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カテゴリー「「ミッドウェイ」」の16件の記事

2021年9月28日 (火)

キネマ航空CEO 海図と航空図の図上検証を始める その1

当キネマ航空CEOのブログは ほぼ月刊となってしまった。その2021年6月号では当時の海軍の平面地図では航空派と艦隊派があると書いた。数学的には前者は極座標派、後者は直角座標派(メルカトル図法)となる。

もちろん現在ではGPS(立体)座標が使われる。しかし衛星を破壊されたり敵から信号に揺らぎを加えられるような電子戦の局面ではコンピュータ支援天測立体座標も考えられる。これも電源を失えば「ハイそれまでよ !」ではある。

さて、幾つかのミッドウェーの戦史をひっくり返しながら、利根四号機が敵艦隊を発見する直前、第一次攻撃隊が爆撃を開始した時点から本土の柱島を出航するまでを遡って、座標、針路、速度といった艦隊や航空機の位置情報に関係するイベントの遡行時間表を作成し海図上に置いてみようとしたのだが・・・。
青字は米軍が認識していた座標。なお、時間は信文内の時刻、()内は情報着信時刻。時刻表示はすべて東京時間。

遡行時間表

目を引くのは攻撃日の前日6月4日正午の定時天測位置の記載がない。当日の戦闘詳報から天候を要約すると「早朝より霧。夕刻晴れる」となる。したがい天測不能であった、ということであろう。なお、その前日3日1200の定時天測は霧中で行われたようだ。

天測に代わる4日の公式な位置情報は戦史叢書ミッドウェー海戦にある「挿図第十九 6月4日正午の展開状況」しか見当たらない。この図の解析はしばらく保留とする。

次回から日米双方のミッドウェー島を原点とする極座標のプロット図を作成してみる。米軍がミッドウェー島を原点にした極座標を使うのはレーダーや航空機の発進位置であることからも自明と言える。

ではなぜ日本が同じ原点の極座標を選んだのか ? その解析ができるかどうか、を含めてのつもりだが・・・。

 

2021年8月30日 (月)

キネマ航空CEO 海図と航空図の図上検証を始める(その前に)。

「ミッドウェー」のカテゴリーを始めたころの2020年8月から朝日新聞朝刊に池澤 夏樹 作 影山 徹 画「また会う日まで」の連載が始まった。新聞小説の良いところは挿絵が挿入されることにある。もちろん技術的文化的な考証を必要とする場合もあるだろうが・・・当カテゴリーで取り上げている航法計算盤の図が掲載されている。

さて、主人公は実在の秋吉利夫、海兵42期、最終階級海軍少将、最終職位職責は海軍水路部第二部長後に同第一部長を兼務、学位は東京帝国大学理学博士、クリスチャン。水路部は海図作成と天測に必要な天文歴を編纂する天文学、潮汐や地磁気等に関する地球物理学、さらには航海術や航空術に必要な器具の開発や改良をする業務と幅広く担当する。その彼が航法計算盤の精度向上をさせたエピソードが出てくる。

ここでは(秋吉氏の資料からなのか作者の知見なのかは不明だが)ミッドウェー後の時制に挟まれた以下の文章には明らかな間違いがあることを取り上げる。

出典「また会う日まで 341-342」掲載分

「航空母艦を基点として洋上を飛ぶ偵察機は地形を目印に飛ぶ地文航法はできず(水平線が見えない飛行もあるために)気泡式六分儀と計算尺による天測航法が必須となる。・・・(要約)」とあるが帝国海軍の航空母艦、巡洋艦、戦艦などで運用される偵察機は天測航法を実施していない。

洋上で天測航法を行う海軍機は基地航空隊の九七式二式大型飛行艇大艇)、九六式一式中型陸上攻撃機中攻または陸攻)など四発乃至双発で10乃至7名の搭乗員で運用される長距離進出を行う機体に限定されていた。

空母の運用機は航法員が搭乗する三座の九七式艦上攻撃機艦攻)、航法員を兼務する通信員搭乗の複座の九九式艦上爆撃機艦爆)と単座の零式艦上戦闘機艦戦)であった。このため戦闘空域では天測に必要な高度を保った直線飛行と計算のために要する時間に監視の目が疎かになるなど危険があったためと考えられる。

また戦闘海空域で索敵に出る水上偵察機水偵)の母艦は射出機(カタパルト)を装備する巡洋艦、戦艦でありミッドウェー海空戦当時では複葉二座単フロートの九五式水偵、単葉三座双フロートの零式水偵が運用されていた。航法に関する装備、機器類は少なくとも三座機においては戦闘用途の艦載機(艦攻)と同等であった。

編隊での航法は、敵に向かう往路では嚮導機として三座の艦攻の航法員が一定の経過時間毎の羅針儀方位と速度計の指示速度を飛行高度による気圧や温度から航法計算盤で修正した対地速度で得られるベクトル値である移動距離を、これもベクトル値である機体を吹き流す風による偏流測定値で修正した測定時の位置を航空図盤に張り付けた地図に移しながらの推測航法で行う。攻撃後の復路では艦攻が、不在なら複座の艦爆が、艦戦を誘導していた。

誘導機不在の戦闘機では航空羅針儀と母艦が発信する長波を受ける指向性のあるループ・アンテナと受信機による方針儀あるいは経験と勘を頼りに推測航法で帰投することになる。余談だがループ・アンテナの指向性は前後方向にあり、場合によっては発信方向と真逆の方位を指す場合もある。

その長波は敵を引き付けることにもなる。映画「トラ・トラ・トラ」ではパールハーバーに向かう嚮導機となった淵田隊長機の通信員がホノルル放送局の電波(中波)に合わせているシーンがあった。

また会う日まで 357-359」では電波航法について、当時の日本海軍でも使われていた高緯度ほど測定精度が低下する電波傍受による三角測量から第二次世界大戦中にアメリカで運用を始めたロラン航法めいた原理にも言及しているが作者の文意の中では日本の艦載機が運用していた電波航法は前述の最も単純な理論によっている。

ただ、ミッドウェー作戦と並行して高緯度で行われたアリューシャン作戦では二式大偵などの複数機が制空権を確保していた洋上で定位置旋回を続けながら長いアンテナを引いて長波を発信して固定基地代わりに航空機の誘導を行った。

陸軍機の洋上移動は海軍機の誘導に頼っていたようだが。士官候補生向けの海軍航空学生航空講義では、次のような項目もあった。( 既述

 偵察関係
六、陸軍トノ協同
 (イ) 陸海軍協同スル場合、陸軍機ノ艦船ニ対スル偵察報告ハ、極メテ不正確ナルモノアリ。一応海軍機ニテ確ムル要アリ
    陸戦ニ関スル海軍機ノ報告モ、陸軍ニ於テ斯ク感ズルモノアラン。
 (ロ) 陸軍機ヲ洋上ニ誘導スル場合、彼等ハ海軍機ニ近接セズ、恰モ単独ニテ滲出スルガ如キ行動ヲトルヲ以テ、予メ被誘導隊指揮官ト面接セシメ、詳細打合セヲナサシムルヲ可トス。

陸海軍の関係は良くなかったのは知られているが科学的作業を伴う偵察に於いても実務上の成果はお互い信用できない偵察技術レベルにあったようだ。(閑話休題)

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さてミッドウェーの偵察行動の検証作業を開始する前に少し思い出話を。「ミッドウェー」のカテゴリーを始めた理由のルーツでもあります。

高校時代に小中校の同窓でO大学機械工学部で再会するH君の家を訪問したおりの数学の話の中で(彼に興味があったかどうかは分からないが)ミッドウェー海戦で偵察機の報告位置に大きな誤差があり大敗を招いた*が何故どうしてなのだろうか、と問いかけたとき西洋科学史の教授であった父君のH氏に尋ねてくれた。

なお、「大敗を招いた*」直接の原因は現在公表されている公式戦史や記録を読んでも海軍の航空教範にある「偵察機の時間と位置を把握しておく」責務のある参謀の職務遂行が実行されなかったことにあることは当ブログの「ミッドウェー」のカテゴリーで何度か繰り返している。

H氏は「天測航法ができなかったから」と教えてくれた。当CEOは不遜にも「六分儀は主翼が水平線を見がたくする狭い水偵のコックピットでは使いづらいし分厚い天測数表も扱いづらいのでは」と質問すると「中緯度ではより小型の八分儀でよく、水平線が見えなくても気泡式があった。(当時の)艦載機の洋上進出半径は予定された発艦位置から遠くても300浬程度、行動時間も決まった日付の薄明から薄暮までなので数表も抜粋すればコンパクトになる」と説明してくださった。

八分儀が「使われなかった」理由については聞き逃したのか、尋ねなかったのか、記憶にない。
就職後数年経って大学院に残ったH君を訪ねた時にはH氏は亡くなられていた。H君は関西の大学で父君とは異なる数学科の教授となった。

かなり後になって父君のH氏は日米開戦を挟んで総理直轄の模擬内閣を構成した「総力戦研究所」の一員であったことを知った。
初出『昭和16年夏の敗戦 総力戦研究所"模擬内閣"の日米戦必敗の予測
猪瀬直樹 世界文化社(1983年)
昭和16年夏の敗戦』として文春(1986)、中公(2010)の文庫版あり

H君にはぜひ父君のご遺稿を整理し発表していただければと願っている。

「以下工事中」- もしくは -「別稿に続く」

2021年6月28日 (月)

ミッドウェーの「運命の5分間」の後先き・・・タスクフォース索敵行 四 「大日本帝国海軍の地図には艦隊派と航空派があった?」の巻

艦隊派航空派といっても海の航海士、空の航法士と呼ばれる地図を扱う職種職務に携わる潜在的な(当CEOが考える)派閥ですが結論は最後にあります。艦隊派については何度か繰り返しており今回はほとんどが航空派と呼ぶ所以を裏付けようとする計算式の誘導と計算結果であります。

下図は80年ほど前の海戦における航空偵察の模式図です。航空機は愛知零式三座水上偵察機、航空母艦はヨークタウンから始まるUSS CV-5シリーズで、それぞれの正面図をシルエット化してみました。

基本的に海面にある物体は水平線(Horizon)の手前にあれば大きさは兎も角として視認可能な範囲となる。いっぽうでは水平線を越えた物体でもそれなりの高さがあれば水平線越しに視認できる。図では空母の飛行甲板が水平線から露出しておれば視程内にあるとして描いています。

実際の視程は靄、霞、霧、雲、雨、雪、波浪・・・薄明、薄暮、昼、夜、月明による明暗、さらには温度、湿度による逃げ水、蜃気楼などの空気の屈折現象に左右される。これらの影響は個別に考えるしかないが理想的な視程そのものは平面幾何学で解ける。

その計算式を導くための下図には大きな誇張がある。水偵と空母の相対的な大きさもそうだが地球の縮尺は更に大きいどころか、大きすぎる!

実際に水偵に搭乗した感覚を脳内体験をする場合に図と計算式を眺めたあとの頭の片隅に留めて置いてくださいね。

Distance-on-earth_rev5
ちなみに Diagonal angle は伏角のこと。伏角が地球の中心から引いた水平線と視点の間の角度と同じなのは直角三角形を分割した直角三角形との相似則で証明される(証明手順は省略)。水平線迄の距離に関係し後ほど出てきます。

図は零式水偵を主体とした視点からの視程外となる海面や空間を網掛けしています。理論上は機を中心とした円の範囲の海面が見え、いっぽう水平線を越えた遥かかなたの月、日、星のほかに艦影と見まがう雲も見える。いっぽう視程内にある雲より上を飛べば海面に投影した範囲は見えない。

偵察実務ではランバートの等面積極投影図法が関係する。この投影された図をより具体的に説明するとコックピットの搭乗員の眼の位置で焚いた強力なフラッシュの閃光で海面に生じた窓枠と機体さらに雲などの影で覆われた範囲のこと。この範囲の中にいる対象物は搭乗員には当然見えない。

図には描けなかったが偵察機の能力は邪魔な雲よりもランバートの等面積極投影図法による偵察機の機体形状の影にも大きく左右される。

ミッドウェーに投入された彼我の索敵機を比較すると、伏角の邪魔をするコックピットの下にある上反角の付いた主翼と双フロートで構成された零式水偵の機体と日本の艦隊に張り付いていたコンソリーデッドPBY-5飛行艇の機体の上に支柱で取り付けたパラソル翼(おまけに主翼にぶら下がった翼端浮舟は引込式)に胴体より外にのり出せる大きな両サイドのバブルキャノピーなど構造の差に加えて搭乗員3人に対する7乃至9人の員数差などの設計仕様の差がある。

それらの運用の巧拙を際立たせる大型機を運用できる不動不沈の基地をめぐる攻守の舞台装置、さらに作戦に投入する機数や反復回数によって勝敗に直結する先手を選ぶ確率の帰趨が定まったともいえる。

さて、重力に直立する人間が存在する空間すなわち航空機も艦船もそれぞれの位置で海面に対しては直角すなわち鉛直の向きに正立している。水平線はある高さの視点から球体である海面に引いた接線の接点なので観測する状態では下方に存在するので視線を下げる伏角がある。

では我々は水平線に丸い地球の丸さ(円弧)を感じることができるか・・・通常の飛行高度ではできません。水平線が見えたとしても伏角は一定なので一周見渡しても等伏角等距離にある円周であり、上に向かって丸く見えたとするのは錯覚であります。

航空士の現実は北を基準とした方向とその方向の大円(球体の最大直径となる円または円周)の上を水平線に囲まれた円形の視界の真ん中で船より早いスピードで移動していくという球面上とは言え平面上の移動とさして変わらない。

これは航海士の地図とは異なることを先回の天測による位置を基準にする直角座標のメルカトル図での距離の測り方との比較で理解いただけるはずです。

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「伏角?航空機ではバンク(傾斜)すれば水平線は上(仰角)にもなる!」・・・のは単に人間側の都合であり幾何学上の視点は変わらない。

図から想像できる問題点は視点から水平線まで直線距離と視点から鉛直に海面に下した点から水平線までの弧の長さ(地図上の距離に相当)にどれくらいの誤差が生じるのか・・・です。結論を言えばミッドウェー海戦時代の交戦海空域の広さでは両者の差は全く無視できます。

視認可能な(すなわち一直線上にある)水平線の手前と向こう側にある距離を算出する同じ方程式を媒介するのはそれぞれの水平線と視点あるいは目標点からの伏角であり、それぞれの角度は視点と対象の高さで決まります。

参考まで以下の表は図の二式水偵から見た水平線の片側のみで計算しています。

表は左より「伏角」を度分単位で五分間隔を示している。

Rev2

続いて「円弧長」は地球上では角度1分の円弧長を1海里と定義しており1度を60海里とするが旧海軍で使用する高度の単位に合わせてメートルに換算して海里と併記してある。

つぎに「観測点高度」は水平線が見える伏角から、その高度から水平線までの「直線長」をメートル単位で算出している。

右端の「差分」は直線長から円弧長を引いた値を円弧長で割った百分率。
本来は常に正となるが伏角1度35分強で負から正へ記号が変わっているのは海里からメートルへの換算値が五桁目(小数点以下一桁目)での切り上げによる。

海面上の距離と直線距離の誤差は、伏角4度すなわち成層圏の高度15,543mからでも誤差は0.14%にすぎない。

当CEOはそれより低い高度1万米の窓から360キロメートル彼方にある水平線を見る機会はありませんでした。

地球はでかいのであります。

 

表から零式水偵の巡行高度2000mの視程は約86海里、半径160kmの円となる。海軍航空教範の服務規程では一般的な偵察高度は50mから250mとされており視程は伏角では大雑把に15分から30分となるので距離にすると15から30海里、メートル法半径では27から56kmの円内が視界となる。

ミッドウェーでの偵察機進出距離は300海里(大円上で5度相当)、左90度の側程60海里(同1度相当)でした。

ちなみに隣接する索敵線の間隔は23度でありました。進出距離に比例して相互の間隔が広がります。

進出距離の先端の間隔は先のラジアンの公式から120海里となり各側程は60海里なので差の60海里は双方の索敵線を30海里の視程が得られる伏角30分(ほぼ高度250m)で飛べば進出距離300海里の半径内は時間差はあるが一応のカバーができることになります。

全行程を高度250mで飛行できると判断したのかどうか、機動部隊の航空乙参謀が起案し同甲参謀、参謀長、司令長官と上申され索敵担当戦隊の各司令部に発光信号による命令が発せられたのは第一機動部隊の空母が全滅した前々日6月3日午後3時30分(東京時間)であります。

7本中東側4本の索敵線を命令された第8戦隊司令部は同4時40分に指揮下の巡洋艦利根筑摩の艦長に各艦2機の索敵線担当割当を命令、機動部隊司令部に復申した。その直後から両艦の飛行長より搭乗員総員12名の人選と担当する索敵線の命令が作成され各艦長に上申される。

二日後・・・雲下に敵機動部隊がいたと後日指摘される第5索敵線を飛んだのは一機のみの士官搭乗機である筑摩1号機、その北を飛ぶ第6索敵線筑摩4号機は視界不良で中断し引き返している。筑摩1号機の南を飛ぶ利根4号機は微妙な空間を飛行していた。残る利根1号機4号機の南側を飛び飛行艇との遭遇を報告するなど全航程を飛び帰艦している。この辺りは後で述べる機会がある。

