦などで運用される偵察機は天測航法を実施していない。

洋上で天測航法を行う海軍機は基地航空隊の九七式二式大型飛行艇大艇)、九六式一式中型陸上攻撃機中攻または陸攻)など四発乃至双発で10乃至7名の搭乗員で運用される長距離進出を行う機体に限定されていた。

空母の運用機は航法員が搭乗する三座の九七式艦上攻撃機艦攻)、航法員を兼務する通信員搭乗の複座の九九式艦上爆撃機艦爆)と単座の零式艦上戦闘機艦戦)であった。このため戦闘空域では天測に必要な高度を保った直線飛行と計算のために要する時間に監視の目が疎かになるなど危険があったためと考えられる。

また戦闘海空域で索敵に出る水上偵察機水偵)の母艦は射出機(カタパルト)を装備する巡洋艦、戦艦でありミッドウェー海空戦当時では複葉二座単フロートの九五式水偵、単葉三座双フロートの零式水偵が運用されていた。航法に関する装備、機器類は少なくとも三座機においては戦闘用途の艦載機(艦攻)と同等であった。

編隊での航法は、敵に向かう往路では嚮導機として三座の艦攻の航法員が一定の経過時間毎の羅針儀方位と速度計の指示速度を飛行高度による気圧や温度から航法計算盤で修正した対地速度で得られるベクトル値である移動距離を、これもベクトル値である機体を吹き流す風による偏流測定値で修正した測定時の位置を航空図盤に張り付けた地図に移しながらの推測航法で行う。攻撃後の復路では艦攻が、不在なら複座の艦爆が、艦戦を誘導していた。

誘導機不在の戦闘機では航空羅針儀と母艦が発信する長波を受ける指向性のあるループ・アンテナと受信機による方針儀あるいは経験と勘を頼りに推測航法で帰投することになる。余談だがループ・アンテナの指向性は前後方向にあり、場合によっては発信方向と真逆の方位を指す場合もある。

その長波は敵を引き付けることにもなる。映画「トラ・トラ・トラ」ではパールハーバーに向かう嚮導機となった淵田隊長機の通信員がホノルル放送局の電波(中波)に合わせているシーンがあった。

また会う日まで 357-359」では電波航法について、当時の日本海軍でも使われていた高緯度ほど測定精度が低下する電波傍受による三角測量から第二次世界大戦中にアメリカで運用を始めたロラン航法めいた原理にも言及しているが作者の文意の中では日本の艦載機が運用していた電波航法は前述の最も単純な理論によっている。

ただ、ミッドウェー作戦と並行して高緯度で行われたアリューシャン作戦では二式大偵などの複数機が制空権を確保していた洋上で定位置旋回を続けながら長いアンテナを引いて長波を発信して固定基地代わりに航空機の誘導を行った。

陸軍機の洋上移動は海軍機の誘導に頼っていたようだが。士官候補生向けの海軍航空学生航空講義では、次のような項目もあった。( 既述

 偵察関係
六、陸軍トノ協同
 (イ) 陸海軍協同スル場合、陸軍機ノ艦船ニ対スル偵察報告ハ、極メテ不正確ナルモノアリ。一応海軍機ニテ確ムル要アリ
    陸戦ニ関スル海軍機ノ報告モ、陸軍ニ於テ斯ク感ズルモノアラン。
 (ロ) 陸軍機ヲ洋上ニ誘導スル場合、彼等ハ海軍機ニ近接セズ、恰モ単独ニテ滲出スルガ如キ行動ヲトルヲ以テ、予メ被誘導隊指揮官ト面接セシメ、詳細打合セヲナサシムルヲ可トス。

陸海軍の関係は良くなかったのは知られているが科学的作業を伴う偵察に於いても実務上の成果はお互い信用できない偵察技術レベルにあったようだ。(閑話休題)

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さてミッドウェーの偵察行動の検証作業を開始する前に少し思い出話を。「ミッドウェー」のカテゴリーを始めた理由のルーツでもあります。

高校時代に小中校の同窓でO大学機械工学部で再会するH君の家を訪問したおりの数学の話の中で(彼に興味があったかどうかは分からないが)ミッドウェー海戦で偵察機の報告位置に大きな誤差があり大敗を招いた*が何故どうしてなのだろうか、と問いかけたとき西洋科学史の教授であった父君のH氏に尋ねてくれた。

なお、「大敗を招いた*」直接の原因は現在公表されている公式戦史や記録を読んでも海軍の航空教範にある「偵察機の時間と位置を把握しておく」責務のある参謀の職務遂行が実行されなかったことにあることは当ブログの「ミッドウェー」のカテゴリーで何度か繰り返している。

H氏は「天測航法ができなかったから」と教えてくれた。当CEOは不遜にも「六分儀は主翼が水平線を見がたくする狭い水偵のコックピットでは使いづらいし分厚い天測数表も扱いづらいのでは」と質問すると「中緯度ではより小型の八分儀でよく、水平線が見えなくても気泡式があった。(当時の)艦載機の洋上進出半径は予定された発艦位置から遠くても300浬程度、行動時間も決まった日付の薄明から薄暮までなので数表も抜粋すればコンパクトになる」と説明してくださった。

八分儀が「使われなかった」理由については聞き逃したのか、尋ねなかったのか、記憶にない。
就職後数年経って大学院に残ったH君を訪ねた時にはH氏は亡くなられていた。H君は関西の大学で父君とは異なる数学科の教授となった。

かなり後になって父君のH氏は日米開戦を挟んで総理直轄の模擬内閣を構成した「総力戦研究所」の一員であったことを知った。
初出『昭和16年夏の敗戦 総力戦研究所"模擬内閣"の日米戦必敗の予測
猪瀬直樹 世界文化社(1983年)
昭和16年夏の敗戦』として文春(1986)、中公(2010)の文庫版あり

H君にはぜひ父君のご遺稿を整理し発表していただければと願っている。

「以下工事中」- もしくは -「別稿に続く」

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