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以下は次回に行う個人的な図上演習の要点のまとめです。

この時代の目視航空偵察の範囲は極めて限られている。言い換えれば時間軸の偵察情報は極めて限定されている。

索敵機の偵察用途には双眼鏡は必須だが、基本航法では羅針儀、偏流測定器、速度計、高度計、航空時計、航法計算盤、図板、航法地図、筆記用具である。

航空機の航法地図に最も重要な基点は出発位置と時間でありここより方向と速度すなわちベクトルの値を偏流その他の影響の修正をして一定時間ごとに算出した角度と距離を点と直線で航法地図に落とし込む。

この当時の偵察など比較的狭い範囲で運用する航空機で使う地図は基点さえ明確であれば経線緯線の座標系から切り離して北を上にする直角座標系の方眼紙のほうが距離と方向を簡単かつ明瞭に作図できる。・・・これが航空派地図の所以である。

いっぽう艦隊行動では航空機より速度は遅いが広範囲にわたって統一性のある地図を相互に共有する必要があり角度を優先するメルカトル図法の(経線間の間隔を一定とし緯線間は不等間隔とする天測座標に適した)地図を必要とする。・・・艦隊派地図の要件です。

ミッドウェーの場合、航空派がメルカトル図法の原理を理解して使っていたのか・・・記録をさがしたががよくわからない。艦隊派はメルカトル図を使用していたと考えられるのだが戦史の挿入地図では疑問も残る・・・これは次回以降に送る。

また、航空派(方眼地図)と艦隊派(メルカトル海図)の整合性には、切りの良い緯度経度の点1ヶ所と経緯環1度を(60進法の素因数に準じて)等分割した正方眼区画*1)に付与した記号を共有するだけでよいのだが・・・
*1)縦横軸とも同じ海里の長さに統一した正方形で表した正方眼白地図。

例えば索敵機発進予定位置の近くの度単位の切りのいい交点を航空と艦隊の基点として共有する・・・これに関わる問題はほとんどが下士官兵で構成される偵察員への基本的な推測航法の過程を記録する正方眼地図に起点(出発点)設定することから始まる航跡作成の教育と報告あるいは回収した方眼地図の情報をメルカトル海図に書き直す作業の統括をする発進艦の航海参謀から始まる指揮権継承順位の下にいる参謀と士官の能力の問題が存在するが・・・戦史やそれを元本にした戦記物では全ての問題を下士官兵搭乗員に帰しているのだが・・・。

戦史に残る機動部隊内で交信された敵艦隊に関する情報をなぜミッドウェーを基点としたのか、山本連合艦隊(GF)司令部の命令なのか、GFの傍受におもねった南雲機動部隊(KdB)司令部の独断なのか、戦史叢書では公式にKdBからGFへ宛てた敵味方の位置情報には座標点と範囲を記号化した暗号が使われている。

こうした旧海軍の航空偵察情報取扱いの手法は今のところ市中では分析もされず詳細な内規も手に入らない。

 

2021年5月21日 (金)

ミッドウェーの「運命の5分間」の後先き・・・タスクフォース索敵行 参の巻

まず、メルカトル海図で任意の方向の距離を測る方法です。作図過程を図面で示すべきですがここでは言葉のみで進めます。

なお後段で以前のメルカトル図法の記事の描き直しと追記をして再構成したことを付記します。

 作図課題
第一次AF攻撃隊ノ発艦位置ハAFカラノ方位三一五度距離二一〇浬トスル。発艦開始位置ノ座標ト磁偏差ヲ求メヨ。AFノ座標ハ北緯〇二八度一三分西経一七七度二二分(イースタン島ノ中央部)トスル。
AFは当時のミッドウェイ島の暗号名。なお座標はウィキペディアから。

 作図手順 1
一、AFの座標点から315度の方向へ直線を引く
ニ、AFの座標点から海図の右か左の端にある緯度指標線に向けて平行線を引く
三、その交点から緯度(縦軸)指標線に合わせて(求める解の方向である)北側に210海里すなわち210分(3度30分)の長さにデバイダーを合わせる
四、AFの座標点を中心にデバイダーで合わせた長さを半径とする円弧と (一、AFの座標点から・・・で作図した)315度方向の線との交点が求める位置となる
五、その交点を緯度(縦軸)指標線と経度(横軸)指標線から読み取った値が求める発艦位置である。

 補足 二点の座標が既知の場合の距離
デバイダーを二点間の寸法に合わせて緯度(縦軸)指標線上のどちらかの緯度点から他の緯度点の方向に宛てて分単位の値を読み取れば浬単位の距離となる。

ただし二点間の距離は低緯度から高緯度方向に測れば距離は短く、高緯度から低緯度に測れば長くなる。北半球では南から北(上)に向かえば短く北から南(下)に向かえば長くなる。

例外は地図の大円上例えば経線上を移動する場合は移動した緯度を、赤道上の移動では移動した経度をそのまま分単位に換算した値となる。

手数を掛ければ二点の位置を縦軸に投影しその長さをデバイダーで拾い二点間の直線上をたどり余った長さをデバイダーで縦軸の目標点から出発点の方向に当てる。その合計分数は求める海里により近くなる。

 作業手順 2
手順 1 で得た仮位置の範囲で補足の手順を実施する。ただし今回の検証ではどこまで使えるかは注意深く扱う必要がある。

 磁偏差の設定
ミッドウェー島は 等磁線地図 の地図では西端の西経178度の経線に近くハワイ島の真横より若干上のあたりにあり東偏10度の等磁線の近くとなる。いっぽう日本の航空艦隊は敵機動部隊の存在を知らぬまま地図の東端東経179度の経線を越えたあたりで日付変更線を挟んで対峙していた。日本側の磁気偏差は9度30分東が使われたようだ。なおリンクは参考であります。

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 メルカトル図法の基準となる座標と距離(閑話休題じゃなくてかなり長大)
生物とくに動物、なかでもヒトは太陽によって東西南北の方向と繰り返して終わりのない時間を抽象化して科学の祖となる天文学に智恵をめぐらせ始めた。

完全球体と仮定した地球の座標は天文学から求められる赤道円を基準にする。赤道円周は球体の最大直径である大円に等しい。赤道円周を360等分して大円の中心からの分割角度を基準単位の1度とし一周を360度とした。

大円は無数に存在するが赤道大円に直角に立てた一周する360本の線を経線《line of longitude》と呼ぶが、子午【しご】線《meridian》、日本語では十二支の北と南を結ぶ線、英語では(太陽が)最も高い位置にある方向と言った原義に近い言葉もある。

その子午線も大円となる。同様に子午線の円周を360等分すると赤道から北へ数えて180番目で赤道に戻る。赤道から1番目と179番目の等分点は赤道からの円弧長が等しくなる。

この等分点を通り赤道円と平行に輪切りにしてできる円を緯線《circles of latitude》と呼ぶ。同様に2番目と178番目・・・89番目と91番目と足して180になる点を通る89本の緯線の円ができ90番目は重なって180になるのだが円ではなく北極点《North pole》になる。南回りでも同様でこちらは南極点《South pole》となる。

緯線の別名には日本語では卯酉【ぼうゆう】線がある。十二支による「東西線」だが鉄道の路線名に聞こえるためか【東西圏】となっている。圏【けん】は英名の《circles》から。 緯線の英名には一語の《circles》や《parallels》があり【平行圏】と訳されている。

ただし卯酉線(東西圏)と平行圏の定義は異なり前者は重力に直交する子午線と直交している大円に相当する仮想の線だが後者は赤道上を除いて互いに直交していない。すなわち卯酉線は球体の最大直径である大円で構成されているが平行圏(経線)は赤道を除いて大円より小さい円であり終には点になる。

座標の基準となる緯度《latitude》の単位は0度とする赤道を境に北緯と南緯に分け90度とする科学的根拠に異議はないだろう。しかし本初子午線《prime meridian》と呼ばれる経線の基線となる0度の大円の位置は”科学的に”とはいかない。当時の科学力や国力、いわゆる覇権国家によって誘導される。

19世紀に設定された英国のグリニッジ天文台を通る通称グリニッジ子午線がそれである。これはこれで合理的な意味が全くないとも言い切れない。地球は自転して昼夜が生じ日付が変わっており何処で切り替えるかの問題もある。

本初子午線となる0度の経線《longitude》は北極を越えると180本目の経線となってユーラシア大陸の東端をとおり南に向かうのだが赤道を過ぎ南極に突き当たり0度に変わるまで人口の多い国あるいは大陸はない。

したがい180度の経線上に日付変更線を設けて適当に折り曲げてやれば世界で一番遅く日付が変わる地域や国を世界で一番早く変わる国や地域に変えることをが許容されている。

これでロンドンの本初子午線上に太陽が南中する正12時に日付変更線上では正0時となって東から西へ日付が一つ進むとしたのであります。ことのついでかどうだか、緯線を南北に分けたように経線も東西で分けて本初子午線から東回りを東経、西回りを西経としてどちら周りでも180番目の経線が180度となる。

因みに漢字の「経」は縦糸、「緯」は横糸。糸編が示すように織り布の糸の構成が語源。立体幾何学の概念の中に使われた平面的な布から「経+線」「緯+線」とした熟語は創作だったのか翻訳だったのか、英語では長さ、円、幅、平行といった科学的な概念の単語が用語となっており違いは興味深い・・・のは当CEOだけ・・・だろうな。

さて、大円をなぜ360等分して基準単位の「」を設定したのか? 回るという点では、分割分配のやり易い60進法を基本に1年を360日と「していた」のか「割り切っていた」のか1度の下部単位はその60分の1の「」そのまた60分の1の「」からなりその下は小数点の付く10進法が使われる。

基準単位の1度は3,600秒であり限られた面積の球体を839,808,000,000の座標点で表わすという、考案された当時としては計り知れない巨大な事象を人間のスケールに戻そうとする単位ともいえる。

その座標点間の距離については抽象的に緯度で1分を1海里(または浬)Notical Mile, nm, nM》とした基準が使われる。定義としては明快だが球体の大きさによって長さは変わる。

そこでイギリスと積年の経緯【けいい】があり十進法推進するフランスが登場して、地球の緯線の円周の四分の一である北極から赤道まで(90度=5,400)の距離を10,000kmと主張を始める。

その結果、1海里は1.851851851...kmと循環数となるが1929年に1nm1,852mとする国際海里が採用された。これは赤道から北極点に向かって北上すると800m行きすぎることになる。

海里に基づく一時間当たりの速さの単位を節【ノット】《knot, kt》とした。したがい 1kt=1,852m/h0.514/sとなる。ノットの語源は等間隔に結んだ節《knot》のあるロープの先端に抵抗版となる浮子をつけて船から流し規定の時間に繰り出された節を数えて求めたことが起源。

ミッドウェー海空戦の頃の海図の概要は以上であります。実際の地球は完全球体ではなく回転楕円体あるいは西洋梨型をしている。したがい定義自体も時代とともに変わり海里は国際単位系(SI)には馴染まない。極論をすれば海里も節も地球表面を長距離の移動する場合の仮単位であります。

現在の本初子午線はグリニッジ子午線《Prime Medirian at Greenwich》よりわずかに東にずれており位置も距離も時間も天文学というより物理学に準拠した測地系で1983年に地球の質量中心を原点としGPS測地系に対応できる国際基準子午線《International Reference Meridian 》を基準とする重力ベクトルや公転自転の速度や軸の揺らぎにマントルの移動などなどを加味して制定されている。

時代が進み電波を使った球面三角測量と言えるロラン航法の基地局も廃止され、とって代わったGPSシステムの衛星が破壊されたり情報に揺らぎを混ぜて発信したりの電子攪乱戦ではミッドウェー海空戦当時の六分儀とクロノメーターを使った天測航法が必要になる。

だだし大日本帝国海軍では少人数で運用する艦載機では六分儀、八分儀を使った天測航法を採用していなかった。もし実施できていたら利根四号機の問題はなかったと考える人もいる。現在の米軍はこうした不測の事態に対応する訓練を実施しているがJMSDFは大丈夫なのかな。

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 地球表面上の距離
SI単位系の場合
球面上の距離である弧長の元になる円周の距離はメートル法の源定義である北極から赤道までの距離の4倍で40,000km。これを円周率πで割れば直径となる。πは無理数なので例えば海里《nM》をSI単位へ換算した有効桁数から四桁としてπ≒3.142とすれば直径はD=40000/3.142より地球の直径は12,730km、半径は6,365kmとなる。余談ながら航空機の飛行高度を一万メートルとしても半径比の増分では0.157%にすぎない。

円周の一部である弧長と円周長の比は円弧のハサミ角(Θ)と全周角360度の比に比例するので円弧のハサミ角の単位をπに由来する単位に結び付けて、弧長=直径×π×(Θ/360)=半径×{2×π×(Θ/360)}で計算できる。

半径を長さの単位とした{ }内を約分した{π×(Θ/180)}は弧度《radian (rad)》【ラジアン】と呼ぶ無次元SI単位系の角度となる。度からラジアンに換算することで 弧長[m]=半径[m]×弧度[rad] となる。

海里単位の場合
地球大円の円周角は60分×360で円周長は21,600海里となる。直径に換算する有効桁数を同じとしてπ≒3.142より直径は6,875海里となる。半径は3,438海里とすると大円の円周は有効桁数では21,600海里に戻る。

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 メルカトル図法の限界
参照 ミッドウェーの「運命の5分間」の後先き・・・数学的背景編 1 海図と座標の巻
こちらはあくまで当CEOの簡易定義です。正規の定義は参考文献に掲げてあります。
メルカトル図法はヒトの本能的な行動本能である方向と距離の感覚に合わせるように考案された等角図法です。
Photo_20210518001501

さて緯度角1分を1海里とする定義によって緯度角1度で60海里、111.1kmとなる。一方の経度では赤道大円においてのみ同じ値となり次第に狭まり極点では0海里の点になるが罫線も緯線も見えない地表に立つ人間の方向感覚では太陽を除けば赤道上と変わらない。

メルカトル図の簡易的な説明は赤道上の経点に経線を直角に立てることで球では交わる経線を平面上で交わらない平行線に変えます。球体では極になるほど短くなる間隔を赤道上の幅に合わせて拡げて平行にしています。

その拡大比に合わせて球の大円上で全周一定であった緯線間の間隔を広げることで方向は球面上と同じになるが緯線方向の地図上の長さは一定ではなくなります。

これが冒頭のメルカトル海図での距離の測り方になります。

言うまでもなくメルカトル図の緯線の長さの拡大比は度ばかりではなく分秒それ以下の値にも適用されます。

簡易的な拡大比 k は緯度をθ度 とすると k = 1/cosθ となります。両極では θ=90(度) なので k = 1/0 = ∞ となり直線となる極点の緯線作図はできません。メルカトル図法で作図する世界全図では南、北緯85度位までとなっています。

右の表の左側は各緯度ごとに赤道上の経緯角1度の長さに拡大した経度の長さ対して緯度角1度の長さを拡大した格子(長方形)の縦横比(アスペクト比)を表しています。また右端はこの章の冒頭に記したリンクにある表の右端に赤道から昇順に隣り合った緯度角1度ごとに拡大していくアスペクト比の比率を追加しています。

中低緯度で隣り合った1度間のアスペクト比は数%であり地図で得られる方位と距離はヒトの感覚に合った図法といえる。これがどこまで実用上の拡張できるかであります。

 メルカトル図 英文Marine Regions.orgへリンク
緯度線と経度線の表示間隔はいずれも10度。緯度の表示限界は85度。世界全図の基点は図面中央の本初子午線と赤道の交点となる。

メルカトル図法による地球図は一般的には赤道に接する円筒に投影する方法であり経緯線が直行する。同時に方位は正しく近似されるが距離は拡大していく縦軸上の不等縮尺に合わせて計測する。

メルカトル図法を駆使する上で天文測量、電波測量による測地誤差を含め作図上最も変形の累積誤差の少ないのは赤道と本初子午線とその二軸の交点であります。

いっぽうでは緯度とともに間隔が拡大していく経線の南北は(磁偏差を修正した)羅針盤方位に整合するが東西の方位はメルカトル図の東西である緯度円(平行圏)ではなく卯酉線(東西圏)と呼ばれる大円の方向を指している。

つまり南北の経線上以外の方向に羅針儀の指示通りに移動すると高緯度になるほど実際の位置は距離とともに低緯度方向に外(そ)れていく。

メルカトル図では無限遠となり表記できない実際の北(南)極点上では「どっちを向いても南(北)ばかり」となる。

メルカトル海図でも基本的には推測航法と天測で変針を繰り返すしかない。いっぽう艦船も航空機に対する風と同じで海流に流されるので定時天測による進路修正は避けられなかった。

ここでは許容できる変針頻度で運行できる限界緯度や推測航法による進路の修正実務については言及していない。

2021年4月13日 (火)

ミッドウェーの「運命の5分間」の後先き・・・タスクフォース索敵行 インターミッションの巻

公開校正校閲中です
今回の分析と考察はさほど難しい方法でもなく
既に公表されている文献を見逃しているかもしれません
ご知見があればご教示ください
キネマ航空CEO
ほぼ校了2021.04.22 24:00(予定)

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利根四号機の航跡を海図に移すべく資料としてミッドウェー海戦 戦史叢書 43 と記録 ミッドウェー会戦 の戦闘詳報から主に位置に関係する情報と信文を時系列にスプレッドシートに抜き書きしている。

ところが当キネマ航空CEOには何かに熱中をし始めると関連する他のことに興味が湧いてくる悪い癖がある。

困ったモンダと当CEO当人も自覚しているのだが・・・今回のレジュメ

まだ戦闘が継続している最中(さなか)の信文に現れた二つの司令部の上級将校たちに生じた職位階級心理の推理憶測でもあります。

その一方で全体を通すと負け戦「とは言え」なのか、「だからこそ」なのか、日本のマン・マシン システムに内包する情報の処理と運用の能力、関係記録や資料収集の限界を示している現在へ続く報道を含めた「追求の限界」に行き着く日本型組織の性向のようでもあります。

特に偵察機の信文は同一文のほかに同じ文体で類語に置き換えられた同内容の中継報告が無電や発光信号で艦隊内を飛び交っている。

受信した時刻から大幅に遅れて新情報に更新されないまま部隊旗艦から聯合艦隊旗艦に向けて発信されている例もある。

理由として水上偵察機(以下 水偵)とその機が所属する艦(戦艦、巡洋艦、水上機母艦や基地)の間で暗号化や略号符号化したモールス信号による信文で交信されており所属艦が解読した平文を目視信号で送った報告なのか、あるいは暗号のままの信文を司令部が乗る部隊や艦隊の旗艦に無電で転送されてそれぞれで解読しているのか、がはっきりしない。

偵察機が受けた命令とその復命の規則は以前に紹介した偵察員教範に則り所属部隊の最高指揮官(機動部隊旗艦赤城に座乗する第一機動部隊司令長官)に宛て発信されている。

しかし空母の艦体構造から送信受信のアンテナ設置位置が低く、戦闘行動中は航空機の離発艦に備えて舷側外側へ水平に倒しており通信機能はさらに劣っているので水偵が所属する第八戦隊司令部(旗艦利根)の解読文が機動部隊司令長官南雲中将(旗艦赤城)宛に報告されていると考えられる。

加えて赤城は対空戦闘の早い時期に空中線(アンテナ)にダメージを受けている。

さて本筋のテーマに直接の関係はないが作戦遂行の分担で分れた部隊となる複数の艦隊旗艦とその艦隊を構成している戦隊旗艦あるいは他の別動部隊旗艦すなわち司令部間で交信した情報と発した命令を抽出した時系列表にして考察をした。

各時系列表の下に枠で囲んだ要約に目を通してから表に戻っての通読を希望いたします。

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まずミッドウェーからの航空攻撃の真っ只中に機動部隊から発信された信文から・・・

0700 1AF司令長官ヨリGF 2F 6F司令長官、2Sd司令官(ソノ他)ヘ無電(◯八◯◯) 
   「タナ三三七五、◯三三◯AF空襲 ◯四一五以後敵陸上機多数来襲我ニ被害ナシ ◯四二八敵空母一隻巡洋艦七駆逐艦五地点トシリ一二四ニ発見針路南西速力二◯節 我今ヨリ之ヲ撃滅シタル後AFヲ反復攻撃セントス ◯七◯◯當隊ノ位置地点へエアΦΦ針路三◯度速力二四節」

始めにAFミッドウェー島(又は基地)を指す暗号名で1AFについては後述。

連合艦隊(GF)司令長官山本大将(海兵32期)が目論んだ敵艦隊を誘引し待ち伏せする作戦の開始の報告であったが全ては手遅れで敵の先制攻撃を受ける羽目になっていた。信文宛先にある時間の◯八◯◯は信文内容の予告時刻なのか信文到達時刻なのかどちらもあるようで明確ではない。

なお1AF機動部隊(KdB)南雲司令長官が司令長官を兼務する第一航空艦隊を指し、同じく司令官として座乘する赤城・加賀第一航空戦隊(1Sf)と山口司令官が座乘する飛龍・蒼龍第二航空戦隊(2Sf)で編成されている。

KdB司令長官である南雲中将は山本GF司令長官の作戦意図を実行すべく1AFの役職名で出した命令である。

同時に二兎を追う作戦の中で直属上官のGF長官のさらに上位にいる軍令部総長永野大将(海兵28期)が奉直する「大海令第十八號」の本旨を担うKdBの航空部隊へ課せられた任務の忠実な実行者であることを明らかにしている。

ちなみに2F攻略部隊(上陸部隊船団護衛陸地砲撃)、6F先遣部隊(潜水母艦潜水戦隊)、2Sd攻略部隊の中の護衛隊である第二水雷戦隊(軽巡洋艦駆逐艦隊)を指している。

地点の暗号「トシリ一二四」は敵位置、「へエアΦΦ」は味方(機動部隊)位置である。これが今回のキーワードとなる。

先ずは0800を待たず機動部隊の旗艦赤城が受けた至近弾一発、直撃弾二発の被弾から始めます。

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0726 機動部隊(以下KdB)旗艦赤城被弾
0746 赤城 長官以下司令部職員艦橋退去移乗開始
0750 第八戦隊(同8S)司令官ヨリGF司令長官、第二艦隊(同2F)司令長官ニ無電
   「タナ四〇、敵陸上攻撃機及艦上攻撃機ノ攻撃ヲ受ケ加賀・蒼龍・赤城大火災ヲ生ズ 飛龍ヲシテ敵空母ヲ攻撃セシメ機動部隊ハ一応北方ニ避退兵力ヲ集結セントス我ガ地点トウン五五
8S司令官ヨリ第二航空戦隊(2Sf)司令官ニ無電
   「敵空母ヲ攻撃セヨ」
2Sf(第二航空戦隊旗艦飛龍)司令官ヨリ8S司令官ヘ発光信号(0758)
   「全機今ヨリ発進敵空母ヲ殲滅セントス」
0754 飛龍第一次攻撃隊発進(8S筑摩記録)
0757
飛龍全機発艦終了(同上)
0758
 飛龍ヨリ利根へ旗旒信号(あるいは手旗信号)
   「全機今ヨリ発進敵空母ヲ殲滅セントス」(進撃開始の報告)

赤城の通信手段が発光、旗旒、手旗等の目視信号しかなくなりKdB司令長官南雲中将(海兵36期)の赤城退去により指揮系統が途絶となった機動部隊の反撃命令は巷間の書物あるいは映画などで知られる2Sf司令官山口少将(海兵40期)の独断ではなく8S司令官阿部少将(海兵39期)によって出されている。

この部分は見方によれば記録作成時に作られた指揮統率の秩序を優先するストーリーともとれるが間髪を入れない山口少将の応答は独断専行があった可能性は残るけれども検証のしようもない。

ふたりは階位同列の少将であるが海軍兵学校卒業年次の差による指揮権継承の順位(次席制度)があるようだ。同期の場合は卒業年次()ごとの席次(ハンモックナンバー)が関係する(むしろ、して配属される)のかもしれない。

例えば駆逐艦より巡洋艦、更には戦艦といった具合に。ではKdBに配属されている戦艦の艦長のキャリアは ? については後で出てきます。

余談ながら年次による順位は戦後の官僚人事制度にも持ち込されており優秀な人材が政務次官となると同期とそれ以前の入省者は辞職(実際は天下り)する仕来りがある。収賄と忖度に染まらねば平時では年功序列で治(納)まるが乱世、大乱世となると組織は不幸なことになる。(閑話休題)

さて0750KbB次席司令官として阿部少将が発信した指揮権の代行あるいは継承と取れる電文が当CEOの頭に混乱を引き起こすのだがその前にKdB司令部のドタバタを少し続ける。飛龍第一次攻撃隊の進撃開始の30分後から・・・

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0828 8S司令官ヨリ赤城へ無電
   「貴艦通信可能ナルヤ」(赤城応答ナシ)
0830 第十戦隊(10S)司令官ヨリ8S司令官(と)榛名艦長ヘ無電
   「タナ一七九、長官 長良ニ移乗セラレタリ」
KdB司令長官ヨリGF2F司令長官 第二水雷戦隊(2Sd)司令官へ無電
   「タナ二八九、〇七三〇頃敵ノ爆撃ヲ受ケ赤城加賀蒼龍相當ノ損害ヲ受ケ作戦行動不能 本職長良ニ移乗敵ヲ攻撃シタル後全軍ヲ率ヒ北方ヘ避退セントス 位置「ヘイアΦΦ」
0843 8S司令官よりKdB司令長官ヘ発光信号
   「今ヨリ8S 3S 10Sノ一部ヲ以テ敵ヲ攻撃シタシ」
KdB司令長官ヨリ8S司令官ヘ発光信号
   「待テ」
発信元、発信方法 不明 
   「長官 長良ニ将旗ヲ移揚セラル」 (長良KdB旗艦となる)
0850 KdB司令長官ヨリGF司令長官2F司令長官ニ無電
   「長良機密第一番電 〇七三〇頃敵ノ爆撃ヲ受ケ赤城加賀蒼龍相當ノ損害ヲ受ク 火災・作戦行動不能 本職長良ニ移乗敵ヲ攻撃シタル後全軍ヲ率ヘ北方ヘ避退セントス 位置ヘイアΦΦal(0830)」
0853 KdB司令長官ヨリ(KdB)司令官ヘ無電
   「今ヨリ攻撃ニ行ク集レ」
0856 KdB司令長官ヨリ(KdB)司令官ヘ無電
   「敵ニ向フ集レ」
0859 KdB司令長官ヨリ(KdB)司令官ヘ無電
   「部隊集結敵攻撃ニ向フ10S 3S 3S順針路一七〇度一二節〇八三〇」
0900 8S司令官ヨリGF司令長官 2F司令長官ニ無電
   「敵陸攻及艦攻ノ攻撃ヲ受ケ赤城加賀蒼龍大火災ヲ生ズ 飛龍ヲシテ敵空母ヲ攻撃セシメ機動部隊ハ一応北方ニ避退兵力ヲ集結セントス我ガ地点トウン五五 〇七五〇
2F司令長官ヨリGF司令長官 1AF司令長官 攻略部隊司令長官 8S司令官ヘ無電
   「タナ三、攻略部隊支隊〇九〇〇ノ位置地点ミユクΦΦ針路五〇度速力二八節味方機動部隊ニ向フ」

ここまでは、KdB司令部赤城を退去してその46分間後から始まる8S司令部からKdBの指揮権を回収する過程である。

KdB司令部が赤城からの待避に使った駆逐艦野分から移乗した軽巡洋艦長良第十戦隊(10S)旗艦で司令官は木村少将(海兵40期)であった。

KdB司令部は移乗先に常識的には主砲四基を前部甲板に集中し後部甲板に水偵を六機まで搭載して運用できる航空巡洋艦として通信能力にも優れている第八戦隊(8S)旗艦利根を選ばなかった。あるいは選べなかった理由があるはずだがここまでとする。

083010S司令官はKdB内の8S司令官と榛名艦長に長官移乗を無電で連絡している。なお戦艦榛名霧島攻略部隊である第二艦隊(2F)に所属する戦艦4隻からなる第三戦隊(3S)第二小隊として派遣されてKdBの指揮下にある二隻で司令部は座乗せず榛名艦長が上席であった。

同じ0830KdB司令部はGF2Fの司令長官と隷下の第二水雷戦隊(2Sd)に宛てた長良への移乗の通達と長良が傍受した8S司令官による0750発信文から「我ガ地点トウン五五」を「(一字空白)位置ヘイアΦΦ」に変えてKdB司令部命令として発信をした。

8S司令官はKdB司令部の長良に移乗後直ちにKdB司令長官に宛てて8S3S10Sの一部を割いて水上決戦の意見具申を行っている。

KdB司令部はこの意見を「待テ」と却下するのだが10S旗艦長良に中将旗が掲げられると0850にはKdB司令長官名でGF司令長官と2F司令長官に「長良機密第一番電」として0830の信文と同じ信文を「 位置ヘイアΦΦal(0830)」に再度変えて指揮権を確立したあと、矢継ぎ早に海上決戦による反撃命令を出し始める。

KdB司令長官は0853から3分おきに「今ヨリ攻撃ニ行ク集レ」、「敵ニ向フ集レ」、0859「部隊集結敵攻撃ニ向フ10S 8S 3S順針路一七〇度一二節〇八三〇」と0830時に発信した位置を基準とする進撃開始をKdB司令官へ向けて下命する。

ただし「針路一七〇度」ほぼ南であり敵の方向ではない。集結針路で隊列を組み終わって北北東に向けて一斉回頭するのか?

いっぽう0900には8S司令官から0750時発信の信文をそのまま「我ガ位置トウン五五」でGF司令長官、2F司令長官に宛てて割り込みの再送をする。・・・本文に発信時間の〇七五〇があるこの信文自体が他の艦から艦への転送とも考えられるのではあるが。

同じ0900には攻略部隊を護衛する2F司令長官がGF司令長官、1AF司令長官、攻略部隊、 8S司令官に宛てて機動部隊に会合する命令の報告を発信した。

ここではKdB司令長官ではなく1AF司令長官とし、8S司令官をKdB司令長官代行としているようだ。

さて次の時系列表はKdB内部に水上決戦に向けて目視信号を多用した命令と復命の頻繁な交信から始まる。

以下かなり長いが、GF司令長官から各部隊に向けたミッドウェー・アリューシャン作戦の攻撃計画の変更と攻略作戦の一時延期命令の示達から始まり、2Sf司令官からKdB司令長官、8S司令官に宛てた飛龍の第一次攻撃隊戦果「敵空母一(大火災)」の吉報報告が入るまでの1時間10分であります。

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0901 KdB司令官ヨリ8S司令官ヘ発光信号
   「敵位置針路知セ」
同 KdB司令長官ヨリ8S司令官ヘ発光信号
   「極力北方ニ避退セヨ敵ハ〇八一〇、七〇度九〇浬ニアリ」
0910 8S司令官ヨリ筑摩ヘ発光信号 
   「零式即時待機トナセ」・・・(筑摩四号機即時待機)
0912 8S司令官より8Sヘ手旗信号
   「二座水偵二機第一待機トナセ」
KdB司令長官ヨリ8Sヘ手旗信号
   「対潜警戒機ヲ揚収セヨ」
0915 KdB司令長官ヨリKdB各司令官ヘ無電
   「昼戦ヲ以テ敵ヲ攻撃セントス集レ」
8S司令官より8Sヘ手旗信号
   「第十戦隊ノ後ニ入ル如ク行動ス」
0916 8S司令官より8Sヘ無電
   「魚雷戦用意」
0917 KdB司令長官ヨリ8Sヘ発光信号
   「対潜警戒機ヲ揚収セヨ」
0920 筑摩ヨリKdB司令長官 8S司令官ヘ無電
   「本艦対潜哨戒機揚収終リ」
KdB司令長官ヨリ8S3Sヘ発光信号
   「今ヨリ敵ヲ攻撃ス集レ」
GF司令長官ヨリGF各長官、各司令官へ無電
   「GF機密第二九四番GF電令策第一五五号 各部隊ハ左ニヨリ行動AF方面ノ敵ヲ攻撃スベシ 一、主隊〇九〇〇ノ位置フトム一五針路一二〇度速力二〇節 二、AF攻略部隊ハ一部ヲシテ輸送船団ヲ一時北西方ニ避退セシムベシ 第二機動部隊ハ速カニ第一機動部隊ト合同スベシ 三潜戦五潜戦ハ丙散開線ニ就ケ」
0925 KdB司令官ヨリKdBヘ発光信号
   「昼戦ヲ以テ敵ヲ攻撃セントス」
   「間モナク会敵ヲ予期ス」
0927 2F司令長官ヨリGFKdB司令長官 8S司令官ヘ無電
   「攻略部隊支隊〇九〇〇ノ位置地点ミユクΦΦ針路五〇度速力二八節味方機動部隊ニ向フ」
0930 8S司令官ヨリ筑摩五号機ヘ無電
   「タナ一七、今ヨリ敵攻撃ニ向フ針路零度」
 KdB司令長官ヨリKdBヘ発光信号
   「展開方向北西」
 長良ヨリ8S手旗信号
   「警戒方法ヲ知セ」
1000 KdB司令長官ヨリKdBヘ発光信号
   「速力二四節トナセ」
   「支援部隊水偵ヲ以テ零度ヨリ九〇度一五〇浬ヲ索敵セヨ」
1003 8S司令官ヨリ筑摩五号機ヘ無電
   「今ヨリ敵攻撃ニ向フ針路零度(〇九三〇)」
1008 KdB司令長官ヨリ8Sヘ無電
   「支援部隊水偵ヲ以テ零度ヨリ九〇度一五〇浬ヲ索敵セヨ」
1009 利根一号機ノ外即時待機
1010 8S司令官ヨリKdB司令長官へ発光信号
   「タナ三、敵ノ位置〇八二五 基点(ミ)ノ三五三度一三〇浬針路一三五度速力二四節 及ビ二度二六〇浬 動静同ジ」
8S司令官ヨリKdB司令長官へ発光信号
   「〇八三〇赤城通信不能ト認メ当時ノ状況ヲGF司令及2F司令ヘ通報シ当時三〇度トナリシタメ一応北方ニ避退スト電報セリ」
KdB長官ヨリ8S司令官 筑摩艦長 3Sヘ発光信号
   「支援部隊水偵ヲ以テ〇度ヨリ九〇度一五〇浬ヲ捜索セヨ」
GF司令長官ヨリGF各司令長官、司令官ヘ無電
   「GF機密第二九五番GF電令策第一五六号 一、敵艦隊攻撃法C法 二、攻略部隊ハ一部ノ兵力ヲ以テ今夜AF陸上航空基地砲撃破壊スベシ AF AOノ攻略ヲ一時延期ス」
2Sf司令官ヨリKdB司令長官 8S司令官へ発光信号
   「攻撃隊報告〇九四〇味方ヨリノ方位八〇度九〇浬大巡五空母一(大火災)攻撃隊ノ報告確実」

0901KdB司令部は0810筑摩五号機の報告に基づく情報を部隊内に無電で通達し零式水偵を待機させ対潜警戒機の収容を命令し0915には部隊内に昼戦を行う宣言をした。

09168S司令官は早くも「魚雷戦用意」を第八戦隊に命令。0920KdB司令長官は攻撃に向かう第八第三戦隊に集結を命令した同時刻にGF司令長官より太平洋に広がった四つの部隊にミッドウェー付近の敵を攻撃する命令であるGF機密第二九四番GF電令策第一五五号が発令された。

0925KdB司令長官は発光信号で「昼戦ヲ以テ敵ヲ攻撃セントス」、「間モナク会敵ヲ予期ス」と部隊を鼓舞する。

そのなか09272F司令長官は0900に発信した同文の宛先1AF司令長官をKdB司令長官に変更してGFKdBの司令長官、8S司令官に宛てて再信している。

続いて10108S司令官はKdB司令長官に宛てて0900に発信したGF2Fの司令長官宛の信文については長良が旗艦になったことは8S司令官は承知していなかったと弁明もしくは釈明を行なっている。

2Fの信文は自主的に宛先の職位を上位に訂正した忖度による訂正とも思える。その一方で8Sの信文からはKdB司令部から「避退」の文言にイチャモンがついたように思える。

8S司令官が言及した「三◯度」は北緯三◯度のことだが、むしろ前段の0828に「赤城通信不能ト認メ」たことなどについて記録に残していない発光信号によってKdB司令部から8S司令部へ何らかの叱責があったことを窺わせる。

ただ0848の「長官 長良ニ将旗ヲ移揚セラル」と公式に長良KdB旗艦となった記録の発信元、発信方法は不明である

0901KdBから8Sへ送った敵位置報告命令の復命なのかどうか8Sは弁明文送信の直前の10100825現在の敵位置を報告している。

一方のKdB側は先の暗号化された位置を敵位置とすると、0830には時点不明の位置をGFに向けて発信をしており0901には8Sに向けて0810現在の位置を示達している。

CEOの疑問は0750から始まる8S司令官発の信文にある「機動部隊」は敵か味方かの疑問であります。

暗号で交信された海図上の暗号位置では8Sの「トウン五五」とKdBの「  位置ヘイアΦΦ」、「  位置ヘイアΦΦal(0830)」があり後二つは敵位置として筑摩五号機の報告に結びつけられているのだろうが、前の一つ8Sの信文は「我ガ地点トウン五五」であり、後二つのほぼ同一のKdB信文の場合は文中の「空白一字敵と味方使い分けて」敵位置としているのか我ガ位置としているのか、加えて「避退」が追及される理由は何なのか、であります。

冒頭の07001AF(ひいてはKdB)の信文では明確に地点の暗号「トシリ一二四」は敵位置、「へエアΦΦ」は味方(機動部隊)の位置と指定していた。

しかし「トシリ」→「トウン」、「ヘエア」→「ヘイア」の文字の並びからは07508Sが使った「我ガ位置トウン五五」は「敵の位置」のはずで、KdBが書き替えた「(一字空白) 位置「ヘイアΦΦ」」は味方の位置とする方が妥当と考えられる。

文字の並び → 例えば、西から東へ「」→「」と縦に分割された区画を指すとすると単純には8S司令部が時間差のある二通で同じ信文に拘る最初の「我ガ位置」は「敵位置」の間違いであったとするのが妥当と考えられる。

強いていえば避退予定位置なのかもしれない。しかし敵に接近する行動を「避退」としたのは文章としては疑問が出てくる。

もちろん信文には暗号の作成と解読での誤訳や誤読の可能性、時間経過と共に彼我の位置が現実に入れ替わる可能性はある。

またKdBより西にいる2Fの位置が「ミユクΦΦ」であらわされているように暗号表と海図の照合位置は「西」から「」への「イロハ(説)でも逆順から西でも、いやからからでも、さらには「アイウエオだって考えられる。

あるいは情報の秘匿性からはもとからランダム配置の可能性はある。更には三文字の先頭の符号は「」は機動部隊「」は敵部隊などの識別名を表している可能性もある。

8Sが最初の0750の信文に拘るのはむしろ07001AF電のほうが間違っているのかもしれない・・・というメビウスの輪にも陥る。 

またネガティブ用語の「避退」については暗号の解読であろうが判然としない。不甲斐ない戦闘指揮で多少の負い目があるKdBは婉曲に8S信文の矛盾を突いたのかもしれない。

ここまででは「我ガ地点」が「敵地点位置」だとすると文意としてはつながるのだが8Sはその点には明確には答えていない、と言うよりもこれ以上の公開された記録はない。

以上は、記録 ミッドウェー海戦から抽出し考察を加えた。

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以下に校閲による追記として2021/04/14に起稿開始した。

戦史叢書 43 ミッドウェー海戦による位置暗号の解読から、

07001AF司令官発の信文
地点トシリ一二四」トシリ三四」ヘエアΦΦ」ヘエア〇〇」となっており
トシリ三四」は、「北緯32度05分西経176度38分」
ヘエア〇〇」は、「北緯30度00分西経179度00分」

以降に出てくる地点では
07508S司令官発の信文
地点「トウン五五」は、「北緯30度10分西経179度10分を中心とする半径10浬圏」
8Sはこれを「我ガ地点」としている。

0830KdB司令長官発の信文
味方位置とされた地点「ヘイア〇〇」は、「北緯30度10分西経179度40分」なので40分西に移動している。
なお、「」によれば「この位置は「一航艦戦闘詳報」の合戦図その他から見てかなりの誤差がある」としている。
「ヘイア◯◯al」については何かの補足であろうが内容不明。

「トシリ三四」は彼我の相対関係から敵位置の認識と特定できる。別の視点から「ヘエ」→「ヘイ」は北上、「トシ」→「トウ」は南下をした艦隊同士の航空戦でほぼ同じ緯度になっての応酬とすればKdBの信文「ヘイア〇〇」は味方位置の認識となる。

これは裏を返せば8Sの「トウン五五」の位置、特に経度にかなりの誤差もしくは誤りがある可能性を含んでいる。

8SKdBも、なぜ1AF作成の0700の彼我の位置を併記する文例を踏襲しなかったのか。

どちらの仮定でも接近戦で敵位置は「我ガ位置」と同じ座標の矩形か円の中に入るとして明示しなかったとすれば、敵位置の詳細は別の信文から追加補足することになる推測は成り立つが・・・思考上は作戦完了までの部隊間の位置暗号を精査して「ト」「へ」東西説と合わせて南北説も考慮する必要は残る。

KdB司令部8S司令部はなぜ「我ガ位置」に拘ったのか、そして信文が正しく暗号化されて正しく送信され、正しく受信して正しく解読されていたのか・・・。

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さて、ここまでの時間には利根四号機に加え蒼龍二式艦偵筑摩五号機が敵に接触を始めて位置の情報が集まってきている。

07508S司令官電の信文は利根四号機の報告の再検討による修正か筑摩五号機の情報による更新かの問いが浮上する。

最後に各索敵機の報告と受けた命令を抽出し、KdBGFとの主要な電文を挿入してみる。冒頭の0700の信文を挿入する位置に注目をしてお読みください。

     利根四号機 零式水偵 
0428
KdB司令長官
   「タナ三、敵ラシキモノ一〇隻見ユミッドウェーヨリノ方位一〇度二四〇海里針路一〇五度速力二〇以上」
0447 KdB
司令長官ヨリ
   「タナ一、艦種確メ接触セヨ」
0458
KdB司令長官
   「タナ五、〇四五五敵針路八〇度速力二〇節(〇四五八)」
0500 
KdB司令長官ヨリ
   「艦種シラセ(〇五〇〇)」
0509
KdB司令官
   「敵ノ兵力ハCx5 dx5ナリ」
0511
KdB司令長官
   「敵兵力ハ巡洋艦五隻駆逐艦五隻ナリ(〇五〇九)」
0520
KdB司令長官
   「敵ハ其ノ後方ニ空母ラシキモノ一隻ヲ伴フ」
0530 宛 KdB司令長官
   「タナ八、更ニ敵巡洋艦ラシキモノ二隻見ユ ミッドウェーヨリノ方位八度二五〇海里敵針一五〇度速力二〇節(〇五三〇)」
0534赤城
   「タナ九、我今ヨリ皈途ニ就ク」
0545
赤城
   「更ニ敵巡洋艦ラシキモノ二隻見ユ ミッドウェーヨリノ方位八度二五〇海里敵針一五〇度速力二〇節」
0548
赤城
   「我今ヨリ皈途ニツク」
0550 宛 KdB司令長官
   「更ニ敵巡洋艦ラシキモノ二隻見ユ ミッドウェーヨリノ方位八度二二〇海里敵針一五〇度速力二〇節」
 宛 赤城
   「我今ヨリ皈途ニツク(〇五四〇)」
0554
KdB司令長官ヨリ
   「方位測定用電波輻射セヨ」
0555
8S司令官ヨリ
   「皈投待テ」
 宛 KdB司令長官(0601)
   「令達報告敵攻撃機十機貴方ニ向フ(〇五五五)」
 8S司令官ヨリ
   「タナ二、筑摩四号機来ル迄接触セヨ長波ヲ輻射セヨ」
(参考挿入) KdB司令長官ヨリ KdBヘ発光信号(0613)
   「タナ一◯、収容終ラバ一旦北ニ迎ヘ敵機動部隊ヲ捕捉撃滅セントス」
(参考挿入) KdB司令長官ヨリ GF司令長官 2F司令長官ヘ無電(0630)
   「タナ三三六 午前五時敵空母一巡洋艦五駆逐艦五ヲAF十度二四浬ニ認メコレニ向フ」
0605 8S司令官ヨリ
   「筑摩機来ル迄接触セヨ長波ヲ輻射セヨ」
 宛 KdB司令長官
   「右攻撃機一〇見ユ貴方ニ向フ(〇五五五)」
(参考挿入) KdB司令長官ヨリ KdBヘ発光信号
   「揚(容)終レバ一旦北ニ迎フ敵機動部隊ヲ捕捉撃滅セントス」
0607 
利根ヨリ
   「筑摩四(号機)来タル迄接触セヨ長波輻射セヨ(〇五五五)」
0624
(参考挿入) 1AF司令官ヨリ GF司令長官へ
   「(〇五〇〇)敵航空母艦一巡洋艦五駆逐艦五ミッドウェーノ一〇度二四〇浬ニ認メ此ニ向フ(〇六〇〇)」
0629.5利根
   「我燃料不足接触ヲ止メ皈投ス」
0630
(参考挿入) KdB司令長官ヨリ GF司令長官ヘ無電
   「〇五〇〇敵航空母艦一巡洋艦五駆逐艦五AFノ一〇度二四〇浬ニ認ム此ニ向フ」
8S司令官(0640)
   「タナ一〇 我燃料不足接触ヲ止メ皈投ニ就ク」
0635
8S司令官ヨリ
   「〇七〇〇マデ待テ」
06378S 司令官
   「燃料不足接触ヲ止メ皈投ス(〇六三七)」
0638
(参考挿入) 筑摩ヨリ 8S司令官ヘ発光信号
   「〇六三八索敵機発艦」
 宛 利根 
   「我出来ズ」
0639
8S司令官ヨリ
   「〇七〇〇マデ待テ」(〇六三〇)
0641
利根 
   「我出来ズ」
0658
8S司令官ヨリ 8S飛行中各機へ
   「〇六三〇我レ出発点ヨリノ方位一三七度八六浬針路北寄リ速力二四節」

     蒼龍二式艦偵 
0700
KdB司令長官
   「タナ一 敵ヲ見ズ我レ ミッドウェー島ヨリノ方位二〇度距離二九〇海里」
0726(参考挿入) 機動部隊旗艦赤城被弾
0750(参考挿入) 8S司令官ヨリ GF司令長官、第二艦隊(2F)司令長官ニ無電
   「タナ40、敵陸上攻撃機及艦上攻撃機ノ攻撃ヲ受ケ加賀・蒼龍・赤城大火災ヲ生ズ 飛龍ヲシテ敵空母ヲ攻撃セシメ機動部隊ハ一応北方ニ避退兵力ヲ集結セントス我ガ地点トウン五五
0810
KdB司令長官
   「タナニ 敵航空部隊見ユ地点ミッドウェー島ヨリノ方位四度一五〇浬」
   (0837 再送)
0830(参考挿入) 10S司令官ヨリ 8S司令官(と)榛名艦長ヘ無電
   「タナ一七九、長官 長良ニ移乗セラレタリ」
0845
KdB司令長官
   「接触ヲ止ム(〇八四五)」
0917 無電
   「敵ニ接触ス(〇九一七)」
以降無線機故障のため飛龍着艦まで報告なし、第一次攻撃隊と同時刻に飛龍に着艦した。下記の1100 2Sf発の信文内容には二式艦偵の報告も含まれている。

     筑摩五号機 零式水偵 最初の情報から1100頃迄の交信
0726(参考挿入) 機動部隊旗艦赤城被弾
0745 宛 0818KdB司令長官
   「タナ一 更ニ敵巡洋艦五隻駆逐艦五隻見ユ 基点ヨリノ方位一〇度 一三〇浬 針路二七五度 速力二四節(〇七四五)」
   (「タナ一」は最初の報告を指すのだが「更ニ・・・」は前文を受けての接続詞。「タナ一」内での欠落か、先行した報告があるのか、全容は不明)
   (0755、「更ニ」より同文、0808 宛先を「司令長官」にして再送)
0747(参考挿入) KdB司令長官ヨリ GF司令長官ヘ無電
   「〇五〇〇敵空母一隻巡洋艦五隻駆逐艦五隻ヲ「ミッドウェー島」ノ一〇度二四〇浬ニ認ム之ニ向フ〇六〇〇」
0750(参考挿入) 8S司令官ヨリ GF司令長官、第二艦隊(2F)司令長官ニ無電
   「タナ40、敵陸上攻撃機及艦上攻撃機ノ攻撃ヲ受ケ加賀・蒼龍・赤城大火災ヲ生ズ 飛龍ヲシテ敵空母ヲ攻撃セシメ機動部隊ハ一応北方ニ避退兵力ヲ集結セントス我ガ地点トウン五五(〇七五〇)」
(参考挿入) 8S司令官ヨリ 2Sf司令官ニ発光信号
   「敵空母ヲ攻撃セヨ」
0755 宛 KdB司令長官
   「更ニ敵巡洋艦五隻駆逐艦五隻見ユ 基点ヨリノ方位一〇度 一三〇浬 針路二七五度 速力二四節(〇七四五)」
0758(参考挿入) 飛龍ヨリ 利根へ旗旒信号又ハ手旗旗溜信号
   「全機今ヨリ発進敵空母ヲ撃滅セントス」
0800 8S司令官ヨリ
   「敵空母ノ位置知セ攻撃隊ヲ誘導セヨ」
同 8S司令官ヨリ(0810)
   「タナ一五、敵空母ノ位置知セ攻撃隊ヲ誘導セヨ」
0808 宛 司令長官 
   「更ニ敵cx5 dx5見ユ 我ヨリノ方位一〇度 一三〇浬敵針二七五度速力二四節(〇七四五)」
0810 
KdB司令長官
   「タナ四、敵ハ見方ヨリノ方位七〇度、九〇浬ニアリ(〇八一〇)」
   (公開された資料ではタナ二、タナ三は不明。同様の例は公開されている他機の記録でも見られる)
0816 
宛 司令長官
   「付近天候晴雲量五雲高一〇〇〇-八〇〇風向八五度風速五米視界三〇浬」
0828 宛 KdB司令長官
   「敵ハ見方ヨリノ方位七〇度距離九〇浬ニアリ(〇八一〇)」
0830(参考挿入)2Sf司令官ヨリ 8S司令官ニ無電
   「タナ一二九、水偵ヲ以テ敵空母ニ対スル接触持続方取計ワレ度(〇八三〇)」
(参考挿入) 10S司令官ヨリ 8S司令官 榛名艦長ヘ無電
   「タナ一七九、長官 長良ニ移乗セラレタリ」
0832 
飛龍爆撃隊
   「無線誘導ヲナス」
0840(参考挿入) 飛龍爆撃隊
   「敵航空部隊ハ空母三隻ヲ基幹トシ駆逐艦二二隻ヲ伴フ(〇八四〇)」
0841 宛 飛龍爆撃隊
   「敵ハ見方ヨリノ方位七〇度距離九〇浬ニアリ」
0901(参考挿入) KdB司令長官ヨリ 8S司令官ヘ発光信号
   「極力北方ニ避退セヨ敵ハ〇八一〇、七〇度九〇浬ニアリ」(筑摩五号機発信より51'遅れ)
0917
8S司令長官
   「我レ敵機ノ追撃ヲ受ケ接触ヲ失セリ(〇九〇五)」
0920 
8S司令官(0940)
   「タナ七、基点ヨリノ方位一五度距離一三〇浬大巡ラシキモノ二隻見ユ 敵空母ラシキモノ一隻駆逐艦一隻見ユ針路北方速力二〇節(〇九二〇)」
0930 8S司令官ヨリ (1030)
   「タナ一七、今ヨリ敵攻撃ニ向フ針路零度(〇九三〇)」
1003 8S司令官ヨリ (1030)
   「今ヨリ敵攻撃ニ向フ針路零度(〇九三〇)」
1010(参考挿入)8S司令官ヨリ KdB司令長官へ発光信号
   「タナ三、敵ノ位置〇八二五 基点(ミ)ノ三五三度一三〇浬針路一三五度速力二四節 及ビ二度二六〇浬 動静同ジ」
(参考挿入) 2Sf司令官ヨリ
 KdB司令長官 8S司令官ヘ発行信号
   「攻撃隊報告〇九四〇味方ヨリノ方位八〇度九〇浬大巡五空母一(大火災)攻撃隊ノ報告確実」
1014  KdB
   「敵針二〇度速力二四節我敵ヨリノ方位二六五度三〇浬接触中(一〇〇五)」
1018(参考挿入) 8S司令官ヨリ 飛龍へ手旗信号
   「筑摩五号機無線誘導ヲナス」
1020  8S司令官(1028)
   「敵大巡四隻ハ分離シ二七二八度ニ向フ速力二四節(一〇二〇)」
1030
(参考挿入) 8S司令官ヨリ KdB司令長官ヘ発行信号
   「敵空母一大巡ニノ位置九〇度方向一二〇浬針路〇度速力二〇節」
1040
8S司令官
   「タナ一九、敵兵力位置改メテ知せ(一〇四〇)」
同 
8S司令官(1046)
   「タナ一一、基点ヨリノ方位二〇度距離一六〇浬針路二七〇度速力二四節(一〇四〇)」
1045  8S司令官(1050)
   「タナ一二、敵ハ針路九〇度変針ス(一〇四五)」
(参考挿入) 2Sf司令官ヨリ KdBヘ(1105)無電
   「タナ一三一、航空機ヨリノ報告ニ依レバ〇九四〇敵ノ位置味方ヨリノ方位八五度距離九〇浬、大巡五大型空母一(大火災)(一〇四五)」
1100
(参考挿入) 2Sf司令官ヨリ KdBヘ(1135)無電
   「タナ一三二、艦爆ノ報告ニヨレバ敵空母ハ概ネ南北ニ約一〇浬ノ間隔ニテ三隻アリ」
   (先の2020/12/08の記事に記載の「航空偵察教範」の航空学生・講義「三 実施 (ハ) fc搭乗員ガ、比較的正確ナル敵情ヲ携スコトアリ。fc隊ニモ敵情報告ヲ提出セヒ(シ)ムルヲ可トス 補注) fc 戦闘機」とあるように水上偵察機による報告より全容をつかんだ報告が飛龍攻撃隊機の観察で得られている。これは水上偵察機という運動性能や速度性能に劣る機材の問題を明らかにしている)

筑摩五号機1045の報告を最後に消息を断った。

記録通りに読めば8S司令官発0750の信文の敵位置は空母を含むことなどから利根四号機の報告を解読し直したようにとれる。

8Sの旗艦として母艦となる筑摩を統率する利根艦橋において0745筑摩五号機発の信文解読時間を含め五分後の0750に発信した8S司令長官の信文に反映させることも可能と思われる。

空母の有無については司令部の状況判断や信文の「・・・更に」の前節の存在もしくは先行する信文の存在も考えられそうである。

結論から言えば信文解読を行ったのは旗艦の利根か、母艦の筑摩か、の疑問は残る。

込み入った敵情報告を受けたKdB司令部むしろ後方の敵信傍聴などのオシント情報が集まるGF司令部の稚拙な情報判断が問われるのであるがその背景を含め「驕りと不運」で括られる大所高所の「勝てたのに」の分析が数多く公表されている。

しかし当CEOがこだわるのはもっと些末な交信の背景であります。

公式戦史と言える戦史叢書ミッドウェー海戦でも曖昧にされ、後世の軍事評論家や著述家はなぜ指摘しないのか、交戦中はよくあることとして、戦史作成時を含めそれぞれに戦死した下級将兵への追悼に隠した海軍と言うシステムにかなりの忖度が働いているとも感じられる。

作戦詳報の中から個別に抽出した情報の羅列から垣間見えるのはまだ戦闘が継続している最中(さなか)の信文に現れた1AFと8Sの二つの司令部の上級将校たちに生じた職位階級心理の推理憶測でもあります。

もちろん両司令部はここで上げた事例とは別のそれぞれの任務を果たしていたのだが、それぞれの根拠となるそれぞれの情報判断にも同様の蹉跌があった。

その一方で全体を通すと負け戦「とは言え」なのか、「だからこそなのか、日本のマン・マシン システムに内包する情報の処理と運用の能力、関係記録や資料収集の限界を示している現在へ続く報道を含めた「追求の限界」に行き着く日本型組織の性向のようでもあります。

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07508S信文「トウン五五」0745筑摩五号機信文「基点ヨリノ方位一〇度 一三〇浬」の関係の検証と筑摩五号機の暗号を解読したのは利根の通信班だったのか筑摩だったのか可能性を含め次回より本筋に戻ります。

利根四号機の敵情報告の信文は利根の通信班による暗号解読と考えられる。その利根艦橋8S司令部には「暗号と海図の関係」に致命的な認識の齟齬があった可能性もある。

 

2021年4月 1日 (木)

ミッドウェーの「運命の5分間」の後先き・・・タスクフォース索敵行 弐の巻の補足

On the 1st of April のリリースだけど真面目に書いています。
公開校正校閲中です。ご知見をお寄せください。 キネマ航空CEO

今回は米国のアーカイブにある機密資料“The Battle of Midway - Strategic and Tactical Analysis” のマイクロフィルム複写の画像はひずみが大きく利根四号機の航跡検証に用いるには適さないため機密解除後に出版された書籍に添付された復元図がメルカトル図法によることを検証しその証明をしておきます。

まず、前回の 原図 と比較ください。下の 復元図 (以下Bates図)もほぼ同等の大きさに拡大できます。

S_bates_diagram_c_bw
以下、ミッドウェーの「運命の5分間」の後先き・・・数学的背景編 1 海図と座標の巻 でくどくどと説明した理屈を実務に展開する補足となります。ただ、理屈といっても簡易的な手法であることは上のリンクで示したとおりです。

メルカトル図法の特徴は(一応は完全)球体とした地球上に天文学的に決めた赤道大円を横軸にして赤道に直角な大円を縦軸にした平面直角座標で表す地図であります。

大円とはその球体の最大周が描く円のこと。一つの中心から同じ半径で描かれる完全球体であれば球体の中心を通る断面の円周に当るので無数の大円がある。

メルカトル図の縦軸(経線)は赤道を直角に横切る360の大円を無理やり連続した平面に直したもの。したがい経線間の寸法はどこをとっても赤道上の寸法(であって直接的な距離ではない)に等しい。

すなわち経線間の円弧の距離(に相当する寸法)は緯度が極点に近づくほど拡大され極点すなわち北緯と南緯90度の極点では点を線に拡大することになる。

メルカトル図の最大の利点は方位を正しく表すことができる図法である。そのためには経線間寸法の拡大率に合わせて緯線間の寸法も同じ拡大率で伸ばす必要がある。すなわちメルカトル図法の両極の点は無限遠のかなたに存在しなければ数学的な整合を取れないため地図として表せる南緯と北緯には限界がある。

さてこの図法は同じ数値の、たとえば10度間隔の緯度線と経度線で囲まれた矩形は赤道付近では正方形に近く緯度が高くなれば次第に縦長の長方形になる。長方形の縦と横の辺の長さの比をアスペクト比(縦横比)と呼びます。正方形のアスペクト比は 1:1 であります。

 下表はプリントしたBates図の中央部から各10度で囲まれた矩形の辺を測ったデータからアスペクト比を計算しています。

 k はあるべきアスペクト比(前々回の表を参照) 本来 1 : k 書くべきだが k で表示
 k' は測定値によるアスペクト比
 (Equiv. deg) その矩形内で kk' の値と等しい1度矩形のアスペクト比が等しい緯度
 k'/k はあるべきアスペクト比に対するバラツキ
 e = k'/k - 1 は誤差

Verifikation-of-mercator-projection

以上よりBates図の経緯度が示すアスペクト比のバラツキはほぼ 1 となっておりメルカトル図が使用されているとしてよい。

この図では東経170‐180度区間のほうがメルカトル図法に近いと言える。原因となった経線間の寸法(Pitch)差はオリジナル図でも見られる。日付変更線あるいは東経と西経の境である180度にまつわるメルカトル図法に固有の問題とも思えるが今回は深追いしません。

さて、A3サイズにプリントした海図の読み取りと書き込みの問題を除けばこの範囲の中で作図する作業での系統的な誤差は2.5%程度と思われる。

残るのは電子データをプリントする時に生じている変形や湿度による紙の伸縮などいくつもあるが使った図面のアスペクト比を測定記録しておくに留める。

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いよいよ次回からBates図上に先回の時間表の数値や距離をプロットしてみるのだが、その前にメルカトル図で距離を測るにはどうするのかから始めることになる。

続く

2021年3月30日 (火)

ミッドウェーの「運命の5分間」の後先き・・・タスクフォース索敵行 弐の巻

公開校正校閲中です。

いよいよ前回まとめたミッドウェー(以下 MI)作戦におけるKdBの行動表の座標を適当な地図の上に落としてゆきましょう。そのための海図の選定から始めます。

索敵機の偵察員が携行する航空図板に張り付ける地図の様式については今のところ断定はできない。しかし艦隊各艦の艦橋の海図室にある海図はメルカトル図であることは間違いはない。

この航海長が統括する海図の基本情報に加えて天候、索敵など独自の諸情報が集約され、旗艦であれば艦隊付参謀や戦隊付参謀が今後の行動や攻撃の準備その他を調整した戦術を参謀長が司令長官に上申し司令長官が艦長に命令する。

艦長は各課の長となる士官を通して下級士官、下士官を経て兵に伝わる。この中で航海長と飛行長(と飛行隊長を含めた)関係に注目したいがそれは追々と・・・。

ここからは当CEOがその海図に情報を書き込む段階で航海長の下の兵曹長クラスの下士官となって作図して見る試みであります。

さて、このへなちょこ兵曹長はかなりテキトーで地図は日米双方の公式戦史の付帯図に目をつけて、念のためそれらがメルカトル図であることを確認することから始めることにした。

日本側の地図もほぼ公式資料だがいろいろと面倒そうなのでサムネイルを掲載していませんが図書館から借用している書籍の付図の情報を下表に示します。

なお表中のサムネイル画像はクリックで別タブに開きます。

(以下 テーブルの下に続きます)

基礎文献によるミッドウェー海空戦の海図比較
Diagram
Map
“The Battle of Midway
- Strategic and Tactical Analysis”
-Map Title & Sub Title-
「戦史叢書
ミッドウェー海戦」

-付図名称-
(左に対応)
省略 Diagram A
Theatre of Operations
 
省略 Diagram B
Search Plans & Movement of Forces
To 2400, 3 June
Zone Time +12
付図第一
ミッドウェー、アリューシャン作戦における各部隊行動要領、飛行哨戒標準、潜水艦配備標準(機密聯合艦隊命令作第十四号及びその後の訂正加味)
Diagram-c_s Diagram C
Air Searches Midway Area
(Beginning 30 May)
付図第二
ミッドウェー及びアリューシャン方面における各部隊進撃行動図(ミッドウェー部隊は六月四日までアリューシャン部隊は六月五日昼まで)
Diagram-ds Diagram D
0000-2400 4 June 1942
Zone Time +12
付図第三
ミッドウェー部隊合戦図(六月五日)
Diagram-d1s Diagram D-1
0000-0600 4 June,1942
Zone Time +12
付図第三の一部の部分拡大に相当
偵察機の航跡や双方の攻撃ルートは表示されていない
Diagram-d2s Diagram D-2
0600-0900 4 June,1942
Zone Time +12
 同上
Diagram-d3s Diagram D-3
0900-1300 4 June,1942
Zone Time +12
 同上
Diagram-d4s Diagram D-4
1300-2400 4 June,1942
Zone Time +12
 同上
省略 Diagram E
0000-2400 5 June,1942
Zone Time +12
付図第四
ミッドウェー部隊戦場離脱と引き上げ行動図
省略 Diagram F
0000- 6 June and After
Zone Time +12
付図第四

今回は米側の“The Battle of Midway - Strategic and Tactical Analysis” の Diagram C Air Searches Midway Area (Beginning 30 May)を検証に使用します。

メルカトル図法の採否の検証に米側の図を使用した理由は図の座標軸に補助目盛線をきちんと示していることです。加えて戦後すぐに日本に乗り込んだ調査団が収集した資料であることもあります。

原本は1948年に機密文書として作成されておりアーカイブはマイクロフィルムの時代であったが書籍を分解までして正しく複写複製することはなかった。

そのため経緯線のアスペクト比は崩れており北緯30度の緯線と180度の経線だけがほぼ直線で直交しているけれど海図として航跡のレファレンスに使うには苦しいところがあります。

幸いにも1991年に原本の機密は解除されて2017年になって当時の作成責任者だった(海軍大尉のち少将で退役した) R.W.Bates 版として刊行されている。

こちらでは上表のDiagramがコンピュータで復元されておりWebに乗っていたことがあったようで、何かのはずみでDiagram C のみが当CEOの手元にある。

次回はこの図と 先々回の「簡易メルカトル図法の経緯線アスペクト比」との妥当性を検証してから 先回の「第一機動部隊の時刻表」 と 今回選んだ 「Bates海図」を組み合わせた検討に入ります(次々回になるかなー)。

こうした点では残念ながら日本側の「戦史叢書 ミッドウェー海戦」 の付図は負け戦とは言え、今回のような検証に使うにはいささかおざなりな記録であります。

なお、今のところどちらの文献も全文と(Bates版を除き)付図を含めてWeb上で閲覧できます。

2021年3月22日 (月)

ミッドウェーの「運命の5分間」の後先き・・・タスクフォース索敵行 壱の巻

公開校正校閲中です。

ミッドウェー作戦では日本側が傍受した海底電信線でオワフ島とつながったミッドウェー島発信の平文の無線通信に仕組まれたトラップを不用意な平文無線で拡散して大日本帝国海軍の次の作戦目標の特定がなされていた。

攻撃開始直前の航空偵察として二式大艇2機による空母の所在を確認する第二次K作戦によるパールハーバー偵察では潜水艦からの燃料補給のための会合地点としたのはミッドウェーとハワイ群島を結ぶハワイ列島の中間、半年前のパールハーバー攻撃や第一次K作戦の偵察兼爆撃行で使われたフレンチフリゲート環礁だったがすでに敵の水上機母艦が進出してPBY-5飛行艇が哨戒飛行を実施しており作戦は中止された。

その後二式大艇の1機はウオッゼ島からの偵察で未帰還となっている。ウェーク島のほうがミッドウェーに近いのだが飛行艇の運用上でウオッゼ島が使われた。

また、潜水艦11隻で5本の警戒線を展開する計画は故障で動員隻数が減り中止したK作戦に分遣していた3隻の再配置が終わった時点では二群に分かれた敵の特命艦隊(タスクフォース)TF16TF17は五日前に警戒線を通過していた。

余談だが日本海軍ではタスクフォース(Task Force)を機動部隊と訳している。いっぽうお相手は日本の機動部隊モバイルフォース(Mobile Force)としている。

   今では携帯電話(Mobile Phone)並みのお手軽部隊と取れる命名である。もはや携帯電話も廃れてスマホ(Smartphone)とやらになっているけどね。
   ちなみに日本側の機動部隊の符号はそのまんまのKdB(KidoButai)で聯合艦隊GFだった。後者は第一次大戦の英国での用語のGrand Fleet 【大艦隊】からの借用らしい。英語では連合した艦隊Combined Fleetが使われる。
    聯合艦隊は日清戦争において複数の艦隊で編成される艦隊を指す用語として作られ、その後は有事や訓練での随時の編制で使われたが大正時代に常設化した。
   日本では空母や基地の航空群の単位は航空戦隊のSfが使われる。本作戦のKdBでは1AF(第一航空艦隊)を構成するのは1Sf(第一航空戦隊)2、2Sf(二航戦)2 の4隻であった。
   パールハーバー攻撃では5Sf(五航戦)2 が加わる6隻で編制されていた。日本はこれ以上の規模の航空艦隊を編制をすることはなかった。

   航空艦隊の略号AFは攻撃目標のミッドウェイ島の暗号名AFでもあった。(閑話休題)

さて日本に残された索敵手段としては後方で行う無線傍聴があった。通信の内容とは別に発信の方位で位置を特定し送信の頻度やパターンで敵の規模や行動を推定し予測する今ではオシント(Open-Source intelligence)と呼ばれる諜報手段の一つである。
   日本側も機動部隊出撃時には日本近海で空母と潜水艦部隊の訓練を模した偽交信を行っていた。

攻撃実施の数日前に南洋方面にいた第六艦隊の敵信班がミッドウェーの北方で頻発を始めた空母と航空機間らしい交信を傍受し特定した位置を無電で大本営に報告したが受信記録文書は残されておらず無視というより黙殺されている。(受信した側は受信電を返すがその文書記録を含めて受信側には存在していない)

GF旗艦大和の敵信班はこの電信の傍受あるいは独自の傍聴なのかは不明だがKdBに近い海域に敵艦隊の所在を探知してGF司令部に報告していたが黒岩GF参謀の「KdBも傍受しているはずであり無線封鎖の厳守と継続」を主張する進言を是とした山本GF司令長官の判断で指揮命令系統にあった南雲KdB司令長官へは周知されなかった。(KdBは傍受していなかった)

かくして日本側が採用した索敵計画はKdBが単独で立案したミッドウェー攻撃隊の発艦と並行して発進させるミッドウェーを挟んだ西側に外付け兵装なし7.7mm旋回機銃一挺のみで高速を出せる三座の九七艦攻を2機、そこから反時計回りの東側に双フロートで同じ兵装の三座の零式水偵を4機、旧式で低速短足だが旋回一挺、固定二挺の7.7mm機銃と下方視界は広い複葉単フロート二座の九五式水偵 1機による索敵線七本の一段のみの(時間差をつけた後続機を出さない)索敵が開始されるまでを以下にまとめる。

1.機動部隊の航跡

敵空母の撃滅は軍令部総長永野修身(海軍大将)が奉勅した大海令第十八號
  
山本聯合艦隊司令長官ニ命令
   一 聯合艦隊司令長官ハ陸軍ト協力シミッドウェー島及ビアリューシャン群島西部要地ヲ攻略スヘシ
   二 細項ニ関シテハ軍令部総長ヲシテ指示セシム」
によって軍令部総長が細項を指示した大海指第九十四号の別冊「ミッドウェー島作戦ニ関スル陸海軍中央協定
   三 作戦要領
     一、海軍航空部隊ハ上陸数日前ヨリ「ミッドウェー」島ヲ攻撃制圧ス
       ・・・
     四、海軍ハ有力ナル部隊ヲ以テ攻略作戦ヲ支援掩護スルト共ニ反撃ノ為出撃シ来ルコトアルベキ敵艦隊ヲ捕捉撃滅ス
と、日本語としてはいかようにも解釈できるというより連合艦隊に下された天皇陛下のご命令はあくまで攻略(占領)作戦の命令であったことは何度も述べている。

   ミッドウェー攻略作戦にはアリューシャン作戦を含めると艦隊と船団からなる七つの部隊編成で実施されたが下表はミッドウェー環礁の占領のために制海制空権を確保する奉勅命令を受けた第一機動部隊の航跡である。

   この時間表のなかで別働する攻略(上陸)部隊の船団はすでに空爆を受けており損害も出ているが省略する。それらについては表の注記にある文献を参照ください。

Mi1af_9191185

6月3日は無線封鎖を続けて針路70度9節で進む補給船団を含むKdB艦隊が5日の攻撃隊の発艦予定地点に向けて大変針を行う日であったが霧の中の操艦を強いられておりKdB司令部1030に微弱長波により変針手順を命令している。

この辺りから記録に相違が見られる。例えば「記録ミッドウェー海戦」(以下「記録Mi」)では電波輻射と同時刻に125度に変針としているが21隻の艦隊と5艘の補給船団で構成された部隊が霧中の変針命令を受けて即時に実行できるのかどうかには疑問がある。

「戦史叢書 ミッドウェー海戦」(以下「叢書Mi」)では天測を実施した12001315の二回に分けて100度135度と変針している。いっぽう「記録Mi」では1330の天測座標(と思われる)の記録時に130度へ針路を再度変更している。

「叢書Mi」では3日1315に定針した135度から5日0030の第一航行警戒序列と同時に130度に変針している。

「記録Mi」では4日0307に針路そのままで速度を9節から12節に変更している。「叢書Mi」では9節から12節への変更時点は記されていないが翌5日120012節から24節に変更している。4日0307には艦隊への給油が終わった補給船団に駆逐艦の一部を付けて分離別動させておりこの時点で12節に増速したと考えられる。

利根四号機に航跡の検証の基準となる攻撃隊の発艦位置においては天測座標では記録されていない。最も流布している「ミッドウェー」とそのあとに刊行された「叢書Mi」との間にも齟齬がある。

ミッドウェーからの方位では「北西」「315度」(「叢書Mi」では両方)が使われていて、距離ではそれぞれ「240浬」「210浬」とされている。

「北西」「315度」は同じ方向と言えば同じと言えるが一方は「西北西」から「北北西」(315 ∓ 22.5度)の間とも解釈できて航海記録としては全く等しいとも言えない。30浬の差も24節で直進すれば1時間15分かかる距離である。

これらの記述に何らかの意味や意図が入っているのかを地図上で読み解くことになる。

なお、以上三件の基礎資料に別刷りの正誤表があるのかもしれないが「叢書Mi」を除き入手できていない。参照した他の参考資料(日本語)にも特記するような記述はない。

続く

2021年2月20日 (土)

ミッドウェーの「運命の5分間」の後先き・・・数学的背景編 1 海図と座標の巻

例によって公開校正校閲中です。

     意あって言葉足らずで何の面白みもない回ですが・・・

合戦の記録には陸戦の場合はそれなりの基準となるランドマークがある。しかし海洋戦航空戦となると戦後になって双方の記録を突き合せないと実態は分らない。

   1948年に米側はNWC(米国国防大学)が戦後に行った日本側を聴取した記録と突き合わせた “The Battle of Midway - Strategic and Tactical Analysis” を機密文書として作成している。(機密解除 1991.5.30)
   1949年に日本側ではミッドウェー作戦の機動部隊参謀長草鹿龍之介少将(当時)が文芸春秋誌に寄稿した「運命の海戦 日本海軍の敗北を決した五分間」で作り上げた物語が1951年の「ミッドウェー」淵田、奥宮著でワンフレーズの「運命の五分間」となって引用され今も残っている。
   1971年に刊行された日本側の唯一の公式戦史である「戦史叢書 ミッドウェー海戦」防衛庁防衛研究所 戦史室著 の付図第三「ミッドウェー部隊会戦図(六月五日)」では「資料の関係から正確を期しがたい、特に第一機動部隊及び敵発見状況において然り」と記されている。

   その結果先に敵空母艦隊の上空を通過したと判断される将校偵察員機長の筑摩一号機の雲上飛行をフェードアウトさせて、後から発見した下士官偵察員機長の利根四号機の索敵積極性にフォーカスを当てさせることになる・・・

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ミッドウェー海戦をテーマにするからには利根四号機の位置と時間の飛行軌跡の謎を外すわけにはいきません。それと同時に特に四号機を発艦させて索敵報告を中継する第八戦隊旗艦利根にも目配りが必要ですがその前に幾つかの科学(といっても幾何学ですが)の知識が必要になる。

1.海図と座標

2020.11.02の当オフィスの記事にミッドウェイ海戦の時代にも長波の発信位置の方位(Bearing)はループアンテナで分かるとしている。

二ヶ所に既知の固定受信局があれば未知の発信場所が、あるいは二ヶ所の既知の固定発信局があれば受信した場所において「三角測量の要領で未知の発信位置や受信位置が分かる」と書いているが正確には球面幾何学によってであります。

例えば北極点から輻射した長波を赤道上の二ヶ所の受信局で受信し磁偏差と羅針儀の自差を修正して方位は0度と算出したところで基線となる赤道に対する角度はいずれも90度であり三角形の内角の和を180度とする三角法は成立しない。

「発信地点は北極点」と推測し断定できるあなたは地球が球体であることを知っているからであります。

また、どちらか一方の極点で電波を輻射すれば1/(7.5X2)秒後にもう一方の極点に集まる計算にもなります。

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完全球体と仮定した地球表面の球面座標の基準は太陽が最も高く上がる地点を結んだ輪を緯度0度の赤道として、赤道と平行に北側に輪切りにした円周を北緯と呼び赤道円の中心からの角度で表し90度すなわち半径0の点となる位置を北極点、同様に南側を南緯と南極点とする。

赤道円の中心に直行する直線を(南北の極点を通る自転軸となる)地軸とし、球体の断面で最も大きい円(大円)となる赤道の周囲を360度に分割して赤道に直角に交差し両極を通る大円を経(度)線と呼び、経度0度の円をロンドンのグリニッジ天文台を通るグリニッジ子午線とした。(現在では同天文台は移設されている)

グリニッジ子午線から東廻りを東経、西廻りを西経と呼び双方が重なる180度の経線をおおまかに日付変更線としている。また東経と西経の合計が180度となる経線は一つの大円を分け合っている。
    余談だがミッドウェー海空戦は日付変更線を挟んで始まりました。日本の機動部隊は日付変更線を越えて攻撃の前日に壊滅したことになります。

地球の座標の原点は赤道とグリニッジ子午線の交点であり南北の緯線と東西の経線の度分秒を組み合わせた四通りの表現で地球表面(ひいては地図)の位置の座標が示される。

以上の定義から隣接する例えば10度間隔の緯線間の円弧の距離は一定であるが10度間隔で隣接する経線間の円弧の距離は赤道上では緯線間の円弧の距離と等しいが赤道を離れた経線間の円弧の距離は緯度の関数となって短くなり極点では0、文字通り点になる。

ただし、以上の説明は当CEOがこれから行うミッドウェイ海戦図を読み解くツールとして使う前提の定義であり、現在の国際標準となる定義は地球を楕円回転体とした定義(GRS80IRMなど)で行われています。

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いずれにせよ、航海用海図は、緯度を横軸、経度を縦軸にした直交座標系のメルカトル図法が使われる。

メルカトル図法は正角円筒図法と呼ばれ、球体では緯度で減少し点となる経線間の距離を地図上では赤道上の寸法に固定した横軸と増加させた経線間の寸法に応じて地図上の緯線間の寸法を極点に近づくほど増加する縦軸で示す直角座標であり、地図上のどの地点でも羅針儀の自差、偏差を修正した真方位針路を記入できる正角図法として使用できる。

航海用海図(航洋図)で最も重要な項目は不動の方位(True Bearing)と自らの方向(Heading Corse)あるいは目標に対する方角(Bearing)さらには目標の針路(Course)であり次に距離、加えて水深、地形、標高と続くが少なくとも大海の航海においては前二者は必須であります。

なお、後者の水深と地形、標高など陸地が載っている精密な沿岸図は水路特殊図と呼ばれます。もちろん航海用海図にも岩礁、暗礁、浅瀬などの障害物は載っています。一般的には航海用海図海図と呼びます。

メルカトル図を航法の指標に使用する場合の長短は次のような表裏になる。

長所 1.地図上の方位を正しく表示できる
 短所 1.地図上の長さが緯度が高くなるほど地図上の南北の寸法が長く90度では無限遠となり実用の限界が80度程度となる。
長所 2.羅針儀、速度、クロノグラフで容易な推測航行が可能となる。
     この時代には電波による東京時間の時報が輻射されておりクロノグラフの時間整合にも使われていた
      艦隊の作戦は現地時間ではなく東京時間で行われていた
 短所 2.地図上の二点間の最短距離を結ぶ大圏航法ができない。定時天測による進路の更正が必須である
長所 3.狭い範囲であれば方位、距離ともに 短所 1.は軽減され人間の感覚に合っている
 短所 3.島嶼のない大洋では緯線と経線の間隔の比(アスペクトレシオ)に基づく方眼紙の白紙海図が必要となる
      南北の移動を含む航海には、複数のそれぞれ主要な一点を基準にした間隔の異なる緯線が入った複数の白紙海図の準備が必要になる
       この場合基準となる経線間隔の縮尺を統一しておけば地図の連結はやりやすい
長所 4.航跡や針路の作図に必要な道具は、海図台に海図を固定する重錘、三角定規セット、デバイダー、分度器 、(作図用)コンパス、加えて鉛筆、消しゴム、程度である
     なお、正規の海図では航行する海域の経緯線と分度器の代わりになる磁偏差を見込んだ方位円を数か所に印刷してあるので三角定規を組み合わせた平行移動で任意の角度の線が引ける
      全くの白紙に長い経緯線が引ける直角が保証された海図台とT定規はあったのかなかったのかは不明
 短所 4.球面上の円をメルカトル図に描くと極側に伸び極側に窄(すぼ)まった卵型になる。
      コンパスで描く大きな円では高緯度になるほど南北方向の誤差の補正が面倒になる

現在のGPS航法ではこれらの問題は解決されているがGPS(全地球測位衛星またはシステム)のどこかが機能を失えばこの長短問題に直面する。たとえば全ディスプレイの電源を喪失する程度ででも・・・

以下長くなるがメルカトル図の簡易的な概念を述べておきます。

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まず、地図を使うのは人間であります。地球の表面にいる人間は今も昔も感覚的には緯度、経度の値には関係なく己の見える範囲を方向と距離で理解します。

その中で、方向は絶対不変の基準が必要であり主に北半球にいる人たちによって北極星が見つけられ、続いて赤道の定義が定まります。

そして方向と距離に整合性を持たせる角度を使った緯度と経度の球面座標の定義に至ります。

地図を作ることは三次元の角度と長さを平面として人間の感覚に整合性を持たせた二次元の長さと方向に変換して作図することになります。

もちろん完全ではなくても狭い範囲に限れば実用になる整合性を保つ地図としてであります。まず基準になる角度はさておき長さの定義はメートル法の制定時に地球の北極点から赤道までの距離を10,000kmとしたので完全球体としての半径は有効数字を三桁に丸めて6,370kmとなる。

航海や航空の運航に使われる現在の浬または海里(ノーチカルマイルまたはシーマイル)は緯度1分(1/60度)に相当する距離として1,852mと定義されている。浬単位の時速はノット(節)となる。
・・・詳しくは後述する「視程と高度」の回で

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完全球体の最大直径を大円と呼びます。地球では緯度の基準となる赤道円もこれにあたる。

したがい0度の赤道円と平行に球面上に描かれる赤道円の中心から等角度で引かれる90本の緯度円の直径は大円より小さくなり最後の90度では直径0の点すなわち極点となります。

いっぽう赤道を360度で分割した360の点から赤道に直角に立てた経線円は南北の極点を通り一周して大円を描き360のそれぞれの点に戻ります。

以下の添字の注記
 Eq  / Equator    赤道
 Lon / Longitude 経度
 Lat / Latitude    緯度

完全球体の地球の経線円の半径は赤道円の半径と等しい大円でありその半径を R、緯度角を ΘLatとします。

緯度角 ΘLat 上の緯度円の半径は RLat = RcosΘLat と小さくなる。この円も赤道上の経線の分割数と同じ数で分割されています。

三次元の球面の大円に平行な断面(緯度)円の円周の長さを計算するにはその直径 D の円周長を LC とすると LC=πD となります。

円周率 π(パイ) は無次元の無理数であり実用上は十進法の有理数である360度を使った単位が馴染みやすい。そこで角度の定義を変えたラジアンと呼ぶ単位が設定されました。

先の式の π に相当する部分は360度の値に相当しています。したがい円周は LC = πD = (π/360)・360D より、度とラジアンの単位換算値を π/360 とすれば、
半径 R(= D/2) で挟まれた角度 Θ の円周上の距離 LΘ = (π/360)・Θ 2R と置き換え、Θ 度を θ ラジアンに換算するには θ = (π/180) Θ となります。したがい、

  L = θR  

面倒だけど角度の単位を度とラジアンに使い分けるのは三角関数表が有理数である十進法の度(deg)で表示されていること、ラジアン(rad)の基となる π は無限小数で表される無理数ですが円周の一部である円弧の長さの計算が容易になると言った利点あります。

以上で、メルカトル図法の簡易的な考察に入れます。

まず人間が地図に求める原初的な感覚は平面上の方向と距離であり特に緯度が大きくなるほど狭くなる経線を使う座標はそれほど役に立たない。そこで、

1.直交座標の横軸となる経線の間隔は、赤道上の距離をそのまま用いる。すなわち、地図上の真北の方位はどの位置でも0度であることが保たれている

2.縦軸となる緯線間の距離は、赤道上の距離を緯度によって変化する経線間の距離で割った倍率を乗じた拡大をして角度上の近似をする。

すなわち、平面のメルカトル図では、東西方向の Θ の距離はどことっても赤道上の長さで統一され、南北方向の Θ の距離は一定の法則で拡大された寸法で作図された縦長の長方形となる。

これにより、距離を含む斜めの針路は地図上でも経線を越えて引くことができる。

経線間の寸法と緯度の関係は、緯度を Θ 度とすると緯度円の半径は
 RΘ = REqcos Θ : 例えば Θ = 0 度 RΘ = REqcos 0 =  REq

θ ラジアンの赤道上の 円弧長は LEq = θREq 、半径 RΘ に変わった緯度円においても θ は変わらないので緯度 Θ の緯度円上の経線間の距離は LΘ = θREq cos Θ より赤道上の長さとの比を k とすると
 k = LΘ / θREq= cos Θ ≦ 1

ところがメルカトル図では変化する経線間の寸法 L'Lon を赤道上の寸法と同じとしており
 L'Lon = θREq = LΘ /cos Θ = LΘ / k 

いっぽう角度 θ による大円上の緯線間の距離は LLat = θREq で一定だけれどメルカトル図上の緯線間の寸法は Θ の関数として拡大されて
 L'Lat = θREq / k 

メルカトル図上で長方形で表される緯線間の寸法と経線間の寸法対経線上の寸法の比であるアスペクト比は、Photo_20210213210701
 kAS = L'Lat / L'Lon
    = (θREq/k)/(θREq)

    = 1/k
    = 1/cosΘ ≧ 1

左表は緯度による距離のアスペクト比の変化を1度、5度、10度間隔の平均値を示しています。

メルカトル図法は方位を優先し狭い範囲ではある程度の距離の整合性を持った汎用性を生かした作図法であります。

度の下位単位である60進法の分、秒でも同様の緯度と経度のアスペクト比は変化している。

航海は、ある一点で設定した針路と速度で一定時間航行したら天測を行い、地図上の航路はその二点を直線で結ぶか、あるいは途中で変針した地点の推測位置から新しい天測地点を結び、新しい地点からの針路の更新を繰り返しながら航海を続けることになる。

ちなみに、ミッドウェー島は北緯28度西経177度にある。航空艦隊間の海空戦はここより北に北緯31度までの範囲で行われた。

並行して行われたアリューシャン作戦は北緯51度から53度の範囲で行われた。

後書きへ続く


 

 

 

 

 

 

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以上はあくまで簡易的な解説であり詳細は以下のリンクを参照してください。

海図—その図法と縮尺 
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjca1963/3/3/3_3_19/_pdf
Googleマップの投影法
https://user.numazu-ct.ac.jp/~tsato/tsato/document/mapcenter460/

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次回は南雲部隊が飛ばした利根四号機の航跡をたどる前に発進した艦の位置を海図上で追跡してみる。

・・・海図台は大型の艦では必ずしも艦橋のガラス張りの指令所ではなく脇の小部屋にあったようだ。

当時の海図台が写った映画や画像を漁ったが見つからなかった。記憶では「戦艦シュペー号の最後(1956)」や「太平洋奇跡の作戦 キスカ(1965)」にはあったはずだが・・・

確実にあるのは「ビスマルク号を撃沈せよ!(1960)」。
     ロンドンの地下にある海軍作戦指揮所には壁一面の北海から地中海までの広範囲な海図、大きな海図台には英国の周囲の海図があり、索敵艦を要所に貼り付け、地中海、北太平洋で船団護衛で展開していた空母や戦艦を引き抜き艦隊を編制をして迎撃態勢を整える場面、
     命を受けたフッドの艦橋では薄明にビスマルクと会敵する時間から針路と速度を決める場面、
     プリンスオブウェールズが艦橋にビスマルクの砲弾の直撃を受けたあと伝声管を伝わり甲板下の航跡記録室の海図の上に血が滴り落ちる等々の英国らしい印象的な場面に登場しています。

ミッドウェーにおいても参加艦船の海図台上の地図はメルカトル図であることは間違いない。
     いっぽうで課題となるのは航空図板に使う航空図は何だったのだろうか・・・。

2020年12月 8日 (火)

ミッドウェーの「運命の5分間」の後先き・・・スマート、ステディ & サイレント・ネイビィで零式水偵の士官偵察員になってみる、の巻

前回の#10による偵察機搭乗員の作業教本に続いて#11の士官搭乗員教育教範から少し俯瞰的な見方をしてみる回です。

そして、今回の副題はラシキモノについて考える、の巻であります。

参考にした#11は偵察業務に限らず更に広範囲に亘っている。ミッドウェイでの敗北後に作成され書き取られた士官教育用の軍極秘扱い資料です。

なお偵察関連の項目を抽出と文中の(省略)も当CEOが行い、引用部の誤記、誤字脱字は当CEOの責任であります。 

対象は前回とは異なり士官の教育用であります。いずれにせよ士官の義務は上官に対しての報告責任であり多くは下士官兵に対する期待と言うより教育と命令の心得であります。要するに中間管理職のマニュアルでありますね。

しかし、ミッドウェイにおける航空艦隊第八戦隊の航空参謀や艦橋要員は全く読まなかったのか、忘れたのか、と言う個所がたくさん出てくる。

当時の一艦の航空業務の運用を取り仕切っていたのは飛行実務を経験した士官の飛行長であった。 艦隊や戦隊付の佐官クラスの航空参謀も多くは飛行長を経験していたが少なくとも空母では偵察士官から新補されることはまずなかったし、なったとしても水上偵察機を運用する戦艦、巡洋艦であったようだ。

当CEOが気になった個所に付けた赤字は飛行長や航空参謀が何をしなかったかの疑問であります。

例えば、航空講義二、計画(ニ) 索敵機ノ索敵線到達時刻ハ、一般ニ軽視サレ勝ナリ。注意ヲ要ス

扇状の七本の索敵線の4本目(すなわち中央)を飛ぶ利根四号機の射出が30分遅れたのは対潜哨戒機の発進を優先した第八戦隊旗艦利根の司令部が判断した、「され勝ちな軽視であった」が、後年の評価では「遅れたために発見できた」となっている。

ちなみに僚艦筑摩利根四号機の北側の二本の索敵線零式水偵各一機をほぼ定時に発進させて、その後に九五水偵一機を対潜哨戒に出している。

ただ、利根四号機の北隣の哨戒線を飛ぶ士官機長の機は敵艦載機との遭遇報告を怠り、加えて雲上を飛び敵艦隊の上を越えて見逃し、その北側の一機は天候不良とエンジンの不調で引き返している。(むしろ、組織論としては無線傍聴の監視だけにとどめた米海軍の判断はどの職責の士官が進言し指揮官が命令を下せたのか、のほうが重要)

前回まとめた偵察員須知(心得) 二、敵発見時ノ処置では、(ニ) 敵機発見ノ場合(イ)隠密避航ニ努メ時刻、機種、機数、位置、針路、飛行高度、携行兵器ノ種類ナドヲ報告ス。 (ロ)艦上機ナリヤ陸上機ナリヤ、マタ水上機ナリヤ飛行艇ナリヤノ区別ヲ確認ス (ハ)艦上機ナル時ハソノ機ノ行動半径内ニ敵空母ノ存在スル公算アリ、水上機ナル時ハ付近ニ水上艦艇アルベク、陸上機モシクハ飛行艇ナル時ハ付近ノ島嶼ニ基地アルコト確実ナリ

(敵の手の内で行ったともいわれる)奇襲による真珠湾の成功後のインド洋遠征で経験する遭遇戦を深めることもなく、初めて行った本来の敵主力との遭遇戦となった珊瑚海の戦闘も分析されないまま「気の緩み」とされる怠慢は末端の士官にもあったようだ。

同様に利根四号機の報告した発見位置のズレについては索敵命令を出した機動部隊司令部、発進を命じた第八戦隊司令部の幕僚の実務上の怠慢と記録されるべき失態でありました。

先の航空講義 の 二、計画、に続く 三、実施、では (イ) 索敵機飛行中、幕僚ハ予メ準備セル索敵図ニ予定時間ヲ記入シ、索敵線及飛行時間ニ依リ概位ヲ判知スルヲ可トス

さらに、利根四号機の積極性については、兵術参考綴、偵察課題、では
A 1、先ズ敵発見ノ第一電ヲ打ツ 敵機動部隊見ユ
 地点イロハ一 ・・・時・・・分、次ニ、適当ナル位置ニ避退シ、隠密ニ敵ニ接触シ、敵兵力、針路、速力、天候ヲ確認、味方指揮官ニ第二電ヲ発ス。例:敵機動部隊見ユ B・・・C・・・D・・・T・・・ 針路300 速力二十節、附近上空ニ断雲アリ、雲量4、視界10
 
2、味方攻撃隊発進、攻撃隊ノ現場到着前45分ヨリ、味方攻撃隊ノ無線誘導ヲ開始ス。

利根四号機の積極性に関しては、「隠密に接触を再開できる位置まで待避する」が間違った行動をしているとは言えない。強いて言えば戦闘詳報に記録された信文には天候がないようだ。本当になかったのか?

関係者から指摘される利根四号機の積極性には、敵ラシキモノの多用が入るのだろう。ラシキモノとはなんだ!と赤城艦橋で参謀が息巻き「艦種知ラセ」と第二電を要求する電令を打つことになる。

この用語は実際に無線暗号(短縮記号)で存在する。

今回追加した参考図書 、
 #14 太平洋戦争敗戦の深層に迫る 加藤 卓雄 2014 文芸社

で、加藤氏は「敵ラシキモノ見ユ」では偵察報告としては意気が上がらない。敵ラシキモノのような曖昧な語句ではなく日本海海戦の端緒を開いた信濃丸のように敵艦見ユ・・・と打つべきだったと書いている。

たしかに今回取り上げた兵術参考綴の第二報の例文には具体的に「機動部隊見ユ B・・・C・・・D・・・T・・・ 針路300 速力二十節 附近上空ニ断雲アリ、雲量4、視界10」。

ちなみに、・・・は隻数、B:バトルシップ(戦艦)、C:クルーザー(巡洋艦)、D:ではなく d:デストロイヤー(駆逐艦)、T:トランスポート(輸送船)、記載はないが、A:エアクラフト キャリアー(航空母艦)と、使用記号としては意外とそのままだった。

 #14 によるとラシキモノは訓練演習時に使われた用語らしい。

ラシキモノは曖昧な語句、というより商船相手ではともかくとして、演習や訓練で発見すべき敵は(畏れ多くも)天皇陛下の艦(ふね)であり「敵と言えども味方である」と曖昧化する忖度をした信文用語を作り、下士官兵に対しては説明せずに打電をさせていた、と当CEOは解釈する。
飛行士(または機長)から通信士に対して口頭で指示命令する信文である「ラ シ キ モ ノ」をそのまま一字づづ打っているわけではない。ニ、三文字に記号化されている。さらに言えば解読時に機械的に付け加えられた可能性も残ってはいる。(閑話休題)

偵察員教育において、実戦では敵艦見ユ ・・・を用いる、と教えていなかった結果に直面し、海軍組織が作り出した「記号の曖昧さ」に拘泥する赤城艦橋の高級参謀右往左往の図、が見えてくる。

本来ならば、味方の別動部隊が索敵線の方向にいるはずがないことを知る南雲司令部の高級参謀が判断すべき事の軽重の問題と言える。

さて、航空講義 二、計画 には、 (ホ) 偵察機ノ帰着後ノ報告ハ、必ズ天候視界ノ状況ヲモ併セ聴取スルヲ要ス、とある。

後年の書籍では利根で「聴取を行った結果、異状は無かった」とまとめられているが、特段の被害を受けていない利根艦橋に残される資料からではなく後のインタビューによる記事である。

それこそ偵察機の行動基準位置となる利根の艦位は正しかったのか? 無線封鎖の中で艦隊の位置としてKdB(機動部隊)内で共有されていた位置から発進したのか?

さらに、当CEOを悩ます謎の一つに、「なぜ敵艦隊の位置を発進時の艦の位置を基準とせず、ミッドウェー島としたのか」、がある。戦務講義では、(三) 敵情報告2b.航空機ノ敵艦位報告ハ、味方部隊トノ関係位置ヲ以 、とされている。しかし、戦闘詳報では後続した偵察機も航空機に対しては前者、敵艦船に対しては後者で交信しているようだ。

ミッドウェーは既に味方部隊の駐屯地としていたのかもしれない。 全ては敵艦隊よりミッドウェー島攻略を優先する「機動部隊司令部の参謀の心理的な都合による命令」があったためと考えられる。

その結果として、機動部隊の参謀や司令官が本来持つべき大局観、直感による平面を俯瞰する(下世話に言えば岡目八目の)認識を妨げていた。

その中を、日本海軍は、自分達で描いた奇襲戦遭遇戦後者が、山本連合艦隊指令長官の思惑であったが、後述する奉勅命令に縛られて文書化した作戦指導できなかった)を同時に進行させて、陸軍参謀本部命令大陸令第六百二十四號による一木支隊2000名、後段で述べる大海指による海軍陸戦隊2500名、設営部隊2600名を擁する輸送船団で西からミッドウェーに接近している陸海軍の協力による上陸部隊の上陸占領駐屯海軍軍令部総長が畏れ多くも奉じる奉勅命令「大海令第十八號」がこれであり、敵艦隊撃滅命令などはなく「細項ニ関シテハ軍令部総長ヲシテ指示セシム」とあるのみ)を支援する奇襲戦の成功を大前提とする中での遭遇戦という概案(シノプシス)を作成した。

すなわち奉勅命令により永野海軍軍令部総長が作戦要領の最後の一行に潜り込ませて反撃してくるかも知れない敵艦隊の撃滅を命令した 「大海指第九十四號」を受けて聯合艦隊が作成した「機密聯合艦隊命令作第十二號」という図上演習では統括官である宇垣連合艦隊参謀長の一声で赤城の被弾数を覆した台本(シナリオ)を演じながら、日本海軍の暗号を解読して待ち伏せていた米陸海軍が繰り出すミッドウェー島TF16TF17という三方からの絶え間ない航空勢力の多彩な攻撃法のアドリブに翻弄されていた。

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 余談ながら図上演習では敵空母群の先制攻撃(攻撃方法は不明)を受けて赤城加賀の被弾判定は9発であったが赤城は3発に変更されて被害は沈没から損害軽微へ覆されて状況は継続された。

 実際の戦場での被弾は至近弾1、命中弾2だった。 そして、残る7発には余る、甲板や格納庫にあった魚雷や爆弾の誘爆、燃料の引火による爆発と延焼であった。

 この演習で赤軍(米軍)の指揮を担当したのは戦艦日向艦長の松田大佐であった。 赤軍は状況開始に合わせて空母部隊を「作第十二號」で想定している反撃のためにハワイからの出撃ではなく先制攻撃の状況を取った。 

図上演習でも青軍(日本の機動部隊)の索敵は失敗していたのか?・・・演習の経過は防衛庁戦史室の倉庫に眠っていると思うのだが・・・青軍は奇襲のために索敵をやっていなかったのか?

 史実の連合艦隊の偵察計画ではハワイ軍港監視に派遣する二式大型飛行艇と潜水艦が会合し燃料を補給するフレンチフリゲート環礁に敵の水上機母艦が進出しており計画を中止、潜水艦隊による2~3段の警戒線の参加隻数は故障で減り展開が遅れていたので敵の特命部隊(タスクフォース)は既に北側をすり抜けており現実に近い状況の図上演習となった。

 そして、図上演習の総括は連合艦隊参謀長宇垣中将からの指摘も機動部隊参謀長草鹿少将からの回答も「このような状況にならぬようにする」であった。

 草鹿参謀長は少佐を任官して二年間(1926/12-1928/12)に航空関係の座学教官と「航空偵察の研究」を行っていた飛行実務はその間の半年ほどの偵察員としての経験であった。 宇垣中将との同じような問答の中では「偵察を巌にする」と答えてはいる。

 しかし、少佐時代の経験から14年半ほど経過したミッドウェー(1942/6)での参謀長である少将の彼は、吉岡次席航空参謀の立案した索敵計画をそのまま承認した源田航空参謀に対する指導はなく攻撃優先の驕りに染まっていた。

  半年前の真珠湾の経験は草鹿少将の14年余の時間を飲み込んでいた。

 なお、日向には試験的にレーダーが配備されていたがミッドウェー作戦に並行する囮を兼ねた同様の作戦であるアリューシャン作戦に回されていた。 電波管制が厳しかったミッドウェー作戦に加わっていても活躍できたかどうか。

 電波管制は全艦隊に及び、後方と言えども出陣していた傍聴情報が集まる連合艦隊旗艦大和においても司令長官の幕僚は前線部隊と共有しようとはせず山本長官でさえこれを是正しなかった。

 余談を重ねるとミッドウェー作戦の総括は、その後の作戦でミッドウェー環礁の占領に予定されていた陸上要員はガダルカナルから沖縄へと転戦、補充されてほとんどの将兵が戦、病、餓死を迎え、アリューシャン方面ではアッツ島の玉砕、その引き替えのキスカ島の全将兵撤退、アリューシャン列島のアクタン島の沼地に不時着転倒して米軍に鹵獲されたほぼ無傷の零戦1機であった

・・・以上、長々と続けた米陸軍航空部隊ドゥリットル中佐が率いた16機のB-25から長く延びた影の中の叙事的閑話を休題します。

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さらに、もう一つ、(ミッドウェーからの敵攻撃下で)第一電となった1942年6月5日東京時間 04:28 の利根四号機よりKdB司令長官に宛てた信文『敵ラシキモノ一〇隻見ユ ミッドウェー ヨリノ方位一〇度二四〇浬針路一五〇度速力二〇以上』は、一言一句この通りの文章で打たれたのかを考察しておく必要がある。

#14では、日露戦争において信濃丸から発信されたバルチック艦隊発見の第一報は『敵ノ艦隊二〇三地点ニ見ユ、時ニ午前四時四五分』だった。著者が言う通りの引き締まった名文である。

この時代に全文暗号だったかどうかは分らないが、「敵ノ」「ニ見ユ、」時ニなどの助詞は受信側で付け加えられたのではないかと思われる。

少なくとも地点の「二〇三」では地図上を区切った格子の暗号が用いられている。兵術参考綴第一電の例文においても地点は「イロハ一」で示されていた。 作戦詳報においては南雲機動部隊司令長官から山本連合艦隊司令長官に宛てた信文の地点は「トシリ一二四」 や「ΦΦ」 などの記号暗号で発信されている。

利根四号機の第一電の信文もこれと同じく「敵」「場所」「時間」を暗号で発信し、受信した第八戦隊(8S)の旗艦利根の電信員が聞き取りした信文から報告用の受信用紙に平文に書き直し(上官の添削や8S参謀の承認を受けて)、双方の発光信号員を経由して赤城KdB司令長官に転送報告したはずである。

ここでの問題は、果たして利根もしくは赤城で「(信文の)暗号記号から(平文の)角座標」に書き直したかどうか、あるいは戦中戦後を問わず出典の原本を編纂する時点で現在見る平文処理を行ったのではないか、の可能性が残る。ここでは機動部隊が信文と平文の「使い分け」を行っていたとして進めている。

#14の著者が指摘する利根四号機の信文というより平文が締まらないのは、敵襲下の緊張で機械的に処理したのかも知れないが利根の通信士官や8S司令部の参謀には明治の軍人ほどの文才がなかったようだ。

さて、地図を格子状に区切って番号を振る暗号方式は、ミッドウェーの「運命の5分間」の後先き・・・スマート、ステディ & サイレント・ネイビィ (第ニの疑問 の手掛り)について考えるの巻 の中で #8 からのキャプチャー画像で触れている。

ただし、画像自体は考証的には戦後になって米海軍から海上自衛隊にノースアメリカン SNJ-5/6 練習機 と一緒に貸与された航空図板のようで日本海軍も、と遡推するには多少ならず疑念はあるけれど格子には番号が振られていた。

端的に言えば、日露戦争の事例で示すように洋上で動く敵(Moving Target)をピンポイントの位置で示してもあまり意味はない。 第二電で送られる敵針、敵速、雲量、視界が索敵と攻撃に向かう偵察機や攻撃編隊が展開するために必要な場所を区画で示す情報のほうが実用になる。

纏めると利根四号機がミッドウェーで使用した信文も、8SKdBの各旗艦である利根赤城の艦橋で参謀が周囲に屯(たむろ)する海図台にある地図に対応する記号(場所)で送られた。

四号機の所属艦である利根の通信室で起こした解読文からKdB司令部が要求するミッドウェー島基点からの角座標(角度と距離)の平文に直し、参謀は手直しせず承認して(意気の上がらぬ)平文をそのまま最終宛先であるKdB司令官の座乗する赤城に発光信号で転送するという艦隊の階位職制とその命令に従った手順が踏まれていたと考えられる。
入電時は敵の攻撃下で無線封鎖継続中だった。KdBが無線封鎖を解いたのは利根四号機に向けた05:00の「艦種シラセ」から

戦務講義では、(三) 2d.急ヲ要スル報告ハ、其ノ上級指揮官ニ報告スルト同時ニ、最高指揮官ニ報告ス の通りにKdB司令長官宛に発信されているが#0の淵田氏の記述からは指定された最高位の受信者が座乘する赤城が独自に解読した様子はない。

仮説として、暗号から始まるミッドウェーからの距離と角度の間違いとそれを増幅した(今のところあくまでだが)可能性は、利根四号機のほかにも、利根艦橋利根赤城間ノ通信赤城艦橋、の中にもある。

戦闘詳報にある偵察機からの報告の位置は敵艦隊に対する基点はミッドウェーから、遭遇した航空機に対しては発進した艦の位置からが基点となっていることを思い出してほしい。何よりの問題はなぜこのような面倒な命令としたのか、でもある。

それを言い出せば、積極性の有無は、戦務講義よって生ずる評価に対する毀誉褒貶の基準となるのは、第一章 一、戦務ノ意義 軍隊ヲ指揮統率シ之ガ行動生存ヲ処理スル等作戦実施ニ必用ナル諸用務 二、戦務実施ノ要訣(ハ)諸法規準則ニ通暁シアルコト(二)文章ハ簡明達意 四、報告及通報  (イ) 報告  (一)報告スベキ事項 。中でも利根四号機に対しては(二)報告ノ種類 一部略 1.上級士官ガ知ラント欲スル事項(所命事項)2.上級士官ノ参考トナル事項 辺りからとなる。

要するにミッドウェーに関わった日本海軍の中には偵察機の行動全般に直接留意する余裕のある偵察士官も情報参謀もいなかった。

いない場合において責任を持つ者はだれか。 少なくとも偵察機の追跡は海図台で索敵線を引いたあるいは引かせたどちらの司令部か知らぬが航空参謀、次席参謀が持つべき責任と言えそうである。

参考にした書籍の偵察関連項目でも偵察専任の将校が書いたとも思えない文章もある。(さすがに海陸軍とは書いてないが)陸海軍の仲が悪かったことも読み取れる。

そんな、こんなを考えながら、できれば#10と共に参考元の書籍#11でお読みください。なお、筆記された時期はいずれもミッドウェー海戦以降となっている。

特に敵艦船発見時の行動指針については微妙に違っている。前者は空母に対するミッドウェーの戦訓の強調、また、前者を下士官兵用とすれば後者(以下の抜粋資料)はそこそこ緩い将校用とも読める。

で、ネービーかぶれらしくTBC 、"To Be Continued." 次回に続く。「高度何米で飛びゃいいんだ!の巻」を予定


海軍飛行学生・戦務講義 昭和19年7月
一、戦務ノ意義
 軍隊ヲ指揮統率シ之ガ行動生存ヲ処理スル等作戦実施ニ必用ナル諸用務
二、戦務実施ノ要訣
(イ)兵術上ノ知識ヲ有スルコト
(ロ)将来起ルベキ諸状況、諸作業ヲ予察又ハ想定シ周到ナル準備腹案ヲ定メ置クコト
(ハ)諸法規準則ニ通暁シアルコト
(二)文章ハ簡明達意
(ホ)小サナコトモ忠実ニ処理シ、厄介視セザルコト
(ヘ)諸般ノ事務ヲ整理シオクコト
三、令達(省略)
四、報告及通報
 (イ) 報告
 (一)報告スベキ事項
 (二)報告ノ種類
   内容による区分(5種省略)
   精粗による区分(2種省略)
   期間による区分(3種省略)
  1.上級士官ガ知ラント欲スル事項(所命事項)
  2.上級士官ノ参考トナル事項
 (三)敵情報告
   1、具備スベキ要件
(兵力、場所、時刻、動静、天象、海上所見)
   2、敵情報告上留意スベキ事項
 a.自己ノ機(艦)位、不正確ノトキ其ノ旨明示(特ニ敵ニ対スルトキ)
 b.航空機ノ敵艦位報告ハ、味方部隊トノ関係位置ヲ以(テ追記)
 
   c.捜索偵察等ニ於ケル敵情報告ハ、特ニ迅速ヲ旨トシ、初メテ敵ヲ発見セル時、又ハ敵情変化アリシ時ハ直チニ報告ス
 d.急ヲ要スル報告ハ、其ノ上級指揮官ニ報告スルト同時ニ、最高指揮官ニ報告ス
 e. 戦闘概報ハ、上級指揮官ガ戦闘直後ノ処置、並ニ爾後ノ作戦ニ対スル方策ヲ決定スルニ必用ナルヲ以テ、戦闘中止若ハ終了後特ニ迅速ニ報告スルヲ要ス
 (四)一般報告ノ記載又ハ陳述順序(省略)
(ロ)通報(省略)
五、作戦計画(省略)
六、戦策戦則(省略)
七、警戒(省略)
八、捜索、偵察
  捜索「所在未知ノ敵ヲ探索スルヲ謂フ」
  偵察「所在既知ノ敵情又ハ局地ノ情況ヲ探明スルヲ謂フ」
  (一) 捜索ノタメ部隊ヲ出発派遣スル令示スベキ事項
    1、敵情
    2、捜索目標
    3、其ノ任務ニ従事スルベキ期間、帰投、又ハ集合地点、及時刻
    4、主隊母艦(出発艦)ノ行動要スレバ友軍(特ニ潜水艦)ノ行動
  (二)艦戦ニ依ル捜索法(省略)
  (三)航空機二依ル捜索法
     (航空戦要務ニテ研究)
九、監視(省略)
十、封鎖(省略)
十一、船舶護衛(省略)

海軍飛行学生・航空講義
偵察関係
一、一般関係事項
 (イ) 偵察関係事項ハ、航空戦教範ニ詳細ニ亘リ示サレアルヲ以テ、熟読吟味シ麾下部隊現状ニ照応シ版衆ヲ樹立シオルヲ可トス
 (ロ) 戦策ニ於テ、指揮官ノ偵察ニ関スル意図ヲ明示スルヲ要ス
 (ハ) 横空ニ於ケル、偵察関係研究資料ヲ適時参照スルヲ可トス
 (ニ) 偵察関係兵器ノ研究試作ハ、多種多様ナルモ実施配給ハ相当ニ遅延スルモノト考フルヲ可トス
 (ホ) 偵察員ハ、如何ナル教育ヲ受ケタルモノナリヤ、部下ノ経歴ヲ予メ知リオク要アリ
二、計 画
 (イ) 現地二於テ、天候状況ハ予メ、数回ノ天候偵察ノ結果ヲ総合シ、確実ニ補足シ置クヲ要ス
 (ロ) 偵察機ノ使用回数ハ、長期ニ亘ル時ハ莫大トナルヲ以テ、搭乗員ノ疲労ヲ考慮スルヲ要ス
連続一週間ノ使用ハ一般ニ限度トス
 (ハ) 陸攻隊ハ、索敵ニ追テ一般ニ高々度ニテ飛行セントスル傾向アリ。飛行高度ヲ厳守セシムル要アリ
 (ニ) 索敵機ノ索敵線到達時刻ハ、一般ニ軽視サレ勝ナリ。注意ヲ要ス
 (ホ) 重要ナル時期、重要トナル方面ニハ、有能ナル搭乗員ヲ使用スルヲ可トス
 (ヘ) 索敵機ガ敵索敵機ト遭遇シ空戦ヲ行ナフコトアリ。兵装ハ充実セシムル要アリ
 (ト) 重要ナル索敵ハ、対機ニテ使用スルヲ可トス
三、実 施
 (イ) 索敵機飛行中、幕僚ハ予メ準備セル索敵図ニ予定時間ヲ記入シ、索敵線及飛行時間ニ依リ概位ヲ判知スルヲ可トス
 (ロ) 偵察員ノ敵艦型報告ハ、極メテ不正確ナルモノアリ。予メ艦型ノ特徴ヲ見ル順序ヲ示シオクヲ可トス
 (ハ) fc搭乗員ガ、比較的正確ナル敵情ヲ携スコトアリ。fc隊ニモ敵情報告ヲ提出セヒムルヲ可トス 補注) fc 戦闘機
 

 (ニ) 偵察機ノ電報不達アルヲ以テ、隣接索敵機ニ中継セシムル如ク強調スルヲ可トス
 (ホ) 偵察機ノ帰着後ノ報告ハ、必ズ天候視界ノ状況ヲモ併セ聴取スルヲ要ス
 (ヘ) 偵察機ハ、一般ニ帰投時ノ味方識別不正確ナリ。励行セシムル要アリ
 (ト) 索敵線ノ欠如シタル場合ノ報告ハ、予メ規約ヲ定メ報告セシムル如クスルヲ可トス
四、戦果判定
 (イ) 攻撃隊ノ戦果判定ハ、一般ニ過大ナルヲ以テ、攻撃後偵察機ヲ以テ写真偵察ヲ実施セシムルヲ可トス
 (ロ) 航空隊司令ノ戦果報告ガ他隊ノ偵察報告ト差異アル場合、ソノ状況ヲ明記スル要アリ
五、写真
 (イ) 写真材料ハ、保存ノ命数ニ限度アリ。注意スル要アリ
 (ロ) 各航空隊ニテ撮影セル写真ハ、如何ナルモノモ提出スル如クスルヲ可トス
 (ハ) 陸軍機ノ写真偵察ニ利用スベキモノアリ
 (ニ) 敵基地ノ写真ハ各基地毎ニ暦日順ニ整理シ保存スルヲ可トス
 (ホ) 戦闘詳報ニ要スル写真ハ、注意セザレバ繫忙ノ為省略スル向キ多シ
 (ヘ) 写真判読ハ、画面ノ拡大、用紙ノ粗密支線ノ多寡ニ依リ難易アリ。注意ノ要アリ
六、陸軍トノ協同
 (イ) 陸海軍協同スル場合、陸軍機ノ艦船ニ対スル偵察報告ハ、極メテ不正確ナルモノアリ。一応海軍機ニテ確ムル要アリ
  陸戦ニ関スル海軍機ノ報告モ、陸軍ニ於テ斯ク感ズルモノアラン
 (ロ) 陸軍機ヲ洋上ニ誘導スル場合、彼等ハ海軍機ニ近接セズ、恰モ単独ニテ滲出スルガ如キ行動ヲトルヲ以テ、予メ被誘導隊指揮官ト面接セシメ、詳細打合セヲナサシムルヲ可トス
七、其ノ他
 偵察機隊ハ、一般ニ少数ナル為補給、給養、円滑ナラザルコトアリ。司令部ニテ眼ヲカケル必用アルコトアリ


兵術参考綴
谷田部、霞浦、神池、各航空隊により多岐にわたり作成され
編纂された海軍航空の包括資料の中から偵察関係のみ抽出
写真偵察用飛行機ノ所要性能
の6項目と航空写真機ノ所要性能6項目からなる要求仕様。(詳細は省略)
偵察課題
A1、先ズ敵発見ノ第一電ヲ打ツ 敵機動部隊見ユ
 地点イロハ一 ・・・時・・・分
次ニ適当ナル位置ニ避退シ、隠密ニ敵ニ接触シ、敵兵力、針路、速力、天候ヲ確認。味方指揮官ニ第二電ヲ発ス
 例:敵機動部隊見ユ B・・・C・・・D・・・T・・・ 針路300 速力二十節
附近上空ニ断雲アリ、雲量4、視界10
 2、味方攻撃隊発進
攻撃隊ノ現場到着前45分ヨリ、味方攻撃隊ノ無線誘導ヲ開始ス(夜間ニアリテハ、10分前ニ吊光投弾、照明弾)
 3、戦後、戦果ノ確認
 4、帰投
B、 局地偵察ハ、敵ノ兵力、隊形、動静、防備警戒、軍需品及軍事工業ノ状況、地形、水路、天象、地象ヲ偵知スルヲ目的トスルモノニシテ、之等ノ偵察目標ハ、作戦目的ニ応ジ、自ラ軽重ヲ生ズルモノナリ
 1、任務ノ十分ナル了解
 2、重点ノ研究
 3、我軍、敵軍ノ研究
 4、地象、天象ノ研究
 5、偵察法、偵察時期、進入路、退出路、帰投時刻及地点協同法
通信連絡法ノ変化ニ即応スル対策等、任務遂行上ニ必要ナル事項ノ周密ナル腹案
一般ニ広漠ナル敵根拠地ヲ、隠密タルト強行タルト問ワズ、短時間ニ偵察スル為ニハ、自ラ防者ノ立場ニ立チテ、偵察地点ノ防備施設ヲ策画シ、之ガ研究ニ努メ其ノ心ヲ以テ総テノ微細ナル事象ニ対シテモ、周密ナル観察ヲ払フヲ要すルモノニシテ、平常根拠地施設ニ対スル兵術眼ヲ養フ
 実施
 1、偽行動ヲトリテ、我軍ノ企画ヲ察知セラレザル如ク行動スルヲ可トシ、侵入、退避ニ当リテハ、我航空基地ノ位置ヲ察知セシメザル為、敵ノ視界ヲ去ルマデ偽航路ヲトルヲ可トス
 2、進入ニ当リテハ、適当ナル進入路ノ撰定、視界差ノ活用、天象、地象ノ利用、無線封止等機宜ノ手段ヲ講ジ、過早ニ敵ニ発見セラレザル如ク注意スルヲ要ス
 3、航空路ハ前二項ヲ考慮スルト共ニ、主目標ニ到達シテ任務ヲ達成シ得ル為、予メ地勢ニ依リ、敵ノ防禦施設ヲ研究シ、敵ノ監視ト防禦ノ最モ薄弱ナル地点ヲ撰定スルヲ要シ、尚状況ノ変化ニ応ズル為、数個ヲ決定シ置クヲ要ス
 4、写真偵察ノ活用ニ努メ、特ニ隠密ヲ要スル場合ハ視界限度ヨリノ赤外写真ヲ以テスルヲ有利トスルコトアリ
   5、重複偵察ヲ決行スル場合ニハ、時々時刻方法等ヲ変更シ、的ヲシテ対策ヲ施シ能ワザル如ク考慮スルヲ要ス
 6、隠密偵察ハ敵ノ意表ニ出デ高々度ヲ以テ侵入シ、下降ヲ以テ敵ニ近迫シ、視認及音響ニ依リ敵ニ発見セラレザル様考慮スルヲ要ス

三、対潜哨戒ニ際シ留意スベキ事項
  参考部分のみ
 4.天象、地象ノ利用
 (イ)太陽ノ高度低キトキハ太陽側ヨリ接近スル潜水艦ハ見エ難シ
 (ロ)風波アル時ハ、風上側ヨリ来ルコト多シ
 5.潜水艦ノ視認距離
   潜水艦ラシキ物認ム 15浬
   潜水艦ナルヲ認ム 10浬
   司令塔発見 6浬
   潜望鏡発見 3000~5000米  
 (ハ)透視高度
    晴天ノ場合、高度1000米以下ニ於テハ其ノ大小ニ依リ透視ノ難易ニ差異ナキモ、霧、靄、又ハ空気ノ混濁セル場合等ニ於テハ低高度ニ占位スルヲ有利トスルモ、大体ノ標準ヲ示セバ次ノ如シ
 日本近海 500米
 南洋方面 900米
四、教育訓練
  一、行動力ノ増進
   操縦・・・計器飛行
   (イ)高々度飛行
   (ロ)計器飛行
   偵察・・・航法
  二、電探、磁探、方位測定儀ノ使用法ニ熟達スルコト
  三、下士官兵ハ、成績調査ニヨリ技倆ノ向上ヲ図ル
  四、見張訓練・・・操縦員モ分担・・・眼鏡ノ携行
  五、偵察員ノ射撃訓練
  六、戦務訓練・・・暗号書ノ使用法
  七、天文航法・・・地上ニテコレガ基礎ヲカタム
  八、写真関係ノ教育・・・局地偵察法
  九、艦型識別、局地図示法
 一〇、偵察員ガ操縦員ニ要求スル点ノ研究
 一一、経験及戦術・・・先輩ノ失敗
 一二、下士官ノ勤務ヲヨクシルコト
士官ハ士官ラシク部下ヲ受撫スベシ
 一三、一部ノ長タルモノハ公務第一
 一四、初級士官トシテ躾ヲヨクセシム
 一五、下士官兵ノ経歴ヲヨクシルコト
通信法
 通信機器、使用周波数等(省略)
艦型識別教育訓練法
商船の種類、特徴を説明文で、艦種の識別は略図等を多用して教育する手法(省略)

     

 

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